補足 ドストエフスキーの「悪霊」考

 (最新見直し2008.5.13日)

 (なかなか難しいので整理しきれるまで各方面暫し借用ご容赦頼む)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 
 2005.11.28日再編集、2007.3.12日再編集 れんだいこ拝


 ドストエフスキーの概要については「ウィキペディアのフョードル・ドストエフスキー」を参照する。ドストエフスキーは、1871年、長編小説「悪霊(Бесы)」を執筆し始め、新聞に連載され、1873年に単行本として出版された。その内容は、無政府主義無神論ニヒリズム信仰社会主義革命などをテーマにもつ深遠な作品となっており、興味深い。晩年のニーチェがこの本を読み、とりわけキリーロフの人神思想に注目して抜書きなどをしていたことも知られている。

 ドストエフスキーはこの小説の構想を1869年のネチャーエフ事件から得ている。架空の世界的革命組織のロシア支部代表を名乗って秘密結社を組織したネチャーエフが、内ゲバの過程で一人の学生をスパイ容疑により殺害した事件である。ネチャーエフに心酔していたウラジーミル・レーニンは、『悪霊』を反動的と決め付け、「ネチャーエフのような人こそ、我々には必要だった」と語っている。

 そのあらすじを確認する。

 ワルワーラ夫人はある日突然、自分の養女であるダーシャとステパン氏を結婚させようと思い立ち、有無をいわさず話を進めるが、意に染まないステパン氏はスイスにいるピョートルに自分を救い出してはもらえないかと手紙を出す。

 同じころ、ワルワーラ夫人はスタヴローギンとマリヤ・レビャートキナの関係をほのめかす匿名の手紙を受けとり、真偽を正そうと教会で出会ったマリヤを家へ連れ帰る。シャートフやリーザも集まるなか、ピョートルと一緒にスタヴローギンが帰館する。ワルワーラ夫人はスタヴローギンに真相を問い質すが、彼は何も答えずに、マリヤを家まで送るといって出て行ってしまう。

 その間にピョートルは、かつてペテルブルクにいたころ、みなから笑いものにされていたマリヤを唯一スタヴローギンだけが丁重に扱っていたため、マリヤは彼が自分の夫か何かであるという妄想にとらわれてしまったというだけの話だと説明する。次いでピョートルはステパン氏に、結婚させられそうになっているので助けてほしいとはどういう意味かと問い、それを聞いたワルワーラ夫人は激昂してステパン氏に絶交を言い渡す。そこへ戻ってきたスタヴローギンを、なぜか突如としてシャートフが殴りつけるが、スタヴローギンは黙ったまま反撃しない。シャートフが去ると同時にリーザは気絶してしまう。

 この一件で、スタヴローギンはスイスにいたころリーザと密かな関係をもっていたのではないか、近いうちにシャートフを殺してしまうのではないかなどという噂が広まる。シャートフの部屋で、スタヴローギンはペテルブルクでマリヤと正式に結婚したことを告げ、それに感づいていたシャートフは彼を崇拝するがゆえにその堕落に対して殴りつけずにはいられなかったのだということを話す。

 次いでスタヴローギンはマリヤを訪ね、結婚を公表しようと思うと告げるが、錯乱したマリヤに「偽公爵」呼ばわりされて帰ることになる。帰途、ピョートルに匿われている脱獄囚のフェージカが現れて、用があればいつでも役に立つという(マリヤとその兄を殺して楽にしてやると仄めかす)。スタヴローギンは何もいわずに金を投げつける。翌日、スタヴローギンとかつて彼によって家名を傷つけられた男との決闘が行われる。男は撃ち損じるが、スタヴローギンはわざと狙いを外して撃つ。同じことが三度繰り返され、その厳正な様から町におけるスタヴローギンの名望は一挙に高まる。同じころ、ステパン氏とピョートルは完全に見解を異にして決裂する。以下、略

 当初は第二部第八章に続く章として執筆されたが、その告白の内容が「少女を陵辱して自殺に追いやった」というものであったため、連載されていた新聞の編集長から掲載を拒否された。やむをえず後半の構成を変更して完成させたため、単行本化のさいにもこの章は削除されたままとなり、原稿自体が所在不明となった。

 しかし1921年から1922年にかけてこの章の原稿が二つの形(校正刷版と夫人による筆写版)で発見され、いずれも出版されることとなった。章題を直訳すると「スタヴローギンより」となるが、これはロシア正教においては福音書を「ヨハネより」「マタイより」などと呼ぶことになぞらえている。

 「悪霊」の値打ちは、近世ルネサンス以降の革命運動のキリスト教正義といわゆる秘密結社的ネオ・シオニズム系譜の二頭立てを描写し、左派運動に忍び寄るネオ・シオニズム的革命運動の悪魔性を告発しているところにある。レーニンが、ネチャーエフに心酔し、「悪霊」を反動的と決め付け、「ネチャーエフのような人こそ、我々には必要だった」と語っているのは象徴的で、レーニン主義の何者かを思わず吐露させている。この観点からの考察が望まれよう。

 2008.5.15日 れんだいこ拝





(私論.私見)