お道教理の共産主義性、マルクス主義とのすりあわせ考 |
更新日/2018(平成30).6.26日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「お道教理の共産主義性、マルクス主義とのすりあわせ考」について記す。 2012.03.13日 れんだいこ拝 |
【お道教理の「共産主義以上の共産主義性」について】 |
第二。この宗教の特異性を、教義と教団の二つの側面より社会思想的に把握してみたいという衝動を覚える。「お道」教義の原形はこの問いに充分な価値を有していると思われるが如何なものであろうか。既に述べたが、私は、今日のように道人となるまでは「お道」とは親の代まで含めて格別の絡みもなく、当時の興趣の赴くところとしても、「みき」に特段の関心があるわけでもなかった。むしろ70年代の学生運動の片隅に身を寄せていた者として、宗教を阿片として一顧だにしない立場にあった、というのが実際であった。そうした私が、「おじば」に引き留められたのは、「みき」の教義と「ひながた」の内に、或る種の社会思想的な芳香を見出したことによる。運動論的にみても、「みき」を取り巻く一団の内に半端でない教義とその実践が現在の教典の中にさえ見え隠れしているのだ。教祖の教えが「復元」しきれていないという批判が尤もであると思われる現在の教典を通してさえそうなのだ! それまでの私がそう認識していたように、宗教的なものにうさん臭さを感じて一顧だにしない立場からは評価不能であるけれども、教祖みきは、時の支配権力と支柱思想の攻撃をまともに受けながら、打ち出した教義を毅然と掲げつつ、80歳から89歳までの高齢の身を幾度も獄舎へ拘引されると云う事態を忌避しなかった。この「みき」の生きざま「ひながた」は、近代宗派のどの教祖、社会運動家のそれと比較してみても遜色ない壮絶さを刻印している。事実、戦後GHQ指令により治安維持法違反で投獄されていた主義者の解放が為されたが、共産主義者以外に「ほんみち」信仰者が混じっていたことが見落とされている。この「ほんみち」とは「みき」教理の原理主義者であり、共産主義者に比して見劣りしないどころか、共産主義者が思想検事との論争に破れ次々と転向投降して行ったのに比して、思想検事相手に徹底弁論して一歩も引かなかった。まことに敬服される抵抗闘争を獄中、獄外で繰り広げた経過を見せている。このことは「みき」信仰者の大きな財産となる史実ではなかろうか。 組織論的には、教祖の指図にも関らず既に渦巻いていた妥協派が「応法の道」を択ぶことにより、変節を余儀なくされることになったわけであるが、頑として抵抗を続けた天理教の生成期の歴史は、日本の民衆運動の経験に今も燦然と煌めいていないだろうか。れんだいこは、実は幕末新興宗教全体が幕末維新を下から支えたもう一つの流れであり、むしろこちらの方が幕末維新の正統系譜ではなかろうかとさえ思っている。この方面での宗教史的研究は漸く明らかにされつつあるようであるが、未だ充分のものとも思えない。 |
【「西欧のマルクス、東洋のみき」について】 |
第三の二。「みき」在世中の時代が丁度西欧でのマルクス主義の勃興と同時期であり、よく似た共産主義社会を展望しているので「西欧のマルクス、東洋のみき」の視座から論じたい。この教義運動を可能な限り社会主義思想的脈絡で考察してみたい。草創期の「お道」に脈動していた「陽気暮らし」の思想を、時を同じくして興った西欧のマルクス.エンゲルスの共産主義社会理論との平衡的理解のもとに注目させてみようと思う。これも又興味の湧く課題である。私は、この両者が世界史上同時代人であって、片やいかにも西洋的に、こなたいかにも東洋的な手法で、洋の東西にわたって拝金社会制に纏わる弊害を同時期に警鐘乱打していた歴史の不思議さと共鳴現象に驚きを覚えている。更に云えば、マルクス主義がネオシオニズム的要素を臭わせているのに比して、「みき」のそれは日本古神道的匂いを漂わせている。この点で、「みき」の社会主義思想こそ求めるべきものであり、マルクス主義のそれは「みき」の社会主義思想を媒介させることによって新たに孵化させられるべきものでないのか。 こうした思いを禁じえないのは私だけなのだろうか。この方面での識者の論及が極端に不足していることは不可解であると云える。それは、日本の知識階級の、西洋事大主義的な偏狭さと傲慢さ、その裏腹の臆病な精神によっているとしか思えないのであるが如何であろうか。追記すれば、この同時代にアメリカにおいてもモルモン教が起こっている。その教義の何たるかは承知していないが「陽気暮らし」的処世観を掲げていることにある時気づかされた。従って、ことによると西欧でのマルクス主義、日本における「みき教理」、アメリカでのモルモン教という同一系の思想が同時に誕生していたという史実がありそうである。時間があれば、この研究を為してみたいという思いを禁じえない。 |
