121話から140話

 (最新見直し2010.06.02日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「二宮尊徳 『二宮翁夜話』」の「二宮翁夜話 (巻之一)」、「現代語新翻訳 気軽に読みたい人のための 二宮翁夜話 スーパー・マルチ・タレント 二宮尊徳が教えてくれる人の生き方 中小企業診断士 茂呂戸志夫」の「巻の一」を参照する。編集の都合上、1話から20話を採録する。ひとまず転載し、追々にれんだいこ風に書き換えて行くことにする。

 2010.05.19日 れんだいこ拝


【二宮翁夜話 巻之一目次、福住正兄筆記】

 第百二十一話  

原因と結果の諭し 貧富も、それなりの原因の結果である

 第百二十二話 

仁義礼法の諭し この世は、礼儀で総てが保たれている

 第百二十三話 

地獄極楽の理の諭し 地獄、極楽もすべて机の前の空論

 第百二十四話 

神儒仏の理の諭し いろいろ異なって聞こえる音も、本質は皆同じ空気の振動

 第百二十五話  

人道の大元、政道の本根の諭し 食、衣、は最低限のもので良い

 第百二十六話 

とある歌の諭し 粗食にも不足を思わないときは、総てが成就する 

 第百二十七話 

富と貧の理の諭し 貧富は隣り合わせに有る  

 第百二十八話 

徳行の諭し 報徳の基本は個人の徳行。徳行の基本は分度

 第百二十九話 

天禄の諭し 天禄は尊く、守るべきものである

 第百三十話  

驕奢(きょうしゃ)の諭し 一度身についた驕奢を、引き離すのは、相当の覚悟が無い限り、難しい

 第百三十一話 

おも柁(かじ)取柁の諭し 灯台たる人は、決意をぐらつかせてはならない

 第百三十二話 

これしきの事、これ位の事の諭し 指導者にとって、贅沢は敵である。身を滅ぼす元凶でしかない

 第百三十三話 

仁義礼智の徳性の諭し 真心を守るために、私心という雑草を取り去れ 

 第百三十四話 

信なれば則ち民任ずの諭し 事業でもその他でも、信頼関係が基本である

 第百三十五話 

鄙俚(ひりリ)の言の諭し 誠意を継続することが、法律よりも強い

 第百三十六話 

食を足すの諭し 人口が減るのは、民政が行き届かないことにもとが有る

 第百三十七話 

民政の諭し 国の繁栄、衰退は、民政の在り方にかかっている

 第百三十八話 

至誠を尽せの諭し 江川太郎左衛門との話

 第百三十九話 

至誠と実行の諭し 至誠と実行が、尊徳の信条

 第百四十話  

実地実行の諭し 言葉だけではなく、実行してこそ本物

 121、原因と結果の諭し

 翁曰く、貧(ヒン)となり富(トミ)となる、偶然(グウゼン)にあらず。富も因(ヨツ)て来る処あり、貧も因て来る処あり。人皆貨財(クワザイ)は富者の処に集ると思へ共然らず、節倹(セツケン)なる処と勉強する処に集るなり。百円の身代の者、百円にて暮(クラ)す時は、富の来る事なく貧の来る事なし。百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮(クラ)す時は、富(トミ)是に帰(キ)し財(ザイ)是に集(アツマ)る。百円の身代を百廿円にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る。只分外に進むと、分内に退くとの違ひのみ。或る歌に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(ヨベ)ば答ふる山彦(ヤマビコ)の声」と云る如く、世人今有れ共、其有(あル)原因を知らず、「無といへば無しとや人の思ふらんよべば答ふる山彦の声」にて、世人今なきも其無きもとをしらず。それ今有物は今に無くなり、今無きものは今にあり。譬えば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也。今無き銭の今あるは、勤ればなり。繩一房なへば五厘手に入、一日働けば十銭手に入る也。今手に入る十銭も、酒を呑めば直になし、明白疑(ウタガヒ)なき世の中なり。中庸曰く、誠なれば則明なり、明なれば則誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(ヤ)れば繩一房来る、晴天白日の世の中なり。

