諸士百家の論考2()

 (最新見直し2015.4.10日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 「れんだいこの共産主義者の宣言考」は既に記したが、教材として以下の論考を転載しておく。

 2005.9.25日 れんだいこ拝


マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(その1)(週刊前進、1956号10面1) 
 勉強になるので以下転載しておく。読みやすいようにれんだいこがレイアウトを編成替えした。
 課題1 『共産党宣言』の核心を労働者階級の自己解放の問題に沿って述べて下さい。
『共産党宣言』の核心は、「共産主義者の理論的命題は、けっしてあれこれの世界改良家が発明したり、発見したりした思想や原理にもとづくものではない」、「(それは)現に行われている階級闘争、つまりわれわれの目の前で展開されている歴史的な運動のほんとうの諸関係を一般的に表現したものであるにすぎない」という言葉に集約的に言い表されている。

 つまり、共産主義は、資本主義の矛盾に対する改良や改革、空想的な理想の対置によって実現されるものではない。それは、資本主義の生成と発展が必然的に生み出す生産力の巨大な発展とその中で起こる資本主義そのものの歴史的限界性を示す基本矛盾の爆発(恐慌)、他方での革命的階級としての労働者階級の形成と発展という主客の条件のもとで、労働者階級の自己解放闘争が不可避的、必然的にブルジョア支配の革命的打倒にまで至ること、そして労働者階級が資本主義のつくり出した生産力を掌握し、ブルジョア的生産諸関係を廃止した上に、自らが社会の主人公になって生産力を計画的に発展させることを基礎に実現される。

 それまでの社会主義においては、労働者階級は悲惨な境遇からの単なる救済対象とされ、有能な個人が考え出した理想や計画によって解放されるとされていた。しかしマルクスは、資本主義社会の成立の条件をなす労働者階級こそ、資本主義の矛盾を一身に背負うものとして自己解放闘争に決起せざるをえず、その闘いの発展と勝利によって、繰り返し矛盾を爆発させる資本主義社会を転覆し、階級社会の廃絶を実現する主体たり得る力をもっていることを明らかにした。

 労働者階級は、資本家階級を打倒することによってプロレタリア独裁権力を樹立し、資本家階級が独占する生産手段を奪取して、結合した労働者による共同の生産として意識的に社会的生産を組織していく。これを基礎に、社会の一部分が他の部分を搾取する資本主義的生産諸関係を廃止し、階級対立と階級そのものの存立条件を廃止することをとおして、「一人ひとりの自由な発展が、すべての人びとの自由な発展の条件となるような協力体」=共産主義を実現する。


 まさに『宣言』は、最後の階級社会である資本主義社会の没落と労働者階級の歴史的使命である自己解放闘争の勝利をとおした共産主義革命の必然性・現実性を力強く宣言しているのである。(東中誠)
 課題2 「これまでのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」について説明して下さい。
■今日に至る人間の社会においては、支配者と被支配者、すなわち搾取者と被搾取者が存在し、利害を異にする両者は常に敵対関係にあり、闘争が公然とまたは隠然と間断なく行われてきた。奴隷制社会では自由民と奴隷、都市貴族と平民、封建制社会では領主と農奴、ギルドの親方と職人というように。

 資本制社会はどうか。「近代ブルジョア社会は……階級対立を廃止したわけではなかった」、「ブルジョアジーの時代は階級対立を単純化した」、社会はますます二大階級に分裂していくと『宣言』はいう。

 ブルジョア社会では身分的束縛が打破され、自由と平等が実現されているかに見える。だが、ブルジョアジーによるプロレタリアートの搾取、この維持のためにブルジョアジーが握った国家権力による後者への抑圧は厳然として貫かれている。

 すなわち、ブルジョア社会は、生産手段を独占したブルジョアジーとそれを持たないプロレタリアートの二大階級へと極限的に分裂し、階級闘争の最も先鋭な発展の条件を生み出した。この意味でブルジョア社会は階級社会の最後の形態なのである。

 このように利害の異なる人間集団=階級の間での対立、衝突、闘争をつうじて社会は動いてきた。この対立や衝突を根底において規定するものは、人間の物質的生活の社会的生産の発展における剰余生産物の支配―分配のあり方である。奴隷制では、労働生産物の一部を奴隷の生命維持に供する以外は奴隷主が奴隷の労働生産物の一切を支配した。封建制では、農奴は領主の土地の占有が許される代わりに年貢と賦役が課せられた。

 今日のブルジョア社会では、生産手段を独占するブルジョアジーが、生産手段を持たず自分の労働力を売る以外に生きられないプロレタリアートを外見上「自由契約による労働とその報酬としての賃金の支払い」という形で雇用する賃労働制が支配している。

 だが、賃金はプロレタリアートに明日の労働力の再生産と労働者種族を繁殖させる費用にすぎず、資本家はこの部分を超えた部分=不払い労働部分を「利潤」として搾取する。そしてますます資本の蓄積を増大させ、プロレタリアートへの支配力を高めていく。プロレタリアートは生きていくためにはブルジョアジーに隷属せざるをえない。

 しかし、隷属すれば生きる保証が与えられるわけではない。いったん恐慌になれば資本の都合でプロレタリアートは街頭にほうり出される。これは歴史上最も過酷な搾取の形態である。しかも、あたかも労働者の労働の全部に対して払われたと思い込ませる賃金形態は、巧妙さにおいて歴史上最も完成された搾取の形態である。

 したがって、この物質的根拠においてブルジョア社会の階級対立は最も激しい非和解性を持たざるをえず、プロレタリアートの闘いはブルジョアジーの打倒にまで至る決着性を不可避に求めるものとなる。

 以上の意味で、人間の物質的生活の社会的生産に基礎をおいて人間社会の歴史的発展をとらえる唯物史観は同時に階級闘争史観である、と主体的戦闘的にいうことができる。

 なお、第一章の冒頭でエンゲルスが注として、人間の歴史の初期に階級のない社会があったといっている。人間の社会はそもそも階級社会として発生・成立したわけではない。人間による人間の搾取に基づく階級社会は数万年の人間の歴史うちのたかだか数千年にすぎない。この事実は、階級社会(資本主義社会)が社会の唯一の必然的なあり方ではないことを一層鮮明に示している。(若山弘)
 課題3 資本制社会がそれまでの社会(奴隷制社会、封建制社会)と違う点はどこにあるでしょうか。
■第一に、封建制社会では、いったん形成された生産様式、それに伴う社会関係をいかにそのまま維持していくかが、産業を担う階級の生存条件であった。社会は閉鎖的であり、孤立しており、交通も限られていた。

 これに対して資本制社会の変革性は激しい。国内的には農民からの土地の収奪、対外的にはアメリカ大陸、インド、アフリカなど全地球的規模での暴力的収奪によって形成、発展を遂げてきたブルジョアジーは、機械制大工業の成立(産業革命)を経て、「自立的な発展」の段階に入った。この中で交通、生産、技術、果ては戦争のやり方さえもがすさまじい変化を遂げた。利潤を求めて競争する資本の絶え間ない運動が社会を支配するからである。

 ブルジョアジーは、生産物の販路の拡大を求めて地球上のあらゆる地域や社会に資本制生産への移行を強要する。その社会を商品経済に引き込むために既存の生産様式、経済構造を資本主義の破壊力と暴力性をもって解体していく。こうして資本主義は巨大な生産力と世界市場をつくり出し、旧社会の地域的に制限されたあり方や閉鎖性、交通の分断を打ち破って、社会発展の大きな物質的基礎をつくり出してきた。

 だがそれは他方で、ブルジョアジーに反逆せざるをえないプロレタリアートを世界的に大量に生み出すとともに、恐慌という歴史上かつてない形で資本主義の矛盾を爆発させるようになった。恐慌においては過剰に蓄積された資本が破壊される。ここに資本主義の歴史的生命力が有限であることが示されている。

 第二に、奴隷制社会、封建制社会は画然たる身分制の上に成り立っており、それが人の一生を基本的に規定していた。他方、資本制社会では形式上、制度としての身分制は廃棄され、人びとは「国民」という言葉でひとくくりにされ、「法の前に平等であり、自由である」とされている。

 だが、このような法的建前とは裏腹に、現実の生活においては、生産手段を私的に独占し搾取を続けるブルジョア階級と、生産手段から切り離され自らの労働力しか持たず搾取されることによってしか生きられないプロレタリア階級との間の階級対立が厳然と存在している。

 奴隷制、封建制では、階級がそれぞれいくつもの身分、階層に分かれているので、階級闘争は見えにくかった。しかし資本制社会では、階級対立は、政治的、経済的、社会的な全権力を握っているブルジョア階級と賃金奴隷として生きざるをえないプロレタリア階級の二大階級の対立に単純化している。資本主義社会は最も発展した極限的階級社会であり、二大階級間の非和解的対立は最後の決着を不可避としている。

 これらの主体的客体的な資本制社会の特徴は、この社会が共産主義社会の前提を準備していることを示している。(白石美奈)
 課題4 「ブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器をつくりだしただけではない。その武器をとる人びとをもつくりだした」というのは、どういう意味でしょうか。
■封建制社会は、その中から発展してきた生産力によってその基礎を掘り崩された。つまり封建制社会を転覆させた「武器」とは、直接的には生産力の発展といえるが、それに実体化してしまわないで、生産諸力と生産諸関係の矛盾というひとつの関係の帰結として把握する必要がある。

 資本制的生産様式は、これまでの生産様式を駆逐しつつ発展し、巨大な生産諸力をつくり出す中で、封建制社会の局地的、自給自足的な生産諸関係、身分制的に細分化された社会関係とぶつかるとともに、封建領主の支配、その崩壊への一過渡形態である絶対王政の支配にぶつかり、その枠内では生産諸力を発展させることができなくなった。そこでついに旧政治権力の打倒とブルジョア階級自身による政治支配へと進んだのである。

 生産諸力がその発展を条件づけた生産諸関係とぶつかるという問題が封建制社会に生じたのと同様、資本制社会にも起こっている。その具体的な現れが商業恐慌、周期的恐慌である(帝国主義段階では、蓄積様式の変化によって恐慌の周期性に変容が生じているが、資本の過剰蓄積の矛盾からは逃れられず、恐慌は回避できない)。

 恐慌は、景気循環という形をとった資本の運動の一環であって、例外的事態ではない。それは、労働力商品という資本が生産できない商品を絶対的条件としている資本制生産において、過剰な資本の存在自体が生産の制限になるために起こる。ブルジョアジーは、過剰資本としてある生産物、生産手段、すなわち生産力そのものを自分たちの手で破壊し、そのたびに幾百万、幾千万の労働者を繰り返し街頭にほうり出す。このような繰り返しの中でしか資本主義は存続しえない。資本主義は人類史上かつてない非人間的な矛盾を抱えた社会なのである。

