後編3章 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.30日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「」を確認する。 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝 |
関連サイト | 【原書研究】 | 【衝撃の誤訳指摘】 |
【サイトアップ協力者求む】 | 【文意の歪曲改竄考】 |
【第三章】 |
宮は既に富むと裕なるとに![]() ![]() ![]() かくなりてより彼は自ら唯継の面前を厭ひて、寂く垂籠めては、随意に物思ふを懌びたりしが、図らずも田鶴見の邸内に貫一を見しより、彼のさして昔に変らぬ一介の書生風なるを見しより、一度は絶えし恋ながら、なほ冥々に行末望みあるが如く、さるは、彼が昔のままの容なるを、今もその独を守りて、時の到るを待つらんやうに思做さるるなりけり。 その時は果して到るべきものなるか。宮は躬の心の底を叩きて、答を得るに沮みつつも、さすがに又己にも知れざる秘密の潜める心地して、一面には覚束なくも、又一面にはとにもかくにも信ぜらるるなり。便ち宮の夫の愛を受くるを難堪く苦しと思い知りたるは、彼の写真の鏡面の前に悶絶せし日よりにて、その恋しさに取迫めては、いでや、この富めるに ![]() 素より宮は唯継を愛せざりしかど、決してこれを憎むとにはあらざりき。されど今はしも正にその念は起れるなり。自ら謂へらく、吾夫こそ当時恋と富との値を知らざりし己を欺き、空く輝ける富を示して、售るべくもあらざりし恋を奪ひけるよ、と悔の余はかかる恨をも他に被せて、彼は己を過りしをば、全く夫の罪と為せり。 この心なる宮はこの一月十七日に会ひて、この一月十七日の雪に会ひて、いとどしく貫一が事の忍ばるるにけて転た悪人の夫を厭ふこと甚かり。無辜の唯継はかかる今宵の楽を授るこの美くしき妻を拝するばかりに、有程の誠を捧げて、蜜よりも甘き言の数々を ![]() |
この雪の為に外出を封ぜられし人は、この日和とこの道とを見て、皆な怺へかねて昨日より出でしも多かるべし。まして今日となりては、手置の宜からぬ横町、不性なる裏通、屋敷町の小路などの氷れる雪の九十九折、或は捏返せし汁粉の海の、差し掛りて難儀を極むるとは知らず、見渡す町通の乾々干に固れるに唆かされて、控へたりし人の出でざるはあらざらんやうに、往来の常より頻なる午前十一時といふ頃、屈み勝に疲れたる車夫は、泥の粉衣掛けたる車輪を可悩しげに転して、黒綾の吾妻コオト着て、鉄色縮緬の頭巾を領に巻きたる五十路に近き賤からぬ婦人を載せたるが、南の方より芝飯倉通に来かかりぬ。 唯有る横町を西に切れて、某の神社の石の玉垣に沿ひて、だらだらと上る道狭く、繁き木立に南を塞がれて、残れる雪の夥多きが泥交に踏散されたるを、件の車は曳々と挽上げて、取着に土塀を由々しく構へて、門には電燈を掲げたる方にぞ入りける。 |
こは富山唯継が住居にて、その女客は宮が母なり。主は疾に会社に出勤せし後にて、例刻に来れる髪結の今方帰行きて、まだその跡も掃かぬ程なり。紋羽二重の肉色鹿子を掛けたる大円髷より水は滴るばかりに、玉の如き喉を白絹のハンカチイフに巻きて、風邪気などにや、連に打咳きつつ、宮は奥より出迎えに見えぬ。その故とも覚えず余に著き面羸は、唯一目に母が心を驚せり。 閑ある身なれば、宮は月々生家なる両親を見舞ひ、母も同じほど訪ひ音づるるをば、此上無き隠居の保養と為るなり。信に女親の心は、娘の身の定りて、その家栄え、その身安泰に、しかもいみじう出世したる姿を見るに増して楽まさるる事はあらざらん。彼は宮を見る毎に大なる手柄をも成したらんやうに吾が識れるほどの親といふ親は、皆な才覚なく、仕合薄くて、有様は気の毒なる人達哉、と漫に己の誇らるるなりけり。されば月毎に彼が富山の門を入るは、正に人の母たる成功の凱旋門を過る心地もすなるべし。 |
可懐きと、嬉きと、猶今一つとにて、母は得々と奥に導れぬ。久く垂籠めて友欲き宮は、拯を得たるやうに覚えて、あるまじき事ながら、或るいは密に貫一の報を齎せるにはあらずやなど、枉げても念じつつ、せめては愁に閉ぢたる胸を姑くも寛うせんとするなり。母は語るべき事の日頃蓄へたる数々を措きて、先づ宮が血色の気遣く衰へたる故を詰りぬ。同じ事を夫にさへ問れしを思い合せて、彼はさまでに己の羸れたるを惧れつつも、「さう? でも、も悪い所なんぞありはしません。余り体を動かさないから、その所為かも知れません。けれども、この頃は時々気が鬱いで鬱いで耐らない事があるの。あれは血の道と謂ふんでせうね」。「ああ、それは血の道さ。私なんぞも持病にあるのだから、やつぱりさうだらうよ。それでも、それで痩せるやうぢや良くないのだから、お医者に診てもらふ方がよいよ、放つて措くから畢竟持病にもなるのさ」。宮は唯頷きぬ。母は不図思い起してや、さも慌忙しげに、「後ができたのぢやないかい」。宮は打笑みつ。されども例の可羞しとにはあらで傍痛き余を微見せしやうなり。「そんな事はありはしませんわ」。「さう何日までも沙汰がなくちや困るぢやないか。