|
【五重塔その3、二十一から三十五】 |
|
其二十一 |
|
紅蓮白蓮の香(にほい)ゆかしく衣袂(たもと)に裾に薫り来て、浮葉に露の玉動(ゆら)ぎ立葉に風の軟(そよ)吹ける面白の夏の眺望(ながめ)は、赤蜻蛉(あかとんぼ)菱藻(ひしも)を嬲(なぶ)り初霜向うが岡の樹梢(こずえ)を染めてより全然(さらり)となくなったれど、赭色(たいしゃ)になりて荷(はす)の茎ばかり情のう立てる間に、世を忍び気(げ)の白鷺(しらさぎ)が徐々(そろり)と歩む姿もをかしく、紺青(こんじょう)色に暮れて行く天(そら)に漸く輝(ひか)り出す星を脊中に擦って飛ぶ雁の、鳴き渡る音も趣味(おもむき)ある不忍の池の景色を下物(さかな)の外の下物にして、客に酒をば亀の子ほど飲まする蓬莱屋の裏二階に、気持の好さそうな顔して欣然と人を待つ男一人。唐桟(とうざん)揃いの淡泊(あっさり)づくりに住吉張の銀煙管。おとなしきは、職人らしき侠気(きおい)の風の言語(ものいい)挙動(そぶり)に見えながら毫末(すこし)も下卑(げび)ぬ上品質(だち)、いづれ親方/\と多くのものに立らるゝ棟梁株とは、予てから知り居る馴染のお傳という女が、嘸(さぞ)お待ち遠でござりませう、と膳を置つゝ云う世辞を、待つ退屈さに捕(つかま)えて、待遠で/\堪りきれぬ、ほんとに人の気も知らないで何をして居るであろう、と云えば、それでもお化粧(しまい)に手間の取れまするが無理はない筈、と云いさしてホヽと笑う慣れきった返しの太刀筋。
アハヽヽそれも道理(もっとも)ぢゃ、今に来たらば能く見てくれ、まあ恐らくこの地辺(ここら)に類はなかろう、というものだ。阿呀(おや)恐ろしい、何を散財(おご)って下さります。而(そ)して親方、というものは御師匠さまですか。いゝや。娘さんですか。いゝや。後家様。いゝや。お婆さんですか。馬鹿を云え可愛想に。では赤ん坊。此奴(こいつ)め人をからかうな、ハヽハヽヽ。ホヽホヽヽと下らなく笑うところへ襖の外から、お傳さんと名を呼んで御連様と知らすれば、立ち上って唐紙明けにかゝりながら一寸後向いて人の顔へ異(おつ)に眼をくれ無言で笑うは、御嬉しかろと調戯(からか)って焦らして底悦喜(そこえつき)さする冗談なれど、源太は却って心(しん)から可笑(をかし)く思うとも知らずにお傳はすいと明くれば、のろりと入り来る客は色ある新造どころか香も艶もなき無骨男、ぼう/\頭髪(あたま)のごり/\腮髯(ひげ)、面(かお)は汚れて衣服(きもの)は垢づき破れたる見るから厭気のぞっとたつ程な様子に、流石(さすが)呆れて挨拶さえどぎまぎせしまゝ急には出ず。
源太は笑(えみ)を含みながら、さあ十兵衞ここへ来てくれ、関うことはない大胡坐(おおあぐら)で楽に居てくれ、とおづ/\し居るを無理に坐に居(す)ゑ、頓(やが)て膳部も具備(そなわ)りし後、さてあらためて飲み干したる酒盃とって源太は擬(さ)し、沈黙(だんまり)で居る十兵衞に対(むか)い、十兵衞、先刻に富松を態々遣ってな所に来て貰ったは、何でもない、実は仲直りして貰いたくてだ、何か汝とわっさり飲んで互いの胸を和熟させ、過日(こないだ)の夜の我が云うた彼云い過ぎも忘れて貰いたいとおもうからの事。聞いてくれこういう訳だ、過日の夜は実は我も余り汝を解らぬ奴と一途に思って腹も立った。恥しいが肝癪も起し業も沸(にや)し汝の頭を打砕(ぶっか)いて遣りたいほどにまでも思うたが、しかし幸福(しあわせ)に源太の頭が悪玉にばかりは乗取られず、清吉めが家へ来て酔った揚句に云いちらした無茶苦茶を、嗚呼了見の小さい奴は詰らぬ事を理屈らしく恥かしくもなく云うものだと、聞て居るさえ可笑くて堪らなさにふとそう思ったその途端、その夜汝の家で陳(なら)べ立って来た我の云い草に気がついて見れば清吉が言葉と似たり寄ったり。
ゑゝ間違った、一時の腹立に捲き込まれたか残念、源太男が廃(すた)る、意地が立たぬ、上人の蔑視(さげすみ)も恐ろしい、十兵衞が何も彼も捨て辞退するものを斜(はす)に取って逆意地たてれば大間違い、とは思っても余り汝の解らな過ぎるが腹立しく、四方八方何所から何所まで考えて、此所を推せば其所に襞 (ひずみ)が出る、彼点(あすこ)を立てれば此点(ここ)に無理があると、まあ我の智慧分別ありたけ尽して我の為ばかり籌(はか)るではなく云うたことを、無下(むげ)に云い消されたが忌々しくて忌々しくて随分堪忍(がまん)もしかねたが、さていよ/\了見を定めて上人様の御眼にかゝり所存を申し上げて見れば、好い/\と仰せられた唯の一言に雲霧(もやもや)は既(もう)なくなって、清(すず)しい風が大空を吹いて居るような心持になったは、昨日はまた上人様から熊々の御招きで、行って見たれば我を御賞美の御言葉数々のその上、いよ/\十兵衞に普請一切申しつけたが蔭になって助けてやれ、皆な汝(そなた)の善根福種になるのぢゃ、十兵衞が手には職人もあるまい、彼がいよ/\取掛る日には何人(いくら)も傭うその中に汝が手下の者も交ろう、必ず猜忌(そねみ)邪曲(ひがみ)など起さぬように其等には汝から能く云い含めて遣るがよいとの細い御諭し。何から何まで見透しで御慈悲深い上人様のありがたさにつくづく我折って帰って来たが、十兵衞、過日(こないだ)の云い過ごしは堪忍してくれ、こうした我の心意気が解ってくれたら従来(いままで)通り浄く睦じく交際(つきあっ)て貰おう。
一切がこう定って見れば何と思った彼と思ったは皆な夢の中の物詮議、後に遺して面倒こそあれ益(やく)いこと、この不忍の池水にさらりと流して我も忘れよう、十兵衞汝も忘れてくれ、木材(きしな)の引合い、鳶人足(とび)への渡りなんど、まだ顔を売込んで居ぬ汝には一寸仕憎かろうが、それ等には我の顔も貸そうし手も貸そう、丸丁、山六、遠州屋、好い問屋は皆な馴染でのうては先方(さき)が此方を呑んでならねば、万事歯痒い事のないよう我を自由に出しに使え、め組の頭の鋭次というは短気なは汝も知って居るであろうが、骨は黒鉄(くろがね)、性根玉は憚りながら火の玉だと平常(ふだん)云うだけ、扨じっくり頼めばぐっと引受け一寸退かぬ頼母しい男。塔は何より地行が大事、空風火水の四ツを受ける地盤の固めを彼にさせれば、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎(いしずえ)確と据さすると諸肌ぬいでしてくれるゝは必定。彼(あれ)にも頓(やが)て紹介(ひきあわ)せう、既にこうなった暁には源太が望みは唯一ツ、天晴十兵衞汝が能く仕出来しさえすりやそれで好いのぢゃ、唯々塔さえ能く成(でき)ればそれに越した嬉しいことはない。
苟且(かりそめ)にも百年千年末世に残って云わゞ我等(おれたち)の弟子筋の奴等が眼にも入るものに、へまがあっては悲しかろうではないか、情ないではなかろうか。源太十兵衞時代には此様な下らぬ建物に泣たり笑ったりしたそうなと云われる日には、なあ十兵衞、二人が舎利(しゃり)も魂魄(たましい)も粉灰にされて消し飛ばさるゝは、拙(へた)な細工で世に出ぬは恥も却って少ないが、遺したものを弟子め等に笑わる日には馬鹿親父が息子に異見さるゝと同じく、親に異見を食う子より何段増して恥かしかろ。生磔刑(いきばりつけ)より死んだ後塩漬の上磔刑(はりつけ)になるような目にあってはならぬ。初めは我も是程に深くも思い寄らなんだが、汝が我の対面(むこう)にたったその意気張から、十兵衞に塔建てさせ見よ源太に劣りはすまいというか、源太が建てゝ見せくれう何十兵衞に劣らうぞと、腹の底には木を鑽(き)って出した火で観る先の先、我意は何(なんに)もなくなった唯だ好く成てくれさえすれば汝も名誉(ほまれ)我も悦び、今日は是だけ云いたいばかり。嗚呼十兵衞その大きな眼を湿ませて聴てくれたか嬉しいやい、と磨いて礪(と)いで礪ぎ出した純粋(きっすい)江戸ッ子粘り気なし、一(ぴん)でなければ六と出る、忿怒(いかり)の裏の温和(やさし)さも飽まで強き源太が言葉に、身動(じろ)ぎさえせで聞き居し十兵衞、何も云わず畳に食いつき、親方、堪忍して下され口がきけませぬ、十兵衞には口がきけませぬ、こ、こ、この通り、あゝ有り難うござりまする、と愚魯(おろか)しくもまた真実(まこと)に唯平伏(ひれふ)して泣き居たり。 |
|
其二十二 |
|
