その9、破戒第17章、第18章 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日
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第拾七章(一) | |
勘定を済まして笹屋を出る時、始めて丑松は月給のうちを幾許袂に入れて持つて来たといふことに気が着いた。それは銀貨で五十銭ばかりと、外に五円紙幣一枚あつた。父の存命中は毎月為替で送つて居たが、今はそれをる必要もないかはり、帰省の当時大分費つた為にこの金が大切のものになつて居る、かれを考へると左様無暗には費はれない。しかし丑松の心は暗かつた。自分のことよりは敬之進の家族を憐むのが先で、に省吾の卒業する迄、月謝や何かは助けて遣りたい――こう考へるのも、畢竟はお志保を思ふからであつた。酔つて居る敬之進を家まで送り届けることにして、一緒に雪道を歩いて行つた。慄へるやうな冷い風に吹かれて、寒威に抵抗する力が全身に満ち溢れると同時に、丑松はまた精神の内部の方でもすこし勇気を回復した。並んで一緒に歩く敬之進は、と見ると――釣竿を忘れずに舁いで来た程、其様に酷く酔つて居るとも思はれないが、しかし不規則な、覚束ない足許で、彼方へよろ/\、是方へよろ/\、どうかすると往来の雪の中へ倒れかゝりさうになる。『あぶない、あぶない』と丑松が言へば、敬之進は僅かに身を支へて、『ナニ、雪の中だ? 雪の中、結構――下手な畳の上よりも、結句是方が気楽だからね』。これには丑松も持余して了つて、しこの雪の中で知らずに寝て居たらするだらう、こう思ひやつて身を震はせた。この老朽な教育者の末路、彼の不幸なお志保の身の上――まあ、丑松は敬之進親子のことばかり思ひつゞけながら随いて行つた。 敬之進の住居といふは、どこから見ても古い粗造な農家風の草屋。もとは城側の広小路といふところに士族屋敷の一つを構へたとか、それはもうずつと旧い話で、下高井の方から帰つて来た時に、今のところへ移住んだのである。入口の壁の上に貼付けたものは、克く北信の地方に見かける御札で、烏の群れて居る光景を表してある。土壁には大根の乾葉、唐辛なぞを懸け、粗末な葦簾の雪がこひもしてあつた。丁度その日は年貢を納めると見え、入口の庭に莚を敷きつめ、堆高く盛上げた籾は土間一ぱいになつて居た。丑松は敬之進を助けながら、一緒に敷居を跨いで入つた。裏木戸のところに音作、それと見て駈寄つて、いつまでも昔忘れぬ従僕らしい挨拶。『今日は御年貢を納めるやうにツて、奥様も仰りやして――はい、弟の奴も御手伝ひに連れて参じやした』。 こういふ言葉を夢中に聞捨てゝ、敬之進は其処へ倒れて了つた。奥の方では、怒気を含んだ細君の声と一緒に、叱られて泣く子供の声も起る。『何したんだ、どういふもんだ――めた(幾度も)悪戯しちや困るぢやないかい』といふ細君の声を聞いて、音作は暫時耳を澄まして居たが、て思ひついたやうに、『まあ、それでも旦那さんの酔ひなすつたことは』と旧の主人を憐んで、助け起すやうにして、暗い障子の蔭へ押隠した。その時、口笛を吹きながら、入つて来たのは省吾である。『省吾さん』と音作は声を掛けた。『御願ひでごはすが、彼の地親さん(ぢおやの訛、地主の意)になあ、早く来て下さいツて、左様言つて来て御呉なんしよや』。 |
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(二) | |
間もなく細君も奥の方から出て来て、そこに酔倒れて居る敬之進が復た/\丑松の厄介になつたことを知つた。周囲に集る子供らは、いづれも母親の思惑を憚つて、互に顔を見合せたり、慄へたりして居た。流石に丑松の手前もあり、音作兄弟も来て居るので、細君は唯夫を尻目に掛けて、深い溜息を吐くばかりであつた。毎度敬之進が世話になること、此頃はまた省吾が結構なものを頂いたこと、ややの礼を述べながら、せか/\と立つたり座つたりして話す。丑松は細君の気の短い、忍耐力のない、愚痴なところも感じ易いところも総て外部へ露出れて居るやうな――まあ、四十女に克くある性質を看て取つた。丁度そこへ来て、座りもせず、御辞儀もせず、恍け顔に立つた小娘は、この細君の二番目の児である。『これ、お作や。御辞儀しねえかよ。其様に他様の前で立つてるもんぢやねえぞよ。して吾家の児はこう行儀が不良いだらず――』といふ細君の言葉なぞを聞入れるお作ではなかつた。見るからして荒くれた、男の児のやうな小娘。これがお志保の異母の姉妹とは、どうしても受取れない。『まあ、この児は兄姉中で一番仕様がねえ――もうすこし母さんの言ふことを聞くやうだと好いけれど』と言はれても、お作は知らん顔。何時の間にかぷいと駈出して行つて了つた。 午後の光は急に射入つて、暗い南窓の小障子も明るく、幾年張替へずにあるかと思はれる程の紙の色は赤黒く煤けて見える。『あゝ日が照つて来た、』と音作は喜んで、『先刻迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅だ』。こう言ひながら、弟と一緒に年貢の準備を始めた。薄く黄ばんだ冬の日はこの屋根の下の貧苦と零落とを照したのである。一度農家を訪れたものは、今丑松が腰掛けて居る板敷の炉辺を想像することができるであらう。そこは家族が食事をする場処でもあれば、客を款待す場処でもある。庭は又、勝手でもあり、物置でもあり、仕事場でもあるので、表から裏口へ通り抜けて、すくなくもこの草屋の三分の一を土間で占めた。彼方の棚には茶椀、皿小鉢、油燈等を置き、是方の壁には鎌を懸け、種物の袋を釣るし、片隅に漬物桶、炭俵。台所の道具は耕作の器械と一緒にして雑然置並べてあつた。高いところに鶏の塒も作りつけてあつたが、それは空巣も同然で、鳥らしいものが飼はれて居るとは見えなかつたのである。 の草屋はお志保の生れた場処でないまでも、蓮華寺へ貰はれて行く前、敬之進の言葉によれば十三の春まで、この土壁の内に育てられたといふことが、酷く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりもあるらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部に雪がこひのしてあるのとで、何となく家の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことになつて居た。定めしお志保もこの古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、その昔のことも俤に描かれて、言ふに言はれぬ可懐しさを添へるのであつた。その時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十余の男が入口のところに顕れた。『地親さんでやすよ』と省吾は呼ばゝりながら入つて来た。 |
