新続編1

更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.30日

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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


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【新続金色夜叉 第一章】
 生れてより神仏かみほとけを頼み候事さふらふこととては一度も無御座候ござなくさふらへども、此度このたびばかりはつくづく一心に祈念致し、吾命わがいのちを縮め候代さふらふかはりに、必ず此文は御目おんめに触れ候やうにと、それをば力に病中ながら筆取りまゐらせ候。さいはひに此の一念通じ候て、ともかくも御披おんひらか被下候くだされさふらはば、此身は直ぐ相果あひはて候とも、つゆうらみには不存申候ぞんじまをさずさふらふ。元より御憎悪強おんにくしみつよわたくしにはさふらへども、何卒なにとぞこれは前非を悔いて自害いたし候一箇ひとりあはれなる女の、御前様おんまへさま見懸みかけての遺言ゆいごんとも思召おぼしめし、せめて一通ひととほ御判読ごはんどく被下候くだされさふらはば、未来までの御情おんなさけと、何よりうれしう嬉う存上ぞんじあげまゐらせ候。

 
さてとや、先頃に久々とも何とも、御生別おんいきわかれとのみ朝夕あさゆふあきらり候御顔おんかほを拝し、飛立つばかりの御懐おんなつかしさやら、言ふに謂れぬ悲しさやらに、先立つものは涙にて、十年越し思ひに思ひまゐらせ候事何一つも口には出ず、あれまでには様々の覚悟も致し、また心苦こころぐるし御目おんめもじの恥をも忍び、女の身にてはやうやうの思にて参じ候効さふらふかひもなく、誠に一生の無念に存じまゐらせ候。唯其折ただそのをりの形見には、涙のひまに拝しまゐらせ候御姿おんすがたのみ、今に目に附き候て旦暮あけくれわすれやらず、あらぬ人の顔までも御前様おんまへさまのやうに見え候て、此頃は心も空に泣暮し居りまゐらせ候。

 
ひさし御目おんめもじ致さず候中さふらふうちに、別の人のやうにすべ御変おんかは被成なされ候も、わたくしにはなにとやら悲く、又ことに御顔のやつれ、御血色の悪さも一方ひとかたならず被為居候ゐらせられさふらふは、如何いかなる御疾おんわづらひに候や、御見上おんみあげ申すも心細く存ぜられ候へば、折角御養生被遊あそばされ、何はきても御身は大切に御厭おんいと被成候なされさふらふやう、くれぐれも念じあげ候。それのみ心に懸り候余さふらふあまり、悲き夢などをも見続け候へば、一入ひとしほ御案おんあんじ申上まゐらせ候。

 私事恥を恥とも思はぬ者との御さげすみを
かへりみず、先頃して御許おんもとまでさんし候胸の内は、なかなか御目もじの上のことばにも尽しがたくと存候ぞんじさふらへば、まして廻らぬ筆にはわざと何もしるし申さず候まま、何卒なにとぞ々々よろし御汲分おんくみわけ被下度候くだされたくさふらふ。さやうに候へば、其節そのせつ御腹立おんはらだちも、罪ある身には元より覚悟の前とは申しながら、あまりとや本意無ほいな御別おんわかれに、いとど思はまささふらふて、帰りて後は頭痛つむりいたみ、胸裂むねさくるやうにて、夜の目も合はず、明る日よりは一層心地あし相成あひなり、物を見れば唯涙ただなみだこぼれ、何事ともなきに胸塞むねふさがり、ふとすれば思迫おもひつめたる気に相成候て、夜昼となくはげしく悩み候ほどに、四日目には最早起き居り候事も大儀に相成、午過ひるすぎよりとこに就き候まま、今日まで※(「厭/心」、第4水準2-12-78)ぶらぶら致候いたしさふらふて、唯々なつかし御方おんかたの事のみ思続おもひつづさふらふては、みづからのはかなき儚き身の上をなげき、胸はいよいよ痛み、目は見苦みぐるし腫起はれあがり候て、今日は昨日きのふより痩衰やせおとろ申候まをしさふらふ

 かやうに
思迫おもひつ候気さふらふきにも相成候上あひなりさふらふうへに、日毎にやみの奥に引入れられ候やうに段々心弱り候へば、うたがひもなく信心の誠顕まことあらはれ候て、此のとこき候が元にて、はや永からぬ吾身とも存候ぞんじさふらふまま、何卒なにとぞこれまでの思出には、たとひ命ある内こそ如何いかやうの御恨おんうらみは受け候とも、今はのきはには御前様おんまへさま御膝おんひざの上にて心安く息引取いきひきとくと存候へども、それは※(「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56)かなはぬ罪深き身に候上は、もはや再びなつかしき懐き御顔も拝し難く、猶又前非の御ゆるしも無くて、此儘このまま相果て候事かと、あきらめ候より外無く存じながら、とてもとても諦めかね候苦しさの程は、此心このこころの外に知るものも、たとふるものも無御座候ござなくさふらふこれのみは御憎悪おんにくしみの中にもすこし不愍ふびん思召おぼしめし被下度くだされたく、かやうにしたた候内さふらふうちにも、涙こぼれ候て致方無いたしかたなく、覚えず麁相そそういたし候て、かやうに紙をよごし申候。御容おんゆる被下度候くだされたくさふらふ

