破戒第七章、第八章、第九章 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「破戒第四章、第五章、第六章」を確認する。 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝 |
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【破戒第第五章】 | |
第五章(一) | |
十一月三日はめづらしい大霜。長い/\山国の冬が次第に近いたことを思はせるのは是。その朝、丑松の部屋の窓の外は白い煙に掩はれたやうであつた。丑松は二十四年目の天長節を飯山の学校で祝ふといふ為に、柳行李の中から羽織袴を出して着て、去年の外套に今年もまた身を包んだ。暗い楼梯を下りて、北向の廊下のところへ出ると、朝の光がうつくしく射して来た。溶けかゝる霜と一緒に、日にあたる裏庭の木葉は多く枝を離れた。就中、脆いのは銀杏で、梢には最早一葉の黄もとゞめない。丁度その霜葉の舞ひ落ちる光景を眺めながら、廊下の古壁に倚凭つて立つて居るのは、お志保であつた。丑松は敬之進のことを思出して、つくづく彼の落魄の生涯を憐むと同時に、たの人を注意して見るといふ気にもなつたのである。『お志保さん』と丑松は声を掛けた。『奥様にそう言つてくれませんか。今日は宿直の当番ですから何卒晩の弁当をこしらへて下さるやうに。後で学校の小使を取りによこしますからツて――ネ』と言はれて、お志保は壁を離れた。娘の時代には克くある一種の恐怖心から、何となく丑松を憚つて居るやうにも見える。何処か敬之進に似たところでもあるか、こう丑松は考へて、それとなく俤を捜して見ると、若々しい髪のかたち、額つき――まあ、どちらかと言へば、彼の省吾は父親似、この人はまた亡くなつたといふ母親の方にでも似たのであらう。『眼付なぞはもう彷彿さ』と敬之進も言つた。『あの、』とお志保はすこし顔を紅くしながら、『此頃の晩は、大層父が御厄介になりましたさうで』。『いや、私の方で反つて失礼しましたよ』と丑松は淡泊した調子で答へた。『昨日、弟が参りまして、その話をいたしました』。『むゝ、そうでしたか』。『さぞ御困りで御座ましたらう――父が彼様いふ風ですから、皆さんの御厄介にばかりなりまして』。 敬之進のことは一時もお志保の小な胸を離れないらしい。柔嫩な黒眸の底には深い憂愁のひかりを帯びて、頬も紅く泣き腫れたやうに見える。てこういふ言葉を取交した後、丑松は外套の襟で耳を包んで、帽子を冠つて蓮華寺を出た。とある町の曲り角で、外套の袖袋に手を入れて見ると、古い皺だらけになつた手袋がその内から出て来た。黒の莫大小の裏毛の付いたやつで、皺を延ばして填めた具合は少細く緊り過ぎたが、握つた心地は暖かであつた。その手袋を鼻の先へ押当てゝ、紛とした湿気くさい臭気を嗅いで見ると、急に過去つた天長節のことが丑松の胸の中に浮んで来る。去年――一昨年――一昨々年――噫、まだ世の中を其程深く思ひ知らなかつた頃は、噴飯したくなるやうな、気楽なことばかり考へて、この大祭日を祝つて居た。手袋は旧の、色は褪めたが変らずにある。それから見ると人の精神の内部の光景の移り変ることは。これから将来の自分の生涯は畢竟なる――誰が知らう。来年の天長節は――いや、来年のことは措いて、明日のことですらも。こう考へて、丑松の心は幾度か明くなつたり暗くなつたりした。 さすがに大祭日だ。町々の軒は高く国旗を掲げ渡して、いづれの家も静粛にこの記念の一日を送ると見える。少年の群は喜ばしさうな声を揚げながら、霜に濡れた道路を学校の方へと急ぐのであつた。悪戯盛りの男の生徒、今日は何時にない大人びた様子をして、羽織袴でかしこまつた顔付のをかしさ。女生徒は新しい海老茶袴、紫袴であつた。 |
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(二) | |
