後編1章 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.30日
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【後編第一章】 |
翌々日の諸新聞は坂町に於ける高利貸遭難の一件を報道せり。中に間貫一を誤りて鰐淵直行と為るもありしが、負傷者は翌日大学第二医院に入院したりとのみは、一様に事実の真を伝ふるなりけり。されどその人を誤れる報道は決して何らの不都合をも生ぜざるべし。彼らを識らざる読者は湯屋の喧嘩も同じく、三ノ面記事の常套として看過すべく、何の遑かその敵手の誰々なるを問はん。識れる者は恐くは、貫一も鰐淵も一つに足腰の利かずなるまで撃![]() |
股肱と恃み、我子とも思へる貫一の遭難を、主人はなかなかその身に受けし闇打のやうに覚えて、無念の止み難く、かばかりの事に屈する鰐淵ならぬ令見の為に、彼が入院中を目覚くも厚く賄ひて、再び手出しもならざらんやう、陰ながら卑怯者の息の根を遏めんと、気も狂く力を竭せり。彼の妻は又、やがてはかかる不慮の事の夫の身にも出で来るべきを思過して、しさるべからんには如何にか為べき、この悲しさ、この口惜しさ、この心細さにては止まじと思ふにつけて、空可恐く胸の打騒ぐを禁め得ず。奉公大事ゆゑに怨を結びて、憂き目に遭ひし貫一は、夫の禍を転じて身の仇とせし可憫さを、日頃の手柄に増して浸々難有く、かれを念ひ、これを思ひて、絶に心弱くのみ成行くほどに、裏に愧づること、懼るること、疚きことなどの常に抑へたるが、忽ち涌立ち、跳出でて、その身を責むる痛苦に堪へざるなりき。 |
年久く飼るる老猫の凡そ子狗ほどなるが、棄てたる雪の塊のやうに長火鉢の猫板の上に蹲りて、前足の隻落して爪頭の灰に埋るるをも知らず、![]() ![]() |
妻は思い設けぬ面色の中に喜を漾へて、「まあ直道かい、好くお出だね」。片隅に外套を脱ぎ捨つれば、彼は黒綾のモオニングの新からぬに、濃納戸地に黒縞の穿袴の寛なるを着けて、清ならぬ護謨のカラ、カフ、鼠色の紋繻子の頸飾したり。妻は得々起ちて、その外套を柱の折釘に懸けつ。「どうも取んだ事で、阿父さんの様子はどんな? 今朝新聞を見ると愕いて飛んで来たのです。容体はどうです」。彼は時儀を叙ぶるに![]() |
かくと聞ける直道は余の不意に拍子抜して、喜びも得為ず唖然たるのみ。「ああ、さうですか、間が遣られたのですか」。「ああ、間が可哀さうにねえ、取んだ災難で、大怪我をしたのだよ」。「どんなです、新聞には余程劇いやうに出てゐましたが」。「新聞にある通りだけれど、不具になるやうな事もないさうだが、全然快くなるには三月ぐらゐはどんな事をしても要るといふ話だよ。誠に気の毒な、それで、阿父さんも大抵な心配ぢやないの。まあ、ね、病院も上等へ入れて手宛は十分にしてあるのだから、決して気遣はないやうなものだけれど、何しろ大怪我だからね。左の肩の骨が少し摧けたとかで、手が緩縦になつて了つたの、その外紫色の痣だの、蚯蚓腫だの、打切れたり、擦毀したやうな負傷は、お前、体一面なのさ。それに気絶するほど頭部を撲れたのだから、脳病でも出なければ可いつて、お医者様もさう言つてお在ださうだけれど、今のところではそんな塩梅もないさうだよ。 何しろその晩内へ舁込んだ時は半死半生で、些の虫の息が通つてゐるばかり、私は一目見ると、これはとても助るまいと想つたけれど、割合に人間といふものは丈夫なものだね」。「それは災難な、気の毒な事をしましたな。まあ十分に手宛をして遣るが可いです。さうして阿父さんは何と言つてゐました」。「何ととは?」。「間が闇打にされた事を」。「いづれ敵手は貸金の事から遺趣を持つて、その悔し紛に無法な真似をしたのだらうつて、大相腹を立ててお在なのだよ。全くね、間はああ云ふ不断の大人い人だから、つまらない喧嘩なぞをする気遣はなし、何でもそれに違いはないのさ。それだから猶更気の毒で、何とも謂ひやうがない」。「間は若いから、それでも助かるのです、阿父さんであつたら命はありませんよ、阿母さん」。