その5、破戒第九章、第十章

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「破戒第四章、第五章、第六章」を確認する。

 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


関連サイト 原書研究 衝撃の誤訳指摘
【サイトアップ協力者求む】 文意の歪曲改竄考

【破戒第九章】
 第九章(一)
 一軒、根津の塚窪つかくぼといふところに、だ会葬の礼にれた家があつて、丁度ついでだからと、丑松は途中で蓮太郎と別れた。蓮太郎は旅舎やどやへ。直に後から行く約束して、丑松は畠中の裏道を辿たどつた。塚窪の坂の下まで行くと、とある農家の前に一人の飴屋あめや、面白可笑をかしく唐人笛たうじんぶえを吹立てゝ、幼稚をさない客を呼集めて居る。御得意と見えて、声を揚げて飛んで来る男女をとこをんなの少年もあつた――彼処あすこからも、是処こゝからも。あゝ、少年の空想を誘ふやうな飴屋の笛の調子は、どんなに頑是ぐわんぜないものゝ耳を楽ませるであらう。いや、買ひに集る子供ばかりではない、丑松ですら思はず立止つて聞いた。妙な癖で、その笛を聞く度に、丑松は自分の少年時代を思出さずに居られないのである。

 何を隠さう。丑松が今指して行く塚窪の家には、
幼馴染をさななじみかたづいて居る。お妻といふのがその女の名である。お妻の生家さとは姫子沢に在つて、林檎畠一つへだてゝ、丑松の家の隣に住んだ。丑松がお妻と遊んだのは、九歳こゝのつになる頃で、まだ瀬川の一家族が移住して来て間もない当時のことであつた。元々お妻の父といふは、上田の在から養子に来た男、根が苦労人ではあり、他所者よそものでもあり、するところからして、自然おのづと瀬川の家にも後見うしろみとなつてくれた。それに、丑松を贔顧ひいきにして、伊勢詣いせまうでに出掛けた帰途かへりみちなぞには、必ず何か買つて来てくれるといふ風であつた。こういふ隣同志の家の子供が、互ひに遊友達となつたは不思議でも何でもない。のみならず、二人は丁度同い年であつたのである。

 楽しい
追憶おもひでの情は、唐人笛の音を聞くと同時に、丑松の胸の中に湧上わきあがつて来た。朦朧おぼろげながら丑松は幼いお妻のおもかげを忘れずに居る。はじめて自分の眼に映つた少女をとめの愛らしさを忘れずに居る。あの林檎畠が花ざかりの頃は、その枝の低く垂下つたところを彷徨さまよつて、互ひに無邪気な初恋の私語さゝやきを取交したことを忘れずに居る。僅かに九歳こゝのつの昔、まだ夢のやうなお伽話とぎばなしの時代――他のことは多く記憶にも残らない程であるが、彼の無垢むく情緒こゝろもちばかりは忘れずに居る。もつとも、幼い二人の交際まじはりは長く続かなかつた。ふと丑松はお妻の兄と親しくするやうになつて、それぎり最早もうお妻とは遊ばなかつた。

 お妻が
の塚窪へかたづいて来たは、十六の春のこと。夫といふのも丑松が小学校時代の友達で、年齢としは三人同じであつた。田舎ゐなか習慣ならはしとは言ひながら、ことに彼の夫婦は早く結婚した。まだ丑松が師範校の窓の下で歴史や語学の研究に余念もない頃に、もう彼の若い夫婦は幼いものにまとひつかれ、朝に晩に『父さん、母さん』と呼ばれて居たのであつた。

 
ういふ過去の歴史を繰返したり、胸を踊らせたりして、丑松は坂を上つて行つた。山の方からあふれて来る根津川の支流は、清く、浅く、家々の前をはしり流れて居る。路傍みちばたの栗のこずゑなぞ、早や、枯れ/″\。柿も一葉を留めない程。水草ばかりは未だ青々として、根を浸すありさまも心地よく見られる。冬籠ふゆごもりの用意に多忙いそがしい頃で、人々はいづれも流のところに集つて居た。余念もなく蕪菜かぶなを洗ふ女の群の中に、手拭に日をけ、白い手をあらはし、甲斐々々かひ/″\しく働く襷掛たすきがけの一人――声を掛けて見ると、それがお妻で、丑松はこの幼馴染の様子の変つたのに驚いてしまつた。お妻もまた驚いたやうであつた。

 その日はお妻の夫も
しうとも留守で、家に居るのは唯しうとめばかり。五人も子供があると聞いたが、年嵩としかさなのが見えないは、大方遊びにでも行つたものであらう。五歳いつゝばかりをかしらに、三人の女の児は母親に倚添よりそつて、恥かしがつてろく御辞儀おじぎもしなかつた。珍しさうに客の顔を眺めるもあり、母親の蔭に隠れるもあり、やうやく歩むばかりの末の児は、見慣みなれぬ丑松を怖れたものか、やがてしく/\やり出すのであつた。この光景ありさまに、姑も笑へば、お妻も笑つて、『まあ、可笑をかしな児だよ、この児は』と乳房を出して見せる。それをくはへて、泣吃逆なきじやつくりをしながら、そつと丑松の方を振向いて見て居る児童こどもの様子も愛らしかつた。

 話好きな姑は一人で
喋舌しやべつた。お妻は茶を入れて丑松を款待もてなして居たが、流石さすがに思出したこともあると見えて、『そいつても、まあ、丑松さんの大きく御成おなんなすつたこと』と言つて、客の顔をながめた時は、思はずあかくなつた。会葬の礼を述べた後、丑松はそこ/\にしてこの家を出た。姑と一緒に、お妻もた門口に出て、客の後姿を見送るといふ様子。今更のやうに丑松は自他われひと変遷うつりかはりを考へて、塚窪の坂を上つて行つた。彼の世帯染みた、心の好ささうな、どこやらゆかしいところのあるお妻は――まあ、忘れずに居るその俤に比べて見ると、全く別の人のやうな心地こゝろもちもする。自分と同い年で、しかも五人子持――あれが幼馴染をさななじみのお妻であつたかしらん、と時々立止つて嘆息した。

