後編1章

更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.30日

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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


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【後編第一章】
 翌々日の諸新聞は坂町さかまちに於ける高利貸アイス遭難の一件を報道せり。うちはざま貫一を誤りて鰐淵直行わにぶちただゆきるもありしが、負傷者は翌日大学第二医院に入院したりとのみは、一様に事実の真を伝ふるなりけり。されどその人を誤れる報道は決して何らの不都合をも生ぜざるべし。彼らをらざる読者は湯屋の喧嘩けんかも同じく、三ノ面記事の常套じようとうとして看過みすごすべく、何のいとまかその敵手あひて誰々たれたれなるを問はん。識れる者は恐くは、貫一も鰐淵も一つに足腰のかずなるまで※(「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37)うちのめされざりしを本意無ほいなく思へるなるべし。又或る者は彼の即死せざりしをも物足らず覚ゆるなるべし。下手人は不明なれども、察するに貸借上の遺趣よりせるわざならんとは、諸新聞のしるせる如く、人もな皆思ふところなりけり。直行は今朝病院へ見舞に行きて、妻は患者の容体を案じつつ留守せるなり。夫婦は心をあはせて貫一の災難をかなしみ、何程のつひえをもをしまず手宛てあての限を加へて、少小すこしきずをものこさざらんと祈るなりき。
 股肱ここうたのみ、我子とも思へる貫一の遭難を、主人はなかなかその身に受けし闇打やみうちのやうに覚えて、無念の止み難く、かばかりの事に屈する鰐淵ならぬ令見みせしめの為に、彼が入院中を目覚めざましくも厚くまかなひて、再び手出しもならざらんやう、かげながら卑怯者ひきようものの息の根をめんと、気もくるはしく力をつくせり。彼の妻は又、やがてはかかる不慮の事の夫の身にもきたるべきを思過おもひすごして、しさるべからんには如何にかべき、この悲しさ、この口惜くちをしさ、この心細さにてはまじと思ふにつけて、空可恐そらおそろしく胸の打騒ぐをとどめ得ず。奉公大事ゆゑにうらみを結びて、憂き目にひし貫一は、夫のわざはひを転じて身のあだとせし可憫あはれさを、日頃の手柄に増して浸々しみじみ難有ありがたく、かれをおもひ、これを思ひて、したたかに心弱くのみ成行くほどに、裏にづること、おそるること、やましきことなどの常におさへたるが、たちま涌立わきたち、跳出をどりいでて、その身を責むる痛苦にへざるなりき。
 年久くかはるる老猫ろうみよう子狗こいぬほどなるが、棄てたる雪のかたまりのやうに長火鉢ながひばち猫板ねこいたの上にうづくまりて、前足の隻落かたしおとして爪頭つまさきの灰にうづもるるをも知らず、※(「鼾のへん+句」、第4水準2-94-72)いびきをさへきて熟睡うまいしたり。妻はその夜の騒擾とりこみ、次の日の気労きづかれに、血の道を悩める心地ここちにて、※(「りっしんべん+夢」の「夕」に代えて「目」、第4水準2-12-81)うつらうつらとなりては驚かされつつありける耳元に、格子こうしベルとどろきければ、はや夫の帰来かへりかと疑ひも果てぬに、紙門ふすまを開きてあらはせる姿は、年紀としのころ二十六七と見えて、身材たけは高からず、色ややあを痩顔やせがほむづかしげに口髭逞くちひげたくましく、髪のひ乱れたるに深々ふかふかと紺ネルトンの二重外套にじゆうまわしえりを立てて、黒の中折帽を脱ぎて手にしつ。高き鼻に鼈甲縁べつこうぶちの眼鏡をはさみて、かどある眼色まなざしは見る物毎に恨あるが如し。
 妻は思い設けぬ面色おももちの中に喜をたたへて、「まあ直道ただみちかい、好くおいでだね」。片隅かたすみ外套がいとうを脱ぎ捨つれば、彼は黒綾くろあやのモオニングのあたらしからぬに、濃納戸地こいなんどじ黒縞くろじま穿袴ズボンゆたかなるを着けて、ならぬ護謨ゴムのカラ、カフ、鼠色ねずみいろ紋繻子もんじゆす頸飾えりかざりしたり。妻は得々いそいそ起ちて、その外套を柱の折釘をりくぎに懸けつ。「どうも取んだ事で、阿父おとつさんの様子はどんな? 今朝新聞を見るとおどろいて飛んで来たのです。容体ようだいはどうです」。彼は時儀をぶるに※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)およばずしてせはしげにかく問出とひいでぬ。「ああ新聞で、さうだつたかい。なあに阿父さんはどうもなさりはしないわね」。「はあ? 坂町で大怪我おほけがなすつて、病院へ入つたと云ふのは?」。「あれははざまさ。阿父さんだとお思ひなの? 可厭いやだね、どうしたと云ふのだらう」。「いや、さうですか。でも、新聞には歴然ちやんとさう出てゐましたよ」。「それぢやその新聞が違つてゐるのだよ。阿父さんは先之さつき病院へ見舞にお出掛けだから、間もなくお帰来かへりだらう。まあ寛々ゆつくりしておいでな」。
 かくと聞ける直道はの不意に拍子抜して、喜びも得為えせ唖然あぜんたるのみ。「ああ、さうですか、間がられたのですか」。「ああ、間が可哀かあいさうにねえ、取んだ災難で、大怪我をしたのだよ」。「どんなです、新聞には余程ひどいやうに出てゐましたが」。「新聞にある通りだけれど、不具かたはになるやうな事もないさうだが、全然すつかりくなるには三月みつきぐらゐはどんな事をしてもかかるといふ話だよ。誠に気の毒な、それで、阿父おとつさんも大抵な心配ぢやないの。まあ、ね、病院も上等へ入れて手宛てあては十分にしてあるのだから、決して気遣きづかひはないやうなものだけれど、何しろ大怪我だからね。左の肩の骨が少しくだけたとかで、手が緩縦ぶらぶらになつてしまつたの、その外紫色のあざだの、蚯蚓腫めめずばれだの、打切ぶつきれたり、擦毀すりこはしたやうな負傷きずは、お前、体一面なのさ。それに気絶するほど頭部あたまぶたれたのだから、脳病でも出なければ可いつて、お医者様もさう言つておいでださうだけれど、今のところではそんな塩梅あんばいもないさうだよ。