国のみかどの誕生の日を祝ふために、男女の生徒は足拍子揃へて、二階の式場へ通ふ階段を上つた。銀之助は高等二年を、文平は高等一年を、丑松は高等四年を、いづれも受持々々の組の生徒を引連れて居た。退職の敬之進は最早客分ながら、何となく名残りが惜まるゝといふ風で、旧の生徒の後に随いて同じやうに階段を上るのであつた。この大祭の歓喜の中にも、丑松の心を驚かして、突然新しい悲痛を感ぜさせたことがあつた。といふは、猪子蓮太郎の病気が重くなつたと、ある東京の新聞に出て居たからで。も丑松の目に触れたは、式の始まるといふ前、審しく読む暇もなかつたから、その懐中へ押込んで来たのであつた。世には短い月日の間に長い生涯を送つて、あわただしく通り過ぎるやうに生れて来た人がある。恐らく蓮太郎もその一人であらう。新聞には最早むつかしいやうに書いてあつた。あゝ、先輩の胸中に燃える火は、世を焼くよりも前に、自分の身体を焚き尽して了ふのであらう。こういふ同情は一時も丑松の胸を離れない。猶繰返し読んで見たさは山々、しかしそうは今の場合が許さなかつた。 その日は赤十字社の社員の祝賀をも兼ねた。式場に集る人々の胸の上には、赤い織色の綬、銀の章の輝いたのも面白く見渡される。東の壁のところに、二十余人の寺々の住職、今年にかぎつて蓮華寺一人欠けたのも物足りないとは、流石に土地柄も思はれてをかしかつた。殊に風采の人目を引いたのは、高柳利三郎といふ新進政事家、すでに檜舞台をも踏んで来た男で、今年もまた代議士の候補者に立つといふ。銀之助、文平を始め、男女の教員は一同風琴の側に集つた。『気をつけ』と呼ぶ丑松の凛とした声が起つた。式は始つたのである。 主座教員としての丑松は反つて校長よりも男女の少年に慕はれて居た。丑松が『最敬礼』の一声は言ふに言はれぬ震動を幼いものゝ胸に伝へるのであつた。て、『君が代』の歌の中に、校長は御影を奉開して、それから勅語を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声は雷のやうに響き渡る。その日校長の演説は忠孝を題に取つたもので、例の金牌は胸の上に懸つて、一層風采を教育者らしくして見せた。『天長節』の歌が済む、来賓を代表した高柳の挨拶もあつたが、これはまた場慣れて居る丈に手に入つたもの。雄弁を喜ぶのは信州人の特色で、こういふ一場の挨拶ですらも、人々の心を酔はせたのである。平和と喜悦とは式場に満ち溢れた。 閉会の後、高等四年の生徒はかはる/″\丑松に取縋つて、種々物を尋ねるやら、跳るやら。あるものは手を引いたり、あるものは袖の下を潜り抜けたりして、戯れて、避けて行かうとする丑松を放すまいとした。仙太と言つて、三年の生徒で、新平民の少年がある。平素から退け者にされるのはその生徒。けふも寂しさうに壁に倚凭つて、皆の歓び戯れる光景を眺めながら立つて居た。可愛さうに、仙太はの天長節ですらも、他の少年と同じやうには祝ひ得ないのである。丑松は人知れず口唇を噛み〆て、『勇気を出せ、懼れるな』と励ますやうに言つて遣りたかつた。丁度他の教師が見て居たので、丑松は遁げるやうにして、少年の群を離れた。 今朝の大霜で、学校の裏庭にある樹木は大概落葉して了つたが、桜ばかりはまだ秋の名残をとゞめて居た。丑松はその葉蔭を選んで、時々私語くやうに枝を渡る微風の音にも胸を踊らせながら、懐中から例の新聞を取出して展げて見ると――蓮太郎の容体は余程危いやうに書いてあつた。記者は蓮太郎の思想に一々同意するものではないが、もも新平民の中から身を起して飽くまで奮闘して居るその意気を愛せずには居られないと書いてあつた。惜まれて逝く多くの有望な人々と同じやうに、今またこの人が同じ病苦に呻吟すると聞いては、うたゝ同情の念に堪へないと書いてあつた。思ひあたることがないでもない、人に迫るやうな渠の筆の真面目はこうした悲哀が伴ふからであらう、こういふ記者もたその為に薬籠に親しむ一人であると書いてあつた。動揺する地上の影は幾度か丑松を驚かした。日の光は秋風に送られて、かれ/″\な桜の霜葉をうつくしくして見せる。蕭条とした草木の凋落は一層先輩の薄命を冥想させる種となつた。 |
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(三) | |