本当にだそんな様子はないのかえ」。「ありはしませんよ」。「ないのを手柄にでもしてゐるやうに、何だね、一人はもうなくてどうするのだらう、先へ寄つて御覧、後悔をするから。本当なら二人ぐらゐあつて好い時分なのに、あれきり後ができないところを見ると、やつぱり体が弱いのだね。今の内養生して、丈夫にならなくちやいけないよ。お前はさうして平気で、いつまでも若くて居る気なのだらうけれど、本宅の方なんぞでも後が後がつて、どんなに待兼ねてお在だか知れはしないのだよ。内ぢや又阿父さんは、あれはどうしたと謂ふんだらう、情ない奴だ。子を生み得ないのは女の恥だつて、慍りきつてゐなさるくらゐだのに、当人のお前と云つたら、可厭に落着いてゐるから、憎らしくてなりはしない。さうして、お前は先の内は子供が所好だつた癖に、自分の子は欲くないのかね」。 |
宮もさすがに当惑しつつ、「欲くない事はありはしませんけれど、できないものは為方がないわ」。「だから、何でも養生して、体を丈夫にするのが専だよ」。「体が弱いとお言ひだけれど、自分には別段ここが悪いと思ふところもないから、診てもらふのも変だし……けれどもね、阿母さん、私は疾から言はう言はうと思つてゐたのですけれど、実は気に懸る事があつてね、それで始終何だか心持が快くないの。その所為で自然と体も良くないのかしらんと思ふのよ」。母のその目は![]() 宮はその梗概を語れり。聴ゐる母は、彼の事なくその場を遁れ得てし始末を詳かにするを俟ちて、始めて重荷を下したるやうに ![]() 彼は襦袢の袖の端に窃と ![]() ![]() |
宮がこの言は決して内に自ら欺き、又敢て外に他を欺くにはあらざりき。影とも儚く隔の関の遠き恋人として余所に朽さんより、近き他人の前に己を殺さんぞ、同じく受くべき苦痛ならば、その忍び易きに就かんと冀へるなり。「それはさうでもあらうけれど、随分考へ物だよ。あのひとの事なら、内でも時々話が出て、何処にどうしてゐるかしらんつて、案じないぢやないけれど、阿父さんも能くお言ひのさ、如何に何だつて、余り貫一の仕打ちが憎いつて。成る程それは、お前との約束ね、それを反古にしたと云ふので、齢の若いものの事だから腹も立たう、立たうけれど、お前自分の身の上も些は考へて見るがいいわね。子供の内からああして世話になつて、全く内のお蔭でともかくもあれだけにもなつたのぢやないか、その恩もあれば、義理もあるのだらう。そこ所を些と考へたら、あれぎり家出をして了ふなんて、あんなまあ面抵がましい仕打振をするつてがあるものかね。それぢやあの約束を反古にして、もうお前には用はないからどうでも独で勝手にするがよい、と云ふやうな不人情なことを仮初にもしたのぢやなし、鴫沢の家は譲らうし、所望なら洋行も為せやうとまで言ふのぢやないか。それは一時は腹も立たうけれど、好く了簡して前後を考へて見たら、万更訳の解らない話をしてゐるのぢやないのだもの、私達の顔を立ててくれたつて、そんなに罰も当りはしまいと思ふのさ。さうしてお剰に、阿父さんから十分に訳を言つて、頭を低げないばかりにして頼んだのぢやないかね。だからには少しも無理はない筈だのに、貫一が余り身の程を知らな過るよ。それはね、阿父さんが昔あの人の親の世話になつた事があるさうさ、その恩返なら、行処のない躯を十五の時から引取つて、高等学校を卒業するまでに仕上げたから、それで十分だらうぢやないか。全く、お前、貫一の為方は増長してゐるのだよ。それだから、阿父さんだつて、私だつて、ああされて見ると決して可愛くはないのだからね、今更から捜し出して、とやかう言ふほどの事はありはしないよ。それぢや何ぼ何でも不見識とやらぢやないか」。 その不見識とやらを嫌ふよりは、別に嫌ふべく、懼るべく、警むべき事あらずや、と母は私に慮れるなり。「阿父さんや阿母さんの身になつたら、さう思ふのは無理もないけれど、どうもこのままぢや私が気が済まないんですもの。今になつて考へて見ると、貫一さんが悪いのでなし、阿父さん阿母さんが悪いのでなし、全く私一人が悪かつたばかりに、貫一さんには阿父さん阿母さんを恨ませるし、阿父さん阿母さんには貫一さんを悪く思はせたのだから、やつぱり私が仲へ入つて、元々通りにしなければ済まないと思ふんですから、貫一さんの悪いのは、どうぞ私に免じて、今までの事は水に流して了つて、改めて貫一さんを内の養子にして下さいな。もしさうなれば、私もそれで苦労が滅るのだから、きつと体も丈夫になるに違いないから、是非さう云ふ事に阿父さんにも頼んで下さいな、ねえ、阿母さん。さうして下さらないと、私は段々体を悪くするわ」。 かく言い出でし宮が胸は、ここに尽くその罪を懺悔したらんやうに、多少の涼きを覚ゆるなりき。「そんなに言ふのなら、還つて阿父さんに話をして見やうけれど、何もその所為で体が弱くなると云ふ訳もなかりさうなものぢやないか」。「いいえ、全くその所為よ。始終そればかり苦になつて、時々考込むと、実に耐らない心持になることがあるんですもの、この間逢ふ前まではそんなでもなかつたのだけれど、あれから急に――さうね、何と謂つたらよいのだらう――私があんなに不仕合な身分にして了つたとさう思つて、さぞ恨んでゐるだらうと、気の毒のやうな、可恐いやうな、さうして、何となく私は悲くてね。