 ※補講※ 

※ 「誠則明矣、明則誠矣」(まことなればすなわちあきらかなり、あきらかなればすなわちまことなり) 中庸 

 122、仁義礼法の諭し

 
翁曰く、山畑に粟(あわ)稗(ひえ)実法(みの)る時は猪(ヰ)鹿(しか)小鳥までも出で来たりて、これを取り食(くらラ)ふ。礼もなく法もなく、仁義もなし。己々が腹を養ふのみ。粟を育てんと肥(こやし)をする猪鹿もなく、稗を実法らせんと草を取る鳥もなし。人にして礼法なき、何ぞ是と異らむ。予が戯(たわむれ)に詠る歌に「秋来れば山田の稲を猪(しし)と猿、人と夜昼争ひにけり」。それ検見(けんみ)に来る地方官は、米を取らんが為なり。検見を受くる田主も、作徳(さくとく)を取らん為なり。作主は元よりなり。されども、皆仁あり義あり、法あり礼あるが故に、心中には争へども乱に及ばぬなり。もしこの三人の内、一人仁義礼法を忘れて、私欲を押張(オシハ)らば忽(タチマチ)乱るべし。世界は礼法こそ尊とけれ。
 ※補講※ 
 123、地獄極楽の理の諭し

 
或る人問う。地獄極楽と云うもの実(まこと)にありや。翁曰く、仏者はありといへども、取り出して人に示す事は出来ず、儒者はなしといへども、又往(ゆ)きて見きはめたるにはあらず。ありと云もなしと云うも、共に空論のみ。然りといえども、人の死後に生前の果報はなくて、叶はざる道理也。儒者のなしと云うは、三世を説かざるに依る。仏は三世を説く也。一つは説かず一ツは説くも、三世は必ずあり。されば地獄極楽なしと云うべからず。見る事ならざればとて、なしと極むべからず。さて地獄極楽はありといへども、念仏宗にては、念仏を唱ふる者は極楽へゆき、唱へざる者は地獄へおつと。法華宗にては、妙法を唱ふる者は浮(うか)み、唱へざる者は沈むと。又甚しきは寺へ金穀(きんこく)を納める者は極楽へゆき、納めざる者は地獄におつと。かくの如き道理は決してあるべからず。それ元地獄は悪事をなしたる者の死してやらるゝ処、極楽は善事をなしたる者の死してゆく処なる事疑いなし。それ地獄極楽は勧善懲悪の為にあるものにして、宗旨の信不信の為にあるものにあらざる事明らか也。迷ふべからず疑ふべからず。
 ※補講※ 
 124、神儒仏の理の諭し

 翁曰く、鐘(カネ)には鐘の音あり、鼓(つづみ)には鼓の音あり、笛には笛の音あり。音各異なりといへども、その音たるや一なり、只その物に触れて、響きの異なるのみ。これを別々の音に聞くを、仏道にて、迷いといひ、これを只一音に聞くを悟りと云うが如し。されども、これを悉(ことごと)く別音に聞て、その内をも幾箇(いくつ)にも分ちて聞かざれば、五音六律分かたざる故、調楽(ちょうがく)は出来ぬなり。水も朱にすられて赤くなり、藍(アイ)に和して青く成るといへども、地に戻(もど)せば元の清水と成るに同じ。音は空にして打てばひゞき、打たざれば止む。音の空に消ゆるは、打たれたる響(ひびき)の尽きたるなり。されば神といひ儒といひ仏と云も、本来は一なり。一の水を酒屋にては酒といひ、酢屋にては酢と云うが如き違ひのみ

 ※補講※ 
※ 五音六律(ごいんりくりつ) 日本古来の音と音階

 125、人道の大元、政道の本根の諭し

 翁曰く、衣は寒を凌(しの)ぎ、食は飢えを凌ぐのみにてたれる物なり。その外は皆無用の事なり。官服は貴賤を分つ目印にて、男女の服は只粧(よそお)いのみ。婦女子の紅白粉(べにおしろい)と何ぞ異らむ。紅白粉なくとも婦人あれば、結婚に支(つか)えなし。飢えを凌ぐ為の食、寒を凌ぐ為の衣は、智愚(ちぐ)賢不肖(けんふしょう)を分たず、学者にても無学者にても、悟りても迷うても、離るゝ事は出来ぬ物なり。これを備うる道こそ人道の大元、政道の本根なり。予が歌に「飯と汁木綿着物ぞ身を助く その余は我をせむるのみなり」と詠(よ)めり。これ我が道の悟門(ごもん)なり。能く々徹底すべし。予、若年より食は飢えを凌ぎ、衣は寒を凌で足れりとせり。只この覚悟一にして今日に及べり。我が道を修行し施行せんと思う者は、先ず能くこの理を悟るべきなり。
 ※補講※ 
 126、とある歌の諭し