 こうした資本制生産の矛盾の中で、資本の不可欠の搾取材料とされ、この矛盾を一身に背負わされているプロレタリアートが資本主義を打倒する勢力として登場することはまったく必然である。実際、ブルジョアジーの発展の裏面には、搾取されてきたプロレタリアートのブルジョアジーに対する血みどろの闘いの発展がある。

 『宣言』の革命的衝撃力は、武器を持って決起するものとしてプロレタリアートが存在することをまずもって言いきっていることだ。プロレタリアートは、その生誕とともにブルジョアジーと闘い始め、何度も闘いを突き崩されながらも、その苦闘の中から階級的団結を形成=再形成し、自らの政党を組織する過程を開いてきた。この『宣言』第一章の後半の叙述は、プロレタリアートの自己解放性の歴史的実証として現実に闘われた階級闘争の理論的総括であり、マルクス、エンゲルスがそこに参加してつかみとったものだ。
 このようなプロレタリアートのやみがたい自己解放の闘いは、恐慌を不可避とする資本主義を倒し、共産主義社会を建設するものへと発展する必然性を持っている。その意味でプロレタリアートの存在こそ、資本主義を打倒し、共産主義への道を開く最大の武器といえるのである。(池西静雄)
 課題5 ブルジョア革命と比較して、プロレタリア革命の独自性はどこにあるでしょうか。
■プロレタリア革命は、階級社会の根底的廃絶という内容ゆえに、それ以前のいかなる歴史的社会の変革とも異なる徹底的な目的意識性を持っている。

 ブルジョア革命は、政治的支配の交代=政治革命として起こった。つまり、資本制的生産様式は封建制的生産様式に比して経済的優位性をもっていたので、その生産様式の自然成長的発展は旧来の生産様式を駆逐し、革命の前に封建的社会関係を実質的に掘り崩してしまっていた。生産諸関係の一定の変革の上に政治革命が起こったのである。

 これに比してプロレタリア革命はまったく違った過程をたどる。生産力と生産関係の矛盾の進行が変革の客観的条件を醸成するという点ではブルジョア革命と同じだが、資本制社会の中で資本の廃止を前提とした新たな生産様式を創出することによって古い生産関係を掘り崩すことはありえない。

 したがって、プロレタリアート=革命主体の意識的能動的な行為を軸にブルジョアジーの暴力的打倒を目指す階級闘争として革命への道程が開かれる。ブルジョア政治権力を打倒し、一切の権力を自己の手に集中すること、プロレタリア独裁の樹立によって、初めてプロレタリアートは自己の目指す共産主義に向かっての政治的、経済的、社会的変革の出発点に立てる。プロレタリア革命は、ブルジョア革命がその終点とした政治革命を「当面の」課題とし、そこから社会の根本的変革を革命の核心的課題として実現していく。

 このことを別の角度からいえば、プロレタリア革命の勝利のためには、資本主義の没落の歴史的必然性と自らの歴史的階級的責務とについて理解と自覚を深めたプロレタリア階級が、政治綱領と組織中枢を備えた強固な組織(党)をつくり、自己を一個の能動的社会集団、支配権力を担う指導的階級として形成していくことが絶対不可欠となるということだ。

 ブルジョア革命は「自由、平等」を掲げてなされたものであるが、その実現は、ブルジョアジーによるプロレタリアートの搾取とブルジョア的私有財産を保障するものでしかなかった。そして、ブルジョアジーは自分の搾取のあり方を絶対的、普遍的なおきてとして社会全体に強制し、階級社会を維持してきた。

 プロレタリア革命は、階級社会における人間による人間の支配が他人の労働の搾取に基づくものであることを明らかにし、それが階級対立、国家間対立、民族間対立、一切の抑圧、差別の根源であることを弾劾的に突き出し、これら一切を廃絶するために、資本主義的搾取を廃絶することを歴史的な課題としている。
 このような意味で、プロレタリア革命はプロレタリアートの階級的解放をつうじて普遍的な人間解放を実現していくのである。(北森伸二)
 課題6 共産主義者の党と他の労働者党との関係および共産主義者の党の独自性について述べて下さい。
■共産主義者の党は「他の労働者党にくらべてなんら特別な党ではない」。プロレタリアートの利益の立場に徹底的に立つ党である。その当面の目的は、他のすべての労働者党と同じであり、「階級へのプロレタリアートの形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリアートによる政治権力の奪取である」。

 共産主義者は、プロレタリア階級全体の利益から切り離された利益を持たず、また特別の原理や原則を立てて、それにプロレタリアの運動をはめ込もうとするものでもない。『宣言』が「共産主義者の理論的命題は……歴史的な運動のほんとうの諸関係を一般的に表現したもの」としていることで明白なように、共産主義者はプロレタリアートの自己解放性を徹底的に信頼し、そこに依拠して闘うのである。

 その上で『宣言』は、この闘いを真に勝利させていくために、共産主義者の党が階級闘争の中で自然成長的に出てくる他の労働者党と違う点を強調している。それは第一に、プロレタリアのさまざまな国民的闘争において国際主義を貫くことである。プロレタリアートは、世界市場の上に成り立つ資本主義を世界的に打倒していく国際的な闘い(世界革命)の一翼として自らを位置づけ、「まず」自分たちの直接の抑圧者である自国のブルジョアジーを打倒するために闘う。

 この立場を貫くことなしにはプロレタリアートの解放はかちとれない。それは第二インターナショナルの歴史や今日のファシスト・カクマル、また「一国社会主義=世界革命の放棄」を核心とするスターリン主義の歴史が示している。

 第二に、プロレタリア階級の闘いのさまざまな発展段階で常に運動全体の利益を代表すること、つまりプロレタリア階級の最後的勝利という観点から常に当面する個別の運動のあり方を判断していくことである。それは、経済主義や組合主義の枠の中に運動を閉じ込めたりせず、プロレタリアートの自己解放性の中にある究極的解放への発展の力を徹底的に形成していくということである。

 共産主義者の党は、それ自体プロレタリアートの一部であり、その最も先進的な部分である。運動における徹底性と方針上、理論上の先見性を、あらゆる階級闘争、大衆闘争における指導性として発揮していくことによって、階級情勢の変革とその中でのプロレタリアートの階級形成、ブルジョア支配打倒の力の確立を促進していく。
 共産主義者の党は、先見性という点で決定的役割を持っている。『宣言』は「理論的には全プロレタリアートに先んじている」と述べ、共産主義者の党は「当面する」闘いについてはもとより、共産主義の理論・綱領総体にかかわる高さをもつことを、そのあり方の決定的要素として強調している。(上田由美子)

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK182」の赤かぶ 氏の2015 年 4 月 10 日付投稿「虐げられた無名の者たちよ、ピケティよりもマルクス『共産党宣言』を読め!(リテラ )
」を転載しておく。

 虐げられた無名の者たちよ、ピケティよりもマルクス『共産党宣言』を読め!
 http://lite-ra.com/2015/04/post-1015.html
 2015.04.10. リテラ

 世界が赤く見えないか。

 それは戦火で街が炎に包まれているからか、流された血が大地をおおっているからか。あるいは憤怒で自分の眼球が血走っているためなのか。

 世界がどこまでもくすんだ灰色にしか映らない者は、引き攣った愛想笑いを浮かべながら隣人にへつらっていろ。世界が赤く染まって見える者は、途方にくれる前に左巻き書店をたずねろ。ここには、やつらに見えないものが見えてしまう者の存在に根拠を与える本が揃えてある。

 しばらく休業をもらった左巻き書店もいよいよ新装開店。左巻き書店の本棚に並ぶ本の中から、いくつかの視点に沿ってブックガイドをお届けしていく。まずは「いまこそ左翼入門」だ。世の中がそろって右へならえをし、左翼といえば唾されるいま。ほんとにみんな左翼が何かわかってるのかよ。この体制への反抗を企てる者も、左翼を批判する者も。いま、だからこそ、左翼とは何かを学べ。

 「いまこそ左翼入門」ブックガイドの第一弾はもちろんこれだよ。そう。『共産党宣言』。

 『共産党宣言』はカール・マルクスと盟友フリードリッヒ・エンゲルスによって共産主義者同盟の綱領として執筆された。綱領とは組織の基本方針を示した文章だ。1848年ロンドンで刊行。マルクスは執筆当時29歳の若さだった。革命組織の綱領として書かれた本書は、『資本論』などの理論研究書ではなく実践的な政治文書だ。ドイツ語原文にして1万語、岩波文庫にして50ページのこの薄いパンフレットは、世界各国語に翻訳され、長年にわたって読み継がれてきた。流布した冊数としても影響力としても『聖書』に比せられることもある。  

 ところが、資本主義の暴威やその限界に関する議論がこれだけ世界中で盛りあがっているのに、『共産党宣言』は打ち捨てられたままに見える。資本主義の批判において『共産党宣言』こそが、有効な武器になるはずだのに。

 なるほど確かにいま、マルクスをマルクスとして読むのが、つまりテキストをテキストとして読むのが困難になっている。まずは『共産党宣言』を読むことを阻んでいる障壁を取り除き、もっと自由な読み方ができるテキストとして提示することからとりかかろう。

 テキストをテキストとして読めないのは、『共産党宣言』を読む際に、この書が執筆されて以降の歴史を読み込んでしまうからだ。もちろん読者も歴史に規定されているからには、それはどんな読書にも常につきまとう。しかし、『共産党宣言』においては特に過剰である。例えば「共産党」という一語をとってみても、日本共産党、あるいはソ連や中国の共産党、そしてその国家体制までを読み込んで理解してしまうのだ。マルクスの時代に存在しなかったものをマルクスのテキストに織り込んで読んでしまっている。

 それは読者の政治意識・歴史意識がそうさせているだけではなく、翻訳という作業自体が政治的な改作を忍び込ませ、巧妙に読者を誘導しているからなのだ。

 そもそもこの書はほんとうに「共産党」宣言なのか。先に述べたようにこの書が綱領として書かれた組織名は、「共産主義者同盟」であって「共産党」ではない。中央の厳格な統制による現在の共産党イメージの原型をつくったのはレーニンの前衛党論であり、『共産党宣言』とは無縁である。初版では『Manifest der Kommunistischen Partei』 であったが第二版以降『Das Kommunistische Manifest』となり「Partei(党)」という言葉は失われているように、「党」という概念が重視されていたとは言い難い。こうした問題意識に立って『共産主義者宣言』という新しいタイトルを与えたのが金塚貞文の翻訳(太田出版。のち平凡社ライブラリー)である。解説の柄谷行人は自分の発案であると述べている。さらに『筑摩書房マルクス・コレクション』では、今村仁司の主導の下、「共産主義」という言葉には生産組織としての側面が強すぎ、コミューン(共同体)としての解放的ニュアンスが伝わりにくいとして、手垢にまみれてしまった「共産主義」さえ放擲し『コミュニスト宣言』のタイトルが採用されている。ようやく党派的利害による改作が施されていない翻訳が手にできる時代がやってきたのだ。

