別章【れんだいこのマルクス主義出藍論その1、原理論評価と批判、俗流批判
の批判】

 (最新見直し2010.10.18日)

Re:れんだいこのカンテラ時評280 れんだいこ 2007/04/06
 【れんだいこのマルクス主義出藍宣言の辞】

 れんだいこは、若い頃マルクス主義にかぶれた。運動の期間としてはそう長くはない。今50歳を越す身になって思うことは、あの時私の胸中を捉えたマルクス主義とは一体いかなる思想であったのかということである。今から5年ほど前になるが、私が被れるに値があったのかなかったのかの見極めをしてみたいと云う思いが忽然と湧いてきた。世間で云われているような既に用済みの時代遅れの思想であり主義に過ぎないと言うのであれば、それに被れたれんだいこは単におぼこかったということになる。しかし、果たしてそうであろうか。れんだいこほどの者を夢中にさせた限りには、もっと何らかの内実があったのではないのか、という思いのほうが禁じえない。

 そういう思いと同時に次のことも踏まえねばならないように思うようになった。世上で流布されているマルクス主義は実はマルクス主義ではなかったのではなかろうか。このことに関しては、マルクス自身が存命中に、「私はマルクス主義者ではない」と語っていたというエピソードを想起すれば更に補強されるだろう。世上にマルクス主義が流布されてより百数十年、この間人民大衆の抵抗運動の際の有力な思想的武器となってきた。しかしながら、余りにもマルクス主義理論のまばゆさに魅惑され、土着の一揆思想を放擲したのは惜しいことであった。願うらくは、伝統的土着思想の土壌を基盤にしながら、自由自主自律的にマルクス主義を批判的に受容すべきであった。後付けで見えてくることではあるけれども。

 1917年のロシアにおける十月革命はマルクス主義の実践的勝利でもあった。以降、ソ連邦体制の国際的広がりとその抑止に対するせめぎ合いが世界史的テーマとなってきた。しかし、旧権力打倒の革命には成功したが、建国継続革命は首尾よくは進展しなかった。結果的に、革命前の宣伝文句の魅力に反して実践的には正反対物を生み出してしまった。その原因は未だ充分には検証されてない。故に総括を為し得ていない。廻り廻って、今日ではソ連邦体制の方があえなく崩壊するという憂き目を見るに至っている。

 れんだいこが思うに、そういう史的結果の遠因を訪ねるのに、理論が未熟だということにあるのではなかろうか。更に、この間のマルクス主義運動が、マルクス主義の何たるかについて肝心なところを明らかにせぬままあるいは理解されぬまま任意な自己流の、あるいは政党のご都合主義風のマルクス主義が真性のマルクス主義として喧伝され、失敗するべくして失敗したのではなかろうか。その挙句、マルクス主義そのものが古くなったとか、間違いであるとか、破産したとか敗北したとか多種多様に評論されているのではなかろうか。

 そういう意味において、れんだいこは、マルクス主義を一から構築し直したい。れんだいこが憧憬し理解したマルクス主義の一番肝要なところは、例えて云えば我々の頭脳のシワを増やすものであり、そうでなければならなかった。本来のマルクス主義はこれに大いなる功績があり、人類史上の営みを要点整理し、新時代の息吹をメッセージするその手法において、人類の認識の大いなる前進を刻印していたのではなかったか。従って、マルクス主義的観点を持つか否かで世界史が変わるほどの、マルクス主義登場以降の人類の歩みに大きな寄与を為す勲一等的貢献を為す思想的営為ではなかったのか。そういうものとしてマルクス主義を位置づけ受け止めたいと思う。その実感を得ようと思えば、各自がその著作に触れれば良い。豊かな泉からこんこんと湧き出る清水に目を洗われであろう。

 この見解を補強するかのように、エンゲルスが、マルクス死去の翌日アメリカに住むF・A・ゾルゲに宛てた手紙の中で次のように書いている。
 「とにかく、人類は頭一つだけ低くなったのだ。しかも、人類が現在持っている最も大切な頭一つだけ」。

 だがしかし、史上に現れたマルクス主義の実際は、我々の頭脳のシワを増したであろうか。否、却ってのっほぺらぼうなものにしたのではないのか。ここに反省すべき最肝要な課題が横たわっているのではなかろうか。いわゆる理論面での非弁証法的な公式主義、図式主義と実践面での統制主義にまみれ、一握りの指導部に唯々諾々さえすれば良い、すべきだ、異論・異端は許さない式の、凡そ本来のマルクス主義とは正反対物に転化したマルクス主義が正調として史上に跋扈し、多くのマルキストがそれを信奉して自惚れに浸ってきたという欺瞞的な反マルクス主義の歴史を経過させてきただけなのではなかろうか。

 そういう似て非なるマルキスト達によってマルクス主義運動が担われてきた。このことを大胆に客観視すべき頃ではなかろうか。こうした事情から、「マルクス主義の歴史は、その成立当初からして分裂抗争気味であり、マルクス主義の実践的成果自体はなはだ疑問の昨今であるが、それもそのはずでマルクス主義者を自認する者たちの間でも、その解釈が非常に多義的であり、いずれが正統理論であるのか解明されていない」と述べられるようになっており、この云いには説得力があるのではないだろうか。

 しからば、正味真性のマルクス主義とはそもどのようなものであるのかという関心でもって本章を構成してみたい。あたかもマルクス、エンゲルスと対話するかのように。それは骨の折れることではある。何しろ相手は史上稀なる天才たちで、こちらは世間に名もなき凡人でしかないから。それはそうだけど、れんだいこの方にも有利な点がある。れんだいこはそれ以降の歴史の流れを知っているということと、50有余歳になるまでたっぷりと世間の中で泳いで生きてきたという実感である。思えば、マルクス・エンゲルス理論に問題があるとすれば、それが実践理論だとはいうものの学究的なあまりに机上論な面があるのではなかろうか、という気がしないでもない。そういう対話を得て、素面のマルクス主義を露わにしてみたい。有用有益な思想に違いないから。

 次に為すべきこととして、本来そうであるべき労働者大衆向けの普及本づくりに向けて時間を見つけ次第ぼちぼちでも取り組んでみたい。しかし、これを平明に語るということは難しい。なんとなれば、まずもってれんだいこが咀嚼していなければ為しえないであろうし、今から全文献に目を通すなどという芸当はできっこない。従って、少し危険では有るが、判明しないところも含めてむしろれんだいこなりに合点させて、そういうフィルターでのマルクス主義を綴ってみたい。そして多くのマルクス論者に試論として呈示し、批判検討の中から更なる試論へと突き進めて生きたい。更に云うならば‐‐‐という思いもあるがそれは云うまい。

 追記。小室直樹氏の最新の著書「数学嫌いな人の為の数学」で、次のような興味深い指摘が為されている。
 「(ソ連の崩壊要因について)重大な原因の一つを挙げよと云われるならば、著者はためらわず、『マルキストが実はマルクスの学説をよく理解していなかったからである。特に、必要条件と十分条件の違いを理解していなかったからであると云いたい』」。

 これは卓見のように思う。

 最後に。れんだいこは最近になって「シオン長老の議定書」の存在を知り、対話するようになった。これは衝撃的であった。以来、史観が代わり、「シオン長老の議定書」派が織り為してきた近代から現代に至る歴史的役割に着目している。こちらの方が、真に歴史を動かしている実在力だと思うようになった。こう認めないと現代史が読み取れない。興味深いことは、「シオン長老の議定書」の基本テキストは、ロスチャイルド1世の講演議事録のようで、そのロスチャイルド1世とマルクスが直接的にか間接的にか関係しているらしきことである。少なくとも同時代人には間違いない。

 そういうことから、マルクスが、「シオン長老の議定書」的ネオシオニズム世界観のクビキの下でマルクス主義的教説を説いている可能性を詮索するようになった。そう思えば、マルクス主義とネオシオニズムの論理構造が酷似していることに気づかされる。違うとすれば、ネオシオニズム的選民理論に拠らずほのかに共生理論を打ち出していたことだろうか。その限りにおいてイエスキリスト教的である。しかしながら、マルクスが最終的に指針させたプロレタリア独裁論はユダヤ的感性特有のもので、我々が許容してはいけない危険過ぎる教説であることに思い至るようになった。

 こう確信して以来、れんだいこは、マルクス主義からの出藍を決意するようになった。大変なことであるが歩一歩やり遂げていかねばなるまい。ちなみに、出藍とは、ドイツ語のアオフへーベン(Aufheben)のれんだいこ訳である。従来の止揚に対して、さる日福本和夫氏が揚棄を造語したが、それよりもなお語彙が近いと得心している。誰か、日本哲学史上のこの功績を認めてくれないだろうか。以降、他の誰彼も出藍と表現してくれないだろうか。

 2007.4.6日再編集 れんだいこ拝

【木村愛二氏の指摘】
 木村愛二氏は、「真相の深層」bUの「カール・マルクスの大罪・序章」で次のように述べている。
 事態は益々「グローバル」なのである。その現実に対して、これまでの既成の「イズム」や「主義」が間に合っていなかったことが、問題の焦点なのである。だから、目先の手段を考える前に、「グローバル」な現実の過去・現在・未来を、精密に調べ上げ、理論化し、それに対する過去の思想と実践の欠陥を、すべて点検し直す必要が有るのである。理論的に考えるためには、過去の経験の分析が不可避である。私は、自由主義とも称する資本主義の欠陥に就いては、既に明らかだと考えるし、現在必要な過去の点検の中心的な課題は、いわゆる共産主義にあると考えている。その徹底的な分析、点検、反省こそが、21世紀の最初の仕事なのである。
(私論.私見)

