その11、破戒第21章、第22章 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日
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第弐拾壱章(一) | |
学校へ行く準備をする為に、朝早く丑松は蓮華寺へ帰つた。庄馬鹿を始め、子坊主迄、談話は蓮太郎の最後、高柳の拘引の噂なぞで持切つて居た。昨日の朝丑松の留守へ尋ねて来た客が亡くなつたその人である、と聞いた時は、猶々一同驚き呆れた。丑松はまた奥様から、妹が長野の方へ帰るやうになつたこと、住職が手を突いて詑入つたこと、それから夫婦別れの話も――まあ、見合せにしたといふことを聞取つた。『なむあみだぶ』と奥様は珠数を爪繰りながら唱へて居た。丁度十二月朔日のことで、いつも寺では早く朝飯を済すところからして、丑松の部屋へも袈裟治が膳を運んで来た。こうして寺の人と同じやうに早く食ふといふことは、近頃ないためし――朝は必ず生温い飯に、煮詰つた汁と極つて居たのが、その日にかぎつては、飯も焚きたての気の立つやつで、汁は又、煮立つたばかりの赤味噌のにほひが甘さうに鼻の端へ来るのであつた。小皿には好物の納豆も附いた。その時丑松は膳に向ひながら、ももこうして生きながらへ来た今日迄を不思議に難有く考へた。あゝ、卑賤しい穢多の子の身であると覚期すれば、飯を食ふにも我知らず涙が零れたのである。 朝飯の後、丑松は机に向つて進退伺を書いた。その時一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅はうと、決してそれとは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒を忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思へ』。こう父は教へたのであつた。『隠せ』。――それを守る為には今日迄何程の苦心を重ねたらう。『忘れるな』。――それを繰返す度に何程の猜疑と恐怖とを抱いたらう。もし父がの世に生きながらへて居たら、まあ気でも狂つたかのやうに自分の思想の変つたことを憤り悲むであらうか、と想像して見た。仮令誰が何と言はうと、今はその戒を破り棄てる気で居る。『阿爺さん、堪忍して下さい』と詑入るやうに繰返した。 冬の朝日が射して来た。丑松は机を離れて窓の方へ行つた。障子を開けて眺めると、例の銀杏の枯々な梢を経てゝ、雪に包まれた町々の光景が見渡される。板葺の屋根、軒廂、すべて目に入るかぎりのものは白く埋れて了つて、家と家との間からは青々とした朝餐の煙が静かに立登つた。小学校の建築物も、今、日をうけた。名残り惜しいやうな気になつて、冷く心地の好い朝の空気を呼吸しながら、やゝしばらく眺め入つて居たが、ふと胸に浮んだは蓮太郎の『懴悔録』、開巻第一章、『我は穢多なり』と書起してあつたのを今更のやうに新しく感じて、丁度この町の人々に告白するやうに、その文句を窓のところで繰返した。『我は穢多なり』ともう一度繰返して、それから丑松は学校へ行く準備にとりかゝつた。 |
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(二) | |
破戒――何といふ悲しい、壮しい思想だらう。こう思ひながら、丑松は蓮華寺の山門を出た。とある町の角のところまで歩いて行くと、向ふの方から巡査に引かれて来る四五人の男に出逢つた。いづれも腰繩を附けられ、蒼ざめた顔付して、人目を憚りながら悄々と通る。中に一人、黒の紋付羽織、白足袋穿、顔こそ隠して見せないが、当世風の紳士姿は直に高柳利三郎と知れた。克く見ると、一緒に引かれて行く怪しげな風体の人々は、高柳の為に使役はれた壮士らしい。流石に心は後へ残るといふ風で、時々立留つては振返つて見る度に、巡査から注意をうけるやうな手合もあつた。『あゝ、捕つて行くナ』と丑松の傍に立つて眺めた一人が言つた。『自業自得さ』とまた他の一人が言つた。見る/\高柳の一行は巡査の言ふなりに町の角を折れて、て雪山の影に隠れて了つた。 男女の少年は今、小学校を指して急ぐのであつた。近在から通ふ児童なぞは、絨の布片で頭を包んだり、肩掛を冠つたりして、声を揚げながら雪の中を飛んで行く。町の児童は又、思ひ/\に誘ひ合せて、後になり前になり群をなして行つた。こうして邪気ない生徒等と一緒に、通ひ忸れた道路を歩くといふのも、最早今日限りであるかと考へると、目に触れるものは総て丑松の心に哀し可懐しい感想を起させる。平素は煩いと思ふやうな女の児の喋舌まで、その朝にかぎつては、可懐しかつた。色の褪めた海老茶袴を眺めてすら、直に名残り惜しさが湧上つたのである。 学校の運動場には雪が山のやうに積上げてあつた。木馬や鉄棒は深く埋没れて了つて、屋外の運動も自由にはできかねるところからして、生徒はたゞ学校の内部で遊んだ。玄関も、廊下も、広い体操場も、楽しさうな叫び声で満ち溢れて居た。授業の始まる迄、丑松は最後の監督を為る積りで、あちこち/\と廻つて歩くと、彼処でも瀬川先生、でも瀬川先生――まあ、生徒の附纏ふのは可愛らしいもので、飛んだり跳ねたりする騒がしさも名残りと思へば寧そいぢらしかつた。廊下のところに立つた二三の女教師、互にじろ/\是方を見て、目と目で話したり、くす/\笑つたりして居たが、別に丑松は気にも留めないのであつた。その朝は三年生の仙太も早く出て来て体操場の隅に悄然として居る。