新続編1 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.30日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「」を確認する。 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝 |
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【新続金色夜叉 第一章】 |
生れてより神仏を頼み候事とては一度も無御座候へども、此度ばかりはつくづく一心に祈念致し、吾命を縮め 扨とや、先頃に久々とも何とも、御生別とのみ朝夕に 私事恥を恥とも思はぬ者との御さげすみを顧ず、先頃推して御許まで ![]() かやうに ![]() さ候へば私事 ![]() 愚なる者の癖に人がましき事申上候やうにて、誠に御恥う 愚なる私の 私は 其節御前様の 嬉くも 世をも身をも捨て居り候者にも、 ある女世に 私事 五月二十五日
おろかなる女
![]() まゐる
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【新続金色夜叉 第二章】 |
隣に養へる薔薇の香の![]() ![]() 彼はやがて 文の 折から縁に |
【新続金色夜叉 第二章の二】 |
浴すれば、下立ちて垢を流し、出づるを待ちて浴衣を着せ、鏡を据るまで、お静は等閑ならず手一つに扱ひて、数ならぬ女業の効無くも、身に称はん程は貫一が為にと、明暮を唯それのみに委ぬるなり。されども、彼は別に奥の一間に己の助くべき狭山あるをも忘るべからず。そは命にも、換ふる人なり。又されども、彼と我との命に換ふる大恩をここの主にも負へるなり。かくの如く孰れ疎ならぬ主と夫とを同時に有てる忙しさは、盆と正月との併せ来にけんやうなるべきをも、彼はなほ未だ覚めやらぬ夢の中にて、その夢心地には、如何なる事も難しと為るに足らずと思へるならん。寔に彼はさも思へらんやうに勇み、喜び、誇り、楽める色あり。彼の面は為に謂ふばかりなく輝ける程に、常にも愈して妖艶に見えぬ。 暫し浴後を涼みゐる貫一の側に、お静は習々と団扇の風を送りゐたりしが、縁柱に靠れて、物をも言はず労れたる彼の気色を左瞻右視て、「貴方、大変にお顔色がお悪いぢや御座いませんか」。貫一はこの言に力をも得たらんやうに、萎え頽れたる身を始て揺りつ。「さうかね」。「あら、さうかねぢや御座いませんよ、どうあそばしたのです」。「別にどうも為はせんけれど、何だかかう気が閉ぢて、惺然せんねえ」。「惺然あそばせよ。麦酒でも召上りませんか、ねえ、さうなさいまし」。「麦酒かい、余り飲みたくもないね」。「貴方そんな事を有仰らずに、まあ召上つて御覧なさいまし。折角私が冷して置きましたのですから」。「それは狭山君が帰つて来て飲むのだらう」。「何で御座いますつて ![]() お静は些と涙含みし目を拭ひて、「この上の気楽があつて耐るものぢや御座いません」。「けれども有物だから、所好なら飲んでもらはう。お前さんも克くのだらう」。「はあ、私もお相手を致しますから、一盃召し上りましよ。氷を取りに遣りまして――夏蜜柑でも剥きませう――林檎も御座いますよ」。「お前さん飲まんか」。「私も戴きますとも」。「いや、お前さん独で」。「貴方の前で私が独りで戴くので御座いますか。さうして貴方は?」。「私は飲まん」。「ぢや見てゐらつしやるのですか。不好ですよ、馬鹿々々しい! まあ何でもよいから、ともかくも一盃召上ると成さいましよ、ね。唯今直に持つて参りますから、にゐらつしやいまし」。気軽に走り行きしが、程なく老婢と共に齎せる品々を、見好げに献立して彼の前に陳ぶれば、さすがに他の老婆子が寂き給仕に義務的吃飯を強ひらるるの比にもあらず、やや難捨き心地もして、コップを取り挙れば、お静は慣れし手元に噴溢るるばかり酌して、「さあ、呷とそれを召上れ」。 |