 さ候へば
私事わたくしこと如何いかに自ら作りし罪のむくいとは申ながら、かくまで散々の責苦せめくを受け、かくまで十分に懺悔致ざんげいたし、此上は唯死ぬるばかりの身の可哀あはれを、つゆほども御前様には通じ候はで、これぎりむなしく相成候が、あまり口惜くちをし存候故ぞんじさふらふゆゑ、一生に一度の神仏かみほとけにもすがり候て、此文には私一念を巻込め、御許おんもと差出さしいだしまゐらせ候。返す返すもくやしき熱海の御別おんわかれの後の思、又いつぞや田鶴見たずみ子爵の邸内にて図らぬ御見致候ごけんいたしさふらふ而来このかたの胸の内、其後そののち途中とちゆうにて御変おんかは被成候なされさふらふ荒尾様あらをさま御目おんめに懸り、しみじみ御物語おんものがたり致候事いたしさふらふことなど、先達而中せんだつてじゆうくどうも冗うも差上申候さしあげまをしさふらふ。毎度の文にてこまかに申上候へども、一通の御披おんひらかせも無之これなきやうに仰せられ候へば、何事も御存無ごぞんじなきかと、誠に御恨おんうらめし存上候ぞんじあげさふらふ百度千度ももたびちたび繰返くりかへし候ても、是非に御耳に入れまゐらせ度存候たくぞんじさふらへども、今此の切なく思乱れをり候折さふらふをりから、又仮初かりそめにも此上に味気無あぢきなき昔を偲び候事は堪難たへがたく候故、ここには今の今心に浮び候ままを書続けまゐらせ候。

 
何卒なにとぞ余所よそながらもうけたまはりたく存上候ぞんじあげさふらふは、長々御信おんたよりも無く居らせられ候御前様おんまへさま是迄これまで如何いか御過おんすご被遊候あそばされさふらふや、さぞかしあら憂世うきよの波に一方ひとかたならぬ御艱難ごかんなんあそばし候事と、思ふも可恐おそろしきやうに存上候ぞんじあげさふらふを、ようもようもおんめでたう御障無おんさはりなう居らせられ、悲き中にも私のよろこびは是一つに御座候。御前様おんまへさまの数々御苦労被遊候間あそばされさふらふあひだに、私とても始終人知らぬ憂思うきおもひを重ね候て、此世には苦みに生れ参り候やうに、唯儚ただはかなき儚き月日を送りまゐらせ候。吾身わがみならぬ者は、如何いかなる人もみな可羨うらやましく、朝夕の雀鴉すずめからす、庭の木草に至るまで、それぞれにさいはひならぬは無御座ござなく、世の光に遠き囹圄ひとやつなが候悪人さふらふあくにんにても、罪ゆり候日さふらふひたのしみ有之候これありさふらふものを、命有らん限は此の苦艱くげんのが候事さふらふこと※(「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56)かなはぬ身の悲しさは、如何に致候いたしさふらはばよろしきやら、御推量被下度候くだされたくさふらふ。申すも異な事に候へども、そもそも始よりわたくし心には何とも思はぬ唯継ただつぐに候へば、夫婦の愛情と申候ものは、十年が間に唯の一度も起り申さず、かへつて憎きあだのやうなる思も致し、其傍そのそばに居り候も口惜くちをしく、つくづうとみ果て候へば、三四年ぜんよりは別居も同じ有様に暮し居候始末にて、私事一旦の身のけがれやうやく今はきよく相成、ますます堅く心のみさをを守り居りまゐらせ候。先頃荒尾様より御譴おんしかりも受け、さやうな心得は、始には御前様に不実の上、今又唯継に不貞なりと仰せられ候へども、其の始の不実を唯今思知り候ほどのおろかなる私が、何とて後の不貞やら何やらわきまへ申すべきや。愚なる者なればこそ人にも勾引かどはかされ候て、帰りたき空さへ見えぬ海山の果に泣倒れ居り候を、誰一箇たれひとりあはれみて救はんとは思召し被下候くだされさふらはずや。御前様にも其の愚なる者を何とも思召おぼしめ被下候くだされさふらはずや。愚なる者の致せしあやまちも、並々の人の過も、罪は同きものに御座候や、重きものに御座候や。

 愚なる者の癖に人がましき事申上候やうにて、誠に
御恥おんはづかし存候ぞんじさふらへども、何とも何とも心得難こころえがた存上候ぞんじあげさふらふは、御前様おんまへさま唯今ただいまの御身分に御座候ござさふらふ。天地はさかさまに相成候とも、御前様おんまへさまに限りてはと、今猶いまなほ私は疑ひ居り候ほど驚入おどろきいりまゐらせ候。世に生業なりはひも数多く候に、優き優き御心根にもふさはしからぬやうの道に御入おんい被成候なされさふらふまでに、世間は鬼々おにおにしく御前様おんまへさまを苦め申候まをしさふらふか。田鶴見様方たずみさまかたにて御姿おんすがたを拝し候後さふらふのちはじめ御噂承おんうはさうけたまはり、私は幾日いくかも幾日も泣暮し申候。これには定て深き仔細しさいも御座候はんと存候へども、玉と成り、かはらと成るも人の一生に候へば、何卒なにとぞ昔の御身に御立返おんたちかへ被遊あそばされ、私の焦れ居りまゐらせ候やうに、多くの人にも御慕おんしたは被遊候あそばされさふらふ御出世の程をば、ひとへひとへ願上ねがいあげまゐらせ候。世間には随分賢からぬ者の好き地位を得て、時めかし居り候も少からぬを見るにつけ、何故なにゆゑ御前様おんまへさまにはやうの善からぬわざよりに択りて、折角の人にすぐれし御身を塵芥ちりあくたの中に御捨おんす被遊候あそばされさふらふや、残念に残念に存上ぞんじあげまゐらせ候。