他の生徒を羨ましさうに眺め佇立んで居るのを見ると、不相変誰も相手にするものはないらしい。丑松は仙太を背後から抱〆て、誰が見ようと笑はうと其様なことに頓着なく、自然と外部に表れる深い哀憐の情緒を寄せたのである。この不幸な少年も矢張自分と同じ星の下に生れたことを思ひ浮べた。いつぞやこの少年と一緒に庭球の遊戯をして敗けたことを思ひ浮べた。丁度それは天長節の午後、敬之進を送る茶話会の後であつたことなどを思ひ浮べた、ふと、廊下の向ふの方で、尋常一年あたりの女の生徒であらう、揃つて歌ふ無邪気な声が起つた。『桃から生れた桃太郎、気はやさしくて、力もち――』。その唱歌を聞くと同時に、思はず涙は丑松の顔を流れた。大鈴の音が響き渡つたのは間もなくであつた。生徒は互ひに上草履鳴して、我勝に体操場へと塵埃の中を急ぐ。て男女の教師は受持受持の組を集めた。相図の笛も鳴つた。次第に順を追つて、教師も生徒も動き始めたのである。高等四年の生徒は丑松の後に随いて、足拍子そろへて、一緒に長い廊下を通つた。 |
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(三) | |
応接室には校長と郡視学とが相対になつて、町会議員の来るのを待受けて居た。それは丑松のことについて、集つて相談したい、といふ打合せがあつたからで。も、郡視学は約束の時間よりも早く、校長を尋ねてやつて来たのである。校長に言はせると、何も自分は悪意あつて異分子を排斥するといふ訳ではない。自分はもう旧派の教育者と言はれる一人で、丑松や銀之助なぞとはずつと時代が違つて居る。今日とても矢張自分等の時代であると言ひたいが、実は何時の間にか世の中が変遷つて来た。何が可畏いと言つたつて、新しい時代ほど可畏いものはない。あゝ、老いたくない、朽ちたくない、何時迄も同じ位置と名誉とを保つて居たい、後進の書生輩などに兜を脱いで降参したくない。それで校長は進取の気象に富んだ青年教師を遠ざけようとする傾向を持つのである。 のみならず、丑松や銀之助は彼の文平のやうに自分の意を迎へない。教員会のある度に、意見が克く衝突する。何かにつけて邪魔になる。彼様な喙の黄色い手合が、校長の自分よりも生徒に慕はれて居るとあつては、第一それが小癪に触る。何も悪意あつて排斥するではないが、学校の統一といふ上から言ふと、もた止むを得ん。――こう校長は身の衛りかたを考へたので。『町会議員も最早見えさうなものだ』と郡視学は懐中時計を取出して眺めながら言つた。『時に、瀬川君のこともいよ/\物になりさうですかね』。この『物に』が校長を笑はせた。『しかし』と郡視学は言葉を継いで、『からそれを言出しては面白くない。町の方から言出すやうになつて来なければ面白くない』。『それです。それを私も思ふんです』と校長は熱心を顔に表して答へた。『見給へ。瀬川君が居なくなる、土屋君が居なくなる、左様なれば君もう是方のものさ。瀬川君のかはりには彼の甥を使役つて頂くとして、手の明いたところへは必ず僕が適当な人物を周旋しますよ。まあ、悉皆吾党で固めて了はうぢやありませんか。左様しておきさへすれば、君の位置は長く動きませんし、僕もた折角心配した甲斐があるといふもんです――はゝゝゝゝ』。 こういふ談話をして居るところへ、小使が戸を開けて入つて来た。続いて三人の町会議員もあらはれた。『さあ、何卒是方へ』と校長は椅子を離れて丁寧に挨拶する。『いや、どうも遅なはりまして、失礼しました』と金縁の眼鏡を掛けた議員が快濶な調子で言つた。『実は、高柳君も彼様いふやうな訳で、急に選挙の模様が変りましたものですから』。 |
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(四) | |
その日、長野の師範校の生徒が二十人ばかり、参観と言つて学校の廊下を往つたり来たりした。丑松が受持の教室へも入つて来た。丁度高等四年では修身の学課を終つて、二時間目の数学に取掛つたところで、生徒は頻に問題を考へて居る最中。参観人の群が戸を開けてあらはれた時は、一時靴の音で妨げられたが、てそれも静つてもとの通りになつた。寂とした教室の内には、石盤を滑る石筆の音ばかり。丑松は机と机との間を歩いて、名残り惜しさうに一同の監督をした。時々参観人の方を注意して見ると、制服着た連中がずらりと壁に添ふて並んで、いづれも一廉の批評家らしい顔付。楽しい学生時代の種々は丑松の眼前に彷彿いて来た。丁度自分も同級の人達と一緒に、師範校の講師に連れられて、方々へ参観に出掛けた当時のことを思ひ浮べた。残酷な、とは言へ罪のない批評をして、到るところの学校の教師を苦めたことを思ひ浮べた。丑松とても一度はこの参観人と同じ制服を着た時代があつたのである。 『できましたか。――できたものは手を挙げて御覧なさい』といふ丑松の声に応じて、後列の方の級長を始め、すこし覚束ないと思はれるやうな生徒まで、互に争つて手を挙げた。あまり数学のできる方でない省吾までも、めづらしく勇んで手を挙げた。『風間さん』と指名すると、省吾は直に席を離れて、つか/\と黒板の前へ進んだ。 冬の日の光は窓の玻璃を通して教へ慣れた教室の内を物寂しく照して見せる。平素は何の感想をも起させない高い天井から、四辺の白壁まで、すべて新しく丑松の眼に映つた。正面に懸けてある黒板の前に立つて、白墨で解答を書いて居る省吾の後姿は、と見ると、実に今が可愛らしい少年の盛り、肩揚のある筒袖羽織を着て、首すこし傾げ、左の肩を下げ、高いところへ数字を書かうとする度に背延びしては右の手を届かせるのであつた。