 こういふ
追懐おもひでの情は、とは言へ、深く丑松の心を傷けた。平素しよつちゆうもう疑惧うたがひの念を抱いて苦痛くるしみの為に刺激こづき廻されて居る自分の今に思ひ比べると、あの少年の昔の楽しかつたことは。噫、何にも自分のことを知らないで、愛らしい少女をとめと一緒に林檎畠を彷徨さまよつたやうな、楽しい時代はつてしまつた。もう一度丑松はそういふ時代の心地こゝろもちに帰りたいと思つた。もう一度丑松は自分が穢多であるといふことを忘れて見たいと思つた。もう一度丑松は彼の少年の昔と同じやうに、自由に、現世このよ歓楽たのしみの香を嗅いで見たいと思つた。こう考へると、切ない慾望のぞみは胸をいて春の潮のやうに湧き上る。穢多としての悲しい絶望、愛といふ楽しい思想かんがへ、そんなこんなが一緒に交つて、若い生命いのち一層ひとしほ美しくして見せた。しまひには、あの蓮華寺のお志保のことまでも思ひやつた。活々とした情の為に燃えながら、丑松は蓮太郎の旅舎やどやを指して急いだのである。
 (二)
 御泊宿、吉田屋、と軒行燈のきあんどんに記してあるは、流石さすがに古い街道の名残なごり。諸国商人の往来もすくなく、昔の宿はいづれも農家となつて、今はこの根津村に二三軒しか旅籠屋はたごやらしいものが残つて居ない。吉田屋はその一つ、兎角とかく商売も休み勝ち、客間で秋蚕しうこ飼ふ程の時世と変りはてた。とは言ひながら、さびれた中にも風情ふぜいのあるは田舎ゐなかの古い旅舎やどやで、門口に豆を乾並べ、庭では鶏も鳴き、水をかついで風呂場へ通ふ男の腰付もをかしいもの。く『ぼや』の火は盛んに燃え上つて、無邪気な笑声がその周囲まはりに起るのであつた。

 『そう
だ――例のことを話さう』と丑松は自分で自分に言つた。吉田屋の門口へ入つた時は、その思想かんがへた胸の中を往来したのである。案内されて奥の方の座敷へ通ると、蓮太郎一人で、弁護士はまだ帰らなかつた。額、唐紙、すべて昔の風を残して、古びた室内の光景さまとは言ひながら、談話はなしるには至極静かで好かつた。火鉢に炭を加へ、その側に座蒲団を敷いて、相対さしむかひになつた時の心地こゝろもち珍敷めづらしくもあり、うれ)しくもあり、蓮太郎が手づから入れてくれる茶の味は又格別に思はれたのである。その時丑松は日頃愛読する先輩の著述を数へて、始めて手にしたのがの大作、『現代の思潮と下層社会』であつたことを話した。『貧しきものゝなぐさめ』、『労働』、『平凡なる人』、とり/″\に面白くあぢはつたことを話した。丑松は又、『懴悔録』の広告を見つけた時の喜悦よろこびから、飯山の雑誌屋で一冊を買取つて、それを抱いて内容なかみを想像しながら下宿へ帰つた時の心地こゝろもち、読み耽つて心に深い感動を受けたこと、社会よのなかといふものゝ威力ちからを知つたこと、さてはその著述にあらはれた思想かんがへの新しく思はれたことなぞを話した。

 蓮太郎の
喜悦よろこびは一通りでなかつた。やがて風呂が湧いたといふ案内をうけて、二人して一緒に入りに行つた時も、蓮太郎はそれを胸に浮べて、かねて知己とは思つて居たが、こう迄自分の書いたものを読んでくれるとは思はなかつたと、丑松の熱心を頼母たのもしく考へて居たらしいのである。病が病だから、蓮太郎の方では遠慮する気味で、其様そんなことで迷惑を掛けたくない、と健康たつしやなものゝ知らない心配は絶えず様子に表はれる。こうなると丑松の方ではかへつて気の毒になつて、病の為に先輩を恐れるといふ心は何処へか行つて了つた。話せば話すほど、哀憐あはれみ恐怖おそれに変つたのである。

 風呂場の窓の外には、石を越して流下る水の声もおもしろく聞えた。
とほるばかりのわかに身体を浸し温めて、しばらく清流の響に耳をなぶらせるその楽しさ。夕暮近い日の光は窓からさし入つて、けぶる風呂場の内を朦朧もうろうとして見せた。一ぱい浴びて流しのところへ出た蓮太郎は、湯気に包まれて燃えるかのやう。丑松もあかくなつて、顔を伝ふ汗の熱さに暫時しばらく世のわづらひを忘れた。『先生、一つ流しませう』と丑松は小桶こをけかゝへて蓮太郎の背後うしろへ廻る。『え、流して下さる?』と蓮太郎は嬉しさうに、『ぢやあ、願ひませうか。まあ君、ざつと遣つてくれたまへ』。こうして丑松は、日頃慕つて居るその人に近いて、どういふ風に考へ、どういふ風に言ひ、どういふ風に行ふかと、すこしでも蓮太郎の平生を見るのが楽しいといふ様子であつた。急に二人は親密したしみを増したやうな心地こゝろもちもしたのである。