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(三) | |
地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相な、極く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈した後、黙つて炉の火に身を温めた。こういふ性質の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由もなしに怒つたやうな顔付をして居るが、その実怒つて居るのでも何でもない。丑松はそれを承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備に多忙しい人々の光景を眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫に従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年の労働の報酬なので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升桝を投げて置いて、てまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひながら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外から入つて来たのは、この細君の三番目の児、お末と言つて、五歳になる。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々身を慄はせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。『今に母さんが好い物をくれるから泣くなよ』と細君は声を掛けた。お末は啜り上げながら、母親の側へ寄つて、『手が冷い――』。『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵へあたれ』。こう言つて、凍つた手を握〆ながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。 その時は地主も炉辺を離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅のやうに掻合せ、半ば顔を埋め、我と我身を抱き温めながら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。『でござんすなあ、籾のこしらへ具合は』と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、その返事が聞取れない位。て、白い手を出して籾を抄つて見た。一粒口の中へ入れて、掌上のをも眺めら、『空穀があるねえ』と冷酷な調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、『空穀でもないでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目はありやすよ。まあ、一俵造へて掛けて見やせう』。六つばかりの新しい俵がそこへ持出された。音作は箕の中へ籾を抄入れて、それを大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平に撫で量つた。俵の中へは音作の弟が詰めた。も弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁しがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうでなくて不可』と自分の手に持つ箕を弟の方へ投げて遣つた。『さあ、沢山入れろ――一わたりよ、二わたりよ』と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵がそこへ並んだ。『六俵で内取に願ひやせう』と音作は俵蓋を掩ひ冠せながら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤を置いて見るらしい。何時の間にか音作の弟が大きな秤を持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅になる。地主は衡平均になつたのを見澄まして、錘の糸を動かないやうに持添へながら調べた。『いくらありやす』と音作は覗き込んで、『むゝ、出放題あるは――』。『十八貫八百――これは魂消た』と弟も調子を合せる。『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です』と音作は腰を延ばして言つた。『しかし、俵にもある』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。『左様です。俵にもありやすが、それは知れたもんです』といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語のやうに、『俺がとこは十八貫あれば好いだ』。『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ』。こう言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然とした地主の顔色を窺ひ澄ましたのである。 |
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(四) | |