省吾は克く勉強する質の生徒で、図画とか、習字とか、作文とかは得意だが、毎時理科や数学で失敗つて、丁度十五六番といふところを上つたり下つたりして居る。不思議にもその日は好くできた。『これと同じ答の出たものは手を挙げて御覧なさい』。後列の方の生徒は揃つて手を挙げた。省吾は少許顔を紅くして、やがて自分の席へ復つた。参観人は互に顔を見合せながら、意味のない微笑を交換して居たのである。 こういふことを繰返して、問題を出したり、説明して聞かせたりして、数学の時間を送つた。その日に限つては、妙に生徒一同が静粛で、参観人の居ない最初の時間から悪戯なぞをするものはなかつた。極りで居眠りを始める生徒や、狐鼠々々机の下で無線電話をかける技師までが、唯もう行儀よくかしこまつて居た。噫、生徒の顔も見納め、教室も見納め、今は最後の稽古をする為に茲に立つて居る、とこう考へると、自然と丑松は胸を踊らせて、熱心を顔に表して教へた。 |
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(五) | |
『無論市村さんは当選になりませう』と応接室では白髯の町会議員が世慣れた調子で言出した。『人気といふ奴は可畏しいものです。高柳君が彼様いふことになると、最早誰も振向いて見るものがありません。多少掴ませられたやうな連中まで、ずつと市村さんの方へ傾いで了ひました』。『といふのも、あの猪子といふ人の死んだ御蔭なんです。―余程市村さんは御礼を言つても可』と金縁眼鏡の議員が力を入れた。『して見ると新平民も馬鹿になりませんかね』と郡視学は胸を突出して笑つた。『なりませんとも』と白髯の議員も笑つて、『どうして、彼丈の決心をするといふのは容易ぢやない。しかし猪子のやうな人物は特別だ』。『左様さ――彼は彼、はこれさ』と顔に薄痘痕のある商人の出らしい議員が言出した時は、そこに居並ぶ人々は皆な笑つた。『彼は彼、是は是』と言つた丈で、その意味はもう悉皆通じたのである。『はゝゝゝゝ。只今御話の出ました「是」の方の御相談ですが、』と金縁眼鏡の議員は巻煙草を燻しながら、『郡視学さんにも一つ御心配を願ひまして、あまり町の方でやかましくなりません内に――左様、御転任になるといふものか、乃至は御休職を願ふといふものか、何とかそこのところを考へて頂きたいもので』。『はい』と郡視学は額へ手を当てた。『実に瀬川先生には御気の毒ですが、これも拠ない』と白髯の議員は嘆息した。『御承知の通りな土地柄で、左様いふことを嫌ひまして――彼先生は実はこれ/\だと生徒の父兄に知れ渡つて御覧なさい、必定、子供は学校へ出さないなんて言出します。そりやあもう、眼に見えて居ます。現に、町会議員の中にも、恐しく苦情を持出した人がある。一体学務委員が気が利かないなんて、私共に喰つて懸るといふ仕末ですから』。『まあ、私共始め、左様いふことを伺つて見ますと、あまり好い心地は致しませんからなあ』と薄痘痕の議員が笑ひながら言葉を添へる。『しかし、それでは学校に取りまして非常に残念なことです』と校長は改つて、『瀬川君が好くやつて下さることは、定めし皆さんも御聞きでしたらう――私もまあ片腕程に頼みに思つて居るやうな訳で。学才はありますし、人物は堅実ですし、それに生徒の評判は良し、若手の教育者としては得難い人だらうと思ふんです。素性が卑賤しいからと言つて、彼様いふ人を捨てるといふことは――実際、聞えません。何卒まあ皆さんの御尽力で、ならうことなら引留めるやうにして頂きたいのですが』。『いや』と金縁眼鏡の議員は校長の言葉を遮つた。『御尤です。只今のやうな校長先生の御意見を伺つて見ますと、私共が斯様な御相談に参るといふことからして、恥入る次第です。成る程、学問の上には階級の差別も御座ますまい。そこがそれ、迷信の深い土地柄で。左様いふ美しい思想を持つた人は鮮少いものですから――』。『どうもだそこまでは開けませんのですな』と薄痘痕の議員が言つた。『ナニ、それも、猪子先生のやうに飛抜けて了へば、また人が許しもするんですよ』と白髯の議員は引取つて、『その証拠には、宿屋でも平気で泊めますし、寺院でも本堂を貸しますし、演説をるといへば人が聴きにも出掛けます。彼先生のは可厭に隠蔽さんから可。最初からもう名乗つてかゝるといふ遣方ですから、左様なると人情は妙なもので、むしろ気の毒だといふ心地になる。ところが、瀬川先生や高柳君の細君のやうに、それを隠蔽さう/\とすると、余計に世間の方では厳しく言出して来るんです』。『大きに――』と郡視学は同意を表した。『どうでせう、御転任といふやうなことにでも願つたら』と金縁眼鏡の議員は人々の顔を眺め廻した。『転任ですか』と郡視学は仔細らしく、『条件附の転任は巧くいきませんよ。それに、こういふことが世間へ知れた以上は、何処の学校だつても嫌がりますさ――先づ休職といふものでせう』。『なりとも、そこは貴方の御意見通りに』と白髯の議員は手を擦みながら言つた。『町会議員の中には、「怪しからん、直に追出して了へ」なんて、其様な暴論を吐くやうな手合もあるといふ場合ですから――何卒まあ、何分宜敷やうに、御取計ひを』。 | |
(六) | |
