破戒第七章、第八章、第九章

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


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【破戒第第五章】
 第五章(一)
 十一月三日はめづらしい大霜。長い/\山国の冬が次第にちかづいたことを思はせるのはこれ。その朝、丑松の部屋の窓の外は白い煙におほはれたやうであつた。丑松は二十四年目の天長節を飯山の学校で祝ふといふ為に、柳行李やなぎがうりの中から羽織袴を出して着て、去年の外套ぐわいたうに今年もまた身を包んだ。暗い楼梯はしごだんを下りて、北向の廊下のところへ出ると、朝の光がうつくしく射して来た。溶けかゝる霜と一緒に、日にあたる裏庭の木葉このはは多く枝を離れた。就中わけてももろいのは銀杏いてふで、こずゑには最早もう一葉ひとはの黄もとゞめない。丁度その霜葉しもばの舞ひ落ちる光景ありさまを眺めながら、廊下の古壁に倚凭よりかゝつて立つて居るのは、お志保であつた。丑松は敬之進のことを思出して、つくづく落魄らくはく生涯を憐むと同時に、の人を注意して見るといふ気にもなつたのである。『お志保さん』と丑松は声を掛けた。『奥様にそう言つてくれませんか。今日は宿直の当番ですから何卒どうか晩の弁当をこしらへて下さるやうに。後で学校の小使を取りによこしますからツて――ネ』と言はれて、お志保は壁を離れた。娘の時代にはくある一種の恐怖心から、何となく丑松をはゞかつて居るやうにも見える。何処か敬之進に似たところでもあるか、う丑松は考へて、それとなくおもかげさがして見ると、若々しい髪のかたち、額つき――まあ、どちらかと言へば、の省吾は父親似、の人はまたくなつたといふ母親の方にでも似たのであらう。『眼付なぞはもう彷彿そつくりさ』と敬之進も言つた。『あの、』とお志保はすこし顔をあかくしながら、『此頃こなひだの晩は、大層父が御厄介になりましたさうで』。『いや、私の方でかへつて失礼しましたよ』と丑松は淡泊さつぱりした調子で答へた。『昨日、弟が参りまして、その話をいたしました』。『むゝ、そうでしたか』。『さぞ御困りで御座ございましたらう――父が彼様あゝいふ風ですから、皆さんの御厄介にばかりなりまして』。

 敬之進のことは
一時いつときもお志保の小な胸を離れないらしい。柔嫩やはらか黒眸くろひとみの底には深い憂愁うれひのひかりを帯びて、頬もあか泣き腫れたやうに見える。やがてこういふ言葉を取交した後、丑松は外套の襟で耳を包んで、帽子を冠つて蓮華寺を出た。とある町の曲り角で、外套の袖袋かくしに手を入れて見ると、古いしわだらけになつた手袋がそのなかから出て来た。黒の莫大小メリヤスの裏毛の付いたやつで、皺を延ばしてめた具合は細くしまり過ぎたが、握つた心地こゝろもちは暖かであつた。その手袋を鼻の先へ押当てゝ、ぷんとした湿気しけくさい臭気にほひを嗅いで見ると、急に過去すぎさつた天長節のことが丑松の胸の中に浮んで来る。去年――一昨年――一昨々年――あゝ、まだ世の中を其程それほど深く思ひ知らなかつた頃は、噴飯ふきだしたくなるやうな、気楽なことばかり考へて、この大祭日を祝つて居た。手袋はもとまゝ、色はめたが変らずにある。それから見ると人の精神こゝろ内部なか光景ありさまの移り変ることは。これから将来さきの自分の生涯は畢竟つまりどうなる――誰が知らう。来年の天長節は――いや、来年のことはいて、明日のことですらも。こう考へて、丑松の心は幾度いくたびか明くなつたり暗くなつたりした。

 さすがに大祭日だ。町々の軒は高く国旗を掲げ渡して、いづれの家も静粛にこの記念の
一日ひとひを送ると見える。少年の群は喜ばしさうな声を揚げながら、霜に濡れた道路を学校の方へと急ぐのであつた。悪戯盛いたづらざかりの男の生徒、今日は何時にない大人びた様子をして、羽織袴でかしこまつた顔付のをかしさ。女生徒は新しい海老茶袴えびちやばかま、紫袴であつた。
 (二)
 国のみかどの誕生の日を祝ふために、男女の生徒は足拍子揃へて、二階の式場へ通ふ階段を上つた。銀之助は高等二年を、文平は高等一年を、丑松は高等四年を、いづれも受持々々の組の生徒を引連れて居た。退職の敬之進は最早もう客分ながら、何となく名残りが惜まるゝといふ風で、もとの生徒の後にいて同じやうに階段を上るのであつた。この大祭の歓喜よろこびの中にも、丑松の心を驚かして、突然新しい悲痛かなしみを感ぜさせたことがあつた。といふは、猪子蓮太郎の病気が重くなつたと、ある東京の新聞に出て居たからで。もつとも丑松の目に触れたは、式の始まるといふ前、くはしく読む暇もなかつたから、そのまゝ懐中ふところへ押込んで来たのであつた。世には短い月日の間に長い生涯を送つて、あわただしく通り過ぎるやうに生れて来た人がある。恐らく蓮太郎もその一人であらう。新聞には最早もうむつかしいやうに書いてあつた。あゝ、先輩の胸中に燃える火は、世を焼くよりもさきに、自分の身体をき尽してしまふのであらう。こういふ同情おもひやり一時いつときも丑松の胸を離れない。なほ繰返し読んで見たさは山々、しかしそうは今の場合が許さなかつた。