貫一はその半を尽して、先づ息へり。林檎を剥きゐるお静は、手早く二片ばかり![]() |
さあ、コップを空けて、返して下さい」。「召上りますの?」。「飲む」。酒気は稍彼の面に上れり。「お静さんはどう思ふね」。「私共は固より命のないところを、貴方のお蔭ばかりで助つてをりますので御座いますから、私共の体は貴方の物も同然、御用に立ちます事なら、どんなにでも遊してお使ひ下さいまし。狭山もそんなに申してをります」。「忝ない。しかし、私は天引三割の三月縛と云ふ躍利を貸して、暴い稼をしてゐるのだから、何も人に恩などを被せて、それを種に銭儲を為るやうな、廻り迂い事をする必要は、まあないのだ。だから、どうぞ決してそんな懸念は為て下さるな。又私の了簡では、元々些の酔興で二人の世話を為るのだから、究竟そちらの身さへ立つたら、それで私の念は届いたので、その念が届いたら、もう剰銭を貰はうとは思はんのだ。と言つたらば、情ない事には、私の家業が家業だから、鬼が念仏でも言ふやうに、お前さん方は愈よ怪く思ふかも知れん――いや、きつとさう思つてゐられるには違いない。残念なものだ!」。彼は長吁して、「それも悪木の蔭に居るからだ!」。「貴方、決して私共がそんな事を夢にだつて思ひは致しません。けれども、そんなに有仰いますなら、何か私共の致しました事がお気に障りましたので御座いませう。かう云ふ何も存じません粗才者の事で御座いますから」。「いいや、……」。「いいえ、私は始終言はれてをります狭山に済みませんですから、どうぞ行届きませんところは」。「いいや、さう云ふ意味で言つたのではない。今のは私の愚痴だから、さう気に懸けてくれては甚だ困る」。「ついにそんな事を有仰つた事のない貴方が、今日に限つて今のやうに有仰ると、日頃私共に御不足がお有なすつて」。「いや、悪かつた、私が悪かつた。なかなか不足どころか、お前さん方が陰陽無く実に善く気を着けて、親身のやうに世話してくれるのを、私は何より嬉く思つてゐる。往日話した通り、私は身寄も友達もないと謂つて可いくらゐの独法師の体だから、気分が悪くても、誰一人薬を飲めと言つてくれる者はなし、何かにつけてそれは心細いのだ。さう云ふ私に、鬱いでゐるから酒でも飲めと、無理にも勧めてくれるその深切は、枯木に花が咲くやうな心持が、いえ、嘘でも何でもない。さあ、嘘でない信に一献差すから、その積で受けてもらはう」。「はあ、是非戴かして下さいまし」。「ああ、もうこれにはない」。「なければ嘘なので御座いませう」。「だ半打の上あるから、あれを皆な注いで了はう」。「可うございますね」。貫一が老婢を喚ぶ時、お静は逸早く起ち行けり。 |
【新続金色夜叉 第二章の三】 |
話頭は酒を更むるとともに転じて、「それはまあ考へて見れば、随分主人の面でも、友達の面でも、踏躙つて、取る事に於ては見界なしの高利貸が、如何に虫の居所が善かつたからと云つて、人の難儀――には附込まうとも――それを見かねる風ぢやないのが、何であんな格にもない気前を見せたのかと、これは不審を立てられるのが当然だ。けれども、ねえ、いづれその訳が解る日もあらうし、又私といふ者が、どう云ふ人間であるかと云ふ事も、今に必ず解らうと思ふ。それが解りさへしたら、この上人の十人や二十人、私のあり金のありたけは、助けやうが、恵まうが、少も怪む事はないのだ。