 マルクスや共産主義関係文献といえば、日本共産党中央によって、以前から定着している「暴力」「プロレタリア独裁」の訳語の印象が悪いとして「強力」「プロレタリア執権」に改めると政策決定されれば、その系統の出版物の翻訳が全て変更されるという党派操作のもとでしか読めない時代があった。いまようやく初めて、党派性から解放されたマルクス理解のできる条件が整えられている。

 『共産党宣言』は「共産党」宣言ではない、「共産主義者」宣言であり、「コミュニスト」宣言であると知った時、この書の読みは解放され、もっと自由になる。

 では、『共産党宣言』(便宜上一般に流布しているこのタイトルを用いる)をマルクスのかっこいいセリフとともに読もう。

 『共産党宣言』といえばまず階級闘争史観をおさえなければならない。

 「今日に至るまで、あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」との有名な一節にその歴史観が端的に表現されている。自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴など抑圧する者とされる者の絶え間ない闘いが歴史として展開されてきた。その階級闘争の歴史は、ついにブルジョア階級とプロレタリア階級の対立に至る。封建社会を打ち倒したブルジョアが支配階級となった現在の社会のありよう、ブルジョア階級が果たす役割が克明に描かれている」
「ブルジョア階級は、世界市場の開拓を通して、あらゆる国々の生産と消費を国境を超えたものとした。反動派の悲嘆を尻目に、ブルジョア階級は、産業の足元から民族的土台を切り崩していった」
「そうした産業はもはや国内産の原料ではなく、きわめて遠く離れた地域に産する原料を加工し、そしてその製品は、自国内においてばかりでなく、同時に世界のいたるところで消費される。国内の生産物で満足していた昔の欲望に代わって、遠く離れた国や風土の生産物によってしか満たされない新しい欲望が現れる」
「かれらはすべての民族に、存続と引き換えに、ブルジョア階級の生産様式の採用を強制する。かれらはすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入することを、すなわち、ブルジョア階級になることを強制する。一言で言えば、ブルジョア階級は、かれら自身の姿に似せて世界を創造するのだ」

 いまを生きる読者は、資本主義とは何かをつかもうとする手がかりとしてこのような記述に興味をそそられるだろう。あたかも現下の経済のグローバル化を解説しているかのようだ。もちろん資本主義の世界市場展開についてもいろいろ示唆に富んでいる。さまざまな角度から玩味するに十分値する。しかし、かと言って、現実と合致した文章を発見して予言者の如く崇めても仕方ない。

 むしろ、ここではマルクスの弁証法的な視点に注目すべきだろう。マルクスが弁証法的に歴史を描いているということの意味は、対立する階級が歴史を推進するということではない。ブルジョア社会の発展がそのままプロレタリア階級の勃興を準備する道程である、という裏腹な二面性の同在を指摘したことにある。

 それはこういうことだ。「ブルジョア階級が漫然と担ってきた工業の進歩は、競争による労働者の孤立化に代えて、統合による労働者の革命的団結を作り出す、それゆえ、大工業の発展とともに、ブルジョア階級の足元から、かれらが生産し、また生産物を取得していたシステムの土台そのものが取り去られる。かれらは何にもまして、かれら自身の墓掘り人を生産する。かれらの没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに不可避である」

 では、その逢着点としての共産主義とはどのようなものか。

「共産主義を特徴づけるものは、所有一般の廃止ではなく、ブルジョア的所有の廃止である」とマルクスは端的に定義する。

 私有財産が国有化されることが共産主義だという通俗的な理解とは異なり「共産主義は、社会的生産物を取得する権限を誰からも奪いはしない。ただ、この取得によって他人の労働を隷属させる権限を奪うだけである」「資本は、共同の産物であり、多くの人たちの共同の活動によってしか、そして究極的には、社会全員の共同の活動によってしか、機能し続けることはできない」「だから、資本が共同の財産に、社会全員に属する財産に変わったとしても、個人の財産が社会の財産に変わるわけではない。変化するのは、所有の社会的性格だけである。つまり、所有はその階級的性格を失うのだ」

「生活を再生産するための労働生産物を個人が取得することを止めさせようなどとは」考えていない。多くの人の共同によってしか、つまり社会的にしか生産されないものを、支配階級が占有することがなくなるのである。「やっぱりオレの財産を奪おうとしてるじゃないか」という者はいるだろう。それがブルジョア階級だ。プロレタリアは何も失わない。なぜなら失うものを何も有していないからだ。プロレタリアが失うものは鉄鎖だけである。

 プロレタリア階級が政権をにぎったらとるべき政策として、高度な累進課税や相続権の廃止などが挙げられている。これも近頃よく耳にするよな。

 こうして「階級の差異が消滅して、すべての生産が結合された個人の手に集中してゆけば、公的権力は政治的性格を失う」ところにまで進む。階級闘争の終焉とともに他階級を抑圧するために存在した政治権力というものも無化されるのだ。

 そして「階級および階級対立をともなった古いブルジョア社会に代わって、一人一人の自由な発展が、すべての人の自由な発展のための条件となるような連合体が現れる」とマルクスは告げる。

 所有や生産関係に重きを置いた従来の共産主義イメージに代わって、いまはこの一文に注目が集まっている。それはまた、徹底してひとびとの紐帯を断ち切り、個に解体して過酷な競争で対立を煽る、現在の新自由主義との対極の社会像でもある。

 『共産党宣言』にはいまも汲むべきところが豊富にある。とはいえ執筆されたのはフランス革命の60年後、明治維新の20年前だ。マルクス、エンゲルス自身も、初版から25年後の刊行時に寄せた新たな序文では、時代遅れになった箇所や時勢の変化に合わせて書き換えるべき箇所があると述べている。超時代的にその片言隻句に至るまで正当性を擁護するような聖典でもない。

 しかし、それでも『共産党宣言』は現在に生きる書としてある。

 『共産党宣言』がいつの時代においても新鮮な感動でひとをつかまえるとしたら、それは何より、歴史のとらえ方にあると言えるだろう。歴史の法則といえば決定論的に聴こえるのでそうは呼ばない。ただ、歴史とは、でたらめな偶然の集積でもなければ、英雄の個人的意志が左右するものでもない。『共産党宣言』によれば、階級闘争こそが歴史を動かす要因なのである。

 そして、『共産党宣言』は何も持たない、無名の、虐げられた存在にこそ、その歴史への参画の資格があることを明確に指し示した。だから、これまで多くの若者が『共産党宣言』を掲げながら歴史の前面へと踊り出してきたのだ。

 そう考えると、『共産党宣言』の最大の意義とは、歴史への参画を呼号するアジテーションの熱さだというべきかもしれない。この書はこうしめくくられる。

「共産主義者は、自分の見解や意図を隠すことを恥とする。共産主義者は、かれらの目的が、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってしか達成され得ないことを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に慄くがいい。プロレタリアには、革命において鉄鎖のほかに失うものは何もない。かれらには獲得すべき全世界がある。
全世界のプロレタリア、団結せよ!」

 〈引用は『共産主義者宣言』(訳・金塚貞文/太田出版/1993) より〉  

 (左巻き書店店主・赤井 歪)

●左巻き書店とは……ものすごい勢いで左に巻いている店主が、ぬるい戦後民主主義ではなく本物の左翼思想を読者に知らしめたいと本サイト・リテラの片隅に設けた幻の書店である。


 「現代によみがえる『共産党宣言』」を転載しておく。
国際共産主義者同盟 (第四インターナショナリスト)の国際原則の宣言と綱領のいくつかの諸要素

 トロツキーは『レーニン死後の第三インターナショナル』(1928年)の中で次のように指摘した。
 「この時代の革命的性格は、それが革命の達成、すなわち、いつでも与えられた時に権力の獲得を許すというところにあるのではない。その革命的性格は、深く鋭い起伏動揺と直接に革命的な情勢からの急激かつ頻繁な推移に存する。…これが、戦術と対比して革命的戦略の十分なる意義が出てくる唯一の源泉である。そこからまた、党と指導部の新しい意義も出てくるのである。…(今日では)左への政治情勢の新しい鋭い変換のたびに、決定は革命的政党の手中に委ねられる。もし革命的政党がそのようなきわどい情勢を取り逃すと、それは反対の方向へ転回してしまう。このような状況の下にあっては党指導部の役割は異常な重要性をうる。僅か二、三日が国際的革命を決するという意味のレーニンの言葉は、第二インターナショナル当時にあっては殆んど理解されなかったであろう。その反対に、われわれの時代には、この言葉は余りにもしばしば確認された、それも十月革命を除いては常に否定的な側からであった」。 


 1917年10月のロシア革命は、プロレタリア革命のマルクス主義学説を理論の世界から引き出しそれを現実化した。そしてプロレタリアート独裁を通じて労働する者が支配する社会を創り出した。ロシアのボリシェビキ党によって指導されたこのプロレタリア革命は、ロシアのためにのみなされたのではなかった。革命的マルクス主義者にとって、ロシア革命は、世界の資本の支配に対する労働者の必要な国際的闘争の開始の一撃と見做されたのである。資本主義の鎖のその最も弱い環を打ち砕いたレーニンのボリシェビキは、主要な資本主義諸国へ、直接的にはドイツへプロレタリア革命が拡大しなければ、孤立したロシアのプロレタリアート独裁は長くはもちこたえられないことを理解していた。


 後れた国々と地域ではどこでも、ボリシェビズムに対する主要なイデオロギー的障害物と勢力は民族主義であった。


 帝国主義の包囲という圧力、内戦におけるロシアの労働者階級の荒廃、ロシア革命の長期に渡る孤立は、トロツキーが「ソビエト・テルミドール」と呼んだ1923~24年の政治的反革命において、スターリン率いる官僚層が政治権力を纂奪するのを可能にした。堕落したソビエト労働者国家のプロレタリア財産形態に依拠しそこからその特権を引き出す一方で、スターリニスト官僚はプロレタリア財産形態の防衛を完全には行なわなかった。クレムリン官僚の民族的に限定された利害を表現している「一国社会主義」というスターリンの「理論」は、共産主義インターナショナルを世界革命の道具から新たな障害物に変えてしまった。


 スターリンの民族主義的日和見主義に反対して、トロツキーの左翼反対派が、ボリシェビキ革命を鼓舞した真のマルクス主義の綱領に基づいて創立された。左翼反対派は、裏切られてはいたがまだ打倒されてはいなかったロシア革命の獲得物を擁護し拡大するために闘った。ロシア革命の堕落、スターリニスト官僚の二重性、そしてソ連社会の爆発的な諸矛盾という核心をつく分析(『裏切られた革命』、1936年)の中で、トロツキーははっきりと次のような選択を提起した。「官僚が労働者の国家を食い潰すだろうか、それとも労働者階級が官僚を片づけるだろうか?」と。トロツキーの予言的な警告は、否定的な形で厳しく確証されたのである。