 愚なる私の
心得違こころえちがひさへ無御座候ござなくさふらはば、始終しじゆう御側おんそばにも居り候事とて、さやうの思立おもひたち御座候節ござさふらふせつに、屹度きつと御諌おんいさめ申候事もかなひ候ものを、返らぬ愚痴ながら私の浅はかより、みづからの一生を誤り候のみか、大事の御身までも世のすたり物に致させ候かと思ひまゐらせ候へば、何と申候私の罪の程かと、今更御申訳おんまをしわけの致しやうも無之これなく、唯そら可恐おそろしさに消えも入度いりたぞんじまゐらせ候。御免おんゆる被下度くだされたく、御免し被下度くだされたく、御免し被下度候。

 私は
何故なにゆゑ富山に縁付き申候や、其気そのきには相成申候や、又何故御前様の御辞おんことばには従ひ不申まをさず候や、唯今ただいまと相成候て考へ申候へば、覚めてくやしき夢の中のやうにて、全く一時の迷とも可申まをすべく、我身ながら訳解らず存じまゐらせ候。二つ有るものの善きを捨て、あしきを取り候て、好んで箇様かようの悲き身の上に相成候は、よくよく私に定り候運と、思出おもひいだし候てはあきらめ居り申候。

 其節御前様の
御腹立おんはらだち一層強く、私をば一打ひとうちに御手に懸け被下候くだされさふらはば、なまじひに今の苦艱くげん有之間敷これあるまじく、又さも無く候はば、いつそ御前様の手籠てごめにいづれの山奥へも御連れ被下候くだされさふらはば、今頃は如何なるさいはひを得候事やらんなど、愚なる者はいつまでも愚に、始終愚なる事のみ考居かんがへをり申候。
 嬉くも
御赦おんゆるしを得、御心解けて、唯二人熱海に遊び、昔の浜辺に昔の月をながめ、昔のかなしき御物語を致し候はば、其の心の内は如何に御座候やらん思ふさへ胸轟むねとどろき、書く手も震ひ申候。今もの熱海に人は参り候へども、そのやうなるたのしみを持ち候ものは一人も有之これあるまじく、其代そのかはりには又、私如わたくしごと可憐あはれの跡を留め候て、其の一夜いちやを今だに歎き居り候ものも決して御座あるまじく候。

 世をも身をも捨て居り候者にも、
なほ肌身放はだみはなさず大事に致候宝は御座候。それは御遺置おんのこしおきの三枚の御写真にて何見ても楽み候はぬ目にも、これのみは絶えず眺め候て、少しは憂さを忘れ居りまゐらせ候。いつも御写真に向ひ候へば、何くれと当時の事憶出おもひだし候中に、うつつとも無く十年ぜんの心に返り候て、苦き胸もしばしすずしく相成申候。最も所好すきなるは御横顔の半身のに候へども、あれのみ色褪いろさめ、段々薄く相成候が、何より情無く存候へども、長からぬ私の宝に致し候間は仔細も有るまじく、き後には棺の内にをさめもらひ候やう、母へはそれを遺言に致候覚悟に御座候。

 ある女世に
比無たぐひなにしきを所持いたし候処さふらふところ、夏の熱きさかりとて、差当さしあたり用無く思ひ候不覚より、人の望むままに貸与へ候後は、いかに申せども返さず、其内に秋過ぎ、冬来ふゆきたり候て、一枚の曠着はれぎさへ無き身貧に相成候ほどに、いよいよ先の錦の事を思ひに思ひ候へども、今は何処いづこの人手に渡り候とも知れず、日頃それのみ苦に病み、なげき暮し居り候折から、さる方にて計らず一人の美き女に逢ひ候処、の錦をばはなやかに着飾り、先の持主とも知らず貧き女の前にて散々さんざんひけらかし候上に、恥まで与へ候を、彼女かのをんなは其身のあやまりあきらめ候て、泣く泣く無念を忍び申候事に御座候が、其錦に深き思のかかり候ほど、これ見よがしに着たる女こそ、憎くも、くやしくも、うらめしくも、謂はうやう無き心の内と察せられ申候。

 
先達而せんだつて御許おんもとにて御親類のやうに仰せられ候御婦人に御目に掛りまゐらせ候。毎日のやうに御出おんい被成候なされさふらふて、御前様の御世話おんせわ万事被遊候あそばされさふらふ御方おんかたよしに候へば、後にて御前様さぞさぞ御大抵ならず御迷惑被遊候あそばされさふらふ御事おんことと、山々御察おんさつし申上候へども、一向さやうに御内合おんうちあひとも存ぜず、不躾ぶしつけに参上いたし候段は幾重にも、御詫申上おんわびまをしあげまゐらせ候。

 
なほ数々かずかず申上度まをしあげたく存候事ぞんじさふらふことは胸一杯にて、此胸の内には申上度事まをしあげたきことの外は何も無御座候ござなくさふらへば、書くとも書くとも尽き申間敷まをすまじくことつたなき筆に候へば、よしなき事のみくだくだしく相成候ていくらも、大切の事をば書洩かきもらし候が思残おもひのこりに御座候。惜き惜き此筆とどめかね候へども、いつの限無く手に致し居り候事もかながたく、折から四時の明近あけちかき油も尽き候て、手元暗く相成候ままはやはやこひしき御名をしたため候て、これまでの御別おんわかれと致しまゐらせ候。

 
唯今ただいまの此の気分苦く、何とも難堪たへがたき様子にては、明日は今日よりも病重き事と存候ぞんじさふらふ。明後日は猶重くも相成可申あひなりまをすべく、さやうには候へども、筆取る事相叶あひかなひ候間は、臨終までの胸の内御許に通じまゐらせたく存候ぞんじさふらへば、覚束無おぼつかなくも何なりとも相認あひしたた可申候まをすべくさふらふ