 その日は赤十字社の社員の祝賀をも兼ねた。式場に集る人々の胸の上には、赤い織色の
きれ、銀のしるしの輝いたのも面白く見渡される。東の壁のところに、二十余人の寺々の住職、今年にかぎつて蓮華寺一人欠けたのも物足りないとは、流石さすがに土地柄も思はれてをかしかつた。殊に風采の人目を引いたのは、高柳利三郎といふ新進政事家、すでに檜舞台ひのきぶたいをも踏んで来た男で、今年もまた代議士の候補者に立つといふ。銀之助、文平を始め、男女の教員は一同風琴の側に集つた。『気をつけ』と呼ぶ丑松のりんとした声が起つた。式は始つたのである。

 主座教員としての丑松は反つて校長よりも男女の少年に慕はれて居た。丑松が『最敬礼』の一声は言ふに言はれぬ震動を幼いものゝ胸に伝へるのであつた。
やがて、『君が代』の歌の中に、校長は御影みえいを奉開して、それから勅語を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声はらいのやうに響き渡る。その日校長の演説は忠孝を題に取つたもので、例の金牌きんぱいは胸の上に懸つて、一層ひとしほ)その風采を教育者らしくして見せた。『天長節』の歌が済む、来賓を代表した高柳の挨拶もあつたが、これはまた場慣れて居るだけに手に入つたもの。雄弁を喜ぶのは信州人の特色で、こういふ一場の挨拶ですらも、人々の心を酔はせたのである。平和と喜悦よろこびとは式場に満ち溢れた。

 閉会の後、高等四年の生徒はかはる/″\丑松に
取縋とりすがつて、種々いろいろ物を尋ねるやら、はねるやら。あるものは手を引いたり、あるものは袖の下を潜り抜けたりして、戯れて、けて行かうとする丑松を放すまいとした。仙太と言つて、三年の生徒で、新平民の少年がある。平素ふだんから退ものにされるのはその生徒。けふも寂しさうに壁に倚凭よりかゝつて、みんなよろこび戯れる光景ありさまを眺めながら立つて居た。可愛さうに、仙太はの天長節ですらも、他の少年と同じやうには祝ひ得ないのである。丑松は人知れず口唇くちびるを噛みしめて、『勇気を出せ、おそれるな』と励ますやうに言つて遣りたかつた。丁度他の教師が見て居たので、丑松はげるやうにして、少年の群を離れた。

 今朝の大霜で、学校の裏庭にある樹木は大概落葉して
しまつたが、桜ばかりはまだ秋の名残をとゞめて居た。丑松はその葉蔭を選んで、時々私語さゝやくやうに枝を渡る微風の音にも胸を踊らせながら、懐中ふところから例の新聞を取出してひろげて見ると――蓮太郎の容体は余程あやふいやうに書いてあつた。記者は蓮太郎の思想に一々同意するものではないが、かくも新平民の中から身を起して飽くまで奮闘して居るその意気を愛せずには居られないと書いてあつた。惜まれてく多くの有望な人々と同じやうに、今またこの人が同じ病苦に呻吟しんぎんすると聞いては、うたゝ同情の念に堪へないと書いてあつた。思ひあたることがないでもない、人に迫るやうなかれの筆の真面目しんめんもくはこうした悲哀あはれが伴ふからであらう、こういふ記者もたその為に薬籠やくろうに親しむ一人であると書いてあつた。動揺する地上の影は幾度か丑松を驚かした。日の光は秋風に送られて、かれ/″\な桜の霜葉をうつくしくして見せる。蕭条せうでうとした草木の凋落てうらくは一層先輩の薄命を冥想めいさうさせる種となつた。
 (三)
 敬之進の為に開いた茶話会は十一時頃からあつた。その日の朝、蓮華寺を出る時、丑松は廊下のところでお志保に逢つて、この不幸な父親を思出したが、こうして会場の正面にゑられた敬之進を見ると、今度は反対あべこべに彼の古壁に倚凭つた娘のことを思出したのである。敬之進の挨拶は長い身の上の述懐であつた。憐むといふ心があればこそ、丑松ばかりは首を垂れて聞いて居たやうなものゝ、さもなくて、誰がおい繰言くりごとなぞに耳を傾けよう。

 茶話会の済んだ後のことであつた。丁度
庭球テニス遊戯あそびをするために出て行かうとする文平を呼留めて、一緒に校長はある室の戸を開けて入つた。差向ひに椅子に腰掛けたは運動場近くにある窓のところで、庭球テニスきちがひの銀之助なぞが呼び騒ぐ声も、玻璃ガラスに響いて面白さうに聞えたのである。『まあ、勝野君、そう運動にばかり夢中にならないで、すこし話したまへ』と校長は忸々なれ/\)しく、『時に、どうでした、今日の演説は?』。『先生の御演説ですか』と文平が打球板ラッケットを膝の上に載せて、『いや、非常に面白く拝聴うかゞひました』。『そうですかねえ。――は聞きごたへがありましたかねえ』。『御世辞でも何でもないんですが、今迄私が拝聴うかゞつたうちでは、づ第一等のできでしたらう』。『そう言つてくれる人があると難有ありがたい』と校長は微笑みながら、『実はの演説をするために、昨夜ゆうべ一晩かゝつて準備したくしましたよ。忠孝といふ字義の解釈はどう聞えました。我輩の積りでは、あれでも余程頭脳あたまを痛めたのさ。種々いろ/\な字典を参考するやら、何やら――そりやあもう、君』。『どうしても調べたものは調べた丈のことがあります』。『しかし、真実ほんたうに聞いてくれた人は君くらゐのものだ。町の人なぞは空々寂々――いや、実際、耳を持たないんだからねえ。中には、高柳の話にひどく感服してる人がある。彼様あんな演説屋の話と、吾儕われ/\の言ふことゝを、一緒にして聞かれてたまるものかね』。『どうせ解らない人には解らないんですから』と文平に言はれて、不平らしい校長の顔付は幾分いくらやはらいで来た。

