天地創造譚「元の理」考

 (最新見直し2012.03.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「元の理」について記す。

 2012.03.13日 れんだいこ拝


天の理譚について】
 第四。これは天理教徒でないと理解しにくい教義内容になるけれども「みき」が口述した「天の理譚」(泥海古記又は口記)という、いわば人類の創世記についての評価と考察を為してみたい。私を天理の聖地に留めおいた理由に、「お道」教義の驚くべき左傾思想ということがあったが、更にまた「天の理譚」の荒唐無稽さと、この例え話しの驚くほどの完成度の高さに接したことにあった、ということも事実である。私は、「みき」の徒な神格化よりも人間的側面に光を当てる云々といったけれども、この話しの由来に関しては、真実「みき」は「神の社」として神の思いの口述者ではなかったか、と畏怖している。「天の理譚」は、大和の一介の主婦がたとえ蔵にこもって思案を良くしようとも、発想を超えでた異次元の内容ではなかろうかと思わせて頂いている。「みき」の筆記したお筆先の筆体が残されており、これを見ればその優美秀麗さに感嘆せざるを得ない。その感嘆は常に内容の不可思議さと連動して私の胸を今も打っている。

 それとも、「天の理譚」には何らかの伝承につながる伏線があったのであろうか。そうとすれば、その辺りを解明してみたい。とても人智により着想しえる「お咄し」のようには思えないからである。ともあれ「天の理譚」の教義とその精神世界の解析と読み取りに意を注ぎたい。付言しておけば、この「天の理譚」の不朽の意義は、西欧系のユダヤ教、キリスト教が唱えるいわゆる聖書の天地創造譚に真っ向から対置して何ら臆することのない、むしろ「天の理譚」こそが今後の天地創造譚にされるべきではないのかと思わさせていただく。

「元の理」(みきの天地創造、生命誕生神話譚「泥海古記」の別称)考】
 ここでみきの御教えの思想的核となる「元の理」について確認しておく。「元の理」とは、みきの教示したいわば和製の天地創造譚であり、天理教内の道人のみならず日本の誇る文化財産である。これが筆者の受け取りようである。この言がウソかマコトか以下確かめられたい。

 「元の理」は通称「泥海古記」と云われ、もしくは「古記」を「口記」と解して「泥海口記」とも云われる。ひらがなでは「こふき」と記す。ここでは「元の理」と表記することにする。「元の理」の定本はない。教祖が口述したものを取次の者が筆記し教祖にお見せしたところ得心されなかった由が伝えられている。そういう意味で、教徒の悟りに応じて理解の差が生まれていると云う状況の中で伝承されているものである。

 二代目真柱の中山正善氏の「こふきの研究」に詳しいが、1881(明治14)年、山沢良次郎氏の和歌体「この世始まりのお話控え」(山沢本こうき)辺りが最初のようである。続いて1883(明治16)年、桝井伊三郎氏の散文体「桝井本こうき」が作成されている。1881(明治14)年から1887(明治20)年にかけて32種以上の「こうき」筆録本が作成された。1881年の「日本無双書物」、「この世始まりのお噺(はなし)控え」、「神の古記」、「古記」、「天輪王命」等の題名を付した諸本や、無題の筆録本合わせて12種もの「こうき」が作られ伝存していると云う。これらの筆録本には和歌体と説話体とがあり、内容もそれぞれ特徴があり一様ではない。このうち教内に広く普及したのは160首からなる「泥海古記」の題名の「明治14年和歌体本」である。「明治14年和歌体本」には別に161首からなる「明治14年3月これを記す、山沢良助」の表記のある山沢本がある。

 筆者が惜しむのは「仲田版こふき」である。「仲田版こふき」とは、取次第一と云われた教内随一の高弟・仲田儀三郎が、1886(明治19)年、教祖89歳の時の「最後の御苦労」に教祖と共に下獄し、この時の苛酷な拷問と檻収容が原因で釈放後病の床に臥すことになったが、死の床にあ って、元士族で教弟の中ではもっとも筆達者と云われていた増野正兵衛に、「教祖のお待ちくださる『こふき』をまとめてから死にたい。どうか増野はん、わしが話すから筆をとってくれないか」と執念で書きあげたものである。増野は、仲田の口述を筆記しながら、「こふき」の内容が今までのとは大きく違うことに当惑し、伊蔵の「おさしず」を仰ぐこととなった。伊蔵は、「『こふき』は、いろいろな者がまとめているが未だ完全なものはない。今まで遅れ遅れになっている。急いでやってくれ」(兵神版おさしず)と指図した。こうして、明治19年4月9日、「仲田版こふき」が書きあげられることになった。6月22日、ほぼ書きあげられたと同時に仲田は息を引き取った(享年56歳)。教祖は、「錦と見立てておいたのやが」とその死を痛惜したと伝えられている。「仲田版こふき」には後日談がある。仲田の死の直後、長男の岸松が「仲田版こふき」を読んだところ、「こんな恐ろしいものがあったら大変や、どんな禍(わざわい)が及んで来るやらしれん」と父の棺の中へ埋葬してしまったと云う。かくて幻本になっている。本当に存在しないのか厳重に秘蔵されているのか分からないが読みたいと思う。大いに興味がある。