 れんだいこも同感である。マルクス主義の意義を端から否定し取り合わないのならともかくも、ひとたびその意味を認めるならば、そこから出藍せずんば正々堂々としていない。出藍が難しくても挑まねばなるまい。木村氏のここまでの論及は見事と云う他ない。

 2005.6.9日、2007.4.7日再編集 れんだいこ拝


【前置き】
 マルクス主義理論をれんだいこが批判しきるなどというだいそれた試みに挑戦せざるを得ないことに、れんだいこは実はワクワクしている。尤も、れんだいこの場合否定的な批判ではない。マルクス主義を高く評価し愛するが故に、足らざるところの何かを補足したいという動機から始まっている。

 ところが、始末が悪いことに、今やそういうれんだいこの思いはマルクス主義の方法論の域へまで進もうとしている。こうなると、補足のレベルではなく、はっきりと批判にならざるを得ないというジレンマにたどり着いている。しかし、このことを能く為し得るには嗚呼脳力が足りない。それを承知で挑もうとするれんだいこの未来に幸いあれかし。

 マルクス主義について思う事は次の感慨である。囲碁の用語に「定石は習って忘れろ」という言葉がある。れんだいこは、この意味でマルクス主義を咀嚼しようと思っている。ならば、原典に当るに限る。ところが、この原典開示が非常に抑制されている。その癖、日共辺りは、あのくだらない綱領、規約、方針に馴染まない者を見つけるや反共呼ばわりで得々としている。

 全くナンセンスの極みであるが、マルクス主義の原典に近づかせないよう姑息な策動にうつつを抜かしている現下日共党中央こそ反共主義者の巣窟であるように思われる。この珍現象に激怒する者はれんだいこ一人であろうか。

 だがしかし、この了解が共通認識されているかというと心もとない。その様は、己のええ加減さを隠すいちじくの葉として日共党中央を矢面に立たせて安堵しているかのように見える。申し訳ないが、マルクス主義をそういう処世法で利用するのは馬鹿げている。もっと正々堂々とこれに正面から取り組み、一人一人の気づきで差異を生み出すべきだ。ご利益信心の向きの方に良いことを教えてあげよう。論旨展開の精密さを習うとすればマルクス主義には効能が多すぎる。ためらわずに学ぶべきだ。

 さて、マルクス主義を喧喧諤諤するのはそれからのことだ。この理論を学び、対話し、思案を深めよう。そして。どこかに捩(ねじ)れがあるとすればその地点まで立ち戻ろう。よしんばそれがマルクスの地平にまで至ろうとも。マルクスもまたそれを望んでいるはずだ。うん良いことを云ったと思う。

 2003.8.25日再編集 れんだいこ拝


【目次】
マルクス主義評価
その1 、マルクス主義の白眉性について
その2 、マルクス主義の値打ちについて
その3 、マルクス主義とネオシオニズム」との相関について
マルクス主義批判
その1 、机上学性について
その2 、ルネサンス精神の欠如について
その3 、「唯物弁証法」。その欠陥について
その4 、「唯物弁証法」のその後の発展の貧困について
その5 、「理論の体系化」。その貢献と不即不離的欠陥について
その6 、「マルクス主義的理想」について
その7 、「マルクス主義的社会の構造分析」について
その8 、資本主義体制論。そのすり替え性について
その9 、「歴史における階級闘争論」。その満展開の危険性について
その10、階級闘争論のすり替え性について
その11、「搾取理論」。その貢献と不即不離的欠陥について
その12、「マルクス主義的疎外論」について
その13、「市場経済否定理論」。その貢献と不即不離的欠陥について
その14、歴史法則論。その貢献と不即不離的欠陥について
その15、歴史法則論と主体性論の齟齬について
その16、国際主義論。その貢献と不即不離的欠陥について
その17、主体性論と生命哲学の不言及について
その18、いわゆるマルキストの陥穽としての宗教的真理化について
その19、いわゆるマルキストの陥穽としてのエリート的統制主義の立ち現れについて
その20、いわゆるマルキストの陥穽としての「階級出自決定論」について
その21、「ユダヤ人問題」からの意図的逃避について
その22、革命に至る戦略戦術論について、その不明確性について
その23、マルクス主義に対する様々な寸評について
マルクス主義的予見の齟齬
その1、資本主義的生命力又は延命力の見通しの甘さについて
その2、資本主義体制よりも抑圧的な社会体制を導入した結果責任について
その3、民族主義と国際主義の不整合について
その4、中産階級の出現について
その5、企業における所有と経営の広範な分離について
その6、「原始共同体」仮説の崩壊について
何の為にマルクス主義を見直すのか
その1、サヨの跋扈について

【マルクス主義評価その1、マルクス主義の白眉性について】
 マルクス主義の秀逸性についてこれまで云い古されてきているが、その評するスケールが小さくしっくりしない。そこで、れんだいこなりの評価をしてみる。これを個々の理論において評するのはキリがなくなるので総論において述べる。

 そうなると見えてくるのは要するに次の事である。史上の聖人は洋の東西にわたり輩出し、いずれも「人類の救済」というテーマに付き独特の見解を披瀝し、その見解の質に応じて同調者を生み出してきた。この意味では、マルクスもその同じ土俵に上がって思索しており、その上達者であると云えよう。

 マルクスのどこが上達者であるのかというと、マルクス以前の聖人はいずれも、世界観と修身論の二元話法でこれを説き、これを如何に良く為すかにおける類稀なる聖者であったが、マルクスの偉大さは、聖人ぶること一切なく聖人たちのレベル以上のものを語り実践したことにある。ここにマルクス主義の真価がある。

 聖人たちのレベル以上のものとは、世界観と修身論の二元話法の限界を越えて「社会」という別途の質があることを発見し、その動態分析に踏み込み、人間が如何にその法則に規定されているのか、もし自由を得んと欲すれば如何なる社会創造に向かうべきかまでを青写真化させたことにある。社会の動態分析は近代西洋思想の成果である。マルクスは、そうした観点の集成者としてまさに思想の大変革を為した点で不朽の功績を残している。こうして、いわゆるマルクス主義の創始者となった。

 マルクスのこの功績は、21世紀初頭の今日色褪せていない。というかむしろますます重要性を帯びつつあるように思われる。何ゆえかというと、世界観と修身論の二元話法からは捉えられない社会という質が大いに威勢を持ちつつあるからである。社会は長い歴史の行程を経由して資本主義を生み出した。その資本主義がますます成長し爛熟しつつあり、レーニン規定に拠れば帝国主義の時代に突入しており、それに応じて人民大衆に対する生活規制が強化されつつあり、いわば首尾よく革命主体さえ形成されればいつでも革命前夜を迎えている。

 生産力の巨大な発展が遂げられつつあるにも拘わらず、その果実の分配において天文学的な不平等をもたらしつつあり、早晩革命を遂行せずんばこの流れが止まらない局面に入っている。なお、飽くことなき資本主義的資本蓄積体制が今や地球資源を食い潰し、その循環サイクルを破壊しつつある。なお且つ世界に戦争を持ち込み、絶えず紛争を発生させつつある。現代の科学技術がこれに強権的に奉仕させられ、本来それらが持つ可能性をいびつなものにしている。

 この時代にあっては、過去の聖者達の「人類の救済思想」だけではとても有効なものにはならない。社会という別途の質を科学するマルクス主義の「人類の救済思想」を今一度呼び起こし、文明の再編をし直さなければ、人類の危機が止まらない。それは、過去の聖者達の「人類の救済思想」を軽視せよというのではない。それらをも学び、且つその限界を見て取り、その限界を突破する新たな叡智思想としてマルクス主義の価値を認め、これからも学ばねばならない、と云いたい訳である。

 2003.8.25日再編集、2005.10.30日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義評価その2、マルクス主義の値打ちについて】
 ところで、マルクス主義の値打ちはどこにあるのか。この点を一風変った別の視点から明確にさせておきたい。これを述べれば次のように云える。

 俗に、「ろうそく例え話」というのがある。ろうそくが知識であり、そこからしたたり落ちるのが知恵だと云う諭しである。これは知っておいて損の無い話であるが、やや平明過ぎる。マルクス主義者は、そこから更に次のように話を進める。したたり落ちた知恵を更に練り上げる方法が要るのではないのか。本当に知恵化するには、何らかの認識法、その作法、史観というのが無ければ知恵が生きないのではないのか。こう問うのがマルクス主義者の基本スタンスである。

 しかし気をつけなければならない。特定の認識法、その作法、史観が意固地なものであると却って害になる。我々がマルクス主義以前のそれらに見出すものはそういう類の認識法、その作法、史観である。そういう訳で、認識法、その作法、史観こそ磨き上げられねばならないことになる。そういう情熱から生み出されたのがマルクス主義であると考える。

 しかし、皮肉なものである。左様なマルクス主義もやがて硬直化され公式主義化され図式化され始める。こうなるとそもマルクス主義の精神に反しているのに、変調マルクス主義がマルクス主義の冠をもって通用していくことになる。この点、マルクス主義者の歴史には不幸な史実が積み重なっている。このことは踏まえておかねばならないだろう。

 ところで、もしマルクス主義が無かりせばということを考えてみよう。我々は相も変らず古典的な1・血統史観、2・気質論、3・修身論、4・血族閥族論、5・平天下済世論、6・帝王学等々を学び実践する域から抜け出せなかっただろう。西欧ではユダヤ教学、キリスト教学が、東洋では儒教、道教的なものがこれを補完しているが、それでもなお足りないだろう。これらは素養として知っておくべきであり、有益な知恵が伝授されることもままあるのは事実であるが。

 しかしながら、それらの学問には致命的な欠陥がある。まず、認識法、その作法においてマルクス主義ほどには研ぎ澄まされていないという恨みがある。やはりマルクス主義の伝授するように唯物論的世界観、弁証法的認識論、それらに基づく作法というのが要るのではなかろうか。対照的な観念論的世界観、形而上学的な認識論、それらに基づく作法というのは「人が頭で立っているような倒錯」の渦中にあるのでは無かろうか。そういう倒錯論から生み出される史観はやはり倒錯せざるを得ないのではなかろうか。