の光景を眺めて居た丑松は、可憐な小作人の境涯を思ひやつて――仮令音作が正直な百姓気質から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、こうして零落した主人の為に尽すとしても――なか/\細君の痩腕でこの家族が養ひきれるものではないといふことを感じた。お志保が苦しいから帰りたいと言つたところで、『第一、八人の親子がして食へよう』と敬之進も酒の上で泣いた。噫、実に左様だ。どうして斯様なところへ帰つて来られよう。丑松は想像して慄へたのである。『まあ、御茶一つお上り』と音作に言はれて、地主は寒さうに炉辺へ急いだ。音作も腰に着けた煙草入を取出して、立つて一服やりながら、『六俵の二斗五升取ですか』。『二斗五升ツてことがあるもんか』と地主は嘲つたやうに、『四斗五升よ』。『四斗……』。『四斗五升ぢやないや、四斗七升だ――左様だ』。『四斗七升?』。こういふ二人の問答を、細君は黙つて聞いて居たが、もう/\堪へきれないと言つたやうな風に、横合から話を引取つて、『音さん。四斗七升の何のと言はないで、何卒悉皆地親さんの方へ上げて了つて御呉なんしよや――私はもう些少も要りやせん』。『其様な、奥様のやうな』と音作は呆れて細君の顔を眺める。 『あゝ』と細君は嘆息した。『何程私ばかり焦心つて見たところで、肝心の家の夫が何もせずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。それを思ふと、私はもう働く気も何もなくなつて了ふ。加之に、子供は多勢で、与太(頑愚)なものばかり揃つて居て――』。『まあ、左様仰らないで、私に任せなされ――悪いやうにはねえからせえて』と音作は真心籠めて言慰めた。 細君は襦袢の袖口で ![]() その時まで、丑松は細君に話したいと思ふことがあつて、それを言ふ機会もなく躊躇して居たのであるが、こうして酒が始つて見ると、何時地主が帰つて行くか解らない。御相伴に一つ、と差される盃を辞退して、ついと炉辺を離れた。表の入口のところへ省吾を呼んで、物の蔭に佇立みながら、袂から取出したのは例の紙の袋に入れた金である。丑松はこう言つた。後刻でこの金を敬之進に渡してくれ。それから家の事情で退校させるといふ敬之進の話もあつたが、月謝や何かはこの中から出して、是非今迄通りに学校へ通はせて貰ふやうに。『いゝかい、君、解つたかい』と添加して、それを省吾の手に握らせるのであつた。『まあ、君は何といふ冷い手をしてゐるだらう』。こう言ひながら、丑松は少年の手を堅く握り締めた。熟とその邪気ない顔付を眺めた時は、あのお志保の涙に霑れた清しい眸を思出さずに居られなかつたのである。 |
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(五) | |
敬之進の家を出て帰つて行く道すがら、すくなくも丑松はお志保の為に尽したことを考へて、自分で自分を慰めた。蓮華寺の山門に近いた頃は、灰色の雲が低く垂下つて来て、復た雪になるらしい空模様であつた。蒼然とした暮色は、たゞさへ暗い丑松の心に、一層の寂しさ味気なさを添へる。僅かに天の一方にあたつて、遠く深く紅を流したやうなは、沈んで行く夕日の反射したのであらう。宵の勤行の鉦の音は一種異様な響を丑松の耳に伝へるやうになつた。それは最早世離れた精舎の声のやうにも聞えなかつた。今は梵音の難有味も消えて、唯同じ人間世界の情慾の声、といふ感想しか耳の底に残らない。丑松は彼の敬之進の物語を思ひ浮べた。住職を卑しむ心は、卑しむといふよりは怖れる心が、胸を衝いて湧上つて来る。しかしお志保はそれ程香のある花だ、それ程人を![]() 蓮華寺の内部の光景――今は丑松も明にその真相を読むことができた。成る程、左様言はれて見ると、それとない物の端にも可傷しい事実は顕れて居る。左様言はれて見ると、始めて丑松がこの寺へ引越して来た時のやうな家庭の温味は何時の間にかなくなつて了つた。二階へ通ふ廊下のところで、丑松はお志保に逢つた。蒼ざめて死んだやうな女の顔付と、悲哀の溢れた黒眸とは――たとひ黄昏時の仄かな光のなかにも――直に丑松の眼に映る。お志保もた不思議さうに丑松の顔を眺めて、丁度喪心した人のやうな男の様子を注意して見るらしい。二人は眼と眼を見交したばかりで、黙つて会釈して別れたのである。自分の部屋へ入つて見ると、最早そこいらは薄暗かつた。しかし丑松は洋燈を点けようともしなかつた。長いこと茫然として、独りで暗い部屋の内に座つて居た。 |
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(六) | |
『瀬川さん、御勉強ですか』と声を掛けて、奥様が入つて来たのは、それから二時間ばかり経つてのこと。丑松の机の上には、日々の思想を記入れる仮綴の教案簿なぞが置いてある。黄ばんだ洋燈の光は夜の空気を寂しさうに照して、思ひ沈んで居る丑松の影を古い壁の方へ投げた。煙草のけむりも薄く籠つて、の部屋の内を朦朧と見せたのである。『何卒私に手紙を一本書いて下さいませんか――済みませんが』と奥様は、用意して来た巻紙状袋を取出しながら、丑松の返事を待つて居る。その様子が何となく普通ではない、と丑松も看て取つて、『手紙を?』と問ひ返して見た。『長野の寺院に居る妹のところへ遣りたいのですがね、』と奥様は少許言い淀んで、『実は自分で書かうと思ひまして、書きかけては見たんです。も私共の手紙は、唯長くばかりなつて、肝心の思ふことが書けないものですから。寧そこりや貴方に御願ひ申して、手短く書いて頂きたいと思ひまして――どうして女の手紙といふものはこう用が達らないのでせう。まあ、私は何枚書き損つたか知れないんですよ――いえ、なに、其様に煩しい手紙でもありません。唯解るやうに書いて頂きさへすれば好いのですから』。『書きませう』と丑松は簡短に引受けた。 斯答に力を得て、奥様は手紙の意味を丑松に話した。一身上のことについて相談したい――手紙着次第、是非々々々々出掛けて来るやうに、と書いてくれと頼んだ。蟹沢から飯山迄は便船も発つ、もし舟が嫌なら、途中迄車に乗つて、それから雪橇に乗替へて来るやうに、と書いてくれと頼んだ。今度といふ今度こそは絶念めた、自分はもう離縁する考へで居る、と書いてくれと頼んだ。『他の人とは違つて、貴方ですから、私も斯様なことを御願ひするんです』と言ふ奥様の眼は涙ぐんで来たのである。『訳を御話しませんから、不思議だと思つて下さるかも知れませんが――』。『いや』と丑松は対手の言葉を遮つた。『私も薄々聞きました――実は、あの風間さんから』。『ホウ、左様ですか。敬之進さんから御聞きでしたか』と言つて、奥様は考深い目付をした。『も、左様委敷い事は私も知らないんですけれど』。『あんまり馬鹿々々しいことで、貴方なぞに御話するのも面目ない』と奥様は深い溜息を吐きながら言つた。『噫、吾寺の和尚さんも彼年齢になつて、だ今度のやうなことがあるといふは、全く病気なんですよ。病気ででもなくて、奈何して其様な心地になるもんですか。まあ、瀬川さん、左様ぢやありませんか。和尚さんもね、彼の病気さへなければ、実に気分の優しい、好い人物なんです――申分のない人物なんです――いえ、私は今だつても和尚さんを信じて居るんですよ』。 |