言葉はなくても真情(まこと)は見ゆる十兵衞が挙動(そぶり)に源太は悦び、春風湖(みづ)を渡って霞日に蒸すともいうべき温和の景色を面にあらわし、尚もやさしき語気円暢(なだらか)に、こう打解けて仕舞うた上は互に不妙(まづい)こともなく、上人様の思召にも叶い我等(おれたち)の一分も皆立つというもの。嗚呼何にせよ好い心持、十兵衞汝(きさま)も過してくれ、我も充分今日こそ酔おう、と云いつゝ立って違棚に載せて置たる風呂敷包とりおろし、結び目といて二束(あたつかね)にせし書類(かきもの)いだし、十兵衞が前に置き、我にあっては要なき此品(これ)の、一ツは面倒な材木(きしな)の委細(こまか)い当りを調べたのやら、人足軽子その他種々(さまざま)の入目を幾晩かかゝって漸く調べあげた積り書、又一ツは彼所(あすみこ)を何して此所(ここ)をこうしてと工夫に工夫した下絵図。腰屋根の地割だけなもあり、平地割だけなのもあり、初重の仕形だけのもあり、二手先または三手先、出組(だしぐみ)ばかりなるもあり、雲形波形唐草生類彫物(しょうるいほりもの)のみを書きしもあり、何より彼より面倒なる真柱から内法(うちのり)長押(なげし)腰長押切目長押に半長押、椽板椽かつら亀腹柱高欄垂木桝(ます)肘木(ひぢき)、貫(ぬき)やら角木(すみぎ)の割合算法、墨縄(すみ)の引きよう規尺(かね)の取り様余さず洩さず記せしもあり。中には我の為しならで家に秘めたる先祖の遺品(かたみ)、外えは出せぬ絵図もあり。京都(きょう)やら奈良の堂塔を写しとりたるものもあり。これ等は悉皆(みんな)汝に預くる、見たらば何かの足しにもなろ、と自己(おの)が精神(こころ)を籠めたるものを惜気もなしに譲りあたうる。胸の広さの頼母しきを解せぬというにはあらざれど、のっそりもまた一ト気性、他の巾着で我が口濡らすような事は好まず、親方まことに有り難うはござりまするが、御親切は頂戴(いただ)いたも同然、これは其方に御納めを、と心は左程になけれども言葉に膠(にべ)のなさ過ぎる返辞をすれば、源太大きに悦ばず。
此品(これ)をば汝は要らぬと云うのか、と慍(いかり)を底に匿して問うに、のっそりそうとは気もつかねば、別段拝借いたしても、と一句迂濶(うっか)り答うる途端、鋭き気性の源太は堪らず、親切の上親切を尽して我が智慧思案を凝らせし絵図まで与らむというものを、無下に返すか慮外なり。何程自己(おのれ)が手腕の好とて他の好情(なさけ)を無にするか。そも/\最初に汝(おのれ)めが我が対岸へ廻わりし時にも腹は立ちしが、じっと堪えて争わず。普通大体(なみたいてい)のものならば我が庇蔭(かげ)被(き)たる身をもって一つ仕事に手を入るゝか、打擲いても飽かぬ奴と、怒って怒って何にも為べきを、可愛きものにおもえばこそ一言半句の厭味も云わず、唯々自然の成行に任せ置きしを忘れしか。上人様の御諭しを受けての後も分別に分別渇らしてわざ/\出掛け、汝のために相談をかけてやりしも勝手の意地張り、大体(たいてい)ならぬものとても堪忍(がまん)なるべきところならぬを、よく/\汝を最惜(いとし)がればぞ踏み耐えたるとも知らざるか。汝が運の好きのみにて汝が手腕の好きのみにて汝が心の正直のみにて、上人様より今度の工事(しごと)命けられしと思い居るか。
この品をば与ってこの源太が恩がましくでも思うと思うか、乃至は既(もはや)慢気の萌して頭(てん)から何の詰らぬ者と人の絵図をも易く思うか。取らぬとあるに強はせじ。余りといえば人情なき奴、あゝ有り難うござりますると喜び受けて此中の仕様を一所(ひととこ)二所(ふたとこ)は用いし上に、彼箇所は御蔭で美(うま)う行きましたと後で挨拶するほどの事はあっても当然なるに、開けて見もせず覗きもせず、知れ切ったると云わぬばかりに愛想も菅(すげ)もなく要らぬとは。汝十兵衞よくも撥ねたの、この源太がした図の中に汝の知った者のみあろうや。汝等(うぬら)が工風の輪の外に源太が跳り出ずにあろうか、見るに足らぬと其方で思わば汝が手筋も知れてある、大方高の知れた塔建たぬ前から眼に暎(うつ)って気の毒ながら批難(なん)もある、既堪忍の緒も断れたり。卑劣(きたな)い返報(かえし)はすまいなれど源太が烈しい意趣返報は、為る時為さで置くべきか。酸くなるほどに今までは口もきいたが既きかぬ、一旦思い捨つる上は口きくほどの未練も有たぬ。三年なりとも十年なりとも返報(しかえし)するに充分な事のあるまで、物蔭から眼を光らして睨みつめ無言でじっと待ってゝくれうと、気性が違えば思わくも一二度終に三度めで無残至極に齟齬(くいちが)い、いと物静に言葉を低めて、十兵衞殿、と殿の字を急につけ出し叮嚀に、要らぬという図は仕舞いましよ、汝一人で建つる塔定めて立派にできようが、地震か風の有ろう時壊るゝことは有るまいな、と軽くは云えど深く嘲ける語(ことば)に十兵衞も快よからず、のっそりでも恥辱(はぢ)は知って居ります、と底力味ある楔(くさび)を打てば、中々見事な一言ぢゃ、忘れぬように記臆(おぼ)えて居ようと、釘をさしつゝ恐ろしく睥みて後は物云わず。頓て忽ち立ち上って、嗚呼飛んでもない事を忘れた、十兵衞殿寛(ゆる)りと遊んで居てくれ、我は帰らねばならぬこと思い出した、と風の如くにその座を去り、あれという間に推量勘定、幾金(いくら)か遺して風(ふい)と出つ。
直その足で同じ町の某(ある)家が閾(しきい)またぐや否、厭だ/\、厭だ/\、詰らぬ下らぬ馬鹿/\しい、愚図/\せずと酒もて来い、蝋燭いぢって其が食えるか、鈍痴(どぢ)め肴で酒が飲めるか。小兼春吉お房蝶子四の五の云わせず掴んで来い。臑(すね)の達者な若い衆頼も、我家(うち)へ行て清、仙、鐵、政、誰でも彼でも直に遊びに遣(よ)こすよう、という片手間にぐい/\仰飲(あふ)る間もなく入り来る女共に、今晩なぞとは手ぬるいぞ、と驀向(まっこう)から焦躁(じれ)を吹っ掛けて、飲め、酒は車懸り、猪口(ちょく)は巴と廻せ廻せ。お房外見(みえ)をするな、春婆大人ぶるな、ゑゝお蝶め其でも血が循環(めぐ)って居るのか、頭上(あたま)に鼬(いたち)花火載せて火をつくるぞ。さあ歌え、ぢやん/\と遣れ。小兼め気持の好い声を出す、あぐり踊るか、かぐりもっと跳ねろ、やあ清吉来たか鐵も来たか、何でも好い滅茶/\に騒げ、我に嬉しい事が有るのだ、無礼講に遣れ/\、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政も煙(けぶ)に巻かれて浮かれたち、天井抜けうが根太抜けうが抜けたら此方の御手のものと、飛ぶやら舞うやら唸るやら。潮来(いたこ)出島(でじま)もしほらしからず、甚句に鬨(とき)の声を湧かし、かっぽれに滑って転倒(ころ)、手品(てづま)の太鼓を杯洗で鐵がたゝけば、清吉はお房が傍に寐転んで銀釵(かんざし)にお前其様(そのよ)に酢ばかり飲んでを稽古する馬鹿騒ぎの中で、一了簡あり顔の政が木遣を丸めたような声しながら、北に峨々たる青山をと異(おつ)なことを吐き出す勝手三昧、やっちやもっちやの末は拳も下卑て、乳房(ちち)の脹れた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば、さあもう此処は切り上げてと源太が一言、それから先は何所へやら。 |
|
其二十三 |
|
蒼 (たか)の飛ぶ時他所視(よそみ)はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿(うが)ち風にも逆(むか)って目ざす獲物の、咽喉仏把攫(ひっつか)までは合点せざるものなり。十兵衞いよ/\五重塔の工事(しごと)するに定まってより寐ても起きても其事(それ)三昧(ざんまい)。朝の飯喫うにも心の中では塔を噬(か)み、夜の夢結ぶにも魂魄(たましい)は九輪の頂を繞るほどなれば、況して仕事にかゝっては妻あることも忘れ果て児のあることも忘れ果て、昨日の我を念頭に浮べもせず明日の我を想いもなさず、唯一ト釿(てうな)ふりあげて木を伐るときは満身の力をそれに籠め、一枚の図をひく時には一心の誠をそれに注ぎ、五尺の身体こそ犬鳴き鶏歌ひ權兵衞が家に吉慶(よろこび)あれば木工右衞門(もくえもん)が所に悲哀(かなしみ)ある俗世に在りもすれ、精神(こころ)は紛たる因縁に奪(と)られで必死とばかり勤め励めば、前(さき)の夜源太に面白からず思われしことの気にかゝらぬにはあらざれど、日頃ののっそり益々長じて、既何処にか風吹きたりし位に自然軽う取り做し、頓ては頓と打ち忘れ、唯々仕事にのみ掛りしは愚かなるだけ情に鈍くて、一条道より外へは駈けぬ老牛(おいうし)の痴に似たりけり。