 「一国社会主義」という反国際主義の方針は、極左的な冒険から階級協調まで破滅的な諸結果をもたらした。トロツキーは、スターリンを国外における革命闘争の「墓堀人」と特徴付けたが、それは、1925~27年の第二次中国革命や1926年のイギリスのゼネストから、社会民主党だけでなく共産党も一戦も交えずヒトラーの権力獲得を許してしまったドイツに至るまで、そうであった。ドイツでの裏切りという状況の中で、そしてまたスターリニストによるスペイン革命の犯罪的な絞殺で完全に示された人民戦線の構築という明白な反革命的路線をコミンテルンが成文化するという中で、トロツキストは第四インターナショナルを組織し、そしてそれを1938年に具体的に創立した。
 
 ソ連邦(とスターリニストのモデルに基づいてその後に他の国々に現われた官僚主義的に歪曲された労働者諸国家)の計画経済は、急速な発展期の資本主義の無政府性に対する優位性を証明した。しかし、世界市場を通じいまだ世界で支配的な資本主義生産様式による打ち続く経済的包囲という容赦ない圧力は、革命の国際的拡大なしには変えられないものであった。トロツキーは、『裏切られた革命』の中で次のように書いている。

 「レーニンによる問題の定式化―誰が勝つか?―は、一方、ソ連邦と世界の革命的プロレタリアート、他方、国際資本とソ連邦内の敵対的勢力との間の力の相互関係の問題である… 軍事干渉は危険である。資本主義軍隊の貨車につみこまれる廉価品の干渉は比較にならぬほど大きな危険であろう。」

 第二次世界大戦後における第四インターナショナルの組織的弱さ、プロレタリアートへの根強い基盤の欠如、そして理論的無能力と混乱は、トロツキー第四インターナショナルの綱領を継承するということにおいて、重大な政治的分解を引き起こす原因となった。ファシストとスターリニストの手による弾圧でヨーロッパのトロツキストカードルが前もって多数殺害されたこと、そしてまた左翼反対派がかなりの支持基盤を見いだしていたベトナムではトロツキストが虐殺され、中国では投獄されたこと、こうしたことが決定的な時点で経験を積んだカードルの運動を破壊したのである。


  この間ソ連に占領された東欧では、官僚主義的に統制された社会革命によって資本主義財産が収奪され国有経済が打ち建てられ、スターリニスト支配のソ連をモデルとする歪曲された労働者国家が創り出された。


 1960年代後半から1970年代初めにかけてヨーロッパでは、一連の前革命的、革命的諸情勢、すなわち1968年のフランス、1969年のイタリア、1974~75年のポルトガルを経験した。これらは、第二次世界大戦直後以来、先進資本主義諸国でのプロレタリア革命の最良の機会を提供していた。この地域において揺さぶられていたブルジョア秩序をどうにかして再び保持したのは、親モスクワ派の共産党だった。こうした西欧のスターリニスト諸党による反革命的役割は、その後のソ連邦の破壊に計り知れないほど貢献したのである。1970年代半ばの欧米帝国主義諸国におけるブルジョア秩序の再度の安定化の後に、ソ連圏に対する新たな冷戦攻撃がすぐに続いて起こった。


 権力に向けて競い合うプロレタリアートが欠如する中で、ソ連のスターリニスト官僚は遅かれ早かれ「市場社会主義」に向かった。それは、アフガニスタンにおけるアメリカ帝国主義への宥和策や東欧全域での資本主義復活への仲介と共に、1991~92年の旧ソ連邦における資本主義反革命にたいし広くその水門を開いた。指導者のいないプロレタリアートは抵抗せず、それは労働者国家の崩壊という結果を招いたのである。


 1979年の「イラン革命」は、歴史的なイスラム世界において、政治的なイスラム教が優勢をきわめる一時期を切り開いたが、それはソ連の反革命による破壊に寄与し、さらにまたこの反革命によって非常に強化された。イランにおいてホメイニが権力を掌握し打ち固めたことは、より狭く地域的規模ではあったが、1933年のヒトラーによるドイツプロレタリアートの粉砕に類似した敗北であった。国際スパルタシスト・テンデンシーのスローガン「シャーを打倒せよ! ムラーを支持するな!」、そして女性問題へ焦点を当てたこと(「ベール反対!」)は、ムラー率いる反動への他の左翼による屈服に鋭く反対する立場であった。


 プロレタリア権力の保持は、主要には労働者階級の政治意識と組織によっている。スターリンによるボリシェビキの革命的翼への肉体的な破壊の後で、十月革命の伝統に結び付いた全ゆる系譜が、労働者階級の記憶から系統的に消し去られた。スターリンによって大量に作り出されたロシア民族主義のプロパガンダで詰め込まれたソ連大衆の意識の中では、第二次世界大戦がソ連の歴史の中で十月革命に取って代わる画期的な出来事となった。ついにスターリンとその後継者達は、彼等の民族主義的展望をソ連諸民族に刻印するのに成功した。すなわちプロレタリア国際主義は、「革命の輸出」という曖昧な「トロツキー信奉者の異端」として嘲笑されるか、さもなければ空虚なものとして冷笑された。


 アトム化され、いかなる反資本主義の指導部も奪われ、どんな首尾一貫し堅固な社会主義の階級意識をも欠き、資本主義諸国における階級闘争の可能性について懐疑的になるなかで、ソビエトの労働者階級は、迫り来る資本主義反革命に対し結集して抵抗しなかった。そしてトロツキーが『レーニン死後の第三インターナショナル』で記したように、「もし軍隊が危急の際に一戦も交えずして敵に降服したとするならば、この降服は全く『決定的戦闘』のかわりをなすもので、政治の場合も戦争におけると同じことである。」


 『スパルタシスト』(英語版)45-46号、1990~91年冬の中で、ジョセフ・シーモアによる「東欧におけるスターリニスト支配の崩壊」とアルバート・セント・ジョンの「マルクス主義的明晰性と前進的展望のために」(『スパルタシスト』日本パンフレット、1997年7月を参照)、さらに1993年8月の『スパルタシスト・パンフレット』に掲載された「いかにソビエト労働者国家は絞殺されたか」は、スターリン主義の最終的危機の分析を提供している。シーモアの文書には次のように記されている。

 「スターリニスト官僚に対する長い闘争の中で、トロツキーは、資本主義がソ連邦で復活するかもしれないいくつかの異なった道を考察した。…トロツキーは、スターリン体制が漸進的有機的過程を通じ、すでにソ連邦をブルジョア国家に変えてしまったと公に主張する左翼、すなわち逆にしたベルンシュタイン主義に対して論駁するために、『改良主義のフィルムを逆に回す』という語句を利用した。…スターリン下のロシアにおいて、プロレタリア政治革命だけでなく資本主義反革命もまた内戦を伴うだろうというトロツキーの考察は、一つの予見であり教条ではなかった。それは、労働者階級による抵抗に基づいて述べられたものであり、官僚機構の保守的分子による抵抗に基づいて述べられてはいなかった。これこそが『裏切られた革命』の中で問題が提起された仕方である。…決定的な要素はソビエト労働者階級の意識であり、それは静止したものではなく国内的国際的な無数の変化する諸要素によって影響されている。」
 
 またセント・ジョンは次のように述べた。

 「無政府的なブルジョア経済と違って、計画化された社会主義経済は、自動的にではなく、意識的に建設されるのである。(トロツキー)は言う。『社会主義への前進は、社会主義を願うところの、もしくは、いやおうなしに社会主義を願うことを余儀なくされている国家権力と不可分である』と。(「労働者国家、テルミドール、ボナパルチズム」1935年)かくして彼は結論する。もし意識的なプロレタリア前衛の介入がないならば、スターリニスト政治体制の崩壊は、不可避的に計画経済の解体と私的所有の復活に導くであろう、と。」


 「ソ連論」は20世紀において立場を明確にする政治問題であり、革命家にとっての試金石だった。世界の全ての他の潮流が帝国主義による反共主義のイデオロギー的圧力に屈服する一方で、我々トロツキストはその陣地にとどまり、労働者階級の革命的な獲得物を保持し拡大するために闘った。とりわけ我々によるソ連邦の防衛は、世界中において新たな十月革命に向けた我々の闘いの中に表現された。


 ソ連の反革命による破壊の責任はまた、あらゆる種類の改良主義者と中間主義者にある。彼らは、ポーランドの連帯からアフガニスタンにおけるイスラム原理主義の虐殺者に至るまでのあらゆる反動的運動を支持することを含め、ソ連に対して自国の資本主義支配者の背後に位置づいた。ソ連における反革命の荒廃する世界的な諸結果はさらに、理論的なレベルで、スターリニスト官僚が「国家資本家」だという反マルクス主義理論を打ち砕いている。それによればソ連の反革命は、単にある資本主義の形態から別の形態への移行にすぎないと言うものである。

 1991年8月におけるボリス・エリツィンと資本主義復活勢力の優勢は、ソ連の運命を決定する重要な事件だった。しかし十月革命の終局の破滅は、始めからわかりきっている結論ではなかった。スパルタシストのメンバーは1991年8月、「ソ連労働者:エリツィンとブッシュの反革命を打倒せよ!」という記事のロシア語版を10万部以上ソ連国内で配布した。その中で我々は、労働者の動員がエリツィンのバリケードにいる反革命の群れを一掃し、プロレタリア政治革命の道を切り開くと書いた。我々は、資本主義の復活を打ち負かしソ連のプロレタリアートを政治権力へともどすために、政治革命を呼びかけたのである。資本主義イデオロギーかその物質的利益に支配されていた人だけが、その時急いでソ連を帳消しにしようと望んだ。何十年というスターリニストの誤った支配によって裏切られアトム化された労働者階級による抵抗の欠如と猛烈な弾圧は、ソ連労働者国家の破壊に際して決定的な要因であった。

 我々によるソ連邦の防衛は、ソ連邦に向けた我々の綱領、すなわち帝国主義と内部の反革命に対して無条件の軍事的防衛、官僚を打倒しレーニンとトロツキーの道へソ連邦を復帰させるプロレタリア政治革命に限定されるものではなかった。ソ連邦防衛はまた、我々によるベトナム革命の無条件の軍事的防衛、ポーランドの歪曲された労働者国家の転覆を目的としたウォール・ストリートとバチカンに後押しされた連帯の運動に対する我々の反対に表現された。そしてさらに「アフガニスタンの赤軍を歓迎せよ―アフガンの諸民族に十月革命の獲得物を拡大せよ!」という我々の呼びかけ、ドイツの革命的再統一に向けた我々の積極的な介入、といったことにも表現されたのである。
 