 何しろその晩内へ舁込かつぎこんだ時は半死半生で、ほんの虫の息が通つてゐるばかり、は一目見ると、これはとても助るまいと想つたけれど、割合に人間といふものは丈夫なものだね」。「それは災難な、気の毒な事をしましたな。まあ十分に手宛をして遣るが可いです。さうして阿父さんは何と言つてゐました」。「何ととは?」。「間が闇打やみうちにされた事を」。「いづれ敵手あひて貸金かしきんの事から遺趣を持つて、その悔しまぎれに無法な真似まねをしたのだらうつて、大相腹を立てておいでなのだよ。全くね、間はああ云ふ不断の大人おとなしい人だから、つまらない喧嘩けんかなぞをする気遣きづかひはなし、何でもそれに違いはないのさ。それだから猶更なほさら気の毒で、何ともひやうがない」。「間は若いから、それでも助かるのです、阿父おとつさんであつたら命はありませんよ、阿母おつかさん」。「まあ可厭いやなことをお言ひでないな!」。浸々しみじみ思入りたりし直道はしづかにそのうらめしき目を挙げて、「阿母さん、阿父さんはだこの家業をおめなさる様子はないのですかね」。母は苦しげに鈍り鈍りて、「さうねえ……別に何とも……にはく解らないね……」。「もう今に応報むくいは阿父さんにも……。阿母さん、間があんな目につたのは、決して人事ぢやありませんよ」。「お前又阿父さんの前でそんな事をお言ひでないよ」。「言ひます! 今日は是非言はなければならない」。「それは言ふも可いけれど、従来これまでも随分お言ひだけれど、あの気性だから阿父さんはちつともお聴きではないぢやないか。とてもひとの言ふことなんぞは聴かない人なのだから、まあ、もう少しお前も目をつぶつておいでよ、よ」。「だつて親に向つて言ひたくはありません。大概の事なら目をつぶつてゐたいのだけれど、実にこればかりは目を瞑つてゐられないのですから。始終さう思ひます。私は外に何も苦労といふものはない、唯これだけが苦労で、考出すと夜も寝られないのです。外にどんな苦労が在つても可いから、どうかこの苦労だけはなくなしてしまひたいとつくづく思ふのです。ああ、こんな事ならだ親子で乞食をした方がはるかに可い」。
 彼は涙を浮べてうつむきぬ。母はその身もともに責めらるる想して、るひ可慚はづかしく、或るいは可忌いまはしく、このき位置にあるにへかねつつ、言解かんすべさへなけれど、とにもかくにも言はでむべき折ならねば、からうじて打出うちいだしつ。「それはもうお前の言ふのはもつともだけれど、お前と阿父おとつさんとはまる気合きあひが違ふのだから、万事考量かんがへが別々で、お前の言ふ事は阿父さんのはらには入らず、ね、又阿父さんの為る事はお前には不承知とふので、その中へ入つて私も困るわね。内も今では相応におかねもできたのだから、かう云ふ家業はめて、楽隠居になつて、お前に嫁をもらつて、孫の顔でも見たい、とさう思ふのだけれど、ああ云ふ気の阿父さんだから、そんなことを言出さうものなら、どんなにおこられるだらうと、それが見え透いてゐるから、漫然うつかりした事は言はれずさ、お前の心を察して見れば可哀かあいさうではあり、さうかと云つて何方どつちをどうすることもできず、陰で心配するばかりで、何の役にも立たないながら、これでなかなか苦いのは私の身だよ。

 さぞお前は気も済まなからうけれど、とても今のところでは何と言つたところが、応と承知をしさうな様子はないのだから、なまじひ言合つてお互に心持を悪くするのがおちだから、……それは、お前、何と云つたつて親一人子一人の中だもの、阿父さんだつて心ぢやどんなにお前が便だか知れやしないのだから、究竟つまりはお前の言ふ事も聴くのは知れてゐるのだし、阿父さんだつて現在の子のそんなにまで思つてゐるのを、決して心に掛けないのではないけれども、又阿父おとつさんの方にも其処そこには了簡りようけんがあつて、一概にお前の言ふ通りにも成りかねるのだらう。それに今日あたりは、間の事で大変気が立つてゐるところだから、お前が何か言ふとかへつて善くないから、今日はそつとしていておくれ、よ、本当に私が頼むから、ねえ直道」。
 に母は自ら言へりし如く、板挾いたばさみの難局に立てるなれば、ひたすら事あらせじと、誠の一図に直道をさとすなりき。彼は涙の催すにへずして、鼻目鏡はなめがねを取捨てて目を推拭おしぬぐひつつ猶むせびゐたりしが、「阿母おつかさんにさう言れるから、私は不断はこらへてゐるのです。今日ばかり存分に言はして下さい。今日言はなかつたら言ふ時はありませんよ。間のそんな目につたのは天罰です、この天罰は阿父さんも今に免れんことは知れてゐるから、言ふのなら今、今言はんくらゐなら私はもう一生言ひません」。母はその一念におびやかされけんやうにてそぞろ寒きを覚えたり。洟打去はなうちかみて直道はことばを継ぎぬ。「しかしの仕打ちも善くはありません、阿父さんの方にも言分はあらうと、それは自分で思つてゐます。阿父さんの家業が気に入らん、意見をしても用ゐない、こんなけがれた家業を為るのを見てゐるのが可厭いやだ、と親を棄てて別居してゐると云ふのは、如何にも情合のない話で、実に私も心苦しいのです。決して人の子たる道ではない、さぞ不孝者と阿父さん始阿母さんもさう思つておいででせう」。「さうは思ひはしないよ。お前の方にも理はあるのだから、さうは思ひはしないけれど、一処いつしよに居たらさぞ好からうとは……」。「それは、私はなほの事です。こんな内に居るのは可厭いやだ、別居してで遣る、と我儘わがままを言つて、どうなりかうなり自分で暮して行けるのも、それまでに教育して貰つたのはのお陰かと謂へば、みんな親の恩。それもこれも知つてゐながら、阿父おとつさんを踏付にしたやうなおこなひを為るのは、阿母おつかさん能々よくよくの事だと思つて下さい。私は親にさからふのぢやない、阿父さんと一処に居るのをきらふのぢやないが、私は金貸などと云ふいやしい家業が大嫌だいきらひなのです。人をなやめておのれこやす――浅ましい家業です!」。

