民主党史(自由党史を含む)

 (最新見直し2006.4.5日)

 以下、民主党史(自由党史を含む)をれんだいこ風に要点整理しておく。民主党の歩み民主党略年表民主党 (1996-)を参照した。ちなみに、党の歩みを極力正確に記録しているのが自民党であり、続いて公明党、民主党である。もっともお粗末なのが共産党である。

 民主党史をそれ自身整理するのは他に譲って、ここでは、細川政変劇前後の流れも並行して綴っていくことにする。この方が、民主党を歴史ベースに乗せてみることができ、現下の流れがより掴み易くなると思うからである。

 2004.5.14日 れんだいこ拝


【民主党結党前の政界事情】

 1993.6月、小沢一郎グループが自民党を離党し、新生党結成。小沢氏が代表幹事に就任。

 1993.8月、小沢グループの牽引で非自民大連立で細川連立政権誕生。1994.4月、細川首相退陣、羽田内閣発足。しかし、僅か2ヶ月で総辞職する。

 1994.6月、野党に陥落した自民党は、日本社会党と新党さきがけを取り込み、自・社・さ連立の社会党の村山氏を押し立てる。新生党は、海部元首相を擁立するが首相指名で敗北。こうして村山連立政権が誕生した。自民党の底力を見せ付けた与党復帰劇であった。

 1994.12月、下野した新生党(小沢一郎)、民社党、公明党、日本新党は、合流して「新進党」(海部党首、小沢幹事長)を結党し対抗する。

 1995.12月、新進党党首選で、小沢氏が羽田氏を破り第二代党首に就任。しかし、新進党は既に求心力を失っており難航する。


1996年
9.11  第三極の流れとして、さきがけの鳩山由紀夫、菅直人両氏らと社民党の一部が「民主党設立委員会」結成を呼びかける。
09.17  「民主党設立委員会」が現職国会議員37名の参加で結成される。
09.28 【(旧)民主党結党】
 「民主党」(後の「民主党」と識別する意味で、「旧民主党」と称される)が結党され、菅、鳩山による2人代表制でスタートする(「管・鳩山2人代表制」)。 この時の「民主党」は、日本新党、さきがけ、社会党の流れを汲んで誕生した。社会党からは、元委員長の山花貞夫氏、元書記長の赤松広隆氏、前北海道知事の横路孝弘氏らが参加している。

 結成当時の「民主党」は、市民政治型の「小さいながらもキラリと光る草の根的市民政党」を目指していた。
10.20  初の小選挙区比例代表並立制による第41回衆議院選挙で52名が当選。衆院52名、参院5名で野党第2党になる。

1997年
3.22  民主党定期大会。
09.18  「菅代表−鳩山幹事長」の新体制が発足する(「管・鳩山新体制」)。   
12.31 【新進党解党】
 12.27日、新進党の両院議員総会が開かれ、小沢党首が参院公明党の分党を契機として新進党をいったん解散する、と宣言した。冬柴鉄三、中田宏や岡田克也が猛烈に反論したが不可逆的な流れであった。12.31日、新進党が解党する。結党より三年、新進党はあっけなく消えたことになる。

 結集していた議員、グループが政界を遊泳し始め、公明党グループ、小沢一郎グループは独立化し始め、その他のグループは「民主党」に流れていくことになる。民政党(保守系)、自由党(小沢一郎)、公明党、新党友愛(旧民社党)、国民の声に分岐していくことになる。