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(七) | |
『して私はこう物に感じ易いんでせう』と奥様は啜り上げた。『今度のやうなことがあると、もう私は何も手に着きません。一体、和尚さんの病気といふのは、今更始つたことでもないんです。先住は早く亡くなりまして、和尚さんがその後へ直つたのは、だ漸く十七の年だつたといふことでした。丁度私がこの寺へ嫁いて来た翌々年、和尚さんは西京へ修業に行くことになりましてね――まあ、若い時には能く物ができると言はれて、諸国から本山へ集る若手の中でも五本の指に数へられたさうですよ――それで私は、その頃まだ生きて居た先住の匹偶と、今寺内に居る坊さんの父親さんと、こう三人でお寺を預つて、五年ばかり留守居をしたことがありました。考へて見ると、和尚さんの病気はもうその頃から起つて居たんですね。相手の女といふは、西京の魚の棚、油の小路といふところにある宿屋の総領娘、といふことが知れたもんですから、さあ、寺内の先の坊さんも心配して、早速西京へ出掛けて行きました。その時、私は先住の匹偶にも心配させないやうに、檀家の人達の耳へも入れないやうにツて、に独りで気を揉みましたか知れません。漸のこと、お金を遣つて、女の方の手を切らせました。そこで和尚さんも真実に懲りなければならないところです。ところが持つて生れた病は仕方のないもので、それから三年経つて、今度は東京にある真宗の学校へ勤めることになると、復た病気が起りました』。 手紙を書いて貰ひに来た奥様は、用をそつちのけにして、種々並べたり訴へたりし始めた。淡泊したやうでもそこは女の持前で、聞いて貰はずには居られなかつたのである。『尤も、』と奥様は言葉を続けた。『その時は、和尚さんを独りで遣つては不可といふので――まあ学校の方から月給は取れるし、留守中のことは寺内の坊さんが引受けて居てくれるし、それに先住の匹偶も東京を見たいと言ふもんですから、私も一緒に随いて行つて、三人して高輪のお寺を仕切つて借りました。そこから学校へは何程もないんです。克く和尚さんは二本榎の道路を通ひました。丁度その二本榎に、若い未亡人の家があつて、この人は真宗に熱心な、教育のある女でしたから、和尚さんも法話を頼まれて行き/\しましたよ。忘れもしません、その女といふは背のすらりとした、白い優しい手をした人で、御墓参りに行くところを私も見掛けたことがあります。ある時、その未亡人の噂が出ると、和尚さんは鼻の先で笑つて、「むゝ、彼女か――彼様なひねくれた女は仕方がない」と酷く譏すぢやありませんか。でせう、瀬川さん、その時は最早和尚さんが関係して居たんです。何時の間にか女は和尚さんの種を宿しました。さあ、和尚さんも蒼くなつて了つて、「実は済まないことをした」と私の前に手を突いて、謝罪つたのです。根が正直な、好い性質の人ですから、悪かつたと思ふと直に後悔する。まあ、傍で見て居ても気の毒な位。「頼む」と言はれて見ると、私も放擲つてはおかれませんから、手紙で寺内の坊さんを呼寄せました。その時、私の思ふには、「あゝは私に子がないからだ。もし子供でもあつたら一層和尚さんも真面目な気分に御成なさるだらう。寧そその女の児を引取つて自分の子にして育てようかしら」とこう考へたり、ある時は又、「みす/\私が傍に附いて居ながら、其様な女に子供迄できたと言はれては、第一私が世間へ恥かしい。いかに言つても情ないことだ。今度こそは別れよう」と考へたりしたんです。そこがそれ、女といふものは気の弱いもので、優しい言葉の一つも掛けられると、今迄の事は最早悉皆忘れて了ふ。「あゝ、御気の毒だ――私が居なかつたら、奈何に不自由を成さるだらう」とまあ私も思ひ直したのですよ。間もなく女は和尚さんの子を産落しました。月不足で、加之に乳がなかつたものですから、満二月とはその児も生きて居なかつたさうです。和尚さんが学校を退くことになつて、飯山へ帰る迄の私の心配は何程だつたでせう――丁度、今から十年前のことでした。それからといふものは、和尚さんも本気になりましたよ。月に三度の説教は欠かさず、檀家の命日には必ず御経を上げに行く、近在廻りは泊り掛で出掛ける――さあ、檀家の人達も悉皆信用して、四年目の秋には本堂の屋根の修繕も立派にでき上りました。彼様いふ調子で、ずつと今迄進んで来たら、奈何にか好からうと思ふんですけれど、少許羽振が良くなると直に物に飽きるから困る。倦怠が来ると、復た病気が起る。そりやあもう和尚さんの癖なんですからね。あゝ、男といふものは恐しいもので、彼程平常物の解つた和尚さんでりながら、病気となると何の判別も着かなくなる。まあ瀬川さん、考へて見て下さい。和尚さんも最早五十一ですよ。五十一にもなつて、だ其様な気で居るかと思ふと、実に情ないぢやありませんか。成る程――今日飯山あたりの御寺様で、女狂ひをないやうなものはありやしません。ですけれど、茶屋女を相手にるとか、妾狂ひをするとか言へば、またそこにもある。あのお志保に想を懸けるなんて――私は呆れて物も言へない。考へて見ても、其様な量見を起す和尚さんではない筈です。必定、どうかしたんです。まあ、気でも狂つて居るに相違ないんです。お志保は又、何もかも私に打開けて話しましてね、「母親さん、心配しないで居て下さいよ、な事があつても私が承知しませんから」と言ふもんですから――いえ、彼娘はあれでなか/\毅然とした気象の女ですからね――それを私も頼みに思ひまして、「お志保、確乎して居ておくれよ、阿爺さんだつても物の解らない人ではなし、お前と私の心地が屈いたら、必定思ひ直して下さるだらう、阿爺さんが正気に復るも復らないも二人の誠意一つにあるのだからね」。こう言つて、二人でさん/″\哭きました。なんの、私が和尚さんを悪く思ふもんですか。何卒して和尚さんの眼が覚めるやうに――そればつかりで、私は斯様な離縁なぞを思ひ立つたんですもの』。 |