 マルクス主義の英明なところは、学問の基礎をあるがままの客体を客観化するところに措いていることにある。であるが故に、本来は実践に使えることになる。そこから生まれた史的唯物論により、人類の歩みが総括できるようになり、今後どのように歩みを進めていくのかの指針まで生み出すことになる。これにどこまで成功しているかは別として、ここまで論及できる学問はそうざらにはない。というか、仮にあったとしても粗雑なものばかりであろう。マルクス主義の値打ちは、本来学問が備えておくべきこれを学べば役立つという有効性に正面から取り組んでいることに有る。これが本来のマルクス主義にならねばならない。

 だがしかし、実際にはそうならなかったという史実が刻まれている。というか、とんでもの史実ばかりを聞かされたり目にして来た。この事態に直面して、マルクス主義は古いと云う者も生まれている。あるいは間違っているという者も有る。あるいは改変せねばならぬという者も有る。今日はやりの創造的適用論者という者も有る。いずれにしても、マルクス主義が獲得した水準、その地平からの後退ないし脱落は許されないのだが、この観点抜きにあれこれ批判が先走っている気がしてならない。

 今我々が本当にせねばならぬことは、マルクス主義の認識法、その作法、史観の止揚であり、この姿勢抜きにあれこれ云っても詰まらないだけなのではなかろうか。だとするなら、止揚されるべき当の対象のマルクス主義の水準、地平を明らかにし、その認識法、その作法、その史観を再精査することでは無かろうか。それほど値打ちが有るのがマルクス主義であるという認識を持ちたい。だがしかし、これを為そうとしたとき立ちはだかるのが、あまりにもお粗末なマルクス主義研究の実際である。

 なるほど学者的に精緻に論及されたものが有るには有るのだろう。しかし、血となり肉となり滋養となるような研究であるのかどうかとなると疑問があると云うべきだろう。なぜなら、もしそのように研究が為されているのなら、それが実践され、多少は世界史を変えている筈だろうから。マルクス主義の学問というのは、そういう類のものであるから。

 現実が少しも左派的になっていない以上、否むしろますます保守化傾向を強めている局面にある以上、マルクス主義研究者の水準が高いとは認めがたい。という風な問題意識から、やや尻切れトンボ的であるが、れんだいこ流のマルクス主義再考に挑む辞とする。

 2003.1.21日 れんだいこ拝

【マルクス主義評価その3、マルクス主義とネオシオニズム」との相関について】
 マルクス主義を学ぶべきもう一つのテーマがある。それは、現代世界を席巻しつつある「シオン長老の議定書」派的ネオシオニズム思想(これを仮に「ネオシオニズム」と命名する)とどう相関したかという見極めである。或る論者は、マルクス主義はネオシオニズムの別働隊だと云う。れんだいこは、そういう面が大いにあると思い始めている。

 しかし、何事も相似と差異を嗅ぎ取らねばならない。確かにマルクス主義とネオシオニズムは同じような論理構造をしている。但し、マルクス主義は幾分かネオシオニズム的枠組みから抜け出そうとしている面があり、ここの部分が功績なのではなかろうか。面と向ってはネオシオニズムの非を警鐘乱打しなかったけれども、ネオシオニズムを対自化させ、その典型的な「悪の論理」を見据え、「ネオシオニスト」どもを選良とする他の人類の家畜的序列化思想」と闘いきる思想及び実践を生み出す萌芽的なものを用意しつつあったのではなかろうか。故に、マルクス主義はネオシオニズムの有力な対抗思想になり得る面もあつたのではなかろうかとも思う。その為に社会を科学する緻密さにおいて今のところはマルクス主義以外に見当たらない。マルクス主義の歴史的意義はここに認められると思っている。
 
 しかし、歴史は、マルクスのこの萌芽的功績を受け継がなかった。後続マルキストは、マルクスの一群の著作をもって完結真理本だとみなし金科玉条化させてきた。それも、マルクスの言説において理解するのではなく、自分たちの矮小な能力に合わせて変造し改竄してきた。いわゆるマルキストの反マルクス主義性がここに萌芽している。そういう変調マルキストが結成した党派の組織、国家の反マルクス主義性には目に余るものがあり、マルクスが生前これを目の当たりにしたらきっと卒倒するであろう運動を生み出してきた。

 マルクス主義の卑属化は危険である。これについてコメントしておく。マルクス主義はそもそもネオシオニズムと同時代的に併行しながら、それの別働隊でありながらそれをも凌ぐ思想として形成されてきた。しかしながら、後続マルクス派はこの高みを理解せず、専らネオシオニズムによる国際主義運動に利用される形で在地国家打倒の反体制運動を展開してきた。その責任はマルクスにも一半の責任があるように思われるが、マルクスなら気づき次第に改めたところであろう。ここは見解が分かれるところであるが、れんだいこはそう思う。

 後続マルクス派は改めるどころか、意図的にネオシオニズムに操作されてきた。現代世界の各国共産党の主流派はなべてこの傾向に陥っている。ここに現代マルクス主義の混迷の真因があるように思われる。これを思えば、ネオ・シオニズムによる国際主義運動に抗する形でのマルクス主義の萌芽的原像及びその秀逸性を今一度再確認する作業が待ち望まれているということになろう。その上で、現代マルクス主義をどう創造していくのかが問われていることになりはすまいか。

 纏めとして云いたいことは、「『文明論的な人類の救済思想』というスケールにおいて『叡智的現代マルクス主義』を創造せよ」である。この大前提から離れたちまちました遣り取りは学者の専売にさせ、我々は時代の開拓者精神、革命精神で武装しつつ邁進せねばならない、ということである。

 先行社会主義国家の失政の原因を検証し、その限界から出藍する現代版マルクス主義を創造せねばならない。マルクス主義は時代のカンテラであり、その価値は今も失っていないばかりか、ますます意味を持ちつつあるという認識が欲しい。もし、マルクス主義にその能力が無いのなら、新しいイズムを出藍せねばなるまい。れんだいこはそう思う。

 2003.8.25日再編集、2007.4.8日再編集 れんだいこ拝 

【マルクス主義批判その1、その机上学性について】
 最初に。マルクス主義の中味に立ち入る以前の問題として、マルクス主義が思想の社会的実践性を重視する割には象牙の塔内(書斎)から生み出されてきた青二才的理論体系であるというパラドックスが踏まえられねばならない、と思う。あまり指摘されていないが、れんだいこが思うのに、卑俗に云ってもしマルクスが大学卒業後適宜などこか民間企業に就職し一定期間俗世間との交流を経た後に一連の著作活動に入ったとしたなら、恐らく内容の変化がもたらされる箇所もあるのではなかろうか、と思案する。

 分かりやすく言えば、マルクスをもう少し下世話な俗世間に揉ませたかった。そうすればマルクスは、俗世間秩序の奥深くに流れている摂理を見出し、そこから蓮華の思想を汲み出して行ったであろう、そうして欲しかったという思いが禁じえない。

 事実は、ライン新聞等へのジャーナル寄稿で生計を経ていた時期はあるものの、「青年マルクス」の感性がそのまま純粋培養されつつの生涯の軌跡であったのではなかろうか。このことがマルクス主義の功罪を相半ばさせているとは言えないだろうか。歴史におけるイフ(if)であるが、惜しまれることであるように思われる。この指摘はれんだいこ史観の白眉なところである。

 2003.8.25日再編集、2005.6.12日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その2、そのルネサンス精神の欠如について】
 次に、これもマルクス主義の中味に立ち入る以前の問題になるのだが、れんだいこはマルクスの一連の研究の中にルネサンスへの言及を知らない。マルクス主義が人類の叡智を結集し、有為な何かを紡ぎだしたとするなら、ルネサンスへの言及が無いのはおかしな現象ではなかろうか。マルクス主義の三つの源泉として、「1・イギリスの経済学、政治思想。2・フランスの政治思想、啓蒙哲学。3・ドイツの近代哲学」を挙げるとき、これらのどれもが中世末から近代への橋渡しの黎明期を準備したイタリア発ルネサンスの影響無しには語れない。

 だがしかし、マルクス・エンゲルスは不思議なほどにルネサンスを語っていない。レーニン然りである。これはマルクス主義の致命的な知的欠損部分ではなかろうかという思いを深くする。三つの源泉から汲みだしたという割にはそれらを否定し出藍せんとするあまりに安易にブルジョアイデオロギーという冠詞を被せ過ぎたのではなかろうか。この課題も未考察な気がしてならない。

 もっとも、マルクスは、長女ジェニーの「あなたの好きな詩人は」という質問に、「シェイクスピア、アイスキュロス、ゲーテ」と答えており、そのゲーテがイタリアルネサンスを憧憬していた人物である事を思えば、間接的にしろマルクスにもルネサンス精神も見て取る事ができよう。従って、マルクス精神におけるルネサンスの称揚は前提として当たり前すぎて、それ故に触れる事少なかったのかも知れない。それは、ユダヤ・キリスト教的道徳律と同じで、自ずから備わった精神のバックボーン故に対自化することが不要であったのかも知れない。れんだいこは、そのようにも受け止めている。