 その時迄、校長は何か言ひたいことがあつて、それを言はないで、
かへつてこういふ談話はなしをして居るといふ風であつたが、やがて思ふことを切出した。わざ/\文平を呼留めてこの室へ連れて来たのは、どうかして丑松を退ける工夫はないか、それを相談したい下心であつたのである。『と云ふのはねえ、』と校長は一段声を低くした。『瀬川君だの、土屋君だの、彼様あゝいふ異分子が居ると、どうも学校の統一がつかなくて困る。もつとも土屋君の方は、農科大学の助手といふことになつて、遠からず出掛けたいやうな話ですから――まあこの人は黙つて居ても出て行く。難物は瀬川君です。瀬川君さへ居なくなつて了へば、後は君、もう吾儕われ/\の天下さ。どうかして瀬川君をして、是非その後へは君にすわつて頂きたい。実は君の叔父さんからも種々いろ/\御話がありましたがね、叔父さんも矢張やつぱりそういふ意見なんです。何とか君、うまい工夫はあるまいかねえ』。『左様さうですなあ』と文平は返事に困つた。『生徒を御覧なさい――瀬川先生、瀬川先生と言つて、瀬川君ばかり大騒ぎしてる。彼様あんなに大騒ぎするのは、瀬川君の方で生徒の機嫌を取るからでせう? 生徒の機嫌を取るといふのは、何か其処に訳があるからでせう? 勝野君、まあ君はどう思ひます』。『今の御話は私にく解りません』。『では、君、こう言つたら。――これはまあこれりの御話なんですがね、必定きつと瀬川君はこの学校を取らうといふ野心があるに相違ちがひないんです』。『はゝゝゝゝ、まさかそれ程にも思つて居ないでせう』と笑つて、文平は校長の顔を熟視みまもつた。『でせうか?』と校長は疑深く、『思つて居ないでせうか?』。『だつて、そんなことを考へるやうな年齢としぢやありません。――瀬川君にしろ、土屋君にしろ、まだ若いんですもの』。

 この『若いんですもの』が校長を嘆息させた。庭で遊ぶ
庭球テニスの球の音はおもしろく窓の玻璃ガラスに響いた。また一勝負始まつたらしい。思はず文平は聞耳を立てた。その文平の若々しい顔付を眺めると、校長は更に嘆息して、『一体、瀬川君なぞはどういふことを考へて居るんでせう』。『どういふことゝは?』と文平は不思議さうに。『まあ、近頃の瀬川君の様子を見るのに、非常に沈んで居る――何かこう深く考へて居る――新しい時代といふものは彼様あゝ物を考へさせるんでせうか。どうも我輩には不思議でならない』。『しかし、瀬川君の考へて居るのは、何か別の事でせう――今、先生の仰つたやうな、其様そんな事ぢやないでせう』。『左様さうなると、猶々なほ/\我輩には解釈が付かなくなる。どうも我輩の時代に比べると、瀬川君なぞの考へて居ることは全く違ふやうだ。我輩の面白いと思ふことを、瀬川君なぞは一向詰らないやうな顔してる。我輩の詰らないと思ふことを、反つて瀬川君なぞは非常に面白がつてる。畢竟つまり一緒に事業しごとができないといふは、時代が違ふからでせうか――新しい時代の人と、吾儕われ/\とは、そんな思想かんがへが合はないものなんでせうか』。『ですけれど、私なぞはそう思ひません』。『そこが君の頼母たのもしいところさ。何卒どうか、君、彼様あゝいふ悪い風潮に染まないやうにしてくれたまへ。及ばずながら君のことについては、我輩もできるだけの力を尽すつもりだ。世の中のことは御互ひに助けたり助けられたりさ――まあ、勝野君、そうぢやありませんか。今こゝで直に異分子をどうするといふ訳にもいかない。ですから、何か好い工夫でもあつたら、考へておいてくれたまへ――瀬川君のことについて何か聞込むやうな場合でもあつたら、是非それを我輩に知らせてくれたまへ』。
 (四)
 盛んな遊戯の声がまた窓の外に起つた。文平は打球板ラッケットを提げて出て行つた。校長は椅子を離れて玻璃ガラスの戸を上げた。丁度運動場では庭球テニスの最中。大人びた風の校長は、まだ筋骨の衰頽おとろへを感ずる程の年頃でもないが、妙に遊戯の嫌ひな人で、殊に若いものゝ好な庭球などゝ来ては、昔の東洋風の軽蔑けいべつを起すのが癖。だから、『何を、児戯こどもらしいことを』と言つたやうな目付して、夢中になつて遊ぶ人々の光景ありさまを眺めた。