敬之進の為に開いた茶話会は十一時頃からあつた。その日の朝、蓮華寺を出る時、丑松は廊下のところでお志保に逢つて、この不幸な父親を思出したが、こうして会場の正面に座ゑられた敬之進を見ると、今度は反対に彼の古壁に倚凭つた娘のことを思出したのである。敬之進の挨拶は長い身の上の述懐であつた。憐むといふ心があればこそ、丑松ばかりは首を垂れて聞いて居たやうなものゝ、さもなくて、誰が老の繰言なぞに耳を傾けよう。 茶話会の済んだ後のことであつた。丁度庭球の遊戯をするために出て行かうとする文平を呼留めて、一緒に校長はある室の戸を開けて入つた。差向ひに椅子に腰掛けたは運動場近くにある窓のところで、庭球狂の銀之助なぞが呼び騒ぐ声も、玻璃に響いて面白さうに聞えたのである。『まあ、勝野君、そう運動にばかり夢中にならないで、すこし話したまへ』と校長は忸々、『時に、でした、今日の演説は?』。『先生の御演説ですか』と文平が打球板を膝の上に載せて、『いや、非常に面白く拝聴ひました』。『そうですかねえ。――少は聞きごたへがありましたかねえ』。『御世辞でも何でもないんですが、今迄私が拝聴つた中では、先づ第一等のできでしたらう』。『そう言つてくれる人があると難有い』と校長は微笑みながら、『実は彼の演説をするために、昨夜一晩かゝつて準備しましたよ。忠孝といふ字義の解釈は聞えました。我輩の積りでは、あれでも余程頭脳を痛めたのさ。種々な字典を参考するやら、何やら――そりやあもう、君』。『どうしても調べたものは調べた丈のことがあります』。『しかし、真実に聞いてくれた人は君くらゐのものだ。町の人なぞは空々寂々――いや、実際、耳を持たないんだからねえ。中には、高柳の話に酷く感服してる人がある。彼様な演説屋の話と、吾儕の言ふことゝを、一緒にして聞かれて堪るものかね』。『どうせ解らない人には解らないんですから』と文平に言はれて、不平らしい校長の顔付は幾分か和いで来た。 その時迄、校長は何か言ひたいことがあつて、それを言はないで、反つてこういふ談話をして居るといふ風であつたが、て思ふことを切出した。わざ/\文平を呼留めてこの室へ連れて来たのは、どうかして丑松を退ける工夫はないか、それを相談したい下心であつたのである。『と云ふのはねえ、』と校長は一段声を低くした。『瀬川君だの、土屋君だの、彼様いふ異分子が居ると、どうも学校の統一がつかなくて困る。も土屋君の方は、農科大学の助手といふことになつて、遠からず出掛けたいやうな話ですから――まあこの人は黙つて居ても出て行く。難物は瀬川君です。瀬川君さへ居なくなつて了へば、後は君、もう吾儕の天下さ。どうかして瀬川君を廃して、是非その後へは君に座つて頂きたい。実は君の叔父さんからも種々御話がありましたがね、叔父さんも矢張そういふ意見なんです。何とか君、巧い工夫はあるまいかねえ』。『左様ですなあ』と文平は返事に困つた。『生徒を御覧なさい――瀬川先生、瀬川先生と言つて、瀬川君ばかり大騒ぎしてる。彼様に大騒ぎするのは、瀬川君の方で生徒の機嫌を取るからでせう? 生徒の機嫌を取るといふのは、何か其処に訳があるからでせう? 勝野君、まあ君は思ひます』。『今の御話は私に克く解りません』。『では、君、こう言つたら。――これはまあこれ限りの御話なんですがね、必定瀬川君はこの学校を取らうといふ野心があるに相違ないんです』。『はゝゝゝゝ、まさかそれ程にも思つて居ないでせう』と笑つて、文平は校長の顔を熟視つた。『でせうか?』と校長は疑深く、『思つて居ないでせうか?』。『だつて、だなことを考へるやうな年齢ぢやありません。――瀬川君にしろ、土屋君にしろ、まだ若いんですもの』。 この『若いんですもの』が校長を嘆息させた。庭で遊ぶ庭球の球の音はおもしろく窓の玻璃に響いた。また一勝負始まつたらしい。思はず文平は聞耳を立てた。その文平の若々しい顔付を眺めると、校長は更に嘆息して、『一体、瀬川君なぞはいふことを考へて居るんでせう』。『どういふことゝは?』と文平は不思議さうに。『まあ、近頃の瀬川君の様子を見るのに、非常に沈んで居る――何かこう深く考へて居る――新しい時代といふものは彼様物を考へさせるんでせうか。どうも我輩には不思議でならない』。『しかし、瀬川君の考へて居るのは、何か別の事でせう――今、先生の仰つたやうな、其様な事ぢやないでせう』。『左様なると、猶々我輩には解釈が付かなくなる。どうも我輩の時代に比べると、瀬川君なぞの考へて居ることは全く違ふやうだ。我輩の面白いと思ふことを、瀬川君なぞは一向詰らないやうな顔してる。我輩の詰らないと思ふことを、反つて瀬川君なぞは非常に面白がつてる。畢竟一緒に事業ができないといふは、時代が違ふからでせうか――新しい時代の人と、吾儕とは、に思想が合はないものなんでせうか』。『ですけれど、私なぞはそう思ひません』。『そこが君の頼母しいところさ。何卒、君、彼様いふ悪い風潮に染まないやうにしてくれたまへ。及ばずながら君のことについては、我輩もできるだけの力を尽すつもりだ。世の中のことは御互ひに助けたり助けられたりさ――まあ、勝野君、そうぢやありませんか。今茲で直に異分子をするといふ訳にもいかない。ですから、何か好い工夫でもあつたら、考へておいてくれたまへ――瀬川君のことについて何か聞込むやうな場合でもあつたら、是非それを我輩に知らせてくれたまへ』。 |