 冒頭で少し触れたが、筆者が「元の理」に注目するのは単にみき思想の核心であると云う値打ちのものであるだけではない。世界の天地創造神話譚と比較して白眉のそれであり、文量的にも随一の詳しい創造譚になっていることを高く評価しているからである。こうなると独り天理教だけのものではない、日本の文化財産であると思われる。こう評されていないところに現代と云う時代の癖が見て取れると思っている。これに関連して触れておきたいことがある。「元の理」の内容を見れば、神話の思想的な面において、特にユダヤ教聖書の天地創造譚のそれと鋭く対立していることが分かる。共に創造主である神の存在と、その神の全智全能を説いているが、創造神の御性状がまるで違う。ユダヤ教聖書の記すエホバの神はいわば厳父のような存在としての絶対的命令者であり、人間創造に際してはまずは男性から着手している。これに対して、みきの説く天理王命神は滋母のような存在であり神人和合を旨としており、人間創造に際しては端から男神、女神の夫婦神を対で創造している。

 仔細に述べるのは別の機会に譲るが非常に興味深い創造主の対比となっている。みきが特段にユダヤ教聖書の天地創造譚を意識していたとは思われないので、この対比の考察は優れて興味深い神学的テーマであるように思われる。この方面の研究が為されているように思われないが残念なことであろう。ところで、ユダヤ教聖書の天地創造譚は世界中に広く普及して定本化されており、天地創造譚と云えばユダヤ教式天地創造譚が通用している。しかし、ここにみきの「元の理」がある。もし「元の理」がなければユダヤ教式天地創造譚を学ぶしかできないところ、我々は有り難くも「元の理」の天地創造譚をも拝することができるという幸せにある。このことが如何に世界史的事件なのか機会があれば論じたいと思う。

 ところで、そういう世界史的役割を担う「元の理」の由来は定かではない。天理教本部教理では、みきは天理王命の降臨神そのものであり、天理王命がみきの口を借りて「元の理」を宣べ伝えたとしているので由来に対する必要がなく、よってこの方面の考察はない。しかしながら、そういう教説に承服できない筆者は、あくまで探索し続けたいと思う。そういう関心を持っていたころ、最近の古代史研究を通じて「記紀」に先行する伝承を伝えているとされている古史古伝の代表的文献であるホツマ伝えの天地創造譚を知り、「元の理」がホツマ伝えの天地創造譚と微妙に絡んでいることを知った。これはまだ考証中なので断定まではできないが、「元の理」の原型神話であるらしき面が窺える。であるならば、みきはホツマ伝えに通じていたのであろうかと云う興味が湧く。実際にはホツマ伝えではなく、ホツマ伝えが下敷にした幻の古代史書群である出雲王朝系の歴史書に触れており、その書に記されていたところの天地創造譚を耽読している気配が濃厚である。かく拝察したい。

 みきが、そのようなものをどこで手にしたのかは分からない。何らかの経緯で出雲王朝期の史書群に目を通しており、それらを元に「元の理」として再編成し、これを宣べ伝えたと思うべきではなかろうか。但し、「元の理」の告げる人類創造譚は余りにも勇壮広大な神話であるので、みきの創作に拠るとも言い難い面もある。

 前置きはこれぐらいにして「元の理」を確認する。以下のサイトに記している。

 「元の理」
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/m
otonorico/motonorico.htm)