 私事
むなしく相成候とも、決しての病にては無之これなく御前様おんまへさま御事おんこと思死おもひじに死候しにさふらふものと、何卒なにとぞ々々御愍おんあはれ被下くだされ其段そのだんはゆめゆめいつはりにては無御座ござなく、みづから堅く信じ居候事に御座候。
 
明日みようにち御前様おんまへさま御誕生日ごたんじようびに当り申候へば、わざと陰膳かげぜんを供へ候て、私事も共に御祝おんいは可申上まをしあぐべくうれしきやうにも悲きやうにも存候。猶くれぐれも朝夕ちようせきの御自愛御大事に、幾久く御機嫌好ごきげんよう明日を御迎おんむか被遊あそばされ、ますます御繁栄に被為居候ゐらせられさふらふやう、今は世の望も、身の願も、それのみに御座候。まづはあらあらかしこ。

五月二十五日
おろかなる女※(より、1-2-25)より
こひしき恋き
生別いきわかれ御方様おんかたさま
まゐる

【新続金色夜叉 第二章】
 隣に養へる薔薇ばらはげしくんじて、と座にる風の、この読尽よみつくされし長きふみの上に落つると見れば、紙は冉々せんせんと舞延びて貫一の身を※(「螢」の「虫」に代えて「糸」、第3水準1-90-16)めぐり、なほをどらんとするを、彼はしづかに敷据ゑて、そのひざものうげなる面杖つらづゑ※(「てへん+(麈-鹿)」、第3水準1-84-73)きたり。憎き女の文なんど見るもけがらはしと、さきには皆焚棄やきすてたりし貫一の、如何いかにしてこたびばかりはつひ打拆うちひらきけん、彼はその手にせし始に、又は読去りし後に、自らそのゆゑめて、自ら知らざるをづるなりき。

 彼はやがて
かがめし身を起ししが、又ただちに重きにへざらんやうのかしらを支へて、机にれり。緑こまやかに生茂おひしげれる庭の木々の軽々ほのかなる燥気いきれと、近きあたりに有りと有る花のかをりとを打雑うちまぜたる夏の初の大気は、はなはゆるく動きて、その間に旁午ぼうごする玄鳥つばくらの声ほがらかに、幾度いくたびか返してはつひに往きける跡の垣穂かきほの、さらぬだに燃ゆるばかりなる満開の石榴ざくろに四時過の西日のおびただしく輝けるを、彼はわづらはしと目を移して更に梧桐ごどうすずしき広葉を眺めたり。

 文の
ぬしはかかれと祈るばかりに、命を捧げて神仏かみほとけをも驚かししと書けるにあらずや。貫一は又、自ら何のゆゑとも知らで、ひとりこれのみひらくべくもあらぬ者を披き見たるにあらずや。彼をまとへる文は猶解けで、いはほなみそそぐが如くかかれり。そのままにひたと思入るのみなりし貫一も、やうやなやましく覚えて身動みじろぐとともに、この文殻ふみがら埓無らちなき様を見て、ややあわてたりげに左肩ひだりがたより垂れたるを取りて二つに引裂きつ。さてその一片ひとひら手繰たぐらんと為るに、長きこと帯の如し。好き程に裂きてはかさね、累ぬれば、皆積みて一冊にも成りぬべし。かかるも彼はおのづと思に沈みて、その動す手もたゆく、裂きては一々読むかとも目をこらしつつ。やや有りて裂了さきをはりし後は、あだかもはげしき力作につかれたらんやうに、弱々よわよわと身を支へて、長きうなじを垂れたり。されどひさしきにへずやありけん、にはかに起たんとして、かの文殻のきたるを取上げ、庭の日陰に歩出あゆみいでて、一歩にひとたび裂き、二歩に二たび裂き、木間に入りては裂き、花壇をめぐりては裂き、留りては裂き、行きては裂き、裂きて裂きて寸々すんずんしけるを、又引捩ひきねぢりては歩み、歩みては引捩りしが、はや行くもくるしく、後様うしろさま唯有とあ冬青もちの樹に寄添へり。

 折から縁に
出来いできたれる若き女は、結立ゆひたて円髷まるわげ涼しげに、襷掛たすきがけの惜くも見ゆる真白の濡手ぬれてはじきつつ、座敷をのぞき、庭をうかがひ、人見付けたる会釈のゑみをつと浮べて、「旦那だんな様、お風呂が沸きましたが」。この姿好く、心信こころまめやかなるお静こそ、わづかにも貫一がこの頃を慰むるいつ唯一ただいつの者なりけれ。
【新続金色夜叉 第二章の二】
 ゆあみすれば、下立おりたちてあかを流し、出づるを待ちて浴衣ゆかたを着せ、鏡をすうるまで、お静は等閑なほざりならず手一つに扱ひて、数ならぬ女業をんなわざ効無かひなくも、身にかなはん程は貫一が為にと、明暮を唯それのみにゆだぬるなり。されども、彼は別に奥の一間ひとまおのれの助くべき狭山さやまあるをも忘るべからず。そは命にも、換ふる人なり。又されども、彼と我との命に換ふる大恩をここのあるじにも負へるなり。かくのいづおろそかならぬあるじと夫とを同時にてるせはしさは、盆と正月とのあはせ来にけんやうなるべきをも、彼はなほいまだ覚めやらぬ夢のうちにて、その夢心地には、如何なる事もかたしと為るに足らずと思へるならん。まことに彼はさも思へらんやうにみ、喜び、誇り、楽める色あり。彼のおもては為にふばかりなく輝ける程に、常にもして妖艶あでやかに見えぬ。