金箔銀箔瑠璃真珠水精(すいしょう)以上合せて五宝、丁子(ちょうじ)沈香(ぢんこう)白膠(はくきょう)薫陸白檀(びゃくだん)以上合せて五香、その他五薬五穀まで備えて大土祖(おおつちみおや)の神埴山彦神(かみはにやまひこのかみ)埴山媛神(はにやまひめのかみ)あらゆる鎮護の神々を祭る地鎮の式もすみ、地曳土取故障なく、さて竜伏(いしずえ)は其月の生気の方より右旋(みぎめぐ)りに次第据ゑ行き五星を祭り、釿(てうな)初めの大礼には鍛冶の道をば創められし天(あま)の目(ま)一箇(ひとつ)の命(みこと)、番匠の道闢(ひら)かれし手置帆負(ておきほおひ)の命、彦狭知(ひこさち)の命より思兼(おもいかね)の命、天児屋根(あまつこやね)の命、太玉の命、木の神という句々廼馳(くくのち)の神まで七神祭りて、その次の清鉋の礼も首尾よく済み、東方(とうぼう)提頭頼 持國天王(たいとらだぢごくてんのう)、西方(さいほう)尾 叉廣目天王(びろしやくわうもくてんのう)、南方(なにぽう)毘留勒叉増長天(びるろしやぞうちやうてん)、北方(ほっぽう)毘沙門多聞天王(びしゃもんたもんてんのう)、四天にかたどる四方の柱千年万年動(ゆる)ぐなと祈り定むる柱立式(はしらだて)、天星色星多願(てんせいしきせいたぐわん)の玉女三神、貪狼巨門(たんろうきょもん)等北斗の七星を祭りて願う永久安護、順に柱の仮轄(かりくさび)を三ツづゝ打って脇司(わきつかさ)に打ち緊めさする十兵衞は、幾干(いくそ)の苦心も此所まで運べば垢穢(きたなき)顔にも光の出るほど喜悦(よろこび)に気の勇み立ち、動きなき下津盤根(しもついわね)の太柱と式にて唱うる古歌さえも、何とはなしにつくづく嬉しく、身を立つる世のためしぞと、その下(しも)の句を吟ずるにも莞爾(にこにこ)しつゝ二度(ふたたび)し、壇に向うて礼拝恭(つつし)み、拍手の音清く響かし一切成就の祓を終る此所の光景(さま)には引きかえて、源太が家の物淋しさ。
主人は男の心強く思いを外には現さねど、お吉は何程さばけたりとて流石女の胸小さく、出入るものに感応寺の塔の地曳の今日済みたり柱立式(はしらだて)昨日済みしと聞く度ごとに忌々敷く、嫉妬の火炎(ほむら)衝き上がりて、汝十兵衞恩知らずめ、良人(うち)の心の広いのをよい事にして付け上り、うま/\名を揚げ身を立るか、よし名の揚り身の立たば差詰礼にも来べき筈を、知らぬ顔して鼻高々と其日/\を送りくさるか。余りに性質(ひと)の好過ぎたる良人(うち)も良人なら面憎きのっそりめもまたのっそりめと、折にふれては八重縦横に癇癪の虫跳ね廻らし、自己(おの)が小鬢の後毛上げても、ゑゝ焦(じれ)ったいと罪のなき髪を掻きむしり、一文貰いに乞食が来ても甲張り声に酷く謝絶りなどしけるが、或る日源太が不在(るす)のところへ心易き医者道益という饒舌坊主遊びに来りて、四方八方(よもやま)の話の末、或る人に連れられて過般(このあいだ)蓬莱屋へまゐりましたが、お傳という女からきゝました一分始終、いやどうも此方の棟梁は違ったもの、えらいもの、男児は左様あり度と感服いたしました、と御世辞半分何の気なしに云い出でし詞を、手繰ってその夜の仔細をきけば、知らずに居てさえ口惜しきに知っては重々憎き十兵衞、お吉いよ/\腹を立ちぬ。 |
|
其二十四 |
|
清吉汝(そなた)は腑甲斐ない、意地も察しもない男、何故私には打明けて過般(こないだ)の夜の始末をば今まで話してくれなかった。私に聞かして気の毒と異(おつ)に遠慮をしたものか。余りといえば狭隘(けち)な根性、よしや仔細を聴いたとてまさか私が狼狽(うろたえ)まわり動転するようなことはせぬに、女と軽しめて何事も知らせずに置き隠し立しておく良人(うちのひと)の了簡は兎も角も、汝等(そなたたち)まで私を聾に盲目にして済して居るとは余りな仕打ち、また親方の腹の中がみす/\知れて居ながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買の供するばかりが男の能でもあるまいに、長閑気(のんき)でこうして遊びに来るとは、清吉汝(おまえ)もおめでたいの。
平生(いつも)は不在(るす)でも飲ませるところだが今日は私は関えない、海苔一枚焼いて遣るも厭なら下らぬ世間咄しの相手するも虫が嫌う、飲みたくば勝手に台所へ行って呑口ひねりや、談話が仕たくば猫でも相手に為るがよい、と何も知らぬ清吉、道益が帰りし跡へ偶然(ふと)行き合わせて散々にお吉が不機嫌を浴せかけられ、訳も了らず驚きあきれて、へどもどなしつゝ段々と様子を問へば、自己(おのれ)も知らずに今の今まで居し事なれど、聞けば成る程何あっても堪忍(がまん)の成らぬのっそりの憎さ、生命と頼む我が親方に重々恩を被た身をもって無遠慮過ぎた十兵衞めが処置振り、飽まで親切真実の親方の顔蹈みつけたる憎さも憎し何してくれよう。
ムヽ親方と十兵衞とは相撲にならぬ身分の差(ちが)い、のっそり相手に争っては夜光の璧(たま)を小礫(いしころ)に擲付(ぶつ)けるようなものなれば、腹は十分立たれても分別強く堪えて堪えて、誰にも彼にも鬱憤を洩さず知らさず居らるゝなるべし。ゑゝ親方は情ない、他の奴は兎も角清吉だけには知らしてもよさそうなものを、親方と十兵衞では此方が損、我とのっそりなら損はない。よし、十兵衞め、たゞ置こうやと逸(はや)りきったる鼻先思案。姉御、知らぬ中は是非がない、堪忍して下され、様子知っては憚りながら既叱られては居りますまい、この清吉が女郎買の供するばかりを能の野郎か野郎でないか見て居て下され、左様ならば、と後声(しりごえ)烈しく云い捨て格子戸がらり明つ放し、草履も穿かず後も見ず風より疾く駆け去れば、お吉今さら気遣はしくつゞいて追掛け呼びとむる二タ声三声、四声めには既(はや)影さえも見えずなったり。 |
|
其二十五 |
|
材(き)を釿(はつ)る斧(よき)の音、板削る鉋の音、孔を鑿(ほ)るやら釘打つやら丁々かち/\響忙しく、木片(こっぱ)は飛んで疾風に木の葉の飜へるが如く、鋸屑(おがくづ)舞って晴天に雪の降る感応寺境内普請場の景況(ありさま)賑やかに、紺の腹掛頸筋に喰ひ込むやうなを懸けて小胯の切り上がった股引いなせに、つっかけ草履の勇み姿、さも怜悧気に働くもあり、汚れ手拭肩にして日当りの好き場所に蹲踞み、悠々然と鑿を (と)ぐ衣服(なり)の垢穢(きたな)き爺もあり、道具捜しにまごつく小童(わっぱ)、頻りに木を挽割(ひく)日傭取り、人さまざまの骨折り気遣ひ、汗かき息張るその中に、総棟梁ののっそり十兵衞、皆の仕事を監督(みまわ)りかたがた、墨壺墨さし矩尺(かね)もって胸三寸にある切組を実物にする指図命令(いいつけ)。こう截(き)れ彼様(あぁ)穿(ほ)れ、此処をどうしてどうやって其処に是だけ勾配有たせよ、孕みが何寸凹みが何分と口でも知らせ墨縄(なわ)でも云わせ、面倒なるは板片に矩尺の仕様を書いても示し、鵜の目鷹の目油断なく必死となりて自ら励み、今しも一人の若佼(わかもの)に彫物の画を描き与らんと余念もなしに居しところえ、野猪(いのしし)よりも尚疾く塵土(ほこり)を蹴立てゝ飛び来し清吉。
忿怒の面火玉の如くし逆釣ったる目を一段視開き、畜生、のっそり、くたばれ、と大喝すれば十兵衞驚き、振り向く途端に驀向(まっこう)より岩も裂けよと打下すは、ぎら/\するまで ぎ澄ませし釿(ちょうな)を縦に其柄にすげたる大工に取っての刀なれば、何かは堪らむ避くる間足らず左の耳を殺ぎ落され肩先少し切り割かれしが、仕損じたりと又蹈込(ふんご)んで打つを逃げつゝ、抛げつくる釘箱才槌墨壺矩尺(かねざし)、利器(えもの)のなさに防ぐ術なく、身を翻えして退く機(はずみ)に足を突込む道具箱、ぐざと踏み貫く五寸釘。思わず転ぶを得たりやと笠にかゝって清吉が振り冠ったる釿の刃先に夕日の光の閃(きら)りと宿って空に知られぬ電光(いなづま)の、疾しや遅しや其時此時、背面(うしろ)の方に乳虎(にゅうこ)一声。馬鹿め、と叫ぶ男あって二間丸太に論もなく両臑(もろずね)脆く薙(な)ぎ倒せば、倒れて益々怒る清吉、忽ち勃然(むっく)と起きんとする襟元把(と)って、やい我(おれ)だは、血迷うなこの馬鹿め、と何の苦もなく釿もぎ取り捨てながら上からぬっと出す顔は、八方睨みの大眼(おおまなこ)、一文字口怒り鼻、渦巻縮れの両鬢は不動を欺くばかりの相形。
やあ火の玉の親分か、訳がある、打捨っておいてくれ、と力を限り払い除けんと (もが)き焦燥(あせ)るを、栄螺(さざえ)の如き拳固で鎮圧(しづ)め、ゑゝ、じたばたすれば拳殺(はりころ)すぞ、馬鹿め。親分、情ない、此所を此所を放してくれ。馬鹿め。ゑゝ分らねえ、親分、彼奴を活してはおかれねえのだ。馬鹿野郎め、べそをかくのか、従順(おとな)くしなければ尚(まだ)打つぞ。親分酷い。馬鹿め、やかましいは、拳殺すぞ。あんまり分らねへ、親分。馬鹿め、それ打つぞ。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親。馬鹿め。放(はな)。馬鹿め。お。馬鹿め馬鹿め/\/\。