 身をふるはして彼は涙に掻昏かきくれたり。母は居久いたたまらぬまでに惑へるなり。「親をすごすほどの芸もなくて、生意気な事ばかり言つて実は面目めんぼくもないのです。しかし不自由を辛抱してさへ下されば、両親ぐらゐにひもじい思はきつとせませんから、破屋あばらやでもよいから親子三人一所に暮して、人に後ろ指をさされず、罪も作らず、うらみも受けずに、清く暮したいぢやありませんか。世の中はかねがあつたから、それで可い訳のものぢやありませんよ。まして非道をしてこしらへたかね、そんなかねが何のになるものですか、必ず悪銭身に附かずです。無理に仕上げた身上しんじようは一代持たずに滅びます。因果の報うためしは恐るべきものだから、一日でも早くこんな家業はめるに越した事はありません。ああ、末が見えてゐるのに、情ない事ですなあ!」。
 積悪の応報覿面てきめんの末をうれひてかざる直道が心のまなこは、無残にもうらみやいばつんざかれて、路上に横死おうしの恥をさらせる父が死顔の、犬に※(「足へん+搨のつくり」、第4水準2-89-44)られ、泥にまみれて、古蓆ふるむしろの陰にせるを、怪くも歴々まざまざと見て、恐くは我が至誠のかがみは父が未然を宛然さながら映しいだしてあやまらざるにあらざるかと、事の目前まのあたりの真にあらざるを知りつつも、余りの浅ましさに我を忘れてつとほとばし哭声なきごゑは、咬緊くひしむる歯をさへ漏れて出づるを、母は驚き、途方にれたる折しも、かどくるまとどまりて、格子のベルの鳴るは夫の帰来かへりか、次手ついで悪しと胸をとどろかして、直道の肩を揺りうごかしつつ、声を潜めて口早に、「直道、阿父さんのお帰来かへりだから、泣いてゐちや可けないよ、早く彼方あつちへ行つて、……よ、今日は後生だから何も言はずに……」。はや足音は次の間にきたりぬ。母はあわてて出迎にてば、一足遅れに紙門ふすまは外より開れてあるじ直行の高く幅たきからだ岸然のつそりとお峯の肩越かたごしあらはれぬ。
【後編第一章の二】
 「おお、直道か珍しいの。何時いつ来たのか」。かく言ひつつ彼は艶々つやつやあからみたる鉢割はちわれの広き額の陰に小く点せる金壺眼かねつぼまなこ心快こころよげに※(「目+登」、第3水準1-88-91)みひらきて、妻が例の如く外套がいとうぬがするままに立てり。お峯は直道がことばかどあらんことをおもひはかりて、さり気なく自ら代りて答へつ。「もう少しさつきでした。貴君あなたは大相お早かつたぢやありませんか、丁度ございましたこと。さうして間の容体はどんなですね」。「いや、仕合しあはせと想うたよりは軽くての、まあ、ま、あの分なら心配はないて」。黒一楽くろいちらく三紋みつもん付けたる綿入羽織わたいればおり衣紋えもんを直して、彼は機嫌好く火鉢ひばちそばに歩み寄る時、直道はやうやおもてげて礼をせり。「お前、どうした、ああ、妙な顔をしてをるでないか」。梭櫚しゆろの毛を植ゑたりやとも見ゆる口髭くちひげ掻拈かいひねりて、太短ふとみじかなるまゆひそむれば、聞ゐる妻ははつとばかり、やいばを踏める心地も為めり。直道はと振仰ぐとともに両手を胸に組合せて、居長高ゐたけだかになりけるが、父のおもてを見し目を伏せて、さてしづかに口を開きぬ。「今朝新聞を見ましたところが、阿父おとつさんが、大怪我をなすつたと出てをつたので、早速お見舞に参つたのです」。
 白髪しらがまじへたる茶褐色ちやかつしよくの髪のかしらに置余るばかりなるをでて、直行は、「何新聞か知らんけれど、それは間の間違ぢやが。おれならそんな場合に出会うたて、唯々おめおめうたれちやをりやせん。何の先は二人でないかい、五人までは敵手あひてにしてくれるが」。直道の隣に居たる母はひそかに彼のコオトのすそを引きて、ことばを返させじと心づくるなり。これが為に彼は少しくためらひぬ。「ほんにお前どうした、顔色かほつきが良うないが」。「さうですか。余り貴方あなたの事が心配になるからです」。「何じや?」。「阿父さん、度々たびたび言ふ事ですが、もう金貸はめて下さいな」。「又! もう言ふな。言ふな。廃める時分には廃めるわ」。「廃めなければならんやうになつて廃めるのはみつともない。今朝貴方あなたが半死半生の怪我をしたといふ新聞を見た時、はどんなにしても早くこの家業をお廃めなさるやうにせなかつたのをつくづく後悔したのです。さいはひに貴方は無事であつた、から猶更なほさら今日は私の意見を用ゐてもらはなければならんのです。今に阿父さんも間のやうな災難を必ず受けるですよ。それが可恐おそろしいから廃めると謂ふのぢやありません、ただしい事で争つておとす命ならば、して辞することはないけれど、金銭づくの事でうらみを受けて、それゆゑに無法な目にふのは、如何いかにも恥曝はぢさらしではないですか。一つ間違へば命も失はなければならん、不具かたはにもれなければならん、阿父さんの身の上を考へると、私は夜も寝られんのですよ。こんな家業をんでは生活が出来んのではなし、阿父さん阿母さん二人なら、一生安楽に過せるほどの資産は既にあるのでせう、それに何を苦んで人には怨まれ、世間からは指弾つまはぢきをされて、無理なかねこしらへんければならんのですか。何でそんなに金がるのですか。誰にしても自身に足りる以外のかねは、子孫にのこさうと謂ふより外はないのでせう。貴方には私が一人子ひとりつこ、その私は一銭たりとも貴方の財は譲られません! 欲くないのです。さうすれば、貴方は今日こんにち無用の財をたくはへる為に、人の怨を受けたり、世にそしられたり、さうして現在の親子がかたきのやうになつて、貴方にしてもこんな家業を決して名誉と思つて楽んでなすつてゐるのではないでせう。私のやうなものでも可愛かはいいと思つて下さるなら、財産をのこして下さるかはりに私の意見を聴いて下さい。意見とは言ひません、私の願です。一生の願ですからどうぞ聴いて下さい」。

