興譲館高校

 (最新見直し2013.07.28日)

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 2013.07.28日


【興譲館高校】
 1853(嘉永6)年、ぺリ―が来航し、尊王攘夷で揺れていたこの年、代官たちが、「地域を牽引するリ―ダ―を輩出する教育の場を創ろう」として、半官半民の郷校(ごうこう)を立ち上げたのが興譲館高校である。隣町の有名な儒者/阪谷朗盧(ろうろ)が初代館長、校訓は南宋の白鹿洞を復興した朱熹(しゅき)が掲げた「白鹿洞書院掲示」を採用した。五常(仁、義、礼、智、信)、五倫(父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり)を精神とした。水戸の弘道館、萩の明倫館と並び、天下三館と呼ばれた時代もあった。





(私論.私見)