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(八) | |
誠意籠る奥様の述懐を聞取つて、丑松は望みの通りに手紙の文句を認めてやつた。幾度か奥様は口の中で仏の名を唱へら、これから将来のことを思ひ煩ふといふ様子に見えるのであつた。『おやすみ』といふ言葉を残して置いて奥様が出て行つた後、丑松は机の側に倒れて考へて居たが、何時の間にかぐつすり寝込んで了つた。寝ても、寝ても、寝足りないといふ風で、こうして横になれば直に死んだ人のやうになるのがこの頃の丑松の癖である。のみならず、深いところへ陥落るやうな睡眠で、目が覚めた後は毎時頭が重かつた。その晩も矢張同じやうに、同じやうな仮寝から覚めて、暫時茫然として居たが、て我に帰つた頃は、もう遅かつた。雪は屋外に降り積ると見え、時々窓の戸にあたつて、はた/\と物の崩れ落ちる音より外には、寂として声一つしない、それは沈静とした、気の遠くなるやうな夜――無論人の起きて居る時刻ではなかつた。階下では皆な寝たらしい。、何かこう忍び音に泣くやうな若い人の声が細々と耳に入る。どうも何処から聞えるのか、それは能く解らなかつたが、まあ楼梯の下あたり、暗い廊下の辺ででもあるか、誰かしら声を呑む様子。尚能く聞くと、北の廊下の雨戸でも明けて、屋外を眺めて居るものらしい。あゝ――お志保だ――お志保の嗚咽だ――こう思ひ附くと同時に、言ふに言はれぬ恐怖と哀憐とが身を襲ふやうに感ぜられる。尤も、丑松は半分夢中で聞いて居たので、つと立上つて部屋の内を歩き初めた時は、もうその声が聞えなかつた。不思議に思ひながら、浮足になつて耳を澄ましたり、壁に耳を寄せて聞いたりした。終には、自分で自分を疑つて、あるひは聞いたと思つたのが夢ででもあつたか、とその音の実か虚かすらも判断が着かなくなる。暫時丑松は腕組をして、油の尽きて来た洋燈の火を熟視りながら、茫然とそこに立つて居た。夜は更ける、心は疲れる、やがて押入から寝道具を取出した時は、自分で自分の為ることを知らなかつた位。急に烈しく睡気が襲して来たので、丑松は半分眠りながら寝衣を着更へて、直に復た感覚のないところへ落ちて行つた。 | |
第拾八章 (一) | |
毎年降る大雪が到頭やつて来た。町々の人家も往来もすべて白く埋没れて了つた。昨夜一晩のうちに四尺余も降積るといふ勢で、急に飯山は北国の冬らしい光景と変つたのである。 こうなると、最早雪の捨てどころがないので、往来の真中へ高く積上げて、雪の山を作る。両側は見事に削り落したり、叩き付けたりして、すこし離れて眺めると、丁度長い白壁のやう。上へ/\と積上げては踏み付け、踏み付けては又た積上げるやうに為るので、軒丈ばかりの高さになつて、対ひあふ家と家とは屋根と廂としか見えなくなる。雪の中から掘出された町――譬へば飯山の光景はそれであつた。 高柳利三郎と町会議員の一人が本町の往来で出逢つた時は、盛んに斯雪を片づける最中で、雪掻を手にした男女が其処此処に群り集つて居た。『どうも大降りがいたしました』といふ極りの挨拶を交換した後、て別れて行かうとする高柳を呼留めて、町会議員はこう言出した。『時に、御聞きでしたか、彼の瀬川といふ教員のことを』。『いゝえ』と高柳は力を入れて言つた。『私は何も聞きません』。『彼の教員は君、調里(穢多の異名)だつて言ふぢやありませんか』。『調里?』と高柳は驚いたやうに。『呆れたねえ、には』と町会議員も顔を皺めて、『も、種々な人の口から伝り伝つた話で、誰が言出したんだか能く解らない。しかし保証するとまで言ふ人があるから確実だ』。『誰ですか、その保証人といふのは――』。『まあ、それは言はずにおかう。名前を出してくれては困ると先方の人も言ふんだから』。こう言つて、町会議員は今更のやうに他の秘密を泄したといふ顔付。『君だから、話す――秘密にしておいてくれなければ困る』と呉々も念を押した。高柳はまた口唇を引歪めて、意味ありげな冷笑を浮べるのであつた。 急いで別れて行く高柳を見送つて、反対な方角へ一町ばかりも歩いて行つた頃、の噂好きな町会議員は一人の青年に遭遇つた。秘密に、と思へば思ふ程、猶々それを私語かずには居られなかつたのである。『彼の瀬川といふ教員は、君、だつて言ひますぜ』と指を四本出して見せる。尤もその意味が対手には通じなかつた。『是だつて言つたら、君も解りさうなものぢやないか』と町会議員は手を振りながら笑つた。『どうも解りませんね』と青年は訝しさうな顔付。『解の悪い人だ――それ、調里のことを四足と言ふぢやないか。はゝゝゝゝ。しかし是は秘密だ。誰にも君、斯様なことは話さずにおいてくれ給へ』。念を押しておいて、町会議員は別れて行つた。 丁度、そこへ通りかゝつたのは、学校へ出勤しようとする準教員であつた。それと見た青年は駈寄つて、大雪の挨拶。何時の間にか二人は丑松の噂を始めたのである。『はまあ極く/\秘密なんだが――君だから話すが――』と青年は声を低くして、『君の学校に居る瀬川先生は調里ださうだねえ』。『それさ――僕もある処でその話を聞いたがね、まだ半信半疑で居る』と準教員は対手の顔を眺めながら言つた。『して見ると、いよ/\事実かなあ』。『僕は今、ある人に逢つた。その人が指を四本出して見せて、彼の教員はこれだと言ふぢやないか。はてな、とは思つたが、その意味が能く解らない。聞いて見ると、四足といふ意味なんださうだ』。『四足? 穢多のことを四足と言ふかねえ』。『言はあね。四足と言つて解らなければ、「よつあし」と言つたら解るだらう』。『むゝ――「よつあし」か』。『しかし、驚いたねえ。狡猾な人間もあればあるものだ。能く今日まで隠蔽して居たものさ。其様な穢しいものを君らの学校で教員にしておくなんて――第一怪しからんぢやないか』。『叱』と周章てゝ制するやうにして、急に準教員は振返つて見た。その時、丑松は矢張学校へ出勤するところと見え、深く外套に身を包んで、向ふの雪の中を夢見る人のやうに通る。何かこう物を考へ/\歩いて行くといふことは、その沈み勝ちな様子を見ても知れた。暫時丑松も佇立つて、熟と是方の二人を眺めて、やがて足早に学校を指して急いで行つた。 |