 父が前に
かしられて、たやすげぬ彼のおもては熱き涙におほはるるなりき。も動ずる色なき直行はかへつて微笑を帯びて、ことばをさへやはらげつ。「俺の身を思うてそんなに言うてくれるのはうれしいけど、お前のはそれは杞憂と謂ふんじや。俺と違うてお前は神経家ぢやからそんなに思ふんぢやけど、世間と謂ふものはの、お前の考へとるやうなものではない。学問の好きな頭脳あたまで実業を遣る者の仕事を責むるのは、それはいかん。人の怨の、世のそしりのと言ふけどの、我々同業者に対する人の怨などと云ふのは、面々の手前勝手の愚痴に過ぎんのじや。世の誚と云ふのは、多くはそねみ、その証拠は、働きのない奴が貧乏しとればあはれまるるじや。何家業に限らず、かねこしらへる奴は必ず世間から何とか攻撃を受くる、さうぢやらう。かねのある奴で評判のえものは一人もない、その通りじやが。お前は学者ぢやからおのづから心持も違うて、かねなどをさうたつといものに思うてをらん。

 学者はさうなけりやならんけど、世間は皆な学者ではないぞ、
えか。実業家の精神は唯財ただかねじや、世の中の奴の慾も財より外にはない。それほどに、のう、人のほしがる財じや、何ぞえところがなくてはならんぢやらう。どこえのか、何でそんなにえのかは学者には解らん。お前は自身に供給するに足るほどのかねがあつたら、その上に望む必要はないと言ふのぢやな、それが学者の考量かんがへじやと謂ふんじやが。自身に足るほどの物があつたら、それでえと満足して了うてからに手を退くやうな了簡りようけんであつたら、国はたちまほろぶるじや――社会の事業は発達せんじや。さうして国中こくちゆう若隠居ばかりになつて了うたと為れば、お前どうするか、あ。慾にきりのないのが国民の生命なんじや。俺にそんなにかねこしらへてどうするか、とお前は不審するじやね。俺はどうもん、財は余計にあるだけ愉快なんじや。究竟つまり財を拵へるがきはめて面白いんじや。お前の学問するのが面白い如く、俺は財のできるが面白いんじや。お前に本を読むのをえ加減にい、一人前の学問があつたらその上望む必要はあるまいと言うたら、お前何と答へる、あ。お前はうこの家業を不正ぢやの、けがらはしいのと言ふけど、財をまうくるに君子の道を行うてゆく商売がどこにあるか。我々が高利の金を貸す、如何にも高利じや、何為なぜ高利か、えか、無抵当じや、そりや。借る方に無抵当といふ便利を与ふるから、その便利に対する報酬として利が高いのぢやらう。それで我々は決して利の高い金を安いといつはつて貸しはせんぞ。無抵当で貸すぢやから利が高い、それを承知で皆な借るんじや。それが何で不正か、何でけがらはしいか。利が高うて不当と思ふなら、始めから借らんがええ、そんな高利を借りても急をすくはにやおかれんくらゐの困難が様々にある今の社会じや、高利貸を不正と謂ふなら、その不正の高利貸を作つた社会が不正なんじや。必要の上から借る者があるで、貸す者がある。なんぼ貸したうても借る者がなけりや、我々の家業は成立ちは為ん。その必要を見込んで仕事を為るがすなはち営業のたましひなんじや。かねといふものは誰でも愛して、皆獲やうとおもうとる、獲たら離すまいととる、のう。その財を人より多く持たうと云ふぢやもの、尋常一様の手段で行くものではない。合意の上で貸借して、それで儲くるのが不正なら、すべての商業は皆な不正でないか。学者の目からは、金儲かねまうけする者は皆な不正な事をしとるんじや」。
 いた) くもこの弁論に感じたる彼の妻は、屡(しばし)ば直道の顔を偸視(ぬすみみ)て、あはれ彼が理窟(りくつ)もこれが為に挫(くじ)けて、気遣(きづか)ひたりし口論もなくて止みぬべきを想ひて私(ひそか)に懽(よろこ)べり。直道は先()づ厳(おごそか)に頭(かしら)を掉()りて、「学者でも商業家でも同じ人間です。人間である以上は人間たる道は誰にしても守らんければなりません。私(わたし)は決して金儲を為るのを悪いと言ふのではない、いくら儲けても可いから、正当に儲けるのです。人の弱みに付入(つけい)つて高利を貸すのは、断じて正当でない。そんな事が営業の魂などとは……! 譬(たと)へば間が災難に遭()つた。あれは先は二人で、しかも不意打を吃(くは)したのでせう、貴方はあの所業を何とお考へなさる。男らしい遺趣返(いしゆがへし)の為方とお思ひなさるか。卑劣極(きはま)る奴等だと、さぞ無念にお思ひでせう?」。彼は声を昂()げて逼(せま)れり。されども父は他を顧て何等の答をも与へざりければ、再び声を鎮(しづ)めて、「どうですか」。「勿論(もちろん)」。「勿論? 勿論ですとも! 何奴(なにやつ)か知らんけれど、実に陋(きたな)い根性、劣(けち)な奴等です。然し、怨を返すといふ点から謂つたら、奴等は立派に目的を達したのですね。さうでせう、設(たと)ひその手段は如何にあらうとも」。
 父は騒がず、を含みて赤きひげまさぐりたり。「卑劣と言れやうが、きたないと言れやうが、思ふさま遺趣返しをした奴らは目的を達してさぞ満足してをるでせう。それを掴殺つかみころしても遣りたいほどくやしいのは此方こつちばかり。阿父おとつさんの営業の主意も、彼らの為方と少しも違はんぢやありませんか。間の事について無念だと貴方あなたがお思ひなさるなら、貴方から金を借りて苦められる者は、やはり貴方を恨まずにはゐませんよ」。又しても感じ入りたるは彼の母なり。かくては如何なることばをもて夫はこれに答へんとすらん、我はこのことわり覿面てきめん当然なるに口を開かんやうもなきにと、心あわてつつ夫の気色をひそかうかがひたり。彼は自若として、かへつてその子の善く論ずるを心にづらんやうの面色おももちにて、うたた微笑をろうするのみ。されども妻はく知れり、彼の微笑を弄するは、必ずしも、人のこれを弄するにあらざる時に於いてしばしばするを。彼は今それかあらぬかを疑へるなり。