1998年
1.08  民主党、新党友愛、国民の声、太陽党、フロムファイブ、民主改革連合)の6党が「民友連」を結成する(結成宣言)。新進党解党余波の流れと見ることができる。
1月 【自由党結党】
 小沢一郎氏らが自由党を結党。小沢氏が党首に就任。中西啓介、藤井裕久を腹心として、二階俊博、平野貞夫、野田毅、西岡武夫らが結集した。
01.19  民主党第2回定期大会。菅代表再選、鳩山幹事長再任(「管・鳩山体制続投」)。
2.06  「政権戦略会議」(議長:細川護煕元首相)が発足する。
03.12  民主党・民政党(太陽党・国民の声・フロムファイブが合同し結党された新党)・新党友愛・民主改革連合の「民友連」4党が統一して新「民主党」結成を合意。
03.16  4党代表者会議で「統一準備会」(鹿野道彦座長)設置し、「理念・基本政策」、 「組織・規約・財政」、「選挙対策」の3作業委員会、「女性参画委員会」の 設置を併せて確認。
04.08  第1回(新)民主党(統一準備会)常任幹事会を開催。
04.13  衆議院議員97名で衆議院に「民主党」の会派届出。参議院議員41名で 参議院に「民主党・新緑風会」の会派届出。総勢138名。
04.26  臨時党大会で統一承認。
4.27 【(新)民主党結党】
 民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合の4党が合流し、「新・民主党」を結成する。衆議院議員93名、参議院議員38名(会派は41名)の総勢131名の参加で、 「新・民主党」は野党第一党になった。民主党統一大会開催(第1回大会)が開かれ、話し合いで「菅代表・羽田幹事長」の新体制が発足する(「管・羽田新体制」)。この時、自民党を倒し、政権を奪取する使命を負った。現在の民主党の原型はここで作られた。
7.12  第18回参議院議員選挙で、改選前18名に対し27名が当選。非改選含め47名になる。参議院での与野党逆転果たす。
7.16  奥田敬和衆議院議員・両院議員総会長逝去。
07.30  臨時国会の参議院本会議で菅氏を首相に指名。衆議院は小渕恵三自民党総裁を指名。両院協議会の結果、小渕氏が首相指名される。
08.10  政党助成法に基づき衆議院議員92名、参議院議員49名(届出外―新緑風会の6名)の計141名届出(菅野議員は参院副議長就任に伴い無所属)。

1999年
01.18  第1回定期大会開催(通産第2回大会)、初の代表選挙(立候補者2名)で松沢成文氏を破り菅直人代表が再選された(管180票、松沢51票)。羽田孜幹事長再任(「菅・羽田体制続投」)。
1月  参院で過半数割れの自民党と自由党が連立し、小渕内閣発足。
04.11  東京都知事選挙に前副代表の鳩山邦夫氏を擁立するも敗北。
4.27  統一1周年。衆議院議員93名、参議院議員51名の総勢144名。
08.04  故山花貞夫選挙対策委員長党葬(7月14日逝去)
09.11  代表選挙告示。
09.25  代表選出大会(臨時大会―通算第3回大会)で鳩山が菅、横路を破り、代表に就任(鳩山154票、管109票、横路57票。決選投票で、鳩山182票、管130票)。初代党首の菅は政調会長に就任。代表選挙および党機構に関して規約改正。
10.01  両院議員総会で新役員体制承認、羽田幹事長再任(「鳩山・羽田新体制」)。
10.14  第1次ネクスト・キャビネット(NC)発足。

2000年
01.16  神戸市にて2000年度定期大会(第2回定期大会―通算第4回大会)開催、新代表選挙規則承認(県別ポイント式。
03.07  第99回常任幹事会で「民主党倫理規則」制定。
4月  自由党が自民党との連立を解消し下野する。
 自由党は自由、保守両党に分裂。
04.27  結党2周年。
06.25  第42回衆議院議員総選挙施行。民主党127議席(小選挙区80・比例区47、改選前95)を獲得、(会派は「民主党・無所属クラブ」130名で届出、参議院の会派は「民主党・新緑風会」58名で届出)。
08.21  民主党代表選挙告示。
09.09  代表選出大会(臨時大会―通算第5回大会)開催。鳩山代表が無投票で再選される。羽田孜特別代表、菅直人幹事長を選任(「鳩山・管新体制」)。引き続き、全国研修会を開催、
 第2次ネクスト・キャビネット発足。

2001年
01.20  第3回定期大会(通算第6回大会)を開催。
4.27  結党3周年。
07.29  第19回参議院議員選挙施行。民主党26議席(選挙区18名、比例代表8名、改選前23)、非改選含め59名に。(参院会派は「民主党・新緑風会」は60名)。タレントの大橋巨泉氏が比例代表区で412,087票を獲得しトップ当選。
09.19  第3次ネクスト・キャビネット発足。
12.11  第187回常任幹事会で、「当面する党務改革について(2002年度から実施する改革事項)」決定。
12.18  第188回常任幹事会で、代表選挙規則改正(地方自治体議員の投票、他)。