 しかし、マルクス主義を受け継いだ後続学派は、マルクスのこの精神のバックボーンを共有していない。故に、マルクスが当然として敢えて触れなかったルネサンス精神を見過ごし、反ルネサンス的マルクス主義という本来のマルクス主義とは違う種類のマルクス主義をいわば勝手に創造し懸想したのではないか、それに対してマルクス自身をして「私はマルクス主義者では無い」と云わしめたほどの変調マルクス主義の舞台を拵えてしまったのではなかろうか。れんだいこは、そのように了解している。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その3、「唯物弁証法」の欠陥について】
 次に、いよいよマルクス主義の内容に立ち入るが、マルクスの思想家としての不朽の名誉に値する「唯物弁証法」について言及してみたい。「唯物弁証法」こそマルクス主義の核心を為しているが、確かに、唯物論と観念論、弁証法と形而上学という対置では唯物論と弁証法の方が正学であるように思われる。

 問題は、マルクス当時は漸く細胞学の端緒期であり仕方なかった面があるものの、今日的水準においては「唯物論と観念論の論争」におけるマルクス的決着のつけ方はかなり強引であったと思えることにある。我々は、そろそろこのことに気付くべきではなかろうか。「唯物論と観念論の論争」とは、「存在と意識、物質環境と観念のどちらをより究極的な規定要因とするかの論争」であるが、今日においては生物分子学の発達で遺伝子の存在と構造が明らかにされつつあり、新しい視点が提供されつつある。

 これによると遺伝子上のDNA情報は第三の規定要因であることが判明しつつある。今や、遺伝子論の登場によって、従来式の唯物論と観念論という二項対立の構図が大幅に見直される時期に至っているということになるが、この課題も未考察な気がしてならない。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その4、「唯物弁証法」のその後の発展の貧困について】
 マルクス主義以降顕著に発展した科学に物理学がある。宇宙物理学におけるビッグ・バーン理論然り、アインシュタインの光量子エネルギー理論、相対性理論然り、究極素粒子物質論然り、波動理論然り。前述の遺伝子論然り、他にも多々あろう。マルクス主義がその後のこれらの学問的成果を吸収し得ないなどという馬鹿げたことがあっては堪らない。然るに現実はこれらに正面から挑んだ論考を知らない。果たして、こういう態度をマルクス主義と云えるだろうか。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 2003.9.11日 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その5、「理論の体系化」の貢献と不即不離的欠陥について】
 次に、マルクス・エンゲルスの共同による「唯物弁証法」的観点による社会の生態と動向分析は、「資本論」へ結実していく過程で無謀にも体系化され過ぎたのではなかろうか、という思いが禁じえない。実際には、「資本論」は未完に終わったが、未完で終わるには然るべき事由があったのではなかろうか。あまり読んでもないのでそう云い切ることをためらうが、マルクスが世の中(社会全般)を深く追えば追うほど手に余ったようなことがあったのではなかろうか。

 いつの日か「資本論」を再読していく予定であるが、巷間伝えられている「資本論」的世界は、聖書以来の真理の聖典として受け止められており、れんだいこを始め多くの者が途中で投げ出しているにも関わらずかように認識して憚らない現象がある。マルクス主義の下部構造−上部構造論、人間疎外論、商品分析論、資本運動論、社会主義趨勢論等々珠玉のテーマがここで関連付けられ体系化させられているが、マルクスはこの労作によって一つの失敗もしたのではないのか。

 何を失敗したのかというと、マルクス主義が本質的に思想でありそうであるが故に開放系のカオス構造に止めるべき所を、体系的なあまりに完結的閉鎖系の図式的公式的ロゴス構造に落とし込んでしまったのではなかろうか。しかして、この体系への執着はヘーゲル的手法そのものであり、更に云えば「初めに言葉ありき」に象徴されるユダヤ・キリスト教的聖書的世界そのものであり、更に云えばアングロ・サクソン的ゲルマン的気質のなせる技であり、マルクスといえどもそういうDNA及びお国柄の気質から免れるという例外足り得なかったのではなかろうか。

 その後のマルキストの弊害として公式主義がはぴこることになったが、その要因にこのマルクスの手法そのものが関係していたのではなかろうか、という思いがしている。しかして、「唯物弁証法」は開放系の構造においてこそよりよく駆使できるのであり、発見者マルクスが反転させていることにやや疑問無しとはし得ない。否マルクス自身はこの辺りにつき用意周到に書き記しているのかも知れない。しかし、後世のマルクス主義者が俗流に認識していったのは史実である。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その6−1、「階級論」満展開の危険性について】
 次に、マルクス主義的「階級論」にも考察の余地があると考える。これについては「マルクス主義における階級概念について」で言及する。

【マルクス主義批判その6−2、「歴史における階級闘争論」満展開の危険性について】
 次に、マルクスが抽出し仕上げた「歴史における階級闘争論」にも考察の余地があると考える。れんだいこは、これに対するスタンスは功罪相半ばと観る。功の面の称賛は尽くせないほどの価値がある。世に、幾多あまたの思想家が登場したが、社会ないし歴史を一つの生き物として別の質で捉え、これを流れる貫通変動力を経済的生産力及びその支配被支配関係の矛盾に見据え、そこに階級を見出し、階級間の抗争こそ世の争いと歴史進歩の真因であると見なし、そうした歴史の流れから趨勢的な次の歩みの青写真まで洞察したマルクスの慧眼は、史上マルクスを措いて以外誰も為しえなかった。それが証拠に、西欧はもとより日本の中国のインドに聖人、智者が数多く輩出したが、その誰もかように理論を形成することができなかった一理を見れば判然とするであろう。

 但し、光があれば陰があるのは世の付き物だ。そうしたマルクスの「歴史における階級闘争論」は、それを強調するあまりに「歴史における相互扶助論」を後景へ追いやり過ぎはしなかったか。歴史の合理をどう観るかということになるが、人は人の寿命の中で生命充足しようとしているのであり、汎階級的に関わりあう面(というか階級的云々では捉えられない面)もかなり重要な要素ではなかろうか。

 あるいは次のような言い回しのほうが適切かも知れない。「歴史における階級闘争論」も、人類史に流れている摂理を踏まえてのものであり、その摂理の自己の階級側への利用乃至は奪い合いの闘争として貫徹されているのであって、その底流に厳粛に流れている摂理的なものを無視することはできない。このことをそれとして見て取るべきではなかろうか。

 あるいはマルクスはその際の捻じ曲げを見ていたのかも知れないが、巷間のマルクス主義は、社会事象の全てを階級概念で説明しようと「階級還元主義」に陥ることにより、却って「歴史における階級闘争論」を安直的公式主義的なものにしてきたのではなかろうか。ここの認識はまだ整理しきれていないが、かようなことが云いたい気持ちがれんだいこにはある。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 
中野徹三氏は「社会主義像の転回」の中で次のように述べている。
 「マルクスの商品・貨幣関係廃絶論に内在する問題点(マルクスのこの理論の出発点が『哲学の貧困』にあること、そこで彼は階級対立の廃絶が市場関係の同時的廃止をもたらすと考えたこと=階級還元主義)、そしてこの思想は晩年の『ゴータ綱領批判』まで基本的に変わっていないこと)、市場の廃止がいかに『欲望に対する独裁』に帰結するか、の確認は、やはり階級還元論にもとづく国家の廃絶論を含むマルクス未来社会論のユートピア性についての私の開眼云々」。

 「マルクス主義的階級闘争論の陥穽」について、もう一つ言及しておきたいことがある。マルクス主義的闘争論が現実に必ずしも照合しないことが見受けられる。れんだいこは、下手にマルクス主義的階級闘争論に基づくブルジョア体制論、プロレタリア革命論で現状分析するよりも、飯が十分に食える上層民(富裕層)対ほどほどに食える中間民(中産層)対食うに困っている下層民(貧困層)の三者抗争、関係論で運動論を構築した方が的確なのではなかろうかと思っている。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 2004.3.1日再編集、1010.10.18日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その7、「搾取理論」の貢献と不即不離的欠陥について】
 ここで追記しておくことがある。マルクスは、資本の自己運動としての増殖過程の中に利潤と搾取のカラクリを暴いて見せた。手段と目的とが逆転して、資本に拝跪して行かざるを得ない人間疎外現象を解析したが、この分析過程で資本と資本家とを等値し過ぎたのではなかろうか。

 なるほど資本の特性はそうかも知れない。しかしながら、現実の諸関係として向き合う資本家と労働者の関係においては、搾取の面と雇用の面の二方向のベクトルが相互依存的に機能しているのではなかろうか。しかしてマルクス主義には、資本主義的経営が持つ雇用の面からの普遍的意義を抽出することに関心を払いなさ過ぎたという政治主義的な面がありはしなかったか。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。


 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その8、「市場経済否定理論」の貢献と不即不離的欠陥について】
 このことは同様に、市場の自由主義的普遍性にも関心が接続していくことになる。資本主義と経済の市場主義とを等値し過ぎることによって、あまりに直接対蹠的に国有化理論を展望し、その結果後続マルクス主義者達の経済統制主義理論に道を開き過ぎはしなかったか。

 国営、共同管理経営論はそれはそれで理想ではあろうが、人が人として持つ生存的な欲望のあれこれに対してあまりにもピューリタン的な精神による聖と俗との二項対立で俗の面を切り捨てようとし過ぎたのではなかろうか。但し、これは仮説である。今一度資本論の世界を探索し、マルクスが経済を如何に認識しようとしていたのか解析しようとは思う。

 これにつき最近の気づきであるが、「共産主義者の宣言」を読む限り、マルクスの国有化理論は、例えば銀行、運輸、通信のような社会の中枢基幹産業における中央集権主義を政策としているが、それもその下位に民間企業の自由市場主義的活動の必要性の弁えを保持しているようである。つまり、民間的企業活動をあまねく否定し国有化するという論では無いような気がする。ということは、世情で了解されている国有化論式マルクス主義が本当のマルクス主義であるのかどうか精査されなければならないということになる。これらの指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 次のような記述が為されている。
 一九世紀の社会主義者にとって「商業とは合法的な詐欺」(エンゲルス「国民経済学批判大綱」)であり、「私的所有と貨幣は、あらゆる悪の根源」(ジュリアン・ハーニー)であった。こうした商品・貨幣関係の廃絶は、生産過程における人間による人間の搾取の廃絶とならんで、オウエンやフーリエをはじめとする近代社会主義の二つの根本思想のひとつとなったのであり、マルクスはこの理想をオウエンたちのように小さな共同体をつくり、それを漸次普及させることによって実現しようとするのではなく――政治革命による社会全体の協同社会化と、そのもとでの生産諸力の高度の発展による生産物の圧倒的な豊富化の道をつうじて実現できる、と考えた。