かう云ふと何か酷く偉がるやうで、聞辛いか知らんけれど、これは心易立に、全く奥底のないところをお話するのだ。いやさう考え込まれては困る。陰気に成つて可かんから、話はもう罷に為う。さうしてもつと飲み給へ、さあ」。「いいえ、どうぞお話をお聞せなすつて下さいまし」。「肴に成るやうな話なら可いがね」。「始終狭山ともさう申してをるので御座いますけれど、旦那様は御病身と云ふ程でもないやうにお身受申しますのに、いつもかう御元気がなくて、お険いお顔面ばかりなすつてゐらつしやるのは、どう云ふものかしらんと、陰ながら御心配申してをるので御座いますが」。「これでお前さん方が来てくれて、内が賑かに成つただけ、私も旧から見ると余程元気には成つたのだ」。「でもそれより御元気がおなさらなかつたら、まあどんなでせう」。「死んでゐるやうな者さ」。「どうあそばしたので御座いますね」。「やはり病気さ」。「どう云ふ御病気なので」。「鬱ぐのが病気で困るよ」。「どう為てさうお鬱ぎあそばすので御座います」。 |
貫一は自ら嘲りて苦しげに哂へり。「究竟病気の所為なのだね」。「ですからどう云ふ御病気なのですよ」。「どうも鬱ぐのだ」。「解らないぢや御座いませんか! 鬱ぐのが病気だと有仰るから、どうしてお鬱ぎ遊すのですと申せば、病気で鬱ぐのだつて、それぢやどこまで行つたつて、同じ事ぢや御座いませんか」。「うむ、さうだ」。「うむ、さうだぢやありません、緊りなさいましよ」。「ああ、もう酔つて来た」。「あれ、まだお酔ひに成つてはいけません。お横に成ると御寐に成るから、お起きなすつてゐらつしやいまし。さあ、貴方」。お静は寄りて、彼の肘杖に横はれる背後より扶起せば、んなげに柱に倚りて、女の方を見返りつつ、「ここを富山唯継に見せて遣りたい!」。「ああ、舎して下さいまし! 名を聞いても慄然とするのですから」。「名を聞いても慄然とする? さう、大きにさうだ。けれど、又考へて見れば、あれに罪がある訳でもないのだから、さして憎むにも当らんのだ」。「ええ、些の太好かないばかりです!」。「それぢや余り差はんぢやないか」。「あんな奴は那箇だつていいんでさ。第一活きてゐるのが間違つてゐる位のものです。本当に世間には不好な奴ばかり多いのですけれど、貴方、どう云ふ者でせう。三千何百万とか、四千万とか、何でも太した人数が居るのぢや御座いませんか、それならもう少し気の利いた、肌合の好い、嬉い人に撞見しさうなものだと思ひますのに、一向お目に懸りませんが、ねえ」。「さう、さう、さう!」。「さうして富山みたやうなあんな奴がまあ紛々然と居て、番狂を為て行くのですから、それですから、一日だつて世の中が無事な日と云つちやありは致しません。どうしたらあんなにも気障に、太好かなく、厭味たらしく生れ付くのでせう」。「おうおう、富山唯継散々だ」。「ああ。もうあんな奴の話をするのは馬鹿々々しいから、貴方、舎しませうよ」。 |
「それぢやかう云ふ話がある」。「はあ」。「一体男と女とでは、だね、那箇が情合が深い者だらうか」。「あら、何為で御座います」。「まあ、何為でも、お前さんはどう思ふ」。「それは、貴方、女の方がどんなに情が」。「深いと云ふのかね」。「はあ」。「信にならんね」。「へえ、信にならない証拠でも御座いますか」。「成る程、お前さんは別かも知れんけれど」。「う御座いますよ!」。「いいえ、世間の女はさうでないやうだ。それと云ふが、女と云ふ者は、慮が浅いからして、どうしても気が移り易い、これから心が動く――不実を不実とも思はんやうな了簡も出るのだ」。「それはもう女は浅捗な者に極つてゐますけれど、気が移るの何のと云ふのは、やつぱり本当に惚れてゐないからです。心底から惚れてゐたら、些も気の移るところはないぢや御座いませんか。