醜態(ざま)を見ろ、従順くなったらう。野郎我の家へ来い、やい何様した、野郎、やあ此奴は死んだな、詰らなく弱い奴だな。やあい、誰奴(どいつ)か来い、肝心の時は逃げ出して今頃十兵衞が周囲に蟻のように群(たか)って何の役に立つ。馬鹿ども、此方には亡者(しにん)が出来かゝって居るのだ。鈍遅(どぢ)め、水でも汲んで来て打注(ぶっか)けて遣れい。落ちた耳を拾って居る奴があるものか、白痴め、汲んで来たか、関ふことはない、一時に手桶の水不残(みんな)面へ打付(ぶっつけ)ろ。此様野郎は脆く生るものだ、それ占めた、清吉ッ、確乎(しっかり)しろ、意地のねえ。どれ/\此奴は我が背負って行って遣らう。十兵衞が肩の疵は浅かろうな、むゝ、よし/\、馬鹿ども左様なら。 |
|
其二十六 |
|
源太居るかと這入り来る鋭次を、お吉立ち上って、おゝ親分さま、まあ/\此方へと誘へば、ずっと通って火鉢の前に無遠慮の大胡坐かき、汲んで出さるゝ桜湯を半分ばかり飲み干してお吉の顔を視、面色(いろ)が悪いがどうかしたか、源太は何所ぞへ行ったのか。定めし既(もう)聴たであらうが清吉めが詰らぬ事をし出来しての、それ故一寸話があって来たが、むゝ左様か、既十兵衞がところへ行ったと、ハヽヽ、敏捷(すばや)い/\、流石に源太だは、我の思案より先に身体が疾(とっく)に動いて居るなぞは頼母しい。なあにお吉心配する事はない、十兵衞と御上人様に源太が謝罪(わび)をしてな、自分の示しが足らなかったで手下(て)の奴が飛だ心得違いをしました、幾重にも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げれば済んで仕舞う事だわ、案じ過しはいらぬもの。それでも先方(さき)が愚図/\いえば正面(まとも)に源太が喧嘩を買って破裂(ばれ)の始末をつければ可いさ。薄々聴いた噂では十兵衞も耳朶の一ツや半分斫(き)り奪られても恨まれぬ筈。随分清吉の軽躁行為(おっちょこちょい)も一寸をかしな可い洒落か知れぬ、ハヽヽ。しかし憫然(かわいそ)に我の拳固を大分食って吽々(うんうん)苦しがって居るばかりか、十兵衞を殺した後は何様始末が着くと我に云われて漸く悟ったかして、噫悪かった、逸り過ぎた間違った事をした、親方に頭を下げさするような事をしたか。噫(あぁ)済まないと、自分の身体(みうち)の痛いのより後悔にぼろ/\涙を飜(こぼ)して居る愍然(ふびん)さは、何と可愛い奴ではないか。
喃(のう)お吉、源太は酷く清吉を叱って叱って十兵衞が所へ謝罪(あやまり)に行けとまで云うか知らぬが、それは表向の義理なりや是非はないが、此所は汝(おまえ)の儲け役。彼奴を何か、なあそれ、よしか、そこは源太を抱寝するほどのお吉様に了(わか)らぬことはない寸法か、アハヽヽヽ、源太が居ないで話も要らぬ、どれ帰ろうかい御馳走は預けてをこう。用があったら何日でもお出、とぼつ/\語って帰りし後、思えば済まぬことばかり。
女の浅き心から分別もなく清吉に毒づきしが、逸りきったる若き男の間違仕出して可憫(あわれ)や清吉は自己(おのれ)の世を狭め、わが身は大切(だいじ)の所天(をつと)をまで憎うてならぬのっそりに謝罪らするようなり行きしは、時の拍子の出来事ながら畢竟(つまり)は我が口より出し過失(あやまち)、兎せん角せん何とすべきと、火鉢の縁に凭(もた)する肘のついがっくりと滑るまで、我を忘れて思案に思案凝らせしが、思い定めて、応そうぢゃと、立って箪笥の大抽匣(ひきだし)、明けて麝香(じゃこう)の気(か)と共に投げ出し取り出すたしなみの、帯はそも/\此家(ここ)へ来し嬉し恥かし恐ろしのその時締めし、ゑゝそれよ。懇話(ねだ)って買って貰うたる博多に繻子に未練もなし、三枚重ねに忍ばるゝ往時(むかし)は罪のない夢なり。今は苦労の山繭縞(やままゆじま)、ひらりと飛ばす飛八丈、この頃好みし毛万筋(けまんすじ)、千筋百筋気は乱るとも夫おもうは唯一筋、唯一筋の唐七糸帯(からしゆっちん)は、お屋敷奉公せし叔母が紀念(かたみ)と大切に秘蔵(ひめ)たれど何か厭わん手放すを、と何やら彼やら有たけ出して婢(をんな)に包ませ、夫の帰らぬその中と櫛笄(こうがい)も手ばしこく小箱に纏めて、さて其品(それ)を無残や余所の蔵に籠らせ、幾干かの金懐中に浅黄の頭巾小提灯、闇夜も恐れず鋭次が家に。 |
|
其二十七 |
|
池の端の行き違いより飜然(からり)と変りし源太が腹の底、初めは可愛う思いしも今は小癪に障ってならぬその十兵衞に、頭を下げ両手をついて謝罪らねばならぬ忌々しさ。さりとて打捨おかば清吉の乱暴も我が命令(いいつ)けて為せしかのよう疑がわれて、何も知らぬ身に心地快からぬ濡衣被せられん事の口惜しく、唯さえおもしろからぬこの頃余計な魔がさして下らぬ心労(づか)いを、馬鹿/\しき清吉めが挙動(ふるまい)のためにせねばならぬ苦々しさに益々心平穏(おだやか)ならねど、処弁(さば)く道の処弁かで済むべき訳もなければ、是も皆自然に湧きし事、何とも是非なしと諦めて厭々ながら十兵衞が家音問(おとづ)れ、不慮の難をば訪い慰め、且は清吉を戒むること足らざりしを謝び、のっそり夫婦が様子を視るに十兵衞は例の無言三昧、お浪は女の物やさしく、幸い傷も肩のは浅く大した事ではござりませねば何卒(どうぞ)お案じ下されますな、態々御見舞下されては実(まこと)に恐れ入りまする、と如才なく口はきけど言葉遣いのあらたまりて、自然(おのづ)と何処かに稜角(かど)あるは問わずと知れし胸の中。もしや源太が清吉に内々含めて為せしかと疑ひ居るに極ったり。
ゑゝ業腹な、十兵衞も大方我をそう視て居るべし、疾(とく)時機(とき)の来よこの源太が返報(しかえし)仕様を見せてくれん。清吉ごとき卑劣(けち)な野郎のした事に何似るべきか。釿(てうな)で片耳殺ぎ取る如き下らぬ事を我が為うや。我が腹立は木片の火のぱっと燃え立ち直消ゆる、堪えも意地もなきようなる事では済まさじ承知せじ。今日の変事は今日の変事、我が癇癪は我が癇癪、全で別なり関係(かかりあい)なし。源太が為ようは知るとき知れ悟らする時悟らせくれんと、裏(うち)にいよ/\不平は懐けど露塵ほども外には出さず、義理の挨拶見事に済まして直にその足を感応寺に向け、上人の御目通り願い、一応自己が隷属(みうち)の者の不埓を御謝罪(おわび)し、我家に帰りて、卒(いざ)これよりは鋭次に会い、その時清を押えくれたる礼をも演べつその時の景状(ようす)をも聞きつ、又一ツには散々清を罵り叱って以後(こののち)我家に出入り無用と云いつけくれんと立出掛け、お吉の居ぬを不審して何所へと問えば、何方へか一寸(ちょと)行て来るとてお出になりました、と何食わぬ顔で婢(をんな)の答え。口禁(くちどめ)されてなりとは知らねば、応そうか、よし/\、我は火の玉の兄(あにき)がところへ遊びに行たとお吉帰らば云うておけ、と草履つっかけ出合いがしら、胡麻竹の杖とぼ/\と焼痕(やけこげ)のある提灯片手、老の歩みの見る目笑止にへの字なりして此方へ来る婆。おゝ清の母親(おふくろ)ではないか。あ、親方様でしたか。 |
|
其二十八 |
|
あゝ好いところで御眼にかゝりましたが何所(ぢちら)へか御出掛けでござりまするか、と忙し気に老婆(ばば)が問うに源太軽く会釈して、まあ能いは、遠慮せずと此方へ這入りやれ。態々夜道を拾うて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげよう、と立戻れば、ハイ/\、有り難うござります、御出掛のところを済みません、御免下さいまし、ハイ/\、と云いながら後に随いて格子戸くゞり、寒かったろうに能う出て来たの、生憎お吉も居ないで関うこともできぬが、縮(ちぢこ)まって居ずとずっと前へ進(で)て火にでもあたるがよい、と親切に云うてくるゝ源太が言葉に愈々身を堅くして縮まり、お構い下さいましては恐れ入りまする、ハイ/\、懐炉を入れて居りますれば是で恰好でござりまする、と意久地なく落かゝる水涕を洲の立った半天の袖で拭きながら遥(はるか)下(さが)って入口近きところに蹲まり、何やら云い出したそうな素振り。