 諸本ある「元の理譚」をれんだいこ式に纏めれば次のような御諭しになる。

【れんだいこ文「泥海こふき(一括文)」その1、親神の思惑、道具衆編】
 既に長い時間が経過していた。
 「既に長い時間」と云うものがどれくらい長い時間であるのかは定かではないが、哲学的な意味で時間と云う概念が登場しており時間的有が語られている。
 見渡せば、一面紋形のない泥海であった。お筆先では、「この世の元始まりは泥の海」(4.122前段、6.33前段)。
 創造時の源基として、既に無ではない有の「泥海」があったことが告げられている。哲学的な意味で空間概念が登場しており空間的有が語られている。
 泥海には多くのどじょうが棲んでいた。お筆先では、「その中よりもどじょばかりや」(4.122後段、6.33後段)。
 その「泥海」に既に「どじょう」が居たことが告げられている。
 この泥海世界に月様と日様が居られた。月様と日様は、泥海の中に大龍、大蛇のお姿をしてお現れになっていた。これを月日両神と云う。お筆先では、この世の真実の神月日なり、後なるは皆道具なるぞや」(6.50)、この世は泥海中の事なるし、中に月日が居たるまでなり」(6.80)。
 月様と日様が親神であり、この二神が創造神であること、この対の両神が世の二大原理になっておられることを示唆していると拝することができる。
 月日両神は「味気なし」と思し召された。「一つ人間というものを拵えて、そのものが陽気遊山し喜ぶ様を見て自分も楽しみたい」と思し召された。お筆先では、月日には人間始めかけたのは、陽気遊山が見たい故から」(14.25)。
 まず発案が為されたことが分かる。何事もこれが始まりであると云うことが示唆されていると拝することができる。「陽気遊山し喜ぶ様」を「陽気暮らし」と窺い、このように生活することが親神様の思し召しに叶うことが諭されている。ここで神人和楽の思想が示唆されていると拝することができる。
 こうして「世にも珍しい企て」が始められた。お筆先では、「この世を始めかけたも同じ事、珍し事をしてみせるでな(6.7)、この世を始めかけたも同じ事、ない人間を始めかけたで」(15.54)。
 こうして人類の創造が始まったと拝することができる。
 これに併行して世界も同時に創造されることになった。お筆先では、「月日より真実思いついたるは、何と世界を始めかけたら」(6.81)。
 人類の創造と世界の創造が並行的に始まったと拝することができる。
 月日両神は、この世の始まりに当たって泥海宇宙に於いて大事な作用をしている摂理(機能)を見定め、これを人間作りの道具として取り込むことを思し召された。お筆先では、「ない世界始めかけるは難しい、何と道具を見出す模様を」(6.82)
 人間、世界創造に当たって、泥海宇宙の理を見定め、これを取り込むことにしたことが示唆されていると拝することができる。これによれば、自然摂理と創造される人間、世界が通函していることになる。「身の内小宇宙、下界大宇宙の理」が示唆されていると拝することができる。
 月日両神が泥海を見澄ますと、どぢよ、うお、みいその他様々な生物がいた。それらの特徴と働きの特質を見抜いて、人間作りの守護に役立たせようと思し召され、道具衆と談じ合いされた。お筆先では、「見澄ませば中にどぢよもうをみいも、他なるものも見えてあるなり」(6.83)、「そのものを皆引き寄せて談じ合い 人間守護始めかけたら」(6.84)。
 親神様が大事の前に如何に「談じ合い」を重視されているかが分かり興味深い。親神様は無理に命令されるのではなく、親神の思いを伝え「練り合い」を大事にすると云うことが示唆されていると拝することができる。
10  こうして、月日両神の心尽くしての人間創造が始まった。構想が練られ、いよいよ人間作りの台となる素材集めに向かわれることになった。お筆先では、「泥海の中より守護教え掛け、それが段々盛んなるぞや」(3.16)。
 親神様が道具衆を見定め、次にそれを育成し、その能力を引き立てる様子を拝することができる。
11  月日両神はまず最初に、鱗(うろこ)のない「うお」と「み」に注目した。どちらも、神の構想素材に相応しい顔と皮膚であり、「このものを雛型として人間をこしらえたらよかろう」と思いつかれた。かくて「うお」と「み」が人間の台となった。お筆先では、「そのうちにうをとみいとが混じり居る。よく見澄ませば人間の顔」(6.34)、「それを見て思いついたは真実の、月日の心ばかりなるぞや」(6.35)、「このものに道具を寄せて段々と、守護教えた事であるなら」(6.36)。
 人肌のすべすべ滑らかさと見目形は「うお」と「み」の素材に負っていると拝することができる。「顔と皮膚」が人間造りの最初の仕事だったことが分かり興味深い。
12  月日両神は最初に、「うお」を見定めて呼び寄せた。「うお」は一筋心でやって来た。その心根が御心に叶った。人間創造の事業計画を打ち明けて、「貰い受けたい」と伝え協力を願った。「うお」は当初断ったが、「役立ってくれるなら後々まで祀る」と懇々と諭されるに及び承知した。
 「『うお』が一筋心でやって来た」とあり、何事も一筋心が大事との御教えが諭されていると拝することができる。「うお」は道具として使われることに難色を示したが、「後々まで祀る」の諭しで承知したとある。「祀り」が持つ重要な意味が示唆されていると拝することができる。
13  月日両神は、これを食べて賞味された。これが「男の台(ひながた)」になった。後の人間創造の際に、「うお」の胎内に月様が入り込むことにより仕込みされ、「うお」は生命の片方の原理である「水気全般」の役割、特に「眼胴うるおい」に責任を負うことになる。神名をつけてくにとこたち」として祀られることとなった。神楽では大竜を表現する獅子面を付け、つとめ人衆がその働きを示唆する。
 かくて「男の台(ひながた)」が定まり、人造りの第一作用として「水の理」が取り込まれたことになる。人間造りの二番手順が「男の台(ひながた)」であり「水の理」の仕込みであったと拝することができる。機能的な意味で「水の理」、「眼胴うるおい」の重要一等性が分かり興味深い。これによれば、身の内守護として「眼胴うるおい」が如何に大事なことかが分かる。教訓として「瞳を曇らせてはならない」と云うことになる。
14  「み」にも同様にして承知をさせた。これを食べて賞味された。これが「女の台(ひながた)」になった。後の人間創造の際に、「み」の胎内に日様が入り込むことにより仕込みされ、「み」は生命の片方の原理である「火気全般」の役割、特に「ぬくみ」に責任を負うことになる。神名をつけて「おもたり」として祀られることとなった。神楽では大蛇を表現する獅子面を付け、つとめ人衆がその働きを示唆する。
 かくて「女の台(ひながた)」が定まり、人造りの第二作用として「火の理」が取り込まれたことになる。人間造りの三番手順が「女の台(ひながた)」であり「火の理」の仕込みであったと拝することができる。機能的な意味で「火の理」、「ぬくみ」の重要二等性が分かり興味深い。これによれば、身の内守護として「ぬくみ」が如何に大事なことかが分かる。教訓として「体温調節」に関心を払わねばならないと云うことになる。
15  人間創造の元となる台は「くにとこたち」と「をもたり」で、種と苗代の役割を担った。お筆先で、人間始めかけたはうをとみと これ苗代と種にはじめて」(6.44)、「しかと聞け、この元なるとゆうのはな、くにとこたちにをもたりさまや」(16.12)。
 「男の台(ひながた)」に神名がつけられて「くにとこたち」、人間創造の際の、「女の台(ひながた)」に神名がつけられて「をもたり」、人間創造の際の苗代となったことが分かる。「くにとこたち」と「をもたり」は、二大原理である月日親神様の分身であり、これが人間造りの最初の台に仕込まれたと拝することができる。
16  神が次に為されたことは、人間のその他の機能の仕込みであった。四方八方からこれに相応しき素材集めに向かわれることになった。「しゃち」、「かめ」、「うなぎ」、「かれい」、「ふぐ」、「くろぐつな」が選ばれた。それぞれに人間の道具になることを承知をさせて、食べて賞味された。
 「しゃち」、「かめ」、「うなぎ」、「かれい」、「ふぐ」、「くろぐつな」の道具衆は役目の表象であり、道具衆のそれぞれの機能が仕込まれることになる。
17  「しゃち」は、乾(いぬい、西北)の方角からやって来た。変にシャチコ張り、勢いの強い特性によって、骨の突っ張りを始めとする「よろず突っ張りの役目」に使われることになった。なお、その特性が、生殖機能としての「男一の道具」に使われ、これが「うお」に仕込まれた。これにより男雛型ができ上がった。神名をつけて「月よみ」として祀られることとなった。神楽では男性が鼻高面とシャチを表現する鼻高面をつけ、背中にシャチを背負い、つとめ人衆がその働きを示唆する。
 人間造りの四番手順が「しゃち」、「よろず突っ張りの役目」の仕込みであったと拝することができる。神名がつけられて「月よみ」。「しゃち」の力強さが骨に使われたこと、更にその性質が男性生殖器に仕込まれたことになり、これを仕込まれた人間側から云えば、骨の機能が十全に果たされること、男性生殖器は「しゃち」の勢いの如くあらねばならないとの諭しにもなる。