 『さあ、今度は僕の番だ』と蓮太郎は湯を
汲出かいだして言つた。幾度か丑松は辞退して見た。『いえ、私は沢山です。昨日入つたばかりですから』とた辞退した。『昨日は昨日、今日は今日さ』と蓮太郎は笑つて、『まあ、そう遠慮しないで、僕にも一つ流させてくれたまへ』。『恐れ入りましたなあ』。『どうです、瀬川君、僕の三助もなか/\巧いものでせう。――はゝゝゝゝ』と戯れて、やがて蓮太郎はそこに在る石鹸シャボンを溶いて丑松の背中へつけて遣りながら、『僕がまだ長野に居る時分、丁度修学旅行があつて、生徒と一緒に上州の方へ出掛けたことがありましたツけ。まだ覚えて居るが、の時の投票は、僕がそれ大食家さ。しかし大食家と言はれる位に、彼の頃は壮健たつしやでしたよ。それからの僕の生涯は、実に種々いろ/\なことがありましたねえ。くまあ僕のやうな人間がこうして今日迄生きながらへて来たやうなものさ』。『先生、もう沢山です』。『何だねえ、今始めたばかりぢやないか。まだ、君、垢が些少ちつとも落ちやしない』と蓮太郎は丁寧に丑松の背中を洗つて、しまひに小桶の中の温い湯を掛けてやつた。遣ひ捨ての湯水は石鹸の泡に交つて、白くゆるく板敷の上を流れて行つた。

 『君だから
斯様こんなことを御話するんだが、』と蓮太郎は思出したやうに、『僕は仲間のことを考へる度に、実に情ないといふ心地こゝろもちを起さずには居られない。御恥しい話だが、思想の世界といふものは、まだ僕らの仲間には開けて居ないのだね。僕があの師範校を出た頃には、それを考へて、随分暗い月日を送つたこともありましたよ。病気になつたのも、実はその結果さ。しかし病気の為に、かへつて僕は救はれた。それから君、考へてばかり居ないで、働くといふ気になつた。ホラ、君の読んで下すつたといふ「現代の思潮と下層社会」。――あれを書く頃なぞは、健康たつしやだといふ日は一日もない位だつた。まあ、後日新平民のなかに面白い人物でも生れて来て、あゝ猪子といふ男は斯様こんなものを書いたかと、見てくれるやうな時があつたら、それでもう僕なぞは満足するんだねえ。むゝ、その踏台さ――それが僕の生涯でもあり、又希望のぞみでもあるのだから』。
 (三)
 言はう/\と思ひながら、何かこう引止められるやうな気がして、丑松は言はずに風呂を出た。まだ弁護士は帰らなかつた。夕飯の用意にと、蓮太郎が宿へ命じて置いたは千曲川のはや、それは上田から来る途中で買取つたとやらで、魚田楽ぎよでんにこしらへさせて、一緒に初冬の河魚の味を試みたいとのこと。仕度するところと見え、摺鉢すりばちを鳴らす音は台所の方から聞える。炉辺ろばたで鮠の焼ける香は、ぢり/\落ちて燃える魚膏あぶらの煙に交つて、この座敷までもうまさうに通つて来た。

 蓮太郎は
かばんの中から持薬を取出した。殊に湯上りの顔色は病気のやうにも見えなかつた。嗅ぐともなしに『ケレオソオト』のにほひを嗅いで見て、やがて高柳のことを言出す。『して見ると、瀬川君はあの男と一緒に飯山を御出掛でしたね』。『どうも不思議だとは思ひましたよ』と丑松は笑つて、『妙に是方こちらけるといふやうな風でしたから』。『そこがそれ、心にやましいところのある証拠さ』。『今考へても、彼の外套ぐわいたうで身体を包んで、隠れて行くやうな有様が、目に見えるやうです』。『はゝゝゝゝ。だから、君、悪いことはできないものさ』と言つて、それから蓮太郎は聞いて来た一伍一什いちぶしじゆうを丑松に話した。高柳が秘密に六左衛門の娘を貰つたといふ事実は、妙なところから出たとのこと。すこし調べることがあつて、信州で一番古い秋葉村の穢多町(上田の在にある)、彼処へ蓮太郎が尋ねて行くと、あの六左衛門の親戚でしか讐敵かたきのやうに仲の悪いとかいふ男からこの話がれたとのこと。蓮太郎が弁護士と一緒に、今朝この根津村へ入つた時は、折も折、丁度高柳夫婦が新婚旅行にでも出掛けようとするところ。無論先方さきでは知るまいが、確に是方こちらでは後姿を見届けたとのことであつた。

 『実に驚くぢやないか』と蓮太郎は嘆息した。『瀬川君、君はまあ
どう思ふね、彼の男の心地こゝろもちを。これから君が飯山へ帰つて見たまへ――必定きつとあの男は平気な顔して結婚の披露をするだらうから。――何処どこか遠方の豪家からでも細君を迎へたやうに細工こしらへるから。――そりやあもう新平民の娘だとは言ふもんぢやないから』。

 こういふ話を始めたところへ、下女が膳を持運んで来た。皿の上の
はやは焼きたての香を放つて、空腹すきばらで居る二人の鼻を打つ。銀色の背、かばと白との腹、そのあたらしい魚が茶色に焼け焦げて、ところまんだら味噌のく付かないのもあつた。いづれも肥えあぶらづいて、竹の串に突きさゝれてある。流石さすがに嗅ぎつけて来たと見え、一匹の小猫、下女の背後うしろに様子をうかゞふのも可笑をかしかつた。御給仕には及ばないを言はれて、下女は小猫を連れて出て行く。『さあ、先生、つけませう』と丑松は飯櫃めしびつを引取つて、いきの出るやつを盛り始めた。『どうもみません。各自めい/\勝手にやることにしようぢやありませんか。まあ、こうして膳に向つて見ると、あの師範校の食堂を思出さずには居られないねえ』と笑つて、蓮太郎は話し/\食つた。丑松も骨離ほねばなれの好いはやの肉を取つて、香ばしく焼けた味噌の香を嗅ぎ乍ら話した。