源太早くも大方察して老婆(としより)の心の中嘸かしと気の毒さ堪らず、余計な事仕出して我に肝煎らせし清吉のお先走りを罵り懲らして、当分出入ならぬ由云いに鋭次がところへ行かんとせし矢先であれど、視れば我が子を除いては阿彌陀様より他に親しい者もなかるべき孱弱(かよわ)き婆のあわれにて、我清吉を突き放さば身は腰弱弓の弦(つる)に断れられし心地して、在るに甲斐なき生命ながらえむに張りもなく的もなくなり。何程か悲み歎いて多くもあらぬ余生を愚痴の涙の時雨に暮らし、晴々とした気持のする日もなくて終ることならんと、思い遣れば思い遣るだけ憫然(ふびん)さの増し、煙草捻ってつい居るに、婆は少しくにぢり出で、夜分まゐりまして実に済みませんが、あの少しお願い申したい訳のござりまして、ハイ/\、既御存知でもござりませうが彼清吉めが飛んだ事をいたしましたそうで、ハイ/\、鐵五郎様から大概は聞きましたが、平常からして気の逸い奴で、直に打つの斫(き)るのと騒ぎましてその度にひや/\させまする。
お蔭さまで一人前にはなって居りましても未だ児童(がき)のやうな真一酷(まいっこく)、悪いことや曲ったことは決してしませぬが取り上せては分別のなくなる困った奴(やっこ)で、ハイ/\、悪気は夢さらない奴でござります、ハイ/\それは御存知で、ハイ有り難うござります、何様いう筋で喧嘩をいたしましたか知りませぬが大それた手斧(てうな)なんぞを振り舞わしましたそうで、そうきゝました時は私が手斧で斫られたような心持がいたしました。め組の親分とやらが幸い抱き留めて下されましたとか。まあ責めてもでござります、相手が死にでもしましたら彼奴(あれめ)は下手人、わたくしは彼を亡くして生きて居る瀬はござりませぬ。ハイ有り難うござります、彼めが幼少(ちいさい)ときは烈(ひど)い虫持(むしもち)で苦労をさせられましたも大抵ではござりませぬ。
漸く中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが、癒りましたら七歳(ななつ)までに御庭の土を踏ませませうと申しておきながら、遂(つい)何彼にかまけて御礼参りもいたさせなかったその御罰か、丈夫にはなりましたが彼通の無鉄砲、毎々お世話をかけまする、今日も今日とて鐵五郎様がこれ/\と掻摘んで話されました時の私の吃驚、刃物を準備(ようい)までしてと聞いた時には、ゑゝ又かと思わずどっきり胸も裂けそうになりました。め組の親分様とかが預かって下されたとあれば安心のようなものゝ、清めは怪我はいたしませぬかと聞けば鐵様の曖昧な返辞、別条はない案じるなと云わるゝだけに猶案ぜられ、其親分の家を尋ぬれば、そこへ汝(おまえ)が行ったが好いか行かぬが可いか我には分らぬ、兎も角も親方様のところへ伺って見ろと云いっ放しで帰って仕舞われ、猶々胸がしく/\痛んで居ても起ても居られませねば、留守を隣家(となり)の傘張りに頼んでようやく参りました。
何うかめ組の親分とやらの家を教えて下さいまし。ハイ/\直にまいりまするつもりで、何んな態して居りまするか、もしや却って大怪我など為て居るのではござりますまいか。よいものならば早う逢て安堵しとうござりまするし喧嘩の模様も聞きとうござりまする。大丈夫曲った事はよもやいたすまいと思うて居りまするが若い者の事、ひよっと筋の違った意趣でゞも為た訳なら、相手の十兵衞様に先此婆が一生懸命で謝罪り、婆は仮令如何されても惜くない老耄(おいぼれ)、生先の長い彼奴(あれめ)が人様に恨まれるようなことのないように為ねばなりませぬ、とおろ/\涙になっての話し。始終を知らで一ト筋に我子をおもう老の繰言、この返答には源太こまりぬ。 |
|
其二十九 |
|
八五郎其所に居るか。誰か来たようだ明けてやれ、と云われて、なんだ不思議な、女らしいぞと口の中で独語(つぶやき)ながら、誰だ女嫌いの親分の所へ今頃来るのは。さあ這入りな、とがらりと戸を引き退くれば、八(は)ッ様(さん)お世話、と軽い挨拶。提灯吹き滅(け)して頭巾を脱ぎにかゝるは、此盆にも此の正月にも心付してくれたお吉と気がついて八五郎めんくらい、素肌に一枚どてらの袵(まえ)広がって鼠色(ねずみ)になりし犢鼻褌(ふんどし)の見ゆるを急に押し隠しなどしつ。親分、なんの、あの、なんの姉御だ、と忙しく奥へ声をかくるに、なんの尽しで分る江戸ッ児。応左様か、お吉来たの、能く来た、まあ其辺(そこら)の塵埃(ごみ)のなさゝうなところへ坐ってくれ。油虫が這って行くから用心しな。野郎ばかりの家は不潔(きたない)のが粧飾(みえ)だから仕方がない。我(おれ)も汝(おまえ)のような好い嚊でも持ったら清潔(きれい)に為ようよ、アハヽヽと笑えばお吉も笑いながら、左様したらまた不潔/\と厳敷(きびしく)御叱(おいぢ)めなさるか知れぬ、と互いに二ツ三ツ冗話(むだばなし)し仕て後、お吉少しく改まり、清吉は眠(ね)て居りまするか、何様いう様子か見ても遣りたし、心にかゝれば参りました、と云えば鋭次も打頷き、清は今がたすや/\睡着(ねつ)いて起きそうにもない容態ぢやが、疵というて別にあるでもなし、頭の顱骨(さら)を打破つっ訳でもなければ、整骨医師(ほねつぎいしゃ)の先刻云うには、烈(ひど)く逆上したところを滅茶/\に撲たれたため一時は気絶までも為たれ、保証(うけあい)大したことはない由。
見たくば一寸覗いて見よ、と先に立って導く後につき行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に一切夢で眠り居る清吉を見るに、顔も頭も膨れ上りて、此様に撲ってなしたる鋭次の酷(むご)さが恨めしきまで可憫(あわれ)なる態(さま)なれど、済んだ事の是非もなく、座に戻って鋭次に対い、我夫(うち)では必ず清吉が余計な手出しに腹を立ち、御上人様やら十兵衞への義理をかねて酷く叱るか出入りを禁(と)むるか何とかするでござりませうが、元はといえば清吉が自分の意恨でしたではなし、畢竟(つまり)は此方の事のため、筋の違った腹立をついむら/\としたのみなれば、妾は何(どう)も我夫(うち)のするばかりを見て居る訳には行かず、殊更少し訳あって妾が何(どう)とか為てやらねば此胸の済まぬ仕誼(しぎ)もあり、それやこれやを種々(いろいろ)と案じた末に浮んだは一年か半年ほど清吉に此地(こち)退かすること、人の噂も遠のいて我夫の機嫌も治ったら取成し様は幾干も有り、まづそれまでは上方あたりに遊んで居るよう為てやりたく、路用の金も調(こしら)えて来ましたれば少しなれども御預け申しまする。何卒宜敷云い含めて清吉めに与って下さりませ。
我夫は彼通り表裏のない人、腹の底には如何思っても必ず辛く清吉に一旦あたるに違いなく、未練気なしに叱りませうが、その時何と清吉が仮令云うても取り上げぬは知れたこと、傍から妾が口を出しても義理は義理なりや仕様はなし。さりとて慾で做出来(しでか)した咎でもないに男一人の寄り付く島もないようにして知らぬ顔では如何しても妾が居られませぬ。彼(あれ)が一人の母のことは彼さえ居ねば我夫にも話して扶助(たすく)るに厭は云わせまじく、また厭というような分らぬことを云いも仕ますまいなれば掛念はなけれど、妾が今夜来たことやら蔭で清をば劬(いたわ)ることは、我夫へは当分秘密(ないしょ)にして。
解った、えらい、もう用はなかろう、お帰り/\。源太が大抵来るかも知れぬ、撞見(でっくわ)しては拙かろう、と愛想はなけれど真実はある言葉に、お吉嬉しく頼み置きて帰れば、その後へ引きちがえて来る源太。果して清吉に、出入りを禁(と)むる師弟の縁断るとの言い渡し。鋭次は笑って黙り、清吉は泣て詫びしが、その夜源太の帰りし跡、清吉鋭次にまた泣かせられて、狗(いぬ)になっても我や姉御夫婦の門辺は去らぬと唸りける。
四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の温泉(いでゆ)を志して江戸を出しが、夫よりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都(あづま)なるべし。 |
|
其三十 |
|
十兵衞傷を負うて帰ったる翌朝、平生(いつも)の如く夙(と)く起き出づればお浪驚いて急にとゞめ、まあ滅相な、緩(ゆる)りと臥むでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなったら何となさる。どうか臥(やす)むで居て下され、お湯ももう直沸きませうほどに含嗽(うがい)手水(てうづ)も其所で妾が為せてあげませう、と破土竃(やぶれべつつい)にかけたる羽虧(はか)け釜の下焚きつけながら気を揉んで云えど、一向平気の十兵衞笑って、病人あしらいにされるまでの事はない、手拭だけを絞って貰えば顔も一人で洗うたが好い気持ぢゃ、と箍(たが)の緩みし小盥(たらい)に自ら水を汲み取りて、別段悩める容態(ようす)もなく平日(ふだん)の如く振舞えば、お浪は呆れ且つ案ずるに、のっそり少しも頓着せず朝食(あさめし)終うて立上り、突然(いきなり)衣物を脱ぎ捨てゝ股引腹掛着(つけ)にかゝるを、飛んでもない事何処へ行かるゝ、何程仕事の大事ぢゃとて昨日の今日は疵口の合いもすまいし痛みも去るまじ。泰然(ぢっ)として居よ身体を使うな、仔細はなけれど治癒(なお)るまでは万般(よろづ)要慎(つつしみ)第一と云われた御医者様の言葉さえあるに、無理圧して感応寺に行かるゝ心か。強過ぎる、仮令行ったとて働きはなるまじ、行かいでも誰が咎めよう、行かで済まぬと思わるゝなら妾が一寸(ちよと)一ト走り、お上人様の御目にかゝって三日四日の養生を直々に願うて来ましょ、御慈悲深いお上人様の御承知なされぬ気遣いない、かならず大切(だいじ)にせい軽挙(かるはずみ)すなと仰やるは知れた事。