18  「かめ」は、巽(たつみ、東南)の方角からやって来た。皮が強く,、ふんばりも強くて容易に転ばない特性によって、皮膚のつなぎを始めとする「よろずつなぎの役目」に使われることになった。なお、その特性が、生殖機能としての「女一の道具」に使われ、これが「み」に仕込まれた。これにより女雛型が出来上がった。神名をつけて「くにさづちい」として祀られることとなった。神楽では女性が亀を表現する面をつけ、背中に亀を背負い、つとめ人衆がその働きを示唆する。お筆先では、「この道具くにさづちいと月読みと、これ身の内教え込みたるなら」(6.37)。
 人間造りの五番手順が「かめ」、「よろずつなぎの役目」の仕込みであったと拝することができる。神名がつけられて「くにさづちぃ」。「かめ」の「しゃち」とは対象的な頭の低さ、粘り強さが皮膚に使われたこと、更にその性質が女性生殖器に仕込まれたことになり、これを仕込まれた人間側から云えば、皮膚つなぎの機能が十全に果たされること、女性生殖器は「かめ」の粘り強さの如くあらねばならないとの諭しにもなる。
19  お筆先では、「この道具くにさづちいと月読みと、これ身の内教え込みたるなら」(6.37)。
 かくて、二大原理に基づく男の台、女の台に続いて骨と皮、更に性機能が加えられたことになる。人間創造の機能の最初を「月読み」と「くにさづち」が担い、「月読み」が男性生理と骨つっぱり、「くにさづち」が女性生理と皮つなぎの役割を担ったと云うことになる。
20  「うなぎ」が東(ひがし)の方角からやって来た。精が強く,頭の方へも尾の方へもスルスルとぬけて行く特性によって、「飲み食い出入りの道具」に使われることになった。神名をつけて「くもよみ」として祀られることとなった。神楽では女面を付けたつとめ人衆がその働きを示唆する。
 人間造りの六番手順が「うなぎ」、「飲み食い出入りの役目」の仕込みであったと拝することができる。神名がつけられて「くもよみ」。「うなぎ」の出入り自由自在さが体内の循環作用全般にに使われたと拝することができる。この機能が十全に果たされるのが親神の願いに叶うと拝することができる。
21  「かれい」が未申(ひつじさる、西南)の方角からやって来た。身が薄く、風をおこすのに都合がよい特性によって、「息吹き分けの道具」に使われることになった。神名をつけて「かしこね」として祀られることとなった。神楽では男面を付けたつとめ人衆がその働きを示唆する。
 人間造りの七番手順が「かれい」、「息吹き分けの役目」の仕込みであったと拝することができる。神名がつけられて「かしこね」。「かれい」の「風起こしの理」が体内の呼吸作用全般にに使われたと拝することができる。この機能が十全に果たされるのが親神の願いに叶うと拝することができる。
22  お筆先では、「月よみとくにさづちいとくもよみと、かしこねへとが一の道具や」(12.143)。
 この四神が人間、世界創造の「一の道具」となったと拝することができる。それぞれの機能を思えば興味深い。
23  「ふぐ」が丑寅(うしとら、東北)の方角からやって来た。食べるとよくあたってこの世との縁が切れるものである特性によって、「母親の胎内からの切り離しを始めとするよろづ切り離しの道具」に使われることになった。へその緒切り」を始めとして生命の誕生から息の引き取りの世話をさせることにした。「世界のはさみ」としての地位が与えられている。神名をつけて「たいしょく天」として祀られることとなった。神楽では女面を付けたつとめ人衆がその働きを示唆する。お筆先では、「次なるはたいしょく天とゆうのはな、これは世界のはさみなるぞや」(12.145)。
 人間造りの八番手順が「ふぐ」、「よろづ切り離しの役目」の仕込みであったと拝することができる。神名がつけられて「たいしょく天」。「ふぐ」の「切り離しの理」が体内の分離作用全般にに使われたと拝することができる。この機能が十全に果たされるのが親神の願いに叶うと拝することができる。
24  「くろぐつな」は、西の方角からやって来た。勢いが強く引っぱっても容易にちぎれない特性によって、「母親の胎内からの引き出しを始めとするよろず引出しの道具」に使われることになった。成長の機能はこれにより、「立毛(りゆけ)の一の道具」としての地位が与えられている。神名をつけて「をふとのべ」として祀られることとなった。神楽では男面を付けたつとめ人衆がその働きを示唆する。お筆先では、「それよりも、をふとのべへとゆうのはな、これは立毛(りゆけ)の一の道具や」(12.144)。
 人間造りの九番手順が「くろぐつな」、「よろづ引き出しの役目」の仕込みであったと拝することができる。神名がつけられて「をふとのべ」。「くろぐつな」の「引き出しの理」が体内の成長作用全般にに使われたと拝することができる。この機能が十全に果たされるのが親神の願いに叶うと拝することができる。
25  月読みを男の台に、くにさずちを女の台に、これに「くもよみ、かしこね、をふとのべ、大食天」の機能を備えさせて働きの道具が皆揃った。これらを合わせて「六台始まり」と云う。かんろ台の六角形はこの理によっている。お筆先では、くもよみとかしこねとをふとのべ、大食天と寄せた事なら」。
 これにて機能としての六作用が人間、世界に仕込まれ、十全のものになったと拝することができる。
26  月日両神は、泥海の中にたくさんいた「どじょう」を食べられて賞味し、その心根(こころね)を味わい、人間創造の際の「種」とした。こうして、人間作りの全ての機能が備えられることになった。このことが相当に大変な苦労であり、並々ならぬ親神の心尽しであった。お筆先では、このどじょう何の事やと思うている、これ人間の種であるぞや」(4.123)、このものを神が引き上げ食うてしもて、段々守護人間と為し」(4.124)、それよりも神の守護と云うものは、並大抵の事でないぞや」(4.125)。
 ここで人間創造の際の「種」として「どじょう」が使われ精子にされたことが明かされている。顕微鏡で見れば精子は「どじょう」の様をしており科学的知見に適っている。これをどのようにして発見したのかが興味深い。
27  さて、ここまで準備が整ったからには、その受け皿としての身の台を拵える必要があった。こうして次に、男の雛型として想定されていた「うお」が呼び寄せられ、「種宿しこみ」の役目が諭され、「いざなぎ」の神名が与えられた。女の雛型として想定されていた「み」が呼び寄せられ、「苗代」の役目が諭され、「いざなみ」の神名が与えられた。この「いざなぎの命」と、「いざなみの命」が夫婦としての役目を担うことになる。お筆先では、このつとめ十人人衆その中に、元始まりの親が居るなり」(6.30)、「いざなぎぃといざなみぃとが一の神、これてしょこ(天照皇)の大神宮なり」(6.52)、「この屋敷、人間始め道具はな、いざなぎぃといざなみとなり」(12.142)。
 人間創造の際に男雛型のいざなぎ」と女雛型のいざなみ」が夫婦となって人間を創造したとあり、ここに「夫婦の理」が諭されていることになる。かく拝察させていただく。
28  かくて、人間創造の雛型と道具衆が全員揃った。これを十全の守護と云う。この守護は、月日親神の世話取りで為されているものであり、人間は月日親神の守護を借り受け造られている。お筆先では、「人間は皆神の貸しものや 何と思うて使うているやら」(6.131)、「それよりも段段使う道具わな、皆月日より貸しものなるぞ」(13.46)。
 ここで、人間身の内の「十全の守護」が諭され、これは「親神の貸し物」であり、これを人間から見れば「親神からの借り物」であり大事に使わねばならないことが諭されている。これを「貸し物借り物の理」と云う。
29  とはいえ、揃っただけでは人間が創造される訳ではない。月日両神の「諭しと指図」が為され、道具衆がそれぞれの役目を「一手一つ」になって果たすよう指示された。こうして幾度も「談じ合い」が始まり幾度もの「練り合い」で息合わせが試されることになった。お筆先では、「それからは確か世界を初めよと、神の相談しまりついたり」(6.39)、「これからは神の守護というものは、並大抵の事でないぞや」(6.40)、「これまでは道具一切皆寄せて、どのよな道も通り抜けたで」(12.146)。
 ここで、「一手一つの理」が諭されている。「十全の守護」は「一手一つの理」に即すとき最も効能の高い働きを為すとの諭しと拝させていただくことができる。
30  いよいよ神の人間創造が始まった。男雛型の「いざなぎ」と、女雛型の「いざなみ」が呼び寄せられ、月日両神がそれぞれの胎内に入り込み、人間を拵える守護を教え込まれた。お筆先では、「いざなぎといざなみとを引き寄せて、人間始め守護を教えた」(6.31)、「この元は泥海中ににうをとみと それ引き出して夫婦始めた(6.32)、「このものに月日胎内入こんで、段々守護教えこんだで」(6.45)、「胎内へ宿し込むのも月日なり 産まれ出すのも月日世話取り」(6.131)。
 ここで、「夫婦の理」が諭されている。妊娠も出産も「月日世話取り」と諭されている。
31  道具衆は「互い立てあい助け合い」で相和しながら各自の役割を勤めた。その様は、「神楽づとめ」の際の十人のつとめ衆の挙措で表現されている。手振りがそれぞれみな異なりつつも「互い立て合い」相和しつつ、それぞれの働きの理を表現して振る。お筆先では、「このつとめ、これがこの世の始まりや。これさい叶うた事であるなら」(7.29)。「み神楽歌の序歌」では、「この世の地と天とを象(かたど)りて、夫婦をこしらへ来たるでな。これはこの世の始めだし」。
 ここで、道具衆の「互い立てあい助け合いの理」を「神楽づとめ」で体現させ、それぞれの理を学ぶべし、表現すべしとされている。