 『あゝ』と蓮太郎は箸持つ手を膝の上に載せて、『どうも当世紳士の
えらいには驚いてしまふ。――金といふものゝ為なら、どんなことでも忍ぶのだから。瀬川君、まあ、聞いてくれたまへ。彼の通り高柳が体裁を飾つて居ても、実は非常に内輪の苦しいといふことは、僕も聞いて居た。借財に借財を重ね、高利貸には責められる、世間への不義理はかさむ、到底今年選挙を争ふ見込なぞは立つまいといふことは、聞いて居た。しかし君、いくら窮境に陥つたからと言つて、金を目的めあてに結婚する気になるなんて。――あんまり根性が見えいて浅猿あさましいぢやないか。あるひは、彼男に言はせたら、六左衛門だつて立派な公民だ、その娘を貰ふのに何の不思議がある、親子の間柄で選挙の時なぞに助けて貰ふのは至当あたりまへぢやないか。――こう言ふかも知れない。それならそれでいゝさ。階級を打破してまでも、気に入つた女を貰ふ位の心意気があるなら、又面白い。何故そんなら、狐鼠々々こそ/\祝言しうげんなぞをするんだらう。何故そんなら、隠れてやつて来て、また隠れて行くやうな、男らしくない真似をするんだらう。いやしくも君、堂々たる代議士の候補者だ。天下の政治を料理するなどと長広舌を振ひながら、その人の生涯を見ればどうだらう。誰やらの言草ではないが、全然まるで紳士の面を冠つた小人の遣方だ。――情ないぢやないか。成る程世間には、金になることなら何でもやる、買手があるなら自分の一生でも売る、こういふ量見の人はいくらもあるさ。しかし、彼男のは、売つて置いて知らん顔をして居よう、といふのだからはなはだしい。まあ、君、僕らの側に立つて考へて見てくれたまへ。これほど新平民といふものを侮辱した話はなからう』。

 
暫時しばらく二人は言葉を交さないで食つた。やがてまた蓮太郎は感慨に堪へないと言ふ風で、病気のことなぞはもう忘れて居るかのやうに、『彼男あのをとこも彼男なら、六左衛門も六左衛門だ。そんなところへ娘をくれたところで何が面白からう。これから東京へでも出掛けた時に、自分の聟は政事家だと言つて、吹聴する積りなんだらうが、あまり寝覚の好い話でもなからう。虚栄心にも程があるさ。ちつたあ娘のことも考へさうなものだがなあ』。こう言つて蓮太郎は考深い目付をして、ひとり思に沈むといふ様子であつた。聞いて見れば聞いて見るほど、彼の政事家の内幕にも驚かれるが、又、この先輩の同族を思ふ熱情にも驚かれる。丑松は、弱い体躯からだの内に燃える先輩の精神の烈しさを考へて、一種の悲壮な感想かんじを起さずには居られなかつた。実際、蓮太郎の談話はなしの中には丑松の心を動かす力が籠つて居たのである。もつとも、病のある人ででもなければ、彼様あゝは心を傷めまい、と思はれるやうな節々が時々その言葉に交つて聞えたので。
 (四)
 到頭丑松は言はうと思ふことを言はなかつた。吉田屋を出たのはよひ過ぎる頃であつたが、途々それを考へると、泣きたいと思ふ程に悲しかつた。何故、言はなかつたらう。丑松は歩きながら、自分で自分に尋ねて見る。亡父おやぢの言葉もあるから――叔父も彼様あゝ忠告したから――一旦秘密が自分の口かられた以上は、それが何時いつ誰の耳へ伝はらないとも限らない、先輩が細君へ話す、細君はまた女のことだから到底秘密を守つてはくれまい、ういふことになると、それこそ最早もう回復とりかへしがつかない――第一、今の場合、自分は穢多であると考へたくない、これ迄も普通の人間で通つて来た、これから将来さきとても無論普通の人間で通りたい、それが至当な道理であるから。

 
種々いろ/\弁解いひわけを考へて見た。しかし、こういふ弁解は、いづれも後からこしらへて押つけたことで、それだから言へなかつたとはどうしても思はれない。残念ながら、丑松は自分で自分を欺いて居るやうに感じて来た。蓮太郎にまで隠して居るといふことは、実は丑松の良心が許さなかつたのである。あゝ、何を思ひ、何を煩ふ。決して他の人に告白うちあけるのではない。唯あの先輩だけに告白けるのだ。日頃自分が慕つて居る、しかも自分と同じ新平民の、その人だけに告白けるのに、危い、恐しいやうなことが何処にあらう。『どうしても言はないのは虚偽うそだ』と丑松は心にぢたり悲んだりした。

 そればかりではない。勇み立つ青春の意気も
た丑松の心に強い刺激を与へた。たとへば、丑松は雪霜の下にえる若草である。春待つ心はありながらも、猜疑うたがひ恐怖おそれとに閉ぢられてしまつて、内部なか生命いのち発達のびることができなかつた。あゝ、雪霜が日にあたつて、溶けるといふに、何の不思議があらう。青年が敬慕の情を心ゆく先輩の前に捧げて、活きて進むといふに、何の不思議があらう。見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は蓮太郎の感化をけて、精神の自由を慕はずには居られなかつたのである。言ふべし、言ふべし、それが自分の進む道路みちではあるまいか。こう若々しい生命が丑松を励ますのであつた。

 『よし、明日は先生に逢つて、何もかも
打開ぶちまけて了はう』と決心して、姫子沢の家をさして急いだ。その晩はお妻の父親おやぢがやつて来て、遅くまで炉辺ろばたで話した。叔父は蓮太郎のことについて別に深く掘つて聞かうともしなかつた。唯丑松が寝床の方へ行かうとした時、こういふ問を掛けた。『丑松。――おめへは今日の御客様おきやくさんに、何にも自分のことを話しやしねえだらうなあ』と言はれて、丑松は叔父の顔を眺めて、『誰が其様そんなことを言ふもんですか』と答へるには答へたが、それは本心から出た言葉ではないのであつた。