外には何も望はないから、どうかあの人だけは元のやうにして、あの優しい気立で、末始終阿父さんや阿母さんの世話をして貰つたら、どんなに嬉からうと、そんな事ばかり考へては鬱いでゐるのです。いづれ私からも阿父さんに話をしますけれど、差し当阿母さんから好くこの訳をさう言つて、本当に頼んで下さいな。私二三日の内に行きますから」。 されども母は投首して、「私の考量ぢや、どうも今更ねえ……」。「阿母さんは! 何もそんなに貫一さんを悪く思はなくたつてよいわ。折角話をして貰はうと思ふ阿母さんがさう云ふ気ぢや、とても阿父さんだつて承知をしては下さるまいから……」。「お前がそれまでに言ふものだから、私は不承知とは言はないけれど……」。「いいの、不承知なのよ。阿父さんもやつぱり貫一さんが憎くて、大方不承知なんでせうから、私は ![]() |
【第四章】 |
頭部に受けし貫一が挫傷は、危くも脳膜炎を続発せしむべかりしを、肢体に数個所の傷部とともに、その免るべからざる若干の疾患を得たりしのみにて、今や日増に康復の歩を趁ひて、可艱しげにも自ら起居を扶け得る身となりければ、一日一夜を為す事もなく、ベッドの上に静養を勉めざるべからざる病院の無聊をば、殆ど生きながら葬られたらんやうに倦み困じつつ、彼は更にこの病と相関する如く、関せざる如く併発したる別様の苦悩の為に侵さるるなりき。 主治医も、助手も、看護婦も、附添婆も、受附も、小使も、乃至患者の幾人も、皆な目を側めて彼と最も密なる関係あるべきを疑はざるまでに、満枝の頻繁病を訪ひ来るなり。三月にわたる久しきをかの美くしき姿の絶えず出入するなれば、噂は自から院内に播りて、博士の某さへ終に唆されて、垣間見の歩をここに枉げられしとぞ伝へ侍る。始めの程は何者の美形とも得知れざりしを、医員の中に例の困められしがありて、名著の美人クリイムと洩せしより、いとど人の耳を驚かし、目を悦す種とはなりて、貫一が浮名もこれに伴ひて唱はれけり。 さりとは彼の暁るべき由なけれど、何の廉もあらむに足近く訪はるるを心憂く思ふ余りに、一度ならず満枝に向ひて言ひし事もありけれど、見舞といふを陽にして訪ひ来るなれば、理として好意を拒絶すべきにあらず。さは謂へ、こは情の掛※[#「(箆-竹-比)/民」、233-15]と知れば、又甘んじて受くべきにもあらず、しかのみならで、彼は素より満枝の為人を悪みて、その貌の美くしきを見ず、その思切なるを汲まんともせざるに、猶かつ主ある身の謬りて仇名もや立たばなど気遣はるるに就けて、貫一は彼の入来るに会へば、冷き汗の湧出づるとともに、創所の遽に疼き立ちて、唯異くも己なる者の全く痺らさるるに似たるを、吾ながら心弱しと尤むれども効かりけり。実に彼は日頃この煩を逃れん為に、努めてこの敵を避けてぞ過せし。今彼の身は第二医院の一室に密封せられて、しかも隠るる所なきベッドの上に横はれれば、宛然爼板に上れる魚の如く、空く他の為すに委するのみなる仕合を、掻 ![]() |
かかる苦き枕頭に彼は又驚くべき事実を見出しつつ、飜へつて己を顧れば、測らざる累の既に逮べる迷惑は、その藁蒲団の内に針の包れたる心地して、今なほ彼の病むと謂はば、恐くは外に三分を患ひて、内に却つて七分を憂ふるにあらざらんや。貫一もそれをこそ懸念せしが、果して鰐淵は彼と満枝との間を疑ひ初めき。彼は又鰐淵の疑へるに由りて、その人と満枝との間をも略推し得たるなり。 例の煩き人は今日も訪ひ来つ、しかも仇ならず意を籠めたりと覚き見舞物など持ちて。はや一時間余を過せども、彼は枕頭に起ちつ、居つして、なかなか帰り行くべくも見えず。貫一は寄付けじとやうに彼方を向きて、覚めながら目を塞ぎていと静に臥したり。附添婆の折から出行きしを候ひて、満枝は椅子を躙り寄せつつ、「間さん、間さん。貴方、あなた」と枕の端を指もて音なへど、眠れるにもあらぬ貫一は何の答をも与へず、満枝は起ちてベッドの彼方へ廻り行きて、彼の寐顔を差覗きつ。「間さん」。猶答へざりけるを、軽く肩の辺を撼せば、貫一はさるをも知らざる為はしかねて、始めて目を開きぬ。彼はかく覚めたれど、満枝はなほ覚めざりし先の可懐しげに差寄りたる態を改めずして、その手を彼の肩に置き、その顔を彼の枕に近けたるまま、「私に些とお話をしておかなければならない事があるのでございますから、お聞き下さいまし」。「あ、まだ在しつたのですか」。「いつも長居を致して、さぞ御迷惑でございませう」。「…………」。「外でもございませんが……」。彼の隔なく身近に狎るるを可忌しと思へば、貫一はわざと寐返りて、椅子を置きたる方に向直り、「どうぞへ」。 この心を暁れる満枝は、飽くまで憎き事為るよと、持てるハンカチイフにベッドを打ちて、かくまでに遇はれながら、なほこの人を慕はでは已まぬ我身かと、効なくも余に軽く弄ばるるを可愧うて佇みたり。されども貫一は直に席を移さざる満枝の為に、再び言を費さんとも為ざりけり。気嵩なる彼は胸に余して、聞えよがしに、「 ![]() ![]() 素より彼の無愛相なるを満枝は知れり。彼の無愛相の己に対しては更に甚きを加ふるをも善く知れり。満枝が手管は、今その外に顕せるやうに決して内に怺へかねたるにはあらず、かくしてその人と諍ふも、また ![]() ![]() |