 
翁、某の駅の旅舎(はたごや)に宿泊せらる。床(とこ)に「人常に菜根(さいこん)を咬(か)み得ば 則ち百事做(な)すべし」と書ける幅(ふく)あり。翁曰く、菜根何の功能ありて、然るかと考えるに、これは麁(そ)食になれて、それを不足に思わざる時は、為す事皆成就すと云う事なり。予が歌に「飯と汁木綿着物」とよめるに同じ。能(よ)き教訓なり。又傍(かたわら)に「かくれ沼の藻(も)にすむ魚も 天伝(あまつた)ふ日の御影(かげ)にはもれじとぞ思ふ」とかける短冊(たんざく)あり。翁曰く、この歌面白(おもしろ)し。それ米は地より生ずる様なれども、元は天より降るに同じ。大陽日々天より照す処の温気が地に入り、その力にて米穀は熟するなり。春分耕(たがや)し初むる頃より、秋分実法るまでを、尺杖の如く図して見よ。十日照れば十日丈(だけ)、一月照れば一月丈、地に米穀となるべき温気が入りて居る故、たとえその間に雨天冷気等ありといえども、それまで照り込んで居る丈は実法るなり。然れども人力を尽さゞれば、実法り少きは、耕し鋤(す)き掻(か)きの功多ければ、大陽の温気地に入る事多きが故なり。地上の万物一ツとして、天日の御影にもれたる物はなし。海底の水草すら雨天冷気の年は繁茂せずと云えり。左もあるべし、この歌、歌人の詠には珍らし。
 ※補講※ 
 127、富と貧の理の諭し

 翁曰く、富と貧とは、元遠く隔(へだ)つ物にあらず、只少しの隔なり。その本源只一ツの心得にあり。貧者は昨日の為に今日勤め、昨年の為に今年勤む。故に終身苦しんでその功なし。富者は明日の為に今日勤め、来年の為に今年勤め、安楽自在にして、成す事成就せずと云う事なし。然るを世の人、今日飲む酒無き時は借りて飲み、今日食ふ米なき時は又借りて食ふ。これ貧窮すべき元因なり。今日薪を取て、明朝飯を炊(た)き、今夜繩を索(な)ふて、明日籬(マガキ)を結ばゞ、安心にして差支へなし。然るを貧者の仕方は、明日取る薪(たきぎ)にて今夕の飯を炊んとし、明夜索(ナ)ふ繩を以て今日籬(マガキ)を結ばんとするが如し。故に苦んで功成らず。故に予常に曰く、貧者草を刈らんとする時、鎌なし、之を隣に借りて草を刈る常の事なり。これ貧窮を免るゝ事能(あた)はざるの元因なり。鎌なくば先ず日雇取りを為すべし。賃銭を以て鎌を買ひ求め、然る後に草を刈るべし。この道は則ち開闢元始の大道に基くものなるが故に、卑怯卑劣の心なし。これ神代の古、豊芦原に天降(あまくだ)りし時の、神の御心なり。故にこの心ある者は富貴を得、この心無き者は富貴を得る事能はず。
 ※補講※ 
 128、徳行の諭し