 寝床に入つてからも、丑松は長いこと眠られなかつた。不思議な夢は来て、
眼前めのまへを通る。その人は見納めの時の父の死顔であるかと思ふと、蓮太郎のやうでもあり、病の為にあをざめた蓮太郎の顔であるかと思ふと、お妻のやうでもあつた。あの艶をつたすゞしいひとみ、物言ふ毎にあらはれる皓歯しらは、直にあかくなる頬――その真情の外部そとに輝きあふれて居る女らしさを考へると、何時の間にか丑松はお志保のおもかげを描いて居たのである。もつともこの幻影まぼろしは長く後まで残らなかつた。払暁あけがたになると最早もう忘れて了つて、何の夢を見たかも覚えて居ない位であつた。
 第拾章(一)
 いよ苦痛くるしみの重荷を下す時が来た。丁度蓮太郎は弁護士と一緒に、上田を指して帰るといふので、丑松も同行の約束した。それは父をきずつけた種牛が上田の屠牛場とぎうばへ送られる朝のこと。叔父も、丑松もその立会として出掛ける筈になつて居たので。昨夜の丑松の決心――あれを実行するには是上このうへもない好い機会しほはれるのは何時のことやら覚束おぼつかない。どうかして叔父や弁護士の聞いて居ないところで――唯先輩と二人ぎりになつた時に。――こう考へて、丑松は叔父と一緒に出掛ける仕度をしたのであつた。

 上田街道へ出ようとする角のところで、そこに待合せて居る二人と一緒になつた。丑松は叔父を弁護士に紹介し、それから蓮太郎にも紹介した。『先生、これが私の叔父です』と言はれて、叔父は百姓らしい大な手を
ながら、『丑松の奴がいろ/\御世話様になりますさうで。――昨日さくじつはまた御出下すつたさうでしたが、生憎あいにくと留守にいたしやして』。こういふ挨拶をすると、蓮太郎は丁寧にくなつた人の弔辞くやみを述べた。四人は早くつた。朝じめりのした街道の土を踏んで、深い霧の中を辿たどつて行つた時は、遠近をちこちに鶏の鳴き交す声も聞える。その日は春先のやうに温暖あたゝかで、路傍の枯草も蘇生いきかへるかと思はれる程。灰色の水蒸気は低く集つて来て、僅かに離れたもりこずゑも遠く深くけぶるやうに見える。四人は後になり前になり、互に言葉を取交しながら歩いた。就中わけても、弁護士の快活な笑声は朝の空気に響き渡る。思はず足も軽く道も果取はかどつたのである。

 東上田へ差懸つた頃、蓮太郎と丑松の二人は
つれおくれた。次第に道路みちは明くなつて、ところ/″\に青空も望まれるやうになつた。白い光を帯びながら、頭の上を急いだは、朝雲の群。行先ゆくてにあたる村落も形をあらはして、草葺くさぶきの屋根からは煙の立ち登る光景さまも見えた。霧の眺めは、今、おもしろく晴れて行くのである。蓮太郎は苦しい様子も見せなかつた。この石塊いしころの多い歩き難い道を彼様あゝして徒歩ひろつてもいゝのかしらん、と丑松はそれを案じつゞけて、時々蓮太郎を待合せては、一緒に遅く歩くやうにしたが、まあ素人目しろうとめで眺めたところでは格別気息いきの切れるでもないらしい。やうやく安心して、やがて話し/\行く連の二人の後姿は、と見るとその時はおよそ一町程も離れたらう。急に日があたつて、湿しめつた道路も輝き初めた。温和やはらか快暢こゝろよい朝の光は小県ちひさがたの野に満ちあふれて来た。

 あゝ、
告白うちあけるなら、今だ。丑松に言はせると、自分は決して一生の戒を破るのではない。これし世間の人に話すといふ場合ででもあつたら、それこそ今迄の苦心も水の泡であらう。唯このだけに告白けるのだ。親兄弟に話すも同じことだ。一向差支がない。こう自分で自分に弁解いひほどいて見た。丑松も思慮のない男ではなし、彼程あれほど堅い父の言葉を忘れてしまつて、好んで死地に陥るやうな、そんおろかな真似をる積りはなかつたのである。『隠せ』といふ厳粛な声は、その時、心の底の方で聞えた。急につめた戦慄みぶるひが全身を伝つて流れ下る。さあ、丑松もすこし躊躇ためらはずには居られなかつた。『先生、先生』と口の中で呼んで、どうそれを切出したものかともがいて居ると、何か目に見えない力が背後うしろに在つて、妙に自分の無法を押止めるやうな気がした。『忘れるな』とまた心の底の方で。
 (二)
 『瀬川君、君は恐しく考へ込んだねえ』と蓮太郎は丑松の方を振返つて見た。『時に、大分後れましたよ。どうですか、急がうぢやありませんか』。こう言はれて、丑松もその後にいて急いだ。間もなく二人は連に追付いた。鳥のやうに逃げ易い機会は捕まらなかつた。いづれだ先輩と二人ぎりになる時はあるであらう、とそれを丑松は頼みに思ふのである。

