黒住教教理考 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.9.26日
(れんだいこのショートメッセージ) |
2006.11.18日再編集 れんだいこ拝 |
【御7ケ条】 | ||||||||||||||||||||
「御7ケ条」。
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【五つの誠】 | ||||||||||
「よりよく生きるための五つの誠」。
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【まることの生活信条】 | ||||||||||
「まることの生活信条」。
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【教えの五事(ゴジ)】 | ||||||||||
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【御教え】 |
「教徒(おしえご)が誠の心磨きてぞ 教祖(おしえまおや)の玉垣となる」(三代宗篤様詠)。 |
「心にも 身にも悩みの ある人に さとらせまほし 道の楽しみ」(宗忠神高弟詠) |
【五社参り】 |
白髭宮、今村宮、吉備津彦神社(備前の国の一宮)、吉備津神社(備中の国の一宮)、庭瀬大神宮。 |
「宗忠神話 I -黒住教教祖の御逸話- 」 |
6「ここも憂 (ウ) しまた行くさきも憂かりけり おなじ月日におなじ身なれば 」(伝宗忠神詠) 心なおし 「古京の炭屋さんへのお愉し」、「善人の罪をつくるな」 |
40「有無の山生死(ショウジ)の海をこえぬれば ここぞ安楽世界なるらん」(御文85号) 「中之町御門の御逸話」 「三月二十三日、岡山藩士松尾長三郎酔狂し、岡山城下に於いて二十三、四人の人を傷つけ、更に中之町御門にて教祖に斬りかからんとせしに、教祖の御言葉によりて鎮まりし事あり」(黒住教教書「御年譜」池田家履歴略記続集後篇巻の三) 至誠の感孚(カンプ) 、鎮魂 |
43「ありがたや我日の本に生まれ来て その日の本を知ると思えば」(御歌49号) 御逸話「この左京を師と慕う者を見殺しにはせぬ」。宗忠神を信じ切った篤信家中野屋庄兵衛の奇跡的な霊顕談。 【其のニ】 日の本の日の御徳の有り難さ、 日の御徳のお取り次ぎの有り難さ、 今も確かにお導き下さる教祖宗忠神の有り難さ、 有り難うに有り難うに、日の御蔭をいただいてまいりましょう。 |
44「三度(ミタビ)まで生き返りたる人はまだ 唐(カラ)天竺(テンジク)とわが朝(チョウ)になし 」(雑御文3号) 黒住教教書の「雑集の部三号」より 福田主(備前藩士福田丑之介氏)の霊験談。天照らす神の御心(ミココロ)人ごころ ひとつになれば生き通しなり (御文91号) 四たびまで生きかえりたる人はまだ 広き世界のいずくにもなし (河本一止先生詠) |
45「有る物はあるにまかせて無き物を 養う人ぞありがたきかな 」(御文88号) 「伊東佐兵衛氏の霊験」(御文74号) 「いよいよもって天地はいきもの(活物:天地生々の霊機)に候えば、疑いを離れ修行つかまつり候えば、有り難き事は天地にみち候えば、何ほどの事ござ候とも、この無の中より、君も我もあらわれ候えば、病くらいの物、その場にてなおり候とも、これをまた不思議に思うは、重々まよいなり。(後略)」(御文11号) |
46「天照らす神の宮居に住む人は かぎり知られぬ命なるらん」(御歌12号) 「幸魂(サキミタマ)のおはたらき」。 三百石取り備前岡山藩士石田鶴右衛門惟忠氏の霊験談。 参勤交代のため江戸詰めであった石田氏が瘰癧(ルイレキ)に罹り、在府任期中のところ殿様のお供という名目で帰国が許され、何とか播州の大蔵谷(現明石市)まで帰り着きながら、終に重篤の身となり、任を免じられて養生を余儀なくされていた時のこと…。 |
47「天地の中の誠を知りぬれば 有無も生死も何かいとわん」 (伝御神詠)。 「ハンセン病(らい病)患者への御まじない」 。宗忠神の次女照子様が、たびたびお話になっていた宗忠神話。 悲しきさすらいの旅の末、岡山に流れ着いた一人の患者。その姿を見て憐れに思ったある人が、宗忠神を訪ねるよう声を掛けた。 時は暑い夏の日。 汗びっしょりになりながら、直禁厭(ジキマジナイ:お取り次ぎ:直接の祈り込み)を施した宗忠神。その誠心誠意・一心不乱の御姿に大感激した患者は、日ならずして完治のおかげをいただけいた。 |
48「天地の誠の道を知りぬれば この身このまま天照らす神」 (伝御神詠) 「土肥家へのご訪問」。 備前岡山藩主席番頭で四千二百石取りの土肥家。「土肥の船太鼓」。 宗忠神ご在世当時の当主、土肥右近氏。 土肥家ご用人野呂俊介のご忠言、諫言。 玄関から式台(屋敷入口)まで、ほうきの掃き目だけがきれいに残っているだけで、宗忠神の下駄の跡は…。 『黒住教教書』の「門人名所記」の文政五年(1822)に野呂俊平の名前あり。 |
49「天地の誠の道にかなうまで しるしなくとも我は守らん」 (伝御神詠) 1823(文政6)年12.12日付の「御文31号」。 宗忠神直門高弟筆頭であり、互いに肝胆相照らす道の友であった石尾乾介氏宛ての書簡。 宗忠神の崇高さ “不思議な現象”もさることながら… 「天命直授(テンメイジキジュ)」後の “悟後の修行” 五社参り、千日間のご参籠 常に自らを深く顧み省みて、徹底的に心を祓い磨き鍛え養い続けられたこと。 |
黒住教主の「道楽ツイーツ76、心は大磐石の如くおし鎮めよ。深根固柢(シンコンコテイ)」 〈上〉 あがる、のぼせる、頭に来る、有頂天…。 〈下〉 落ち着く、腰を据える、腹が据わる、沈着冷静…。 重心の置き所は、上ではなく下。「どっしりとしっかりと揺るぎなく、深く大地に根をはるが如く」が、安定のための絶対条件。 |
黒住教主の「朗読コラム」#7自著「誠之道 -黒住教の教えの基本- 」9回目/【第八講】養心①:おかげの受け皿 姿なき 心一つを 養うは かしこき人の 修行なるらん(御文149号) 「心なおしの道」 「養心法」 「用心法」 「無きところを養う」 御文149号 道は、かねがね申し上げ候通り、ただ一つにきわまり候あいだ、少しも少しもむずかしきことはござなく候。元なきところよりいでたる身なれば、心の元は皆なき所より参り候まま、常々その無きところを養うこそ、天照大御大神の御玉を養うところなり。このところ勤まり候えば死するものなし。この養うところよりほかに一大事はなし。幾重も幾重も大事にいたしたきは、姿なき心なり。(中略)常々このところをよくご修行なさるべく候。 そ |
(私論.私見)