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(四) | |
盛んな遊戯の声がまた窓の外に起つた。文平は打球板を提げて出て行つた。校長は椅子を離れて玻璃の戸を上げた。丁度運動場では庭球の最中。大人びた風の校長は、まだ筋骨の衰頽を感ずる程の年頃でもないが、妙に遊戯の嫌ひな人で、殊に若いものゝ好な庭球などゝ来ては、昔の東洋風の軽蔑を起すのが癖。だから、『何を、児戯らしいことを』と言つたやうな目付して、夢中になつて遊ぶ人々の光景を眺めた。 地は日の光の為に乾き、人は運動の熱の為に燃えた。いつの間にか文平は庭へ出て、遊戯の仲間に加つた。銀之助は今、文平の組を相手にして、一戦を試みるところ。流石の庭球狂もさん/″\に敗北して、て仲間の生徒と一緒に、打球板を捨てゝ退いた。敵方の揚げる『勝負有』の声は、拍手の音に交つて、屋外の空気に響いておもしろさうに聞える。東よりの教室の窓から顔を出した二三の女教師も、一緒になつて手を叩いて居た。その時、幾組かに別れて見物した生徒の群は互ひに先を争つたが、中に一人、素早く打球板を拾つた少年があつた。新平民の仙太と見て、他の生徒がその側へ馳寄つて、無理無体に手に持つ打球板を奪ひ取らうとする。仙太は堅く握つた儘、そんな無法なことがあるものかといふ顔付。それはよかつたが、何時まで待つて居ても組のものが出て来ない。『さあ、誰か出ないか』と敵方は怒つて催促する。少年の群は互ひに顔を見合せて、困つて立つて居る仙太を冷笑して喜んだ。誰もの穢多の子と一緒に庭球の遊戯を為ようといふものはなかつたのである。 急に、羽織を脱ぎ捨てゝ、そこにある打球板を拾つたは丑松だ。それと見た人々は意味もなく笑つた。見物して居る女教師も微笑んだ。文平贔顧の校長は、丑松の組に勝たせたくないと思ふかして、熱心になつて窓から眺めて居た。丁度午後の日を背後にしたので、位置の利は始めから文平の組の方にあつた。『壱、零』と呼ぶのは、網の傍に立つ審判官の銀之助である。丑松仙太は先づ第一の敗を取つた。見物して居る生徒は、いづれも冷笑を口唇にあらはして、仙太の敗を喜ぶやうに見えた。『弐、零』と銀之助は高く呼んだ。丑松の組は第二の敗を取つたのである。『弐、零』と見物の生徒は聞えよがしに繰返した。 敵方といふのは、年若な準教員――それ、丑松が蓮華寺へ明間を捜しに行つた時、帰路に遭遇つた彼男と、それから文平と、こう二人の組で、丑松に取つては侮り難い相手であつた。それに、敵方の力は揃つて居るに引替へ、味方の仙太はまだ一向に練習が足りない。『参、零』と呼ぶ声を聞いた時は、丑松もすこし気を苛つた。人種と人種の競争――それに敗を取るまいといふ丑松の意気が、何となく斯様な遊戯の中にも顕はれるやうで、『敗るな、敗けるな』と弱い仙太を激 ![]() 『瀬川君、零敗とはあんまりぢやないか』といふ銀之助の言葉を聞捨てゝ、丑松はそこに置いた羽織を取上げながら、すご/\と退いた。やがての運動場から裏庭の方へ廻つて、誰も見て居ないところへ来ると、ふと何か思出したやうに立留つた。さあ、丑松は自分で自分を責めずに居られなかつたのである。蓮太郎――大日向――それから仙太、こう聯想した時は、猜疑と恐怖とで戦慄へるやうになつた。噫、意地の悪い智慧はいつでも後から出て来る。 |
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第六章(一) | |