【マルクス主義とのすりあわせ考】 |
ここでは、「マルクス主義とのすりあわせ」について記す。みきの御教えとイエスのそれの通底については既に確認し、「西の男イエス、東の女みき」と評すべき「二つ一つの関係」に位置しているとした。ここでは、「マルクスと中山みきとの関係」について考察してみたい。みきとイエスの場合には共に霊能系宗教者として等質のものがあったが、みきとマルクスには、そういう関係は認められない。というよりマルクスは「宗教はアヘンである」とする観点を保持しており、そういうマルクスとみきとの間に如何なる等質性が確認できるだろうか。 「マルクスと中山みきとの関係」について驚くべきは両者がほぼ同時代人であることである。マルクスの生没年は、1818−1883年、中山みきは1798―1887年であり、中山みきの方が20年早く生まれているが壮年期の活動に於いては重なっていると看做すべきだろう。興味深いことは、ほぼ同時期に西欧でマルクスと中山みきがが共産主義思想を鼓吹していたことである。もっとも両者の主義思想の内実には多少の違いがあり、マルクス的共産主義は戦闘的で専ら政治闘争を重視している。それに対して中山みきの共産主義は和合的で専ら精神の在り方、生き方を問おうとしている。そういう違いはあるが、マルクスの共産主義は西欧的に、みきのそれは東洋的日本的に同時期に唱えられた点がもっと注目されてしかるべきではなかろうか。詳しく見れば理想とする共産主義社会の内実も違うかもしれない。が、人々の共生的な社会を構想していた点では微塵も変わらない。 これを説き明かす前にマルクス論を試みておきたい。マルクスについては以下のサイトに記している。 「マルクス主義出藍考」 (marxismco/) 「マルクス主義原理論」 (marxismco/genriron/genriron.htm) マルクス主義は、「共産主義者の宣言」で確認することができる。その理論の要諦は次の通りである。まず、哲学的な唯物論と弁証法を組み合わせた唯物弁証法を認識の核としており、これを社会に向けて階級闘争論を構築している。人類史を俯瞰して原始共産制、古代王権制、中世封建制、近代資本制へと移行しており、来るべき社会は社会主義ないしは共産主義へと移行する、これが歴史的必然の発展行程であると説く。これを無政府主義者の如く反権力に向かうのではなく、むしろ革命権力を善用して強権的に社会主義ないしは共産主義へと移行させる必要があると説く。この理論は、哲学から始まる社会観、世界観で統一されており、永らく革命運動の中心的理論として崇拝されてきた。 共産主義のイデ―は次の言葉に集約されている。「社会主義は労働に応じて分配され、共産主義は必要に応じて供給される理想社会である」云々。これに匹敵するのがみきの「助け合いの神人和楽社会」である。今、両者を比較して思うのに、まさにマルクスのそれは西欧的な理知的表現であり、みきのそれは東洋的日本的な情意的な表現である。筆者は、理知的表現の方が優位とは思わない。情意的な表現の方が優位とも思わない。歴史的伝統的なアプローチの仕方の差異を思うばかりである。 2012.3.14日 れんだいこ拝 |
【マルクス&エンゲルスの「共産主義者の宣言」考】 | |||||||||||||||||||||||||
イエス教義を知るのに「山上の垂訓」をもってしたように、マルクス理論を知るのに「共産主義者の宣言」(れんだいこ訳)でもって確認したい。その全てを記す訳にはいかないので筆者がエッセンスを抽出する。
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【れんだいこブログ記念「共産主義者の宣言のエキス読みとり考」(2011年1月 6日)】 |
「れんだいこブログ記念「共産主義者の宣言のエキス読みとり考」(2011年1月 6日)」を転載する。
「共産主義者の宣言」(通称「共産党宣言」、以下単に「宣言」と云う)を読んで何を学ぶのか、この肝心なところが案外と疎かにされている気がしてならない。いい加減な翻訳が流布され、それが通用したまま経緯してい。情勢的に見てマルクス主義なぞどうでも良くなりつつあるご時世であるから、「宣言」にマジメに取り組む方が変わっているのかも知れない。しかし云いたいことがあり、この一文を、れんだいこブログ開設記念とする。少々硬い話になるが性分だから仕方ない。「宣言」のどこを学ぶべきか、こう問う時、今日からして色褪せたところもある。しかし色褪せさせてはいけない示唆もあると心得たい。この色褪せてはいけない文言を今日の情勢に照らしつつ確認してみたいと思う。 |
(私論.私見)