にその日の授業だけは無事に済した上で、と丑松は湧上るやうな胸の思を制へら、三時間目の習字を教へた。手習ひする生徒の背後へ廻つて、手に手を持添へて、漢字の書方なぞを注意してやつた時は、奈何にその筆先がぶる/\と震へたらう。周囲の生徒はいづれも伸しかかつて眺めて、墨だらけな口を開いて笑ふのであつた。 小使の振鳴す大鈴の音が三時間目の終を知らせる頃には、最早郡視学も、町会議員も帰つて了つた。師範校の生徒は猶残つて午後の授業をも観たいといふ。昼飯の後、生徒の監督を他の教師に任せて置いて、丑松は後仕末をする為に職員室に留つた。それとなく返すものは返す、調べるものは調べる、後になつて非難を受けまいと思へば思ふほど、心の ![]() 午後の課目は地理と国語とであつた。五時間目には、国語の教科書の外に、予て生徒から預つておいた習字の清書、作文の帳面、そんなものを一緒に持つて教室へ入つたので、それと見た好奇な少年はもう眼を円くする。『ホウ、作文が刪正つて来た』とある生徒が言つた。『図画も』と又。丑松はそれを自分の机の上に載せて、例のやうに教科書の方へ取掛つたが、て平素の半分ばかりも講釈したところで本を閉ぢて、その日はもうそれで止めにする、それから少許話すことがある、と言つて生徒一同の顔を眺め渡すと、『先生、御話ですか』と気の早いものは直にそれを聞くのであつた。『御話、御話――』と請求する声は教室の隅から隅までも拡つた。 丑松の眼は輝いて来た。今は我知らず落ちる涙を止めかねたのである。その時、習字やら、図画やら、作文の帳面やらを生徒の手に渡した。中には、朱で点を付けたのもあり、優とか佳とかしたのもあつた。または、全く目を通さないのもあつた。丑松は先づその詑から始めて、刪正して遣りたいは遣りたいが、最早をる暇がないといふことを話し、こうして一緒に稽古を為るのも実は今日限りであるといふことを話し、自分は今別離を告げる為にに立つて居るといふことを話した。『皆さんも御存じでせう』と丑松は噛んで含めるやうに言つた。『山国に住む人々を分けて見ると、大凡五通りに別れて居ます。それは旧士族と、町の商人と、お百姓と、僧侶と、それからまだ外に穢多といふ階級があります。御存じでせう、その穢多は今でも町はづれに一団になつて居て、皆さんの履く麻裏を造つたり、靴や太鼓や三味線等を製へたり、あるものは又お百姓して生活を立てゝ居るといふことを。御存じでせう、その穢多は御出入と言つて、稲を一束づゝ持つて、皆さんの父親さんや祖父さんのところへ一年に一度は必ず御機嫌伺ひに行きましたことを。御存じでせう、その穢多が皆さんの御家へ行きますと、土間のところへ手を突いて、特別の茶椀で食物なぞを頂戴して、決して敷居から内部へは一歩も入られなかつたことを。皆さんの方から又、用事でもあつて穢多の部落へ御出になりますと、煙草は燐寸で喫んで頂いて、御茶はましても決して差上げないのが昔からの習慣です。まあ、穢多といふものは、それ程卑賤しい階級としてあるのです。もしその穢多がの教室へやつて来て、皆さんに国語や地理を教へるとしましたら、その時皆さんはどう思ひますか、皆さんの父親さんや母親さんは思ひませうか――実は、私はその卑賤しい穢多の一人です』。 手も足も烈しく慄へて来た。丑松は立つて居られないといふ風で、そこに在る机に身を支へた。さあ、生徒は驚いたの驚かないのぢやない。いづれも顔を揚げたり、口を開いたりして、熱心な眸を注いだのである。『皆さんも最早十五六――万更世情を知らないといふ年齢でもありません。何卒私の言ふことを克く記憶えておいて下さい』と丑松は名残り惜しさうに言葉を継いだ。『これから将来、五年十年と経つて、稀に皆さんが小学校時代のことを考へて御覧なさる時に――あゝ、あの高等四年の教室で、瀬川といふ教員に習つたことがあつたツけ――あの穢多の教員が素性を告白けて、別離を述べて行く時に、正月になれば自分等と同じやうに屠蘇を祝ひ、天長節が来れば同じやうに君が代を歌つて、蔭ながら自分等の幸福を、出世を祈ると言つたツけ――こう思出して頂きたいのです。私が今こういふことを告白けましたら、定めし皆さんは穢しいといふ感想を起すでせう。あゝ、仮令私は卑賤しい生れでも、すくなくも皆さんが立派な思想を御持ちなさるやうに、毎日それを心掛けて教へて上げた積りです。せめてその骨折に免じて、今日迄のことは何卒許して下さい』。 こう言つて、生徒の机のところへ手を突いて、詑入るやうに頭を下げた。『皆さんが御家へ御帰りになりましたら、何卒父親さんや母親さんに私のことを話して下さい――今迄隠蔽して居たのは全く済まなかつた、と言つて、皆さんの前に手を突いて、斯うして告白けたことを話して丁さい――全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です』とこう添加して言つた。 丑松はまだ詑び足りないと思つたか、二歩三歩退却して、『許して下さい』を言ひながら板敷の上へ跪いた。何事かと、後列の方の生徒は急に立上つた。一人立ち、二人立ちして、伸しかゝつて眺めるうちに、この教室に居る生徒は総立になつて、あるものは腰掛の上に登る、あるものは席を離れる、あるものは廊下へ出て声を揚げながら飛んで歩いた。その時大鈴の音が響き渡つた。教室々々の戸が開いた。他の組の生徒も教師も一緒になつて、波濤のやうに是方へ押溢れて来た。 * * * 十二月に入つてから銀之助は最早客分であつた。その日は午後の一時半頃から、自分の用事で学校へ出て来て居て、丁度職員室で話しこんで居る最中、ふと丑松のことを耳に入れた。思はず銀之助はそこを飛出した。玄関を横過つて、長い廊下を通ると、肩掛に紫頭巾、帰り仕度の女生徒、あそこにも、こゝにも、丑松の噂を始めて、家路に向ふことを忘れたかのやう。