 
翁曰く、我が教えは、徳を以て徳に報うの道なり。天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、その蒙(こうむ)る処人々皆広太也。之に報うに我が徳行を以てするを云う。君恩には忠、親恩には孝の類、之を徳行と云う。さてこの徳行を立てんとするには、先ず己々が天禄の分を明かにして、之を守るを先とす。故に予は入門の初めに、分限を取調べて能く弁へさするなり。如何となれば、おおよそ富家の子孫は、我家の財産は何程ありや、知らぬ者多ければなり。論語に、師(し)冕(べん)見ゆ、皆坐す。子の曰く、某は斯(ここ)にありと。師(シ)冕(ベン)出づ。子張問いて曰く、師と言うの道か。子の曰く、然り、固より師を助るの道なり、とあり。予が人を教うる、先ず分限を明細に調(しら)べ、汝が家株田畑何町何反歩、この作益金何円、内借金の利子何程を引、残何程なり。これ汝が暮すべき一年の天禄なり。この外に取る処なく入る処なし、この内にて勤倹を尽して、暮しを立て、何程か余財を譲る事を勤むべし。これ道なり。これ汝が天命にして、汝が天禄なりと。皆この如く教ふるなり。これまた心盲の者を助るの道なり。それ入るを計(はか)りて天分を定め、音信贈答も、義理も礼義も、皆この内にて為すべし。出来ざれば、皆止むべし。或は之を吝嗇(りんしょく)と云う者ありとも、それは言う方の誤りなれば、意とする事勿れ。何となればこの外に取る処なく、入る物なければなり。されば義理も交際も出来ざれば為さゞるが、則ち礼なり義なり道なり。この理を能く々弁へて、惑う事勿れ。これ徳行を立てる初めなり。己が分度立ざれば徳行は立たざるものと知るべし。

 ※補講※ 

 論語 衛霊公 「師冕見、及階、子曰、階也、及席、子曰、席也、皆坐、子告之曰、某在斯、某在斯、師冕出、子張問曰、與師言之道與、子曰、然、固相師之道也、」(しべんまみゆ、かいにおよべり、しのたまわく、かいなり、せきにおよべり、しのたまわく、せきなり、みなざす、しこれにつげていわく、ぼうはここにあり、ぼうはここにあり、しべんいづ、しちょうといていわく、しというのみちか、しのたまわく、しかり、もとよりしをたすくるのみちなり)
 (盲目の楽師の冕が見えられた。楽師が階段のところに来ると、孔子は、階段ですと言い、皆が座る所まで来て座ると、孔子は、誰々はここに、誰々はそこに座っています、と教えた。冕が退出されると、子張が孔子に尋ねた。あれが楽師を迎えた時の礼ですか。孔子は、そうだ、勿論盲目の楽師に対する礼だ、と言われた) 
 129、天禄の諭し

 翁曰く、人生尊ぶべきものは天禄を第一とす。故に武士は天禄の為に一命を抛(なげう)つなり。天下の政事も神儒仏の教えも、その実衣食住の三つの事のみ。黎民(レイミン)飢え寒(こご)えざるを王道とす。故に人たる者は、慎(つつし)んで天禄を守らずばあるべからず。固く天禄を守る時は、困窮艱難の患なし。仮初(かりそめ)にも、我が天禄を賤(いやし)むの心出る時は、困窮艱難忽(たちまち)に至る。それ天禄の尊き事は云う迄もなし。日々の衣食住その他、履き物笠(カラカサ)傘よりして鼻をかむ紙迄も、皆天禄分内の物なり。嫁は他家より来る者といへども、云もてゆけば、天禄の中より来ると云んも違るにあらず。然に我がこの方法は、天禄なき者に天禄を授け、天禄の破れんとするを補い、天禄の衰(おとろ)へたるを盛んに為し、且つ天禄を分外に増殖し、天禄を永遠に維持するの教えなれば、尊き事論を俟(また)ず。古語に、血気ある者、尊信せざる事なし、といへるは、我が道の事なり。

 ※補講※ 

※ 「凡有血気者、莫不尊親」(およそけっきあるものは、そんしんせざることなし)(血気 血と気 生命のこと  凡そ生命有るもので、これを尊ばず親しまない者はいない。という意味。その尊び親しむ対象は、この句の前に、延々と形容の言葉が述べられている人、この世で最高の聖人で、尭、舜のような人のことである)中庸