善く女の一念と云ふ事を申しますけれど、思窮めますと、男よりは女の方が余計夢中に成つて了ひますとも」。「大きにさう云ふ事はある。然し、本当に惚れんのは、どうだらう、女が非いのか、それとも男の方が非いのか」。「大変難く成りましたのね。さうですね、それは那箇かが非い事もありませう。又女の性分にも由りますけれど、一概に女と云つたつて、一つは齢に在るので御座いますね」。「はあ、齢に在ると云ふと?」。 「私共の商買の者は善くさう申しますが、女の惚れるには、見惚に、気惚に、底惚と、かう三様あつて、見惚と云ふと、些と見たところで惚込んで了ふので、これは十五六の赤襟盛にある事で、唯奇麗事でありさへすればよいのですから、全で酸いも甘いもあつた者ぢやないのです。それから、十七八から二十そこそこのところは、少し解つて来て、生意気に成りますから、顔の好いのや、扮装の奇なのなんぞには余り迷ひません。気惚と云つて、様子が好いとか、気合が嬉いとか、何とか、そんなところに目を着けるので御座いますね。ですけれど、だまだやつぱり浮気なので、この人も好いが、又あの人も万更でなかつたりなんぞして、究竟お肚の中から惚れると云ふのぢやないのです。何でも二十三四からに成らなくては、心底から惚れると云ふ事はないさうで。それからが本当の味が出るのだとか申しますが、そんなものかも知れませんよ。この齢に成れば、曲りなりにも自分の了簡も据り、世の中の事も解つてゐると云つたやうな勘定ですから、いくら洒落気の奴でも、さうさう上調子に遣つちやゐられるものぢやありません。は何となく深厚として来るのが人情ですわ。かうなれば、貴方、十人が九人までは滅多に気が移るの、心が変るのと云ふやうな事はありは致しません。あの『赤い切掛け島田の中は』と云ふ唄の文句の通、惚れた、好いたと云つても、若い内はどうしたつて心が一人前に成つてゐないのですから、やつぱりそれだけで、為方のないものです。と言つて、お婆さんに成つてから、やいのやいの言れた日には、殿方は御難ですね」。 |
お静は一笑してコップを挙げぬ。貫一は連に頷きて、「誠に面白かつた。見惚に気惚に底惚か。齢に在ると云ふのは、これは大きにさうだ。齢にある! 確かにあるやうだ!」。「大相感心なすつてゐらつしやるぢや御座いませんか」。「大きに感心した」。「ぢやきつと胸に中る事がお有なさるので御座いますね」。「ははははははは。何為」。「でも感心あそばし方が凡で御座いませんもの」。「ははははははは。愈よ面白い」。「あら、さうなので御座いますか」。「はははははは。さうなのとはどうなの?」。「まあ、さうなのですね」。彼は故に![]() |
【新続金色夜叉 第三章】 |
惜しくもなき命はあり候ものにて、はやより七日に相成候へども、猶日毎に心地苦く相成候やうに覚え候のみにて、今以つてこの世を去らず候へば、未練の程の御つもらせも然ぞかしと、口惜くも御恥く存じ上げ参らせ候。御前様には追々暑に向ひ候へば、いつも夏まけにて御悩み被成候事とて、この頃は如何に御暮し被遊候やと、一入御案じ申し上げ参らせ候。 私事人々の手前も有之候故、儀ばかりに医者にも掛り候へども、もとより薬などは飲みも致さず、皆打ち捨て申し候。御存じのこの疾は決して書物の中には載せてあるまじく存じ候を、医者は訳なくヒステリイと申し候。これもヒステリイと申し候外はなきかは不存申候へども、自分には広き世間に比無き病の外の病とも思居り候ものを、さやうにあり触れたる名を附けられ候は、身に取りて誠に誠に無念に御座候。 