 地は日の光の為に乾き、人は運動の熱の為に燃えた。いつの間にか文平は庭へ出て、遊戯の仲間に加つた。銀之助は今、文平の組を相手にして、一戦を試みるところ。
流石さすが庭球狂テニスきちがひもさん/″\に敗北して、やがて仲間の生徒と一緒に、打球板ラッケットを捨てゝ退いた。敵方の揚げる『勝負有ゲエム』の声は、拍手の音に交つて、屋外そとの空気に響いておもしろさうに聞える。東よりの教室の窓から顔を出した二三の女教師も、一緒になつて手をたゝいて居た。その時、幾組かに別れて見物した生徒の群は互ひに先を争つたが、中に一人、素早く打球板ラッケットを拾つた少年があつた。新平民の仙太と見て、他の生徒がその側へ馳寄かけよつて、無理無体に手に持つ打球板ラッケットを奪ひ取らうとする。仙太は堅く握つたまゝ、そんな無法なことがあるものかといふ顔付。それはよかつたが、何時まで待つて居ても組のものが出て来ない。『さあ、誰か出ないか』と敵方は怒つて催促する。少年の群は互ひに顔を見合せて、困つて立つて居る仙太を冷笑して喜んだ。誰もの穢多の子と一緒に庭球の遊戯あそびを為ようといふものはなかつたのである。

 急に、羽織を脱ぎ捨てゝ、そこにある
打球板ラッケットを拾つたは丑松だ。それと見た人々は意味もなく笑つた。見物して居る女教師も微笑ほゝゑんだ。文平贔顧びいきの校長は、丑松の組に勝たせたくないと思ふかして、熱心になつて窓からながめて居た。丁度午後の日を背後うしろにしたので、位置の利は始めから文平の組の方にあつた。『ワンゼロ』と呼ぶのは、網の傍に立つ審判官の銀之助である。丑松仙太は先づ第一の敗を取つた。見物して居る生徒は、いづれも冷笑を口唇くちびるにあらはして、仙太の敗を喜ぶやうに見えた。『ツウゼロ』と銀之助は高く呼んだ。丑松の組は第二の敗を取つたのである。『ツウゼロ』と見物の生徒は聞えよがしに繰返した。

 敵方といふのは、年若な準教員――それ、丑松が蓮華寺へ
明間あきまを捜しに行つた時、帰路かへり遭遇であつた彼男と、それから文平と、こう二人の組で、丑松に取つてはあなどり難い相手であつた。それに、敵方の力は揃つて居るに引替へ、味方の仙太はまだ一向に練習が足りない。『スリイゼロ』と呼ぶ声を聞いた時は、丑松もすこし気をいらつた。人種と人種の競争――それにひけを取るまいといふ丑松の意気が、何となく斯様こんな遊戯の中にもあらはれるやうで、『まけるな、敗けるな』と弱い仙太を※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)はげますのであつた。丑松は撃手サアブ。最後の球を打つ為に、外廓そとぐるわの線の一角に立つた。『さあ、来い』と言はぬばかりの身構へして、うかゞひ澄まして居る文平を目がけて、打込んだ球はかすかに網に触れた。『タッチ』と銀之助の一声。丑松は二度目の球を試みた。力あまつて線を越えた。ああ、『フオウル』だ。丑松も今は怒気を含んで、満身の力を右の腕に籠めながら、勝つも負けるも運はこの球一つにあると、打込む勢は獅子奮進。青年の時代にくある一種の迷想から、丁度一生の運命を一時のたはむれに占ふやうに見える。『イン』と受けた文平もさるもの。故意わざと丑松の方角を避けて、うろ/\する仙太のすきいた。烈しい日の光は真正面まともに射して、飛んで来る球のかたちすら仙太の目には見えなかつたのである。『勝負ありゲエム』と人々は一音に叫んだ。仙太の手から打球板ラッケットを奪ひ取らうとした少年なぞは、手をつて、雀躍こをどりして、喜んだ。思はず校長も声を揚げて、文平の勝利を祝ふといふ風であつた。

 『瀬川君、
零敗ゼロまけとはあんまりぢやないか』といふ銀之助の言葉を聞捨てゝ、丑松はそこに置いた羽織を取上げながら、すご/\と退いた。やがて運動場うんどうばから裏庭の方へ廻つて、誰も見て居ないところへ来ると、ふと何か思出したやうに立留つた。さあ、丑松は自分で自分を責めずに居られなかつたのである。蓮太郎――大日向――それから仙太、こう聯想した時は、猜疑うたがひ恐怖おそれとで戦慄ふるへるやうになつた。あゝ、意地の悪い智慧ちゑはいつでも後から出て来る。
  第六章(一)
 天長節の夜は宿直の当番であつたので、丑松銀之助の二人は学校に残つた。敬之進は急に心細く、名残り惜しくなつて、いつまでもここを去り兼ねる様子。夕飯の後、まだ宿直室に話しこんで、例の愚痴の多い性質から、生先おひさき長い二人に笑はれて居るうちに、壁の上の時計は八時打ち、九時打つた。それは翌朝よくあさの霜の烈しさを思はせるやうな晩で、日中とは違つて、めつきり寒かつた。丑松が見廻りの為に出て行つた後、まだ敬之進は火鉢の傍にかじりついて、銀之助を相手に掻口説かきくどいて居た。やがて二十分ばかり経つて丑松は帰つて来た。手提洋燈てさげランプを吹消して、急いで火鉢のわきに倚添ひながら、『いや、もう屋外そとは寒いの寒くないのツて、手も何もかじかんで了ふ――今夜のやうに酷烈きびしいことは今歳ことしになつて始めてだ。どうだ、君、この通りだ』と丑松は氷のやうになつた手を出して、銀之助に触つた。『まあ、何といふ冷い手だらう』。こう言つて、自分の手を引込まして、銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めたのである。