 この記述が何処まで正確なのか分からないが、そういう面があったことは確かなように思われる。問題は、「政治革命による社会全体の協同社会化と、そのもとでの生産諸力の高度の発展による生産物の圧倒的な豊富化の道」の具体的手法であろうが、これを官僚統制的国有化論として了解し導入したことにより失政に帰せしめたのではなかろうか。

 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その9、歴史法則論と主体性論の齟齬について】
 次に、マルクス主義の致命的欠陥とでも云えるものだが、マルクスは歴史法則論を生み出すことにより、個々の人間が主体として歴史とどう関わるのかについて、多くの未考察な面を残していることが見据えられねばならないのではなかろうか。これについては多くの論者が既に試論しているようであるが、未だ成功しているようにも見受けられない。

 個々の人間の主体としての歴史参加は、各々の寿命の中で意味を持っているのであって、そのサイクルの中で具体的には家庭、地域、組織、前衛党と関わっていくことになる。雄大な歴史サイクルの流れの中に歴史法則論を見出したとしても、個人の短いライフサイクルにあってはさほど意味を持たない。

 そこに何らかの禁欲を強いるなら、その際の有効な処世論の提示無しには蟷螂の斧でしかないのではなかろうか。かってのマルクス主義党に普遍的に存在し今日の日本左翼に牢として維持されている、「幹部集中制」の偽名でしかない「民主集中制」一つのより合理的な規約造りへの改編が為しえない状況では、「マルクス『風』歴史法則論」は害の方が多いと見なすべきではなかろうか。

 「マルクス『風』歴史法則論」の検討も要する時代に入ったことは確かであろう。この場合、マルクスは実際にはどのように来る社会を構想していたのか、その趨勢と不可避性と必然性との精密な調査をそろそろしてみるべきではなかろうか。先行社会主義実験国家ソ連邦の崩壊は、その変質と崩壊過程を今一度検証し総括せずんばマルクス学徒足り得ないことは自明である。

 残念ながら、世界の労働党、社会主義政党、共産党がこの喫急の課題に取り組んでいるとは風聞さえ無いのが現状のように思われる。それだけ、既にマルクス主義の有効性への信頼が失われているのかも知れない。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その10、主体性論と生命哲学の不言及について】
 さて、最後に。マルクス主義の未考察面について論及しておきたい。マルクスの労作エネルギーは専ら哲学、歴史、社会分析、社会主義運動の指導、指針作りに向かった。それは超人的であったが故にこれ以上マルクスに他の分野の考究をもねだるのは酷かも知れない。だがしかし、肝心の眼目を欠いている恨みがある。それは、歴史に関わる主体性の在り方の問題とも通底しているが、個々人の生命哲学、人生哲学とでも云える分野に対して未考察過ぎるのではなかろか。れんだいこはこの方面でのマルクス・エンゲルスの言及を知らない。それは、マルクスが語らなかったのか語り得なかったのか微妙なところであるように思える。

 生命哲学、人生哲学とは何か。それは、個体としての各人の生の誕生から死亡に至るまでの健康と寿命に対する営為、生命活動の旺盛な時期に発生する性衝動と結婚、子孫づくり、幸福観、運命観、処世観等々に対する思想的営為のことである。れんだいこが思うに、マルクスは、階級概念を構築することにより、これらの考察への興味を失ったのではなかろうか。

 あるいは思う。階級概念を核とした歴史観、社会観という人類未踏の思想確立を際立たせる為にも、かの時期においては捨象せざるを得なかったのではなかろうか。とすれば、その間隙を埋めるという残された仕事に向かうのは、後世の我々の責務ではなかろうか。

 嗚呼しかし、そのようにマルクス主義を受け止め喧喧諤諤し、そういう作風でマルクス主義の継承を図る者が少なすぎた。誰しもはっきりしつつあるのに作風を変えようとしない多くのマルキストは、今や、マルクス主義を標榜しつつ当のマルクスが闘った頑迷な伝統墨守的体制派の側に移行しているやに見受けられる。

 奇妙なことだが、公認マルキストの側にマルクス主義者がいない。そこには自衛閉塞的なマルキストが自己耽美する世界があるばかりではなかろうか。このジレンマに立ち向かうもう一つのナルシズムこそれんだいこ史観かも知れない。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。

 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その11、いわゆるマルキストの陥穽としての宗教的真理理論化について】 
 史上マルクス主義がマルキストによりどのように受け止められていたのか、格好の文章が見つかったので参考に記す。著者はしまねきよし氏で、「日本共産党論序説-その一」(1946・9の「情況」9月号「日本共産党批判」の中で、自身の思想的位相を次のように描き出している。

 「私がマルクス主義を否定し得ない真理の体系としてとらえるようになったのは、ぬきさしならぬ厳密な論理の組み立てによって構築されたその体系性にあったとも言える。私はその体系のもつ壮大さに圧倒されてしまったのである。その体系それ自身の持つ美しさに魅せられたと言っても良いかも知れない。部分は全体の中に渾然一体を為して収まっており、そのいかに小さな部分の否定さえも、全体の否定に直結するような体系性であって、私はまず自然弁証法を承認し、次に、唯物弁証法を承認し、という具合に、結局のところ、マルクス主義の全体像を承認してしまうのである。

 というよりも、自然弁証法の中の私が理解しうる部分の承認が自然弁証法の承認に私を赴かせ、唯物弁証法の私が理解しうる部分の承認が、私をして唯物弁証法を承認させるというような次第で、私が理解できない部分も、それがマルクス主義の全体系が真理であるという理由によって、私はその真理性を主張しえたのであった」。
 
 そのようなマルクス主義に対する盲信態度が、日本共産党という党に対する態度においてもそのままつながっていた。次のように述べている。
 「このように、私は理念としての日本共産党を、具体的な人民解放を実践する政治結社としてとらえるよりも、むしろ、真理を体現した知識集団として捉えていたわけであったが、これは必ずしも私だけの責任でなかったと思う。一方において、日本共産党それ自体の歴史の反映であると同時に、その当時の一般民衆もそのように受け取っていた傾向があったこともまた事実であった」。

 日本共産党の自己肯定論理についても次のように述べている。
 「日本共産党の戦前の歴史は、日本においてもっとも先鋭に国家権力と対決した歴史であって、それは日本共産党の持つ理論性と戦闘性とがその背景となっている。

 この時、その理論性について言えば、マルクス・レーニン主義はそれまで日本に移入された様々の諸思想流派とは決定的に異なっていた。その一つは、マルクス・レーニン主義は人類が到達しえた最高の叡智として過去の思想のエッセンスを集大成、体系化した思想であるとされ、極めて高度の知識が要求されることである。その二つは、人類史を貫徹する普遍原理としてのマルクス・レーニン主義という立場から、その思想体系は徹底したインターナショナリズムの精神を背景として成立していたということである。

 この二つの理由から、マルクス・レーニン主義は、戦前の日本において、天皇制を頂点とする日本全体をトータルに否定しえたほとんど唯一の思想として機能しえたのである。もちろん、それまでの移入思想流派が日本を批判する視座を構築し得なかったわけではない。しかし、それはどこまでも部分的批判であって、全体としては天皇制の枠組みの内部に組み込まれるような形式で、すなわち、天皇制と矛盾しない形で、日本的なるものに変質させられてしまったのである。従って、天皇制を批判する理論のみは日本に定着することはなかった。

 しかし、マルクス・レーニン主義の場合には、そのような思想技術操作は不可能であった。マルクス・レーニン主義は一貫した体系によって構成されていて、その一部分を取り除くことは体系それ自体を否定することになるからであり、また、それを支えているインターナショナリズムは日本にだけ特殊な存在を許すことはできなかったからである」。

 れんだいこには、まことによく整理された名文であるように思われる。さて、この論の主意とどう議論すべきだろうか。

 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その12、いわゆるマルキストの陥穽としてのエリート的統制主義の立ち現れについて】 
 しまねきよし氏は、1946・9月号「情況」の「日本共産党論序説-その一」の「日本共産党批判」の中で、松沢弘陽氏の「日本社会主義の思想」の一文を紹介している。この内容もなかなか的確なものであると思われるので以下書き付けておくことにする。

 松沢氏は、日本共産党の伝統的特徴を次のように指摘している。
 「党の認知を可能にするコミュニケーションの内容はマルクス主義の原理論に傾いており、入党者の思想理解の水準は極めて高い」
 「彼らは、個別的な『体験の叡智』や『常識』を超越した、未来の理想社会に到達すべき歴史の全構造・社会体制の全構造に関する原理論を学習し、これに拠って現在の秩序解体状況の混沌を意味付け、それに方法的に働きかける戦略戦術を設計しようとする。この歴史理論から戦術論にまでわたる整合的・完結的な体系が『理論』なのである。