体操場には男の生徒が集つて、話は矢張丑松の噂で持切つて居た。左右に馳違ふ少年の群を分けて、高等四年の教室へ近いて見ると、廊下のところに校長、教師五六人、中に文平も、その他高等科の生徒が丑松を囲繞いて、参観に来た師範校の生徒まで呆れ顔に眺め佇立んで居たのである。見れば丑松はすこし逆上せた人のやうに、同僚の前に跪いて、恥の額を板敷の塵埃の中に埋めて居た。深い哀憐の心は、の可傷しい光景を見ると同時に、銀之助の胸を衝いて湧上つた。歩み寄つて、助け起しながら、着物の塵埃を払つて遣ると、丑松は最早半分夢中で、『土屋君、許してくれ給へ』をかへすがへす言ふ。告白の涙は奈何に丑松の頬を伝つて流れたらう。『解つた、解つた、君の心地は好く解つた』と銀之助は言つた。『むむ――進退伺も用意して来たね。に、後の事は僕に任せるとして、君は直にから帰り給へ――ね、君は左様し給へ』。 |
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(七) | |
高等四年の生徒は教室に居残つて、日頃慕つて居る教師の為に相談の会を開いた。だ初心で、複雑つた社会のことは一向解らないものばかりの集合ではあるが、流石正直なは少年の心、鋭い神経に丑松の心情を汲取つて、何とかして引止める工夫をしたいと考へたのである。黙つて視て居る時ではない、一同揃つて校長のところへ歎願に行かう、とこう十六ばかりの級長が言出した。賛成の声が起る。『さあ、行かざあ』と農夫の子らしい生徒が叫んだ。相談は一決した。例の掃除をする為に、当番のものだけを残して置いて、少年の群は一緒に教室を出た。その中には省吾も交つて居た。丁度校長は校長室の倚子に倚凭つて、文平を相手に話して居るところで、そこへ高等四年の生徒が揃つて顕れた時は、直に一同の言はうとすることを看て取つたのである。『諸君は何か用があるんですか』と、しかし、校長は何気ない様子を装ひら尋ねた。級長は卓子の前に進んだ。校長も、文平も、凝と鋭い眸をこの生徒の顔面に注いだ。省吾なぞから見ると、ずつと夙慧た少年で、言ふことは了然好く解る。『実は、御願ひがあつて上りました』と前置をして、級長は一同の心情を表白した。何卒して彼の教員を引留めてくれるやうに。仮令穢多であらうと、其様なことは厭はん。現に生徒として新平民の子も居る。教師としての新平民に何の不都合があらう。是はもう生徒一同の心からの願ひである。頼む。こう述べて、級長は頭を下げた。『校長先生、御願ひでごはす』と一同声を揃へて、各自に頭を下げるのであつた。 その時校長は倚子を離れた。立つて一同の顔を見渡しながら、『むゝ、諸君の言ふことは好く解りました。それ程熱心に諸君が引留めたいといふ考へなら、そりやあもう我輩だつてできるだけのことは尽します。しかし物には順序がある。頼みに来るなら、頼みに来るで、相当の手続を踏んで――総代を立てるとか、願書を差出すとかして、規則正しくやつて来るのが礼です。左様どうも諸君のやうに、大勢一緒に押掛けて来て、さあ引留めてくれなんて――何といふ無作法な行動でせう』と言はれて、級長は何か弁解をようとしたが、て涙ぐんで黙つて了つた。『まあ、御聞きなさい』と校長は卓子の上にある書面を拡げて見せながら、『この通り瀬川先生からは進退伺が出て居ます。は一応郡視学の方へ廻さなければなりませんし、町の学務委員にも見せなければなりません。仮令我輩が瀬川先生を救ひたいと思つて、単独で焦心つて見たところで、町の方で聞いてくれなければ仕方がないぢやありませんか』と言つて、すこし声を和げて、『しかし、我輩一人の力で、を処置するといふ訳にもいかんのですから、そこを諸君も好く考へて下さい。彼様いふ良い教師を失ふといふことは、諸君ばかりぢやない、我輩も残念に思ふ。諸君の言ふことは好く解りました。とにかく、今日は是で帰つて、学課を怠らないやうにして下さい。諸君がこういふことに喙を容れないでも、無論学校の方で悪いやうには取計ひません――諸君は勉強が第一です』。文平は腕組をして聞いて居た。手持無沙汰に帰つて行く生徒の後姿を見送つて、冷かに笑つて、やがて校長は戸を閉めて了つた。 |
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第弐拾弐章(一) | |
『一寸伺ひますが、瀬川君は是方へ参りませんでしたらうか』。こう声を掛けて、敬之進の住居を訪れたのは銀之助である。友達思ひの銀之助は心配しながら、丑松の後を追つて尋ねて来たのであつた。『瀬川さん?』とお志保は飛んで出て、『あれ、今御帰りになりましたよ』。『今?』と銀之助はお志保の顔を眺めた。『それから何の方へ行きましたらう、御存じはありますまいかしら』。『よくも伺ひませんでしたけれど、』とお志保は口籠つて、『あの、猪子さんの奥様が東京から御見えになるさうですね。多分その方へ。ホラ市村さんの御宿の方へ尋ねていらしツたんでせうよ――何でも其様なやうな瀬川さんの口振でしたから』。『市村さんの許へ? 先づ好かつた』と銀之助は深い溜息を吐いた。『実は僕も非常に心配しましてね、蓮華寺へ行つて聞いて見ました。御寺で言ふには、まだ瀬川君は学校から帰らんといふ。それから市村さんの宿へ行つて見ると、彼処にも居ません。ひよつとすると、こりや貴方の許かも知れない、こう思つてやつて来たんです』と言つて、考へて、『むゝ、左様ですか、貴方の許へ参りましたか――』。