 
あをやつれたる直道が顔は可忌いまはしくも白き色に変じ、声は甲高かんだかに細りて、ひざに置ける手頭てさきしきりに震ひぬ。「いくら論じたところで、解りきつた理窟なのですから、もう言ひますまい。言へば唯阿父さんの心持を悪くするに過ぎんのです。しかし、従来これまで度々たびたび言ひましたし、又今日こんなに言ふのも、皆な阿父おとつさんの身を案じるからで、これについては陰でどれほど私が始終苦心してゐるか知つておいではなからうけれど、考え出すと勉強するのも何も可厭いやになつて、ああ、いつそ山の中へでも引籠ひつこんで了はうかと思ひます。阿父さんはこの家業を不正でないとお言ひなさるが、実に世間でも地獄の獄卒のやうに憎みいやしんで、附合ふのもはぢにしてゐるのですよ。世間なんぞはかまふものか、と貴方はお言ひでせうが、子としてそれをきかされる心苦しさを察して下さい。貴方はかまはんと謂ふその世間も、やはり我々が渡つて行かなければならん世間です。その世間に肩身が狭くなつてつひにはれられなくなるのは、男の面目ではありませんよ。私はそれが何より悲い。こつちに大見識があつて、それが世間と衝突して、その為に憎まれるとか、棄てられるとか謂ふなら、世間は私を棄てんでも、私は喜んで阿父さんと一処に世間に棄てられます。親子棄てられて路辺みちばた餓死かつゑじにするのを、私は親子の名誉、家の名誉と思ふのです。今我々親子の世間からうとまれてゐるのは、自業自得の致すところで、不名誉の極です!」。

 
まなこは痛恨の涙をわかして、彼は覚えず父のおもてにらみたり。直行は例のうそぶけり。直道は今日を限りと思い入りたるやうに飽くまでことばめず。「今度の事を見ても、如何に間が恨まれてゐるかが解りませう。貴方あなたの手代でさへあの通りではありませんか、して見れば貴方の受けてゐる恨、にくみはどんなであるか言ふに忍びない」。父はたちまさへぎりて、「善し、解つた。う解つた」。「では私のことばを用ゐて下さるか」。「まあえ。解つた、解つたから……」。「解つたとお言ひなさるからはきつと用ゐて下さるのでせうな」。「お前の言ふ事は能う解つたさ。しかし、なんぢは爾たり、吾は吾たりじや」。直道はこらへかねてひしこぶしを握れり。「まだ若い、若い。書物ばかり見とるぢやいかん、少しは世間も見い。なるほど子の情として親の身を案じてくれる、その点はあだには思はん。お前の心中も察する、意見も解つた。しかし、俺は俺で又自ら信ずるところあつて遣るんぢやから、折角の忠告ぢやからと謂うて、げて従ふ訳にはいかんで、のう。今度間がああ云ふ目に遭うたから、俺は猶更なほさらえらい目に遭はうと謂うて、心配してくれるんか、あ?」。

 はや言ふも益なしと観念して直道は口を開かず。「そりや
かたじけないが、ま、当分俺のからだは俺にまかしておいてくれ」。彼はしづかに立上りて、「ちよつとこれからて来にやならん処があるで、ゆつくりして行くがえ」。忽忙そそくさ二重外套にじゆうまわし打被うちかつぎてづる後より、帽子を持ちておくれる妻はひそかに出先を問へるなり。彼は大いなる鼻をしわめて、「俺が居ると面倒ぢやから、ちよつと出て来る。えやうに言うての、かへしてくれい」。「へえ? そりや困りますよ。貴方あなただつてそれは困るぢやありませんか」。「まあええが」。「くはありません、私は困りますよ」。お峯は足摩あしずりして迷惑を訴ふるなりけり。「お前なら居てもええ。さうして、もう還るぢやらうから」。「それぢや貴方還るまでゐらしつて下さいな」。「俺が居ては還らんからじやが。早う行けよ」。

 さすがに争ひかねてお峯の渋々
たたずめるを、見も返らで夫は驀地まつしぐらかどを出でぬ。母は直道の勢におそれて先にも増してさぞやさいなまるるならんと想へば、とらの尾をもむらんやうに覚えつつ帰り来にけり。見れば、直道は手をこまぬき、かしられて、ありけるままに凝然と坐したり。「もうお中食ひるだが、お前何をお上りだ」。彼は身転みじろぎざるなり。重ねて、「直道」と呼べば、始めて覚束おぼつかなげに顔をげて、「阿母おつかさん!」。その術無じゆつなき声は謂知いひしらず母の胸を刺せり。彼はこの子の幼くて善く病める枕頭まくらもとに居たりし心地をそのままに覚えて、ほとほとつと寄らんとしたり。「それぢや私はもう帰ります」。「あれ何だね、まだいいよ」。あやしくもにはか名残なごりをしまれて、今は得もはなたじと心牽こころひかるるなり。「もうお中食ひるだから、久しぶりで御膳ごぜんを食べて……」。「御膳ものどへは通りませんから……」。