 それは彼らの敵や『遅れた大衆』の悪意・偏見にも関わらず、客観的に実在する唯一普遍の真理の『反映』であると意識され、機会主義的な扇動のシンポルの寄せ集めでも集合道徳の実現でもなく、恣意的主観から独立した、社会認識の普遍的な理論と考えられていた」。
 「彼らにとっては『サンジカリズム』の『流行化』した社会主義から『理論』を区別するのは、第一に『理論』のこのような『社会科学』性なのである。『理論』はさらにその存在形態においても客観的・普遍的である。それは『体験知』や『苦労』のように主体に癒着してのみ特殊の人間関係を前提としてしか伝達できないものではなく、客観化されてメディアに乗り、思想の生み手、持ち主を離れて自由に流通し、学習によって習得されることが可能であった」。
 「しかもこの『科学的』な『理論』は単に社会認識の理論にとどまらない。社会科学一般が他のグループの指導者達には、大衆扇動の用具に転用され、また指導者の『体験知』に従って恣意的に改変される、『便利重宝な道具』を意味したのに対し、彼らにとってこの『理論』は理論内容の実践によって忠誠を証し得ることを要求するものだった。『組織』とはこのような『理論』の中に示されたヴィジョンの実現を目的とし、全ての『組織』参加者に『理論』の理解と承認が要求されると共に、『理論』の『実践』は『組織』を前提として初めて可能であると考えられた」。

 この観点を受けて、しまねきよし氏は、次のように分かりやすく批評している。
 「このような理論・実践・組織の捉え方は極めてインテリゲンチュア的であり、エリート的である。しかも、戦前の党組織は非合法であって、このような『理論』を身に付けたインテリゲンチュアが党員の圧倒的多数を占めたことは当然であった。ここで、『理論』を身に付けたインテリゲンチュアが入党することは必然であるという認識によって、この理論・実践・組織という完結したサイクルが支えられているのである」。

 松沢氏は他方で、「全く奇妙なことに、それと裏腹に、マルクス主義は比較的に大衆性を持っていた」として次のように述べている。
 「初めに指摘しなければならないのは、欧米の共産党について指摘された党内向けと党外向けというコミュニケーションの二元性に当たるものがあまり見られないという事実である。このことは一方では党自身の党内党外、特に党外大衆に対する伝達能力がはなはだ弱小であるにも関わらず、一般出版・ジャーナリズムにおいてマルクス主義が優勢で、これを補完するような関係にあったということ、他方では、両者が内容の面ではともにマルクス主義の古典や原理論のレベルに傾いており、かなり同質的だつたということと関連している」。
 「前衛党自身のコミュニケーション能力の劣勢を補い、乃至前衛政党がそれに依存することを許しさえしたのが、『左翼のジャーナリズム占領』を叫ばせたような、商業的出版=ジャーナリズムにおけるマルクス主義の優勢に他ならない」。

 「我が国では左翼出版社と並んで『ブルジョア出版社』のいくつかが、大量のマルクス主義文献を出版し、総合雑誌は競ってマルクス主義の論客を活躍させた。これらの通路によって、僅々数年間に、原理論から現状分析ゆ戦略戦術論に至るまで、その発行量と水準とでマルクス主義の古典国ドイツに比肩し得るマルクス主義理論が送り出されることになり、知的世界の末端にまで組織の有無に関わらず浸透し、行動への誘因を撤布した」。
 
 問題は、このようなエリート的マルクス主義学が俗流マルクス主義化した地平で考究且つ実践されていったことであろう。この場合、エリート学性の是非論と俗流マルクス主義批判の二観点から検証しなおされねばならないだろう。 

 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その13、いわゆるマルキストの陥穽としての「階級出自決定論」について】 
 いわゆるマルクス主義は、その運動の担い手の階級的出自を盲目的に絶対化する観点を産み出した。これには一定の根拠があるが、労農階級出自であれば真性のマルクス主義者になれるなどというような単純にものではない。しかるに、マルキスト間にそういう風潮が醸成される事になり、エリート階層出自を隠そうとする奇態を生むことになった。

 そうした公認マルクス主義を嘲笑する次のような名漫才がある。どこで誰から仕入れたのか分からなくなったが、以下記す。
 社会主義者のための天国に、一人の男性が死んでやってきた。
門番 「お前の父親の職業は?」
「弁護士で、商売のほうも少し…」
門番 「フン、資本家の仲間だな。おふくろは?」
「商人の娘です」
門番 「これもブルジョアか。で、お前の職業は?」
「著述業です」
門番 「労働者じゃないな。女房はどうなんだ?」
「貴族の娘です」
門番 「ああ、だめだだめだ!とても労働者の天国には入れられん!帰れ! …ああ、いちおう名前だけ聞いておこう」
「……カール・マルクス」

 公認マルクス主義は様々に揶揄されている。その名文句としては「マルクスはマルクス神社の神主」という命名であろう。次のようにも弄ばれている。
 「むしろ閉口するのは、『タダモノ論』次元の自然唯物論者である。根っ子が観念論となんら変わりのない『唯物論者』ほど、困りものはない」(加藤尚文「名言百選」)。

【マルクス主義批判その14、「ユダヤ人問題」からの意図的逃避について】
 2005.4.26日、「マルクスのいわゆる『ユダヤ人問題」からの意図的逃避」を書き加える。マルクスは、「ユダや人問題について」なる論考を著している。しかし、その文章はかなり込み入っており適訳も無い。そういう事情によりマルクスの「ユダや人問題について」に対する検討が為されていない。

 れんだいこは、英文訳を通して全く不十分ではあるがマルクスの論点を踏まえたつもりでいる。その結果云える事は、マルクスが執拗に批判したバウワーの観点こそよほど真っ当なユダや人問題論であり、マルクスの云う如き社会変革によって自ずと解決される論の方がイカガワシイのではないかという気がする。

 マルクスのこの態度はどこから生まれ、何故その後のマルクスは自身の視野から「ユダや人問題について」を排除したのか。これは一種の闇である。歴史はあれから百年、今日「ユダや人問題について」が誰の眼からも見過ごせない歴史問題になりつつある。然るに、マルクスの消した「ユダや人問題について」が後続マルクス主義者をも規制し、見事に論及能力零に導いている。

 これはマルクス主義の陥穽ではなかろうか。れんだいこはそういう気がしている。

 2005.4.26日 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その15、革命に至る戦略戦術論の不明確性について】
 木村愛二氏の論考「カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判(その1)」は次のように述べている。
 「そこで簡単な論点を列記すると、マルクス主義に基づくとされる革命運動では、成功したか否かは別として権力奪取に重きが置かれ、その他の点での具体性を欠いていた。革命を実行するには、現体制の問題点を全面的に分析すること、きたるべき希望の社会制度のあり方を考案すること、革命の方法を決定すること、などなどの具体的な準備が必要である。これらの具体的な準備が、実は、非常に不明確だったのである」。
 
 多少後付け批判の気味があるが、指摘はその通りである。

 2005.4.26日 れんだいこ拝

【マルクス主義批判その16、資本主義体制論のすり替え性について】
 れんだいこは、マルクス主義的いわゆる資本主義論及びその体制論について疑問を覚えるようになった。マルクス主義的理解によると、人類史の歩みは、古々代共同体社会、古代王権貴族社会、中世封建制社会、近代資本制社会、未来社会主義社会、未々来共産主義社会と展望しているが、そのそれぞれにコメントする訳には行かないので、ここでは近代資本制社会の必然的到来性について愚考することにする。

 れんだいこは、近代資本制社会は果して必然的に到来したように思わなくなった。いわゆる中世から近世への橋渡し時のルネサンス、近代的諸産業及び工業の勃興は、必然的に近代資本制社会に向ったのではなく、近代資本制社会に向かわせられたのではなかろうか、と思うようになった。なぜなら、ルネサンス、近代的諸産業及び工業の勃興は、旧体制に孕まれ、そのくびきを断ち切って新社会を創造したのは必然だったにせよ、新社会が近代資本制社会とは又別の例えば日本の幕末維新期の新体制最初期の如く、一概に近代資本制社会とは云えない新社会を創造することは可能だったからである。

 結局は、欧米式の近代資本制社会へと向うことになったが、それはかなり意図的且つ強引に誘導されての成り行きでそうなったのではなかろうか。日本帝国主義化も然りで、歴史的必然で必ずしもそうなるというようなものではなく、或る主体による働きかけによって誘導され日本帝国主義化を余儀なくされたのではなかったか。

 れんだいこ史観によると、戦後日本は在地型のプレ社会主義として始発したが、戦後日本のその後の歩みは在地型のプレ社会主義を強める方向で自己発展しつつあったのを、強引に現代資本主義の枠内へと逆行的に向わせられたのではなかったか。これを歴史的必然と看做すのは、或る主体による働きかけによって誘導されている事実を隠蔽することに資するのではなかろうか。れんだいこはそう思うようになった。

 ルネサンス、近代的諸産業及び工業の勃興から現代的諸産業及び工業の発展は、その富をよほど下手な政治をしない限り人類の豊かさに還元されるはずのものであろう。ところが、実際には、その富が一部の特権階級の手に集中し、庶民大衆は相も変わらず常に辛吟を余儀なくされている。これは意図的な政治を通じてしかできない現象ではなかろうか。れんだいこはそう思うようになった。

 ならば、経済発展の還元を歪め、政治を歪めている主体を探索し、彼らの動きをセーブして見ればよい。そして、現代的な社会秩序を模索してみれば良い。恐らく人類は世界各地に在地型のプレ社会主義を生成せしめるだけの生産力、産業力を獲得しているはずである。客観的物質的諸条件が揃っているのであるから、それをさせない諸要因と諸勢力を掣肘すれば良いだけのことではなかろうか。

 論をこのように立てねばならないところを、公式的な歴史法則論はむしろこの見立てを封殺することに役立っている。とならば、公式的な歴史法則論を盲信するところから抜け出すことこそ現代左派運動の責務であるということになろう。思いつくままに。

 2006.6.24日 れんだいこ拝
 この問題につき、同様の観点からの考察が為されているので、「★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ61 」の仁王像氏の2015 年 12 月 31 日付投稿「近代資本主義を作ったのは、プロテスタンティズムではなくて、実はユダヤ商人たちだった/副島隆彦」を転載しておく。