【れんだいこ文「泥海こふき(一括文)」その2、試し編】
32  しかし、これですぐにも目出度く今日の人間が生み出されたのではない。幾度もの試しが為された。男ひながた「うお」と女ひながた「み」が呼び寄せられ、三日三晩の間に「み」の胎内に南無南無と九億九万九千九百九十九の子種が宿された。これが、最初の創造の試みであった。お筆先では、「この子数九億九万に九千人 九百九十に九人なるぞや」(6.46)。
 ここで、最初の宿し込みが教えられる。三日三晩の営みであったと云う。
33  子種は、三年三月の間、母親「いざなみ」の胎内に留まり、実に七十五日かけて子数のすべてを生みおろされた。お筆先では、「この人を三か三よさに宿しこみ、三年三月とどまりていた」(6.47)。
 ここで、三年三月の理」、「七十五日の理」が諭されている。
34  奈良、初瀬7里の間を7日かかって産みおろし、残る大和を4日にて産みおろし、山城、伊賀、河内三カ国を19日にて産みおろし、合わせて30日かかって子供の半分が産み下ろされた。残る国々に45日かかって産みおろした。それ故に、75日を帯やと云う。
35  出産の様子は、「み」が泥海の砂地をみつけては子を生み、「み」が生むと「うお」をも寄せて一人一人の子に息をかけられたと云う。今に諺にも「親の息勢かからぬと子は育たない」といわれる所以がここにある。その、人間が生みおろされたあとに今日土地ところにお宮ができたので産土神と云われる。
36  だが、この時産み落とされた子は一様に五分と小さく、このものは五分五分と成人して九十九年生きた後、三寸になったところで、全てこの世から出直し(死去)していった。この時父親「いざなぎ」も身を隠すことになった。お筆先では、「それよりも産まれ出したは五分からや、五分五分として成人をした」(6.48)。
 ここで、最初の人間が三寸成長したところで出直し(死去)したことが明かされている。
37  こうした経過を見て、月日両神の工夫と思いが更にかけられた。親神様から一度教えて頂いた守護により「いざなみ」の胎内に又、前と同じ子供が同じ数だけ宿った。「いざなみ」は次の出産に向かった。十月経って産み下ろされ、再び九億九万九千九百九十九の子を産んだ。
 ここで、二度目の宿しこみと出産の様子が明かされている。こたびは「三年三月」ではなく「十月経って産み下ろされたとある。
38  このたびは日本国中に産みにまわり、同様に生んだ子に息をかけていった。その時の生みおろしのあとに、いま日本国中の墓地ができている。これは五分より始まり、五分五分と成人し前より大きく三寸五分まで成長したが、やはり九十九年生きた後、全てこの世から出直し(死去)していった。
 ここで、二度目の人間が三寸五分成長し、99年生きたところで出直し(死去)したことが明かされている。
39