さあ此衣(これ)を着て家に引籠み、せめて疵口(くち)の悉皆(すっかり)密着(くっつ)くまで沈静(おちつい)て居て下され、と只管とゞめ宥め慰め、脱ぎしをとって復(また)被(き)すれば、余計な世話を焼かずとよし、腹掛着せい、これは要らぬ、と利く右の手にて撥ね退くる。まあ左様云わずと家に居て、とまた打被する、撥ね退くる、男は意気地女は情、言葉あらそい果しなければ流石にのっそり少し怒って、訳の分らぬ女の分で邪魔立てするか忌々しい奴、よし/\頼まぬ一人で着る、高の知れたる蚯蚓膨(みみずばれ)に一日なりとも仕事を休んで職人共の上(かみ)に立てるか。汝(うぬ)は少(ちっと)も知るまいがの、この十兵衞はおろかしくて馬鹿と常々云わるゝ身故に職人共が軽う見て、眼の前では我が指揮(さしづ)に従い働くようなれど、蔭では勝手に怠惰(なまけ)るやら譏(そし)るやら散々に茶にして居て、表面(うわべ)こそ粧(つくろ)へ誰一人真実仕事を好くせうという意気組持って仕てくるゝものはないわ。
ゑゝ情ない。如何かして虚飾(みえ)でなしに骨を折って貰いたい、仕事に膏(あぶら)を乗せて貰いたいと、諭せば頭は下げながら横向いて鼻で笑われ、叱れば口に謝罪られて顔色(かおつき)に怒られ、つくづく我折って下手に出れば直と増長さるゝ口惜さ悲しさ辛さ、毎日/\棟梁/\と大勢に立てられるは立派で可けれど腹の中では泣きたいような事ばかり。いっそ穴鑿りで引使われたほうが苦しうないと思う位。その中で何か斯か此日(ここ)まで運ばして来たに今日休んでは大事の躓(つまず)き、胸が痛いから早帰りします、頭痛がするで遅くなりましたと皆(みんな)に怠惰(なまけ)られるは必定。その時自分が休んで居れば何と一言云い様なく、仕事が雨垂拍子になって出来べきものも仕損う道理、万が一にも仕損じてはお上人様源太親方に十兵衞の顔が向られようか。
これ、生きても塔が成(でき)ねばな、この十兵衞は死んだ同然、死んでも業を仕遂げれば汝(うぬ)が夫(おやじ)は生て居るはい、二寸三寸の手斧傷に臥て居られるか居られぬか。破傷風が怖しいか仕事のできぬが怖しいか。よしや片腕奪られたとて一切成就の暁までは駕籠に乗っても行かでは居ぬ。ましてや是しきの蚯蚓膨(みみずばれ)に、と云いつゝお浪が手中より奪いとったる腹掛に、左の手を通さんとして顰(しか)むる顔、見るに女房の争えず、争いまけて傷をいたわり、遂に半天股引まで着せて出しける心の中、何とも口には云いがたかるべし。
十兵衞よもや来はせじと思い合うたる職人共、ちらりほらりと辰の刻頃より来て見て吃驚する途端、精出してくれるゝ嬉しいぞ、との一言を十兵衞から受けて皆冷汗をかきけるが、是より一同(みなみな)励み勤め昨日に変る身のこなし、一をきいては三まで働き、二と云われしには四まで動けば、のっそり片腕の用を欠いて却て多くの腕を得つ日々工事(しごと)捗取(はかど)り、肩疵治る頃には大抵塔も成(でき)あがりぬ。 |
|
其三十一 |
|
時は一月の末つ方、のっそり十兵衞が辛苦経営むなしからで、感応寺生雲塔いよ/\物の見事に出来上り、段々足場を取り除けば次第/\に露るゝ一階一階また一階、五重巍然(ぎぜん)と聳えしさま、金剛力士が魔軍を睥睨(にら)んで十六丈の姿を現じ坤軸(こんじく)動(ゆる)がす足ぶみして巌上(いわお)に突立ちたるごとく、天晴立派に建ったる哉。
あら快よき細工振りかな、希有ぢゃ未曾有ぢゃ再(また)あるまじと爲右衞門より門番までも、初手のっそりを軽しめたる事は忘れて讚歎すれば、圓道はじめ一山(いっさん)の僧徒も躍りあがって歓喜(よろこ)び、これでこそ感応寺の五重塔なれ、あら嬉しや、我らが頼む師は当世に肩を比すべき人もなく、八宗九宗の碩徳達(せきとくだち)虎豹鶴鷺(こひょうかくろ)と勝ぐれたまえる中にも絶類抜群にて、譬えば獅子王孔雀王、我らが頼むこの寺の塔も絶類抜群にて、奈良や京都はいざ知らず上野浅草芝山内、江戸にて此塔(これ)に勝るものなし、殊更塵土に埋もれて光も放たず終るべかりし男を拾いあげられて、心の宝珠(たま)の輝きを世に発出(いだ)されし師の美徳、困苦に撓(たゆ)まず知己に酬いて遂に仕遂げし十兵衞が頼もしさ、おもしろくまた美わしき奇因縁なり妙因縁なり、天の成せしか人の成せしか将又(はたまた)諸天善神の蔭にて操り玉いしか。
屋(をく)を造るに巧妙(たくみ)なりし達膩伽尊者(たにかそんじゃ)の噂はあれど世尊在世の御時にも如是(かく)快き事ありしを未だきかねば漢土(から)にもきかず、いで落成の式あらば我偈(げ)を作らん文を作らん、我歌をよみ詩を作(な)して頌せん讚せん詠ぜん記せんと、各々互に語り合いしは慾のみならぬ人間(ひと)の情の、やさしくもまた殊勝なるに引替えて、測り難きは天の心、圓道爲右衞門二人が計らいとしていと盛んなる落成式執行(しふぎよう)の日も略定まり。
その日は貴賤男女の見物をゆるし貧者に剰(あま)れる金を施し、十兵衞その他を犒(ねぎ)らい賞する一方には、また伎楽を奏して世に珍しき塔供養あるべき筈に支度とりどりなりし最中、夜半の鐘の音の曇って平日(つね)には似つかず耳にきたなく聞えしがそも/\、漸々(ぜんぜん)あやしき風吹き出して、眠れる児童も我知らず夜具踏み脱ぐほど時候生暖かくなるにつれ、雨戸のがたつく響き烈しくなりまさり、闇に揉まるゝ松柏の梢に天魔の号(さけ)びものすごくも、人の心の平和を奪へ平和を奪へ、浮世の栄華に誇れる奴らの胆を破れや、睡りを攪(みだ)せや、愚物の胸に血の濤(なみ)打たせよ、偽物の面の紅き色奪れ、斧持てる者斧を揮へ、矛もてるもの矛を揮へ、汝らが鋭(と)き剣は餓えたり汝ら剣に食をあたえよ。人の膏血(あぶら)はよき食なり、汝ら剣に飽まで喰わせよ、飽まで人の膏膩(あぶら)を餌(か)えと、号令きびしく発するや否、猛風一陣どっと起って、斧をもつ夜叉矛もてる夜叉餓えたる剣もてる夜叉、皆一斉に暴れ出しぬ。 |
|
其三十二 |
|
長夜の夢を覚まされて江戸四里四方の老若男女、悪風来りと驚き騒ぎ、雨戸の横柄子(よこざる)緊乎(しっか)と挿せ、辛張棒を強く張れと家々ごとに狼狽(うろた)ゆるを、可愍(あわれ)とも見ぬ飛天夜叉王、怒号の声音たけだけしく、汝ら人を憚るな、汝ら人間(ひと)に憚られよ、人間は我らを軽んじたり、久しく我らを賤みたり、我らに捧ぐべき筈の定めの牲(にえ)を忘れたり。這う代りとして立って行く狗、驕奢(おごり)の塒(ねぐら)巣作れる禽(とり)、尻尾(しりを)なき猿、物言ふ蛇、露誠実(まこと)なき狐の子、汚穢(けがれ)を知らざる豕の女(め)、彼らに長く侮られて遂に何時まで忍び得む、我らを長く侮らせて彼らを何時まで誇らすべき、忍ぶべきだけ忍びたり誇らすべきだけ誇らしたり、六十四年は既に過ぎたり、我らを縛せし機運の鉄鎖、我らを囚えし慈忍(にん)の岩窟(いわや)は我が神力にて 断(ちぎ)り棄てたり崩潰(くづれ)さしたり。