聴ゐざるにはあらねど、貫一は絶えて応答だに為ざるなり。「実は疾からお話を申さうとは存じたのでございますけれど、そんな可厭な事を自分の口から吹聴らしく、却つて何も御存じない方が可からうと存じて、何も申上げずにをつたのでございますが、鰐淵様のかれこれ有仰るのは今に始つた事ではないので、もう私実に窮つてをるのでございます。始終好い加減なことを申しては遁げてをるのですけれど、鰐淵さんは私が貴方をこんなに……と云ふ事は御存じなかつたのですから、それで済んでをりましたけれど、貴方が御入院あそばしてから、私かうして始終お訪ね申しますし、鰐淵さんも頻繁いらつしやるので、度々お目に懸るところから、何とかお想ひなすつたのでございませう。それで、この間は到頭それを有仰つて、訳があるならあるで、隠さずに話をしろと有仰るのぢやございませんか。私為方がありませんから、お約束をしたと申して了ひました」。「え!」と貫一は繃帯したる頭を擡げて、彼の有為顔を赦し難く打目戍れり。満枝はさすが過を悔いたる風情にて、やをら左の袂を膝に掻載せ、牡丹の莟の如く揃へる紅絹裏の振を弄りつつ、彼の咎を懼るる目遣してゐたり。 「実に怪しからん! ![]() 胡麻塩羅紗の地厚なる二重外套を絡へる魁肥の老紳士は悠然として入来りしが、内の光景を見ると斉く胸悪き色はつとその面に出でぬ。満枝は心に少く慌てたれど、さしも顕さで、雍かに小腰を屈めて、「おや、お出あそばしまし」。「ほほ、これは、毎度お見舞下さつて」。同じく慇懃に会釈はすれど、疑もなく反対の意を示せる金壺眼は光を逞う女の横顔を瞥見せり。静に臥したる貫一は発作の来れる如き苦悩を感じつつ、身を起して直行を迎ふれば、「どうぢやな。好え方がお見舞に来てをつて下さるで、可えの」。打付に過ぎし言を二人ともに快からず思へば、頓に答はなくて、その場の白けたるを、さこそと謂はんやうに直行の独り笑ふなりき。如何に答ふべきか。如何に言釈くべきか、如何に処すべきかを思煩へる貫一は艱しげなる顔を稍内向けたるに、今はなかなか悪怯れもせで満枝は椅子の前なる手炉に寄りぬ。「しかしお宅の御都合もあるぢやらうし、又お忙いところを度々お見舞下されては痛入ります。それにこれの病気も最早快うなるばかりじやで御心配には及ばんで、以来お出で下さるのは何分お断り申しまする」。 言黒めたる邪魔立を満枝は面憎がりて、「いいえ、もうどう致しまして、この御近辺まで毎々次手がありますのでございますから、その御心配には及びません」。直行の眼は再び輝けり。貫一は憖に彼を窘めじと、傍より言を添へぬ。「毎度お訪ね下さるので、却つて私は迷惑致すのですから、どうか貴方から可然御断り下さるやうに」。「当人もお気の毒に思うてあの様に申すで、折角ではありますけど、決して御心配下さらんやうに、のう」。「お見舞に上りましてはお邪魔になりまする事ならば、私差し控へませう」。満枝は色を作して直行を打見遣りつつ、その面を引廻して、やがて非ぬ方を目戍りたり。「いや、いや、な、決して、そんな訳ぢや……」。「余りな御挨拶で! 女だと思召して有仰るのかは存じませんが、それまでのお指図は受けませんで宜うございます」。「いや、そんなに悪う取られては甚だ困る、畢竟貴方の為を思ひますじやに因つて……」。「何と有仰います。お見舞に出ますのが、何で私の不為になるのでございませう」。「それにお心着がない?」。その能く用ゐる微笑を弄して、直行は巧に温顔を作れるなり。満枝は稍急立ちぬ。「ございません」。「それは、お若いでさうあらう。甚だ失敬ながら、すいぢや申して見やう。な。貴方もお若けりや間も若い。若い男の所へ若い女子が度々出入したら、そんな事はのうても、人がかれこれ言ひ易い、可えですか、そしたら、間はとにかくじや、赤樫様と云ふ者のある貴方の躯に疵が付く。そりや、不為ぢやありますまいか、ああ」。 陰には己自ら更に甚き不為を強ひながら、人の口といふもののかくまでに重宝なるが可笑し、と満枝は思ひつつも、「それは御深切に難有う存じます。私はとにかく、間さんはこれからお美い御妻君をお持ち遊ばす大事のお躯でゐらつしやるのを、私のやうな者の為に御迷惑遊ばすやうな事が御座いましては何とも済みませんですから、私自今慎みますでございます」。「これは太い失敬なことを申しましたに、早速お用ゐなさつて難有い。しかし、間も貴方のやうな方と嘘にもかれこれ言るるんぢやから、どんなにも嬉いぢやらう、私のやうな老人ぢやつたら、死ぬほどの病気したて、赤樫さんは訪ねても下さりや為まいにな」。貫一は苦々しさに聞かざる為してゐたり。「そんな事があるものでございますか、お見舞に上りますとも」。「さやうかな。しかし、こんなに度々来ては下さりやすまい」。「それこそ、御妻君が在つしやるのですから、余り頻繁上りますと……」。後は得言はで打笑める目元の媚、ハンカチイフを口蔽にしたる羞含しさなど、直行はふと目を奪はれて、飽かず覚ゆるなりき。「はッ、はッ、はッ、すぢや細君がないで、ここへは安心してお出かな。私は赤樫さんの処へ行つて言ひますぞ」。「はい、有仰つて下さいまし。