【後編第第二章 
 主人公なる間貫一が大学第二医院の病室にありて、昼夜を重傷に悩めるほか、身辺に事あらざるいとまに乗じて、富山に嫁ぎたる宮がその後の消息を伝ふべし。一月十七日をもて彼は熱海の月下に貫一に別れ、その三月三日をえらびて富山の家に輿入こしいれしたりき。その場より貫一の失踪しつそうせしは、鴫沢一家しぎさわいつけの為に物化もつけ邪魔払じやまばらひたりしには疑いなかりけれど、家内かないこぞりてさすがに騒動しき。その父よりも母よりも宮は更に切なる誠をめて心痛せり。彼はただに棄てざる恋を棄てにし悔に泣くのみならで、寄辺よるべあらぬ貫一が身の安否をおもひはかりてあたはざりしなり。気強くは別れにけれど、やがて帰りんと頼めし心待も、つひあだなるをさとりし後、さりとも今一度は仮初かりそめにも相見んことを願ひ、又その心の奥には、必ずさばかりの逢瀬あふせはあるべきを、おのれと契りけるに、彼の行方ゆくへは知られずして、その身の家をづべき日はうしほの如く迫れるに、遣方やるかたもなくそぞろ惑ひては、常におぞましう思ひ下せる卜者ぼくしやにも問ひて、後には廻合めぐりあふべきも、今はなかなかふみ便たよりもあらじと教へられしを、筆持つはまめなる人なれば、長き長き怨言うらみなどは告来つげこさんと、それのみはたなごころを指すばかりに待ちたりしも、疑ひし卜者のことばは不幸にもあやまたで、宮は彼の怨言うらみ をだに聞くを得ざりしなり。

 とにもかくにも今一目見ずば動かじと始に
おもひ、それは※(「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56)かなはずなりてより、せめて一筆ひとふで便聞かずばと更に念ひしに、事は心とすべたがひて、さしも願はぬ一事いちじのみは玉を転ずらんやうに何らのさはりもなく捗取はかどりて、彼がく貫一の便を望みし一日にも似ず、三月三日はたちまかしらの上にをどきたれるなりき。彼はつひに心を許し肌身はだみを許せし初恋はつごひなげうちて、絶痛絶苦の悶々もんもんうちに一生最もかるべき大礼を挙げをはんぬ。

 宮は実に貫一に別れてより、始めて
おのれ如何ばかり彼に恋せしかを知りけるなり。彼のでて帰らざる恋しさにへかねたるゆふべ、宮はその机にりて思ひ、そのきぬ人香ひとかぎてもだえ、その写真に頬摩ほほずりしてあくがれ、彼おのれれて、ここに優しき便をだにきかせなば、親をも家をも振り捨てて、ただちに彼にはしるべきものをと念へり。結納ゆいのうかはされし日も宮は富山唯継をつまと定めたる心はつゆ起らざりき。されど、己はつひにその家にくべき身たるを忘れざりしなり。

 ほとほと自らその
いとぐちもとむるあたはざるまでに宮は心を乱しぬ。彼は別れし後の貫一をばさばかり慕ひて止まざりしかど、あやまちを改め、みさをを守り、覚悟してその恋を全うせんとは計らざりけるよ。まことに彼の胸にたのめる覚悟とてはあらざりき。恋びつつも心を貫かんとにはあらず、由なき縁を組まんとしたるよと思ひつつも、ひて今更いなまんとするにもあらず、彼方かなたこひしきを思ひ、こなたの富めるををしみ、自ら決するところなく、為すところなくしてまよひもてあそばれつつ、終に移すべからざる三月三日のきたるに会へるなり。

 この日よ、この
ゆふべよ、けて床盃とこさかづきのその※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)およびても、あやしむべし、宮は決して富山唯継をつまと定めたる心は起らざるにぞありける、ただこの人をつまと定めざるべからざる我が身なるを忘れざりしかど。彼は自らおもへり、この心は始より貫一に許したるを、縁ありて身は唯継にまかすなり。に身は唯継に委すとも、心は長く貫一を忘れずと、かくおもへる宮はこの心事の不徳なるを知れり、されどこの不徳のその身にまぬかあたはざる約束なるべきを信じて、むしろ深く怪むにもあらざりき。かくの如にして宮は唯継の妻となりぬ。

 花聟君はなむこぎみは彼を愛するに二念なく、彼を遇するに全力をげたり。宮はその身の上の日毎輝きまさるままに、いよいよ意中の人とわたくしすべき陰なくなりゆくを見て、いよいよ楽まざる心は、つまの愛を承くるにものうくて、ただ機械の如くつかふるに過ぎざりしも、唯継は彼のものいふ花の姿、温き玉のかたち一向ひたぶるよろこぶ余りに、ひややかにうつはいだくに異らざる妻を擁して、ほとんど憎むべきまでに得意のおとがひづるなりき。彼が一段の得意は、二箇月の後最愛の妻はみごもりて、翌年の春美き男子なんしを挙げぬ。宮は我とも覚えず浅ましがりて、産後を三月ばかり重く病みけるが、そのゆる日をたで、初子うひごはいと弱くて肺炎の為に歿みまかりにけり。

 子を生みし後も宮が色香はつゆ
うつろはずして、おのづか可悩なやまし風情ふぜいそはりたるに、つまが愛護の念はますます深く、ちようは人目の見苦みぐるしきばかりいよいくははるのみ。彼はその妻の常にまざるつゆさとらず、始めより唯その色を見て、打沈うちしづみたる生得うまれ独り合点がてんして多く問はざるなりけり。
 かくいとしまれつつも宮が初一念は動かんともせで、難有ありがたき人のなさけそむきて、ここにとつぎし罪をさへ歎きて止まざりしに、思はぬ子まで成せしあやまち如何にすべきと、みづからそのゆるし難きをぢて、悲むこと太甚はなはだしかりしが、に親の所憎にくしみにやへざりけん。その子のせし後、彼は再び唯継の子をば生まじ、と固く心に誓ひしなり。二年ふたとせのち三年みとせの後、四年よとせの後まであやしくも宮はこの誓いを全うせり。