『丁度、行違ひに御成なすつたんでせう』とお志保は少許顔を紅くして、『まあ御上りなすつて下さいませんか、な見苦しい処で御座ますけれど』と言はれて、お志保に導かれて、銀之助は炉辺へ上つた。 紅く泣腫れたお志保の頬には涙の痕が未だ乾かずにあつた。いふことを言つて丑松が別れて行つたか、それはもうお志保の顔付を眺めたばかりで、大凡の想像が銀之助の胸に浮ぶ。あの小学校の廊下のところで、人々の前に跪いて、有の儘に素性を自白するといふ行為から推して考へても――確かに友達は非常な決心を起したのであらう。その心根は。思へば憫然なものだ。こう銀之助は考へて、何卒して友達を助けたい、とそれをお志保にも話さうと思ふのであつた。銀之助は先づお志保の身の上から聞き初めた。貧し苦しい境遇に居るお志保は、直に、銀之助の頼母しい気象を看て取つたのである。のみならず、丑松とこの人とは無二の朋友であるといふことも好く承知して居る。真実に自分の心地も解つて、身を入れて話を聞いてくれるのはこの人だ、とこう可懐しく思ふにつけても、さて、どうして父親の許へ帰つて居るか、それを尋ねられた時はもう/\胸一ぱいになつて了つた。蓮華寺を脱けて出ようと決心する迄の一伍一什――思へば涙の種――まあ、何から話して可いものやら、お志保には解らない位であつた。流石娘心の感じ易さ、暗く煤けた土壁の内部の光景をも物羞しく思ふといふ風で、『ぼや』を折焚べて炉の火を盛んにしたり、着物の前を掻合せたりして語り聞かせる。お志保に言はせると、いよ/\彼の寺を出ようと思立つたのは、泣いて、泣いて、泣尽した揚句のこと。『仮令先方が親らしい行為をしない迄も、これ迄育てゝ貰つた恩義もある。一旦蓮華寺の娘となつた以上は、どんな辛いことがあらうと決して家へ帰るな』――とは堅い父の言葉でもあつた。宵闇の空に紛れて迷ひ出たお志保は、だから、何処へ帰るといふ目的もなかつたのである。 悲しい夢のやうに歩いて来る途中、ふと、雪の上に倒れて居る人に出逢つた。見ればその酔漢は父であつた。その時お志保は左様思つた。父はもう凍え死んだのかと思つた。丁度通りかかる音作を呼留めて、一緒に助け起して、漸のことで家まで連帰つて見ると、今すこし遅からうものなら既に生命を奪られるところ。それぎり敬之進は床の上に横になつた。医者の話によると、身体の衰弱は一通りでない。所詮助かる見込はあるまいとのことである。そればかりではない。不幸はこの屋根の下にもお志保を待受けて居た。来て見ると、もう継母も、異母の弟妹も居なかつた。も、その前の晩、烈しい夫婦喧嘩があつて、継母はお志保のことや父の酒のことを言つて、どうしてこれから将来生計が立つと泣叫んだといふ。いづれ下高井にある生家を指して、三人だけ子供を連れて、父の留守に家出をしたものらしい。それは継母が自分で産んだ子供のうち、三番目のお末を残して、進に、お作に、それから留吉と、こう引連れて行つた。割合に温順しいお末を置いて、あの厄介者のお作を腰に付けたは、流石に後のことをも考へて行つたものと見える。継母が末の児を背負ひ、お作の手を引き、進は見慣れない男に連れられて、後を見かへり/\行つたといふことは、近所のかみさんが来ての話で解つた。 こういふ中にも、ひとり力になるのは音作で、毎日夫婦して来て、物をくれるやら、旧の主人をいたはるやら、お末をば世話すると言つて、自分の家の方へ引取つて居るとのこと。貧苦の為に離散した敬之進の家族の光景――まあ、お志保が銀之助に話して聞かせたことは、ざつとこうであつた。『して見ると――今御家にいらつしやるのは、父親さんに、貴方に、それから省吾さんと、こう三人なんですか』。銀之助は気の毒さうに尋ねたのである。『はあ』とお志保は涙ぐんで、垂下る鬢の毛を掻上げた。 |
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(二) | |
丑松のことはて二人の談話に上つた。友に篤い銀之助の有様を眺めると、お志保はもう何もかも打明けて話さずには居られなかつたのである。その時、丑松の逢ひに来た様子を話した。顔は蒼ざめ、眼は悲愁の色を湛へ、思ふことはあつても十分にそれを言ひ得ないといふ風で――まあ、情が迫つて、別離の言葉もとぎれ/\であつたことを話した。忘れずに居る程のなさけがあらば、せめて社会の罪人と思へ、こう言つて、お志保の前に手を突いて、男らしく素性を告白けて行つたことを話した。『真実に御気の毒な様子でしたよ』とお志保は添加した。『いろ/\伺つて見たいと思つて居りますうちに、瀬川さんはもう帽子を冠つて、さつさと出て行つてお了ひなさる――後で私はさん/″\泣きました』。『左様ですかあ』と銀之助も嘆息して、『あゝ、僕の想像した通りだつた。定めし貴方も驚いたでせう、瀬川君の素性を始めて御聞きになつた時は』。『いゝえ』。お志保は力を入れて言ふのであつた。『ホウ』と銀之助は目を円くする。『だつて今日始めてでも御座ませんもの――勝野さんが何処かで聞いていらしツて、いつぞやそれを私に話しましたんですもの』。この『始めてでも御座ません』が銀之助を驚した。しかし文平が何の為に其様なことをお志保の耳へ入れたのであらう、と聞咎めて、『彼男も饒舌家で、真個に仕方がない奴だ』と独語のやうに言つた。やがて、銀之助は何か思ひついたやうに、『何ですか、勝野君は其様に御寺へ出掛けたんですか』。『えゝ――蓮華寺の母が彼様いふ話好きな人で、男の方は淡泊して居て可なんて申しますもんですから、克く勝野さんも遊びにいらツしやいました』。