私此方へ度々お見舞に出ますことは、宅でも存じてをるのでございますから、唯今も貴方から御注意を受けたのでございますが、私も用を抱へてをる体でかうして上りますのは、お見舞に出なければ済まないと考へまする訳がございますからで、その実、上りますれば、間さんは却つて私の伺ふのを懊悩く思召してゐらつしやるのですから、それは私のやうな者が余り参つてはお目障か知れませんけれど、外の事ではなし、お見舞に上るのでございますから、そんなに作らなくても宜いではございませんか。しかし、それでも私気に懸つて、かうして上るのは、でございます、宅へお出になつた御帰途にこの御怪我なんでございませう。それに、だ私済みません事は、あの時大通りの方をお帰りあそばすと有仰つたのを、津守坂へお出なさる方がお近いとさう申してお勧め申すと、その途でこの御災難でございませう。で私考へるほど申訳がなくて、宅でも大相気に致して、勉めてお見舞に出なければ済まないと申すので、その心持で毎度上るのでございますから、唯今のやうな御忠告を伺ひますと、私実に心外なのでございます。そんなにして上れば、間さんは間さんでお喜がないのでございませう」。 |
彼はいと辛しとやうに、恨しとやうに、さては悲しとやうにも直行を視るなりけり。直行は又その辛し、恨し、悲しとやうの情に堪へざらんとする満枝が顔をば、窃に金壺眼の一角を溶しつつ眺入るにぞありける。「さやうかな。如何さま、それで善う解りましたじや。太い御深切な事で、間もさぞ満足ぢやらうと思ひまする。又私からも、そりや厚うお礼を申しまするじや、で、な、お礼はお礼、今の御忠告は御忠告じや、悪う取つて下さつては困る。貴方がそんなに念うて、毎々お訪ね下さると思や、私も実に嬉いで、折角の御好意をな、どうか卻るやうな、失敬なことは決して言ひたうはないんじや、言ふのはお為を念ふからで、これもやつぱり年寄役なんぢやから、捨てて措けんで。年寄と云ふ者は、これでとかく嫌はるるじや。貴方もやつぱり年寄はお嫌ひぢやらう。ああ、どうですか、ああ」。赤髭を拈り拈りて、直行は女の気色を偸視つ。「さやうでございます。お年寄は勿論結構でございますけれど、どう致しても若いものは若い同士の方が気が合ひまして宜いやうでございますね」。「すぢやて、お宅の赤樫さんも年寄でせうが」。「それでございますから、もうもう口喧くてなりませんのです」。「ぢや、口喧うも、気難うもなうたら、どうありますか」。「それでも私好きませんでございますね」。「それでも好かん? 太う嫌うたもんですな」。「尤も年寄だから嫌ふ、若いから一概に好くと申す訳には参りませんでございます。いくらから好きましても、他で嫌はれましては、何の効もございませんわ」。「さやう、な。けど、貴方のやうな方が此方から好いたと言うたら、どんな者でも可厭言ふ者は、そりやない」。「あんな事を有仰つて! 如何でございますか、私そんな覚はございませんから、一向存じませんでございます」。「さやうかな。はッはッ。さやうかな。はッはッはッ」。 椅子も傾くばかりに身を反して、彼はわざとらしく揺上げ揺上げて笑ひたりしが、「間、どうぢやらう。赤樫さんはああ言うてをらるるが、さうかの」。「如何ですか、さう云ふ事は」。誰か烏の雌雄を知らんとやうに、貫一は冷然として嘯けり。「お前も知らんかな、はッはッはッはッ」。「私が自分にさへ存じませんものを、間さんが御承知あらう筈はございませんわ。ほほほほほほほほ」。そのわざとらしさは彼にも遜らじとばかり、満枝は笑ひ囃せり。直行が眼は誰を見るとしもなくて独り耀けり。「それでは私もうお暇を致します」。「ほう、もう、お帰去かな。私もはや行かん成らんで、まで御一処に」。「いえ、私些と、あの、西黒門町へ寄りますでございますから、甚だ失礼でございますが……」。「まあ、宜い。まで」。「いえ、本当に今日は……」。「まあ、宜いが、実は、何じや、あの旭座の株式一件な、あれがつい纏りさうぢやで、この際お打合をして置かんと、『琴吹』の収債が面白うない。お目に掛つたのが幸ぢやから、些とそのお話を」。「では、明日にでも又、今日は些と急ぎますでございますから」。「そんなに急にお急ぎにならんでも宜いがな。商売上には年寄も若い者もない、さう嫌はれてはどうもならん」。姑く推問答の末彼は終に満枝を拉し去れり。迹に貫一は悪夢の覚めたる如く連に太息 ![]() |
【第五章】 |
檜葉、樅などの古葉貧しげなるを望むべき窓の外に、庭ともあらず打荒れたる広場は、唯麗なる日影のみぞ饒に置余して、そこらの梅の点々と咲初めたるも、自ら怠り勝に風情作らずと見ゆれど、春の色香に出でたるは憐むべく、打霞める空に来馴るる鵯のいとどしく鳴頻りて、午後二時を過ぎぬる院内の寂々たるに、たまたま響くは患者の廊下を緩う行くなり。 枕の上の徒然は、この時人を圧して殆ど重きを覚えしめんとす。書見せると見えし貫一は辛うじて夢を結びゐたり。彼は実に夢ならではあり得べからざる怪き夢に弄ばれて、躬も夢と知り、夢と覚さんとしつつ、なほ睡の中に囚れしを、端無く人の呼ぶに駭されて、漸く慵き枕を欹てつ。愕然として彼は瞳を凝せり。ベッドの傍に立てるは、その怪き夢の中に顕れて、終始相離れざりし主人公その人ならずや。打返し打返し視れども訪来れる満枝に紛あらざりき。とは謂へ、彼は夢か、あらぬかを疑ひて止まず。