 歴史は声高にその判断を下す。旧ソ連邦における反革命の支配は、世界中の労働者にとって比類のない敗北であり、世界の政治情勢を決定的に変えてしまった。ソ連の軍事力にもはや反対されないアメリカ帝国主義は、「一つの超大国世界」を公言し、ペルシャ湾岸からハイチまでの半植民地人民に対して悪辣に振る舞っている。もはや無敵の世界帝国主義の経済的原動力ではないアメリカは、今もその殺戮的な軍事力の優位さを維持している。そして同時にしばしば国連という「強盗どもの巣窟」(レーニンは国連の前身である国際連盟をこう表現した)の「人道的」な隠れ蓑の下で、そのテロを隠すほうをより好んでいる。


 西欧では、ブルジョアジーがもはや必需品を与えることによって「共産主義の妖怪」を食い止める必要がないと見て、社会福祉政策の生活保証制度は削減されている。「共産主義の死」というイデオロギー的風潮がプロレタリアートの意識に影響を及ぼしている一方で、世界の多くの国々での鋭い階級闘争は、科学的社会主義とプロレタリア革命の理論としてのマルクス主義の再生に向けた客観的基盤を提供する。行き詰まりを見せているのは共産主義ではなく、そのパロディーであるスターリン主義である。


 解体しつつあるソ連共産党はボリス・エリツィンに率いられた公然たる反革命ギャングを産み出し、そのエリツィンは資本主義の復活に際しアメリカ帝国主義のあからさまな代理人として活動した。従ってスターリニスト支配階層と西側におけるその追随者たちは、西欧と他の国々における先進的プロレタリアの社会主義への熱望を破壊するうえで、直接の責任を負っているのである。


 トロツキーは1938年の『過渡的綱領』の中で「全体としての世界政治情勢は主としてプロレタリアートの指導部の歴史的危機によって特徴づけられる」と主張した。これは現在の深刻なプロレタリアートの意識的後退よりも前に書かれたものである。ソ連崩壊後の時期の現実は、トロツキーの主張に新たな重要性を付け加えている。こうした後退を克服し労働者階級が独立した階級となる、すなわち社会主義革命に向けて闘うことができる唯一の方法は、労働者階級の指導部としての国際的なレーニン主義トロツキスト党を再度鍛え打ち固めることである。そしてマルクス主義が再びプロレタリアートの信頼をかち得なければならない。
 
 中国では、支配的なスターリニスト官僚によって押し進められている極端な民族主義イデオロギーは、資本主義復活への直接の架け橋である。中国における「市場改革」の反革命的本質は、官僚が資本主義勢力とともに搾取におけるパートナーになろうと試みていることである。とりわけ(1917年10月後のロシアの資本家とちがい)階級として破壊されず、台湾、香港、シンガポールや他の国々で活動し続けている中国人資本家とともにそうなろうとしている。中国は、帝国主義による搾取の安全地帯として「経済特区」を設け、返還された香港の資本主義経済には手をつけないままにしている。そして一方、軍と官僚は概して大規模なビジネスに関わっている。今や官僚、すなわち新たな資本家の搾取者になろうとしている部分は、国有企業の完全な解体を待ち望んでいる。それによって、歪曲された労働者国家の計画経済のいかなる残存物も解体することが提起されているのである。

 この路線は、戦闘的な労働者の抵抗を粉砕することなくして、達成することはできない。支配的なスターリニスト官僚は、初期の政治革命だった1989年の天安門事件で、プロレタリアートに対する恐怖と「グラスノスチ」(ソ連の指導者ゴルバチョフによる政治的「開放」)というようないかなる装いもない残忍な暴力によりかかる意志を示した。中国にとっての選択は、プロレタリア政治革命かそれとも資本主義反革命かである。決定的な要素は、1920年代初期に運動の土台を築き中国共産主義者を活気づけた国際主義的階級意識を再度もたらすことができる革命的指導部である。

 中国での労働者政治革命に向けた闘いは、国際的に労働者にとって巨大な利害関係を持っている。この結果は、残存する歪曲された労働者諸国家(キューバ、ベトナム、北朝鮮)に極めて大きなインパクトを与えるだろう。そしてまた、戦闘的で若いプロレタリアートが力強い要素として出現してきたインドネシア、南朝鮮、タイ、マレーシア、フィリピンのようなアジア諸国にも巨大な衝撃を与えるだろう。


4 国際共産主義者同盟(第四インターナショナリスト)の理論的歴史的起源
 
 1937年の著作「スターリニズムとボルシェビズム」でトロツキーは次のように述べた。「現在のような反動的な時期は労働者階級とその前衛を崩壊させ弱めるばかりか、運動の全般的なイデオロギー水準を低下させ、すでに通り来って久しい以前の段階に政治的な考え方をひきもどしてしまう。このような状況にあって、前衛の任務は、何よりも、自分自身が逆流におし流されないようにすることである。前衛は流れに抗して泳がねばならない。」

 現在のソ連邦崩壊後の時期の中で、マルクス主義は広くスターリン主義と誤って同一視されており、アナーキズムへの共感から反唯物論的観念論や神秘主義に至るまで全ゆるものの復活が起こっている。カール・マルクスは説明する。「宗教上の不幸は、一つには、現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸に対する抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは、民衆の阿片である。民衆の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは、民衆の現実的幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてえがく幻想をすてろと要求することは、その幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。」(「ヘーゲル法哲学批判」、1844年)
 
 国際共産主義者同盟は、マルクス主義の歴史的、弁証法的唯物論に基礎を置き、1840年代のイギリスのチャーチスト運動やツァー帝国下の最初の労働者党であるポーランドの「プロレタリア」党(1882~86年)の例に示された国際労働運動の歴史の革命的伝統を継承する。我々は、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキー、ルクセンブルグ、リープクネヒトのような革命家の業績に基づいて立つ。とりわけこれまで労働者階級によってなされた唯一の革命である1917年のロシア革命で頂点に達したボルシェビキ党の経験に注目する。この歴史は、我々がどこから来て、何を守ろうとし、どこへ行こうと望んでいるかを明らかにしている。

 我々は特に、V・I・レーニンとL・D・トロツキーの理論と実践で発展したマルクス主義による国際労働者階級の展望を前進させようとしている。この理論と実践は、共産主義インターナショナルの最初の四つの大会の決議のなかで、また1938年の『過渡的綱領』や「戦争と第四インターナショナル」(1934年)のような第四インターナショナルの他の重要な文書に具体化されている。これらの文書は、国際的な共産主義運動の不可欠な成文化であり、我々の組織の革命的諸任務にとって根本的なものである。
 
 極めて衰退した資本主義の時代において、我々共産主義者は、その目的としてプロレタリアートによる国家権力の獲得と新しい平等主義の社会主義的基礎に基づく社会の再建を目指しており、また同時に啓蒙主義の理念とブルジョア革命の獲得物を徹底して擁護する。すなわち我々は、ブルジョア民主主義的自由ための非妥協的な戦士であり、武器を携帯する権利、全ての君主制や貴族的特権の廃止、教会と国家の分離、政治綱領として宗教的原理主義の押し付けに反対、ブルジョア国家の侵害に対する言論と結社の自由の擁護、死刑のような野蛮な「懲罰」に反対、女性とマイノリティーにとっての法的平等、これらに向けて非妥協的に闘う。
 
 我々はまた、ジェームス・バーナムのパンフレット『人民戦線―新たな裏切り』(1937年)で述べられているようなプロレタリア的権利の徹底した擁護者である。すなわち「資本主義の民主主義下では、ある程度まで正確に言えば全く『民主的権利』ではなくむしろプロレタリア的権利である諸権利の第三グループが存在している。これらは、例えばピケやストライキや組織する権利といったようなものである。こうした諸権利の歴史的起源は、全ての場合ブルジョアジーとブルジョア国家に対するプロレタリアートの独立した闘争の中に見出だされる。」

 我々はまた、初期のアメリカ共産党の指導者であるジェームス・P・キャノンに大いに注目する。彼はコミンテルンの第六回大会でトロツキズムに獲得され、初めに共産党の中でトロツキスト組織の結晶化のために闘い、そしてそれを労働者階級の闘争の中に根付かせるために闘った。キャノンはアメリカ社会主義労働者党(SWP)の主要な創立者だった。プロレタリア党を建設しレーニン主義の集団的党指導部を打ち固める(初期の共産党による恒常的分派主義を拒否し、例えばフランスのトロツキストを悩ませた派閥主義的陰謀に反対する)彼の闘い、そしてまたソ連論を巡ってトロツキズムから離脱したSWP内のプチブルジョア反対派(シャハトマンとバーナム)に対する1939~40年の闘い、これらはICLが支持する革命的伝統である。

 しかしながら部分的にそして主要にはその民族的地平で、キャノンは第二次大戦後トロツキスト運動内に現われたパブロ主義の修正主義潮流と闘った。我々の基本的文書(特に「パブロ主義の起源」『スパルタシスト』英語版21号、1972年秋、及び『スパルタシスト』日本パンフレット5号、1996年8月を参照)の中では、反パブロ主義者の誤りを鋭く批判する一方で、我々はトロツキズムの生き残りをかけたこの決定的な闘いにおいて彼らとともに立っている。パブロ主義は主要に、革命的指導部の必要性を放棄し、既存のスターリニスト、社会民主主義そしてプチブル民族主義指導部に順応することによって特長づけられる。東欧における歪曲された労働者国家群の創立後、パブロは「歪曲された労働者国家の数世紀」なるものを述べ、スターリニスト党が「革命的な方向をおおまかに実行」しうると主張した。

 スターリニズムの拡大を説明する準備が乏しいなか、キャノンと正統派トロツキストは最初、現実を否定すること(例えば、1955年まで中国を歪曲された労働者国家と認めるのを拒否した)によって解党主義的結論を避けようとした。キャノンは、パブロが社会を変えることができる唯一の階級としてのプロレタリアートを拒絶したことに対し、またトロツキスト前衛党の必要性を拒否したことに対して闘った。しかしこの闘いは決して実際国際的に十分に実行されなかったのである。プロレタリアートを中心に据えることに対する拒絶は、パブロ(そして後にエルネスト・マンデル)が改良主義のなかで試みた主要な代行(例えば、「ゲリラの道」、「新たな大衆的前衛」としての学生)の一つ一つに示されている。
 
 国際共産主義者同盟(第四インターナショナリスト)の起源は、スパルタシスト同盟/アメリカにある。それはSWPの革命的テンデンシーとして始まり、イギリス社会主義労働者同盟の文書「社会主義のための世界的展望」(1961年)及び革命的テンデンシーの二つの文書「革命的展望の擁護」(1962年)ととりわけSWPの1963年の大会に提出された「第四インターナショナルの再生に向けけて」(1963年)に主要に基礎を置いている。

 1966年の創立大会で、スパルタシスト同盟/アメリカは、「原則の宣言」(SL/US『マルクス主義ブレチン』9号、及び『スパルタシスト』日本パンフレット創刊号、1989年9月を参照)を採択したが、それは、この国際原則の宣言のモデルとしての役割を果たしている。国際共産主義者同盟は、マルクス主義運動の理論的明晰さに貢献し労働者にとって必要な組織的武器を再度鍛え打ち固めるのに尽くすことによって、マルクス主義の革命的なプロレタリアの諸原則を擁護し、そうした原則を労働者階級の前衛へともたらす。