「まあ可厭なことをお言ひでないな!」。浸々思入りたりし直道は徐にその恨き目を挙げて、「阿母さん、阿父さんはだこの家業をお廃めなさる様子はないのですかね」。母は苦しげに鈍り鈍りて、「さうねえ……別に何とも……私には能く解らないね……」。「もう今に応報は阿父さんにも……。阿母さん、間があんな目に遭つたのは、決して人事ぢやありませんよ」。「お前又阿父さんの前でそんな事をお言ひでないよ」。「言ひます! 今日は是非言はなければならない」。「それは言ふも可いけれど、従来も随分お言ひだけれど、あの気性だから阿父さんは些もお聴きではないぢやないか。とても他の言ふことなんぞは聴かない人なのだから、まあ、もう少しお前も目を瞑つてお在よ、よ」。「私だつて親に向つて言ひたくはありません。大概の事なら目を瞑つてゐたいのだけれど、実にこればかりは目を瞑つてゐられないのですから。始終さう思ひます。私は外に何も苦労といふものはない、唯これだけが苦労で、考出すと夜も寝られないのです。外にどんな苦労が在つても可いから、どうかこの苦労だけは没して了ひたいと熟く思ふのです。噫、こんな事ならだ親子で乞食をした方が夐に可い」。 |
彼は涙を浮べて倆きぬ。母はその身も倶に責めらるる想して、或は可慚く、或るいは可忌く、この苦き位置にあるに堪へかねつつ、言解かん術さへなけれど、とにもかくにも言はで已むべき折ならねば、辛じて打出しつ。「それはもうお前の言ふのは尤だけれど、お前と阿父さんとは全で気合が違ふのだから、万事考量が別々で、お前の言ふ事は阿父さんの肚には入らず、ね、又阿父さんの為る事はお前には不承知と謂ふので、その中へ入つて私も困るわね。内も今では相応にお財もできたのだから、かう云ふ家業は廃めて、楽隠居になつて、お前に嫁を貰つて、孫の顔でも見たい、とさう思ふのだけれど、ああ云ふ気の阿父さんだから、そんなことを言出さうものなら、どんなに慍られるだらうと、それが見え透いてゐるから、漫然した事は言はれずさ、お前の心を察して見れば可哀さうではあり、さうかと云つて何方をどうすることもできず、陰で心配するばかりで、何の役にも立たないながら、これでなかなか苦いのは私の身だよ。 さぞお前は気も済まなからうけれど、とても今のところでは何と言つたところが、応と承知をしさうな様子はないのだから、憖ひ言合つてお互に心持を悪くするのが果だから、……それは、お前、何と云つたつて親一人子一人の中だもの、阿父さんだつて心ぢやどんなにお前が便だか知れやしないのだから、究竟はお前の言ふ事も聴くのは知れてゐるのだし、阿父さんだつて現在の子のそんなにまで思つてゐるのを、決して心に掛けないのではないけれども、又阿父さんの方にも其処には了簡があつて、一概にお前の言ふ通りにも成りかねるのだらう。それに今日あたりは、間の事で大変気が立つてゐるところだから、お前が何か言ふと却つて善くないから、今日は窃として措いておくれ、よ、本当に私が頼むから、ねえ直道」。 |
実に母は自ら言へりし如く、板挾の難局に立てるなれば、ひたすら事あらせじと、誠の一図に直道を諭すなりき。彼は涙の催すに堪へずして、鼻目鏡を取捨てて目を推拭ひつつ猶咽びゐたりしが、「阿母さんにさう言れるから、私は不断は怺へてゐるのです。今日ばかり存分に言はして下さい。今日言はなかつたら言ふ時はありませんよ。間のそんな目に遭つたのは天罰です、この天罰は阿父さんも今に免れんことは知れてゐるから、言ふのなら今、今言はんくらゐなら私はもう一生言ひません」。母はその一念に脅されけんやうにて漫寒きを覚えたり。洟打去みて直道は語を継ぎぬ。「しかし私の仕打ちも善くはありません、阿父さんの方にも言分はあらうと、それは自分で思つてゐます。阿父さんの家業が気に入らん、意見をしても用ゐない、こんな汚れた家業を為るのを見てゐるのが可厭だ、と親を棄てて別居してゐると云ふのは、如何にも情合のない話で、実に私も心苦しいのです。決して人の子たる道ではない、さぞ不孝者と阿父さん始阿母さんもさう思つてお在でせう」。