汝ら暴れよ今こそ暴れよ、何十年の恨の毒気を彼らに返せ一時に返せ、彼らが驕慢(ほこり)の気(け)の臭さを鉄囲山外(てついさんげ)に攫(つか)んで捨てよ、彼らの頭を地につかしめよ、無慈悲の斧の刃味の好さを彼らが胸に試みよ、惨酷の矛、瞋恚(しんい)の剣の刃糞と彼らをなしくれよ、彼らが喉(のんど)に氷を与えて苦寒に怖れ顫(わなな)かしめよ、彼らが胆に針を与えて秘密の痛みに堪ざらしめよ、彼らが眼前(めさき)に彼らが生したる多数(おおく)の奢侈の子孫を殺して、玩物の念を嗟歎の灰の河に埋めよ、彼らは蚕児(かいこ)の家を奪いぬ汝ら彼らの家を奪えや、彼らは蚕児の智慧を笑いぬ、汝ら彼らの智慧を讚せよ、すべて彼らの巧みとおもえる智慧を讚せよ、大とおもえる意(こころ)を讚せよ、美しと自らおもえる情を讚せよ、協(かな)えりとなす理を讚せよ、剛(つよ)しとなせる力を讚せよ、すべては我らの矛の餌なれば、剣の餌なれば斧の餌なれば、讚して後に利器(えもの)に餌(か)い、よき餌をつくりし彼らを笑え、嬲らるゝだけ彼らを嬲れ、急に屠るな嬲り殺せ、活しながらに一枚/\皮を剥ぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼らが心臓(しん)を鞠として蹴よ、枳棘(からたち)をもて脊(せ)を鞭(う)てよ、歎息の呼吸涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、其らをすべて人間(ひと)より取れ、残忍の外快楽なし、酷烈ならずば汝ら疾く死ね、暴(あ)れよ進めよ、無法に住して放逸無慚無理無体に暴(あ)れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦へ仏(ぶつ)をも擲け、道理を壊(やぶ)って壊りすてなば天下は我らがものなるぞと、叱 する度土石を飛ばして丑の刻より寅の刻、卯となり辰となるまでも毫(ちっと)も止まず励ましたつれば、数万(すまん)の眷属(けんぞく)勇みをなし、水を渡るは波を蹴かえし、陸(おか)を走るは沙を蹴かえし、天地を塵埃(ほこり)に黄ばまして日の光をもほとほと掩い、斧を揮って数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑(あざわら)いつゝほっきと斫るあり、矛を舞わして板屋根に忽ち穴を穿つもあり、ゆさ/\/\と怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。
手ぬるし手ぬるし酷さが足らぬ、我に続けと憤怒の牙噛み鳴らしつゝ夜叉王の躍り上って焦躁(いらだて)ば、虚空に充ち満ちたる眷属、をたけび鋭くをめき叫んで遮に無に暴威を揮ふほどに、神前寺内に立てる樹も富家の庭に養われし樹も、声振り絞って泣き悲み、見る/\大地の髪の毛は恐怖に一々竪立(じゆりつ)なし。柳は倒れ竹は割るゝ折しも、黒雲空に流れて樫の実よりも大きなる雨ばらり/\と降り出せば、得たりとます/\暴るゝ夜叉。垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも破(こわ)し屋根をもめくり軒端の瓦を踏み砕き、唯一ト揉に屑屋を飛ばし二タ揉み揉んでは二階を捻ぢ取り、三たび揉んでは某(なにがし)寺を物の見事に潰(ついや)し崩し、どう/\どっと鬨(とき)をあぐる其度毎に心を冷し胸を騒がす人々の、彼に気づかい此に案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さえもなくされて悲むものを見ては喜び、いよ/\図に乗り狼藉のあらん限りを逞しうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。
中にも分けて驚きしは圓道爲右衞門、折角僅に出来上りし五重塔は揉まれ揉まれて九輪は動ぎ、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突掛け来り、楯をも貫くべき雨の打付(ぶつか)り来る度撓む姿、木の軋る音、復(もど)る姿(さま)、又撓む姿、軋る音、今にも傾覆(くつがえ)らんず様子に、あれ/\危し仕様はなきか、傾覆られては大事なり。止むる術もなき事か、雨さえ加わり来りし上周囲に樹木もあらざれば、未曾有の風に基礎(どだい)狭て丈のみ高き此塔の堪(こら)えんことの覚束なし。本堂さえも此程に動けば塔は如何ばかりぞ、風を止むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨に見舞に来べき源太は見えぬか。まだ新しき出入なりとて重々来では叶わざる十兵衞見えぬか寛怠なり、他(ひと)さえ斯様(かほど)気づかうに己が為(せ)し塔気にかけぬか。あれ/\危し又撓むだは、誰か十兵衞招びに行け、といえども天に瓦飛び板飛び、地上に砂利の舞ふ中を行かんというものなく、漸く賞美の金に飽かして掃除人の七藏爺を出しやりぬ。 |
|
其三十三 |
|
耄碌(もうろく)頭巾に首をつゝみて其上に雨を凌がむ準備(ようい)の竹の皮笠引被り、鳶子(とんび)合羽に胴締して手ごろの杖持ち、恐怖(こわごわ)ながら烈風強雨の中を駈け抜けたる七藏爺(おやぢ)、ようやく十兵衞が家にいたれば、これはまた酷い事。屋根半分は既(もう)疾(とう)に風に奪られて見るさえ気の毒な親子三人の有様。隅の方にかたまり合うて天井より落ち来る点滴(しづく)の飛沫(しぶき)を古筵(ふるござ)で僅に避(よ)け居る始末に、扨ものっそりは気に働らきのない男と呆れ果つゝ、これ棟梁殿、この暴風雨(あらし)に左様して居られては済むまい。瓦が飛ぶ樹が折れる、戸外(おもて)は全然(まるで)戦争のような騒ぎの中に、汝の建てられた彼塔は如何あろうと思わるゝ。丈は高し周囲に物はなし基礎(どだい)は狭し、何(ど)の方角から吹く風をも正面(まとも)に受けて揺れるは揺れるは、旗竿ほどに撓むではきち/\と材(き)の軋(きし)る音の物凄さ、今にも倒れるか壊れるかと、圓道様も爲右衞門様も胆を冷したり縮ましたりして気が気ではなく心配して居らるゝに、一体ならば迎いなど受けずとも此天変を知らず顔では済まぬ汝が出ても来ぬとは余(あんま)りな大勇、汝の御蔭で険難(けんのん)な使を吩咐かり、忌々しい此瘤を見てくれ。笠は吹き攫われる全濡(ずぶぬれ)にはなる、おまけに木片が飛んで来て額に打付りくさったぞ、いゝ面の皮とは我がこと。
さあ/\一所に来てくれ来てくれ。爲右衞門様圓道様が連れて来いとの御命令(おいひつけ)だは、ゑゝ吃驚した、雨戸が飛んで行て仕舞うたのか。これだもの塔が堪るものか。話しする間にも既倒れたか折れたか知れぬ。愚図/\せずと身支度せい、疾く/\と急り立つれば、傍から女房も心配気に、出て行かるゝなら途中が危険(あぶな)い、腐っても彼火事頭巾、あれを出しましよ冠ってお出なされ。何が飛んで来るか知れたものではなし、外見(みえ)よりは身が大切(だいじ)、何程(いくら)襤褸でも仕方ない刺子絆纏(さしこばんてん)も上に被ておいでなされ、と戸棚がた/\明けにかゝるを、十兵衞不興気の眼でぢっと見ながら、あゝ構うてくれずともよい、出ては行かぬは、風が吹いたとて騒ぐには及ばぬ。七藏殿御苦労でござりましたが塔は大丈夫倒れませぬ。何の此程の暴風雨で倒れたり折れたりするような脆いものではござりませねば、十兵衞が出掛けてまゐるにも及びませぬ。圓道様にも爲右衞門様にも左様云うて下され。大丈夫、大丈夫でござります、と泰然(おちつき)はらって身動きもせず答うれば、七藏少し膨れ面して、まあ兎も角も我と一緒に来てくれ、来て見るがよい。彼の塔のゆさ/\きち/\と動くさまを。此処に居て目に見ねばこそ威張って居らるれ。御開帳の幟(のぼり)のように頭を振って居るさまを見られたら何程(なんぼ)十兵衞殿寛濶(おうよう)な気性でも、お気の毒ながら魂魄(たましい)がふわり/\とならるゝであらう。蔭で強いのが役にはたゝぬ。
さあ/\一所に来たり来たり、それまた吹くは、嗚呼恐ろしい、中々止みそうにもない風の景色、圓道様も爲右衞門様も定めし肝を煎って居らるゝぢやろ。さっさと頭巾なり絆纏なり冠るとも被るともして出掛けさっしやれ、と遣り返す。大丈夫でござりまする、御安心なさって御帰り、と突撥る。その安心が左様手易くはできぬわい、と五月蠅云う。大丈夫でござりまする、と同じことをいう。末には七藏焦れこむで、何でも彼でも来いというたら来い、我の言葉とおもうたら違うぞ圓道様爲右衞門様の御命令ぢや、と語気あらくなれば十兵衞も少し勃然(むっ)として、我は圓道様爲右衞門様から五重塔建ていとは命令かりませぬ。御上人様は定めし風が吹いたからとて十兵衞よべとは仰やりますまい、其様な情ない事を云うては下さりますまい。若も御上人様までが塔危いぞ十兵衞呼べと云わるゝようにならば、十兵衞一期の大事、死ぬか生きるかの瀬門(せと)に乗かゝる時、天命を覚悟して駈けつけませうなれど、御上人様が一言半句十兵衞の細工を御疑いなさらぬ以上は何心配の事もなし。
余の人たちが何を云われうと、紙を材(き)にして仕事もせず魔術(てづま)も手抜もして居ぬ十兵衞、天気のよい日と同じことに雨の降る日も風の夜も楽々として居りまする。暴風雨が怖いものでもなければ地震が怖うもござりませぬと圓道様にいうて下され、と愛想なく云い切るにぞ、七藏仕方なく風雨の中を駈け抜けて感応寺に帰りつき圓道爲右衞門に此よし云えば、さても其場に臨むでの智慧のない奴め、何故その時に上人様が十兵衞来いとの仰せぢゃとは云はぬ。あれ/\彼揺るゝ態を見よ、汝(きさま)までがのっそりに同化(かぶれ)て寛怠過ぎた了見ぢや、是非はない。も一度行って上人様の御言葉ぢやと欺誑(たばか)り、文句いわせず連れて来い、と圓道に烈しく叱られ、忌々しさに独語(つぶや)きつゝ七藏ふたゝび寺門を出でぬ。 |
