第3章 社会

 (最新見直し2008.2.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、天野貞祐「国民実践要領」の「第3章 社会」を確認しておく。

 2008.2.2日 れんだいこ拝


第3章 社会
(1)  公徳心 人間は社会的動物である。人間は社会を作ることによってのみ生存することができる。
社会生活を支える力となるものは公徳心である。我々はこの公徳心を養い、互いに助け合って他に迷惑を及ぼさず、社会の規律を重んじなければならない。
(2) 相互扶助 互いに助け合うことは、他人の身を思いやる温かい親切な心を本とする。 
人々がただ自己の利害のみに走り他を損なって顧(かえり)みないならば、社会は悪と不幸に陥り、その禍(わざわい)はやがて加重して自己の身にも返って来る。 
(3) 規律 社会生活が正しくまた楽しく営まれるためには、社会は規律を欠くことはできない。 
個人が各自恣(ほしいまま)に振舞い、社会の規律を乱すならば、社会を混乱に陥れ、自他の生活をひとしく不安にする。
(4) 嗜みと礼儀 社会生活の品位は各自が礼儀を守り、嗜(たしな)みを失わないことによって高められる。それが良俗である。 
嗜みと礼儀は、もし魂を失い外形だけになれば、却って虚飾や虚偽になる。しかしそれゆえに嗜みや礼儀を軽んずるのも正しくない。人間の共同生活が野卑に流れず、美しい調和を保つのは、嗜みと礼儀による。
(5) 性道徳 両性の間の関係は厳粛な事柄である。我々はそれを清純で品位あるものをたらしめねばならない。
性道徳の乱れることは社会の頽廃の大きな原因である。
(6) 世論 社会の健全な進展は正しい世論の力による。我々は独断に陥ることなく、世の人々の語るところに素直に耳を傾けねばならない。 
しかし正しい世論は単なる付和雷同からは生まれない。我々はそれぞれ自らの信ずるところに忠実であり、世の風潮に対して妄(みだ)りに迎合しない節操ある精神と、軽々しく追随しない批判力とを持つことが必要である。
正しい世論は人々が和して同じないところに生まれ、世論の堕落は同じて和しないところに起る。
(7) 共同福祉 社会のつながりは、それぞれ異なった分野に働く者が社会全体の共同福祉を重んずるところに成り立つ。 
身分や階級の相違から様々な弊害や利害の衝突が生ずるとしても、それらの弊害や利害の衝突は、全体としての社会の意志を表現するところの法に従って解決されるべきである。
社会全体の福祉を損ない、社会自身に亀裂を生ぜしめるまでに至るべきではない。すべて人間生活は和をもって尊しとする。
(8) 勤勉 我々は勤勉を尊びその習慣を身につけ、各自の努めに勤勉であることによって、社会の物質的、精神的財を増大しなければならない。
勤勉は社会を活気あるものにする。特に資源乏しき我が国の社会に於いては、我々が勤勉であり、節倹のうちにも物を生かして使い、怠惰と奢侈(しゃし)に陥らないように自戒する必要がある。
(9) 健全なる常識 社会が絶えず生き生きと進展するためには、古い陋習(ろうしゅう)を改めることが必要である。しかしまたいたずらに新奇に走り軽々しく流行を追うべきではない。健全なる社会は健全なる常識によって保たれる。
我々はややもすれば旧習に捉われて創造の意気を失うかさもなければ一時の風潮に幻惑されて着実な建設の努力を忘れやすい。
伝統は創造を通してのみ正しく保たれ、革新は伝統を踏まえてのみ実効あるものとなる。
(10) 社会の使命 社会の使命は高い文化を実現するところにある。我々は文化を尊重し、それを身につけ、力を合わせてその発展に努めねばならない。
社会の文化は人間を教養し形成する力を持つ。文化が軽んぜられるとき、社会は未開へ逆行する。しかし文化が人間の精神を高める力を失って単に享楽的となるとき、社会は頽廃に陥る。




(私論.私見)