その4、夜明け前第一部上の4 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日
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第七章(一) | |
それは忘れることのできないほど寂しい旅であつた。一昨年の夏帰省した時に比べると、こうして千曲川の岸に添ふて、可懐しい故郷の方へ帰つて行く丑松は、まあ自分で自分ながら、殆んど別の人のやうな心地がする。足掛三年、と言へばそれ程長い月日とも聞えないが、丑松の身に取つては一生の変遷の始つた時代で――も、人の境遇によつては何時変つたといふこともなしに、自然に世を隔てたやうな感想のするものもあらうけれど――その精神の内部の革命が丑松には猛烈に起つて来て、しかもそれを殊に深く感ずるのである。今は誰を憚るでもない身。乾燥いだ空気を自由に呼吸して、自分のあやしい運命を悲しんだり、生涯の変転に驚いたりして、無限の感慨に沈みら歩いて行つた。千曲川の水は黄緑の色に濁つて、声もなく流れて遠い海の方へ――その岸に蹲るやうな低い楊柳の枯々となつた光景――あゝ、依然として旧の通りな山河の眺望は、一層丑松の目を傷ましめた。時々丑松は立留つて、人目のない路傍の枯草の上に倒れて、声を揚げて慟哭したいとも思つた。あるひは、それをたら、堪へがたい胸の苦痛が少は減つて軽くなるかとも考へた。奈何せん、哭きたくも哭くことのできない程、心は重く暗く閉塞つて了つたのである。 漂泊する旅人は幾群か丑松の傍を通りぬけた。落魄の涙に顔を濡して、餓ゑた犬のやうに歩いて行くものもあつた。何か職業を尋ね顔に、垢染みた着物を身に絡ひながら、素足の儘で土を踏んで行くものもあつた。あはれげな歌を歌ひ、鈴振鳴らし、長途の艱難を修行の生命にして、日に焼けて罪滅し顔な巡礼の親子もあつた。または自堕落な編笠姿、流石に世を忍ぶ風情もしをらしく、放肆に恋慕の一曲を弾じて、銭を乞ふやうな卑しい芸人の一組もあつた。丑松は眺め入つた。眺め入りながら、自分の身の上と思ひ比べた。奈何に丑松は今の境涯の遣瀬なさを考へて、自在に漂泊する旅人の群を羨んだらう。 飯山を離れて行けば行く程、次第に丑松は自由な天地へ出て来たやうな心地がした。北国街道の灰色な土を踏んで、花やかな日の光を浴びながら、時には岡に上り時には桑畠の間を歩み、時にはまた街道の両側に並ぶ町々を通過ぎて、汗も流れ口も乾き、足袋も脚絆も塵埃に汚れて白くなつた頃は、反つて少蘇生の思に帰つたのである。路傍の柿の樹は枝も撓むばかりに黄な珠を見せ、粟は穂を垂れ、豆は莢に満ち、既に刈取つた田畠には浅々と麦の萌え初めたところもあつた。遠近に聞える農夫の歌、鳥の声――あゝ、山家でいふ『小六月』だ。その日は高社山一帯の山脈も面白く容を顕して、山と山との間の深い谷蔭には、青々と炭焼の煙の立登るのも見えた。 蟹沢の出はづれで、当世風の紳士を乗せた一台の人力車が丑松に追いついた。見れば天長節の朝、式場で演説した高柳利三郎。代議士の候補者に立つものは、そろ/\政見を発表する為に忙しくなる時節。いづれこの人も、選挙の準備として、地方廻りに出掛けるのであらう。と見る丑松の側を、高柳は意気揚々として、すこし人を尻目にかけて、挨拶もずに通過ぎた。二三町離れて、車の上の人は急に何か思付いたやうに、是方を振返つて見たが、別に丑松の方では気にも留めなかつた。 日は次第に高くなつた。水内の平野は丑松の眼前に展けた。それは広濶とした千曲川の流域で、川上から押流す泥砂の一面に盛上つたところを見ても、氾濫の凄じさが思ひやられる。見渡す限り田畠は遠く連ねて、欅の杜もところ/″\。今は野も山も濃く青い十一月の空気を呼吸するやうで、うら枯れた中にも活々とした自然の風趣を克く表して居る。早くの川の上流へ――小県の谷へ――根津の村へ、こう考へて、光の海を望むやうな可懐しい故郷の空をさして急いだ。 豊野と言つて汽車に乗るべきところへ着いたは、午後の二時頃。車で駈付けた高柳も、同じ列車を待合せて居たと見え、発車時間の近いた頃に休み茶屋からやつて来た。『何処へ行くのだらう、彼男は』。こう思ひながら、丑松はそれとなく高柳の様子を窺ふやうにして見ると、先方も同じやうに丑松を注意して見るらしい。それに、不思議なことには、何となく丑松を避けるといふ風で、なるべく顔を合すまいと勉めて居た。唯互ひに顔を知つて居るといふ丈、つひぞ名乗合つたことがあるではなし、二人は言葉を交さうともしなかつた。 軈て発車を報せる鈴の音が鳴つた。乗客はいづれも埒の中へと急いだ。盛な黒烟を揚げて直江津の方角から上つて来た列車は豊野停車場の前で停つた。高柳は逸早く群集の中を擦抜けて、一室の扉を開けて入る。丑松はまた機関車近邇の一室を択んで乗つた。思はずそこに腰掛けて居た一人の紳士と顔を見合せた時は、あまりの奇遇に胸を打たれたのである。『やあ――猪子先生』と丑松は帽子を脱いで挨拶した。紳士も、意外な処で、といふ驚喜した顔付。『おゝ、瀬川君でしたか』。 |
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(二) | |