|
其三十四 |
|
さあ十兵衞、今度は是非に来よ四の五のは云わせぬ、上人様の御召ぢゃぞ、と七藏爺いきりきって門口から我鳴れば、十兵衞聞くより身を起して、なにあの、上人様の御召なさるとか、七藏殿それは真実(まこと)でござりまするか、嗚呼なさけない。何程風の強ければとて頼みきったる上人様までが、この十兵衞の一心かけて建てたものを脆くも破壊(こわ)るゝかのように思し召されたか口惜しい。世界に我を慈悲の眼で見て下さるゝ唯一つの神とも仏ともおもうて居た上人様にも、真底からは我が手腕(うで)たしかと思われざりしか。つくづく頼母しげなき世間、もう十兵衞の生き甲斐なし。たま/\当時に双(ならび)なき尊き智識に知られしを、これ一生の面目とおもうて空(あだ)に悦びしも真に果敢なき少時(しばし)の夢、嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせし彼塔も倒れやせんと疑わるゝとは。ゑゝ腹の立つ、泣きたいような、それほど我は腑のない奴(やつ)か、恥をも知らぬ奴(やっこ)と見ゆるか。自己(おのれ)が為たる仕事が恥辱(はぢ)を受けてものめ/\面押拭うて自己は生きて居るような男と我は見らるゝか。仮令ば彼塔倒れた時生きて居ようか生きたかろうか。
ゑゝ口惜い、腹の立つ、お浪、それほど我が鄙(さも)しかろうか。嗚呼/\生命も既(もう)いらぬ、我が身体にも愛想の尽きた、この世の中から見放された十兵衞は生きて居るだけ恥辱(はぢ)をかく苦悩(くるしみ)を受ける。ゑゝいっその事塔も倒れよ暴風雨も此上烈しくなれ。少しなりとも彼塔に損じのできてくれよかし。空吹く風も地(つち)打つ雨も人間(ひと)ほど我には情(つれ)無(な)からねば、塔破壊(こわ)されても倒されても悦びこそせめ恨はせじ。板一枚の吹きめくられ釘一本の抜かるゝとも、味気なき世に未練はもたねば物の見事に死んで退けて、十兵衞という愚魯漢(ばかもの)は自己が業の粗漏(てぬかり)より恥辱を受けても、生命惜しさに生存(いきながら)えて居るような鄙劣(けち)な奴ではなかりしか。
如是(かかる)心を有って居しかと責めては後にて吊(とむら)われん。一度はどうせ捨つる身の捨処よし捨時よし、仏寺を汚すは恐れあれど我が建てしもの壊れしならば其場を一歩立去り得べきや。諸仏菩薩も御許しあれ、生雲塔の頂上(てっぺん)より直ちに飛んで身を捨てん。投ぐる五尺の皮嚢(かわぶくろ)は潰れて醜かるべきも、きたなきものを盛つては居らず。あわれ男児(をとこ)の醇粋(いっぽんぎ)、清浄の血を流さむなれば愍然(ふびん)ともこそ照覧あれと、おもいし事やら思わざりしや十兵衞自身も半分知らで、夢路を何時の間にか辿りし、七藏にさえ何処でか分れて、此所は、おゝ、それ、その塔なり。
上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬっと十兵衞半身あらはせば、礫を投ぐるが如き暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までも 断(ちぎ)らむばかりに猛風の呼吸さえ為せず吹きかくるに、思わず一足退きしが屈せず奮って立出でつ。欄を握(つか)むで屹(きっ)と睥(にら)めば天(そら)は五月(さつき)の闇より黒く、たゞ囂々(ごうごう)たる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳えたれば、どぅ/\どっと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるゝ棚なし小舟のあわや傾覆らむ風情、流石覚悟を極めたりしも又今更におもわれて、一期の大事死生の岐路(ちまた)と八万四千の身の毛竪(よだ)たせ牙咬定(かみし)めて眼(まなこ)を (みは)り、いざその時はと手にして来し六分鑿(のみ)の柄忘るゝばかり引握むでぞ。天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとはず塔の周囲(めぐり)を幾度となく徘徊する、怪しの男一人ありけり。 |
|
其三十五 |
|
去る日の暴風雨は我ら生れてから以来(このかた)第一の騒なりしと、常は何事に逢うても二十年前三十年前にありし例をひき出して古きを大袈裟に、新しきを訳もなく云い消す気質(かたぎ)の老人(としより)さえ、真底我折って噂仕合えば、まして天変地異をおもしろづくで談話(はなし)の種子にするようの剽軽な若い人は分別もなく、後腹(あとばら)の疾まぬを幸い、何処の火の見が壊れたり彼処の二階が吹き飛ばされたりと、他(ひと)の憂い災難を我が茶受とし、醜態(ざま)を見よ。馬鹿慾から芝居の金主して何某め痛い目に逢うたるなるべし、さても笑止彼の小屋の潰れ方はよ、又日頃より小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、御神楽だけの事はありしも気味(きび)よし、それよりは江戸で一二といわるゝ大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒から多分の寄附金集めながら役僧の私曲(わたくし)、受負師の手品、そこにはそこの有りし由、察するに本堂の彼の太い柱も桶でがな有ったろうなんどと様々の沙汰に及びけるが、いづれも感応寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚剥がれざりしには舌を巻きて讚歎し、いや彼塔(あれ)を作った十兵衞というは何とえらいものではござらぬか。彼塔倒れたら生きては居ぬ覚悟であったそうな。すでの事に鑿啣(ふく)んで十六間真逆しまに飛ぶところ、欄干(てすり)を斯う踏み、風雨を睨んで彼程の大揉の中に泰然(ぢっ)と構えて居たというが、その一念でも破壊るまい、風の神も大方血眼で睨まれては遠慮が出たであろうか。甚五郎このかたの名人ぢゃ真の棟梁ぢゃ、浅草のも芝のもそれぞれ損じのあったに一寸一分歪みもせず退(ず)りもせぬとは能う造った事の。
いやそれについて話しのある、その十兵衞という男の親分がまた滅法えらいもので、もしも些(ちと)なり破壊れでもしたら同職(なかま)の恥辱知合の面汚し、汝(うぬ)はそれでも生きて居られうかと、到底(とても)再度鉄槌も手斧も握る事のできぬほど引叱って、武士で云わば詰腹同様の目に逢わせうと、ぐる/\/\大雨を浴びながら塔の周囲を巡って居たそうな。いや/\、それは間違い、親分ではない商売上敵(がたき)ぢゃそうな、と我れ知り顔に語り伝えぬ。
暴風雨のために準備(したく)狂いし落成式もいよ/\済みし日、上人わざ/\源太を召(よ)び玉いて十兵衞と共に塔に上られ、心あって雛僧(こぞう)に持たせられし御筆に墨汁(すみ)したゝか含ませ、我この塔に銘じて得させん。十兵衞も見よ源太も見よと宣(のたま)いつゝ、江都(こうと)の住人十兵衞之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に笑を湛えて振り顧り玉えば、両人ともに言葉なくたゞ平伏(ひれふ)して拝謝(をが)みけるが、それより宝塔長(とこしな)へに天に聳えて、西より瞻(み)れば飛檐(ひえん)或る時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚(はなし)は活きて遺りける。
|
|
初出/「国会新聞」1891(明治24)年11月~1892(明治25)年4月
底本/「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
1963(昭和38)年1月19日初版第1刷発行
1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷 |
|
原文は旧字、旧仮名で書かれており、インターネット図書館「青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)」が「現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためた( 入力:kompass、校正:浅原庸子、2004年11月3日作成、2009年7月29日修正)。これを、れんだいこが2021.7.13日、れんだいこ文法に則り表記替えした。 |