「さうは思ひはしないよ。お前の方にも理はあるのだから、さうは思ひはしないけれど、一処に居たらさぞ好からうとは……」。「それは、私は猶の事です。こんな内に居るのは可厭だ、別居して独で遣る、と我儘を言つて、どうなりかうなり自分で暮して行けるのも、それまでに教育して貰つたのは誰のお陰かと謂へば、皆親の恩。それもこれも知つてゐながら、阿父さんを踏付にしたやうな行を為るのは、阿母さん能々の事だと思つて下さい。私は親に悖ふのぢやない、阿父さんと一処に居るのを嫌ふのぢやないが、私は金貸などと云ふ賤い家業が大嫌なのです。人を悩めて己を肥す――浅ましい家業です!」。 身を顫はして彼は涙に掻昏れたり。母は居久らぬまでに惑へるなり。「親を過すほどの芸もなくて、生意気な事ばかり言つて実は面目もないのです。しかし不自由を辛抱してさへ下されば、両親ぐらゐに乾い思はきつとせませんから、破屋でもよいから親子三人一所に暮して、人に後ろ指を差れず、罪も作らず、怨も受けずに、清く暮したいぢやありませんか。世の中は貨があつたから、それで可い訳のものぢやありませんよ。まして非道をして拵へた貨、そんな貨が何の頼になるものですか、必ず悪銭身に附かずです。無理に仕上げた身上は一代持たずに滅びます。因果の報う例は恐るべきものだから、一日でも早くこんな家業は廃めるに越した事はありません。噫、末が見えてゐるのに、情ない事ですなあ!」。 |
積悪の応報覿面の末を憂ひて措かざる直道が心の眼は、無残にも怨の刃に劈れて、路上に横死の恥を暴せる父が死顔の、犬に![]() |
【後編第一章の二】 |
「おお、直道か珍しいの。何時来たのか」。かく言ひつつ彼は艶々と赭みたる鉢割の広き額の陰に小く点せる金壺眼を心快げに![]() |
白髪を交へたる茶褐色の髪の頭に置余るばかりなるを撫でて、直行は、「何新聞か知らんけれど、それは間の間違ぢやが。俺ならそんな場合に出会うたて、唯々打れちやをりやせん。何の先は二人でないかい、五人までは敵手にしてくれるが」。直道の隣に居たる母は密に彼のコオトの裾を引きて、言を返させじと心着るなり。これが為に彼は少しく遅ひぬ。「本にお前どうした、顔色が良うないが」。「さうですか。余り貴方の事が心配になるからです」。「何じや?」。「阿父さん、度々言ふ事ですが、もう金貸は廃めて下さいな」。「又! もう言ふな。言ふな。廃める時分には廃めるわ」。「廃めなければならんやうになつて廃めるのは見ともない。今朝貴方が半死半生の怪我をしたといふ新聞を見た時、私はどんなにしても早くこの家業をお廃めなさるやうに為せなかつたのを熟く後悔したのです。幸に貴方は無事であつた、から猶更今日は私の意見を用ゐて貰はなければならんのです。今に阿父さんも間のやうな災難を必ず受けるですよ。それが可恐いから廃めると謂ふのぢやありません、正い事で争つて殞す命ならば、決して辞することはないけれど、金銭づくの事で怨を受けて、それ故に無法な目に遭ふのは、如何にも恥曝しではないですか。一つ間違へば命も失はなければならん、不具にも為れなければならん、阿父さんの身の上を考へると、私は夜も寝られんのですよ。こんな家業を為んでは生活が出来んのではなし、阿父さん阿母さん二人なら、一生安楽に過せるほどの資産は既にあるのでせう、それに何を苦んで人には怨まれ、世間からは指弾をされて、無理な財を拵へんければならんのですか。何でそんなに金が要るのですか。誰にしても自身に足りる以外の財は、子孫に遺さうと謂ふより外はないのでせう。貴方には私が一人子、その私は一銭たりとも貴方の財は譲られません! 欲くないのです。さうすれば、貴方は今日無用の財を貯へる為に、人の怨を受けたり、世に誚られたり、さうして現在の親子が讐のやうになつて、貴方にしてもこんな家業を決して名誉と思つて楽んで為つてゐるのではないでせう。私のやうなものでも可愛いと思つて下さるなら、財産を遺して下さる代に私の意見を聴いて下さい。意見とは言ひません、私の願です。一生の願ですからどうぞ聴いて下さい」。 父が前に頭を低れて、輙く抗げぬ彼の面は熱き涙に蔽るるなりき。