夢寐にも忘れなかつたその人の前に、丑松は今偶然にも腰掛けたのである。壮年の発達に驚いたやうな目付をして、可懐しさうに是方を眺めたは、蓮太郎。敬慕の表情を満面に輝かしながら、帰省の由緒を物語るのは、丑松。実にこれ邂逅の唐突で、意外で、しかも偽りも飾りもない心の底の外面に流露れた光景は、男性と男性との間に稀に見られる美しさであつた。 蓮太郎の右側に腰掛けて居た、背の高い、すこし顔色の蒼い女は、丁度読みさしの新聞を休めて、丑松の方を眺めた。玻璃越しに山々の風景を望んで居た一人の肥大な老紳士、是も窓のところに倚凭つて、振返つて二人の様子を見比べた。 新聞で蓮太郎のことを読んで見舞状まで書いた丑松は、この先輩の案外元気のよいのを眼前に見て、喜びもすれば不思議にも思つた。かねて心配したり想像したりした程に身体の衰弱が目につくでもない。強い意志を刻んだやうな其大な額――いよ/\高く隆起したその頬の骨――殊にその眼は一種の神経質な光を帯びて、悲壮な精神の内部を明白と映して見せた。時として顔の色沢なぞを好く見せるのは彼の病気の習ひ、あるひはその故かとも思はれるが、まあ想像したと見たとは大違ひで、血を吐く程の苦痛をする重い病人のやうには受取れなかつた。早速丑松はその事を言出して、『実は新聞で見ました』から、『東京の御宅へ宛てゝ手紙を上げました』まで、真実を顔に表して話した。 『へえ、新聞に其様なことが出て居ましたか』と蓮太郎は微笑んで、『聞違へでせう――不良かつたといふのを、今不良いといふ風に、聞違へて書いたんでせう。よく新聞にはそういふ間違ひが出て来ますよ。まあ御覧の通り、こうして旅行ができる位ですから安心して下さい。誰がまた其様な大袈裟なことを書いたか――はゝゝゝゝ』。聞いて見ると、蓮太郎は赤倉の温泉へ身体を養ひに行つて、今その帰途であるとのこと。その時同伴の人々をも丑松に紹介した。右側に居る、何となく人格の奥床しい女は、先輩の細君であつた。肥大な老紳士は、かねて噂に聞いた信州の政客、この冬打つて出ようとして居る代議士の候補者の一人、雄弁と侠気とで人に知られた弁護士であつた。『あゝ、瀬川君と仰るんですか』と弁護士は愛嬌のある微笑を満面に湛へながら、快活な、磊落な調子で言つた。『私は市村です――只今長野に居ります――何卒まあ以後御心易く』。『市村君と僕とは、』。蓮太郎は丑松の顔を眺めて、『偶然なことから斯様に御懇意にするやうになつて、今では非常な御世話になつて居ります。僕の著述のことでは、殊にこの市村君が心配して居て下さるんです』。『いや』と弁護士は肥大な身体を動つた。『我輩こそ反つて種々御世話になつて居るので――まあ、年だけは猪子君の方がずつと若い、はゝゝゝゝ、しかしその他のことにかけては、我輩の先輩です』。こう言つて、何か思出したやうに嘆息して、『近頃の人物を数へると、いづれも年少気鋭の士ですね。我輩なぞはこの年齢になつても、まだ碌々として居るやうな訳で、考へて見れば実に御恥しい』。 こういふ言葉の中には、真に自身の老大を悲むといふ情が表れて、創意のあるものを忌むやうな悪い癖は少も見えなかつた。そも/\は佐渡の生れ、この山国に落着いたは今から十年程前にあたる。善にも強ければ悪にも強いと言つたやうな猛烈な気象から、種々な人の世の艱難、長い政治上の経験、権勢の争奪、党派の栄枯の夢、または国事犯としての牢獄の痛苦、その他多くの訴訟人と罪人との弁護、およそありとあらゆる社会の酸いと甘いとを嘗め尽して、今は弱いもの貧しいものゝ味方になるやうな、涙脆い人となつたのである。天の配剤ほど不思議なものはない――この政客が晩年になつて、学もあり才もある穢多を友人に持たうとは。 猶深く聞いて見ると、これから市村弁護士は上田を始めとして、小諸、岩村田、臼田なぞの地方を遊説する為、政見発表の途に上るのであるとのこと。親しく佐久小県地方の有権者を訪問して草鞋穿主義で選挙を争ふ意気込であるとのこと。蓮太郎はまた、この友人の応援の為、一つには自分の研究の為、しばらく可懐しい信州に踏止まりたいといふ考へで、今宵は上田に一泊、いづれ二三日の内には弁護士と同道して、丑松の故郷といふ根津村へも出掛けて行つて見たいとのことであつた。この『根津村へも』が丑松の心を悦ばせたのである。『そんなら、瀬川さんは今飯山に御奉職ですな』と弁護士は丑松に尋ねて見た。『飯山――彼処からは候補者が出ませう? 御存じですか、あの高柳利三郎といふ男を』。 蛇の道は蛇だ。弁護士は直にそれを言つた。丑松は豊野の停車場で落合つたことから、今この同じ列車に乗込んで居るといふことを話した。何か思当ることがあるかして、弁護士は不思議さうに首を傾げら、『何処へ行くのだらう』を幾度となく繰返した。『しかし、これだから汽車の旅は面白い。同じ列車の内に乗合せて居ても、それで互ひに知らずに居るのですからなあ』。こう言つて弁護士は笑つた。 病のある身ほど、人の情の真と偽とを烈しく感ずるものはない。心にもないことを言つて慰めてくれる健康な幸福者の多い中に、こういふ人々ばかりで取囲かれる蓮太郎の嬉しさ。殊に丑松の同情は言葉の節々にも表れて、それがまた蓮太郎の身に取つては、奈何にか胸に徹へるといふ様子であつた。その時細君は籠の中に入れてある柿を取出した。それは汽車の窓から買取つたもので、その色の赤々としてさも甘さうに熟したやつを、択つて丑松にも薦め、弁護士にも薦めた。蓮太郎も一つ受取つて、秋の果実のにほひを嗅いで見ら、さて種々な赤倉温泉の物語をした。越後の海岸まで旅したことを話した。蓮太郎は又、東京の市場で売られる果実なぞに比較して、この信濃路の柿の新しいこと、甘いことを賞めちぎつて話した。 駅々で車の停る毎に、農夫の乗客が幾群か入込んだ。今は室の内も放肆な笑声と無遠慮な雑談とで満さるゝやうになつた。それに、東海道沿岸などの鉄道とは違ひ、この荒寥とした信濃路のは、汽車までも旧式で、粗造で、山家風だ。その列車が山へ上るにつれて、窓の玻璃に響いて烈しく動揺する。終には談話も能く聞取れないことがある。油のやうに飯山あたりの岸を浸す千曲川の水も、見れば大な谿流の勢に変つて、白波を揚げて谷底を下るのであつた。濃く青く清々とした山気は窓から流込んで、次第に高原へ近いたことを感ぜさせる。 て、汽車は上田へ着いた。旅人は多くこの停車場で下りた。蓮太郎も、妻君も、弁護士も。『瀬川君、いづれそれでは根津で御目に懸ります――失敬』。こう言つて、再会を約して行く先輩の後姿を、丑松は可懐しさうに見送つた。急に室の内は寂しくなつたので、丑松は冷い鉄の柱に靠れながら、眼を瞑つての意外な邂逅を思ひ浮べて見た。慾を言へば、何となく丑松は物足りなかつた。彼程打解けてくれて、彼程隔てのない言葉を掛けられても、まだ丑松は何処かに冷淡しい他人行儀なところがあると考へて、してこれ程の敬慕の情が彼の先輩の心に通じないのであらう、とこう悲しくも情なくも思つたのである。嫉むではないが、彼の老紳士の親しくするのが羨ましくも思はれた。 その時になつて丑松も明に自分の位置を認めることができた。敬慕も、同情も、すべて彼の先輩に対して起る心の中のやるせなさは――自分もまた同じやうに、『穢多である』といふ切ない事実から湧上るので。その秘密を蔵して居る以上は、仮令口の酸くなるほど他の事を話したところで、自分の真情が先輩の胸に徹へる時はないのである。無理もない。あゝ、あゝ、それを告白けて了つたなら、にこの胸の重荷が軽くなるであらう。奈何に先輩は驚いて、自分の手を執つて、『君もそうか』と喜んでくれるであらう。奈何に二人の心と心とがハタと顔を合せて、互ひに同じ運命を憐むといふその深い交際に入るであらう。そうだ――せめて彼の先輩だけには話さう。こう考へて、丑松は楽しい再会の日を想像して見た。 |