 『顔色が悪いねえ、君は――
どうかしやしないか』と思はずそれを口に出した。敬之進も同じやうに不審を打つて、『我輩も今、それを言はうかと思つて居たところさ』。丑松は何か思出したやうに慄へて、話さうか、話すまいか、と暫時しばらく躊躇ちうちよする様子にも見えたが、あまり二人が熱心に自分の顔を熟視みまもるので、つい/\打明けずには居られなくなつて来た。『実はねえ――まあ、不思議なことがあるんだ』。『不思議なとは?』と銀之助も眉をひそめる。『こういふ訳さ――僕が手提洋燈てさげランプを持つて、校舎の外を一廻りして、あの運動場の木馬のところまで行くと、誰かこう僕を呼ぶやうな声がした。見れば君、誰も居ないぢやないか。はてな、聞いたやうな声だと思つて、考へて見ると、そのはずさ。――僕の阿爺おやぢの声なんだもの』。『へえ、妙なことがあればあるものだ』と敬之進も不審いぶかしさうに、『それで、何ですか、どんな風に君を呼びましたか、その声は』。『「丑松、丑松」とつゞけざまに』。『フウ、君の名前を?』と敬之進はもう目をまるくしてしまつた。『はゝゝゝゝ』と銀之助は笑出して、『馬鹿なことを言ひたまへ。瀬川君も余程よツぽどどうかして居るんだ』。『いや、確かに呼んだ』と丑松は熱心に。『其様そんな事があつて堪るものか。何かまた間違へでもしたんだらう』。『土屋君、君は左様さう笑ふけれど、確かに僕の名を呼んだに相違ないよ。風が呻吟うなつたでもなければ、鳥が啼いたでもない。そんな声を、まさかに僕だつて間違へる筈もなからうぢやないか。どうしても阿爺だ』。『君、真実ほんたうかい。――戯語じようだんぢやないのかい。――またかつぐんだらう』。『土屋君はそれだから困る。僕は君これでも真面目まじめなんだよ。確かに僕はの耳で聞いて来た』。『その耳があてに成らないサ。君の父上おとつさんは西乃入にしのいりの牧場に居るんだらう。あの烏帽子ゑぼしだけ谷間たにあひに居るんだらう。それ、見給へ。その父上おとつさんが斯様こん隔絶かけはなれた処に居る君の名前を呼ぶなんて――馬鹿らしい』。『だから不思議ぢやないか』。『不思議? ちよツ、不思議といふのは昔の人のお伽話とぎばなしだ。はゝゝゝゝ、智識の進んで来た今日、そんな馬鹿らしいことのあるべき筈がない』。『しかし、土屋君』と敬之進は引取つて、『そう君のやうに一概に言つたものでもないよ』。『はゝゝゝゝ、旧弊な人はこれだから困る』と銀之助はあざけるやうに笑つた。

 急に丑松は聞耳を立てた。
た何か聞きつけたといふ風で、すこし顔色を変へて、言ふに言はれぬ恐怖おそれを表したのである。戯れて居るのでないといふことは、その真面目な眼付を見ても知れた。『や――復た呼ぶ声がする。何だかこう窓の外の方で』と丑松は耳を澄まして、『しかし、あまり不思議だ。一寸、僕は失敬するよ――もう一度行つて見て来るから』。ぷいと丑松は駈出して行つた。さあ、銀之助は友達のことが案じられる。敬之進はもう心に驚いてしまつて、何かの前兆しらせではあるまいか――第一、父親の呼ぶといふのが不思議だ、とこう考へつゞけたのである。『それはさうと』と敬之進は思付いたやうに、『こうして吾儕われ/\ばかり火鉢にあたつて居るのも気懸きがゝりだ。奈何どうでせう、二人で行つて見てやつては』。『むゝ、そうしませうか』と銀之助も火鉢を離れて立上つた。『瀬川君はすこしどうかしてるんでせうよ。まあ、僕に言はせると、何か神経の作用なんですねえ――かく、それでは一寸待つて下さい。僕が今、手提洋燈てさげランプけますから』。
 (二)
 深い思に沈みながら、丑松は声のする方へ辿たどつて行つた。見れば宿直室の窓をれるが、僅に庭の一部分を照して居るばかり。校舎も、樹木も、形を潜めた。何もかも今は夜の空気に包まれて、沈まり返つて、闇に隠れて居るやうに見える。それは少許すこしも風のない、※(「門<貝」、第4水準2-91-57)しんとした晩で、寒威さむさは骨に透徹しみとほるかのやう。恐らく山国の気候の烈しさを知らないものは、うした信濃の夜を想像することができないであらう。

 父の呼ぶ声が
た聞えた。急に丑松は立留つて、星明りに周囲そこいらすかしてたが、別に人の影らしいものが目に入るでもなかつた。すべては皆な無言である。犬一つ啼いて通らないこの寒い夜に、何が音を出して丑松の耳を欺かう。『丑松、丑松』とまた呼んだ。さあ、丑松はおそれずふるへずに居られなかつた。心はもう底の底までも掻乱かきみだされてしまつたのである。たしかにそれは父の声で――皺枯しやがれた中にも威厳のある父の声で、あの深い烏帽子ゑぼしだけ谷間たにあひから、遠くの飯山に居る丑松を呼ぶやうに聞えた。目をあげて見れば、空とても矢張やはり地の上と同じやうに、音もなければ声もない。風は死に、鳥は隠れ、すゞしい星の姿ところ/″\。銀河の光は薄い煙のやうに遠く荘厳おごそかな天を流れて、深大な感動を人の心に与へる。さすがにかすかな反射はあつて、仰げば仰ぐほど暗い藍色の海のやうなは、そこに他界を望むやうな心地もせらるゝのであつた。声――あの父の呼ぶ声は、この星夜の寒空を伝つて、丑松の耳の底に響いて来るかのやう。子の霊魂たましひを捜すやうな親の声は確かに聞えた。しかしその意味は。こう思ひ迷つて、丑松はあちこち/\と庭の内を歩いて見た。