2002年
01.19  第4回定期大会開催(通算第7回大会)、小泉政権との対決姿勢を鮮明に。党規約改正(党員・サポーターの本部登録制、他)。
01.29  大橋巨泉氏が議員辞職を表明。(次点のツルネンマルティ氏が繰り上げ当選)。
2月  同党副代表その他「政治改革推進本部長」の要職にあった衆議院・鹿野道彦氏の「二重勤務問題」が発覚し、「政治改革推進本部長」を辞任する。「二重勤務問題」とは、鹿野氏が国会議員後も同氏の親族企業に籍を置き、社員を装って給与支給、健保・年金保険料を肩代わり支払いして貰っていた事件のことを云う。
04.27  結党4周年。
9.01  今井澄参議院議員・元NC厚生労働大臣逝去。
09.09  民主党代表選挙告示。初立候補表明したのは、鳩山由紀夫、菅直人、横路孝弘、中野寛成、前原、野田佳彦の5名。但し、前原・野田両氏が若手一本化を進め、野田に一本化する。但し、若手陣営の水面下では管支持に回る者も出る。他方、旧民社党の中野は鳩山支持に回る。
09.23  代表選挙集会(臨時大会―通算第8回大会)開催(初の党員・サポーターの投票参加)。代表選挙は、鳩山1位294ポイント、菅2位221ポイント、野田182ポイント、横路119ポイントで決戦投票になる。決選投票では、国会議員票では菅辛うじて優位に立ったが、党員・サポーター票で鳩山が上回り、鳩山由紀夫氏が代表を続投することになった(三選、鳩山254票、管242票)。こうして、鳩山代表が菅,野田,横路を破り三選。
09.24  翌24日、中野幹事長を選任(「鳩山・中野新体制」)。政調会長に海江田万里氏,羽田孜特別代表は留任。中野氏の幹事長就任に対し、代表戦で裏約束があったのではないかとして批判が強まり、鳩山代表の座が揺らぎ始める。
10.01  両院議員総会を開催し、羽田孜特別代表の再任など骨格人事を決定。
10.03  両院議員総会を開催し、第4次ネクスト・キャビネット発足。
10.25  石井紘基衆議院議員・衆議院災害対策委員長が、自宅前で刺殺される。
10、27  衆参統一補欠選挙で1勝6敗と惨敗。
11月  鳩山氏が自由党との合流を提唱。但し、この頃より鳩山代表批判が強まる。
12.03  両院議員総会を開催し、鳩山由紀夫代表の辞任表明を承認。
12.10  両院議員総会を開催し、国会議員による代表選挙で菅直人が岡田克也を破り、代表に返り咲き(管104票、岡田79票)。
12.13  両院議員総会を開催し、鳩山由紀夫代表辞任、菅直人代表・岡田克也幹事長就任(「管・岡田新体制」)。政調会長に枝野幸男氏,国会対策委員長に野田佳彦氏を起用。羽田孜特別代表は最高顧問に就任。
12.17  第5次ネクスト・キャビネット(民主党『次の内閣』)発足。

2003年
01.18  第5回定期大会開催(通算第9回大会)。政権獲得へ全力を尽くす事を強調する。
1月  管・小沢会談。「当面は選挙協力優先」で合意。
04.13  統一地方選挙前半戦施行。神奈川県知事に松沢成文・前衆院議員が当選。
04.27  結党5周年。統一地方選挙後半戦(大分市長に釘宮磐・前衆院議員が当選)、統一補欠選挙施行。故石井紘基氏の弔い合戦となる衆議院東京6区補欠選挙で,前参議院議員の小宮山洋子氏が初当選を果たす。
5月  菅・小沢会談で合流がいったん白紙に
07.18  所属国会議員の公設秘書名(2003年7月1日現在)を公表。
07.23  菅直人代表と小沢一郎自由党党首との会談で「9月末までの合併」に合意。自由党が解党し、民主党に合流する事が決定。
07.24  第255回臨時常任幹事会で、「民主、自由両党の合併に関する合意書」を承認。
9.19  両院議員総会で、自由党との合併を承認。
09.23  岡田克也幹事長が離党中の鹿野道彦元副代表に復党を要請し,鹿野氏もこれを受諾。「新・民主党」への合流が決定する。
09.24 【(新・新)民主党結党】
 民主・自由両党の合併調印式が行われ,自由党が民主党に合流し「新・民主党」が誕生。
09.25  国会に統一会派を届出(衆院138名、うち無所属1名。参院69名、うち無所属3名)。(新たに合流した無所属の大渕絹子氏を含む)の計204名に。自由党と共同で両院総会開催。
10.05  民主党と自由党の合併大会が開催され(通算10回大会)、「新・民主党」が新たにスタート。旧自由党の議員は執行部入りせず、民主党執行部により党運営が行われる事に決定。
11.09  第43回衆議院議員選挙で177名(小選挙区105名、比例代表72名)が当選。(改選数137)。比例区では2,200万票,72議席を獲得し,自民党を抜いて第一党に躍進する。
12.11  両院議員総会で、新役員を選任(羽田最高顧問、小沢代表代行、岡田幹事長などの新常任幹事。中井洽氏、江田五月氏が副代表次の内閣大臣)。