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(三) | |
田中の停車場へ着いた頃は日暮に近かつた。根津村へ行かうとするものは、こゝで下りて、一里あまり小県の傾斜を上らなければならない。丑松が汽車から下りた時、高柳も矢張同じやうに下りた。流石代議士の候補者と名乗る丈あつて、風采は堂々とした立派なもの。権勢と奢侈とで饑ゑたやうなその姿の中には、何処となくこう沈んだところもあつて、時々盗むやうに是方を振返つて見た。なるべく丑松を避けるといふ風で、顔を合すまいと勉めて居ることは、いよ/\その素振で読めた。『何処へ行のだらう、彼男は』と見ると、高柳は素早く埒を通り抜けて、引隠れる場処を欲しいと言つたやうな具合に、旅人の群に交つたのである。深く外套に身を包んで、人目を忍んで居るさへあるに、出迎への人々に取囲かれて、自分と同じ方角を指して出掛けるとは。 北国街道を左へ折れて、桑畠の中の細道へ出ると、最早高柳の一行は見えなかつた。石垣で積上げた田圃と田圃との間の坂路を上るにつれて、烏帽子山脈の大傾斜が眼前に展けて来る。広野、湯の丸、籠の塔、または三峯、浅間の山々、その他ところ/″\に散布する村落、松林――一つとして回想の種とならないものはない。千曲川は遠く谷底を流れて、日をうけておもしろく光るのであつた。 その日は灰紫色の雲が西の空に群つて、飛騨の山脈を望むことはできなかつた。あの千古人跡の到らないところ、もし夕雲の隔てさへなくば、定めし最早皚々とした白雪が夕日を帯びて、天地の壮観は心を驚かすばかりであらうと想像せられる。山を愛するのは丑松の性分で、こうしてこの大傾斜大谿谷の光景を眺めたり、又は斯の山間に住む信州人の素朴な風俗と生活とを考へたりして、岩石の多い凸凹した道を踏んで行つた時は、若々しい総身の血潮が胸を衝いて湧上るやうに感じた。今は飯山の空も遠く隔つた。どんなに丑松は山の吐く空気を呼吸して、暫時自分を忘れるといふその楽しい心地に帰つたであらう。 山上の日没も美しく丑松の眼に映つた。次第に薄れて行く夕暮の反射を受けて、山々の色も幾度か変つたのである。赤は紫に。紫は灰色に。終には野も岡も暮れ、影は暗く谷から谷へ拡つて、最後の日の光は山の巓にばかり輝くやうになつた。丁度天空の一角にあたつて、黄ばんで燃える灰色の雲のやうなは、浅間の煙の靡いたのであらう。 こういふ楽しい心地は、とは言へ、長く続かなかつた。荒谷のはづれ迄行けば、向ふの山腹に連なる一村の眺望、暮色に包まれた白壁土壁のさま、その山家風の屋根と屋根との間に黒ずんで見えるのは柿の梢か――あゝ根津だ。帰つて行く農夫の歌を聞いてすら、丑松はもう胸を騒がせるのであつた。小諸の向町から是処へ来て隠れた父の生涯、それを考へると、黄昏の景気を眺める気も何もなくなつて了ふ。切なさは可懐しさに交つて、足もおのづから慄へて来た。あゝ、自然の胸懐も一時の慰藉に過ぎなかつた。根津に近けば近くほど、自分が穢多である、調里(新平民の異名)である、とその心地が次第に深く襲ひ迫つて来たので。 暗くなつて第二の故郷へ入つた。もと/\父が家族を引連れて、この片田舎に移つたのは、牧場へ通ふ便利を考へたばかりでなく、僅少ばかりの土地を極く安く借受けるやうな都合もあつたからで。現に叔父が耕して居るのはその畠である。流石に用心深い父は人目につかない村はづれを択んだので、根津の西町から八町程離れて、とある小高い丘の裾のところに住んだ。長野県小県郡根津村大字姫子沢――丑松が第二の故郷とは、その五十戸ばかりの小部落を言ふのである。 |
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(四) | |
父の死去した場処は、の根津村の家ではなくて、西乃入牧場の番小屋の方であつた。叔父は丑松の帰村を待受けて、一緒に牧場へ出掛ける心算であつたので、兎も角も丑松を炉辺に座ゑ、旅の疲労を休めさせ、例の無慾な、心の好ささうな声で、亡くなつた人の物語を始めた。炉の火は盛に燃えた。叔母も啜り上げら耳を傾けた。聞いて見ると、父の死去は、老の為でもなく、病の為でもなかつた。まあ、言はゞ、職業の為に突然な最後を遂げたのであつた。一体、父が家畜を愛する心は天性に近かつたので、随つて牧夫としての経験も深く、人にも頼まれ、牧場の持主にも信ぜられた位。牛の性質なぞはなか/\克く暗記して居たもの。よもや彼の老練な人がその道に手ぬかりなどのあらうとは思はれない。そこがそれ人の一生の測りがたさで、ある種牛を預つた為に、意外な出来事を引起したのであつた。種牛といふのは性質が悪かつた。も、多くの牝牛の群の中へ、一頭の牡牛を放つのであるから、普通の温順しい種牛ですら荒くなる。時としては性質が激変する。まして始めから気象の荒い雑種と来たから堪らない。広濶とした牧場の自由と、誘ふやうな牝牛の鳴声とは、その種牛を狂ふばかりにさせた。終には家養の習慣も忘れ、荒々しい野獣の本性に帰つて、行衛が知れなくなつて了つたのである。三日経つても来ない。四日経つても帰らない。さあ、父はそれを心配して、毎日水草の中を捜して歩いて、ある時は深い沢を分けて日の暮れる迄も尋ねて見たり、ある時は山から山を猟つて高い声で呼んで見たりしたが、何処にも影は見えなかつた。昨日の朝、父はまた捜しに出た。