さるはその真ならんよりなほ夢の中なるべきを信ずるの当れるを思へるなり、美しさも常に増して、夢に見るべき姿などのやうに四辺も可輝く、五六歳ばかりも若ぎて、その人の妹なりやとも見えぬ。まして、六十路に余れる夫有てる身と誰かは想ふべき。 髪を台湾銀杏といふに結びて、飾とてはわざと本甲蒔絵の櫛のみを挿したり。黒縮緬の羽織に夢想裏に光琳風の春の野を色入に染めて、納戸縞の御召の下に濃小豆の更紗縮緬、紫根七糸に楽器尽の昼夜帯して、半襟は色糸の縫ある肉色なるが、頸の白きを匂はすやうにて、化粧などもやや濃く、例の腕環のみは燦爛と煩し。今日は殊に推して来にけるを、得堪へず心の尤むらん風情にて佇める姿限りく嬌きて見ゆ。「お寝のところを飛んだ失礼を致しました。私上る筈ではないのでございますけれど、是非申上げなければなりません事がございますので、些と伺ひましたのでございますから、今日のところはどうか御堪忍あそばして」。彼の許を得んまでは席に着くをだに憚る如く、満枝は漂しげになほ立てるなり。「はあ、さやうですか。一昨々日あれ程申上げたのに……」。内に燃ゆる憤を抑ふるとともに貫一の言は絶えぬ。 「鰐淵さんの事なのでございますの。私困りまして、どういたしたら宜いのでございませう……間さん、かうなのでございますよ」。「いや、その事なら伺ふ必要はないのです」。「あら、そんなことを有仰らずに……」。「失礼します。今日は腰の傷部が又痛みますので」。「おや、それは、お劇いことはお在なさらないのでございますか」。「いえ、なに」。「どうぞお楽に在しつて」。 |
貫一は無雑作に郡内縞の掻巻引被けて臥しけるを、疎略あらせじと満枝は勤篤に冊きて、やがて己も始めて椅子に倚れり。「の前でこんな事は私申上げ難いのでございますけれど、実は、あの一昨々日でございますね、ああ云ふ訳で鰐淵さんと御一処に参りましたところが、御飯を食べるから何でも附合へと有仰るので、湯島の天神の茶屋へ寄りましたのでございます。さう致すと、案の定可厭い事をもうもう執濃く有仰るのでございます。さうして飽くまで貴方の事を疑つて、始終それを有仰るので、私一番それには困りました。あの方もお年効のない、物の道理がお解りにならないにも程の有つたもので、一体私を何と思召してゐらつしやるのか存じませんが、客商売でもしてをる者に戯れるやうな事を、それも一度や二度ではないのでございますから、私残念で、一昨々日なども泣いたのでございます。で、この後二度とそんな事の有仰れないやうに、私その場で十分に申したことは申しましたけれど、変に気を廻してゐらつしやる方の事でございますから、取んだ八当で貴方へ御迷惑が懸りますやうでは、何とも私申し訳がございませんから、どうぞそれだけお含み置き下さいまして、悪からず……。今度お会ひあそばしたら、鰐淵さんが何とか有仰るかも知れません。さぞ御迷惑でゐらつしやいませうけれど、そこは宜いやうに有仰つて置いて下さいまし。それも貴方が何とか些でも思召してゐらつしやる方とならば、そんな事を有仰られるのもまた何でございませうけれど、嫌抜いてお在あそばす私のやうな者と訳でもあるやうに有仰られるのは、さぞお辛くてゐらつしやいませうけれど、私のやうな者に見込れたのが因果とお諦め遊ばしまし。貴方も因果なれば、私も……私は猶因果なのでございますよ。かう云ふのが実に因果と謂ふのでございませうね」。 金煙管の莨の独り杳眇と燻るを手にせるまま、満枝は儚さの遣方無げに萎れゐたり。さるをも見向かず、答へず、頑として石の如く横はれる貫一。「貴方もお諦め下さいまし、全く因果なのでございますから、切てさうと諦めてでもゐて下されば、それだけでも私幾分か思が透つたやうな気が致すのでございます。間さん。貴方は過日私がこんなに思つてゐることを何日までもお忘れないやうにと申上げたら、お志は決して忘れんと有仰いましたね。お覚えあそばしてゐらつしやいませう。ねえ、貴方、よもやお忘れはないでせう。如何なのでございますよ」。勢ひて問詰むれば、極めて事もなげに、「忘れません」。 満枝は彼の面を絶に怨視て瞬もず、その時人声して闥は徐に啓きぬ。案内せる附添の婆は戸口の外に立ちて請じ入れんとすれば、客はその老に似気なく、今更内の様子を心惑せらるる体にて、彼にさへ可慎う小声に言付けつつ名刺を渡せり。満枝は如何なる人かと瞥と見るに、白髪交りの髯は長く胸の辺に垂れて、篤実の面貌痩せたれども賤からず、長は高しとにあらねど、素より ![]() |
貫一は婆の示せる名刺を取りて、何心なく打見れば、鴫沢隆三と誌したり。色を失へる貫一はその堪へかぬる驚愕に駆れて、忽ち身を飜して其方を見向かんとせしが、幾ど同時に又枕して、終に動かず。狂ひ出でんずる息を厳く閉ぢて、燃るばかりに瞋れる眼は放たず名刺を見入りたりしが、さしも内なる千万無量の思を裹める一点の涙は不覚に滾び出でぬ。こは怪しと思ひつつも婆は、「へお通し申しませうで……」。「知らん!」。「はい?」。「こんな人は知らん」。 人目あらずば引裂き棄つべき名刺よ、涜しと投返せば床の上に落ちぬ。彼は強ひて目を塞ぎ、身の顫ふをば吾と吾手に抱窘めて、恨は忘れずとも憤は忍ぶべしと、撻たんやうにも己を制すれば、髪は逆竪ち蠢きて、頭脳の裏に沸騰る血はその欲するままに注ぐところを求めて、心も狂へと乱螫すなり。彼はこれと争ひて猶も抑へぬ。面色は漸く変じて灰の如し。婆は懼れたる目色を客の方へ忍ばせて、「御存じないお方なので?」。「一向知らん。人違だらうから、断つて返すがよい」。「さやうでございますか。それでも、貴方様のお名前を有仰つてお尋ね……」。「ああ、何でもよいから早く断つて」。「さやうでございますか、それではお断り申しませうかね」。 |