 こうした経過を見て、神の工夫と思いが更にかけられ、「いざなみ」は次の出産に向かった。結局三度出産したことになる。お筆先では、「このものに一度教えたこの守護、 同じ胎内三度宿りた」(6.49)。

 ここで、三度目の宿し込みが明かされている。
40  三度目も、同じ数の子種を宿し十月経って産み降ろした。三度目の産み下ろしは原地に為され、その場所は、土地ところの参り場所となっている。「一宮・二墓・三原」と云われて、それぞれ人間の参り所となっている所以がここにあり、みな元の理に因縁のある場所だということになる。今度は更に大きく四寸まで成長した。
41  「いざなみ」はにっこり笑うと、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と言い残して身を隠すことになった。三寸から始まり三寸五分、四寸と次第に大きくなった人間の成長に手ごたえを感じとられたからであった。三度目の子供も「いざなみ」の後を慕うようにして出直し(死去)していった。お筆先では、「無い世界始めようとてこの月日、段々心尽くしたるゆえ」(6.85)、「月日より段々心尽しきり その上なるの人間である」(6.88)。
 ここで、三度にわたる人間造りをした後、「いざなみ」が身を隠されたことが明かされている。

【れんだいこ文「泥海こふき(一括文)」その3、道中編】
42  その後、人間は長きにわたり生まれ変わりの旅に出向くことになった。この間様々な虫や鳥や獣畜類に生まれ変わり、実に八千八度の転生を繰り返すことになった。
 ここで、後に人間になる生命が様々な虫や鳥や獣畜類経緯の八千八度の転生を遂げたことが明かされている。或る意味で進化論を裏付ける内容になっている。
43

 その果てに、一匹の「めざる」がこの世に生まれた。これに神名が付けられ「くにさづち」と云う。この「めざる」が身ごもった。その胎内から男五、女五の生命が産み出された。この新たな人間は最初五分から生まれ出て、五分五分と次第に成人していった。