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(二) | |
雪に妨げられて、学校へ集る生徒は些少かつた。何時まで経つても授業を始めることができないので、職員のあるものは新聞縦覧所へ、あるものは小使部屋へ、あるものは又た唱歌の教室に在る風琴の周囲へ――いづれも天の与へた休暇としてこの雪の日を祝ふかのやうに、思ひ/\の圜に集つて話した。 職員室の片隅にも、四五人の教員が大火鉢を囲繞いた。例の準教員がその中へ割込んで入つた時は、誰が言出すともなく丑松の噂を始めたのであつた。時々盛んな笑声が起るので、何事かと来て見るものがある。終には銀之助も、文平も来て、この談話の仲間に入つた。『です、土屋君』と準教員は銀之助の方を見て、『吾儕は今、瀬川君のことについて二派に別れたところです。君は瀬川君と同窓の友だ。さあ、君の意見を一つ聞かせてくれ給へ』。『二派とは?』と銀之助は熱心に。『外でもないんですがね、瀬川君は――まあ、近頃世間で噂のあるやうな素性の人に相違ないといふ説と、いや其様な馬鹿なことがあるものかといふ説と、こう二つに議論が別れたところさ』。『一寸待つてくれ給へ』と薄鬚のある尋常四年の教師が冷静な調子で言つた。『二派と言ふのは、君、少許穏当でないだらう。だ、左様だとも、左様ではないとも、断言しない連中があるのだから』。『僕は確に其様なことはないと断言しておく』と体操の教師が力を入れた。『まあ、土屋君、こういふ訳です』と準教員は火鉢の周囲に集る人々の顔を眺め廻して、『何故其様な説が出たかといふに、そこには種々議論もあつたがね、要するに瀬川君の態度が頗る怪しい、といふのがそも/\始りさ。吾儕の中に新平民が居るなんて言触らされて見給へ。誰だつて憤慨するのは至当ぢやないか。君始め左様だらう。一体、世間で其様なことを言触らすといふのが既にもう吾儕職員を侮辱してるんだ。だからさ、もし瀬川君に疚しいところがないものなら、吾儕と一緒になつて怒りさうなものぢやないか。まあ、何とか言ふべきだ。それも言はないで、彼様して黙つて居るところを見ると、しても隠して居るとしか思はれない。こう言出したものがある。すると、また一人が言ふには――』と言ひかけて、て思いついたやうに、『しかし、まあ、止さう』。『何だ、言ひかけて止すやつがあるもんか』と背の高い尋常一年の教師が横鎗を入れる。『やるべし、やるべし』と冷笑の語気を帯びて言つたのは、文平であつた。文平は準教員の背後に立つて、巻煙草を燻しながら聞いて居たのである。 『しかし、戯語ぢやないよ』と言ふ銀之助の眼は輝いて来た。『僕なぞは師範校時代から交際つて、能く人物を知つて居る。彼の瀬川君が新平民だなんて、其様なことがあつて堪るものか。一体誰が言出したんだか知らないが、し世間に其様な風評が立つやうなら、飽迄も僕は弁護して遣らなけりやならん。だつて、君、考へて見給へ。こりや真面目な問題だよ――茶を飲むやうな尋常な事とは些少訳が違ふよ』。『無論さ』と準教員は答へた。『だから吾儕も頭を痛めて居るのさ。まあ、聞き給へ。ある人は又たこういふことを言出した。瀬川君に穢多の話を持掛けると、必ず話頭を他へ転して了ふ。いや、転して了ふばかりぢやない、直に顔色を変へるから不思議だ――その顔色と言つたら、迷惑なやうな、周章てたやうな、まあ何ともかとも言ひやうがない。それそこが可笑しいぢやないか。吾儕と一緒になつて、「むゝ、調里坊かあ」とかなんとか言ふやうだと、誰も何とも思やしないんだけれど』。『そんなら、君、あの瀬川丑松といふ男に何処か穢多らしい特色があるかい。先づ、それからして聞かう』と銀之助は肩を動つた。『なにしろ近頃非常に沈んで居られるのは事実だ』と尋常四年の教師は、腮の薄鬚を掻上げながら言ふ。『沈んで居る?』と銀之助は聞咎めて、『沈んで居るのは彼男の性質さ。それだから新平民だとは無論言はれない。新平民でなくたつて、沈欝な男はいくらも世間にあるからね。』。『穢多には一種特別な臭気があると言ふぢやないか――嗅いで見たら解るだらう』と尋常一年の教師は混返すやうにして笑つた。『馬鹿なことを言給へ』と銀之助も笑つて、『僕だつていくらも新平民を見た。あの皮膚の色からして、普通の人間とは違つて居らあね。そりやあ、もう、新平民か新平民でないかは容貌で解る。それに君、社会から度外にされて居るもんだから、性質が非常に僻んで居るサ。まあ、新平民の中から男らしい毅然した青年なぞの産れやうがない。どうして彼様な手合が学問といふ方面に頭を擡げられるものか。それから推したつて、瀬川君のことは解りさうなものぢやないか』。『土屋君、そんなら彼の猪子蓮太郎といふ先生はしたものだ』と文平は嘲るやうに言つた。『ナニ、猪子蓮太郎?』と銀之助は言淀んで、『彼の先生は――彼は例外さ』。『それ見給へ。そんなら瀬川君だつても例外だらう――はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ』と準教員は手を拍つて笑つた。聞いて居る教員も一緒になつて笑はずには居られなかつたのである。 その時、この職員室の戸を開けて入つて来たのは、丑松であつた。急に一同口を噤んで了つた。人々の視線は皆な丑松の方へ注ぎ集つた。『瀬川君、ですか、御病気は――』と文平は意味ありげに尋ねる。その調子がいかにも皮肉に聞えたので、準教員は傍に居る尋常一年の教師と顔を見合せて、思はず互に微笑を泄した。『難有う。』と丑松は何気なく、『もうすつかり快くなりました』。『風邪ですか』と尋常四年の教師が沈着き澄まして言つた。『はあ――ナニ、差したことでもなかつたんです』と答へて、丑松は気を変へて、『時に、勝野君、生憎今日は生徒が集まらなくて困つた。の様子では土屋君の送別会もできさうもない。折角準備したのにツて、出て来た生徒は張合のないやうな顔してる』。『なにしろこの雪だからねえ』と文平は微笑んで、『仕方がない、延ばすサ』。 こういふ話をして居るところへ、小使がやつて来た。銀之助は丑松の方にばかり気を取られて、小使の言ふことも耳へ入らない。それと見た体操の教師は軽く銀之助の肩を叩いて、『土屋君、土屋君――校長先生が君を呼んでるよ』。『僕を?』。銀之助は始めて気がついたのである。 |