 あゝ、何を
其様そんなに呼ぶのであらう。丑松は一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。自分の精神の内部なか苦痛くるしみが、子を思ふ親の情からして、自然と父にも通じたのであらうか。飽くまでも素性を隠せ、今日までの親の苦心を忘れるな、といふ意味であらうか。それで彼の牧場の番小屋を出て、自分のことを思ひながら呼ぶその声が谿谷たにから谿谷へ響いて居るのであらうか。それとも、また、自分の心の迷ひであらうか。といろ/\に想像して見て、しまひには恐怖おそれ疑心うたがひとで夢中になつて、『阿爺おとつさん、阿爺さん』と自分の方から目的あてどもなく呼び返した。

 『やあ、君はここに居たのか』と声を掛けて
ちかづいたのは銀之助。つゞいて敬之進も。二人はしきりに手提洋燈てさげランプをさしつけて、先づ丑松の顔を調べ、身の周囲まはりを調べ、それから闇をうかゞふやうにして見て、さて丑松からまた/\父の呼声のしたことを聞取つた。『土屋君、それ見たまへ』。敬之進は寒さと恐怖おそれとで慄へながら言つた。銀之助は笑つて、『どうしてもそんなことは理窟に合はん。必定きつと神経のせゐだ。一体、瀬川君は妙に猜疑深うたがひぶかくなつた。だからそんな下らないものが耳に聞えるんだ』。『そうかなあ、神経のせゐかなあ』。こう丑松は反省するやうな調子で言つた。『だつて君、考へて見たまへ。形のないところに形が見えたり、声のないところに声が聞えたりするなんて、それそこが君の猜疑深うたがひぶかくなつた証拠さ。声も、形も、それは皆な君が自分の疑心から産出うみだした幻だ』。『幻?』。『所謂いはゆる疑心暗鬼といふ奴だ。耳に聞える幻――といふのも変な言葉だがね、まあそういふことも言へるとしたら、それが今夜君の聞いたやうな声なんだ』。『あるひはそうかも知れない』。

 
暫時しばらく、三人は無言になつた。天も地も※(「門<貝」、第4水準2-91-57)しんとして、声がなかつた。急に是の星夜の寂寞せきばくを破つて、父の呼ぶ声が丑松の耳の底に響いたのである。『丑松、丑松』と次第にかすかになつて、いて空を渡る夜の鳥のやうに、しまひには遠く細く消えて聞えなくなつて了つた。『瀬川君』と銀之助は手提洋燈をさしつけて、顔色を変へた丑松の様子を不思議さうに眺め乍ら、『どうしたい。――君は』。『今、また阿爺おやぢの声がした』。『今? 何にも聞えやしなかつたぢやないか』。『ホウ、そうかねえ』。『そうかねえもないもんだ。なんにも声なぞは聞えやしないよ』と言つて、銀之助は敬之進の方へ向いて、『風間さん、どうでした。――何か貴方には聞えましたか』。『いゝえ』と敬之進も力を入れた。『ホウラ。風間さんにも聞えなければ、僕にも聞えない。聞いたのは、唯君ばかりだ。神経、神経――どうしてもそれに相違ない』。こう言つて、やがて銀之助はあちこちと闇を照らして見た。天は今僅かに星の映る鏡、地は今大な暗い影のやう。一つとして声のありさうなものが、手提洋燈の光に入るでもなかつた。『はゝゝゝゝ』と銀之助は笑ひ出して、『まあ、僕は耳に聞いたつて信じられない。目に見たつて信じられない。手に取つて、さはつて見て、それからでなければ其様そんなことは信じられない。いよ/\こりやあ、僕の観察の通りだ。生理的に其様な声が聞えたんだ。はゝゝゝゝ。それはさうと、馬鹿に寒くなつて来たぢやないか。僕は最早もう)こうして立つて居られなくなつた――行かう』。
 (三)
 その晩、寝床へ入つてからも、丑松は父と先輩とのことを考へて、寝られなかつた。銀之助は直にもう高鼾たかいびき。どんなに丑松は傍に枕を並べて居る友達の寝顔を熟視みまもつて、その平穏おだやかな、安静しづか睡眠ねむりを羨んだらう。夜もけた頃、むつくと寝床から跳起はねおきて、一旦細くした洋燈ランプを復た明くしながら、蓮太郎に宛てた手紙を書いて見た。今はこの病気見舞すら人目をはゞかつてしたゝめる程に用心したのである。時々丑松は書きかけた筆を止めて、洋燈の光に友達の寝顔を窺つて見ると、銀之助は死んだ魚のやうに大な口を開いて、前後も知らず熟睡して居た。

 全く丑松は蓮太郎を知らないでもなかつた。人の紹介で逢つて見たこともあるし、
今歳ことしになつて二三度手紙の往復とりやりもしたので、幾分いくらか互ひの心情こゝろもちは通じた。しかし、蓮太郎は篤志な知己として丑松のことを考へて居るばかり、同じ素性の青年とは夢にも思はなかつた。丑松もまた、その秘密ばかりは言ふことを躊躇ちうちよして居る。だから何となく奥歯に物が挾まつて居るやうで、その晩書いた丑松の手紙にも十分に思つたことが表れない。何故なぜこれ程ほどに慕つて居るか、それさへ書けば、他の事はもう書かなくてもむ。あゝ――書けるものなら丑松も書く。それを書けないといふのは、丑松の弱点で、とう/\普通の病気見舞と同じものになつて了つた。『東京にて、猪子蓮太郎先生、瀬川丑松より』としたゝめ終つた時は、深く/\良心こゝろいつはるやうな気がした。筆をなげうつて、嘆息して、た冷い寝床に潜り込んだが、とろ/\としたかと思ふと、直に恐しい夢ばかり見つゞけたのである。