 日は次第に高くなつた。空は濃く青く
とほるやうになつた。南のかたに当つて、ちぎれ/\な雲の群も起る。今は温暖あたゝかい光の為にされて、野も煙り、岡も呼吸し、踏んで行く街道の土の灰色に乾く臭気にほひ心地こゝろもちが好い。浅々と萌初もえそめた麦畠は、両側に連つて、どんなに春待つ心の烈しさを思はせたらう。こうしてながめ/\行く間にも、四人の眼に映る田舎ゐなかが四色であつたのはをかしかつた。弁護士は小作人と地主との争闘あらそひを、蓮太郎は労働者の苦痛くるしみ慰藉なぐさめとを、叔父は『えご』、『山牛蒡やまごばう』、『天王草てんわうぐさ』、又は『水沢瀉みづおもだか』等の雑草に苦しめられる耕作の経験から、収穫とりいれに関係の深い土質の比較、さては上州地方の平野に住む農夫に比べてこの山の上の人々の粗懶なげやりな習慣なぞを――流石さすがに三人の話は、生活といふことを離れなかつたが、同じ田舎を心に描いても、丑松のは若々しい思想かんがへから割出して、働くばかりが田舎ではないと言つたやうな風に観察する。ういふ思ひ/\の話に身が入つて、四人は疲労つかれを忘れながら上田の町へ入つた。

 上田には弁護士の出張所も設けてある。そこには蓮太郎の細君が根津から帰る夫を待受けて居たので。蓮太郎と弁護士とは、一寸立寄つて用事を
ました上、また屠牛場で一緒になるといふことにしよう、その種牛の最後をも見よう――こういふ約束で別れた。丑松は叔父と連立つて一歩ひとあし先へ出掛けた。屠牛場近く行けば行く程、亡くなつた牧夫のことが烈しく二人の胸に浮んで来た。二人の話はその追懐おもひでで持切つた。他人が居なければ遠慮もらず、今は何を話さうと好自由すきじいうである。『なあ、丑松』と叔父は歩きながら嘆息して、『へえ、もう今日で六日目だぞよ。兄貴が亡くなる、おめへがやつて来る。葬式おじやんぼんを出す、御苦労招びから、礼廻りと、丁度今日で六日目だ。あゝ、明日は最早もう初七日だ。日数の早くつには魂消たまげて了ふ。兄貴に別れたのは、ついまだ昨日のやうにしか思はれねえがなあ』。

 丑松は黙つて考へながら随いて行つた。叔父は言葉を継いで、『
真実ほんたうに世の中は思ふやうに行かねえものさ。兄貴も、これから楽をしようといふところで、彼様あんな災難に罹るなんて。まあ、金をのこすぢやなし、名を遺すぢやなし、一生苦労をしつゞけて、その苦労が誰の為かと言へば――畢竟つまり、お前や俺の為だ。俺も若え時は、く兄貴と喧嘩して、なぐられたり、泣かせられたりしたものだが、今となつて考へて見ると、親兄弟程難有ありがたいものはねえぞよ。仮令たとひ世界中の人が見放しても、親兄弟は捨てねえからなあ。兄貴を忘れちやならねえと言ふのは――そこだはサ』。

 
暫時しばらく二人は無言で歩いた。『忘れるなよ』と叔父は復た初めた。『何程どのくれえまあ兄貴もお前の為に心配して居たものだか。ある時、俺に、「丑松も今が一番危え時だ。こうして山の中で考へたと、世間へ出て見たとは違ふから、そこを俺が思つてやる。なか/\他人の中へ突出されて、内兜うちかぶと見透みすかされねえやうに遂行やりとげるのは容易ぢやねえ。何卒どうかしてうまくつてくれゝばいゝが――下手に学問なぞをして、つまらねえ思想かんがへを起さなければいゝが――まあ、三十になつて見ねえ内は、安心ができねえ」とこういふから、「なあに、大丈夫――丑松のことなら俺が保証する」と言つてやつたよ。すると、兄貴は首を振つて、「どうも不可いかねえもので、親の悪いところばかり子に伝はる。丑松も用心深いのはいゝが、しかし又、あんまり用心深過ぎて反つて疑はれるやうな事ができやすまいか」としきりにそれを言ふ。その時俺が、「そう心配した日には際限きりがねえ」と笑つたことサ。はゝゝゝゝ』と思出したやうに慾のない声で笑つて、やがて気を変へて、『しかし、能くまあ、お前もこれ迄に漕つけて来た。最早大丈夫だ。全くお前にはそれ丈の徳がそなはつて居るのだ。なにしろ用心するに越したことはねえぞよ。どんな先生だらうが、同じ身分の人だらうが、決して気は許せねえ――そりやあ、もう、他人と親兄弟とは違ふからなあ。あゝ、兄貴の生きてる時分には、牧場から下つて来る、俺や婆さんの顔を見る、直にお前のうはさだつた。もう兄貴は居ねえ。これからは俺と婆さんと二人ぎりで、お前の噂をして楽むんだ。考へて見てくれよ、俺も子はなしサ――お前より外に便りにするものはねえのだから』。
 (三)
 例の種牛は朝のうちに屠牛場とぎうばへ送られた。種牛の持主は早くから詰掛けて、叔父と丑松とを待受けて居た。二人は、空車引いてけて行く肉屋の丁稚でつちの後に随いて、やがて屠牛場の前迄行くと、門の外に持主、づ見るより、く来てくれたを言ひつゞける。心から老牧夫の最後をいたむといふ情合じやうあひは、この持主の顔色に表れるのであつた。『いえ』と叔父は対手の言葉をさへぎつて、『全く是方こちら不注意てぬかりから起つた事なんで、貴方あんたうらみる筋は些少ちつともごはせん』とそれを言へば、先方さき猶々なほ/\痛み入る様子。『私はへえ、面目なくて、こうして貴方等あんたがたに合せる顔もないのでやす。――まあ畜生のたことだからせえて(せえては、してのなまり、農夫の間に用ゐられる)、御災難と思つて絶念あきらめて下さるやうに』とかへす/″\言ふ。こゝは上田の町はづれ、太郎山の麓に迫つて、新しく建てられた五棟ばかりの平屋。鋭い目付の犬は五六匹門外に集つて来て、しきりに二人の臭気にほひを嗅いで見たり、低声に※(「口+胡」、第4水準2-4-15)うなつたりして、やゝともすればえ懸りさうな気勢けはひを示すのであつた。