 130、驕奢(きょうしゃ)の諭し

 
翁曰く、某藩士某(それがし)、東京(エド)詰にて、顕職(けんしょく)を勤めたり。一朝退勤の命あり、帰国せんとす。予往て暇(いとま)を告げ、且つ曰く、卿がこれ迄の驕奢(きょうしゃ)、実に意外の事なりといへども、職務なれば是非無し。今帰国せんとす、これ迄用ふる処の、衣類諸道具等は皆分不相応の品なり。これを持帰る時は、卿が驕奢退かず、妻子厄介も同く奢侈(しゃし)止らざるべし。然る時は卿が家、財政の為に滅亡に至らん、恐れざるべけんや。刀は折れず曲(まが)らざる利刀の、外飾(がいしょく)なきを残し、その他は衣類諸道具、一切これ迄用ひし物品は残らず、親戚朋友懇意出入の者等に、形見として悉(ことごと)く与へ、不断着(ふだんぎ)寝巻の儘(まま)にて、只妻子而已を具して、帰国して、一品も国に持ち行く事勿れ。これ奢侈を退ぞ)け、驕意を断つの秘伝也。然らざれば、妻子厄介迄染(しみ)込んだる奢侈決して退かず、卿が家終に亡びん事鏡に掛けて見るが如し。迷ふ勿れと懇々教えたれど、某(それがし)用ふる事能はず。一品も残さず船に積みて持帰り、この物品を売り売り生活を立て、終(つい)に売り尽して、言可らざるの困窮に陥り果てたり。歎ずべし、この分限を忘れ、驕奢に馴れて、天をも恐れず人をも憚(はばか)らざるの過(あやまち)なり。我が驕奢、誠に分に過ぎたりと心付ば、同藩に対しても、憚らずば有べからず。これ驕奢に馴れて自ら驕奢としらざるが故なり、歎(タン)ずべし。
 ※補講※ 
 131、おも柁(かじ)取柁の諭し

 
高野丹吾帰国せんとす。翁曰く、伊勢の国鳥羽の湊(みなと)より、相模(さがみ)国浦賀の湊までの間に、大風雨の時、船の掛かるべき湊は、只伊豆国の下田湊のみ。故に燈(とう)明台あり。大風雨の時は、この燈台の明りを目的(めあて)として、往来の船は下田湊に入るなり。この脇に妻良子浦(めらこうら)と云う処あり。岸巌(がんがん)高く大岩多く、船路なき処なり。この辺に悪民有て風雨の夜、この処の岸上に焚(た)きて、下田の燈台と見違ふ様にしければ、難風を凌(しの)がんと、燈台を見当に走り来る船、燈台の火と見紛(みまが)ひ入り来る勢ひに、大岩に当り破船すること数度なり。この破船の積荷物品を奪ひ、取り隠し置て分配せし事、度々有りし由、終(つい)には発覚し皆刑せられたりと聞けり。己が聊(いささか)の欲心の為に、船を破り人命を損じ、物品を流失せしむ、悪(あし)き仕業(しわざ)ならずや。我仕法にも又是に似たる事あり。烏山(からすやま)の燈台は菅谷氏なり、細川家の燈台は中村氏なるに、二氏の精神半途に変じ、前の居処と違(たが)へるが為に、二藩の仕法目的を失い今困難に陥れり。かりそめにも、人の師表(しひょう)たらん者、恐れざるべけんや、慎しまざるべけんや。貴藩の如きは、草野氏池田氏の如き、大燈明上にあれば、安心なりといへども、卿も又成田坪田二村の為には大燈明なり。万一心を動かし、居処を移すが如き事あらば、二村の仕法の破れん事、船の岩に当れるが如し。されば二村の盛衰安危、卿が一身にあり。能々感銘せらるべし、二村の為卿が為、この上もなき大事なり。卿能くこの決心を定め、不動仏の猛火背を焼くといへども、動かざる如くならば、二村の成業に於ては袋(のう)中の物を探(さぐ)るよりも安し。卿が心さへ動かざれば、村民は卿を目的となし、船頭の船路を見て、おも柁(かじ)取柁と呼ぶが如く、驕奢に流れぬ様(よう)おも柁と呼んで直し、遊惰に流ぬ様取り柁と呼んで漕ぐのみ。然る時は興国安民の宝船、卿が所有の成田丸坪田丸は成就の岸に安着せん事疑ひなし。この時君公の御悦びは如何計(ばか)りぞや、草野池田の二氏の満足も如何計ならんや、勤めよや勤めよや。
 ※補講※ 
 132、これしきの事、これ位の事の諭し