【第五章の二】 |
婆は鴫沢の前にその趣を述べて、投棄てられし名刺を返さんとすれば、手を後様に束ねたるままに受取らで、強ひて面を和ぐるも苦しげに見えぬ。「ああ、さやうかね、御承知のない訳はないのだ。ははは、大分久しい前の事だから、お忘れになつたのか知れん、それでは宜い。私が直にお目に掛らう。この部屋は間貫一さんだね、ああ、それでは間違ない」。屹と思案せる鴫沢の椅子ある方に進み寄れば、満枝は座を起ち、会釈して、席を薦めぬ。「貫一さん、私だよ。久しう会はんので忘れられたかのう」。室の隅に婆が茶の支度せんとするを、満枝は自ら行きて手を下し、或は指図もし、又自ら持来りて薦むるなど尋常の見舞客にはあらじと、鴫沢は始めてこの女に注目せるなり。貫一は知らざる如く、彼方を向きて答へず。仔細こそあれとは覚ゆれど、例のこの人の無愛想よ、と満枝は傍に見つつも憫に可笑かりき。「貫一さんや、私だ。疾にも訪ねたいのであつたが、何にしろ居所が全然知れんので。一昨日ふと聞出したから不取敢かうして出向いたのだが、病気はどうかのう。何か、大怪我ださうではないか」。 猶も答のあらざるを腹立くは思へど、満枝の居るを幸に、「睡てをりますですかな」。「はい、如何でございますか」。彼はこの長者の窘めるを傍に見かねて、貫一が枕に近く差寄りて窺へば、涙の顔を褥に擦付けて、急上げ急上げ肩息してゐたり。何事とも覚えず驚されしを、色にも見せず、怪まるるをも言に出さず、些の心着さへあらぬやうに擬して、「お客様がいらつしやいましたよ」。「今も言ひました通り、一向識らん方なのですから、お還し申して下さい」。彼は面を伏せて又言はず、満枝は早くもその意を推して、また多くは問はず席に復りて、「お人違いではございませんでせうか、どうも御覚がないと有仰るのでございます」。長き髯を推揉みつつ鴫沢は為方無さに苦笑して、「人違いとは如何なことでも! 五年や七年会はんでも私はだそれほど老耄はせんのだ。しかし覚えがないと言へばそれまでの話、覚えもあらうし、人違いでもなからうと思へばこそ、かうして折角会ひにも来たらうと謂ふもの。老人の私がわざわざかうして出向いて来たのでのう、そこに免じて、些とでも会うて貰ひませう」。 挨拶如何にと待てども、貫一は音だに立てざるなり。「それぢや、何かい、こんなに言うても不承してはくれんのかの。ああ、さやうか、是非がない。しかし、貫一さん、能う考へて御覧、まあ、私たちの事をどう思うてゐらるるか知らんが、お前さんの爾来の為方、又今日のこの始末は、ちと妥当ならんではあるまいか。とにかく鴫沢の翁に対してかう為たものではなからうと思ふがどうであらうの。成る程お前さんの方にも言分はあらう、それも聞きに来た。私の方にも少く言分のないではない。それも聞かせたい。しかし、かうしてわざわざ尋ねて来たものであるから、では既に折れて出てゐるのだ。さうしてお前さんに会うて話と謂ふは、決して身勝手な事を言ひに来たぢやない、やはりの身の上に就いて善かれと計ひたい老婆心切。私の方ではその当時にあつてもお前さんを棄てた覚えはなし、又今日も五年前も同じ考量で居るのだ。それを、まあ、若い人の血気と謂ふのであらう。唯一図に思ひ込んで誤解されたのか、私は如何にも残念でならん。今日までも誤解されてゐるのは愈よ心外だで、お前さんの住所の知れ次第早速出掛けて来たのだ。凡その了簡を誤解されてゐるほど心苦い事はない。人の為に謀つて、さうして僅の行違から恨まれる、恩に被せうとて謀つたではないが、恨まれやうとは誰にしても思はん。で、ああして睦う一家族で居つて、私たちも死水を取つて貰ふ意であつたものを、僅の行違から音信不通の間になつて了ふと謂ふは、何ともはや浅ましい次第で、私も誠に寐覚が悪からうと謂ふもの、実に姨とも言暮してゐるのだ。私の方ではまでも旧通りになつて貰うて、早く隠居でもしたいのだ。それもしかしお前さんの了簡が釈けんでは話ができん。その話は二の次としても、差当り誤解されてゐる一条だ。会うて篤と話をしたら直に訳は分らうと思ふで、是非一通りは聞いて貰ひたい。その上でも心が釈けん事なら、どうもそれまで。私はお前さんの親御の墓へ詣つて、のう、抑もお前さんを引取つてから今日までの来歴を在様陳べて、鴫沢はこれこれの事を為、かうかう思ひまする、けれども成行でかう云ふ始末になりましたのは、残念ながら致方がない、と丁とお分疏を言うて、そして私は私の一分を立ててから立派に縁を切りたいのだ。のう。はや五年も便を為んのだから、お前さんは縁を切つた気であらうが、私の方では未だ縁は切らんのだ。 |
