ゲーテの生涯履歴 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.8.3日
【ゲーテ著「ファウスト」】 | |
「悲壮劇の第一部」の「夜」のファウストの独白。
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【ゲーテの生涯履歴】 |
「ドイツの作家「ゲーテ」 彼が受けた刺激と与えた影響」、濱田 真氏著 『ヘルダーのビルドゥング思想』その他参照。 |
本名は「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」。(1749年8月28日~1832年3月22日) ドイツの詩人、小説家、劇作家。ドイツの詩人、小説家で、多くの名言を遺していることで知られる「ゲーテ」。ドイツを代表する文豪で『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』などの小説や、詩劇『ファウスト』など数々の作品を残した。 1749年8月28日、フランク生まれ。フランクフルト・アム・マインの名家にして富裕層の市民の子として生まれた。。教育熱心な父によって、幼少期から家庭教師を呼んでは習い事を受けると言う生活を続けていた。乗馬やダンス、演奏などの習い事を受けた。特にゲーテの才能が発揮されたのは語学で、少年時代には英語やフランス語など、母国語以外にも6ヶ国語ほど習得している。幼少からゲーテの詩は評判で、8歳の頃に祖父母へ宛てて書いた詩が現存している。 1770年、ライプチヒとシュトラースブルク大学に入学、法律を学ぶ。在籍期間は1年程度と短いものでしたが、この間、一流の文学評論家としても知られていたヘルダー(1704~1803)と出会い、ヘルダーはゲーテに大きな影響を与えた。 ゲーテは文学への意識に傾く。ヘルダーもまた後に哲学者として大成し、歴史に名を残す偉人になっていく。 従来のロココ的で理性・形式を重んじる文学から脱却しようとするシュトゥルム・ウント・ドラング運動に従事する。シュトゥルム・ウント・ドラング運動とは、1770年から1780年にドイツで生じた文芸運動で、クリンガーの戯曲名が起源です。ヘルダーとの交流でホメロスやシェークスピアの真価や聖書、民謡について学び、ゲーテは作家・詩人としての基礎を身に着けていった。 ゲーテとともに、ドイツのヴァイマル主義を代表する作家であるシラー(1759~1805)との出会いもゲーテに多大なる影響を与えている。シラーマールバハ生まれ、ドイツの劇作家、詩人は、軍医の父を持ち、軍人学校で法律や医学を勉強しています。書き上げた戯曲「群盗」の劇の演奏が上手くいき、劇作家として華やかなスタートを切ります。 戯曲や思想詩など多く世に出し文学者としての名声を高めましたが、短い生涯でした。主な戯曲作品に「たくらみと恋」、「マリア・スチュアルト」、「ドン・カルロス」などがあります。 戯曲「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」。 25歳のとき、小説『若きウェルテルの悩み』を出版。ヨーロッパ中にその文名を轟かせた。 その後ヴァイマル公国の宮廷顧問(その後枢密顧問官・政務長官つまり宰相も務めた)となりしばらく公務に没頭する。シュタイン夫人との恋愛やイタリアへの旅行などを経て古代の調和的な美に目覚めていく。 シラーはゲーテの興味を詩作にも向けた立役者で、シラーの死を経た晩年も創作意欲は衰えなかった。1794年以後シラーとの交友を支えにして、ドイツ古典主義文学を揺るぎないものにする。公務や自然科学研究を続けながら『親和力(英語版)』、『エグモント』、『ヘルマンとドロテーア』、小説『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代(英語版)』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、『西東詩集』など円熟した作品を成した。大作『ファウスト』は20代から死の直前まで書き継がれたライフ・ワークである。 1774年前後に着手し始めた『ファウスト』は長らく手つかずの状態が続いていたが、シラーからの言葉で執筆を再開。後に「シラーと出会っていなかったら『ファウスト』は完成していなかっただろう」とゲーテは語っている。「時よ止まれ」の台詞で有名な「ファウスト」は、2部構成で、第1部は1808年、第2部は1832年に完成させています。 ほかに旅行記『イタリア紀行(英語版)』、自伝『詩と真実』や、自然科学者として「植物変態論」『色彩論』などの著作を残している。 1832年3月22日、ワイマール没。 |
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(私論.私見)