 
高野氏旅粧(たびよそおい)成りて暇(いとま)を乞ふ。翁曰く、卿に安全の守りを授けん。則ち予が詠る「飯と汁木綿着物は身を助く その余は我をせむるのみなり」の歌なり。歌拙(つたな)しとて軽視する事勿れ。身の安全を願はゞこの歌を守るべし。一朝変ある時に、我が身方と成る物は、飯と汁木綿着物の外になし。これは鳥獣の羽毛と同じく何方迄も身方なり。この外の物は、皆我身の敵と知るべし。この外の物、内に入るは敵の内に入るが如し。恐れて除(のぞ)き去るべし。これしきの事は、これ位の事はと云つゝ、自ら許す処より人は過(あやま)つものなり。初めは害なしといへども、年を経る間に思はず知らず、いつか敵と成りて、悔(くゆ)るども及ばざる場合ひに立ち至る事あり。それこれ位の事はと自ら許す処のものは、猪(ヰ)鹿(しか)の足跡の如く、隠す事能(あた)はず。終に我が足跡の為に猪鹿の猟師に得らるゝに同じ。この物内に無き時は、暴君も汚吏(おり)も、如何共する事能はず。進んで我が仕法を行ふ者、慎まずばあるべからず。必ず忘るゝ事勿れ。高野氏叩頭(こうとう)して謝す。波多八郎傍(かたわら)にあり、曰く、古歌に「かばかりの事は浮世の習ひぞとゆるす心のはてぞ悲しき」と云るあり、教戒によりて思ひ出たり、予も感銘せり、と云ひ生涯忘れじと誓う
 ※補講※ 

 133、仁義礼智の徳性の諭し

 翁曰く、人の神魂に就(つき)て、生ずる心を真心と云う。則ち道心なり。身体に就て生ずるを私心と云う。則ち人心なり。人心は譬えば、田畑に生ずる莠草の如し。勤めて耘(くさぎ)り去るべし。然せざれば、作物を害するが如く、道心を荒らす物なり。勤て私心の草を耘(くさぎ)り、米麦を培養するが如く、工夫を用ひ、仁義礼智の徳性を養い育つ可し。これ身を修め家を斉(ととの)ふるの勤なり。

 ※補講※ 
 134、信なれば則ち民任ずの諭し

 
翁曰く、論語に曰く、信なれば則ち民任ずと。児(こ)の母に於る己(おのれ)何程に大切と思ふ物にても、疑わずして母には預(あず)くる物なり。これ母の信、児に通ずればなり。予が先君に於る又同じ。予が桜町仕法の委任は、心組(ぐみ)の次第一々申立るに及ばず。年々の出納計算するに及ばず、十ヶ年の間任せ置く者也とあり。これ予が身を委(ゆだ)ねて、桜町に来りし所以(ゆえん)なり。さてこの地に来り、如何にせんと熟考するに、皇国開闢(かいびゃく)の昔、外国より資本を借りて、開きしにあらず。皇国は、皇国の徳沢にて、開たるに相違なき事を、発明したれば、本藩の下附金を謝絶し、近郷富家に借用を頼まず、この四千石の地の外をば、海外と見做(な)し、吾(わレ)神代の古に、豊葦原へ天降りしと決心し、皇国は皇国の徳沢にて開く道こそ、天照大御神の足跡なれと思ひ定めて、一途に開闢元始の大道に拠(よ)りて、勉強せしなり。それ開闢の昔、芦原に一人天降りしと覚悟する時は、流水に潔身(みそぎ)せし如く、潔(いさぎよ)き事限りなし。何事をなすにもこの覚悟を極むれば、依頼心なく、卑怯卑劣の心なく、何を見ても、うらやましき事なく、心中清浄なるが故に、願ひとして成就せずと云う事なきの場に至るなり。この覚悟、事を成すの大本なり。我が悟道の極意なり。この覚悟定まれば、衰(すい)村を起すも、廃(はい)家を興すもいと易(やす)し、只この覚悟一つのみ。