いつも遠く行く時には、必ず昼飯を用意して、例の『山猫』(鎌、鉈、鋸などの入物)に入れて背負つて出掛ける。ところが昨日に限つては持たなかつた。時刻に成つても帰らない。手伝ひの男も不思議に思ひながら、塩を与へる為に牛小屋のあるところへ上つて行くと、牝牛の群が喜ばしさうに集まつて来る。丁度その中には、例の種牛も恍け顔に交つて居た。見れば角は紅く血に染つた。驚きもし、呆れもして、来合せた人々と一緒になつて取押へたが、その時はもう疲れて居た故か、別に抵抗も為なかつた。さて男は其処此処と父を探して歩いた。漸く岡の蔭の熊笹の中に呻吟き倒れて居るところを尋ね当てゝ、肩に掛けて番小屋迄連れ帰つて見ると、手当も何も届かない程の深傷。叔父が聞いて駈付けた時は、まだ父は確乎して居た。最後に気息を引取つたのが昨夜の十時頃。今日は人々も牧場に集つて、番小屋で通夜と極めて、いづれも丑松の帰るのを待受けて居るとのことであつた。 『といふ訳で、』と叔父は丑松の顔を眺めた。『私が阿兄に、何か言つておくことはねえか、と尋ねたら、苦しい中にも気象はしやんとしたもので、「俺も牧夫だから、牛の為に倒れるのは本望だ。今となつては他に何にも言ふことはねえ。唯気にかゝるのは丑松のこと。俺が今日迄の苦労は、皆な彼奴の為を思ふから。日頃俺は彼奴に堅く言聞かせておいたことがある。何卒丑松が帰つて来たら、忘れるな、と一言そう言つておくれ」』。 丑松は首を垂れて、黙つて父の遺言を聞いて居た。叔父は猶言葉を継いで、『「それから、俺はの牧場の土となりたいから、葬式は根津の御寺でしねえやうに、なるならこの山でやつておくれ。俺が亡くなつたとは、小諸の向町へ知らせずにおいておくれ――頼む」とこう言ふから、その時私が「むゝ、解つた、解つた」と言つてやつたよ。すると阿兄はそれが嬉しかつたと見え、につこり笑つて、て私の顔を眺めながらボロ/\と涙を零した。それぎりもう阿兄は口を利かなかつた』。 こういふ父の臨終の物語は、言ふに言はれぬ感激を丑松の心に与へたのである。牧場の土となりたいと言ふのも、山で葬式をしてくれと言ふのも、小諸の向町へ知らせずにおいてくれと言ふのも、畢竟るところは丑松の為を思ふからで。丑松はその精神を酌取つて、父の用意の深いことを感ずると同時に、又、一旦こうと思ひ立つたことは飽くまで貫かずにはおかないといふ父の気魄の烈しさを感じた。実際、父が丑松に対する時は、厳格を通り越して、残酷な位であつた。亡くなつた後までも、猶丑松は父を畏れたのである。 やがて丑松は叔父と一緒に、西乃入牧場を指して出掛けることになつた。万事は叔父の計らひで、検屍も済み、棺も間に合ひ、通夜の僧は根津の定津院の長老を頼んで、既に番小屋の方へ登つて行つたとのこと。明日の葬式の用意は一切叔父が呑込んで居た。丑松は唯出掛けさへすればよかつた。ここから烏帽子ヶ獄の麓まで二十町あまり。その間、田沢の峠なぞを越して、寂しい山道を辿らなければならない。その晩は鼻を掴まゝれる程の闇で、足許さへも覚束なかつた。丑松は先に立つて、提灯の光に夜路を照らしながら、山深く叔父を導いて行つた。人里を離れて行けば行くほど、次第に路は細く、落ち朽ちた木葉を踏分けて僅かに一条の足跡があるばかり。こゝは丑松が少年の時代に、克く父に連れられて、往つたり来たりしたところである。牛小屋のある高原の上へ出る前に、二人はいくつか小山を越えた。 |
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(五) | |
谷を下るとそこがもう番小屋で、人々は狭い部屋の内に集つて居た。灯は明々と壁を泄れ、木魚の音も山の空気に響き渡つて、流れ下る細谷川の私語に交つて、一層の寂しさあはれさを添へる。家の構造は、唯雨露を凌ぐといふばかりに、葺きもし囲ひもしてある一軒屋。たまさか殿城山の間道を越えて鹿沢温泉へ通ふ旅人が立寄るより外には、訪ふ人も絶えてないやうな世離れたところ。炭焼、山番、それから斯の牛飼の生活――いづれも荒くれた山住の光景である。丑松は提灯を吹消して、叔父と一緒に小屋の戸を開けて入つた。 定津院の長老、世話人と言つて姫子沢の組合、その他父が生前懇意にした農家の男女――それらの人々から丑松は親切な弔辞を受けた。仏前の燈明は線香の烟に交る夜の空気を照らして、何となく部屋の内も混雑して居るやうに見える。父の遺骸を納めたといふは、極く粗末な棺。その周囲を白い布で巻いて、前には新しい位牌を置き、水、団子、外には菊、樒の緑葉なぞを供へてあつた。読経も一きりになつた頃、僧の注意で、年老いた牧夫の見納めの為に、かはる/″\棺の前に立つた。死別の泪は人々の顔を流れたのである。丑松も叔父に導かれ、すこし腰を曲め、薄暗い蝋燭の灯影に是世の最後の別離を告げた。見れば父は孤独な牧夫の生涯を終つて、牧場の土深く横はる時を待つかのやう。死顔は冷かに蒼めて、血の色もなく変りはてた。叔父は例の昔気質から、他界の旅の便りにもと、編笠、草鞋、竹の輪なぞを取添へ、別に魔除と言つて、刃物を棺の蓋の上に載せた。て復た読経が始まる、木魚の音が起る、追懐の雑談は無邪気な笑声に交つて、物食ふ音と一緒になつて、哀しくもあり、騒がしくもあり、人々に妨げられて丑松は旅の疲労を休めることもできなかつた。 一夜はこういふ風に語り明した。小諸の向町へは通知してくれるなといふ遺言もあるし、それに移住以来十七年あまりも打絶えて了つたし、是方からも知らせてやらなければ、向ふからも来なかつた。昔の『お頭』が亡くなつたと聞伝へて、下手なものにやつて来られては反つて迷惑すると、叔父は唯そればかり心配して居た。この叔父に言はせると、墓を牧場に択んだのは、かねて父が考へて居たことで。といふは、もし根津の寺なぞへ持込んで、普通の農家の葬式で通ればよし、さもなかつた日には、断然謝絶られるやうな浅猿しい目に逢ふから。習慣の哀しさには、穢多は普通の墓地に葬る権利がないとしてある。父は克くそれを承知して居た。父は生前も子の為にこういふ山奥に辛抱して居た。死後もまた子の為にこの牧場に眠るのを本望としたのである。