植田義弘氏著「教祖ひながたと現代」に、新井白石の「西洋紀聞」にあるキリシタン禁制に関する論述の紹介がある。興味深いのでこれを引用、転載する。
「その教えとするところは、天主を以って、天を生じ地を生じ、万物を生ずるところの大君大父とす。我に父有りて愛せず。我に君有りて敬せず。猶(なお)これを不孝不忠とす。いはんや、その大君大父に仕ふる事、その愛敬を尽さずという事無かるべしと云う。礼に、天子は、上帝に事(つか)ふるところの礼ありて、諸侯より以下、敢えて天を祀る事あらず。これ尊卑の分位、みだるべからざるところあるが故なり。しかれども、臣は君を以って天とし、子は父を以って天として、妻は夫を以って天とす。されば、君に仕えて忠なる、もて天に仕ふるところ也。父に仕えて孝なる、もて天につかふるところ也。夫に仕えて義なる、もて天につかふるところ也。三綱の常(君臣、父子、夫婦の関係)を除くの外、また天につかふるの道はあらず。もし、我が君の外につかふべきところの大君あり、我が父の外につかふべきの大父ありて、その尊きこと、我が君父の及ぶべきところにあらずとせば、家においての二尊、国においての二君ありといふのみにはあらず。君をなみし、父をなみす、これより大きなるものなかるべし。たといその教えとするところ、父をなみし、君をなみするの事に至らずとも、その流弊の甚だき、必ずその君を殺(正式文字は右のつくりが式)し、その父を殺(式)するに至るとも、相かへり見るところあるべからず」。 |
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