 ここで、後に人間になる生命が八千八度の転生後に「めざる」に辿り着いたことが明かされている。
44  この成長に応じるかのように、自然環境も整い始めた。子供が八寸になった時、初めて泥海に高い低いができ始めた。一尺八寸になる頃には泥海も漸く固まり、海と山、天と地が区別できるまでになった。
 ここで、人間生命が一尺八寸になるまでの転生に並行して泥海の高低ができ、海山、天地の区別が生まれ始めたことが明かされている。
45  その後、人は一尺八寸から三尺になるまでに、一腹に男一人女一人の二人ずつが生まれて行くことになった。次いで、三尺に成人した時、初めて言葉を話せるようになり、一腹に一人ずつ生まれるようになった。そして、次第に五尺の人間へと辿り着くことになった。この間、実に九億九万年を水中で暮らしていた。
 ここで、人間生命が一尺八寸から三尺になるまでの転生に並行して、一腹に男一人女一人の二人ずつの産み分け、続いて三尺に成人した時、初めて言葉を使い始め、その頃になると一腹に一人ずつ生まれるようになったことが明かされている。
46  人間が五尺に成人したときは、人間の住むに都合がよいように、海山、天地、世界もはっきりとできあがった。そこで水中の生活をやめて、ここに漸く陸上がりを果たせるようになった。現在のような陸上生活はそれ以来のことである。
 ここで、人間生命が五尺に成人した頃、海山天地の別、その他自然世界ができあがったこと、水中生活を止めて陸上生活になったことが明かされている。
47  人間は三尺から五尺になるまで、食物(じきもつ)を食いまわり、唐天竺まで廻り行くことになった。この間、五尺に成人するまでに、この世界、天地海山、食物までもが人間の成人に応じてできた。
 ここで、この頃、人間生命が食物(じきもつ)を求めて唐天竺まで廻り行くことになったことが明かされている。
48  しかし、これでも人間の完成が為されたのではない。陸に上がった人間は六千年間、智恵の仕込を受け、三千九百九十九年間、文字の仕込を受ける事になった。
 ここで、人間はその後、智恵の仕込を受け、三千九百九十九年間、文字の仕込を受ける事になったことが明かされている。
49  これが元始まりであり、月日親神は、人類を我が子と思い気にかけている。お筆先では、「この世を初(はじ)めた神の事ならば、世界一列皆我が子なり」(4.62)、「世界中一列は皆兄弟や、他人というは更にないぞや」(13.43)、「月日には世界中は皆我が子、可愛い一杯これが一条」(17.16)。
 ここで、この経緯が「元始まり」であると諭されている。ここまでの経緯を振り返れば、親神が如何に心を尽くされ、人間造りしたかが拝察される。人間は、親神から見れば「可愛い子供」であり「一列皆兄弟」であることが諭されている。
50  月日親神は、人類が心勇んでを陽気づくめに暮らすことを願っている。心がいずまないよう諭している。お筆先では、「月日には、どのような事も一列に、皆に教えて陽気づくめに」(7.108)、「世界中皆一列は澄み切りて、陽気づくめに暮らすことなら」(7.109)、「月日にも確か心が勇むなら、人間なるも皆同じ事」(7.110)、「この世の世界の心勇むなら、月日人間同じ事やで」(7.111)。
 ここで、そのようにして創造された人間は、「心勇んでを陽気づくめに暮らすこと」が肝腎であり、そのように暮らすことが親神の思いに適うことが明かされている。
51  こうして創造された人間は、月日親神の思惑から外れて陰気な暮らしをしている。お筆先では、「世界にはこの真実を知らんから、皆どこまでもいずむばかりで」(14.26)。
ここで、そういう思いで創造された人間が親神の意に反して「陰気暮らし」きしていることを批判し、「人間創造の元一日」に立ち返るよう促している。
52  世の中に悪いものはないのに、心得違いで道を踏み外している。これは「埃」であり、「埃」には「惜しい、欲しいと可愛いと、欲と高慢がある。よろづよにせかいのところみハたせど あしきのものハさらにないぞや(1.52)、一れつにあしきとゆうてないけれど、一寸のほこりがついたゆへなり(1.53)、この道は、惜しい、欲しいと可愛いと、欲と高慢これが埃や(3.96)。
 ここで、月日親神は、心得違いを埃と諭し、日々の掃除で払うよう諭している。
53  月日親神はこたび、中山みきを神の社(やしろ)と定め、親神の思いを「元始まりの理話し」として説き聞かせる事になった。お筆先では、段々と何事もこの世は、神の体や思案してみ」(3.40)。
 ここで、中山みきを神の社(やしろ)と定め、親神の思いを「元始まりの理話し」として説き聞かせる事になったことが明かされている。
54  神の社となった教祖は、月日親神の諭しを聞き分け、聞き分けた者が親神の願う神人和楽の陽気世界への世直し、世の立替えに向かうよう促している。
55  教祖は、月日親神の思いに立ち帰る為に、人類の故郷であるぢばの地に甘露台を立て、甘露台を中心として踊る一手一つの神楽づとめに励み、その理を味わい、親神の心に添って生きるよう諭している。

 以上が、みきが説き明かした人類の創世記である。世界中のどの創世記譚にもましてより詳しい文量で語られていることが分かろう。この「元の理」が如何に重要かと云うと、みきの御教えは帰納法的にも演繹法的にも全てこの「元の理」に収斂することにある。これ逆に云えば、「元の理」を汲めども尽きぬ源泉として、これよりみきの御教えが紡ぎだされていることになる。「元の理」の教える「元一日」に立ち帰ることにより人類は閉塞から立ち直り救済される。「世直し、世の立て替え」は親神の世界創造の思いと心尽くしに思いを馳せることにより自ずと道筋が見えて来ると云うメッセージが込められている。

 そういう「元の理」の白眉さは、今や世界に普く流布しているユダヤ教式天地創造譚に伍してひけを取らぬばかりか、ユダヤ教式天地創造譚の訂正を迫るより奥の深い叡智が散りばめられているところにある。これほどのものが天理教徒以外は知らぬ現状は寧ろ不幸なことである。「元の理」は日本の誇る精神的文化財産である。かく了解せねばならない。我々は、記紀神話、ホツマ伝え神話にとどまらず「元の理」にまで踏み込んで、日本神話の粋を知るべきである。これが云いたかった。

 「元の理」は歴史考証的にも哲学的にも社会思想的にも味わい深い。ユダヤ教式天地創造譚が近現代科学の知見と抵触する面が多々あるのに比して、「元の理」は逆に親和的であるのも興味深い。ここでは逐一は述べないが、最低限伝えねばならないところを披歴しておく。その前に、「元の理」との対照性を良くする為にユダヤ教式天地創造譚を確認する。