 しば浴後ゆあがりを涼みゐる貫一の側に、お静は習々そよそよ団扇うちはの風を送りゐたりしが、縁柱えんばしらもたれて、物をも言はずつかれたる彼の気色を左瞻右視とみかうみて、「貴方あなた、大変にお顔色かほつきがお悪いぢや御座いませんか」。貫一はこのことばに力をも得たらんやうに、くづれたる身を始てゆすりつ。「さうかね」。「あら、さうかねぢや御座いませんよ、どうあそばしたのです」。「別にどうも為はせんけれど、何だかかう気が閉ぢて、惺然はつきりせんねえ」。「惺然はつきりあそばせよ。麦酒ビイルでも召上りませんか、ねえ、さうなさいまし」。「麦酒かい、余り飲みたくもないね」。「貴方そんな事を有仰おつしやらずに、まあ召上つて御覧なさいまし。折角ひやして置きましたのですから」。「それは狭山君が帰つて来て飲むのだらう」。「何で御座いますつて※(疑問符感嘆符、1-8-77)」。「いや、常談ぢやない、さうなのだらう」。「狭山は、貴方、麦酒ビイルなんぞをいただける今の身分ぢや御座いませんです」。「そんなに堅くんでもよいさ、内の人ぢやないか。もつと気楽に居てくれなくては困る」。