私は考へる、たとへばこの鴫沢の翁の為た事が不都合であらうか知れん、けれども間貫一たる者は唯一度の不都合ぐらゐは如何にも我慢をしてくれんければ成るまいかと思ふのだ。又その我慢が成らんならば、も少し妥当に事を為てもらひたかつた。私の方に言分のあると謂ふのは其処だ。言はせればその通り私にも言分はある。しかし、そんな事を言ひに来たではない、私の方にも如何様手落があつたで、その詫も言はうし、又昔も今も此方には心持に異変はないのだから、それが第一に知らせたい。翁が久しぶりで来たのだ、のう、貫一さん、今日は何も言はずに清う会うてくれ」。 曾て聞かざりし恋人が身の上の秘密よ、と満枝は奇き興を覚えて耳を傾けぬ。我強くも貫一のなほ言はんとはせざるに、漸く怺へかねたる鴫沢の翁はやにはに椅子を起ちて、強ひてもその顔見んと歩み寄れり。事の由は知るべきやうなけれど、この客の言を尽せるにも理聞えて、無下に打も棄てられず、されども貫一が唯涙を流して一語を出さず、いと善く識るらん人をば覚えなしと言へる、これにもなかなか所謂はあらんと推測るれば、一も二もなく満枝は恋人に与してこの場の急を拯はんと思へるなり。枕頭を窺ひつつ危む如く眉を攅めて、鴫沢の未だ言出でざる時、「私看病に参つてをります者でございますが、何方様でゐらつしやいますか存じませんが、この一両日病人は熱の気味で始終昏々いたして、時々譫語のやうな事を申して、泣いたり、慍つたり致すのでございますが、……」。頭を捻向けて満枝に対せる鴫沢の顔の色は、この時故に解きたりと見えぬ。「はあ、は、さやうですかな」。「先程から伺ひますれば、年来御懇意でゐらつしやるのを人違いだとか申して、大相失礼を致してをるやうでございますが、やつぱり熱の加減で前後が解りませんのでございますから、どうぞお気にお懸け遊ばしませんやうに。この熱も直に除れまするさうでございますから、又改めてお出を願ひたう存じます。今日は私御名刺を戴いて置きまして、お軽快なり次第私から悉くお話を致しますでございます」。「はあ、それはそれは」。「実は、何でございました。昨日もお見舞にお出で下すつたお方に変な事を申掛けまして、何も病気の事で為方もございませんけれど、私弱りきりましたのでございます。今日は又如何致したのでございますか、昨日とは全で反対であの通り黙りきつてをりますのですが、却つて無闇なことを申されるよりは始末が宜いでございます」。 かくても始末は善しと謂ふかと、翁は打蹙むべきを強ひて易へたるやうの笑を洩せば、満枝はその言了せしを喜べるやうに笑ひぬ。彼は婆を呼びて湯を易へ、更に熱き茶を薦めて、再び客を席に着かしめぬ。「さう云ふ訳では話も解りかねる。では又上る事に致しませう。手前は鴫沢隆三と申して――名刺を差上げて置きまする、これに住所も誌してあります――貴方は失礼ながらやはり鰐淵さんの御親戚ででも?」。「はい、親戚ではございませんが、鰐淵さんとは父が極御懇意に致してをりますので、それに宅がこの近所でございますもので、ちよくちよくお見舞に上つてはお手伝を致してをります」。「はは、さやうで。手前は五年ほど掛違うて間とは会ひませんので、どうか去年あたり嫁を娶うたと聞きましたが、如何いたしましたな」。彼はこの美くしき看病人の素性知らまほしさに、あらぬ問をも設けたるなり。「さやうな事はついに存じませんですが」。「はて、さうとばかり思うてをりましたに」。 |
容儀人の娘とは見えず、妻とも見えず、しかも絢粲しう装飾れる様は色を売る儔にやと疑はれざるにはあらねど、言辞行儀の端々自らさにもあらざる、畢竟これ何者と、鴫沢は容易にその一斑をも推し得ざるなりけり。されども、懇意と謂ふも、手伝と謂ふも、皆な詐ならんとは想ひぬ。正き筋の知辺にはあらで、人の娘にもあらず、又貫一が妻と謂ふにもあらずして、深き訳ある内証者なるべし。しさもあらば、貫一はその身の境遇とともに堕落して性根も腐れ、身持も頽れたるを想ふべし、とかくは好みて昔の縁を繋ぐべきものにあらず。かくの如き輩を出入せしむる鴫沢の家は、終に不慮の禍を招くに至らんも知るべからざるを、と彼は心中遽に懼を生じて、さては彼の恨深く言を容れざるを幸に、今日は一先立還りて、尚ほ一層の探索と一番の熟考とを遂げて後、来るくは再び来らんも晩からず、と失望の裏別に幾分の得るところあるを私に喜べり。「いや、これはどうも図らずお世話様に成りました。いづれ又近日改めてお目に掛りまするで、失礼ながらお名前を伺つて置きたうござりまするが」。「はい、私は」と紫根塩瀬の手提の中より小形の名刺を取出だして、「甚だ失礼でございますが」。「はい、これは。赤樫満枝さまと有仰いますか」。 この女の素性に於ける彼の疑は益暗くなりぬ。夫有てる身の我は顔に名刺を用意せるも似気無し、まして裏面に横文字を入れたるは、猶可慎からず。応対の雍にして人馴れたる、服装などの当世風に貴族的なる、或は欧羅巴的女子職業に自営せる人などならずや。但しその余に色美きが、又さる際には相応からずも覚えて、こは終に一題の麗き謎を彼に与ふるに過ぎざりき。鴫沢の翁は貫一の冷遇に慍るをも忘れて、この謎の為に苦められつつ病院を辞し去れり。客を送り出でて満枝の内に入来れば、ベッドの上に貫一の居丈高に起直りて、痩尽れたる拳を握りつつ、咄々、言はで忍びし無念に堪へずして、独り疾視の瞳を凝すに会へり。 |
(私論.私見)