 次第に彼の心は楽まずなりて、今は何の故にその嫁ぎたるかを自ら知るに
めるなりき。機械の如く夫を守り置物のやうに内に据られ、絶えて人の妻たるかひも思出もあらで、籠鳥ろうちようの雲を望める身には、それのみの願なりしゆたかなる生活も、富める家計も、土の如く顧るに足らず、かへりてこの四年よとせが間思ひに思ふばかりにて、熱海より行方ゆくへ知れざりし人の姿を田鶴見たずみの邸内に見てしまで、彼は全く音沙汰おとさたをも聞かざりしなり。生家さとなる鴫沢しぎさわにては薄々知らざるにもあらざりしかど、さる由無よしなき事を告ぐるが如きなる親にもあらねば、宮のこれを知るべき便は絶れたりしなり。計らずもその夢寐むびに忘れざる姿を見たりし彼が思は幾計いかばかりなりけんよ。ゑたる者のむさぼくらふらんやうに、彼はその一目にして四年よとせの求むるところを求めんとしたり。※(「厭/(餮-殄)」、第4水準2-92-73)かず、※(「厭/(餮-殄)」、第4水準2-92-73)かず、彼の慾はこの日より益急になりて、既に自ら心事の不徳を以つて許せる身を投じて、唯快く万事を一事に換へてまん、と深くも念じたり。

 五番町なる
鰐淵わにぶちといふかたに住める由は、静緒しずおより聞きつれど、むざとはふみも通はせ難く、道は遠からねど、り出でて彷徨さまよふべき身にもあらぬなど、かなはぬ事のみなるにかりけれど、安否をかざりし幾年いくとせの思にくらぶれば、はやふくろの物をさぐるに等しかるをと、その一筋に慰められつつも彼は日毎の徒然つれづれを憂きに堪へざる、我心をのこかたなく明すべき長き長き文を書かんと思立ちぬ。そは折を得て送らんとにもあらず、又逢うては言ふ能はざるを言はしめんとにもあらで、だかくもはかなき身の上と切なき胸の内とを自らうつたへんとてなり。
【後編第第二章の二】 
 宮は貫一が事を忘れざるとともに、又長く熱海の悲き別を忘るるあたはざるなり。更に見よ。歳々としどし廻来めぐりくる一月十七日なる日は、その悲しき別れを忘れざる胸にやきがねして、彼の悔を新にするにあらずや。「十年のちの今月今夜も、僕の涙で月は曇らして見せるから、月が曇つたらば、貫一は何処どこかでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると想ふがよい」。おほへども宮が耳は常にこの声を聞かざるなし。彼はその日のその夜に会ふ毎に、果して月の曇るか、あらぬかをこころみしに、かつてその人の余所よそに泣けるしるしもあらざりければ、さすがに恨は忘られしかと、それには心安きにつけて、諸共もろともに今は我をも思はでや、さては何処いづこ如何いかにしてなど、更に打歎うちなげかるるなりき。

 例のその日は
たびめぐりて今日しもきたりぬ。晴れたりし空は午後より曇りて吹出ふきいでたる風のいと寒く、ただならずゆる日なり。宮はいつよりも心煩こころわづらはしきこの日なれば、かの筆採りて書続けんとたりしが、に思乱るればさるべき力もなくて、いとどしく紛れかねてゐたり。ますます寒威の募るに堪へざりければ、にはか煖炉だんろを調ぜしめて、彼は西洋間にうつりぬ。ことごと窓帷カアテンを引きたる十畳の寸隙すんげきもあらずつつまれて、火気のやうやく春を蒸すところに、宮はたいゆたか友禅縮緬ゆうぜんちりめん長襦袢ながじゆばんつま蹈披ふみひらきて、紋緞子もんどんす張の楽椅子らくいすりて、心の影のそこに映るをながむらんやうに、その美き目をば唯白くたひらなる天井に注ぎたり。
 夫の留守にはこの家のあるじとして、彼はつかふべき舅姑きゆうこいただかず、気兼すべき小姑こじうとへず、足手絡あしてまとひの幼きもだあらずして、一箇ひとり仲働なかばたらき両箇ふたり下婢かひとに万般よろづわづらはしきをまかせ、一日何のすべき事もなくて、づるに車あり、ぜんには肉あり、しかも言ふことは皆な聴れ、為すことは皆な悦よろこばるる夫を持てるなど、彼は今若き妻の黄金時代をば夢むる如く楽めるなり。に世間の娘の想ひに想ひ、望みに望める絶頂はまさおのれのこの身の上なるかな、と宮は不覚そぞろ胸に浮べたるなり。

 
嗟乎ああ、おのれもこの身の上を願ひに願ひしに、再び得難き恋人を棄てにしよ。されども、この身の上にきはめししみも、五年いつとせの昔なりける今日の日にきはめししみふべきものはあらざりしを、と彼は苦しげに太息ためいきしたり。今にして彼は始めて悟りぬ。おのれのこの身の上を願ひしは、その恋人とともに同じきしみけんと願ひしに外ならざるを。し身のしみと心のしみとを併享あはせうくべき幸なさちなくて、必ずその一つをえらぶべきものならば、いづれを取るべきかを知ることのおそかりしを、遣方やるかたもなく悔ゆるなりけり。