 ※補講※ 

※ 「信則民任焉」(しんなればすなわちたみにんず)(信=真 まことがあれば人民から頼られる) 論語 尭日

 135、鄙俚(ひりリ)の言の諭し

 翁曰く、惰風極まり、汚俗深染(しんせん)の村里を新にするは、いとも難き業なり。如何となれば、法戒む可からず、令行はる可からず、教施す可からず。之をして精励に趣(おもむ)かしめ、之をして義に向はしむる、豈難からずや。予、昔桜町陣屋に来る。配下の村々至惰(だ)至汚(う)、如何ともすべき様なし。之に依て、予深夜或は未明、村里を巡行す。惰を戒むるにあらず、朝寝を戒るにあらず、可否を問はず、勤惰を言はず。只自らの勤めとして、寒暑風雨といへども怠らず、一二月にして、初て足音を聞て驚く者あり。又足跡を見て怪しむ者あり、又現に逢ふ者あり。これより相共に戒心を生じ、畏心を抱き、数月にして、夜遊博奕(バクエキ)闘争等の如きは勿論、夫妻の間、奴僕(ぬぼく)の交、叱咤の声無きに至れり。諺に、権平種を蒔けば烏(からす)之を掘る、三度に一度は追ずばなるまい、と云えり。これ鄙俚(ひり)戯言(ざれごと)といへども、有職の人知らずば有る可からず。それ烏の田甫を荒すは、烏の罪にあらず、田甫を守る者追わざるの過ちなり。政道を犯す者の有るも、官之を追ざるの過ちなり。之を追ふの道も、又権兵衛が追ふを以て勤として、捕(とらふ)るを以て本意とせざるが如く、あり度き物なり。これ戯言政事の本意に適(かな)へり。鄙俚(ひりリ)の言といへども、心得ずば有るべからず。

 ※補講※ 

 136、食を足すの諭し

 翁又曰く、凡そ田畑の荒るゝその罪を惰農に帰し、人口の減ずるは、産子を育てざるの悪弊に帰するは、普通の論なれども、如何に愚民なればとて、殊更(ことさら)田畑を荒して、自ら困窮を招く者あらんや。人禽獣(きんじゅう)にあらず、豈(あに)親子の情なからんや。然るに産子を育てざるは、食乏しくして、生育の遂げ難きを以てなり。能くその情実を察すれば、憫然(びんぜん)これより甚きはあらず。その元は、賦税(ふぜい)重きに堪(たえ)ざるが故に、田畑を捨てて作らざると。民政届かずして堤防溝洫(こういき)道橋破壊(はえ)して、耕作出来難きと、博奕(バクヱキ)盛んに行れ風俗頽廃(たいはい)し、人心失せ果て、耕作せざるとの三なり。それ耕作せざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人口減ずるなり。食あれば民集まり、食無ければ民散ず。古語に、重んずる処は民食葬祭とあり。尤も重んずべきは民の米櫃(びつ)なり。譬えばこの坐に蠅(はえ)を集めんとするに、何程捕(とら)へ来りて放つとも追い集むるとも、決して集るべからず。然るに食物を置く時は、心を用いずして忽(たちまち)に集るなり。之を追い払うとも決して逃げ去らざる事眼前なり。されば聖語に、食を足すとあり。重んづべきは人民の米櫃なり。汝等又己が米櫃の大切なる事を忘るゝ事勿れ。

※補講※ 

論語 尭日「所重民食喪祭」(おもんずるところはたみしょくそうさい) 
論語 顔淵「足食足兵、民信之矣、」(しょくをたしへいをたし、たみをしてこれをしんじせむ) 
 137、民政の諭し

 
或る人来り訪(と)う。翁曰く、某の家は無事なりや。曰く、某の父稼穡(かしょく)に勤労する事、村内無比なり。故に作益多く豊に経営(いとなみ)来りしに、その子悪(あし)き事はなしといえども、稼穡を勤めず、耕耘培養行届かず。只蒔ては刈り取るのみ。好き肥しを用いるは損なりなど云うて、田畑を肥すの益たるを知らず。故に父死して、僅(わずか)に四五年なるに、上田も下田となり、上畑も下畑となりて、作益なく、今日は経営にも差し閊(つかえ)る様になれりと、翁左右を顧(かえり)みて曰く、卿等聞けりや、これ農民一家の事なれども、自然の大道理にして、天下国家の興廃存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財を散じて領民を撫育(ぶいく)し、民政に力を尽すとの違ひのみ。それ国の廃亡するは民政の届かざるにあり。民政届かざるの村里は、堤防溝洫(こういき)先ず破損し、道路橋梁次に破壊(はえ)し、野橋作場道等は通路なきに至るなり。堤防溝洫破損すれば、川付きの田畑は先ず荒蕪す。用悪水路破壊すれば、高田卑(ひく)田は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といえども、力を尽すに困却し、之が為に耕作するといへ共作益なし。故に人家手遠(とお)、不便の地は捨てて耕やさざるに至る。耕さゞるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散する也。人民離散して、田畑荒るれば租税の減ずるは眼前ならずや。租税減ずれば、諸侯窮するは当然の事なり。前の農家の興廃と少しも違う事なし。卿等心を用いよ。譬えば上国の田畑は温泉の如し、下国の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといえども、人力を尽さゞれば、作益なし。下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり。
 138、至誠を尽せの諭し