天長節の夜は宿直の当番であつたので、丑松銀之助の二人は学校に残つた。敬之進は急に心細く、名残り惜しくなつて、いつまでもここを去り兼ねる様子。夕飯の後、まだ宿直室に話しこんで、例の愚痴の多い性質から、生先長い二人に笑はれて居るうちに、壁の上の時計は八時打ち、九時打つた。それは翌朝の霜の烈しさを思はせるやうな晩で、日中とは違つて、めつきり寒かつた。丑松が見廻りの為に出て行つた後、まだ敬之進は火鉢の傍に齧りついて、銀之助を相手に掻口説いて居た。て二十分ばかり経つて丑松は帰つて来た。手提洋燈を吹消して、急いで火鉢の側に倚添ひながら、『いや、もう屋外は寒いの寒くないのツて、手も何も凍んで了ふ――今夜のやうに酷烈しいことは今歳になつて始めてだ。どうだ、君、この通りだ』と丑松は氷のやうになつた手を出して、銀之助に触つた。『まあ、何といふ冷い手だらう』。こう言つて、自分の手を引込まして、銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めたのである。 『顔色が悪いねえ、君は――かしやしないか』と思はずそれを口に出した。敬之進も同じやうに不審を打つて、『我輩も今、それを言はうかと思つて居たところさ』。丑松は何か思出したやうに慄へて、話さうか、話すまいか、と暫時躊躇する様子にも見えたが、あまり二人が熱心に自分の顔を熟視るので、つい/\打明けずには居られなくなつて来た。『実はねえ――まあ、不思議なことがあるんだ』。『不思議なとは?』と銀之助も眉をひそめる。『こういふ訳さ――僕が手提洋燈を持つて、校舎の外を一廻りして、あの運動場の木馬のところまで行くと、誰かこう僕を呼ぶやうな声がした。見れば君、誰も居ないぢやないか。はてな、聞いたやうな声だと思つて、考へて見ると、その筈さ。――僕の阿爺の声なんだもの』。『へえ、妙なことがあればあるものだ』と敬之進も不審しさうに、『それで、何ですか、な風に君を呼びましたか、その声は』。『「丑松、丑松」とつゞけざまに』。『フウ、君の名前を?』と敬之進はもう目を円くして了つた。『はゝゝゝゝ』と銀之助は笑出して、『馬鹿なことを言ひたまへ。瀬川君も余程かして居るんだ』。『いや、確かに呼んだ』と丑松は熱心に。『其様な事があつて堪るものか。何かまた間違へでもしたんだらう』。『土屋君、君は左様笑ふけれど、確かに僕の名を呼んだに相違ないよ。風が呻吟つたでもなければ、鳥が啼いたでもない。そんな声を、まさかに僕だつて間違へる筈もなからうぢやないか。どうしても阿爺だ』。『君、真実かい。――戯語ぢやないのかい。――また欺ぐんだらう』。『土屋君はそれだから困る。僕は君これでも真面目なんだよ。確かに僕はの耳で聞いて来た』。『その耳が宛に成らないサ。君の父上さんは西乃入の牧場に居るんだらう。あの烏帽子ヶ嶽の谷間に居るんだらう。それ、見給へ。その父上さんが斯様な隔絶れた処に居る君の名前を呼ぶなんて――馬鹿らしい』。『だから不思議ぢやないか』。『不思議? ちよツ、不思議といふのは昔の人のお伽話だ。はゝゝゝゝ、智識の進んで来た今日、そんな馬鹿らしいことのあるべき筈がない』。『しかし、土屋君』と敬之進は引取つて、『そう君のやうに一概に言つたものでもないよ』。『はゝゝゝゝ、旧弊な人はこれだから困る』と銀之助は嘲るやうに笑つた。 急に丑松は聞耳を立てた。復た何か聞きつけたといふ風で、すこし顔色を変へて、言ふに言はれぬ恐怖を表したのである。戯れて居るのでないといふことは、その真面目な眼付を見ても知れた。『や――復た呼ぶ声がする。何だかこう窓の外の方で』と丑松は耳を澄まして、『しかし、あまり不思議だ。一寸、僕は失敬するよ――もう一度行つて見て来るから』。ぷいと丑松は駈出して行つた。さあ、銀之助は友達のことが案じられる。敬之進はもう心に驚いて了つて、何かの前兆ではあるまいか――第一、父親の呼ぶといふのが不思議だ、とこう考へつゞけたのである。『それはさうと』と敬之進は思付いたやうに、『こうして吾儕ばかり火鉢にあたつて居るのも気懸りだ。奈何でせう、二人で行つて見てやつては』。『むゝ、そうしませうか』と銀之助も火鉢を離れて立上つた。『瀬川君はすこしかしてるんでせうよ。まあ、僕に言はせると、何か神経の作用なんですねえ――に、それでは一寸待つて下さい。僕が今、手提洋燈を点けますから』。 |
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(二) | |