 「創世記」
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/yudayakyoco/seisyoco/so
seiki/1.html)
第1章
01 初めに、神は天地を創造された。
02 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
03 神は言われた。「光あれ」。こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。
04 神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
05 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」。
06 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
07 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
08 神は言われた。 「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ」。そのようになった。
09 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
10 神は言われた。 「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ」。そのようになった。
11 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
12 夕べがあり、朝があった。第三の日である。
13 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
14 天の大空に光る物があって、地を照らせ」。そのようになった。
15 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
16 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
17 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
18 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」。
19 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
20 神はそれらのものを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」。
21 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
22 神は言われた。 「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ」。そのようになった。
23 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
24 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」。
25 神は御自分にかたどって人を創造された。 神にかたどって創造された。男と女に創造された。
27 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。
28 神は言われた。 「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」。そのようになった。
29 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
30 天地万物は完成された。
31 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
32 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。これが天地創造の由来である。
33 主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。
第2章
34 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
35 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
36 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
37 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
38 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。
39 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。
40 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。
41 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
42 主なる神は人に命じて言われた。 「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」。
43 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」。
44 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
45 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
46 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
47 主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから」。
48 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
49 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。
第3章
50 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」。
51 女は蛇に答えた。 「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」。
52 蛇は女に言った。 「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」。
53 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
54 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
55 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか」。
56 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから」。
57 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」。
58 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」。
59 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか」。
60 女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました」。
61 主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。 お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。 彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く」。
62 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。 お前は、苦しんで子を産む。 お前は男を求め 彼はお前を支配する」。
63 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い 取って食べるなと命じた木から食べた。 お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して 土は茨とあざみを生えいでさせる 野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」。
64 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
65 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
66 主なる神は言われた。 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」。
67 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
68 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
 以上見た如く、みきの説いた「元の理」とユダヤ教式天地創造譚では内容が大きく異なる。何よりユダヤ教式では天地創造に当たって無より有を創出せしめている。このことが宗教学的にはともかくも西欧哲学史を悩ませてきたことは知られている。ヘーゲル論理学に於ける「無から有の創出思弁」はその最たるものであろう。しかしながら、みきの説く「元の理」教義では原初に「泥海」が措定されており、これより万物が創造されているので「即自有から向次有の創出」となり西欧哲学史的な困惑に誘われることはない。近現代の科学的知見も「星雲状態」を措定しており、「元の理」の語る「泥海状態」と齟齬しない。これが第一点である。

 第二点として、ユダヤ教式天地創造譚では、創造主のエホバ神が絶対的厳罰的万能主として登場し君臨する。加えてトリッキーでさえある。しかしながら、みきの説く「元の理」では、創造主の天理王の命は万能主ではあるが慈愛に満ちており、諸事に「談じ合い」を要件としている。敢えて例えれば、エホバ神が父性的であり天理王の命は母性的と云う違いを見てとれる。「元の理」がなければ、ユダヤ教式天地創造譚に示される絶対的厳罰的万能主としての創造主しか窺えないところ、慈愛的「談じ合い」的万能主としての創造主を知ることができると云う有り難いことになっている。

 第三点として、ユダヤ教式天地創造譚では、人間は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」とされ、「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。その後相当の経過後に、主なる神か「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」として、「人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」としている。しかしながら、「元の理」では、男女ともに同じ自然摂理を材料によって創造され、性差を仕込まれている。神にかたどって拵えられたとは記していない。この寓意によれば、人間創造の具体的手法に於いてユダヤ教式天地創造譚の方が省略的であり且つ男性優位的である。「元の理」の人間創造は詳解であり、根本的に男女対等、但し性差の違いに基づく差異が始源的に諭されていることになる。筆者は、「元の理」の人間創造譚の方に軍配を挙げたい。

 第四点として、ユダヤ教式天地創造譚では、人をして「人間に海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」とし、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と宣べられている。即ち人間の自然支配を神から負託されているとの教説を打ち立てている。しかしながら、「元の理」にはこのような教えはない。そもそも人間拵えの台として自然の摂理を取り入れているのであるからして人と自然との和合的調和が当然視されている。この教えは、近現代文明の自然破壊が顕著な現下のご時世に於いては貴重なるエコ思想に繫がっており、「元の理」的人間観、自然摂理観の方が有効に機能するのは言を俟たない。

 第五点として、ユダヤ教式聖書では、天地創造譚の後に出てくる**譚において、神との選民契約によりユダヤの民が恩寵に与ったとしている。これによりユダヤの民が他の部族の民を支配することが正当視運命視されている。しかしながら、「元の理」では、一列平等の神人和楽世界が教義化されており、特定部族の選民思想は導き出されない。世界平和思念上、「人の上に人を造らず」としているみき教義の方が有効に機能するのは言を俟たない。

 第六点として、ユダヤ教式天地創造譚は人の生きる目的までは明かしていない。代わりに説いているのが「エデンの園に於ける知恵の実騒動」である。人間は、創造主であるエホバの神の言いつけに従わず、蛇に唆されて知恵の実であるリンゴを食したことにより知恵を授かると同時に羞恥感情を持つことになり、これが咎められて園を追放される。この罪と罰により男は労役の苦労、女は出産の苦労が義務づられる云々。しかしながら、「元の理」では、神が人を罰する云々の話は登場しない。その代わりに、神が人間を創造するに当たって思念したことが「一つ人間というものを拵えて、そのものが陽気遊山し喜ぶ様を見て自分も楽しみたい」であったとし、故に、人は神の創造思惑に従って生きるのが理に適っており、故にの生きる目的と意義は「助け合いによる陽気暮らし世界の創出」こそが期待されている云々と説き明かされている。これは西欧哲学的思弁にはない東洋的な悟りである。
 
 その他列挙すればキリがないほど同じ天地創造譚でも内容が異なる。これらを思えば、ユダヤ教式天地創造譚に動因規定されたかのように思える人類史の歩み、その結果としての西欧文明押し付けによる閉塞下の現代において、「元の理」教義の打ち出しこそ人類救済の灯火なのではなかろうか。筆者はそのように考えている。

 2012.3.14日 れんだいこ拝




(私論.私見)