 翌朝のことであつた。蓮華寺の庄馬鹿が学校へやつて来て、是非丑松に逢ひたいと言ふ。『何の用か』を小使に言はせると、『御目に懸つて御渡ししたいものが
御座ございます』とか。出て行つて玄関のところで逢へば、庄馬鹿は一通の電報を手渡しした。不取敢とりあへず開封して読下して見ると、片仮名の文字も簡短に、父の死去したといふ報知しらせが書いてあつた。突然のことに驚いて了つて、半信半疑で繰返した。確かに死去の報知には相違なかつた。発信人は根津の叔父。『直ぐ帰れ』としてある。『それはどうも飛んだことで、さぞ御力落しで御座ませう――はい、早速帰りまして、奥様にも申上げまするで御座ます』。う庄馬鹿が言つた。小児こどものやうに死を畏れるといふ様子は、そのおろかしい目付にあらはれるのであつた。

 丑松の父といふは、日頃極めて壮健な方で、
激烈はげしい気候に遭遇であつても風邪一つ引かず、巌畳がんでふ体躯からだかへつて壮夫わかものしのぐ程の隠居であつた。牧夫の生涯しやうがいといへばいかにも面白さうに聞えるが、その実普通の人に堪へられる職業ではないのであつて、就中わけても西乃入の牧場の牛飼などと来ては、『の隠居だから勤まる』と人にも言はれる程。牛の性質をく暗記して居るといふ丈では、所詮あの烏帽子ゑぼしだけの深い谿谷たにあひに長く住むことはできない。気候には堪へられても、寂寥さびしさには堪へられない。温暖あたゝかい日の下に産れて忍耐の力に乏しい南国の人なぞは、到底こういふ山の上の牧夫に適しないのである。そこはそれ、北部の信州人、殊に丑松の父は素朴な、勤勉な、剛健な気象で、労苦を労苦とも思はない上に、別に人の知らない隠遁の理由をも持つて居た。思慮の深い父は丑松に一生の戒を教へたばかりでなく、自分もまたなるべく人目につかないやうに、とこう用心して、子の出世を祈るより外にもう希望のぞみもなければ慰藉なぐさめもないのであつた。丑松のため――それを思ふ親の情からして、人里遠い山の奥に浮世を離れ、朝夕炭焼の煙りを眺め、牛の群を相手に寂しい月日を送つて来たので。月々丑松から送る金の中からな地酒を買ふといふことが、何よりのこの牧夫のたのしみ。労苦も寂寥さびしさもその為に忘れると言つて居た。こういふ阿爺おやぢが――まあ、鋼鉄のやうに強いとも言ひたい阿爺が、病気の前触もなくて、突然死去したと言つてよこしたとは。

 電報は簡短で亡くなつた事情も解らなかつた。それに、父が牧場の番小屋に上るのは、春雪の溶け初める頃で、また谷々が白く降り
うづめられる頃になると、根津村の家へ下りて来る毎年まいとしの習慣である。もうそろ/\冬籠りの時節。考へて見れば、亡くなつた場処は、西乃入か、根津か、それすらこの電報では解らない。

 しかし、その時になつて、丑松は
昨夜ゆうべの出来事を思出した。あの父の呼声を思出した。あの呼声が次第に遠く細くなつて、別離わかれを告げるやうに聞えたことを思出した。この電報を銀之助に見せた時は、流石さすがの友達も意外なといふ感想かんじに打たれて、暫時しばらく茫然ぼんやりとして突立つたまゝ、丑松の顔を眺めたり、死去の報告しらせを繰返して見たりした。やがて銀之助は思ひついたやうに、『むゝ、根津には君の叔父さんがあると言つたツけねえ。そういふ叔父さんがあれば、万事見てはくれたらう。しかし気の毒なことをした。なにしろ、まあ早速帰る仕度をしたまへ。学校の方は、君、どうにでも都合するから』。こう言つてくれる友達の顔には真実が輝きあふれて居た。たゞ銀之助は一語ひとことも昨夜のことを言出さなかつたのである。『死は事実だ。――不思議でも何でもない』との若い植物学者は眼で言つた。

 校長は時刻を
たがへず出勤したので、早速この報知しらせを話した。丑松は直にこれから出掛けて行きたいと話した。留守中何分宜敷よろしく、受持の授業のことは万事銀之助に頼んでおいたと話した。『どんなにか君も吃驚びつくりなすつたでせう』と校長は忸々なれ/\)しい調子で言つた。『学校の方は君、土屋君も居るし、勝野君も居るし、其様そんなことはもうも御心配なく。実に我輩も意外だつた、君の父上おとつさんがくならうとは。何卒どうか、まあ、彼方あちらの御用も済み、忌服きぶくでも明けることになつたら、また学校の為に十分御尽力を願ひませう。吾儕われ/\事業しごとこれだけに揚つて来たのも、一つは君の御骨折からだ。こうして君が居て下さるんで、奈何どんなにか我輩も心強いか知れない。此頃こなひだも或る処で君の評判を聞いて来たが、何だかこう我輩は自分を褒められたやうな心地こゝろもちがした。実際、我輩は君を頼りにして居るのだから』と言つて気を変へて、『それにしても、出掛けるとなると、思つたよりはかゝるものだ。少し位ぐらゐは持合せもありますから、立替へて上げてもいゝのですが、どうです御持ちなさらんか。もし御入用おいりようなら遠慮なく言つて下さい。足りないと、また困りますよ』と言ふ校長の言葉はいかにも巧みであつた。しかし丑松の耳には唯わざとらしく聞えたのである。『瀬川君、それでは届を忘れずに出して行つて下さい――何も規則ですから』。こう校長は添加つけたして言つた。
 (四)
 丑松が急いで蓮華寺へ帰つた時は、奥様も、お志保も飛んで出て来て、電報の様子を問ひ尋ねた。奈何どんなに二人は丑松の顔を眺めて、この可傷いたましい報知しらせの事実を想像したらう。奈何に二人は昨夜の不思議な出来事を聞取つて、女心に恐しくあさましく考へたらう。奈何に二人は世にある多くのためしを思出して、死を告げる前兆しらせ、逢ひに来る面影、または闇を飛ぶといふ人魂ひとだまの迷信なぞに事寄せて、この暗合した事実に胸を騒がせたらう。