『どうかしてこの「おじやんぼん」(葬式)は無事に済ましたい――なあ、丑松、俺はこれでも気が気ぢやねえぞよ』。斯ういふ心配は叔父ばかりではなかつた。 翌日の午後は、会葬の男女が番小屋の内外に集つた。牧場の持主を始め、日頃牝牛を預けて置く牛乳屋なぞも、それと聞伝へたかぎりは弔ひにやつて来た。父の墓地は岡の上の小松の側と定まつて、ていよいよ野辺送りを為ることになつた時は、住み慣れた小屋の軒を舁がれて出た。棺の後には定津院の長老、つゞいて腕白顔な二人の子坊主、丑松は叔父と一緒に藁草履穿、女はいづれも白の綿帽子を冠つた。人々は思ひ/\の風俗、紋付もあれば手織縞の羽織もあり、山家の習ひとして多くは袴も着けなかつた。この飾りのない一行の光景は、素朴な牛飼の生涯に克く似合つて居たので、順序もなく、礼儀もなく、唯真心こもる情一つに送られて、静かに山を越えた。 式もた簡短であつた。単調子な鉦、太鼓、鐃 ![]() |
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(六) | |
もも葬式は無事に済んだ。後の事は牧場の持主に頼み、番小屋は手伝ひの男に預けて、一同姫子沢へ引取ることになつた。の小屋に飼養はれて居る一匹の黒猫、それも父の形見であるからと、しきりに丑松は連帰らうとして見たが、住慣れた場処につく家畜の習ひとして、離れて行くことを好まない。物をくれても食はず、呼んでも姿を見せず、唯縁の下をあちこちと鳴き悲む声のあはれさ。畜生らに、亡くなつた主人を慕ふかと、人々も憐んで、から雪の降る時節にでもならうものなら何を食つて山籠りする、と各自に言ひ合つた。『可愛さうに、山猫にでもなるだらず』。こう叔父は言つたのである。 やがて人々は思ひ/\に出掛けた。番小屋を預かる男は塩を持つて、岡の上まで見送りながら随いて来た。十一月上旬の日の光は淋しく照して、この西乃入牧場に一層荒寥とした風趣を添へる。見れば小松はところ/″\。山躑躅は、多くの草木の中に、牛の食はないものとして、反つて一面に繁茂して居るのであるが、それも今は霜枯れて見る影がない。何もかも父の死を冥想させる種となる。愁ひつゝ丑松は小山の間の細道を歩いた。父をの牧場に訪れたは、丁度足掛三年前の五月の下旬であつたことを思出した。それは牛の角の癢くなるといふ頃で、この枯々な山躑躅が黄や赤に咲乱れて居たことを思出した。そここゝに蕨を采る子供の群を思出した。山鳩の啼く声を思出した。その時は心地の好い微風が鈴蘭(君影草とも、谷間の姫百合とも)の花を渡つて、初夏の空気を匂はせたことを思出した。父は又、岡の上の新緑を指して見せて、この西乃入には柴草が多いから牛の為に好いと言つたことを思出した。その青葉を食ひ、塩を嘗め、谷川の水を飲めば、牛の病は多く癒ると言つたことを思出した。父はまた附和して、さまざまな牧畜の経験、類を以て集る牛の性質、初めて仲間入する時の角押しの試験、畜生とは言ひながら仲間同志を制裁する力、その他女王のやうに牧場を支配する一頭の牝牛なぞの物語をして、それがいかにも面白く思はれたことを思出した。 父はの烏帽子ヶ嶽の麓に隠れたが、功名を夢見る心は一生火のやうに燃えた人であつた。そこは無欲な叔父と大に違ふところで、その制へきれないやうな烈しい性質の為に、世に立つて働くことができないやうな身分なら、寧そ山奥へ高踏め、といふ憤慨の絶える時がなかつた。自分で思ふやうにならない、だから、せめて子孫は思ふやうにしてやりたい。自分が夢見ることは、何卒子孫に行はせたい。よしや日は西から出て東へ入る時があらうとも、志ばかりは堅く執つて変るな。行け、戦へ、身を立てよ――父の精神はそこに在つた。今は丑松も父の孤独な生涯を追懐して、彼の遺言に籠る希望と熱情とを一層力強く感ずるやうになつた。忘れるなといふ一生の教訓のその生命――喘ぐやうな男性の霊魂のその呼吸――子の胸に流れ伝はる親のその血潮――それは父の亡くなつたと一緒にいよ/\深い震動を丑松の心に与へた。あゝ、死は無言である。しかし丑松の今の身に取つては、千百の言葉を聞くよりも、一層深く自分の一生のことを考へさせるのであつた。 牛小屋のあるところまで行くと、父の残した事業が丑松の眼に映じた。一週すれば二里半にあまるといふ天然の大牧場、そここゝの小松の傍には臥たり起きたりして居る牝牛の群も見える。牛小屋は高原の東の隅に在つて、粗造な柵の内にはだ角のない犢も幾頭か飼つてあつた。例の番小屋を預かる男は人々を款待顔に、枯草を焚いて、猶さま/″\の燃料を掻集めてくれる。丁度そこには叔父も丑松も待合せて居た。男も、女も、斯の焚火の周囲に集つたかぎりは、昨夜一晩寝なかつた人々、かてゝ加へて今日の骨折――中にはもう烈しい疲労が出て、半分眠りながら落葉の焼ける香を嗅いで居るものもあつた。叔父は、牛の群に振舞ふと言つて、あちこちの石の上に二合ばかりの塩を分けてやる。父の飼ひ慣れたものかと思へば、丑松も可懐しいやうな気になつて眺めた。それと見た一頭の黒い牝牛は尻毛を動かして、塩の方へ近いて来る。眉間と下腹と白くて、他はすべて茶褐色な一頭も耳を振つて近いた。吽と鳴いて犢の斑も。さすがに見慣れない人々を憚るかして、いづれも鼻をうごめかして、塩の周囲を遠廻りするものばかり。嘗めたさは嘗めたし、烏散な奴は見て居るし、といふ顔付をして、じり/\寄りに寄つて来るのもあつた。 この光景を見た時は、叔父も笑へば、丑松も笑つた。こういふ可愛らしい相手があればこそ、寂しい山奥に住まはれもするのだと、人々も一緒になつて笑つた。やがて一同暇乞ひして、この父の永眠の地に別離を告げて出掛けた。烏帽子、角間、四阿、白根の山々も、今は後に隠れる。富士神社を通過ぎた頃、丑松は振返つて、父の墓のある方を眺めたが、その時はもう牛小屋も見えなかつた――唯、蕭条とした高原のかなたに当つて、細々と立登る一条の煙の末が望まれるばかりであつた。 |
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第八章(一) | |