 持主に導かれて、二人は黒い門を入つた。内に庭を
へだてゝ、北は検査室、東が屠殺の小屋である。年の頃五十余のでつぷり肥つた男が人々の指図をして居たが、その老練な、愛嬌あいけうのある物の言振で、屠手としゆかしらといふことは知れた。屠手としてここに使役つかはれて居る壮丁わかものは十人ばかり、いづれまがひのない新平民――殊に卑賤いやしい手合と見えて、特色のある皮膚の色が明白あり/\と目につく。一人々々の赤ら顔には、烙印やきがねが押当てゝあると言つてもよい。中には下層の新平民にくある愚鈍な目付をしなが是方こちらを振返るもあり、中には畏縮いぢけた、兢々おづ/\とした様子して盗むやうに客を眺めるもある。目鋭めざとい叔父は直にそれて取つて、一寸右のひぢで丑松を小衝こづいて見た。どうして丑松も平気で居られよう。叔父の肘がさはるか触らないに、その暗号は電気エレキのやうに通じた。幸ひ案じた程でもないらしいので、やつと安心して、それから二人は他の談話はなしの仲間に入つた。

 繋留場には、種牛の外に、二頭の牡牛も
つないであつて、丁度死刑を宣告された罪人が牢獄ひとやの内に押籠おしこめられたと同じやうに、一刻々々と近いて行く性命いのちの終を翹望まちのぞんで居た。丑松は今、叔父や持主と一緒に、この繋留場のさくの前に立つたのである。持主の言草ではないが、『畜生のしたこと』と思へば、別に腹が立つの何のといふ其様そん心地こゝろもちにはならないかはりに、可傷いたましい父の最後、牧場の草の上に流れた血潮――堪へがたい追憶おもひでの情は丑松の胸に浮んで来たのである。見れば他のは佐渡牛といふ種類で、一頭は黒く、一頭は赤く、人間の食慾を満すより外には最早もう生きながらへる価値ねうちもない程にせて、その憔悴みすぼらしさ。それに比べると、種牛は体格も大きく、骨組もたくましく、黒毛艶々として美しい雑種。持主は柵の横木を隔てゝ、その鼻面を撫でゝ見たり、咽喉のどの下をさすつてやつたりして、『わりや(なんぢは)飛んでもねえことをしてくれたなあ。何も俺だつて、好んでこんな処へ貴様を引張つて来た訳ぢやねえ――これといふのも自業自得じごふじとくだ。――そう思つて絶念あきらめろよ』。

 吾児に因果でも言含めるやうに
掻口説かきくどいて、今更別離わかれを惜むといふ様子。『それ、こゝに居なさるのが瀬川さんの子息むすこさんだ。御詑おわびをしな。御詑をしな。われ(汝)のやうな畜生だつて、万更霊魂たましひのねえものでもあるめえ。まあ俺の言ふことを好く覚えておいて、次のには一層もつと気の利いたものに生れ変つて来い』。う言ひ聞かせて、やがて持主は牛の来歴を二人に語つた。現に今、多くを飼養して居るが、これまさ血統ちすぢのものは一頭もない。父牛は亜米利加アメリカ産、母牛は斯々しか/″\、悪い癖さへなくば西乃入にしのいり牧場の名牛とも唄はれたであらうに、と言出して嘆息した。持主は又附加つけたして、この種牛の肉の売代うりしろを分けて、亡くなつた牧夫の追善に供へたいから、せめてそれで仏の心を慰めてくれといふことを話した。

 その時獣医が入つて来て、鳥打帽を冠つた儘、人々に挨拶する。つゞいて、牛肉屋の亭主も入つて来たは、
つぶされた後の肉を買取る為であらう。間もなく蓮太郎、弁護士の二人も、叔父や丑松と一緒になつて、庭に立つて眺めたり話したりした。『むゝ、あれが御話のあつた種牛ですね』と蓮太郎は小声で言つた。人々は用意に取掛かると見え、いづれも白の上被うはつぱり、冷飯草履は脱いで素足に尻端折。笑ふ声、私語さゝやく声は、犬の鳴声に交つて、何となく構内は混雑して来たのである。

 いよ/\種牛は引出されることになつた。一同の視線は皆なその方へ集つた。今迄沈まりかへつて居た二頭の佐渡牛は、急に騒ぎ初めて、頻と頭を左右に振動かす。一人の屠手は赤い方の鼻面を
確乎しつかおさへて、声を※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)はげまして制したり叱つたりした。畜生ながらに本能むしが知らせると見え、逃げよう/\と焦り出したのである。黒い佐渡牛は繋がれたまゝ柱を一廻りした。死地に引かれて行く種牛はむし冷静おちつき澄ましたもので、他の二頭のやうに※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)わるあがきるでもなく、悲しい鳴声をらすでもなく、僅かに白い鼻息を見せて、悠々いう/\と獣医の前へ進んだ。紫色のうるみを帯びた大きな目は傍で観て居る人々を睥睨へいげいするかのやう。彼の西乃入の牧場をあばれ廻つて、丑松の父を突殺した程の悪牛ではあるが、こうしたいさぎよい臨終の光景ありさまは、又た人々に哀憐あはれみの情をおこさせた。叔父も、丑松もすくなからず胸を打たれたのである。獣医はあちこちと廻つて歩きながら、種牛の皮をつまんで見たり、咽喉のどを押へて見たり、または角をたゝいて見たりして、最後に尻尾を持上たかと思ふと、検査は最早もうそれで済んだ。屠手は総懸りで寄つてたかつて、『しツ/\』と声を揚げながら、無理無体に屠殺の小屋の方へ種牛を引入れた。屠手のかしらは油断を見澄まして、素早く細引を投げからむ。※(「てへん+堂」、第4水準2-13-41)どうと音して牛の身体が板敷の上へ横になつたは、足と足とが引締められたからである。持主は茫然ばうぜんとして立つた。丑松も考深い目付をして眺め沈んで居た。やがて、種牛の眉間みけんを目懸けて、一人の屠手がをの(一方に長さ四五寸のくだがあつて、致命傷を与へるのはこの管である)を振翳ふりかざしたかと思ふと、もうそれがこの畜生の最後。かすか呻吟うめきを残しておいて、直に息を引取つて了つた――一撃で種牛は倒されたのである。
 (四)
 日の光はの小屋の内へ射入つて、死んでそこに倒れた種牛と、多忙いそがしさうに立働く人々の白い上被うはつぱりとを照した。屠手の頭は鋭い出刃庖丁を振つて、先づ牛の咽喉のどく。尾をくものは直に尾を捨て、細引を持つものは細引を捨てゝ、いづれも牛の上に登つた。多勢の壮丁わかものが力に任せ、所嫌はず踏付けるので、血潮は割かれた咽喉を通してあかく板敷の上へ流れた。咽喉から腹、腹から足、と次第に黒い毛皮が剥取はぎとられる。膏と血との臭気にほひはこの屠牛場に満ちあふれて来た。