 お静は
ちよ涙含なみだぐみし目をぬぐひて、「この上の気楽があつてたまるものぢや御座いません」。「けれども有物あるものだから、所好すきなら飲んでもらはう。お前さんもくのだらう」。「はあ、私もお相手を致しますから、一盃いつぱい召し上りましよ。氷を取りに遣りまして――夏蜜柑なつみかんでもきませう――林檎りんごも御座いますよ」。「お前さん飲まんか」。「私も戴きますとも」。「いや、お前さんで」。「貴方の前で私が独りで戴くので御座いますか。さうして貴方は?」。「私は飲まん」。「ぢや見てゐらつしやるのですか。不好いやですよ、馬鹿々々しい! まあ何でもよいから、ともかくも一盃召上ると成さいましよ、ね。唯今ただいまぢきに持つて参りますから、そこにゐらつしやいまし」。気軽に走り行きしが、程なく老婢ろうひと共にもたらせる品々を、見好げに献立して彼の前にならぶれば、さすがに他の老婆子ろうばしさびしき給仕に義務的吃飯きつぱんひらるるの比にもあらず、やや難捨すてがたき心地もして、コップを取り挙あぐれば、お静は慣れし手元に噴溢ふきこぼるるばかり酌して、「さあ、ぐうとそれを召上れ」。
 貫一はそのを尽して、いこへり。林檎をきゐるお静は、手早く二片ふたひらばかり※(「炎+りっとう」、第3水準1-14-64)ぎて、「はい、おさかなを」。「まあ、一盃上げやう」。「まあ、貴方――いいえ、いけませんよ。ちつとお顔に出るまで二三盃続けて召上れよ。さうすると幾らかお気がれますから」。「そんなに飲んだら倒れて了ふ」。「お倒れなすたつてよろしいぢや御座いませんか。本当に今日は不好いやな御顔色でゐらつしやるから、それがかう消えて了ふやうに、奮発して召上りましよ」。彼は覚えず薄笑うすわらひして、「薬だつてさうはかんさ」。「どうあそばしたので御座います。どこぞ御体がお悪いのなら、又無理に召上るのはよう御座いませんから」。「体は始終悪いのだから、今更驚きも為んが……ぢや、もう一盃飲まうか」。「へい、お酌。ああ、あんまりお見事ぢや御座いませんか」。「見事でも可かんのかい」。「いいえ、お見事は結構なのですけれど、あんまり又――頂戴……ああ恐入ります」。「いや、考へて見ると、人間と云ふものは不思議な者だ。今まで不見不知みずしらずの、実に何の縁もないお前さん方が、かうして内に来て、狭山君はああして実体じつていの人だし、お前さんは優く世話をしてくれる、私は決して他人のやうな心持はんね。それは如何なる事情があつてかう成つたにも為よ、那裏あすこはなければ、どこの誰だかお互に分らずに了つた者が、急に一処に成つて、貴方がどうだとか、がかうだとか、……や、不思議だ! どうか、まあかはらず一生かうしてお附合つきあひを為たいと思ふ。けれども私は高利貸だ。世間から鬼かじやのやうにいはれて、この上もなく擯斥ひんせきされてゐる高利貸だ。お前さん方もその高利貸の世話に成つてゐられるのは、余りみえでもなく、さぞ心苦く思つてゐられるだらう、と私は察してゐる。のみならず、人の生血をしぼつてまでも、非道なかねこしらへるのが家業の高利貸が、縁も所因ゆかりもない者に、たとひ幾らでも、それほど大事の金をおいそれと出して、又体まで引取つて世話をすると云ふには、何か可恐おそろしい下心でもあつて、それもやつぱり慾徳渾成ずくで恩をせるのだらうと、内心ぢやどんなにも無気味に思つてゐられる事だらう、とそれも私は察してゐる。
 さあ、コップをけて、返して下さい」。「召上りますの?」。「飲む」。酒気はやや彼のおもてのぼれり。「お静さんはどう思ふね」。「共はもとより命のないところを、貴方のお蔭ばかりでつてをりますので御座いますから、私共の体は貴方の物も同然、御用に立ちます事なら、どんなにでもあそばしてお使ひ下さいまし。狭山もそんなに申してをります」。「かたじけない。しかし、私は天引三割の三月縛みつきしばりと云ふ躍利をどりを貸して、あらかせぎをしてゐるのだから、何も人に恩などを被せて、それを種に銭儲かねまうけを為るやうな、廻りくどい事をする必要は、まあないのだ。だから、どうぞしてそんな懸念は為て下さるな。又私の了簡では、元々ほんの酔興で二人の世話を為るのだから、究竟つまりそちらの身さへ立つたら、それで私の念は届いたので、その念が届いたら、もう剰銭つりもらはうとは思はんのだ。と言つたらば、情ない事には、私の家業が家業だから、鬼が念仏でも言ふやうに、お前さん方はいよいよ怪く思ふかも知れん――いや、きつとさう思つてゐられるには違いない。残念なものだ!」。彼は長吁ちよううして、「それも悪木あくぼくの蔭に居るからだ!」。「貴方、して私共がそんな事を夢にだつて思ひは致しません。けれども、そんなに有仰おつしやいますなら、何か私共の致しました事がお気にさはりましたので御座いませう。かう云ふなんにも存じません粗才者ぞんざいものの事で御座いますから」。「いいや、……」。「いいえ、私は始終言はれてをります狭山に済みませんですから、どうぞ行届きませんところは」。「いいや、さう云ふ意味で言つたのではない。今のは私の愚痴だから、さう気に懸けてくれてははなはだ困る」。「ついにそんな事を有仰おつしやつた事のない貴方が、今日に限つて今のやうに有仰ると、日頃私共に御不足がおあんなすつて」。「いや、悪かつた、私が悪かつた。なかなか不足どころか、お前さん方が陰陽無かげひなたなく実に善く気を着けて、親身のやうに世話してくれるのを、私は何より嬉く思つてゐる。往日いつか話した通り、私は身寄も友達もないと謂つて可いくらゐの独法師ひとりぼつちの体だから、気分が悪くても、一人薬を飲めと言つてくれる者はなし、何かにつけてそれは心細いのだ。さう云ふ私に、ふさいでゐるから酒でも飲めと、無理にも勧めてくれるその深切は、枯木に花が咲くやうな心持が、いえ、うそでも何でもない。さあ、嘘でないしるし一献差ひとつさすから、その積で受けてもらはう」。「はあ、是非戴かして下さいまし」。「ああ、もうこれにはない」。「なければ嘘なので御座いませう」。「半打はんダースうへあるから、あれを皆な注いで了はう」。「可うございますね」。貫一が老婢を喚ぶ時、お静は逸早いちはやく起ち行けり。
【新続金色夜叉 第二章の三】
 話頭わとうは酒をあらたむるとともに転じて、「それはまあ考へて見れば、随分主人のつらでも、友達の面でも、踏躙ふみにじつて、取る事に於ては見界みさかひなしの高利貸が、如何に虫の居所が善かつたからと云つて、人の難儀――には附込まうとも――それを見かねる風ぢやないのが、何であんながらにもない気前を見せたのかと、これは不審を立てられるのが当然あたりまへだ。けれども、ねえ、いづれその訳が解る日もあらうし、又私といふ者が、どう云ふ人間であるかと云ふ事も、今に必ず解らうと思ふ。それが解りさへしたら、この上人の十人や二十人、私のあり金のありたけは、助けやうが、恵まうが、も怪む事はないのだ。かう云ふと何かひどく偉がるやうで、聞辛ききづらいか知らんけれど、これは心易立こころやすだてに、全く奥底のないところをお話するのだ。いやさう考え込まれては困る。陰気に成つて可かんから、話はもうやめう。さうしてもつと飲み給へ、さあ」。「いいえ、どうぞお話をお聞せなすつて下さいまし」。「さかなに成るやうな話なら可いがね」。「始終狭山ともさう申してをるので御座いますけれど、旦那様は御病身と云ふ程でもないやうにお身受申しますのに、いつもかう御元気ごげんきがなくて、おむづかしいお顔面かほつきばかりなすつてゐらつしやるのは、どう云ふものかしらんと、陰ながら御心配申してをるので御座いますが」。「これでお前さん方が来てくれて、内がにぎやかに成つただけ、私ももとから見ると余程よつぽど元気には成つたのだ」。「でもそれより御元気がおあんなさらなかつたら、まあどんなでせう」。「死んでゐるやうな者さ」。「どうあそばしたので御座いますね」。「やはり病気さ」。「どう云ふ御病気なので」。「ふさぐのが病気で困るよ」。「どう為てさうお鬱ぎあそばすので御座います」。
 貫一は自らあざけりて苦しげにわらへり。「究竟つまり病気の所為せゐなのだね」。「ですからどう云ふ御病気なのですよ」。「どうも鬱ぐのだ」。「解らないぢや御座いませんか! 鬱ぐのが病気だと有仰おつしやるから、どうしてお鬱ぎあそばすのですと申せば、病気で鬱ぐのだつて、それぢやどこまで行つたつて、同じ事ぢや御座いませんか」。「うむ、さうだ」。「うむ、さうだぢやありません、しつかりなさいましよ」。「ああ、もう酔つて来た」。「あれ、まだお酔ひに成つてはいけません。お横に成ると御寐おやすみに成るから、お起きなすつてゐらつしやいまし。さあ、貴方」。お静はりて、彼の肘杖ひぢづゑよこたはれる背後うしろより扶起たすけおこせば、んなげに柱にりて、女の方を見返りつつ、「ここを富山唯継ただつぐに見せて遣りたい!」。「ああ、して下さいまし! 名を聞いても慄然ぞつとするのですから」。「名を聞いても慄然ぞつとする? さう、大きにさうだ。けれど、又考へて見れば、あれに罪がある訳でもないのだから、さして憎むにも当らんのだ」。「ええ、ほん太好いけすかないばかりです!」。「それぢや余りちがはんぢやないか」。「あんな奴は那箇どつちだつていいんでさ。第一きてゐるのが間違つてゐる位のものです。本当に世間には不好いやな奴ばかり多いのですけれど、貴方、どう云ふ者でせう。三千何百万とか、四千万とか、何でもたいした人数ひとかずが居るのぢや御座いませんか、それならもう少し気のいた、肌合はだあひの好い、うれしい人に撞見でつくはしさうなものだと思ひますのに、一向お目に懸りませんが、ねえ」。「さう、さう、さう!」。「さうして富山みたやうなあんな奴がまあ紛々然うじやうじやと居て、番狂ばんくるはせを為てあるくのですから、それですから、一日だつて世の中が無事な日と云つちやありは致しません。どうしたらあんなにも気障きざに、太好いけすかなく、厭味いやみたらしく生れ付くのでせう」。「おうおう、富山唯継散々だ」。「ああ。もうあんな奴の話をするのは馬鹿々々しいから、貴方、しませうよ」。
 「それぢやかう云ふ話がある」。「はあ」。「一体男と女とでは、だね、那箇どつちが情合が深い者だらうか」。「あら、何為なぜで御座います」。「まあ、何為なぜでも、お前さんはどう思ふ」。「それは、貴方、女の方がどんなに情が」。「深いと云ふのかね」。「はあ」。「あてにならんね」。「へえ、信にならない証拠でも御座いますか」。「成る程、お前さんは別かも知れんけれど」。「う御座いますよ!」。「いいえ、世間の女はさうでないやうだ。それと云ふが、女と云ふ者は、かんがへが浅いからして、どうしても気が移りやすい、これから心が動く――不実を不実とも思はんやうな了簡も出るのだ」。「それはもう女は浅捗あさはかな者にきまつてゐますけれど、気が移るの何のと云ふのは、やつぱり本当にれてゐないからです。心底から惚れてゐたら、ちつとも気の移るところはないぢや御座いませんか。善く女の一念と云ふ事を申しますけれど、思窮おもひつめますと、男よりは女の方が余計夢中に成つて了ひますとも」。「大きにさう云ふ事はある。然し、本当に惚れんのは、どうだらう、女がわるいのか、それとも男の方が非いのか」。「大変むづかしく成りましたのね。さうですね、それは那箇どつちかがわるい事もありませう。又女の性分にも由りますけれど、一概に女と云つたつて、一つはとしに在るので御座いますね」。「はあ、齢に在ると云ふと?」。