些も動ずる色なき直行は却つて微笑を帯びて、語をさへ和げつ。「俺の身を思うてそんなに言うてくれるのは嬉いけど、お前のはそれは杞憂と謂ふんじや。俺と違うてお前は神経家ぢやからそんなに思ふんぢやけど、世間と謂ふものはの、お前の考へとるやうなものではない。学問の好きな頭脳で実業を遣る者の仕事を責むるのは、それはいかん。人の怨の、世の誚のと言ふけどの、我々同業者に対する人の怨などと云ふのは、面々の手前勝手の愚痴に過ぎんのじや。世の誚と云ふのは、多くは嫉、その証拠は、働きのない奴が貧乏しとれば愍まるるじや。何家業に限らず、財を拵へる奴は必ず世間から何とか攻撃を受くる、さうぢやらう。財のある奴で評判の好えものは一人もない、その通りじやが。お前は学者ぢやから自ら心持も違うて、財などをさう貴いものに思うてをらん。 学者はさうなけりやならんけど、世間は皆な学者ではないぞ、えか。実業家の精神は唯財じや、世の中の奴の慾も財より外にはない。それほどに、のう、人の欲がる財じや、何ぞ好えところがなくてはならんぢやらう。が好えのか、何でそんなに好えのかは学者には解らん。お前は自身に供給するに足るほどの財があつたら、その上に望む必要はないと言ふのぢやな、それが学者の考量じやと謂ふんじやが。自身に足るほどの物があつたら、それでえと満足して了うてからに手を退くやうな了簡であつたら、国は忽ち亡るじや――社会の事業は発達せんじや。さうして国中若隠居ばかりになつて了うたと為れば、お前どうするか、あ。慾にきりのないのが国民の生命なんじや。俺にそんなに財を拵へてどうするか、とお前は不審するじやね。俺はどうもん、財は余計にあるだけ愉快なんじや。究竟財を拵へるが極めて面白いんじや。お前の学問するのが面白い如く、俺は財のできるが面白いんじや。お前に本を読むのを好え加減に為い、一人前の学問があつたらその上望む必要はあるまいと言うたら、お前何と答へる、あ。お前は能うこの家業を不正ぢやの、汚いのと言ふけど、財を儲くるに君子の道を行うてゆく商売がにあるか。我々が高利の金を貸す、如何にも高利じや、何為高利か、えか、無抵当じや、そりや。借る方に無抵当といふ便利を与ふるから、その便利に対する報酬として利が高いのぢやらう。それで我々は決して利の高い金を安いと詐つて貸しはせんぞ。無抵当で貸すぢやから利が高い、それを承知で皆な借るんじや。それが何で不正か、何で汚いか。利が高うて不当と思ふなら、始めから借らんがええ、そんな高利を借りても急を拯はにや措れんくらゐの困難が様々にある今の社会じや、高利貸を不正と謂ふなら、その不正の高利貸を作つた社会が不正なんじや。必要の上から借る者があるで、貸す者がある。なんぼ貸したうても借る者がなけりや、我々の家業は成立ちは為ん。その必要を見込んで仕事を為るが則ち営業の魂なんじや。財といふものは誰でも愛して、皆獲やうと念うとる、獲たら離すまいと為とる、のう。その財を人より多く持たうと云ふぢやもの、尋常一様の手段で行くものではない。合意の上で貸借して、それで儲くるのが不正なら、総ての商業は皆な不正でないか。学者の目からは、金儲する者は皆な不正な事をしとるんじや」。 |
太 |
父は騒がず、笑を含みて赤き髭を弄りたり。「卑劣と言れやうが、陋いと言れやうが、思ふさま遺趣返しをした奴らは目的を達してさぞ満足してをるでせう。それを掴殺しても遣りたいほど悔いのは此方ばかり。阿父さんの営業の主意も、彼らの為方と少しも違はんぢやありませんか。間の事について無念だと貴方がお思ひなさるなら、貴方から金を借りて苦められる者は、やはり貴方を恨まずにはゐませんよ」。又しても感じ入りたるは彼の母なり。かくては如何なる言をもて夫はこれに答へんとすらん、我はこの理の覿面当然なるに口を開かんやうもなきにと、心慌てつつ夫の気色を密に窺ひたり。彼は自若として、却つてその子の善く論ずるを心に愛づらんやうの面色にて、転た微笑を弄するのみ。されども妻は能く知れり、彼の微笑を弄するは、必ずしも、人のこれを弄するにあらざる時に於いて屡するを。