補足・辛亥革命考 |
「ウィキペディア辛亥革命」、「武昌起義」、「革命の拠点となった東京」その他参照。 |
今年は辛亥革命(しんがいかくめい)100周年とのことである。1911(宣統3).10.10日夜に発生した武昌起義からの一連の政変を辛亥革命と云う。辛亥とは1911年の十二支十干の干支である辛亥に因む。辛亥革命の勃発日の10月10日に因んで、「双十革命」「ダブル・テン(Double
Ten)」とも云われる。これをどこで区切るかで三説ある。また民国革命のなかで辛亥革命は第一革命とされ、袁世凱に鎮圧された第二革命、さらには護国戦争が第三革命として続く。これにより、1636年、満洲において建国され、1644年から1912まで268年に亘って支那を支配してきた満洲族政権の清朝が滅亡し、漢民族系の中華民国成立を見た。これにより支那は中国と称されることになる。中華民国は古代より続いて来た君主政治を終焉させ、中国史上は無論のことアジアで初の共和政体を導入したことになる。20世紀には、世界各地で君主制国家が打倒されて共和制国家が樹立された革命が相次いだが、辛亥革命はその共和制革命の先駆けにもなった。特筆すべき点として、元号を廃止した革命でもある。日本やベトナムなど漢字圏国家では各王朝で元号が使用されていたが、元号を先駆けて廃止するきっかけとなった出来事も辛亥革命である。この辛亥革命をどう評するべきか。辛亥革命史そのものは別稿「辛亥革命、孫文の時代考」で確認しており、ここでは評論としての辛亥革命論を記すことにする。 では、辛亥革命がどう革命的なのか。それは、イギリスの名誉革命、フランスのフランス革命、ロシアの10月革命等が王朝打倒を獲得し、その後西欧列強帝国主義国となり、世界の植民地分割競争の入口に立ったのに比して、日本の明治維新がそういう西欧列強の植民地化を拒絶して自律自存の近代国家に生まれ変わったのに比して、辛亥革命は辛亥革命自体が獲得し得なかったにせよ、日本の明治維新が未完の独立革命に終わったのに比して、新生中国の道を敷いたところに意義が認められる。日本の場合には、主権国として自律自存していたところの西欧列強の植民地化拒否の国家主権独立を賭けての革命であった。中国(支那)の場合は違う。既に西欧列強の餌食にされており、更に蚕食されようとしていた。この状況下での独立回復の革命となった。その凄まじさは、日本の明治維新は遠く及ばない。日本の明治維新の不徹底性、これに対する中国革命の徹底性、ここに鮮やかな対比が認められる。もとより、日本の明治維新然り、新生中国革命然りで、革命の首尾とその後の建国の首尾とは必ずしも一致しない。 以上の如く、れんだいこ式辛亥革命論の第一は国家及び民族の独立を基準とする。この秤に掛ける時、辛亥革命は、満洲族政権の清朝の頭脳では西欧列強の植民地化浸食を食い止められなったところ、漢民族の知恵を総動員することによって首尾よく成功し得た革命の第一歩を記した名誉ある革命であったと云うことになる。辛亥革命は、その主力は日本の幕末維新、明治維新から学び、アジア解放の理念を共有していた。それ故に、幕末維新の流れを汲む国士らが大陸浪人と化して身命を共にしている。これが辛亥革命功績論の本筋の評となるべきではなかろうか。 辛亥革命功論の難しさは、この運動の主体を孫文派に求めるところにある。孫文派が日本の大陸浪人の後押しを得ていたのは事実であるが、孫文派の運動を根底で支えていたのは、どうやらイギリスの名誉革命、フランスのフランス革命、ロシアの10月革命を指導した国際金融資本勢力であった形跡が濃厚に認められる。そういう意味では、日本の支援はダシにされた感がある。もっとはっきり云えば、孫文派は中国のフリーメーソンであり、フリーメーソンを支配する奥の院の指図通りに動いていに過ぎない形跡が認められる。と云うことは、辛亥革命を新生中国独立の橋頭保革命であったとする論は、辛亥革命の主力を孫文派とすると怪しいことになる。史実は、辛亥革命は新生中国創造の先駆けであったが、これを主導した孫文派の闘争はフリーメーソン革命の一貫としての中国革命に過ぎなかったとすべきではなかろうか。こうなるとかなり高等なパズルになる。 日本の幕末維新は明治維新に継承され、その明治維新は初期に於いては西欧列強の植民地支配を撥ね退けるべき対抗的近代化を完遂しつつあったが、士族の反乱、その最後の決戦に於ける幕末維新の功労者・西郷派の西南の役に於ける敗北とともに捻じ曲げられ、国際金融資本帝国主義に上手く操られれる日本帝国主義化の道を辿り、それが最終的に日米決戦へと誘われ完膚なきまでに敗北されることにより幕末維新以来の独立運動が破産させられた。日本の戦後はここから始まっている。これに比して、中国は、辛亥革命、孫文革命、毛沢東革命を通して最終的に民族独立運動を完遂させた。但し、その後の新中国建設に失敗し、文化大革命の破産とともに元の木阿弥的走資派の天下となり今日に至っている。まさに歴史は常に激動中の過程連綿史である。 |
(私論.私見)