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(三) | |
校長は郡視学と二人で応接室に居た。銀之助が戸を開けて入つた時は、二人差向ひに椅子に腰懸けて、何か密議を凝して居るところであつた。『おゝ、土屋君か』と校長は身を起して、そこに在る椅子を銀之助の方へ押薦めた。『他の事で君を呼んだのではないが、実は近頃世間に妙な風評が立つて――定めしそれはもう君も御承知のことだらうけれど――彼様して町の人がや言ふものを、黙つて見ても居られないし、第一こういふことが余り世間へ伝播ると、終にはな結果を来すかも知れない。それについて、茲に居られる郡視学さんも非常に御心配なすつて、態々の雪に尋ねて来て下すつたんです。に、君は瀬川君と師範校時代から御一緒ではあり、日頃親しく往来もして居られるやうだから、君に聞いたら是事は一番好く解るだらう、こう思ひましてね』。『いえ、私だつて其様なことは解りません』と銀之助は笑ひながら答へた。『何とでも言はせておいたら好いでせう。其様な世間で言ふやうなことを、一々気にして居たら際限がありますまい』。『しかし、左様いふものではないよ』と校長は一寸郡視学の方を向いて見て、て銀之助の顔を眺めながら、『君らはまだ若いから、それ程世間といふものに重きを置かないんだ。幼稚なやうに見えて、馬鹿にならないのは、世間さ』。『そんなら町の人が噂するからと言つて、根も葉もないやうなことを取上げるんですか』。『それ、それだから、君らは困る。無論我輩だつて其様なことを信じないさ。しかし、君、考へて見給へ。万更火の気のないところに煙の揚る筈もなからうぢやないか。いづれこれには何か疑はれるやうな理由があつたんでせう――土屋君、まあ、君は思ひます』。『どうしても私には左様思はれません』。『左様言へば、それ迄だが、何かそれでも思ひ当る事がありさうなものだねえ』と言つて校長は一段声を低くして、『一体瀬川君は近頃非常に考へ込んで居られるやうだが、何が原因で彼様憂欝になつたんでせう。以前は克く吾輩の家へもやつて来てくれたツけが、この節はもう薩張寄りつかない。まあ吾儕と一緒になつて、談したり笑つたりするやうだと、御互ひに事情も能く解るんだけれど、彼様して独りで考へてばかり居られるもんだから――ホラ、訳を知らないものから見ると、何かそこには後暗い事でもあるやうに、つい疑はなくても可い事まで疑ふやうになるんだらうと思ふのサ』。『いえ』と銀之助は校長の言葉を遮つて、『実は――それには他に深い原因があるんです』。『他に?』。『瀬川君は彼様いふ性質ですから、なか/\口へ出しては言ひませんがね』。『ホウ、言はない事がどうして君に知れる?』。『だつて、言葉で知れなくたつて、行為の方で知れます。私は長く交際つて見て、瀬川君が種々に変つて来た径路を多少知つて居ますから、して彼様考へ込んで居るか、どうして彼様憂欝になつて居るか、それはもう彼の君のることを見ると、自然と私の胸には感じることがあるんです』。 こういふ銀之助の言葉は深く対手の注意を惹いた。校長と郡視学の二人は巻煙草を燻しながら、銀之助が言出すかと、黙つてその話を待つて居たのである。銀之助に言はせると、丑松が憂欝に沈んで居るのは世間で噂するやうなことゝ全く関係のない――実は、青年の時代には誰しもあり勝ちな、その胸の苦痛に烈しく悩まされて居るからで。意中の人が敬之進の娘といふことは、正に見当がついて居る。しかし、丑松は彼様いふ気象の男であるから、それを友達に話さないのみか、相手の女にすらも話さないらしい。それそこが性分で、熟と黙つて堪へて居て、唯敬之進とか省吾とか女の親兄弟に当る人々の為に種々なことをて遣つて居る――まあ、言はないものは、せめて尽して、それで心を慰めるのであらう。思へば人の知らない悲哀を胸に湛へて居るのに相違ない。も、自分は偶然なことからして、こういふ丑松の秘密を感得いた。しかもそれはつい近頃のことであると言出した。『といふ訳で、』と銀之助は額へ手を当てゝ、『そこへ気がついてから、瀬川君のすることは悉皆読めるやうになりました。どうも可笑しい/\と思つて見て居ましたツけ――そりやあもう、辻褄の合はないやうなことが沢山あつたものですから』。『成る程ねえ。あるひは左様いふことがあるかも知れない』と言つて、校長は郡視学と顔を見合せた。 |
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(四) | |
て銀之助は応接室を出て、復たもとの職員室へ来て見ると、丑松と文平の二人が他の教員に取囲かれながら頻に大火鉢の側で言争つて居る。黙つて聞いて居る人々も、見れば、同じやうに身を入れて、あるものは立つて腕組したり、あるものは机に倚凭つて頬杖を突いたり、あるものは又たぐる/\室内を歩き廻つたりして、いづれも熱心に聞耳を立てゝ居る様子。のみならず、丑松の様子を窺ひ澄まして、穿鑿を入れるやうな眼付したものもあれば、半信半疑らしい顔付の手合もある。銀之助は談話の調子を聞いて、二人が一方ならず激昂して居ることを知つた。『何を君らは議論してるんだ』と銀之助は笑ひながら尋ねた。その時、人々の背後に腰掛け、手帳を繰り繙げ、丑松や文平の肖顔を写生し始めたのは準教員であつた。『今ね、』と準教員は銀之助の方を振向いて見ながら、『猪子先生のことで、大分やかましくなつて来たところさ』と言つて、一寸鉛筆の尖端を舐めて、復た微笑みながら写生に取懸つた。 『なにも其様にやかましいことぢやないよ』。こう文平は聞咎めたのである。『して瀬川君は彼の先生の書いたものを研究する気になつたのか、それを僕は聞いて見たばかりだ』。『しかし、勝野君の言ふことは僕に能く解らない』。丑松の眼は燃え輝いて居るのであつた。『だつて君、いづれ何か原因があるだらうぢやないか』と文平は飽く迄も皮肉に出る。『原因とは?』。丑松は肩を動りながら言つた。『ぢやあ、こう言つたら好からう』と文平は真面目になつて、『譬へば――まあ僕は例を引くから聞き給へ。こゝに一人の男があるとしたまへ。その男が発狂して居るとしたまへ。普通のものが其様な発狂者を見たつて、それほど深い同情は起らないね。起らない筈さ、別に是方に心を傷めることがないのだもの』。