 「私共商買の者は善くさう申しますが、女の惚れるには、
見惚みぼれに、気惚きぼれに、底惚そこぼれと、かう三様みとほりあつて、見惚と云ふと、ちよいと見たところで惚込んで了ふので、これは十五六の赤襟あかえり盛にある事で、唯奇麗事でありさへすればよいのですから、まるで酸いも甘いもあつた者ぢやないのです。それから、十七八から二十はたちそこそこのところは、少し解つて来て、生意気に成りますから、顔の好いのや、扮装なりおつなのなんぞにはあんまり迷ひません。気惚と云つて、様子が好いとか、気合が嬉いとか、何とか、そんなところに目を着けるので御座いますね。ですけれど、だまだやつぱり浮気なので、この人も好いが、又あの人も万更でなかつたりなんぞして、究竟つまりなかの中から惚れると云ふのぢやないのです。何でも二十三四からに成らなくては、心底から惚れると云ふ事はないさうで。それからが本当の味が出るのだとか申しますが、そんなものかも知れませんよ。この齢に成れば、曲りなりにも自分の了簡もすわり、世の中の事も解つてゐると云つたやうな勘定ですから、いくら洒落気しやれつきの奴でも、さうさう上調子うはちようしに遣つちやゐられるものぢやありません。そこは何となく深厚しんみりとして来るのが人情ですわ。かうなれば、貴方、十人が九人までは滅多に気が移るの、心が変るのと云ふやうな事はありは致しません。あの『赤い切掛きれかけ島田のうちは』と云ふうたの文句の通、惚れた、好いたと云つても、若い内はどうしたつてしん一人前いちにんまへに成つてゐないのですから、やつぱりそれだけで、為方のないものです。と言つて、お婆さんに成つてから、やいのやいの言れた日には、殿方は御難ですね」。
 お静は一笑してコップを挙げぬ。貫一はしきりうなづきて、「誠に面白かつた。見惚みぼれに気惚に底惚か。としに在ると云ふのは、これは大きにさうだ。齢にある! 確かにあるやうだ!」。「大相感心なすつてゐらつしやるぢや御座いませんか」。「大きに感心した」。「ぢやきつと胸にあたる事がおあんなさるので御座いますね」。「ははははははは。何為なぜ」。「でも感心あそばし方がただで御座いませんもの」。「ははははははは。いよいよ面白い」。「あら、さうなので御座いますか」。「はははははは。さうなのとはどうなの?」。「まあ、さうなのですね」。彼はことさら※(「目+登」、第3水準1-88-91)みはれるまなここらして、貫一のひて赤く、笑ひてほころべるおもての上に、或る者をもとむらんやうに打矚うちまもれり。「さうだつたらどうかね。はははははは」。「あら、それぢやいよいよさうなので御座いますか!」。「ははははははははは」。「いけませんよ、笑つてばかりゐらしつたつて」。「はははははは」。

【新続金色夜叉 第三章】
 惜しくもなき命はありさふらふものにて、はやそれより七日なぬか相成候あひなりさふらへども、なほ日毎ひごとに心地く相成候やうに覚え候のみにて、今以つてこの世を去らず候へば、未練の程のおんつもらせもぞかしと、口惜くちをしくも御恥おんはづかし存じ上げ参まゐらせ候。御前様おんまへさまには追々暑に向ひ候へば、いつも夏まけにて御悩み被成候事なされさふらふこととて、この如何御暮被遊候あそばされさふらふやと、一入ひとしほ御案おんあん申し上げ参まゐらせ候。