昼の中は頭重く、胸閉ぢ、気疲劇く、何を致し候も大儀にて、別けて人に会ひ候が ![]() 夜に入り候ては又気分変り、胸の内俄に冱々と相成、なかなか眠り居り候空は無之、かかる折に人は如何やうの事を考へ候ものと思召被成候や、又その人私に候はば何と可有之候や、今更申上候迄にも御座候はねば、何卒宜く御判じ被遊度、夜一夜事のみ思い続け候て、毎夜寝もせず明しまゐらせ候。 さりながら、何程思い続け候とても、水を覓めて逾よ焔に燃かれ候に等き苦艱の募り候のみにて、いつこの責を免るるともなく存へ候は、弱き女の身には余に余りに難忍き事に御座候。猶々のやうの苦き思いを致し候て、惜しむに足らぬ命の早く形付き不申るやうにも候はば、いつそ自害致候てなりと、潔く相果て候が、 ![]() さまざまに諦め申し候へども、この一事は迚も思絶ち難く候へば、私相果て候迄には是非々々一度、如何に致候ても推して御目もじ相願ひ申と、この頃は唯その事のみ一心に考居り申し候。昔より信仰厚き人達は、現に神仏の御姿をも拝み候やうに申し候へば、私とてもこの一念の力ならば、決して ![]() |
【新続金色夜叉 第三章の二】 |
昨日は見舞がてらに本宅の御母様参られ候。は一つは唯継事近頃不機嫌にて、とかく内を外に遊びあるき居り候処、両三日前の新聞に善からぬ噂出で候より、心配の余様子見に参られ候次第にて、その事につき私へ懇々の意見にて、唯継の放蕩致し候は、畢竟内のおもしろからぬ故と、日頃の事一々誰が告げ候にや、可恥き迄に皆な知れ候て、この後は何分心を用ゐくれ候やうにと申され候。私事その節一思ひに不法の事を申し掛け、愛想を尽され候やうに致し、離縁の沙汰にも相成候はば、誠にこの上なき幸と存じき候へども、この姑と申し候人は、評判の心掛善き御方にて、殊に私をば娘のやうに思ひ、日頃の厚き情は海山にも喩へ難きほどに候へば、なかなか辞を返し候段にては之、心弱しとは思ひながら、涙の零れ候ばかりにて、無拠身の不束をも詑び申し候次第に御座候。 |
この命御前様に捨て候ものに無御座候はば、外にはこの人の為に捨て申と存じ候。この御方を母とし、御前様を夫と致し候て暮し候事も相叶ひ候はば、私は土間に寐ね、蓆を絡ひ候ても、その楽は然ぞやと、常に及ばぬ事を恋く思居りまゐらせ候。私事相果て候はば、他人にて真に悲しみくれ候は、この世にこの御方一人に御座あるべく、第一然やうの人を欺き、然やうの情を余所に致し候私は、如何なる罰を受け候事かと、悲く悲く存じ候に、はや浅ましき死様は知れたる事に候へば、外に私の願いの障とも相成不申やと、始終心に懸り居り申し候。 |
思へば、人の申候ほど死ぬる事は可恐きものに無御座候。私は今が今この儘に息引取り候はば、何よりの仕合と存じ参らせ候。唯後に遺り候親達の歎を思ひ、又我が身生れ効もなくこの世の縁薄く、かやうに今ある形も直に消えて、この筆、この硯、この指環、この燈もこの居宅も、この夜もこの夏も、この蚊の声も、四囲の者は皆な永く残り候に、私独り亡きものに相成り候て、人には草花の枯れたるほどにも思はれ候はぬ儚さなどを考へ候へば、返す返す情なく相成り候て、心ならぬ未練も出で申し候。 |
底本:「金色夜叉」新潮文庫、新潮社 1969(昭和44)年11月10日発行 1998(平成10)年1月15日第39刷 初出:「読売新聞」 1897(明治30)年1月1日~1902(明治35)年5月11日 入力:柴田卓治 校正:かとうかおり ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「市ヶ谷」「児ヶ淵」「竜ヶ鼻」は小振りに、「一ヶ年分」は大振りに、つくっています。 2000年2月23日公開 2015年10月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 |
(私論.私見)