 ≪序 ユダヤ人だけが、なぜ金儲けが上手いのか≫/副島隆彦

 ユダヤ教だけが金儲けを肯定している。だからユダヤ教(=ユダヤ思想)を信奉するユダヤ人たちが、世界中でお金持ちになっているのである。…仏教も、神道も、儒教も金儲けを嫌う。キリスト教もお金儲けが嫌いなのである。イスラム教も、ものすごくお金儲けが嫌いな宗教である。だからユダヤ教と激しく争う。イスラム教の「シャリーア(行動規範)」は、金利を禁じる代わりに、他の人々を助ける行為としての貸し金があり、それへのお礼としての返済があると考える。ユダヤ教においては、ユダヤ教徒あるいはユダヤ人ではない人たちのことを「ゴイ(異教徒)」と呼んで、ゴイからは金利を取ってもいいし、金貸し業の対象にしてもいいと古来から決めてある。

 ≪マックス・ヴェバーを祭壇から引きずり降ろす≫

 近代資本主義(=市場経済)を作ったのは、プロテスタンティズムではなくて、実はユダヤ商人たちだったのだ。この一行の真実を明らかにするために、…優れた論文をここに集めた。きっかけとなったのは『マックス・ヴェーバーの犯罪』という衝撃的な本を書いた羽入辰郎・青森県立保険大学教授の業績である。このきわめて学術的な本で、羽入教授は、マックス・ヴェーバーという、20世紀最大の社会科学者と今でも世界中で認められている大学者の学問犯罪を証拠付で詳しく証明した。私たちは、この羽入教授の著書に大いに啓発されて、「近代資本主義(エトス)をつくったのはプロテスタンティズムではなくて、本当はまさしくユダヤ大商人たちそのものだった」という新しい大理論を本書で提起している。泰斗マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という「偉大な書」が、実は大変な無根拠の書であり、学問犯罪とも呼べるほどのものであったことが明らかにされる。本当の本当は、古代資本主義を作った賎民資本主義だけでなく、私たちの現在をも形成している近代資本主義そのものもまた、ユダヤ商人たちが作ったものであったのだ。

 ≪近代資本主義の精神をつくったのはプロテスタントではない〜羽入論文をめぐって≫伊藤睦月

 近代資本主義の精神は、プロテスタンティズムがつくったというマックス・ヴェーバーの説は、揺るぎない定説として、これまで日本の学界でも疑義を差し挟むことすら許されてこなかった。ところが、近年この聖域に敢然と異議を唱える日本人学者が現れ、各界に波紋を広げている。「マックス・ヴェーバーは詐欺師である」。こう断言する研究者(告発者)が現れた。名前は羽入辰郎。この衝撃的な内容を持つ論文集は、『マックス・ヴェーバーの犯罪−「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊−』(‘02.9月、ミネルヴァ書房)である。羽入氏はまず、論文をドイツ語で作成してドイツの学術雑誌に発表し、そこから逆輸入する形で日本の学会誌に発表している。事実は、5年間店ざらしされ、…その後東大の紀要に掲載を許され、1999年に学会賞を授与された。かれの論文は、ドイツの学者たちに深刻な影響を与えているらしく、ドイツ学会の重鎮ヴィルヘルム・ヘニスをしてこう言わしめた。「貴方はわれわれをどこへ連れて行こうと言うのか」と。だが、羽入氏は、ヴェーバーの論証に至る学問的手続きを問題にしているのであって、ヴェーバーの「仮説そのものが妥当でない」と言っているわけではない、この点について誤解のないよう念押ししている。…では、誰が近代資本主義をつくったのか。

 ≪「近代資本主義・ユダヤ人起源説」をいちはやく見抜いたのは誰か≫

 近代資本主義をつくったのがプロテスタントではないとするならば、一体誰がつくったのか。それはユダヤ人に他ならないと唱える説が、実は100年前、マックス・ヴェーバーと同時代にすでに存在していた。その学者の名は、ヴェルナー・ゾンバルト。だが、彼の説は長い間顧みられることがなかった。それは、なぜか。

 ≪大著『ユダヤ人と経済生活』≫

 ゾンバルトの大著『ユダヤ人と経済生活』は、三部に分かれている。〔第一部 近代国民経済形成へのユダヤ人の関与〕では、ユダヤ人と近代資本主義の関係について、両者がきわめて深い関係にあったことを、豊富な資料を用いて論じている。〔第二部 ユダヤ人の資本主義への適正〕においては、ユダヤ人が資本主義にいかに適合しているかを、とりわけ宗教生活との関連において詳しく述べている。〔第三部 ユダヤ的本質の誕生〕では、いかにしてユダヤ人固有の性質が発生したかを解く、いわばユダヤ人論を展開している。ユダヤ人たちこそ、金融制度の担い手にして形成者「金の貸付から、資本主義が生まれた」とゾンバルトは語る。

 ≪「ピューリタニズムはユダヤ教である≫

 ピューリタニズムはユダヤ教である、この洞察からゾンバルトの研究がスタートした。…ユダヤ教は現在に至るまで存続しているのだから、…パラドックスを弄さなくても、直接資本主義の精神に結び付けてもなんら不都合はない。事実そうだったのではないか。ゾンバルトの言う「ピューリタニズムはユダヤ教である」というテーゼは、まさにそのことを論証しようとしたものである。

 ≪ユダヤ人は近代資本主義の触媒である(ゾンバルト)≫

 「触媒」という比喩は、非常に優れたものだと思う。…ユダヤ人は当初から資本主義への適正を備え、古代から経済活動を続けてきた。そういうユダヤ人たちとキリスト教徒の商人たちの経済活動に他の要因(戦争、奢侈など)が加わって、制度としての近代資本主義が形成されてきたのだ。なぜ、「ユダヤ人起源説」は葬られたのか
・ナチスに利用された(からだ)とする説。
・ユダヤ人の側から浴びせられた激しい非難
・ゾンバルト説は、「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られる

 ユダヤ人たちにしてみれば、ゾンバルトは、こともあろうに「ユダヤ人が近代資本主義をつくった」と論証し、しかも経済生活における彼らの手の内を暴露してしまったのだ。しかもゾンバルトは、あくまでも学問的に事実に即して、「客観的」に「価値中立的」に解明して見せたのだ。これは学問的評価を別として政治的配慮から見て、非常に困るのである。ナチスを始め反ユダヤ主義者たちが利用したのは十分頷ける。変に扇動的でない学問的な著作ほど、実は威力を発揮するのである。政治的に見て始末が悪い。ヴェーバー説は、当時のユダヤ人たちにとって非常に都合の良いテーゼではなかったか。

 【出典】「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」副島隆彦〔編著〕/祥伝社 H17年  

コメント
1. 仁王像[773] kG2JpJGc 2015年12月31日 14:42:56 : tDeJWUax06 : uOxWHUce5VI[2]
(金利思想は資本主義誕生に必須だったか?)
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/902.html#c6
2. 2015年12月31日 17:59:27 : upvu9A5hNM : 5J8AqYp2X8c[37]
ヨーロッパの中世社会では、貧困は美徳であり、受け入れなければならないものと教えられ、金貸し業は教会法によって禁じられていた。とは言え、ユダヤ人の金貸しを非難しながらも、カトリックの大聖堂参事会は高利で金を貸していたし、教皇制度そのものも、「中世最大の金融機関」となっていた。
8. 2016年1月01日 18:11:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[668]
 近代資本主義を作ったのはヨーロッパの王侯貴族
 ユダヤ人は単なるマネージャー

 [黒い貴族]麻薬ビジネス王の正体?

 [黒い貴族]とは十二、三世紀に栄えたベネツィア(ベニス)の貴族で、それがヨーロッパの各王家に血縁的に結びついた。米国や英国の貴族・王室も含め、[貴族階級]が麻薬ビジネスを扱っているのである。アメリカでは、エリートのデラノ家、フォーブス家、マップルトン家、ベーコン家、ポイルストン家、パーキンス家、ラッセル家、カニンガム家、ショー家、クーリッジ家、パークマン家、ランナウェル家、カボット家、コットマン家、…等々のエリートが麻薬を扱って豚のように肥え太っているのである。アメリカのエリート300家、英国100家によって動かされており、これらの家族は結婚、会社、銀行を通じて絡み合っているのである。黒い貴族、イルミナティ、バチカン、エルサレムの聖ヨハネ国などとの結びつきはもはやいうまでもない。[トルコ、アフガニスタン、イラン、パキスタンからのヘロインの大量船荷を保護し、それが合衆国と西ヨーロッパの市場へ最低限のビジネス・コストで着くように保証することを、自分たちの代理人を通してやってのけるのはこの連中なのである](三百人委員会)。この麻薬ビジネスを末端で行うのは犯罪組織だが、そこに至るルートは、英国諜報部、CIA、モサドなどの国家機関が担うというからくりである。かつてパナマのノリエガも国家機関として麻薬取引に関わっており、CIAから何百万jも受け取っていたが、アメリカのブッシュ大統領によって麻薬取引者として逮捕された。ノリエガが、[黒い貴族]の内部への反抗を示したからと見られている。また、モナコのグレース・ケリー王妃の自動車事故も、麻薬ビジネスのトラブルによって"殺され"たのだ。英国が麻薬ビジネスのトップにいることはもはや世界常識になりつつある。アヘン戦争以来、世界に麻薬をバラ撒いてきたのは、周知の事実である。かつて日本でも麻薬ビジネスを国家事業として行っていたことがある。第二次世界大戦前のことである。それは、[日本国家による最大の戦争犯罪]興亜院という役所が、中国にアヘンを売りつけ、満州帝国の収入の40%を稼いだことでも知られる。