 
翁曰く、江川県令問て曰く、卿桜町を治る数年にして、年来の悪習一洗し、人民精励に赴(おもむ)き、田野開け民聚(あつま)ると聞けり。感服の至り也、予。支配所の為に、心を労する事久し、然して少も効(しるし)を得ず、卿如何なる術かあると。予答て曰く、君には君の御威光あれば、事を為す甚(はなはダ)安し。臣素より無能無術、然りといへども、御威光にても理解にても行れざる処の、茄子(なす)をならせ、大根を太らする事業を、慥(たしか)に心得居る故、この理を法として、只勤めて怠らざるのみ。それ草野一変すれば米となる。米一変すれば飯となる。この飯には、無心の鶏犬といへども走り集り、尾を振れといへば尾を振り、廻れといへば廻り、吠えよといへば吠ゆ。鶏犬の無心なるすらこの如し。臣只この理を推して、下に及ぼし至誠を尽せるのみ、別に術あるにはあらず、と答ふ。是より予が年来実地に執行ひし事を談話する事六七日なり、能く倦まずして聴れたり、定めて支配所の為に、尽されたるなるべし。
 ※補講※ 

※ 江川太郎左衛門 伊豆韮山の天領地管轄の永代代官 幕末期に活躍、

配下の韮山の商人と管轄地の大磯の商人等が、二宮尊徳翁の指導を受けて、傾いた身代を復興させたことを知り、翁の一門数名が韮山の商人宅に立ち寄った時に、翁と豊田正作とを招待し、数日に亘って懇談している。
 139、至誠と実行の諭し

 
翁曰く、我が道は至誠と実行のみ、故に鳥獣虫魚草木にも皆及ぼすべし。況(いわん)や人に於るをや、故に才智弁舌を尊まず。才智弁舌は、人には説くべしといえども、鳥獣草木を説く可からず。鳥獣は心あり。或は欺(あざむ)くべしといへども、草木をば欺く可からず。それ我が道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜(ソサイ)瓜茄子にても、蘭(ラン)菊(キク)にても、皆これを繁栄せしむるなり。たとえ知謀孔明を欺き、弁舌蘇(ソ)長(テフ)を欺くといへども、弁舌を振って草木を栄えしむる事は出来ざるべし。故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり。古語に、至誠神の如しと云といえども、至誠は則ち神と云うも、不可なかるべきなり。凡世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。

 ※補講※ 

※ 孔明 中国三国時代の人、諸葛 亮 字が孔明 軍神と言われるほどの策略家

  蘇張 中国戦国時代の雄弁家 蘇秦(そしん)と張儀 から来ている。

      二人の名前をつなげて弁舌の巧みなことを 蘇張と言う

※ 「故至誠如神」(ゆえにしせいはしんのごとし) 中庸

 140、実地実行の諭し

 
翁曰く、朝夕に善を思ふといえども、善事を為さゞれば、善人と云うべからざるは、昼夜に悪を思うといえども、悪を為さゞれば、悪人と云うべからざるが如し。故に人は、悟道治心の修行などに暇(いとま)を費さんよりは、小善事なりとも身に行うを尊しとす。善心発(おこ)らば速に是を事業に表わすべし。親ある者は親を敬養すべし。子弟ある者は子弟を教育すべし。飢え人を見て哀れと思はゞ速に食を与ふべし。悪しき事仕たり、われ過(あやま)てりと心付とも、改めざれば詮なし。飢え人を見て哀れと思ふとも、食を与へざれば功なし。故に我が道は実地実行を尊ぶ。それ世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり。譬えば菜虫の小なる、是を求むるに得べからず。然れども菜を作れば求ずして自ら生ず、孑孒(ボウフリ)の小なる、これを求るに得べからず。桶(おけ)に水を溜(た)めおけば自ら生ず。今この席に蠅(はえ)を集めんとすとも、決して集らず。捕(とら)へ来りて放つとも、皆飛さる。然るに飯粒を置時は集めずして集まるなり。能く々この道理を弁えて、実地実行を励むべし。

 ※補講※ 





(私論.私見)