『むゝ、面白い』と銀之助は文平と丑松の顔を見比べた。『ところが、しこゝに酷く苦んだり考へたりして居る人があつて、その人が今の発狂者を見たとしたまへ。さあ、思ひつめた可傷しい光景も目に着くし、絶望の為に痩せた体格も目に着くし、日影に悄然として死といふことを考へて居るやうな顔付も目に着く。といふは外でもない。発狂者を思ひやる丈の苦痛が矢張是方にあるからだ。其処だ。瀬川君が人生問題なぞを考へて、猪子先生の苦んで居る光景に目が着くといふのは、何か瀬川君の方にも深く心を傷めることがあるからぢやなからうか』。『無論だ』と銀之助は引取つて言つた。『それがなければ、第一読んで見たつて解りやしない。それだあね、僕が以前から瀬川君に言つてるのは。尤も瀬川君がそれを言へないのは、僕は百も承知だがね』。 『何故、言へないんだらう』と文平は意味ありげに尋ねて見る。『そこが持つて生れた性分サ』と銀之助は何か思出したやうに、『瀬川君といふ人は昔からこうだ。僕なぞはもうずん/\暴露して、蔵つて置くといふことはできないがなあ。瀬川君の言はないのは、何も隠す積りで言はないのぢやない、性分で言へないのだ。はゝゝゝゝ、御気の毒な訳さねえ――苦むやうに生れて来たんだから仕方がない』。こう言つたので、聞いて居る人々は意味もなく笑出した。暫時準教員も写生の筆を休めて眺めた。尋常一年の教師は又、丑松の背後へ廻つて、眼を細くして、密と臭気を嗅いで見るやうな真似をした。『実は――』と文平は巻煙草の灰を落しながら、『ある処から猪子先生の書いたものを借りて来て、僕も読んで見た。一体、彼の先生はいふ種類の人だらう』。『どういふ種類とは?』と銀之助は戯れるやうに。『哲学者でもなし、教育家でもなし、宗教家でもなし――左様かと言つて、普通の文学者とも思はれない』。『先生は新しい思想家さ』。銀之助の答はこうであつた。『思想家?』と文平は嘲つたやうに、『ふゝ、僕に言はせると、空想家だ、夢想家だ――まあ、一種の狂人だ』。 その調子がいかにも可笑しかつた。盛んな笑声が復た聞いて居る教師の間に起つた。銀之助も一緒になつて笑つた。その時、憤慨の情は丑松が全身の血潮に交つて、一時に頭脳の方へ衝きかゝるかのやう。蒼ざめて居た頬は遽然熱して来て、 ![]() |
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(五) | |
『むゝ、勝野君は巧いことを言つた』とこう丑松は言出した。『彼の猪子先生なぞは、全く君の言ふ通り、一種の狂人さ。だつて、君、左様ぢやないか――世間体の好いやうな、自分で自分に諂諛ふやうなことばかり並べて、それを自伝と言つて他に吹聴するといふ今の世の中に、狂人ででもなくて誰が冷汗の出るやうな懴悔なぞを書かう。彼の先生の手から職業を奪取つたのも、彼様いふ病気になる程の苦痛を嘗めさせたのも、畢竟の社会だ。その社会の為に涙を流して、満腔の熱情を注いだ著述をしたり、演説をしたりして、筆は折れ舌は爛れる迄も思ひ焦れて居るなんて――斯様な大白痴が世の中にあらうか。はゝゝゝゝ。先生の生涯は実に懴悔の生涯さ。空想家と言はれたり、夢想家と言はれたりして、甘んじてその冷笑を受けて居る程の懴悔の生涯さ。「な苦しい悲しいことがあらうと、それを女々しく訴へるやうなものは大丈夫と言はれない。世間の人の睨む通りに睨ませておいて、黙つて狼のやうに男らしく死ね」――それが先生の主義なんだ。見給へ、まあその主義からして、もう狂人染みてるぢやないか。はゝゝゝゝ』。『君は左様激するから不可』と銀之助は丑松を慰撫るやうに言つた。『否、僕は決して激しては居ない』。こう丑松は答へた。『しかし』と文平は冷笑つて、『猪子蓮太郎だなんて言つたつて、高が穢多ぢやないか』。『それが、君、どうした』と丑松は突込んだ。『彼様な下等人種の中から碌なものゝ出よう筈がないさ』。『下等人種?』。『卑劣しい根性を持つて、可厭に癖んだやうなことばかり言ふものが、下等人種でなくて君、何だらう。下手に社会へ突出らうなんて、其様な思想を起すのは、第一大間違さ。獣皮いぢりでもして、神妙に引込んでるのが、丁度彼の先生なぞには適当して居るんだ』。 『はゝゝゝゝ。して見ると、勝野君なぞは開化した高尚な人間で、猪子先生の方は野蛮な下等な人種だと言ふのだね。はゝゝゝゝ。僕は今迄、君も彼の先生も、同じ人間だとばかり思つて居た』。『止せ。止せ』と銀之助は叱るやうにして、『其様な議論を為たつて、つまらんぢやないか』。『いや、つまらなかない』と丑松は聞入れなかつた。『僕は君、でも真面目なんだよ。まあ、聞き給へ――勝野君は今、猪子先生のことを野蛮だ下等だと言はれたが、実際御説の通りだ。こりや僕の方が勘違ひをして居た。左様だ、彼の先生も御説の通りに獣皮いぢりでもして、神妙にして引込んで居れば好いのだ。それさへして黙つて居れば、彼様な病気なぞに罹りはしなかつたのだ。その身体のことも忘れて了つて、一日も休まずに社会と戦つて居るなんて――何といふ狂人の態だらう。噫、開化した高尚な人は、予め金牌を胸に掛ける積りで、教育事業なぞに従事して居る。野蛮な、下等な人種の悲しさ、猪子先生なぞは其様な成功を夢にも見られない。はじめからもう野末の露と消える覚悟だ。死を決して人生の戦場に上つて居るのだ。その慨然とした心意気は――はゝゝゝゝ、悲しいぢやないか、勇しいぢやないか』と丑松は上歯を顕して、大きく口を開いて、身を慄はせながら欷咽くやうに笑つた。欝勃とした精神は体躯の外部へ満ち溢れて、額は光り、頬の肉も震へ、憤怒と苦痛とで紅くなつた時は、その粗野な沈欝な容貌が平素よりも一層男性らしく見える。銀之助は不思議さうに友達の顔を眺めて、久し振で若く剛く活々とした丑松の内部の生命に触れるやうな心地がした。 対手が黙つて了つたので、丑松もそれぎり斯様な話をしなかつた。文平はまた何時までも心の激昂を制へきれないといふ様子。頭ごなしに罵らうとして、反つて丑松の為に言敗られた気味があるので、軽蔑と憎悪とは猶更容貌の上に表れる。『何だ――この穢多めが』とはその怒気を帯びた眼が言つた。やがて文平は尋常一年の教師を窓の方へ連れて行つて、『だい、君、今の談話は――瀬川君は最早悉皆自分で自分の秘密を自白したぢやないか』。こう私語いて聞かせたのである。丁度準教員は鉛筆写生を終つた。人々はいづれもその周囲へ集つた。 |
(私論.私見)