 この寒き日をこのあたたかしつに、この焦るる身をこの意中の人に並べて、この誠をもてこの恋しさを語らば如何に、と思到れる時、宮はほとんど裂けぬべく胸を苦く覚えて、今の待つ身は待たざる人を待つ身なる、その口惜くちをしさをもだえては、在るにも在られぬ椅子を離れて、歩み寄りたる窓の外面そともを何心なく打見遣うちみやれば、いつしか雪の降り出でて、薄白く庭に敷けるなり。一月十七日なる感はいとはげしく動きて、宮は降頻ふりしきる雪に或る言ことばを聴くが如くたたずめり。折から唯継は還来かへりきたりぬ。静にけたるドアの響はしたたかに物思へる宮の耳にはらざりき。氷の如く冷徹ひえわたりたる手をわりなくふところに差し入れらるるに驚き、咄嗟あなやと見向かんとすれば、後よりしかかかへられたれど、夫の常にたしなめる香水のかをりは隠るべくもあらず。「おや、お帰来かへりでございましたか」。「寒かつたよ」。「大相降つて参りました、さぞお困りでしたらう」。「何だか知らんが、むちやくちやに寒かつた」。
 宮は楽椅子を夫に勧めて、みづから煖炉ストオブたきぎ※(「火+俊のつくり」、第4水準2-79-79)べたり。今の今まで貫一が事を思窮おもひつめたりし心には、夫なる唯継にかくつかふるも、なかなか道ならぬやうにていさぎよからず覚ゆるなり。窓の外に降る雪、風に乱るる雪、こずゑに宿れる雪、庭にく雪、見ゆる限の白妙しらたへは、我身に積める人のうらみたけかとも思ふに、かくてあることのやましさ、切なさは、あぶらしぼらるるやうにも忍び難かり。されども、この美人の前にこの雪を得たる夫の得意は限りなくて、そのあしを八文字に踏展ふみはだけ、やうやく煖まれるおとがひ突反つきそらして、「ああ、降る降る、面白い。かう云ふ日は寄鍋よせなべで飲むんだね。寄鍋を取つてもらはう、寄鍋が好い。それから珈琲カフヒイを一つこしらへてくれ、コニャックをと余計に入れて」。宮の行かんとするを、「お前、行かんでもよいぢやないか、る物を取寄せてここで拵へなさい」。彼の電鈴でんれいを鳴して、火のそばに寄来るとひとしく、唯継はその手を取りて小脇こわきはさみつ。宮はよろこべる気色もなくて、彼の為すに任するのみ。「おまへどうした、何をふさいでゐるのかね」。引き寄せられし宮はほとほとたふれんとして椅子に支へられたるを、唯継は鼻もるばかりにその顔を差覗さしのぞきて余念もなく見入りつつ、「顔の色がはなはだ悪いよ。雪で寒いんで、胸でも痛むんか、頭痛でもするんか、さうもない? どうしたんだな。それぢや、もつと爽然はつきりしてくれんぢや困るぢやないか。さう陰気だと情合じようあひが薄いやうに想はれるよ。一体お前は夫婦の情が薄いんぢやあるまいかと疑ふよ。ええ? そんなことはないかね」。

 たちまドアくと見れば、仲働なかばたらきの命ぜし物を持来もちきたれるなり。人目をはばからずその妻を愛するは唯継が常なるを、見苦しと思ふ宮はそのそば退かんとすれど、放たざるを例の事とて仲働は見ぬふりしつつ、器具とボトルとをテエブルに置きて、ぢき退まかでぬ。かく執念しゆうねく愛せらるるを、宮はなかなかくも浅ましくも思ふなりけり。

 雪は風を添へて掻乱かきみだし掻乱し降頻ふりしきりつつ、はや日暮れなんとするに、楽き夜のやうやきたれるが最辱いとかたじけなき唯継の目尻なり。「近頃はお前別して鬱いでをるやうぢやないか、にはさう見えるがね。さうして内にばかり引籠ひつこんでをるのがよろしくないよ。この頃はちよつとも出掛けんぢやないか。さう因循いんじゆんしてをるから、ますます陰気になつて了ふのだ。この間も鳥柴としばの奥さんに会つたら、さう言つてゐたよ。何為なぜ近頃は奥さんはちよつともお見えなさらんのだらう。芝居ぐらゐにはお出掛になつてもよささうなものだが、全然まるつきり影も形もお見せなさらん。なんぼお大事になさるつて、そんなに仕舞しまひ込んでお置きなさるものぢやございません。慈善の為に少しはひとにも見せておんなさい、なんぞと非常に遣られたぢやないか。それからね、知つてをる通り、今度の選挙には実業家として福積ふくづみが当選したらう。俺もいにあづかつて尽力したんさ。それで近日当選祝があつて、それが済み次第別に慰労会と云ふやうな名で、格別尽力した連中れんじゆうを招待するんだ。その席へは令夫人携帯といふ訳なんだから、是非お前も出なければならん。驚くよ。俺の社会では富山の細君と来たら評判なもんだ。会つたことのない奴まで、お前の事は知つてをるんさ。そこで、俺は実は自慢でね、さう評判になつて見ると、軽々しく出行であるかれるのも面白くない、余り顔を見せん方が見識がいけれど、しかし、近頃のやうにこもつてばかりるのは、第一衛生におまへ良くない。実は俺は日曜毎にお前を連れて出たいんさ。おまへの来た当座はさうであつたぢやないかね。子供を産んでから、さう、あれから半年はんとしばかりつてからだよ。余り出なくなつたのは。それでも随分彼地此地あちこち出たぢやないかね。
 善し、珈琲カフヒイ)できたか。うう熱い、うまい。お前もお飲み、これを半分上げやうか。沢山だ? それだからお前は冷淡でいかんと謂ふんさ。ぢや、酒の入らんのを飲むといい。寄鍋はまだか。うむ、あつちに支度がしてあるから、来たら言ひに来る? それは善い、西洋室の寄鍋なんかは風流でない、あれは長火鉢ながひばち相対さしむかひに限るんさ。いいかね、福積の招待しようだいには吃驚びつくりさせるほどくして出て貰はなけりやならん。それで、着物だ、何か欲ければ早速こしらへやう。おまへが、これならば十分と思ふ服装なりで、りゆうとして推し出すんだね。さうしてお前この頃は余り服装なりにかまはんぢやないか、いかんよ。いつでもこの小紋の羽織の寐恍ねぼけたのばかりは恐れるね。何為なぜあの被風ひふを着ないのかね、あれは好く似合ふにな。明後日あさつては日曜だ、どこかへ行かうよ。その着物を見に三井へでも行かうか。いや、さうさう、柏原かしわばらの奥さんが、お前の写真を是非欲いと言つて、会ふたびやかましく催促するんでかなはんよ。明日あしたは用があつて行かなければならんのだから、持つて行かんとまづいて。まだあつたね、ない? そりやいかん。一枚もないんか、そりやいかん。それぢや、明後日あさつて写しに行かう。ずつと若返つて二人で写すなんぞもよいぢやないか。善し、寄鍋が来た? さあ行かう」。夫に引添ひて宮はこの室を出でんとして、思ふところありげにしばらく窓の外面そともうかがひたりしが、「どうしてこんなに降るのでせう」。「何をくだらんことを言ふんだ。さあ、行かう行かう」。




(私論.私見)