 「本来、日和見主義は民族主義的である。なぜならそれは、プロレタリアートの地域的、一時的な必要性をあてにして、プロレタリアートの歴史的任務に基づかないからである。…国際的統一は、我々にとって装飾上の見せかけではなく、我々の理論的観点と我々の政策の真の軸となるものである。」(レオン・トロツキー、「ソ連邦の防衛と反対派」1929年)。官僚主義的にSWPから除名された一握りの若いトロツキストとしてのその初めから、スパルタシスト同盟の展望と活動は、第四インターナショナルの再生とアメリカ中心性に反対することに向けられたのである。
 
 1974年『国際トロツキスト・テンデンシーの組織のための宣言』が採択され、国際スパルタシスト・テンデンシー(iSt)が正式に結成された。この文書は、似非トロツキストの競合者であるSWP、統一書記局派、ゲーリー・ヒーリーの国際委員会による連合的、非ボリシェビキ的実践を鋭く攻撃した。彼等全てが、革命的なレーニン主義的国際主義の実践を回避するために、あからさまに反民主的なアメリカのヴーアヒス法の張り子の虎の背後に隠れたのである。それとは逆に、iSt(ICLの前身)は、国際的な民主的中央集権主義の原則によって運営されると率直に宣言した。
 
 最初の国際的な代表大会が1979年に開かれ、国際執行委員会が選出された。それ以来ICLは、我々のテンデンシーのラテンアメリカと南アフリカへの拡大そしてヨーロッパとアジアへのさらなる拡大というなかで小規模な成功を記録した。この国際的成長は、長引いている比較的反動的なアメリカの政治状況に存在している我々の最大支部を不具にする圧力への力強い対抗力となっている。
 
 1989年、iStは国際共産主義者同盟(第四インターナショナリスト)になった。

 スターリン主義は共産主義の旗を泥の中で引きずり、その一方で系統的にマルクス主義の全ゆる基本原則と用語の理解を歪めた。そして人類進歩を共産主義の理想と同一視する一般的な人々の水準は比較的に低い点にある。しかし資本主義的帝国主義の活動は、世界中で何百万もの抑圧によってありのままの憎悪を新たに生み出している。多くの人々が真の共産主義指導部の不在を深刻に感じており、レーニン主義的国際主義の綱領を大きなインパクトをもって促進させることが出きる。
 
 帝国主義者による低賃金の「第三世界」諸国への投資は、労働と資本との主要な対立が今までありそうもなかった地域にプロレタリアの集中を創り出した。西側の先進諸国を越えて我々の党をさらに拡大する努力の中で、我々は、コート・ジンザーゼのようなボルシェビキの勇気を我々のインターナショナルに吹き込もうと努める。

 「ツァーリズム、非合法、牢獄、追放といった特殊な状態のなかで、コート・ジンザーゼのような闘士を育てるには、メンシェヴィキにたいする長期間の闘争と、とりわけ三つの革命の経験が必要であった。…ヨーロッパの共産党はジンザーゼのようなタイプの闘士をまだ育て上げていない。それは歴史上の諸理由に決定されたかれらの主要な弱さである。そしてそのためにこそ弱さからぬけられないのだ。ヨーロッパ諸国の左翼反対派もこの意味において例外ではないし、そのことを理解する必要が十分にある。」
(トロツキー「ひとりの友の想い出について(コート・ジンザーゼの新しい墓の前で)」1931年1月7日)

5 社会主義革命の国際的性格
 
 歴史的経験は、社会主義への道が、二重権力の創造によってのみ切り開くことができることを示しているが、それは労働者国家の勝利と新たな社会秩序の発展で終わる。旧秩序の警察、軍事、官僚、司法、政治機構は、プロレタリアートの利益に奉仕するように改良することができない。それは粉砕され、プロレタリアートの独裁、すなわち労働者評議会に基づき、労働者の武装した力によって支持された労働者政府によって置き換えられなければならない。このような国家が、権力へ復帰しようとする打倒された支配階級の反革命的努力に対して自身を防衛し、経済を合理的な線に沿って再組織する。社会的諸階級の経済的基盤が衰退していくなかで、労働者国家は、ますます純粋な行政的機能の性質を帯びるようになり、無階級の共産主義の到来と共についには消え去るだろう。しかし、この目的を実現するには、世界体制としての資本主義的帝国主義の破壊と世界社会主義の分業の確立が必要なのである。
 
 労働者階級の国際的性格は、ブルジョアジーに対して潜在的に巨大な優位性をそれに与えている。なぜならば、資本主義は、ある国の資本家階級を他の国の資本家階級に対立させ、常に新たな不均等と危機を創り出す無政府的な方法で機能するからである。この優位性を実現するため、プロレタリアートには、民族やその他の分断を越えて階級を統一し、全ての国の労働者による独立した闘争を調整する国際党が必要である。革命は一国で始まるかもしれないが、いかなる部分的な勝利も他の国々への革命の拡大と社会主義経済組織の終局の世界的支配によってのみ保証されるだろう。我々は、社会主義革命の世界党である第四インターナショナルを再度鍛え打ち固めるために闘っている。そしてその綱領と目的は、1938年に創立された時と同様今日も有効である。
 
 レーニン主義党は、単に一人ずつオルグするだけでない。それは、また綱領に基づいた日和見主義者との分裂を通じ、そして中間主義から分裂する革命的分子との合同を通じて建設される。特に、合同が国境を越えて行われた時には、堅固な基盤をもつ政治的合意を確立するための十分なテスト期間がなければならない。我々は、その方向が新たな十月革命を達成することに向かっている諸グループを統一することを目指しており、それのみであり、それ以外でもそれ以下でもない。

6 全ての被抑圧者を防衛するための労働者階級の前衛的役割
 
 いたるところで資本家は、労働貴族の日和見主義者たちの手助けを借り、宗教的、国家的、民族的分断を助長することによって、労働者の階級意識とその連帯に害毒を及ぼそうとする。排外主義と人種差別主義に対して労働者階級の統一と清廉に向けた闘いは、従ってプロレタリア前衛にとって不可決の任務である。


  1930年に、トロツキーは、大恐慌による衝撃の下でドイツにおいてナチ党が権力を獲得する現実の脅威として現れ出たとき次のように書いた。「ヨーロッパ・ソビエト合衆国。それは、ヨーロッパの分裂から道をさし示す唯一の正しいスローガンである。この分裂はドイツだけでなく、完全に経済的文化的衰退を伴って全ヨーロッパを脅かしている。」(「共産主義インターナショナルの転換とドイツの情勢」、1930年9月26日)
 
 『何をなすべきか?』(1902年)の中でレーニンは次のように書いた。「社会民主主義者の理想は、労働組合の書記ではなくして、どこで行われたものであろうと、またどういう層または階級にかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察の暴行と資本主義的搾取とについての一つの絵図にまとめあげることができ、一つ一つの些事を利用して、自分の社会主義的信念と自分の民主主義的要求を万人のまえで叙述し、プロレタリアートの解放闘争の世界史的意義を万人に説明することのできる人民の護民官でなければならない。」

 ICLは、社会主義革命を通じた女性の解放のために闘う。 

7 修正主義のブルジョア的基礎

 革命的意識が労働者の中に広まっていないかぎりでは、労働者の意識は支配階級のイデオロギーによって決定される。客観的には、資本主義は、資本の力、暴力手段の独占そして全ゆる既存の社会的諸制度の統制を通じて支配する。しかし可能な時には、資本主義は、被抑圧者の中にブルジョアイデオロギーの大きな影響を通して、大衆の「同意」の下に支配する方を好む。それは幻想を助長しその残酷な本質を隠すためである。民族主義、愛国主義、人種差別主義、そして宗教は労働者諸組織に浸透する。それは、中心的には、プチブル的な「労働副官」という代理人、すなわち労働者階級の特権的な上層に基盤をおく寄生的労働組合官僚、社会民主主義官僚、そしてスターリニストに由来する官僚を通してである。もし革命的指導部に取って代えられなければ、これらの改良主義者は、ブルジョア民主主義の諸条件の下、労働者の経済的必要物に向けた闘いのなかで、労働者諸組織を無気力にさせてしまうか、あるいは勝利したファシズムによってこうした諸組織を破壊させさえする。

 1916年の『資本主義の最高の段階としての帝国主義』の中で、レーニンは労働官僚による日和見主義の物質的基礎を次のように説明した。

 「多くの産業部門のうちの一産業部門、多くの国のうちの一国、等々で、資本家が独占的高利潤を獲得することは、労働者の個々の層を買収し―もっとも、一時的に、またかなり少数のものを、にすぎないが―それらの労働者を、その他のすべての労働者に反対してその部門あるいはその国のブルジョアジーのがわにひきつけさせる経済的可能性を、彼ら資本家にあたえる。そして、世界の分割のための帝国主義諸国の敵対の激化は、この志向をつよめる。こうして、帝国主義と日和見主義との結びつきがつくりだされる。…この点について、帝国主義との闘争は、それが日和見主義にたいする闘争と不可分に結合されないなら、一つの空虚な虚偽の空文句にすぎない、ということを理解したがらない(メンシェビキのマルトフの様な)人々ほど危険なものはない。」

 マルクス主義運動内の諸テンデンシーによる堕落と屈服は、帝国主義支配の保持にとってとりわけ決定的に価値あるものとなっている。ブルジョア社会の圧力への従順は、名ばかりのマルクス主義諸潮流を修正主義へと操り返し押しやってきた。それは国家が階級支配の道具であるというマルクス主義の本質的結論を排除する過程なのである。

 ベルンシュタインの修正主義、メンシェビズム、スターリニズムとその毛沢東主義の変種、すべてこれらは明白な改良主義的実践へのかけ橋を打ち建てるこうした過程の実例である。世界的にみて、スターリニストや社会民主主義者の他に、民族主義者や政治的宗教家たちが労働者階級の闘争を脱線させるために活発に活動している。

 中間主義は、労働運動内において綱領的に雑多で理論的には無定形な潮流であり、マルクス主義と改良主義の間の、革命的国際主義と日和見主義的社会愛国主義の間の政治的色合いにおいて、数多くの居場所を占めている。トロツキーは1934年の記事、「中間主義と第四インターナショナル」の中で次のように記している。
 「革命的マルクス主義者にとって、改良主義者に対する闘争は今日ではほぼ完全に中間主義に対する闘争にかわっている。…したがって、仮面をかぶってその真の顔を隠している日和見主義者との闘争は、主として、革命の必要条件から導き出される実践的結論の分野に移行させられなければならない。」

 鋭い階級闘争の諸状況の中で、中間主義の偽称者たちは、ブルジョア階級支配を維持する毒性の鎖の一部を形成し、より危険で革命的な暴露に対してよりもろくなっている。革命的トロツキスト前衛は、中間主義の敵対者の犠牲によって成長するし、またあるいはその逆の事態にもなる。マルクス主義と中間主義の間におけるこうした対決の結果は、革命の成功か失敗かということにおいて決定的な要素である。