彼は今それか非ぬかを疑へるなり。 蒼く羸れたる直道が顔は可忌くも白き色に変じ、声は甲高に細りて、膝に置ける手頭は連りに震ひぬ。「いくら論じたところで、解りきつた理窟なのですから、もう言ひますまい。言へば唯阿父さんの心持を悪くするに過ぎんのです。しかし、従来も度々言ひましたし、又今日こんなに言ふのも、皆な阿父さんの身を案じるからで、これについては陰でどれほど私が始終苦心してゐるか知つてお在はなからうけれど、考え出すと勉強するのも何も可厭になつて、吁、いつそ山の中へでも引籠んで了はうかと思ひます。阿父さんはこの家業を不正でないとお言ひなさるが、実に世間でも地獄の獄卒のやうに憎み賤んで、附合ふのも耻にしてゐるのですよ。世間なんぞはかまふものか、と貴方はお言ひでせうが、子としてそれを聞される心苦しさを察して下さい。貴方はかまはんと謂ふその世間も、やはり我々が渡つて行かなければならん世間です。その世間に肩身が狭くなつて終には容れられなくなるのは、男の面目ではありませんよ。私はそれが何より悲い。に大見識があつて、それが世間と衝突して、その為に憎まれるとか、棄てられるとか謂ふなら、世間は私を棄てんでも、私は喜んで阿父さんと一処に世間に棄てられます。親子棄てられて路辺に餓死するのを、私は親子の名誉、家の名誉と思ふのです。今我々親子の世間から疎れてゐるのは、自業自得の致すところで、不名誉の極です!」。 眼は痛恨の涙を湧して、彼は覚えず父の面を睨みたり。直行は例の嘯けり。直道は今日を限りと思い入りたるやうに飽くまで言を止めず。「今度の事を見ても、如何に間が恨まれてゐるかが解りませう。貴方の手代でさへあの通りではありませんか、して見れば貴方の受けてゐる恨、憎はどんなであるか言ふに忍びない」。父は忽ち遮りて、「善し、解つた。能う解つた」。「では私の言を用ゐて下さるか」。「まあえ。解つた、解つたから……」。「解つたとお言ひなさるからはきつと用ゐて下さるのでせうな」。「お前の言ふ事は能う解つたさ。し、爾は爾たり、吾は吾たりじや」。直道は怺へかねて犇と拳を握れり。「まだ若い、若い。書物ばかり見とるぢやいかん、少しは世間も見い。なるほど子の情として親の身を案じてくれる、その点は空には思はん。お前の心中も察する、意見も解つた。しかし、俺は俺で又自ら信ずるところあつて遣るんぢやから、折角の忠告ぢやからと謂うて、枉げて従ふ訳にはいかんで、のう。今度間がああ云ふ目に遭うたから、俺は猶更劇い目に遭はうと謂うて、心配してくれるんか、あ?」。 はや言ふも益なしと観念して直道は口を開かず。「そりや辱いが、ま、当分俺の躯は俺に委しておいてくれ」。彼は徐に立上りて、「些とこれから行て来にやならん処があるで、寛りして行くがえ」。忽忙と二重外套を打被ぎて出づる後より、帽子を持ちて送れる妻は密に出先を問へるなり。彼は大いなる鼻を皺めて、「俺が居ると面倒ぢやから、些と出て来る。えやうに言うての、還してくれい」。「へえ? そりや困りますよ。貴方、私だつてそれは困るぢやありませんか」。「まあええが」。「くはありません、私は困りますよ」。お峯は足摩して迷惑を訴ふるなりけり。「お前なら居てもええ。さうして、もう還るぢやらうから」。「それぢや貴方還るまでゐらしつて下さいな」。「俺が居ては還らんからじやが。早う行けよ」。 さすがに争ひかねてお峯の渋々佇めるを、見も返らで夫は驀地に門を出でぬ。母は直道の勢に怖れて先にも増してさぞや苛まるるならんと想へば、虎の尾をも履むらんやうに覚えつつ帰り来にけり。唯見れば、直道は手を拱き、頭を低れて、ありけるままに凝然と坐したり。「もうお中食だが、お前何をお上りだ」。彼は身転も為ざるなり。重ねて、「直道」と呼べば、始めて覚束なげに顔を挙げて、「阿母さん!」。その術無き声は謂知らず母の胸を刺せり。彼はこの子の幼くて善く病める枕頭に居たりし心地をそのままに覚えて、ほとほとつと寄らんとしたり。「それぢや私はもう帰ります」。「あれ何だね、まだいいよ」。異くも遽に名残の惜れて、今は得も放たじと心牽るるなり。「もうお中食だから、久しぶりで御膳を食べて……」。「御膳も吭へは通りませんから……」。 |