『何だつてまた彼男は其様なことを貴方に話したんでせう』。こう銀之助は聞いて見るのであつた。『まあ、妙なことを仰るんですよ』とお志保はそれを言ひかねて居る。『妙なとは?』。『親類はこれ/\だの、今に自分は出世して見せるのツて――』。『今に出世して見せる?』と銀之助はそこに居ない人を嘲つたやうに笑つて、『へえ――其様なことを』。『それから、あの、』とお志保は考深い眼付をしながら、『瀬川さんのことなぞ、それは酷い悪口を仰いましたよ。その時私は始めて知りました』。『あゝ、左様ですか、それで彼話を御聞きになつたんですか』と言つて銀之助は熱心にお志保の顔を眺めた。急に気を変へて、『ちよツ、彼男も余計なことを喋舌つて歩いたものだ』。『私もまあ彼様な方だとは思ひませんでした。だつて、あんまり酷いことを仰るんですもの。その悪口が普通の悪口ではないんですもの――私はもう口惜しくて、口惜しくて』。『して見ると、貴方も瀬川君を気の毒だと思つて下さるんですかなあ』。『でも、左様ぢや御座ませんか――新平民だつて何だつて毅然した方の方が、彼様な口先ばかりの方よりは余程好いぢや御座ませんか』。何の気なしにこういふことを言出したが、てお志保は伏目勝になつて、血肥りのした娘らしい手を眺めたのである。『あゝ』と銀之助は嘆息して、『して世の中はこう思ふやうにならないものなんでせう。僕は瀬川君のことを考へると、実際哭きたいやうな気が起ります。まあ、考へて見て下さい。唯あの男は素性が違ふといふだけでせう。それで職業も捨てなければならん、名誉も捨てなければならん――これ程残酷な話がありませうか』。『しかし、』とお志保は清しい眸を輝した。『父親さんや母親さんの血統が奈何で御座ませうと、それは瀬川さんの知つたことぢや御座ますまい』。『左様です――確かに左様です――彼男の知つたことではないんです。左様貴方が言つて下されば、奈何に僕も心強いか知れません。実は僕はこう思ひました――彼男の素性を御聞になつたら、定めし貴方も今迄の瀬川君とは考へて下さるまいかと』。『何故でせう?』。『だつて、それが普通ですもの』。『あれ、他は左様かも知れませんが、私は左様は思ひませんわ』。『真実に? 真実に貴方は左様考へて下さるんですか――』。『まあ、したら好う御座んせう。私は是でも真面目に御話して居る積りで御座ますのに』。『ですから、僕がそれを伺ひたいと言ふんです』。『それと仰るのは?』とお志保は問ひ反して、対手の心を推量しながら眺めた。若々しい血潮は思はずお志保の頬に上るのであつた。 | |
(三) | |
力のない謦![]() 暫時二人は無言であつた。『いつそありの儘を御話しませう』と銀之助は熱心に言出した。『丁度学校で宿直の晩のことでした。僕が瀬川君の意中を叩いて見たのです。その時僕の言ふには、「君のやうにそう独りで苦んで居ないで、少許打明けて話したらだ。あるひは僕見たやうな殺風景なものに話したつて解らない、と君は思ふかも知れない。しかし、僕だつて、な冷い人間ぢやないよ。まあ、僕に言はせると、あまり君は物を煩しく考へ過ぎて居るやうに思はれる。友達といふものもあつて見れば、及ばずながら力になるといふこともあらうぢやないか」。こう言ひました。すると、瀬川君は始めて貴方のことを言出して――「むゝ、君の察してくれるやうなことがあつた。確かにあつた。しかしその人は最早死んで了つたものと思つてくれたまへ」。こう言ふぢやありませんか。噫。――瀬川君は自分の素性を考へて、到底及ばない希望と絶念めて了つたのでせう。今はもう人を可懐しいとも思はん――これ程悲しい情愛がありませうか。それで瀬川君は貴方のところへ来て、今迄蔵んで居た素性を自白したのです。そこです。――もし貴方に彼の男の真情が解りましたら、一つ助けてやらうといふ思想を持つて下さることはできますまいか』。『まあ、何と申上げて可か解りませんけれど――』とお志保は耳の根元までも紅くなつて、『私はもうその積りで居りますんですよ』。『一生?』と銀之助はお志保の顔を熟視りながら尋ねた。『はあ』。このお志保の答は銀之助の心を驚したのである。愛も、涙も、決心も、すべての一息のうちに含まれて居た。 |
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(四) | |
もも是事を話して友達の心を救はう。市村弁護士の宿へ行つて見た様子で、復た後の使にやつて来よう。こう約束して、て銀之助は炉辺を離れようとした。『あの、御願ひで御座ますが――』とお志保は呼留めて、『もし「懴悔録」といふ御本が御座ましたら、貸して頂く訳にはまゐりますまいか。まあ、私なぞが拝見したつて、どうせ解りはしますまいけれど』。『「懴悔録」?』。『ホラ、猪子さんの御書きなすつたとかいふ』。『むゝ、あれですか。よく貴方は彼様な本を御存じですね』。『でも、瀬川さんが平素読んでいらつしやいましたもの』。『承知しました。多分瀬川君の許にありませうから、行つて話して見ませう。――もしなければ、か捜して見て、是非一冊贈らせることにしませう』。こう言つて、銀之助は弁護士の宿を指して急いだ。丁度扇屋では人々が蓮太郎の遺骸の周囲に集つたところ。親切な亭主の計ひで、焼場の方へ送る前に一応亡くなつた人の霊魂を弔ひたいといふ。読経は法福寺の老僧が来て勤めた。その日の午後東京から着いたといふ蓮太郎の妻君。――今は未亡人――を始め、弁護士、丑松もかしこまつて居た。旅で死んだといふことを殊にあはれに思ふかして、扇屋の家の人もかはる/″\弔ひに来る。