深い思に沈みながら、丑松は声のする方へ辿つて行つた。見れば宿直室の窓を泄れる灯が、僅に庭の一部分を照して居るばかり。校舎も、樹木も、形を潜めた。何もかも今は夜の空気に包まれて、沈まり返つて、闇に隠れて居るやうに見える。それは少許も風のない、![]() 父の呼ぶ声が復た聞えた。急に丑松は立留つて、星明りに周囲を透して視たが、別に人の影らしいものが目に入るでもなかつた。すべては皆な無言である。犬一つ啼いて通らないこの寒い夜に、何が音を出して丑松の耳を欺かう。『丑松、丑松』とまた呼んだ。さあ、丑松は畏れず慄へずに居られなかつた。心はもう底の底までも掻乱されて了つたのである。たしかにそれは父の声で――皺枯れた中にも威厳のある父の声で、あの深い烏帽子ヶ嶽の谷間から、遠くの飯山に居る丑松を呼ぶやうに聞えた。目をあげて見れば、空とても矢張地の上と同じやうに、音もなければ声もない。風は死に、鳥は隠れ、清しい星の姿ところ/″\。銀河の光は薄い煙のやうに遠く荘厳な天を流れて、深大な感動を人の心に与へる。さすがに幽な反射はあつて、仰げば仰ぐほど暗い藍色の海のやうなは、そこに他界を望むやうな心地もせらるゝのであつた。声――あの父の呼ぶ声は、この星夜の寒空を伝つて、丑松の耳の底に響いて来るかのやう。子の霊魂を捜すやうな親の声は確かに聞えた。しかしその意味は。こう思ひ迷つて、丑松はあちこち/\と庭の内を歩いて見た。 あゝ、何を其様に呼ぶのであらう。丑松は一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。自分の精神の内部の苦痛が、子を思ふ親の情からして、自然と父にも通じたのであらうか。飽くまでも素性を隠せ、今日までの親の苦心を忘れるな、といふ意味であらうか。それで彼の牧場の番小屋を出て、自分のことを思ひながら呼ぶその声が谿谷から谿谷へ響いて居るのであらうか。それとも、また、自分の心の迷ひであらうか。といろ/\に想像して見て、終には恐怖と疑心とで夢中になつて、『阿爺さん、阿爺さん』と自分の方から目的もなく呼び返した。 『やあ、君はここに居たのか』と声を掛けて近いたのは銀之助。つゞいて敬之進も。二人はしきりに手提洋燈をさしつけて、先づ丑松の顔を調べ、身の周囲を調べ、それから闇を窺ふやうにして見て、さて丑松からまた/\父の呼声のしたことを聞取つた。『土屋君、それ見たまへ』。敬之進は寒さと恐怖とで慄へながら言つた。銀之助は笑つて、『どうしてもなことは理窟に合はん。必定神経の故だ。一体、瀬川君は妙に猜疑深くなつた。だからな下らないものが耳に聞えるんだ』。『そうかなあ、神経の故かなあ』。こう丑松は反省するやうな調子で言つた。『だつて君、考へて見たまへ。形のないところに形が見えたり、声のないところに声が聞えたりするなんて、それそこが君の猜疑深くなつた証拠さ。声も、形も、それは皆な君が自分の疑心から産出した幻だ』。『幻?』。『所謂疑心暗鬼といふ奴だ。耳に聞える幻――といふのも少変な言葉だがね、まあそういふことも言へるとしたら、それが今夜君の聞いたやうな声なんだ』。『あるひはそうかも知れない』。 暫時、三人は無言になつた。天も地も ![]() |
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(三) | |
その晩、寝床へ入つてからも、丑松は父と先輩とのことを考へて、寝られなかつた。銀之助は直にもう高鼾。どんなに丑松は傍に枕を並べて居る友達の寝顔を熟視つて、その平穏な、安静な睡眠を羨んだらう。夜も更けた頃、むつくと寝床から跳起きて、一旦細くした洋燈を復た明くしながら、蓮太郎に宛てた手紙を書いて見た。今はこの病気見舞すら人目を憚つて認める程に用心したのである。時々丑松は書きかけた筆を止めて、洋燈の光に友達の寝顔を窺つて見ると、銀之助は死んだ魚のやうに大な口を開いて、前後も知らず熟睡して居た。 全く丑松は蓮太郎を知らないでもなかつた。人の紹介で逢つて見たこともあるし、今歳になつて二三度手紙の往復もしたので、幾分か互ひの心情は通じた。しかし、蓮太郎は篤志な知己として丑松のことを考へて居るばかり、同じ素性の青年とは夢にも思はなかつた。丑松もまた、その秘密ばかりは言ふことを躊躇して居る。だから何となく奥歯に物が挾まつて居るやうで、その晩書いた丑松の手紙にも十分に思つたことが表れない。何故これ程に慕つて居るか、それさへ書けば、他の事はもう書かなくても済む。あゝ――書けるものなら丑松も書く。それを書けないといふのは、丑松の弱点で、とう/\普通の病気見舞と同じものになつて了つた。『東京にて、猪子蓮太郎先生、瀬川丑松より』と認め終つた時は、深く/\良心を偽るやうな気がした。筆を投つて、嘆息して、復た冷い寝床に潜り込んだが、少とろ/\としたかと思ふと、直に恐しい夢ばかり見つゞけたのである。 翌朝のことであつた。蓮華寺の庄馬鹿が学校へやつて来て、是非丑松に逢ひたいと言ふ。