 他の二頭の佐渡牛が小屋の内へ引入れられて、
ち殺されたのは間もなくであつた。この可傷いたましい光景ありさまを見るにつけても、丑松の胸に浮ぶは亡くなつた父のことで。丑松は考深い目付をしながら、父の死をおもひつゞけて居ると、やがて種牛の毛皮も悉皆すつかり剥取られ、角も撃ち落され、脂肪に包まれた肉身なかみからは湯気のやうな息の蒸上むしのぼるさまも見えた。屠手の頭は手も庖丁も紅く血潮にまみれながら、あちこちと小屋の内を廻つて指揮さしづする。そこには竹箒たけばうきで牛のあぶらを掃いて居るものがあり、こゝには砥石を出して出刃を磨いで居るものもあつた。赤い佐渡牛は引割と言つて、腰骨こしぼねを左右に切開かれ、その骨と骨との間へ横木を入れられて、逆方さかさまに高く釣るし上げられることになつた。

 『そら、巻くぜ』と一人の屠手は天井にある
滑車くるまを見上げながら言つた。見る/\小屋の中央まんなかには、巨大おほきな牡牛の肉身からだが釣るされて懸つた。叔父も、蓮太郎も、弁護士も、互に顔を見合せて居た。一人の屠手はのこぎりを取出した、脊髄あばらを二つに引割り始めたのである。回向ゑかうするやうな持主の目は種牛から離れなかつた。種牛は最早もう足さへも切離された。牧場の草踏散らした双叉ふたまたつめも、今は小屋から土間の方へ投出はふりだされた。灰紫色の膜におほはれた臓腑は、丁度斯う大風呂敷の包のやうに、べろ/\したまゝでそこに置いてある。三人の屠手は互に庖丁を入れて、骨に添ふて肉を切開くのであつた。

 烈しい
追憶おもひでは、復た/\丑松の胸中を往来し始めた。『忘れるな』――あゝ、その熱い臨終の呼吸は、どんなに深い響となつて、生残る丑松の骨のずゐまでも貫徹しみとほるだらう。それを考へる度に、亡くなつた父が丑松の胸中に復活いきかへるのである。急にその時、心の底の方で声がして、丑松を呼びいましめるやうに聞えた。『丑松、貴様は親を捨てる気か』とその声は自分を責めるやうに聞えた。『貴様は親を捨てる気か』と丑松は自分で自分に繰返して見た。成る程、自分は変つた。成る程、一にも二にも父の言葉に服従して、それを器械的に遵奉じゆんぽうするやうな、其様そん児童こどもではなくなつて来た。成る程、自分の胸の底は父ばかり住む世界ではなくなつて来た。成る程、父の厳しい性格を考へる度に、自分は反つて反対あべこべな方へ逸出ぬけだして行つて、自由自在に泣いたり笑つたりしたいやうな、其様そん思想かんがへを持つやうになつた。あゝ、世の無情をいきどほる先輩の心地こゝろもちと、世に随へと教へる父の心地と――その二人の相違はどんなであらう。こう考へて、丑松は自分の行く道路みちに迷つたのである。

 気がついて我に帰つた時は、蓮太郎が自分の傍に立つて居た。いつの間にか巡査も入つて来て、獣医と一緒になつて眺めて居た。見れば種牛は
もゝから胴へかけて四つの肉塊かたまり切断たちきられるところ。右の前足の股の肉は、既に天井から垂下たれさがる細引に釣るされて、海綿を持つた一人の屠手が頻とその血を拭ふのであつた。こうして巨大おほきな種牛の肉体からだは実に無造作にほふられてしまつたのである。屠手の頭が印判を取出して、それぞれの肉の上へ押して居るかと見るうちに、一方では引取りに来た牛肉屋の丁稚でつち編席アンペラ敷いた箱を車の上に載せて、威勢よく小屋の内へがら/\と引きこんだ。『十二貫五百』といふ声は小屋の隅の方に起つた。『十一貫七百』とまた。

 
ほふられた種牛の肉は、今、大きなはかりに懸けられるのである、屠手の一人が目方を読み上げる度に、牛肉屋の亭主は鉛筆をめて、それを手帳へ書留めた。やがてその日の立会も済み、持主にも別れを告げ、人々と一緒に斯の屠牛場から引取らうとした時、もう一度丑松は小屋の方を振返つて見た。屠手のあるものは残物の臓腑を取片付ける、あるものは手桶てをけに足を突込んで牛の血潮を洗ひ落す、種牛の片股はだ釣るされた儘で、黄なあぶらと白い脂肪とが日の光を帯びて居た。その時は最早あの可傷いたましい回想おもひでの断片といふ感想かんじも起らなかつた。唯大きな牛肉の塊としか見えなかつた。





(私論.私見)