 社会民主主義とスターリニズムによる人をひきつけようもない改良主義的実践こそが、アナーキズムの復活を引き起こした。アナーキズムは急進的な民主主義的理想主義に基づく反マルクス主義のイデオロギーで、ボルシェビキの革命的マルクス主義によって今世紀の初頭に死滅寸前まで追いつめられた。同様に労働組合員の間では、反政治的なサンディカリストの気分の復活があるが、それは全ゆる古い「社会主義的」議会主義者のふるまいにうんざりしていることに起因している。しかし「純粋な」経済闘争へのこうした後退は、実際、改良主義の裏切り者たちに常に反対することなしには、ただ戦闘的闘争を消耗死させるだけである。

8 帝国主義戦争に反対する闘争

 レオン・トロツキーは、1934年の「戦争と第四インターナショナル」の中で、腐朽する資本主義から不可避的に生じた戦争に対して、プロレタリア国際主義に根ざした反対の綱領を成文化した。彼は次のように述べている。「帝国主義戦争の内乱への転化は、戦争中のプロレタリア党の全活動が集中されなければならない全般的戦略的任務である。」第一次大戦や第二次大戦のような帝国主義間戦争において、さらに二つの比較的等しく発展した資本主義国家間による他の戦争において、我々の基本原則は革命的敗北主義である。すなわち資本主義の虐殺に対する非妥協的反対であり、自国ブルジョアジーの敗北はより少ない悪であるという認識である。ウィルヘルム・リープクネヒトが言ったように、ブルジョア軍国主義に「一人も一円も出すな」。

 帝国主義による植民地、半植民地あるいは独立国家に対する略奪戦争において、各国のプロレタリアートの義務は、ブルジョアやプチブル民族主義勢力から完全な政治的独立を維持する一方で、帝国主義者に対して被抑圧諸民族を援助することである。

 プロレタリアートは、帝国主義に対して中国、ベトナム、北朝鮮、キューバの歪曲された労働者国家に無条件の軍事的防衛を与えなければならない。我々の立場は、こうした国家のプロレタリア的な階級的性格から出てくる。この階級的性格は、資本主義を破壊した社会革命によって確立した国有財産、計画経済、外国貿易と銀行取引の独占等の集産化された財産諸関係に具体化されている。官僚主義によってこうした国家が奇形化されているにもかかわらず、階級敵に対する我々のその防衛は無条件である。すなわちそれは、スターリニスト官僚の前もった打倒にもよらないし、対立の諸状況や直接の諸原因にもよらない。

 帝国主義戦争に向けた推進力は、資本主義体制に固有のものである。今日「グローバル化」を主張するイデオローグたちは、競争し合う民族国家の対立した利害が現在のソ連以後の時期において超越されたという誤った観点を与えている。これは単にカール・カウツキーによる「超帝国主義」論の蒸し返しにすぎない。レーニンは『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917年)の中で次のように書いている。
 「この現実―経済的および政治的諸条件がこのように非常に多様であり、さまざまな国の成長速度その他に極度の不均衡があり、帝国主義諸国のあいだに凶暴な闘争が行われているというこの現実―を、『平和な』超帝国主義というカウツキーのばかげきったおとぎ話と対比してみたまえ。…ドイツの参加を得てたとえば国際軌条シンジケートや国際海運トラストにおいて全世界を平和的に分割していた、アメリカその他の金融資本は、まったく非平和的な方法によって一変されつつある新しい力関係にもとづいて、いま世界を再分割しつつあるのではないのだろうか?」

9 民族問題と全ての民族の自決権

 トロツキーは「戦争と第四インターナショナル」(1934年6月10日)で次のように述べている。

 「資本主義は、自己の発展のために民族を利用したものの、世界のどこをさがしても民族問題の完全解決をなしとげた場所をもたない。」

 民族自決権は全ての民族に適応する。被抑圧民族の自決権に向けたプロレタリア指導部による闘いは、大衆へのプチブル民族主義指導者の支配を打ち破るための強力な手段となる。ICLはレーニンによる論駁(「民族自決権」、1914年2月から5月)に基づくが、その中で彼は次のように述べている。「労働者階級の利益のため、資本主義にたいするその闘争の利益のためには、あらゆる民族の労働者の完全な連帯ともっとも密接な統一が必要であり、どの民族のであれ、ブルジョアジーの民族主義的な政策にたいして反撃をくわえる必要がある。」

 我々は、レーニンの次のような議論を支持する。「プロレタリアートが搾取に反対して成功裏にたたかうためには、プロレタリアートが民族主義から独立していること、上位を占めようとして諸民族のブルジョアジーが闘争するにあたって、いわば完全中立をまもることが必要である。もし、いずれかの一民族のプロレタリアートが『自』民族のブルジョアジーの特権を、ほんのすこしでも支持しようものなら、かならず、他の民族のプロレタリアートの不信を呼びおこし、労働者の国際的な階級的連帯性をよわめ、労働者を分裂させ、ブルジョアジーを喜ばせるであろう。そして、自決権または分離権を否定することは、かならず、実際には、支配民族の特権を支持することを意味する。」

 しかしながら、民主主義的要求である民族自決権のための特別な要求が、階級の諸問題あるいは階級闘争の一般的な必要物と柔盾するとき、我々はその実践に反対する。レーニンは「要約した自決権に関する議論」(1916年7月)の中で次のように記している。「自決をもふくめた民主主義の個々の要求は、絶対的なものではなくて、一般民主主義的な(今日では一般社会主義的な)世界的運動の一小部分である。個々の具体的なばあいには、部分が全体に矛盾することもありうる。そのときには、その部分を否認しなければならない。」
 
 レーニンは、ポーランドの自決権を強く支持し、ローザ・ルクセンブルクのような他の革命的社会主義者に対して、この点を主張した。しかし第一次大戦という特別な背景の中で、レーニンは次のように論じたのである。「ポーランドの社会民主主義者は、今日、ポーランド独立のスローガンをかかげることはできない。なぜなら、国際主義的プロレタリアであるポーランド人は、『フラキ(社会排外主義者)』のように、帝国主義的君主国のどれか一つへの卑屈な下僕的態度に陥ることなしには、このスローガンのためになに一つできないからである。」

 同じ領土を主張する二つかそれ以上の民族の相互浸透にアプローチするとき、ICLはボルシェビキの実践と経験を指針とし、特にコミンテルン二回大会におけるウクライナに関する議論がそれに当たる。ICLは、近東、キプロス、北アイルランド、旧ユーゴスラビアに関してこの立場を綿密に仕上げた。こうした状況において、国家権力が単一の民族によって必然的に支配される資本主義の下では、民主的な民族自決権は、他の民族の権利を侵害するが故に、ある民族にとっては達成されえない。従ってこうした対立は、資本主義の枠内では公正に解決されることができないのである。民主的解決にとっての前提条件は、その地域の全てのブルジョアジーを完全に一掃することである。

  10 植民地革命、永久革命そして「ゲリラの道」

 第二次大戦以来の経験は、トロツキストによる永久革命の理論を完全に確証している。永久革命は帝国主義時代において、ブルジョア民主主義革命が農民に支持されたプロレタリア独裁によってのみ成し遂げられることを主張する。革命的プロレタリア指導部の下でのみ、植民地、半植民地諸国は真の民族解放を護ち取ることができる。そして社会主義への道を開くには、先進資本主義諸国に革命を拡大することが必要である。

 十月革命それ自身がメンシェビキによる段階主義の革命論を論破した。すなわちメンシェビキは、権力にブルジョアジーを就かせるため自由主義的なカデット党との政治ブロックを提案した。「ブルジョアジーとプロレタリアートの同盟というメンシェビキの考えは、実際には、自由主義者に対してプロレタリアートと農民が従属するということを意味していた。…1905年にはメンシェビキは、彼らの『ブルジョア』革命の理論から、その必然的な結論をすっかり引き出す勇気にまだ欠けていた。ところが1917年には、彼らは、自身の考えを理論的帰結にまでおしすすめ、頭をぶち割ってしまった。」(トロツキー、「ロシア革命の三つの概念」、1942年初版発行)

 レーニンのボルシェビキは、ロシアブルジョアジーが民主主義革命を指導することができないと主張した点で、トロツキーの観点により近かった。ボルシェビキは、「プロレタリアートと農民による民主主義的独裁」で頂点に達する労働者階級と農民との同盟を主張したが、この独裁のスローガンは、二つの異なる階級の利益を擁護する国家を予見するという欠陥をもったものだった。二月革命後の1917年において、プロレタリア独裁に向けたレーニンの「四月テーゼ」路線が勝利するには、ボルシェビキ党内で鋭い闘争を必要とした。しかしながら、ボルシェビキ党が明白に十月革命によってトロツキーによる永久革命理論の正当性を認めなかったこと、さらにはっきりと「プロレタリアートと農民による民主主義的独裁」を否定しなかったこと、こうしたことをトロツキー、永久革命理論、革命的国際主義の諸前提やボルシェビキ革命の意味することに攻撃を加えるため、後にボルシェビキの「古参兵」(例えばスターリン)として装う諸勢力が利用するものとなった。

 トロツキーは『永久革命』の1930年3月29日付のドイツ語版への序文の中で次のように書いた。「国際主義の経済的正当化の名のもとに、スターリンは、じつは、民族社会主義への正当化を提出する。世界経済は同様な諸国民経済の総計にすぎないとするのは誤りである。特殊な側面は、顔面のいぼのように『一般的側面を補足するにすぎない』とするのも誤りである。実際には、民族的特殊性は世界的過程の基本的諸側面の独特な結合である。」

 『永久革命』(1929年11月30日)の中でトロツキーは次のように説明している。「帝国主義時代の諸条件のもとでは、民族的民主主義革命は、その国の社会的・政治的諸関係がプロレタリアートを人民大衆の指導者として権力につけるために成熟しているばあいにのみ、勝利的結末にまで貫徹されうる。ではこのばあいでないときには? そのときには、民族解放闘争は、極めて部分的な結果しか、勤労大衆に不利な結果しか、生み出さないであろう。」
「プロレタリアートが農民と団結し、権力を獲得する用意をまだ不十分にしか有していない、後進的な植民地ないし半植民地は、民主主義革命に結末をつけることができない。」

 植民地世界における反資本主義革命の不完全な性格は、社会主義革命を行うことができる唯一の社会的勢力がプロレタリアートであるというマルクス―レーニン主義の概念を再度断言させるものである。ICLはメンシェビズムやスターリニストの改良主義に根を持つ毛沢東主義の教義に根本的に反対する。それは労働者階級の前衛的役割を拒絶し、社会主義への道として農民に基盤をおくゲリラ戦争を代用させる。