西乃入に葬られた老牧夫の噂は、直に根津の村中へ伝播つた。尾鰭を付けて人は物を言ふのが常、まして種牛の為に傷けられたといふ事実は、些少からず好奇な手合の心を驚かして、到る処に茶話の種となる。定めし前の世には恐しい罪を作つたこともあつたらう、と迷信の深い者は直にそれを言つた。牧夫の来歴についても、南佐久の牧場から引移つて来た者だの、甲州生れだの、いや会津の武士の果であるのと、種々な臆測を言ひ触らす。唯、小諸の穢多町の『お頭』であつたといふことは、誰一人として知るものがなかつたのである。 『御苦労招び』(手伝ひに来てくれた近所の人々を招く習慣)のあつた翌日、丑松は会葬者への礼廻りに出掛けた。叔父も。姫子沢の家には叔母一人留守居。御茶漬後(昼飯後)は殊更温暖く、日の光が裏庭の葱畠から南瓜を乾し並べた縁側へ射し込んで、いかにも長閑な思をさせる。追ふものがなければ鶏も遠慮なく、垣根の傍に花を啄むもあり、鳴くもあり、座敷の畳に上つて遊ぶのもあつた。丁度叔母が表に出て、流のところに腰を曲めながら、鍋を洗つて居ると、そこへ立つて丁寧に物を尋ねる一人の紳士がある。『瀬川さんの御宅は』と聞かれて、叔母は不思議さうな顔付。つひぞ見掛けぬ人と思ひながら、冠つて居る手拭を脱つて挨拶して見た。 『はい、瀬川は手前でごはすよ――失礼ながら貴方は何方様で?』。『私ですか。私は猪子といふものです』。蓮太郎は丑松の留守に尋ねて来たのであつた。『もう追付け帰つて参じやせう』を言はれて、折角来たものを、ももそれでは御邪魔して、暫時休ませて頂かう、といふことに極め、て叔母に導かれながら、草葺の軒を潜つて入つた。日頃農夫の生活に興を寄せる蓮太郎、こうして炉辺で話すのが何より嬉といふ風で、煤けた屋根の下を可懐しさうに眺めた。農家の習ひとして、表から裏口へ通り抜けの庭。そこには炭俵、漬物桶、又は耕作の道具なぞが雑然置き並べてある。片隅には泥の儘の『かびた芋』(馬鈴薯)山のやうに。炉は直ぐ上り端にあつて、焚火の煙のにほひも楽しい感想を与へるのであつた。年々の暦と一緒に、壁に貼付けた錦絵の古く変色したのも目につく。 『生憎と今日は留守にいたしやして――まあ吾家に不幸がごはしたもんだで、その礼廻りに出掛けやしてなあ』。こう言つて、叔母は丑松の父の最後を蓮太郎に語り聞かせた。炉の火はよく燃えた。木製の自在鍵に掛けた鉄瓶の湯も沸々と煮立つて来たので、叔母は茶を入れて款待さうとして、急に――まあ、記憶といふものは妙なもので、長く/\忘れて居た昔の習慣を思出した。一体普通の客に茶を出さないのは、穢多の家の作法としてある。煙草の火ですら遠慮する。瀬川の家も昔はこういふ風であつたのでそれを破つて普通の交際を始めたのは、この姫子沢へ移住してから以来。も長い月日の間には、この新しい交際に慣れ、自然と出入りする人々に馴染み、茶はおろか、物の遣り取りもして、春は草餅を贈り、秋は蕎麦粉を貰ひ、是方で何とも思はなければ、他も怪みはしなかつたのである。叔母が斯様な昔の心地に帰つたは近頃ないことで――それも其筈、姫子沢の百姓とは違つて気恥しい珍客――しかも突然に――昔者の叔母は、だから、自分で茶を汲む手の慄へに心付いた程。蓮太郎は其様なことゝも知らないで、さも/\甘さうに乾いた咽喉を濡して、さて種々な談話に笑ひ興じた。就中、丑松がまだ紙鳶を揚げたり独楽を廻したりして遊んだ頃の物語に。 『時に、』と蓮太郎は何か深く考へることがあるらしく、『つかんことを伺ふやうですが、の根津の向町に六左衛門といふ御大尽があるさうですね』。『はあ、ごはすよ』と叔母は客の顔を眺めた。『でせう、御聞きでしたか、そこの家についこの頃婚礼のあつたとかいふ話を』。こう蓮太郎は何気なく尋ねて見た。向町はこの根津村にもある穢多の一部落。姫子沢とは八町程離れて、西町の町はづれにあたる。そこに住む六左衛門といふは音に聞えた穢多の富豪なので。『あれ、少許も其様な話は聞きやせんでしたよ。そんなら聟さんができやしたかいなあ――長いこと彼処の家の娘も独身で居りやしたつけ』。『御存じですか、貴方は、その娘といふのを』。『評判な美しい女でごはすもの。色の白い、背のすらりとした――まあ、彼様な身分のものには惜しいやうな娘だつて、克く他がそれを言ひやすよ。へえもう二十四五にもなるだらず。若く装つて、十九か二十位にしか見せやせんがなあ』。こういふ話をして居る間にも、蓮太郎は何か思ひ当ることがあるといふ風であつた。待つても/\丑松が帰つて来ないので、やがて蓮太郎はすこし其辺を散歩して来るからと、田圃の方へ山の景色を見に行つた。――ぜひ丑松に逢ひたい、といふ言伝を呉々も叔母に残しておいて。 |
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(二) | |
『これ、丑松や、猪子といふ御客様がお前を尋ねて来たぞい』。こう言つて叔母は駈寄つた。『猪子先生?』。丑松の目は喜悦の色で輝いたのである。『多時待つて居なすつたが、お前が帰らねえもんだで』と叔母は丑松の様子を眺めながら、『今々そこへ出て行きなすつた――ちよツくら、田圃の方へ行つて見て来るツて』。こう言つて、気を変へて、『一体彼の御客様はいふ方だえ』。『私の先生でさ』と丑松は答へた。『あれ、そうかつちや』と叔母は呆れて、『そんならそのやうに、御礼を言ふだつたに。俺はへえ、唯お前の知つてる人かと思つた――だつて、御友達のやうにばかり言ひなさるから』。丑松は蓮太郎の跡を追つて、直に田圃の方へ出掛けようとしたが、丁度そこへ叔父も帰つて来たので、暫時上り端のところに腰掛けて休んだ。叔父は酷く疲れたといふ風、家の内へ入るが早いか、『先づ、よかつた』を幾度となく繰返した。何もかも今は無事に済んだ。葬式も。礼廻りも。こういふ思想はに叔父の心を悦ばせたらう。『ああ――これまでに漕付ける俺の心配といふものは』。こう言つて、また思出したやうに安心の溜息を吐くのであつた。『全く、天の助けだぞよ』と叔父は附加して言つた。 平和な姫子沢の家の光景と、世の変遷も知らずに居る叔父夫婦の昔気質とは、丑松の心に懐旧の情を催さした。裏庭で鳴き交す鶏の声は、午後の乾燥いだ空気に響き渡つて、一層長閑な思を与へる。