 私事わたくしこと人々の手前も有之候故これありさふらふゆゑしるしばかりに医者にも掛り候へども、もとより薬などは飲みも致さず、打ち捨申し候。御存じのこのこのわづらひは決して書物の中には載せてあるまじく存じ候を、医者は訳なくヒステリイと申し候。これもヒステリイと申し候外はなきかは不存申候ぞんじまをさずさふらへども、自分には広き世間に比無たぐひなき病の外の病とも思居り候ものを、さやうにあり触れたる名を附けられ候は、身に取りて誠に誠に無念に御座候。

 昼の
うち頭重つむりおもく、胸閉ぢ、気疲劇きづかれはげしく、何を致し候も大儀たいぎにて、けて人に会ひ候が※(「勞/心」、第4水準2-12-74)うるさく、にも一切いつせつ不申まをさず唯独引き籠り居り候て、く時の候中さふらふうちに、この命いのちの絶えずちとづつ弱り候て、最期に近く相成候がおのづから知れ候やうにもおぼ申候まをしさふらふ

 り候ては又気分変り、胸の内にはか冱々さえざえ相成あひなり、なかなかねぶり居り候空は無之これなく、かかる折に人は如何やうの事を考へ候ものと思召被成おぼしめしなされ候や、又その人私に候はば何と可有之候これあるべくさふらふや、今更申上候迄にも御座候はねば、何卒なにとぞよろし御判おんはん被遊度あそばされたく夜一夜よひとよ)その事のみ思い続け候て、毎夜寝もせず明しまゐらせ候。

 さりながら、何程思い続け候とても、水を
もとめていよいほのほかれ候にひとし苦艱くげんの募り候のみにて、いつこの責せめのがるるともなくながらは、かよわき女の身にはに余りに難忍しのびがたき事に御座候。猶々なほなほ)このやうのき思いを致し候て、惜しむに足らぬ命の早く形付かたづ不申まをさざるやうにも候はば、いつそ自害致候てなりと、潔く相果て候が、※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)はるかまし存付ぞんじつさふらへば、万一の場合には、やうの事にも可致いたすべくと、覚悟極めまゐらせ候。

 さまざまにあきら申し候へども、この一事はとても思絶ち難く候へば、私相果あひは候迄さふらふまでには是非々々一度、如何に致候てもして御目おんめもじ相願ひべくと、この頃はただその事のみ一心に考居かんがへを申し候。昔より信仰厚き人達は、うつつ神仏かみほとけ御姿おんすがたをもをがみ候やうに申し候へば、私とてもこの一念の力ならば、決して※(「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56)かなはぬ願にも無御座ござなく存じ参らせ候。
【新続金色夜叉 第三章の二】
 昨日さくじつは見舞がてらに本宅の御母様おんははさままゐられ候。これは一つは唯継事ただつぐこと近頃不機嫌にて、とかく内を外に遊びあるき居り候処ところ、両三日前の新聞に善からぬ噂出うはさいで候より、心配の様子見に参られ候次第にて、その事につき私へ懇々こんこんの意見にて、唯継の放蕩致し候は、畢竟ひつきよううちのおもしろからぬと、日頃の事一々誰が告げ候にや、可恥はづかしき迄に皆な知れ候て、この後は何分心を用ゐくれ候やうにと申され候私事わたくしことその節一思ひとおもひに不法の事を申し掛け、愛想を尽され候やうに致し、離縁の沙汰にも相成候あひなりさふらはば、誠にこの上なきさいはひ存じき候へども、この姑しうとめ申し候人ひとは、評判の心掛善き御方にて、ことに私をば娘のやうに思ひ、日頃の厚きなさけは海山にもたとへ難きほどに候へば、なかなかことばを返し候段にてはなく、心弱しとは思ひながら、涙のこぼれ候ばかりにて、無拠よんどころなく不束ふつつかをも申し候次第に御座候。
 このいのち御前様おんまへさまに捨て候ものに無御座候ござなくさふらはば、外にはこの人の為に捨てすべく存じ候。この御方を母とし、御前様おんまへさまを夫と致し候て暮し候事も相かなひ候はば、私は土間にね、むしろまとさふらふても、そのしみぞやと、常に及ばぬ事をく思居りまゐらせ候。私事相果て候はば、他人にてまことに悲しみくれ候は、この世にこの御方一人おんかたひとりに御座あるべく、第一やうの人を欺き、然やうのなさけ余所よそ致し候私は、如何なる罰を受け候事かと、悲く悲く存じ候に、はや浅ましき死様しにやうは知れたる事に候へば、外に私の願いのさはりとも相成不申あひなりまをさずやと、始終心に懸り居り申し候
 思へば、人の申候ほど死ぬる事は可恐おそろしきものに無御座候ござなくさふらふ。私は今が今この儘ままに息引取り候はば、何よりの仕合しあはせ存じ参まゐらせ候。唯後ただあとのこり候親達のなげきを思ひ、又我が身生れがひもなくこの世の縁薄く、かやうに今ある形もぢきに消えて、この筆、このすずり、この指環、この燈このあかりもこの居宅すまひも、この夜もこの夏も、この蚊の声も、四囲あたりの者は皆な永く残り候に、私きものに相成り候て、人には草花の枯れたるほどにも思はれ候はぬはかなさなどを考へ候へば、返す返す情なく相成り候て、心ならぬ未練も申し候
底本:「金色夜叉」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年11月10日発行
   1998(平成10)年1月15日第39刷
初出:「読売新聞」
   1897(明治30)年1月1日~1902(明治35)年5月11日
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「
いち」「ちごふち」「りゆうはな」は小振りに、「一ヶ年分」は大振りに、つくっています。
2000年2月23日公開
2015年10月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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(私論.私見)