 スターリニズムを分析するなかで、国際共産主義者同盟によって担われたマルクス主義の一層の拡張は、キューバ革命を理解させるものとなった(『マルクス主義ブレチン』8号、「キューバとマルクス主義理論」を参照)。それは、ユーゴと中国革命の過程をさかのぼって解明した。キューバにおいて、独立した社会的力の競争者としての労働者階級の欠如、民族ブルジョアジーの逃亡と敵対的な帝国主義による包囲、そしてソ連邦によって与えられた生命線といった例外的な諸状況の下で、プチブルジョアの運動は、実際古いバチスタ独裁政権を打倒し、最終的には資本主義の財産諸関係を紛砕したのである。しかしカストロ主義(あるいは他の農民を基盤としたゲリラ運動)は、労働者階級を政治権力へともたらすことができない。考えられうる最も有利な歴史的諸状況の下で、プチブルジョアの農民は、単に官僚主義的に歪曲された労働者国家を創立しえたにすぎなかった。すなわちこの歪曲された労働者国家は、ソ連においてスターリンの政治的反革命から現われ出たのと同じ秩序をもった国家であり、ラテンアメリカと北アメリカへ社会革命を拡大する可能性を封じる反労働者階級の体制であり、社会主義に向けてキューバのさらなる発展を抑えたのである。

   
 11 人民戦線: 戦術ではなく最も大きな犯罪

 1936年のスペインから1973年のチリに至るまで、プロレタリア革命にとって成熟した機会は、人民戦線というメカニズムを通して脱線させられた。この人民戦線は、被搾取者を搾取者に結び付け、ファシストやボナパルチスト独裁への道を開くものである。

 レオン・トロツキーは次のように主張している。「労働者農民を議会主義的幻想で眠りこませ、これらの労働者農民の闘争意志を麻痺させることによって、人民戦線はファシズムの勝利に有利な条件を作り出した。ブルジョアジーとの連立の政策は、ファシスト・テロによる数十年間とはいわないまでも数年間の新たな拷問と犠牲をプロレタリアートに支払わせるにちがいない。」(「新たな革命的高揚と第四インターナショナルの任務」、1936年7月)

 レーニンとトロツキーのように、ICLは、政府内にいるか反対陣営にいるかにかかわらず、資本家諸政党とのいかなる連合(「人民戦線」)にも原則的に反対する。そして人民戦線内の労働者諸政党に投票するのに反対する。改良主義の労働者党(レーニンによって規定されたような「ブルジョア労働者党」)によって形成される議会に基づく政府は、資本主義支配に貢献する資本家の政府である(例えば、イギリスの様々な労働党政権)。大衆的な改良主義労働者党が、ブルジョア政党から独立して反対し、労働者階級の利益を表現するように現れる場合には、革命家は批判的支持という戦術を適用するのが適切かもしれない(「ロープが絞首刑にされる人をしめ上げるように」)。こうした選挙での批判的支持は、革命家にとって、プロレタリア基盤と親資本主義の指導部の間にある矛盾を一層激化させる手段として役立つ。しかしながら、既存の小さな非プロレタリア政治諸組織(例えば西側におけるリベラルや一時的に流行している「緑の党」とか、ブルジョア民族主義者)でさえ、ブルジョアジーの綱領の保証人として行動し、こうした矛盾を抑制するのである。

 「反帝国主義統一戦線」は、階級協調が頻繁に植民地や半植民地で取る特別な形態である。この政策は、1920年代に中国共産党を蒋介石の国民党に解党させることから、アフリカ民族会議(ANC)の前に何十年もの間、南アフリカの「左翼」を屈服させてきたものである。そしてこのANCは、ネオ・アパルトヘイト資本主義のために帝国主義に後押しされる表看板となっている。今日ラテンアメリカにおいて、「反米」民族主義は、戦闘的な労働者や反乱する農民が、その希望をブルジョア「急進主義者」に託すことへと導く主要な道具となっている。トロツキーによる永久革命の綱領は、解放の手段として、抑圧された国における後進的で帝国主義に依存したブルジョアジーへの信頼という幻想に取って代わるものである。

 12 革命党: その綱領、組織、規律

 「党なしに、党とは独立に、党をとび越えて、あるいは、党の代用品を通じては、プロレタリア革命は決して勝利することはできない。」(レオン・トロツキー、「十月の教訓」、1924年)。

 我々は、プロレタリアートに政治的意識をもたらすための道具である革命党を建設しようと努力している。そして労働者階級が社会主義革命を実行しそれを打ち固める主要な攻撃的、指針的勢力になろうと努めている。我々の目的は、指導的カードルが階級闘争の中で訓練されテストされなければならない革命的な参謀組織になることである。党は、その綱領と革命的決定に基づいて、階級の指導部を獲得するために闘う。党は現情勢を評価するために、過去全体を理解するよう努める。
 
 我々が挑戦するのは、革命的瞬間が来たとき、それを認識しそれに大胆に応えることである。この瞬間とは、プロレタリアートの諸勢力がもっとも確信を持ち、準備され、旧秩序を支える諸勢力がもっとも意気消沈し混乱しているときである。こうした党の中にこそ、その解放を獲得すべき大衆の熱望が結晶化されているのである。すなわち党は、大衆の革命的意志を表しており、彼らの勝利の道具となる。

 トロツキーは、『過度的綱領』の中で次のように記した。「つぎの時期―扇動、宣伝、組織の革命的時期―の戦略的任務は、客観的革命的条件の成熟と、プロタリアートとその前衛の未成熟(旧い世代の混乱と失望、若い世代の未経験)との矛盾を克服することである。大衆が日常闘争の過程において、当面の要求と革命の社会主義的綱領の間の橋を発見するのを助けることが必要である。 この橋は、今日の状態と労働者階級の広汎な層の今日の意識から生まれ、必然的に唯一の究極的結論、プロレタリアートによる権力の獲得にみちびくところの、過渡的要求の綱領をふくまねばならぬ。」

 前衛党は、先進的労働者の意識のために闘うことに専念するなかで、党指導部の問題に同様の意識的注意を向けなければならない。「労働組合問題に関する共産主義者同盟右派分子の誤り」(1931年1月4日)の中で、トロツキーは次のように述べている。

 「日和見主義的な誤謬や逸脱の社会的源泉や政治的原因がいかなるものであろうとも、それらは常に革命党にかんする、また他のプロレタリア組織や全体としての階級にたいする革命党の関係にかんする誤った理解にイデオロギー的に還元される。」

 統一戦線は、共通の要求に向けた闘争において広範な大衆を動員し、階級内部で前衛党の権威を強化するため、とりわけ不安定な時期における主要な戦術である。「別個に進んで、同時に打つ」という定式は、共通の政治的経験という情況の中で、競いあう意見を戦わせる一方、労働者の利益を防衛するなかで一致した行動をとることを意味する。

 共産主義の統一戦線戦術は、前衛を、共通の行動に向けて別個のあるいは敵対的な組織に近づけさせるものである。この戦術は、「第三期」のスターリニストによる「下からの統一戦線」に対置されるものである。スターリニストによるものは、指導者たちに反対して「下部」との統一を要求し、組織的方針を強化して、統一した行動を妨害する。統一戦線は、「完全な批判の自由」を必要とする。すなわち、参加者は、自身のスローガンと宣伝を持ち出すことができる。
 
 革命的な目的から後退する証は、宣伝ブロックという実践にある。これはプロレタリアの綱領を「統一」の名の下に日和見主義者に従属させるものである。同様の目的が「戦略的統一戦線」という考えによってなされる。これは統一戦線を最低の共通プログラムに基づいて望む限り永い「連合」に転化する。全ゆるこうした企図に反対する中で、革命党は、政治的明晰性のために闘うことを抜きに、また改良主義のとりわけ中間主義勢力の絶えざる暴露を抜きにして、建設されることができない。

 ICLは、初期のコミンテルンによる国際赤色救援会のアメリカにおけるその部隊、国際労働者防衛(ILD)の諸原則と記録に基づいている。我々は、ILDによる非セクト的で、パルチザンの階級闘争による防衛活動を押し進め、その政治的観点にかかわりなく労働者階級や被抑圧者の闘士たちを防衛するよう努める。 


 我々はレーニンやトロツキーのような同志の教えや実践によって指導されている。

 「現実を正視し、最小抵抗線をさがし求めず、事物をその正しい名前で呼び、いかにつらかろうとも大衆に真実を語り、障害をおそれず、大事にも小事にもともに真剣であり、自己の綱領を階級闘争の論理のうえにきずき、行動の時いたらば、大胆であること―以上が第四インターナショナルの掟である。」(『資本主義の死の苦悶と第四インターナショナルの任務: 過渡的綱領』、1938年)

 我々が世界社会主義の勝利へと労働者階級を導く任務において前進するなかで、上述したことが国際共産主義者同盟(第四インターナショナリスト)の規範である!
 
 (この文書は、1998年2月2日、国際共産主義者同盟第三回国際大会によって修正採択されたものであり、さらに1998年2月26日、国際書記局によって承認された最終的文書である。)


 共産党宣言その洞察と問題点
 パリ=コミューンを支持していた昔の著作以外では、マルクスもエンゲルスも宣言で自身が設定したプロレタリア階級支配の政治的諸制度の問題を解決してはいなかった。その問題とは、どのようにして、一階級、なおもブルジョア社会おいて多数を占めている民衆が、一階級や一民衆として権力の手綱を乗っ取るのだろうか、ということである。1905年に、ロシア労働者は、階級権力に必要な政治的制度という問題に対して自身の解決策を持って現れた。つまり、ペトログラード評議会(ソヴィエト)である。この都市規模の評議会は、1905年の革命時にロシアの首都に出現し、フランス大革命に出現していた集会群の近似だったのである。もしそれが、単なる自治体評議会であり続けていれば、特徴としてより労働者階級のものであっただけで、パリコミューンとそれほど異なるものとはなっていなかっただろう。

 アナルコサンジカリストは、国家に対する最も実行可能な革命的代替案として、産業の労働者管理を提示している。その実行可能性の証明としては工場と農地の奪取が挙げられる。その可能性と限界の適切な説明は別な論文を参照していただきたい(7)。しかし、解放的社会の社会要素として、労働者管理は根本的問題も幾つか持っている--その島国根性と製造業の労働者階級の数が目に見えて非常に減少しているというだけでなく、最も特異的なことに、競争的で集産的に所有された資本主義的企業に変わってしまう傾向を持っているのである。工場設備と工場の単なる経済的管理は、革命的変換の持つコインの一面でしかない。これが、スペインのアナルコサンジカリストが1936年~1937年に余りにも劇的に学んだ教訓だったのである。歴史的に最大規模の集産化実験だったにも関わらず、ブルジョア状態を排除できなかったのだ--カタロニアとアラゴンの強力なアナーキスト飛び領土を無理やり粉砕しながら、1937年5月に逆戻りしてしまっただけだったのだ。






(私論.私見)