 『それはさうと、』と奥様は急に思付いたやうに、『まだ貴方は朝飯前でせう』。『あれ、
そうでしたねえ』とお志保も言葉を添へた。『瀬川さん。そんなら準備したくして御出おいでなすつて下さい。今直に御飯にいたしますから。これから御出掛なさるといふのに、生憎あいにく何にもなくて御気の毒ですねえ――塩鮭しほびきでも焼いて上げませうか』。奥様はもう涙ぐんで、蔵裏くりの内をぐる/\廻つて歩いた。長い年月の精舎しやうじやの生活は、この女の性質を感じ易く気短くさせたのである。『なむあみだぶ』と有髪うはつあま独語ひとりごとのやうに唱へて居た。

 丑松は二階へ上つて大急ぎで旅の仕度をした。場合が場合、土産も買はず、荷物も持たず、なるべく身軽な
なりをして、叔母の手織の綿入を行李かうりの底から出して着た。丁度そこへ足を投出して、脚絆きやはんを着けて居るところへ、下女の袈裟治に膳を運ばせて、つゞいて入つて来たのはお志保である。いつも飯櫃めしびつは出し放し、三度が三度手盛りでやるに引きかへ、こうして人に給仕して貰ふといふは、うれ)しくもあり、窮屈でもあり、無造作に膳を引寄せて、丑松はお志保につけて貰つて食つた。その日はお志保もすこし打解けて居た。いつものやうに丑松を恐れる様子も見えなかつた。敬之進の境涯を深く憐むといふ丑松の真実が知れてから、自然と思惑はゞかる心も薄らいで、こうして給仕して居る間にも種々いろ/\なことを尋ねた。お志保はまた丑松の母のことを尋ねた。『母ですか』と丑松は淡泊さつぱりとした男らしい調子で、『亡くなつたのは丁度私が八歳やつつの時でしたよ。八歳といへばまだほんの小供ですからねえ。まあ、私は母のことをく覚えても居ない位なんです――実際母親といふものゝ味を真実ほんたうに知らないやうなものなんです。父親おやぢだつても、矢張そうで、この六七年の間は一緒に長く居て見たことはありません。いつでも親子はなれ/″\。実は父親も最早もう好い年でしたからね――そうですなあ貴方の父上おとつさんよりは年長うへでしたらう――彼様あゝいふ風に平素ふだん壮健たつしやな人は、かへつて病気なぞにかゝると弱いのかも知れませんよ。私なぞは、ですから、親に縁の薄い方の人間なんでせう。と言へば、まあお志保さん、貴方だつてもその御仲間ぢやありませんか』。

 
の言葉はお志保の涙を誘ふ種となつた。あの父親とは――十三の春にこの寺へ貰はれて来て、それぎり最早もう一緒に住んだことがない。それから、あのの母親とは――これはまた子供の時分に死別れて了つた。親に縁の薄いとは、丁度お志保の身の上でもある。お志保は自分の家の零落を思出したといふ風で、すこし顔をあかくして、黙つて首を垂れて了つた。

 そのお志保の姿を注意して見ると、亡くなつた母親といふ人も
大凡おほよそ想像がつく。『彼娘あのこ容貌かほつきを見るとすぐせんの家内が我輩の眼に映る』と言つた敬之進の言葉を思出して見ると、『昔風に亭主に便たよるといふ風で、どこまでも我輩を信じて居た』といふ女の若い時は――いづれこのお志保と同じやうに、情の深い、涙脆もろい、見る度に別の人のやうな心地こゝろもちのする、姿ありさまの種々いろ/\に変るやうな人であつたに相違ない。いづれこのお志保と同じやうに、醜くも見え、美しくも見え、ある時は蒼く黄ばんで死んだやうな顔付をして居るかと思ふと、またある時は花のやうに白いうちにも自然と紅味あかみを含んで、若く、清く、活々とした顔付をして居るやうな人であつたに相違ない。まあ、お志保を通して想像した母親の若い時のおもかげうであつた。快活な、自然な信州北部の女の美質と特色とは、矢張丑松のやうな信州北部の男子をとこの眼に一番よく映るのである。

 旅の仕度ができた後、丑松はこの二階を下りて、
蔵裏くりの広間のところでみんなと一緒に茶を飲んだ。新しい木製の珠数じゆず、それが奥様からの餞別であつた。やがて丑松は庄馬鹿の手作りにしたといふ草鞋わらぢ穿いて、人々のなさけに見送られて蓮華寺の山門を出た。





(私論.私見)