2004年
1.13  第6回定期大会開催(通算第11回大会)。代表選挙規則を改正(地方議員ポイント増加=47→100、党員サポーター票配分変更=全国小選挙区300に)。党員費・サポーター費改訂(一般党員=6000円、サポーター=2000円)。
1月  古賀潤一郎衆議院議員が学歴詐称問題で、除籍される。
3月  佐藤観樹元自治相が元公設秘書の給与詐欺で議員辞職、逮捕される。
04.27  結党6周年。
05.10  菅直人代表が国民年金保険料未払いの責任を取り代表を辞任。
5月  小沢氏が菅直人代表を後継して代表就任を受諾。
05.18  小沢氏が代表受諾を撤回し、岡田克也幹事長が無投票で代表に就任。
07.11  第20回参院選挙で、民主党が50(←38、非改選含め82)議席を獲得し、49議席の自民党を上回った。この改選で第一党となった。
7月  岡田代表が訪米時に「憲法改正による海外での武力行使容認発言」。
7月  小沢前代表代行が、岡田発言に対し「理解に苦しむ」と批判。
8.30  岡田氏が無投票で代表に再選される。
09.13  岡田代表が、臨時党大会で無投票再選される。新幹事長に川端達夫前国対委員長を起用。政調会長・仙谷由人、国会対策委員長・鉢呂吉雄。最高顧問・羽田孜。代表代行・藤井裕久。副代表・石井一,中井洽,米沢隆,岡崎トミ子。常任幹事会議長・鹿野道彦。
11.16  執行部入りを固辞していた小沢氏が副代表に就任。
12.19  福岡市で定期党大会開催。

2005年
1.24  衆院本会議での岡田氏の代表質問の際に、小泉首相が再答弁を拒否したとして、民主、社民両党が議場から一時退席。
03.11  自民、民主、公明3党が社会保障制度見直しの協議機関設置で合意。
04.24  福岡2区、宮城2区の衆院補選で、民主党が自民・公明連合候補に敗北。
7.3  東京都議会選挙で現有19議席から35議席へ躍進。
09.11  第44回衆議院選挙で113名(小選挙区52、比例代表61、女性7)が当選。改選数177から64議席減、比例区では2101(←2,200)万票、得票率31.03(←37.39)、結党以来の大敗北を喫した。
同日  岡田代表辞任声明。
 小沢氏が代表選への立候補を見送る。
09.17  東京・芝公園の東京プリンスホテルで両院議員総会による代表選挙を行い、前原誠司氏(43)を5代目の代表に選出した。党所属国会議員(194人)のうち192人が無記名で投票。有効投票数190票のうち、前原氏が半数の96票を獲得し、菅直人氏(58)を2票差で破る接戦だった。任期は、岡田氏の残り任期である来年9月までの1年。

 前原氏は代表就任後の記者会見で、「日本の民主主義を機能させ、より良い政策競争を根付かせ、国民の生活向上、安定につながるよう努力したい」、「(憲法改正について、戦力の不保持などを定めた)憲法9条2項を削除して自衛権を明記する」との持論を示したうえで、「党内の議論をスピードアップして、受け身にならない、しっかりした案を持って対応できるよう進めていきたい」と述べた。前原氏が憲法改正に否定的な意見がある党内の考えをどう集約し、与党との距離をどう考えていくかが、憲法論議の進み方のかぎを握りそうだ。

2006年
04.07

 「送金指示メール問題」で前原執行部の退陣を受けた民主代表選で、小沢一郎前副代表(63)が菅直人元代表(59)を119対72で破り、新代表に決定した。任期は前原代表の残り任期の今年9月まで。

04.08
 小沢一郎新代表は、「選挙で2番になった方が幹事長」(渡部恒三国会対策委員長)と注目されていた代表選を戦った菅・氏の処遇について、管元代表、鳩山幹事長と党本部で会談、三氏は菅氏を代表代行に起用し、鳩山氏を続投させることで合意した。渡部恒三国対委員長、松本剛明政調会長ら前執行部メンバーを再任させることも決めた。小沢執行部は11日の両院議員総会での承認を経て正式に発足する。3月に渡部氏と同時に就任した仙谷由人幹事長代理、川端達夫、平野博文両国対委員長代理は再任しなかった。




(私論.私見)