働好な、壮健な、人の好い、しかも子のない叔母は、いつまでも児童のやうに丑松を考へて居るので、その児童扱ひが又、些少からず丑松を笑はせた。『御覧やれ、まあ、あの手付なぞの阿爺さんに克く似てることは』と言つて笑つた時は、思はず叔母も涙が出た。叔父も一緒になつて笑つた。その時叔母が汲んでくれた渋茶の味の甘かつたことは。款待振の田舎饅頭、その黒砂糖の餡の食ひ慣れたのも、可懐しい少年時代を思出させる。故郷に帰つたといふ心地は、何よりも深くこういふ場合に、丑松の胸を衝いて湧上るのであつた。 『どれ、それでは行つて見て来ます』と言つて家を出る。叔父も直ぐに随いて出た。何か用事ありげに呼留めたので、丑松は行かうとして振返つて見ると、霜葉の落ちた柿の樹の下のところで、叔父は声を低くして『他事ぢやねえが、猪子で俺は思出した。以前師範校の先生で猪子といふ人があつた。今日の御客様は彼人とは違ふか』。『それですよ、その猪子先生ですよ』と丑松は叔父の顔を眺めながら答へる。『むゝ、そうかい、彼人かい』と叔父は周囲を眺め廻して、やがて一寸親指を出して見せて、『彼人は是だつて言ふぢやねえか――気を注けろよ』。『はゝゝゝゝ』と丑松は快活らしく笑つて、『叔父さん、なことは大丈夫です』。こう言つて急いだ。 |
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(三) | |
『大丈夫です』とは言つたものゝ、その実丑松は蓮太郎だけに話す気で居る。先輩と自分と、唯二人――二度とはない、こういふ好い機会は。とそれを考へると、丑松の胸はもう烈しく踊るのであつた。枯々とした草土手のところで、丑松は蓮太郎と一緒になつた。聞いて見ると、先輩は細君を上田に残して置いて、その日の朝根津村へ入つたとのこと。連は市村弁護士一人。も弁護士は有権者を訪問する為に忙しいので、旅舎で別れて、蓮太郎ばかりこの姫子沢へ丑松を尋ねにやつて来た。都合あつて演説会は催さない。随つてこの村で弁護士の政論を聞くことはできないが、そのかはり蓮太郎は丑松とゆつくり話せる。まあ、こういふ信濃の山の上で、温暖な小春の半日を語り暮したいとのことである。 その日のやうな楽しい経験――恐らくこの心地は、丑松の身にとつて、さう幾度もあらうとは思はれなかつた程。日頃敬慕する先輩の傍に居て、その人の声を聞き、その人の笑顔を見、その人と一緒に自分もまた同じ故郷の空気を呼吸するとは。丑松は唯話すばかりが愉快ではなかつた。沈黙つて居る間にもまた言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。まして、蓮太郎は――書いたものゝ上に表れたより、話して見ると又別のおもしろみのある人で、容貌は厳しいやうでも、存外情の篤い、優しい、言はゞ極く平民的な気象を持つて居る。そういふ風だから、後進の丑松に対しても城郭を構へない。放肆に笑つたり、嘆息したりして、日あたりの好い草土手のところへ足を投出しながら、自分の病気の話なぞをした。一度車に乗せられて、病院へ運ばれた時は、堪へがたい虚咳の後で、刻むやうにして喀血したことを話した。今は胸も痛まず、それ程の病苦も感ぜず、身体の上のことは忘れる位に元気づいて居る――しかし彼様いふ喀血が幾回もあれば、その時こそ最早駄目だといふことを話した。 こういふ風に親しく言葉を交へて居る間にも、とは言へ、全く丑松は自分を忘れることができなかつた。『何時例のことを切出さう』。その煩悶が胸の中を往つたり来たりして、一時も心を静息ませない。『あゝ、伝染りはすまいか』。どうかするとなことを考へて、先輩の病気を恐しく思ふこともある。幾度か丑松は自分で自分を嘲つた。 千曲川沿岸の民情、風俗、武士道と仏教とがところ/″\に遺した中世の古蹟、信越線の鉄道に伴ふ山上の都会の盛衰、昔の北国街道の栄花、今の死駅の零落――およそ信濃路のさまざま、それらのことは今二人の談話に上つた。眼前には蓼科、八つが嶽、保福寺、又は御射山、和田、大門などの山々が連つて、その山腹に横はる大傾斜の眺望は西東に展けて居た。青白く光る谷底に、遠く流れて行くは千曲川の水。丑松は少年の時代から感化を享けた自然のこと、土地の案内にも委しいところからして、一々指差して語り聞かせる。蓮太郎はその話に耳を傾けて、熱心に眺め入つた。 対岸に見える八重原の高原、そこに人家の煙の立ち登る光景は、殊に蓮太郎の注意を引いたやうであつた。丑松は又、谷底の平地に日のあたつたところを指差して見せて、水に添ふて散布するは、依田窪、長瀬、丸子などの村落であるといふことを話した。濃く青い空気に包まれて居る谷の蔭は、霊泉寺、田沢、別所などの温泉の湧くところ、農夫が群れ集る山の上の歓楽の地、よく蕎麦の花の咲く頃にはこの辺からも労苦を忘れる為に出掛けるものがあるといふことを話した。 蓮太郎に言はせると、彼も一度はこういふ山の風景に無感覚な時代があつた。信州の景色は『パノラマ』として見るべきで、大自然が描いた多くの絵画の中では恐らく平凡といふ側に貶される程のものであらう――成る程、大きくはある。しかし深い風趣に乏しい――起きたり伏たりして居る波濤のやうな山々は、不安と混雑とより外に何の感想をも与へない――それに対へば唯心が掻乱されるばかりである。こう蓮太郎は考へた時代もあつた。不思議にもこの思想は今度の旅行で破壊されて了つて、始めて山といふものを見る目が開いた。新しい自然は別に彼の眼前に展けて来た。蒸し煙る傾斜の気息、遠く深く潜む谷の声、活きもし枯れもする杜の呼吸、その間にはまた暗影と光と熱とを帯びた雲の群の出没するのも目に注いて、『平野は自然の静息、山嶽は自然の活動』といふ言葉の意味も今更のやうに思ひあたる。一概に平凡と擯斥けた信州の風景は、『山気』を通して反つて深く面白く眺められるやうになつた。 こういふ蓮太郎の観察は、山を愛する丑松の心を悦ばせた。その日は西の空が開けて、飛騨の山脈を望むこともできたのである。見ればこの大谿谷のかなたに当つて、畳み重なる山と山との上に、更に遠く連なる一列の白壁。今年の雪も早や幾度か降り添ふたのであらう。その山々は午後の日をうけて、青空に映り輝いて、殆んど人の気魄を奪ふばかりの勢であつた。活々とした力のある山塊の輪郭と、深い鉛紫の色を帯びた谷々の影とは、一層その眺望に崇高な趣を添へる。針木嶺、白馬嶽、焼嶽、鎗が嶽、または乗鞍嶽、蝶が嶽、その他多くの山獄の峻しく競ひ立つのはそこだ。梓川、大白川なぞの源を発するのはそこだ。雷鳥の寂しく飛びかふといふのはそこだ。氷河の跡の見られるといふのはそこだ。千古人跡の到らないといふのはそこだ。あゝ、無言にして聳え立つ飛騨の山脈の姿、長久に荘厳な自然の殿堂――見れば見る程、蓮太郎も、丑松も、高い気象を感ぜずには居られなかつたのである。殊にその日の空気はすこし黄に濁つて、十一月上旬の光に交つて、この広濶い谿谷を盛んに煙るやうに見せた。長い間、二人は眺め入つた。眺め入りながら、互に山のことを語り合つた。 |