【後編第第二章】 |
主人公なる間貫一が大学第二医院の病室にありて、昼夜を重傷に悩める外、身辺に事あらざる暇に乗じて、富山に嫁ぎたる宮がその後の消息を伝ふべし。一月十七日をもて彼は熱海の月下に貫一に別れ、その三月三日を択びて富山の家に輿入したりき。その場より貫一の失踪せしは、鴫沢一家の為に物化の邪魔払たりしには疑いなかりけれど、家内は挙りてさすがに騒動しき。その父よりも母よりも宮は更に切なる誠を籠めて心痛せり。彼はただに棄てざる恋を棄てにし悔に泣くのみならで、寄辺あらぬ貫一が身の安否を慮りて措く能はざりしなり。気強くは別れにけれど、やがて帰り来んと頼めし心待も、終に空なるを暁りし後、さりとも今一度は仮初にも相見んことを願ひ、又その心の奥には、必ずさばかりの逢瀬はあるべきを、おのれと契りけるに、彼の行方は知られずして、その身の家を出づべき日は潮の如く迫れるに、遣方もなく漫惑ひては、常に鈍う思ひ下せる卜者にも問ひて、後には廻合ふべきも、今はなかなか文に便もあらじと教へられしを、筆持つは篤なる人なれば、長き長き怨言などは告来さんと、それのみは掌を指すばかりに待ちたりしも、疑ひし卜者の言は不幸にも過たで、宮は彼の怨言 をだに聞くを得ざりしなり。 とにもかくにも今一目見ずば動かじと始に念ひ、それは ![]() 宮は実に貫一に別れてより、始めて己の如何ばかり彼に恋せしかを知りけるなり。彼の出でて帰らざる恋しさに堪へかねたる夕、宮はその机に倚りて思ひ、その衣の人香を嗅ぎて悶え、その写真に頬摩して憧れ、彼し己を容れて、ここに優しき便をだに聞せなば、親をも家をも振り捨てて、直に彼に奔るべきものをと念へり。結納の交されし日も宮は富山唯継を夫と定めたる心はつゆ起らざりき。されど、己は終にその家に適くべき身たるを忘れざりしなり。 ほとほと自らその緒を索むる能はざるまでに宮は心を乱しぬ。彼は別れし後の貫一をばさばかり慕ひて止まざりしかど、過を改め、操を守り、覚悟してその恋を全うせんとは計らざりけるよ。真に彼の胸に恃める覚悟とてはあらざりき。恋佗びつつも心を貫かんとにはあらず、由なき縁を組まんとしたるよと思ひつつも、強ひて今更否まんとするにもあらず、彼方の恋きを思ひ、こなたの富めるを愛み、自ら決するところなく、為すところなくして空き迷に弄ばれつつ、終に移すべからざる三月三日の来るに会へるなり。 この日よ、この夕よ、更けて床盃のその期に ![]() 花聟君は彼を愛するに二念なく、彼を遇するに全力を挙げたり。宮はその身の上の日毎輝き勝るままに、いよいよ意中の人と私すべき陰なくなりゆくを見て、愈よ楽まざる心は、夫の愛を承くるに慵くて、唯機械の如く事ふるに過ぎざりしも、唯継は彼の言ふ花の姿、温き玉の容を一向に愛で悦ぶ余りに、冷かに空き器を抱くに異らざる妻を擁して、殆ど憎むべきまでに得意の頤を撫づるなりき。彼が一段の得意は、二箇月の後最愛の妻は妊りて、翌年の春美き男子を挙げぬ。宮は我とも覚えず浅ましがりて、産後を三月ばかり重く病みけるが、その癒ゆる日を竣たで、初子はいと弱くて肺炎の為に歿りにけり。 子を生みし後も宮が色香はつゆ移はずして、自ら可悩き風情の添りたるに、夫が愛護の念は益深く、寵は人目の見苦きばかり弥よ加るのみ。彼はその妻の常に楽まざる故を毫も暁らず、始めより唯その色を見て、打沈みたる生得と独り合点して多く問はざるなりけり。 |