『何の用か』を小使に言はせると、『御目に懸つて御渡ししたいものが御座ます』とか。出て行つて玄関のところで逢へば、庄馬鹿は一通の電報を手渡しした。不取敢開封して読下して見ると、片仮名の文字も簡短に、父の死去したといふ報知が書いてあつた。突然のことに驚いて了つて、半信半疑で繰返した。確かに死去の報知には相違なかつた。発信人は根津の叔父。『直ぐ帰れ』としてある。『それはどうも飛んだことで、嘸御力落しで御座ませう――はい、早速帰りまして、奥様にも申上げまするで御座ます』。こう庄馬鹿が言つた。小児のやうに死を畏れるといふ様子は、その愚しい目付に顕はれるのであつた。 丑松の父といふは、日頃極めて壮健な方で、激烈しい気候に遭遇つても風邪一つ引かず、巌畳な体躯は反つて壮夫を凌ぐ程の隠居であつた。牧夫の生涯といへばいかにも面白さうに聞えるが、その実普通の人に堪へられる職業ではないのであつて、就中西乃入の牧場の牛飼などと来ては、『彼の隠居だから勤まる』と人にも言はれる程。牛の性質を克く暗記して居るといふ丈では、所詮あの烏帽子ヶ嶽の深い谿谷に長く住むことはできない。気候には堪へられても、寂寥には堪へられない。温暖い日の下に産れて忍耐の力に乏しい南国の人なぞは、到底こういふ山の上の牧夫に適しないのである。そこはそれ、北部の信州人、殊に丑松の父は素朴な、勤勉な、剛健な気象で、労苦を労苦とも思はない上に、別に人の知らない隠遁の理由をも持つて居た。思慮の深い父は丑松に一生の戒を教へたばかりでなく、自分もまたなるべく人目につかないやうに、とこう用心して、子の出世を祈るより外にもう希望もなければ慰藉もないのであつた。丑松のため――それを思ふ親の情からして、人里遠い山の奥に浮世を離れ、朝夕炭焼の煙りを眺め、牛の群を相手に寂しい月日を送つて来たので。月々丑松から送る金の中から好な地酒を買ふといふことが、何よりの牧夫のたのしみ。労苦も寂寥もその為に忘れると言つて居た。こういふ阿爺が――まあ、鋼鉄のやうに強いとも言ひたい阿爺が、病気の前触もなくて、突然死去したと言つてよこしたとは。 電報は簡短で亡くなつた事情も解らなかつた。それに、父が牧場の番小屋に上るのは、春雪の溶け初める頃で、また谷々が白く降り埋められる頃になると、根津村の家へ下りて来る毎年の習慣である。もうそろ/\冬籠りの時節。考へて見れば、亡くなつた場処は、西乃入か、根津か、それすらこの電報では解らない。 しかし、その時になつて、丑松は昨夜の出来事を思出した。あの父の呼声を思出した。あの呼声が次第に遠く細くなつて、別離を告げるやうに聞えたことを思出した。この電報を銀之助に見せた時は、流石の友達も意外なといふ感想に打たれて、暫時茫然として突立つた、丑松の顔を眺めたり、死去の報告を繰返して見たりした。て銀之助は思ひついたやうに、『むゝ、根津には君の叔父さんがあると言つたツけねえ。そういふ叔父さんがあれば、万事見てはくれたらう。しかし気の毒なことをした。なにしろ、まあ早速帰る仕度をしたまへ。学校の方は、君、にでも都合するから』。こう言つてくれる友達の顔には真実が輝き溢れて居た。たゞ銀之助は一語も昨夜のことを言出さなかつたのである。『死は事実だ。――不思議でも何でもない』との若い植物学者は眼で言つた。 校長は時刻を違へず出勤したので、早速この報知を話した。丑松は直にこれから出掛けて行きたいと話した。留守中何分宜敷、受持の授業のことは万事銀之助に頼んでおいたと話した。『にか君も吃驚なすつたでせう』と校長は忸々調子で言つた。『学校の方は君、土屋君も居るし、勝野君も居るし、其様なことはもう少も御心配なく。実に我輩も意外だつた、君の父上さんが亡くならうとは。何卒、まあ、彼方の御用も済み、忌服でも明けることになつたら、また学校の為に十分御尽力を願ひませう。吾儕の事業がこれ丈に揚つて来たのも、一つは君の御骨折からだ。こうして君が居て下さるんで、奈何にか我輩も心強いか知れない。此頃も或る処で君の評判を聞いて来たが、何だかこう我輩は自分を褒められたやうな心地がした。実際、我輩は君を頼りにして居るのだから』と言つて気を変へて、『それにしても、出掛けるとなると、思つたよりは要るものだ。少し位は持合せもありますから、立替へて上げても可のですが、どうです少御持ちなさらんか。もし御入用なら遠慮なく言つて下さい。足りないと、また困りますよ』と言ふ校長の言葉はいかにも巧みであつた。しかし丑松の耳には唯わざとらしく聞えたのである。『瀬川君、それでは届を忘れずに出して行つて下さい――何も規則ですから』。こう校長は添加して言つた。 |