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(四) | |
噫。幾度丑松は蓮太郎に自分の素性を話さうと思つたらう。昨夜なぞは遅くまで洋燈の下でその事を考へて、もし先輩と二人ぎりになるやうな場合があつたなら、彼様言はうか、此様言はうかと、さまざまの想像に耽つたのであつた。蓮太郎は今、丑松の傍に居る。さて逢つて見ると、言出しかねるもので、風景なぞのことばかり話して、肝心の思ふことはだ話さなかつた。丑松は既に種々なことを話して居ながら、まだ何も蓮太郎に話さないやうな気がした。 夕飯の用意を命じておいて来たからと、蓮太郎に誘はれて、丑松は一緒に根津の旅舎の方へ出掛けて行つた。道々丑松は話しかけて、正直なところを言はう/\として見た。それを言つたら、自分の真情が深く先輩の心に通ずるであらう、自分は一層先輩に親むことができるであらう、こう考へて、それを言はうとして、言ひ得ないで、時々立止つては溜息を吐くのであつた。秘密――生死にも関はる真実の秘密――仮令先方が同じ素性であるとは言ひながら、してそう容易く告白けることができよう。言はうとしては躊躇した。躊躇しては自分で自分を責めた。丑松は心の内部で、懼れたり、迷つたり、悶えたりしたのである。 て二人は根津の西町の町はづれへ出た。石地蔵の佇立むあたりは、向町――所謂穢多町で、草葺の屋造が日あたりの好い傾斜に添ふて不規則に並んで居る。中にも人目を引く城のやうな一郭、白壁高く日に輝くは、例の六左衛門の住家と知れた。農業と麻裏製造とは、の部落に住む人々の職業で、彼の小諸の穢多町のやうに、靴、三味線、太鼓、その他獣皮に関したものの製造、または斃馬の売買なぞに従事して居るやうな手合は一人もない。麻裏はどの穢多の家でも作るので、『中抜き』と言つて、草履の表に用ふ美しい藁がところ/″\の垣根の傍に乾してあつた。丑松はそれを見ると、瀬川の家の昔を思出した。小諸時代を思出した。亡くなつた母も、今の叔母も、克くその『中抜き』を編んで居たことを思出した。自分もた少年の頃には、戸隠から来る『かはそ』(草履裏の麻)なぞを玩具にして、父の傍で麻裏造る真似をして遊んだことを思出した。 六左衛門のことは、その時、二人の噂に上つた。蓮太郎はしきりに彼の穢多の性質や行為やらを問ひ尋ねる。聞かれた丑松とても委しくはないが、知つて居る丈を話したのはこうであつた。六左衛門の富は彼が一代に作つたもの。今日のやうな俄分限者となつたについては、甚だ悪しざまに罵るものがある。慾深い上に、虚栄心の強い男で、金の力でなることならな事でもして、何卒して『紳士』の尊称を得たいと思つて居る程。恐らく上流社会の華やかな交際は、彼が見て居る毎日の夢であらう。孔雀の真似をる鴉の六左衛門が東京に別荘を置くのもその為である。赤十字社の特別社員になつたのもその為である。慈善事業に賛成するのもその為である。書画骨董で身の辺を飾るのもまたその為である。彼程学問がなくて、彼程蔵書の多いものも鮮少からう、とはこの界隈での一つ話になつて居る。 こういふことを語りながら歩いて行くうちに、二人は六左衛門の家の前へ出て来た。丁度午後の日を真面にうけて、宏壮な白壁は燃える火のやうに見える。建物幾棟かあつて、長い塀はその周囲を厳しく取繞んだ。新平民の子らしいのが、七つ八つを頭にして、何か『めんこ』の遊びでもして、その塀の外に群り集つて居た。中には頬の紅い、眼付の愛らしい子もあつて、普通の家の小供と些少も相違のないのがある。中には又、卑しい、愚鈍しい、どう見ても日蔭者の子らしいのがある。これを眺めても、穢多の部落が幾通りかの階級に別れて居ることは知れた。親らしい男は馬を牽いて、その小供の群に声を掛けて通り、姉らしい若い女は細帯を巻付けた儘で、いそ/\と二人の側を影のやうに擦抜けた。こうして無智と零落とを知らずに居る穢多町の空気を呼吸するといふことは、可傷しいとも、恥かしいとも、腹立たしいとも、名のつけやうのない思をさせる。『吾儕を誰だと思ふ』と丑松は心に憐んで、一時も早くここを通過ぎて了ひたいと考へた。 『先生――行かうぢやありませんか』と丑松はそこに佇立み眺めて居る蓮太郎を誘ふやうにした。『見たまへ、まあ、この六左衛門の家を』と蓮太郎は振返つて、『からどこまで主人公の性質を好く表してるぢやないか。つい二三日前、この家に婚礼があつたといふ話だが、君はな噂を聞かなかつたかね』。『婚礼?』と丑松は聞咎める。『その婚礼が一通りの婚礼ぢやない――多分彼様いふのが政治的結婚とでも言ふんだらう。はゝゝゝゝ。政事家のることは違つたものさね』。『先生の仰ることは私に能く解りません』。『花嫁は君、この家の娘さ。御聟さんは又、代議士の候補者だから面白いぢやないか――』。『ホウ、代議士の候補者? まさか彼の一緒に汽車に乗つて来た男ぢやありますまい』。『それさ、その紳士さ』。『へえ――』と丑松は眼を円くして、『そうですかねえ――意外なことがあればあるものですねえ』。『全く、僕も意外さ』といふ蓮太郎の顔は輝いて居たのである。『しかし何処で先生は其様なことを御聞きでしたか』。『まあ、君、宿屋へ行つて話さう』。 |
(私論.私見)