 興亜院 - Wikipedia
 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E4%BA%9C%E9%99%A2

 この興亜院で働いたのが、岸信介、鳩山一郎、大平正芳などの戦後の首相になる人物であり、麻薬が単にマフィアなどの犯罪でないことが分かる。英国にはMI6以外に麻薬を扱う部局がいまだにあるということである。三百人委員会の終局的な麻薬ビジネスの戦略は、各国で麻薬を合法化することにある。これは二つの狙いを持っている。@麻薬ビジネスを飛躍的に盛んにし、莫大な利益を生み出す。A労働者に麻薬患者たちが増えると、管理社会の政策を有利に進められる。国際麻薬ビジネスのトップにいるのは、王室であり、現在の最も奇怪で不思議な謎である麻薬の製造・販売に王室につらなる銀行、多国籍企業、各国秘密諜報部が動かしているとすれば、永遠に"犯人"が捕まるはずがないということである。黒い貴族の高笑いが聞こえそうだが、今後今までのようにいかないはずである。

10. 2016年1月02日 13:12:40 : GtKiigYRrE : J1zVX1W3Wag[7]
 『プロ倫』に限らずマックス・ウェーバーといのは、米では当然として、英仏でもほとんど関心を持たれていない学者なんだよ。ブローデル(仏)にいたっては、軽く(数ページで)批判するために論及しているだけ(全巻2千数百ページの『物質文明・経済・資本主義』において)。つまり、マックス・ウェーバーというのは、なぜか知らないが日本で異常に過大評価されている。20世紀最期の全集(確か1980年代後半)の全予約者の60%は日本からの予約で、のこり40%をドイツを含めて世界中で分けたという笑い話が伝わっている。『プロ倫』のコンセプト(「近代資本主義を作ったのは、プロテスタンティズムだ」)を真面目に議論しているなんて日本の「素人」だけだよ。
11. 2016年1月02日 17:17:52 : 2nwmJjbUSI : 9yG_bhN9T6M[3]
>>08
 簡潔にまとめられた文章はとても読みやすかったです。

 ユダヤ人マネージャー説は賛成ですね。たまたま金融の分野で仕事をしていただけで、近代資本主義、いわゆる産業革命を金融の分野からサポートしているのでしょう。ボスキャラが欧州の貴族階級というのも賛成です。こいつらは学者やマイスターや職人が個々にやっていた生産活動を軍隊のように組織化して産業革命を成功させた。別に新しい科学技術を発見したわけではない。人類が積み重ねてきた遺産を食い潰しているだけである。その穀潰しが大きな顔して人類社会の全てを支配している。食い潰す事しかできないから今までに発見した科学技術を応用する事しかできない。相対性理論や量子力学にしても半導体にしても遺伝子工学にしても基礎が研究されたのは1920年代から1950年代までです。それ以降は応用の分野でしか進歩がない。基礎の部分に新しい分野での進歩がないから当然ですが人類社会の発展は滞り、経済のパイは縮小していきます。そうすると既得権者は権益を手放さないから驚くべきスピードで貧富の格差が広がり、テロが横行するわけです。しかしテロの被害者は下っ端庶民であり彼らを脅かすとも思えません。何を根拠に「今後今までのようにいかないはずである」とおっしゃっておられるのか、ご教授願えるでしょうか。

12. 仁王像[777] kG2JpJGc 2016年1月02日 18:00:45 : QgBF7L7Qvs : nJQ8R8wA11w[1]
 >>10

 そうですか、それは知りませんでした。羽入氏の奥さんは学友で氏の尻を叩いたようですが、彼女の直観力には感心しました。

(マックス・ウェーバーは学問詐欺師か)
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/902.html#c4

13. 仁王像[778] kG2JpJGc 2016年1月02日 18:25:16 : QgBF7L7Qvs : nJQ8R8wA11w[2]
 東大の大塚久雄もマックス・ウェーバーの熱心な研究者で、羽入によるといい線までいっていて、ウェーバーの詐欺を見抜く寸前まで行っていたようなことを著作の中に書いてあった。

【マルクス主義批判その17、階級闘争的歴史発展論のすり替え性について】
 れんだいこは遂に、マルクスの階級闘争論に疑義を覚えるようになった。最大の箇所は、封建制から資本制への移行の必然性である。階級社会の発生から王権制への移行、王権制から封建制は良い。いずれも支配者の頭数の変更問題として考えられるからである。官僚制へいたる社会的合理性の歩みが確認できるからである。しかしながら、封建制から資本制への移行となると、それまでの移行と性質が違いすぎていないだろうか。支配者の頭数問題が資本の増殖問題へと収斂帰着されていることになるが、本当に史的必然性合理性が認められるのだろうか。れんだいこは違うと思うようになった。その理由を以下記す。

 我々が従来マルクス主義教本に於いて資本制と看做しているものは実は資本制ではなくて、端的に云えばロスチャイルド制とでも云えるものなのではなかろうか。ロスチャイルド制の意味が分からなければ、ロスチャイルドの履歴を学べばよい。れんだいこは、「ロスチャイルド考」で考究している。それによると、我々が従来資本制と呼んでいたものは、なべてロスチャイルド制と受け止めたほうが的確なのではなかろうか。ロスチャイルド制には果して史的必然性合理性が認められるのだろうか。社会の発展方向が、ロスチャイルド制により大きく捻じ曲げられており、してみればロスチャイルド制とは人為性のものなのではなかろうか。そう気づくようになった。

 ルネサンスから近代性資本主義的発展までは、史的必然性合理性であろう。しかし、その先、近代性資本主義的発展は本当に世界の植民地化、戦争、不断の軍事競争を史的必然性合理性にしていたのであろうか。科学及び技術の発展は、それまでの社会構造ないしは秩序ないしは体制をも変える力を持つものである。しかし、その立ち現われは、各国それぞれ固有の歴史的伝統、発展段階に規定されつつ自律的に変革されていく筈ではなかったか。丁度日本の幕末維新、明治新政の如くに。

 そして、各国は、互いを尊重しつついわば健全な商取引、交流で相互作用し合えたのではなかろうか。そうやって東西交易はつつがなく経緯してきていたではないか。逸早く資本制に移行した西欧列強はなしてあれほど戦禍にまみれねばならなかったのか。これらは全て仕組まれ、誘導され、今日ある如くに秩序立てられたのではないのか。それは極めて人為的な流れではないのか。そう思うようになった。

 マルクス主義的階級闘争論は、封建制から資本制への移行を歴史的必然としたことにより、実際には人為的ロスチャイルド制であるのに、その流れを目くらましする効果を伴っているのではなかろうか。 してみれば、歴史に於けるマルクス主義的階級闘争理論、歴史理論もそろそろ対自化せねばならないのではなかろうか。我々は、安逸に階級闘争論を掲げるべきではない。もっと精緻に歴史を検証し、史的必然性と合理性と人為性を精査し直さねばならないのではなかろうか。

 このことに気づいた直接の理由は、ブッシュ派のこのところのアフガンーイラク戦争で、彼らが使用した多種多様な軍事兵器のおぞましさ、凄惨さを見て、彼らがかような暴虐的兵器を日常的に研究開発、準備していることの異常性にれんだいこのアンテナが作動したことによる。

 元々科学及び技術の発展そのものには階級性は無い。それをどう開発、活用、利用するのかに階級性が現われる。しかし、現代に於いては階級性だけでは言葉が足りない。ロスチャイルド制というのを付け加えなければならない。ロスチャイルド制ではピンと来ないのであれば、ネオシオニズム性と云い代えても良い。こう認識しないと歴史の実相が見えてこない。

 そういう訳で、れんだいこは、マルクス主義的階級闘争論、歴史発展論を一歩引いて眺めることにした。これについては今後更に検証する。

 2006.10.28日 れんだいこ拝

【マルクス主義に対する様々な寸評について】
 マルクス主義は諸氏からいろんな風に云われてきている。好評価の側からの言として、サルトルの「克服不可能な思想体系」、E・H・カーの「独。英、仏の哲学、経済学、政治学の統合である」という観点がある。悪評価の側からの言として、公明党の「憎悪の哲学」、久保田政男の「呪詛の哲学」という観点がある。してみれば、毀誉褒貶甚だしいものがあると云える。

 トロツキスト系活動家として知られるコルネリュウス
・カストリアディスとクロード・ルフォールの言も参考になる。雑誌「社会主義か野蛮か」を発行(1949−1965)し、その中で次のように指摘されている。
 「マルクス主義もまた、曖昧さも残留物もない諸関係の完成された体系として、真実を自らに与えようとする思弁的で体系的な全ての哲学=古代ギリシャ以来の西欧哲学の系譜を継承している」。
 「人々には、理論の指示に従うだけの道しか残されていない」。
 「『理論的真実の受身の対象』以上のものにならない。理論の適用に務めるだけの存在になる。新しい経験による創造や発見の道が閉ざされやすく、理論を持ち指導するものと、その指導に服するだけの人々という、階級的構造が構築される」。
 「体系化は、人間の認識の発展を停止させる」、「閉鎖的な完結的体系」、概要「絶えず更新される開放的理論的探求の対置が必要」云々。

 いかように云われようとも、「ルネッサンスからフランス百科全書派までの200年間の特徴」を半ば後継し、半ば自ら破っているように思われる。何を後継したかは次の通り。

 自分で思索を組み立てようとする根本的な構え。
 借りるに権威無く、ならうに先例なし
 自力解決する以外に無くこれによく応えた。
 思想の効用というものを信じて疑わない
 状況の変化に応じて当意即妙に志を述べる軽妙さ、いわばユーモアも嗜む。
 報われることを欲しない清廉さ。
  転変、迫害は向こうから襲ってきた

 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝


 宮地氏の不破哲三の宮本顕治批判





(私論.私見)