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(四) | |
丑松が急いで蓮華寺へ帰つた時は、奥様も、お志保も飛んで出て来て、電報の様子を問ひ尋ねた。奈何に二人は丑松の顔を眺めて、この可傷しい報知の事実を想像したらう。奈何に二人は昨夜の不思議な出来事を聞取つて、女心に恐しくあさましく考へたらう。奈何に二人は世にある多くの例を思出して、死を告げる前兆、逢ひに来る面影、または闇を飛ぶといふ人魂の迷信なぞに事寄せて、この暗合した事実に胸を騒がせたらう。 『それはさうと、』と奥様は急に思付いたやうに、『まだ貴方は朝飯前でせう』。『あれ、そうでしたねえ』とお志保も言葉を添へた。『瀬川さん。そんなら準備して御出なすつて下さい。今直に御飯にいたしますから。から御出掛なさるといふのに、生憎何にもなくて御気の毒ですねえ――塩鮭でも焼いて上げませうか』。奥様はもう涙ぐんで、蔵裏の内をぐる/\廻つて歩いた。長い年月の精舎の生活は、この女の性質を感じ易く気短くさせたのである。『なむあみだぶ』との有髪の尼は独語のやうに唱へて居た。 丑松は二階へ上つて大急ぎで旅の仕度をした。場合が場合、土産も買はず、荷物も持たず、なるべく身軽な装をして、叔母の手織の綿入を行李の底から出して着た。丁度そこへ足を投出して、脚絆を着けて居るところへ、下女の袈裟治に膳を運ばせて、つゞいて入つて来たのはお志保である。いつも飯櫃は出し放し、三度が三度手盛りでやるに引きかへ、こうして人に給仕して貰ふといふは、嬉もあり、窮屈でもあり、無造作に膳を引寄せて、丑松はお志保につけて貰つて食つた。その日はお志保もすこし打解けて居た。いつものやうに丑松を恐れる様子も見えなかつた。敬之進の境涯を深く憐むといふ丑松の真実が知れてから、自然と思惑を憚る心も薄らいで、こうして給仕して居る間にも種々なことを尋ねた。お志保はまた丑松の母のことを尋ねた。『母ですか』と丑松は淡泊とした男らしい調子で、『亡くなつたのは丁度私が八歳の時でしたよ。八歳といへばまだほんの小供ですからねえ。まあ、私は母のことを克く覚えても居ない位なんです――実際母親といふものゝ味を真実に知らないやうなものなんです。父親だつても、矢張そうで、この六七年の間は一緒に長く居て見たことはありません。いつでも親子はなれ/″\。実は父親も最早好い年でしたからね――そうですなあ貴方の父上さんよりは少年長でしたらう――彼様いふ風に平素壮健な人は、反つて病気なぞに罹ると弱いのかも知れませんよ。私なぞは、ですから、親に縁の薄い方の人間なんでせう。と言へば、まあお志保さん、貴方だつてもその御仲間ぢやありませんか』。 の言葉はお志保の涙を誘ふ種となつた。あの父親とは――十三の春にこの寺へ貰はれて来て、それぎり最早一緒に住んだことがない。それから、あの生の母親とは――これはまた子供の時分に死別れて了つた。親に縁の薄いとは、丁度お志保の身の上でもある。お志保は自分の家の零落を思出したといふ風で、すこし顔を紅くして、黙つて首を垂れて了つた。 そのお志保の姿を注意して見ると、亡くなつた母親といふ人も大凡想像がつく。『彼娘の容貌を見ると直に前の家内が我輩の眼に映る』と言つた敬之進の言葉を思出して見ると、『昔風に亭主に便といふ風で、どこまでも我輩を信じて居た』といふ女の若い時は――いづれこのお志保と同じやうに、情の深い、涙脆い、見る度に別の人のやうな心地のする、姿ありさまの種々に変るやうな人であつたに相違ない。いづれこのお志保と同じやうに、醜くも見え、美しくも見え、ある時は蒼く黄ばんで死んだやうな顔付をして居るかと思ふと、またある時は花のやうに白い中にも自然と紅味を含んで、若く、清く、活々とした顔付をして居るやうな人であつたに相違ない。まあ、お志保を通して想像した母親の若い時の俤はこうであつた。快活な、自然な信州北部の女の美質と特色とは、矢張丑松のやうな信州北部の男子の眼に一番よく映るのである。 旅の仕度ができた後、丑松はこの二階を下りて、蔵裏の広間のところで皆と一緒に茶を飲んだ。新しい木製の珠数、それが奥様からの餞別であつた。やがて丑松は庄馬鹿の手作りにしたといふ草鞋を穿いて、人々のなさけに見送られて蓮華寺の山門を出た。 |
(私論.私見)