豊嶋 泰国 (著)「天理の霊能者―中山みきと神人群像」 |
(最新見直し2009.9.29日)
【れんだいこ書評、豊嶋 泰国 (著)「天理の霊能者―中山みきと神人群像」考】 | |
過日、ネット検索で、豊嶋 泰国 (著)「天理の霊能者―中山みきと神人群像」に行き当たり、興味を覚えたので購入してみた。読み進めるうちに、これは著者に感謝せねばと思い、次のような書評を送信した。
構成は、冒頭で真説・中山みき伝と題して天理教教祖・中山みきを説き、次に天理の神人群像、霊統者たち一と題して、飯降伊蔵、上田ナライト、中山こかん、増井りん、茨城基敬、井出ク二、飯田岩治郎、中川よし、大西愛治郎、関根豊松を挙げている。最終章を「中山みきの終末預言『とめふで』」。 判明することは、本書が、教祖中山みきから始まる霊能の系統系譜を、容易には公開されていない資料を咀嚼して分かり易く辿っていることである。これまで、それぞれの評伝は目にしているが、こうして一堂に会して紹介している点で目新しい。霊能の系統系譜を啓示者系と霊能者系に分けている点も参考になる。これによれば、啓示者系は中山こかん、飯降伊蔵、上田ナライト、大西愛治郎。霊能者系に増井りん、中川よし、関根豊松。分類不能を飯田岩治郎、井出ク二としている。これを参考にれんだいこ的に纏めれば、啓示者系と霊能者系の両方にまたがるのが中山みき、中山こかん、飯降伊蔵、上田ナライトで、啓示者系が飯田岩治郎、茨城基敬。霊能者系が増井りん、中川よし、井出ク二、関根豊松となるのではなかろうか。 れんだいこ的には特に、飯田岩次郎譚が有益であった。これにより、教祖中山みきの後継者としての本席の座が単に予定調和的に飯降伊蔵に定まったのではなく、先行して飯田岩次郎に白羽の矢が当っていたことを知った。と云うことは、他にも「最後の御苦労」で殉じた仲田儀三郎にもその可能性があったやも知れぬと云う思いがする。元々は、みき夫婦末女のこかんも教祖同様の取次をしており、仮に存命中であれば、その任に当たる可能性があったように思われる。しかしながら、こかんが没し、仲田儀三郎が没し、教祖みきが没した時、霊能の系統を継ぐのは飯降伊蔵と定まっていた。 この時、飯田岩次郎は、飯降伊蔵の信仰一途の真面目さに比すれば、ややアウトロー的な履歴を重ねていたが故に。その任に預かることはなかった。ところが、飯降伊蔵が本席在任でお指図を為して居る時の明治**年、飯田岩次郎にも神がかりする。その背景には、教祖中山みき没後、応法派の真柱、教祖派の本席を二大潮流として形成される第二期天理教団の発展と苦悩があった。興味深いことは、飯降伊蔵が本席に定まるに当って霊能者特有の神の入りこみがあったと同様、飯田岩次郎のもそのような天啓が降ったと云うことである。そして、飯田岩次郎も又お指図をし始める。このことが天理教団にとって許容できることではなく、やがて飯田岩次郎は破門され、新たに***教を立ち上げる。本書では、その経緯と飯田岩次郎式お指図の一部が紹介されている。その意義は、飯降伊蔵のお指図を絶対化させるのではなく、相対化させるところにあるように思われる。 もとより、飯降伊蔵のお指図と飯田岩次郎のそれを比較して、飯田岩次郎のそれの方がデキが良いと云う意味ではない。或る面においては飯田岩次郎のお指図の方がより教祖的であり、或る面に於いて飯田岩次郎のお指図の方がより反教祖的と云う両面を持つからである。但し、次のようなことが見えてくる。飯降伊蔵のお指図は非常に平穏であり、教団の運営と教徒の伺いに対して誠実且つねんごろである。但し、社会的世相、政治的発言に対しては抑制的であることが分かる。これが、飯降伊蔵お指図の特徴であろう。本書によって、そういうことが見えてきたと云うことが収穫であった。 2012.9.24日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)