かく怜まれつつも宮が初一念は動かんともせで、難有き人の情に負きて、ここに嫁ぎし罪をさへ歎きて止まざりしに、思はぬ子まで成せし過は如何にすべきと、躬らその容し難きを慙ぢて、悲むこと太甚かりしが、実に親の所憎にや堪へざりけん。その子の失せし後、彼は再び唯継の子をば生まじ、と固く心に誓ひしなり。二年の後、三年の後、四年の後まで異くも宮はこの誓いを全うせり。 次第に彼の心は楽まずなりて、今は何の故にその嫁ぎたるかを自ら知るに苦めるなりき。機械の如く夫を守り置物のやうに内に据られ、絶えて人の妻たる効も思出もあらで、空く籠鳥の雲を望める身には、それのみの願なりし裕なる生活も、富める家計も、土の如く顧るに足らず、却りてこの四年が間思ひに思ふばかりにて、熱海より行方知れざりし人の姿を田鶴見の邸内に見てしまで、彼は全く音沙汰をも聞かざりしなり。生家なる鴫沢にては薄々知らざるにもあらざりしかど、さる由無き事を告ぐるが如き愚なる親にもあらねば、宮のこれを知るべき便は絶れたりしなり。計らずもその夢寐に忘れざる姿を見たりし彼が思は幾計なりけんよ。饑ゑたる者の貪り食ふらんやうに、彼はその一目にして四年の求むるところを求めんとしたり。 ![]() ![]() 五番町なる鰐淵といふ方に住める由は、静緒より聞きつれど、むざとは文も通はせ難く、道は遠からねど、独り出でて彷徨ふべき身にもあらぬなど、克はぬ事のみなるに苦かりけれど、安否を分かざりし幾年の思に較ぶれば、はや嚢の物を捜るに等しかるをと、その一筋に慰められつつも彼は日毎の徒然を憂きに堪へざる余、我心を遺る方なく明すべき長き長き文を書かんと思立ちぬ。そは折を得て送らんとにもあらず、又逢うては言ふ能はざるを言はしめんとにもあらで、止だかくも儚き身の上と切なき胸の内とを独自ら愬へんとてなり。 |
【後編第第二章の二】 |
宮は貫一が事を忘れざるとともに、又長く熱海の悲き別を忘るる能はざるなり。更に見よ。歳々廻来る一月十七日なる日は、その悲しき別れを忘れざる胸に烙して、彼の悔を新にするにあらずや。「十年後の今月今夜も、僕の涙で月は曇らして見せるから、月が曇つたらば、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると想ふがよい」。掩へども宮が耳は常にこの声を聞かざるなし。彼はその日のその夜に会ふ毎に、果して月の曇るか、あらぬかを試しに、曾てその人の余所に泣ける徴もあらざりければ、さすがに恨は忘られしかと、それには心安きにつけて、諸共に今は我をも思はでや、さては何処に如何にしてなど、更に打歎かるるなりき。 例のその日は四たび廻りて今日しも来りぬ。晴れたりし空は午後より曇りて少く吹出でたる風のいと寒く、凡ならず冷ゆる日なり。宮は毎よりも心煩きこの日なれば、かの筆採りて書続けんと為たりしが、余に思乱るればさるべき力もなくて、いとどしく紛れかねてゐたり。益す寒威の募るに堪へざりければ、遽に煖炉を調ぜしめて、彼は西洋間に徙りぬ。尽く窓帷を引きたる十畳の間は寸隙もあらず裹まれて、火気の漸く春を蒸すところに、宮は体を胖に友禅縮緬の長襦袢の褄を蹈披きて、緋の紋緞子張の楽椅子に凭りて、心の影のに映るを眺むらんやうに、その美き目をば唯白く坦なる天井に注ぎたり。 |
夫の留守にはこの家の主として、彼は事ふべき舅姑を戴かず、気兼すべき小姑を抱へず、足手絡の幼きもだあらずして、一箇の仲働と両箇の下婢とに万般の煩きを委せ、一日何の為すべき事もなくて、出づるに車あり、膳には肉あり、しかも言ふことは皆な聴れ、為すことは皆な悦ばるる夫を持てるなど、彼は今若き妻の黄金時代をば夢むる如く楽めるなり。実に世間の娘の想ひに想ひ、望みに望める絶頂は正に己のこの身の上なる哉、と宮は不覚胸に浮べたるなり。 嗟乎、おのれもこの身の上を願ひに願ひし余に、再び得難き恋人を棄てにしよ。されども、この身の上に窮めし楽も、五年の昔なりける今日の日に窮めし悲に易ふべきものはあらざりしを、と彼は苦しげに太息したり。今にして彼は始めて悟りぬ。おのれのこの身の上を願ひしは、その恋人と倶に同じき楽を享けんと願ひしに外ならざるを。し身の楽と心の楽とを併享くべき幸なくて、必ずその一つを択ぶべきものならば、孰を取るべきかを知ることの晩かりしを、遣方もなく悔ゆるなりけり。 この寒き日をこの煖き室に、この焦るる身をこの意中の人に並べて、この誠をもてこの恋しさを語らば如何に、と思到れる時、宮は殆ど裂けぬべく胸を苦く覚えて、今の待つ身は待たざる人を待つ身なる、その口惜しさを悶えては、在るにも在られぬ椅子を離れて、歩み寄りたる窓の外面を何心なく打見遣れば、いつしか雪の降り出でて、薄白く庭に敷けるなり。一月十七日なる感はいと劇く動きて、宮は降頻る雪に或る言を聴くが如く佇めり。折から唯継は還来りぬ。静に啓けたる闥の響は絶に物思へる宮の耳には入らざりき。氷の如く冷徹りたる手をわりなく懐に差し入れらるるに驚き、咄嗟と見向かんとすれば、後より緊と抱へられたれど、夫の常に飭める香水の薫は隠るべくもあらず。「おや、お帰来でございましたか」。「寒かつたよ」。「大相降つて参りました、さぞお困りでしたらう」。「何だか知らんが、むちやくちやに寒かつた」。 |