縁もゆかりもない泊客ですら、それと聞伝へたかぎりは廊下に集つて、寂しい木魚の音に耳を澄すのであつた。 焼香も済み、読経も一きりに成つた頃、銀之助は丑松の紹介で、始めて未亡人に言葉を交した。長野新聞の通信記者なぞも混雑の中へ尋ねて来て、聞き取つたことを手帳に書留める。『貴方が奥様でいらつしやいますか』と記者は職掌柄らしい調子で言つた。『はい』と未亡人の返事。『奥様、誠に御気の毒なことで御座ます。猪子先生の御名前は予て承知いたして居りまして、蔭ら御慕ひ申して居たのですが――』。『はい』。こういふ挨拶はすべて追憶の種であつた。人々の談話は蓮太郎のことで持切つた。て未亡人は夫と一緒に信州へ来た当時のことを言出して、別れる前の晩に不思議な夢を見たこと、妙に夫の身の上が気に懸つたこと、それを言つて酷く叱られたことなぞを話した。彼是を思合せると、彼時にもう夫は覚期して居ることがあつたらしい――信州の小春は好いの、今度の旅行は面白からうの、土産はしつかり持つて帰るから家へ行つて待つて居れの、まあ彼が長の別離の言葉になつて了つた。こう言つて、思ひがけない出来事の為に飛んだ迷惑を人々に懸けた、とかへす/″\気の毒がる。流石に堪へがたい女の情もあらはれて、淡泊した未亡人の言葉は反つて深い同情を引いたのである。 弁護士は銀之助を部屋の片隅へ招いた。相談といふは丑松の身に関したことであつた。弁護士の言ふには、丑松も今となつてはこの飯山に居にくい事情もあらうし、未亡人はまた未亡人でこれから帰るには男の手を借りたくもあらうし、するからして、あの蓮太郎の遺骨を護つて、一緒に東京へ行つて貰ひたいがどうだらう――選挙を眼前にひかへさへしなければ、無論自身で随いて行くべきではあるが、それは未亡人が強ひて辞退する。せめてこの際選挙の方に尽力して夫の霊魂を慰めてくれといふ。聞いて見れば未亡人の志も、。いつそは丑松を煩したい――一切の費用は自分の方で持つ――是非。とのことであつた。『といふ訳で、瀬川さんにも御話したのですが、』と弁護士は銀之助の顔を眺めながら言つた。『学校の方の都合は、君、なものでせう』。『学校の方ですか』と銀之助は受けて、『実は――瀬川君を休職にすると言つて、その下相談があつたといふ位ですから、無論差支はありますまいよ。校長の話では、郡視学もその積りで居るさうです。まあ、学校の方のことは僕が引受けて、にでも都合の好いやうに致しませう。一日も早く飯山を発ちました方が瀬川君の為には得策だらうと思ふんです』。 こういふ相談をして居るところへ、棺が持運ばれた。復た読経の声が起つた。人々は最後の別離を告げる為にその棺の周囲へ集つた。やがて焼場の方へ送られることになつた頃は、もう四辺も薄暗かつたのである。いよ/\舁がれて、『いたや』(北国にある木の名)造りの橇へ載せられる光景を見た時は、未亡人はもう其処へ倒れるばかりに泣いた。 |
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(五) | |
火を入れるところまで見届けて、焼場から帰つた後、丑松は弁護士や銀之助と火鉢を取囲いて、扇屋の奥座敷で話した。無情い運命も、今は丑松の方へ向いて、微し笑つて見せるやうになつた。あの飯山病院から追はれ、鷹匠町の宿からも追はれた大日向が――実は、放逐の恥辱が非常な奮発心を起させた動機となつて――亜米利加の『テキサス』で農業に従事しようといふ新しい計画は、意外にも市村弁護士の口を通して、丑松の耳に希望を囁いた。教育のある、確実な青年を一人世話してくれ、とは予て弁護士が大日向から依頼されて居たことで、丁度丑松とは素性も同じ、定めしこの話をしたら先方も悦ばう。望みとあらば周旋してやるがか。『テキサス』あたりへ出掛ける気はないか。心懸け次第で随分勉強することもできよう。この話には銀之助も熱心に賛成した。『見給へ――捨てる神あれば、助ける神ありさ』と銀之助はそれを言ふのであつた。『明後日の朝、大日向が我輩の宿へ来る約束になつて居る。むゝ、丁度好い。に逢つて見ることにしたまへ』。こういふ弁護士の言葉は、枯れ萎れた丑松の心を励して、様子によつては頼んで見よう、働いて見ようといふ気を起させたのである。そればかりではない。銀之助から聞いたお志保の物語――まあ、あの可憐な決心と涙とはに深い震動を丑松の胸に伝へたらう。敬之進の病気、継母の家出、そんなこんなが一緒になつて、一層お志保の心情を可傷しく思はせる。あゝ、絶望し、断念し、素性まで告白して別れた丑松の為に、ひそかに熱い涙をそゝぐ人があらうとは。可羞しい、とはいへ心の底から絞出した真実の懴悔を聞いて、一生を卑賤しい穢多の子に寄せる人があらうとは。『どうして、君、彼の女はなか/\しつかりものだぜ』と銀之助は添加して言つた。 その翌日、銀之助は友達の為に、学校へも行き、蓮華寺へも行き、お志保の許へも行つた。蓮華寺にある丑松の荷物を取纏めて、直に要るものは要るもの、寺へ預けるものは預けるもので見別をつけたのも、すべて銀之助の骨折であつた。銀之助はまた、お志保のことを未亡人にも話し、弁護士にも話した。女は女に同情の深いもの。殊にお志保の不幸な境遇は未亡人の心を動したのであつた。行く/\は東京へ引取つて一緒に暮したい。丑松の身が極つた暁には自分の妹にして結婚せるやうにしたい。こう言出した。に、後の事は弁護士も力を添へる、とある。といふ訳で、万事は弁護士と銀之助とに頼んでおいて、丑松は惶急しく飯山を発つことに決めた。 |
(私論.私見)