宮は楽椅子を夫に勧めて、躬は煖炉の薪を![]() 忽ち闥の啓くと見れば、仲働の命ぜし物を持来れるなり。人目を憚らずその妻を愛するは唯継が常なるを、見苦しと思ふ宮はその傍を退かんとすれど、放たざるを例の事とて仲働は見ぬ風しつつ、器具と壜とをテエブルに置きて、直に退り出でぬ。かく執念く愛せらるるを、宮はなかなか憂くも浅ましくも思ふなりけり。 雪は風を添へて掻乱し掻乱し降頻りつつ、はや日暮れなんとするに、楽き夜の漸く来れるが最辱き唯継の目尻なり。「近頃はお前別して鬱いでをるやうぢやないか、俺にはさう見えるがね。さうして内にばかり引籠んでをるのが宜くないよ。この頃は些とも出掛けんぢやないか。さう因循してをるから、益す陰気になつて了ふのだ。この間も鳥柴の奥さんに会つたら、さう言つてゐたよ。何為近頃は奥さんは些ともお見えなさらんのだらう。芝居ぐらゐにはお出掛になつてもよささうなものだが、全然影も形もお見せなさらん。なんぼお大事になさるつて、そんなに仕舞込んでお置きなさるものぢやございません。慈善の為に少しは衆にも見せてお遣んなさい、なんぞと非常に遣られたぢやないか。それからね、知つてをる通り、今度の選挙には実業家として福積が当選したらう。俺も大いに与つて尽力したんさ。それで近日当選祝があつて、それが済み次第別に慰労会と云ふやうな名で、格別尽力した連中を招待するんだ。その席へは令夫人携帯といふ訳なんだから、是非お前も出なければならん。驚くよ。俺の社会では富山の細君と来たら評判なもんだ。会つたことのない奴まで、お前の事は知つてをるんさ。そこで、俺は実は自慢でね、さう評判になつて見ると、軽々しく出行かれるのも面白くない、余り顔を見せん方が見識が好いけれど、しかし、近頃のやうに籠つてばかり居るのは、第一衛生におまへ良くない。実は俺は日曜毎にお前を連れて出たいんさ。おまへの来た当座はさうであつたぢやないかね。子供を産んでから、さう、あれから半年ばかり経つてからだよ。余り出なくなつたのは。それでも随分彼地此地出たぢやないかね。 |
善し、珈琲たか。うう熱い、旨い。お前もお飲み、これを半分上げやうか。沢山だ? それだからお前は冷淡でいかんと謂ふんさ。ぢや、酒の入らんのを飲むといい。寄鍋は未か。うむ、に支度がしてあるから、来たら言ひに来る? それは善い、西洋室の寄鍋なんかは風流でない、あれは長火鉢の相対に限るんさ。いいかね、福積の招待には吃驚させるほど美て出て貰はなけりやならん。それで、着物だ、何か欲ければ早速拵へやう。おまへが、これならば十分と思ふ服装で、隆として推し出すんだね。さうしてお前この頃は余り服装にかまはんぢやないか、いかんよ。いつでもこの小紋の羽織の寐恍けたのばかりは恐れるね。何為あの被風を着ないのかね、あれは好く似合ふにな。明後日は日曜だ、かへ行かうよ。その着物を見に三井へでも行かうか。いや、さうさう、柏原の奥さんが、お前の写真を是非欲いと言つて、会ふ度に聒く催促するんで克はんよ。明日は用があつて行かなければならんのだから、持つて行かんと拙いて。まだあつたね、ない? そりやいかん。一枚もないんか、そりやいかん。それぢや、明後日写しに行かう。直と若返つて二人で写すなんぞもよいぢやないか。善し、寄鍋が来た? さあ行かう」。夫に引添ひて宮はこの室を出でんとして、思ふところありげに姑く窓の外面を窺ひたりしが、「どうしてこんなに降るのでせう」。「何を下らんことを言ふんだ。さあ、行かう行かう」。 |
(私論.私見)