カルロス・マリゲーラの生涯履歴

 (最新見直し2009.2.1日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 

 2009.2.1日 れんだいこ拝



 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」のイントロを転載する。
 カルロス・マリゲーラ著「都市ゲリラ・ミニマニュアル」(1969年6月。日本では「都市ゲリラ教程」として知られている)の全訳を紹介する。 ネット上で検索すればいくらでも英訳版全文データが入手できるが、その解説によれば……

 カルロス・マリゲーラはブラジル最大級の工業都市サンパウロの共産党の元幹部であった。1967年に党との関係を断ち、ハバナにおけるラテンアメリカ諸国会議の組織から発表された「2つ、3つ……多くのベトナムを作れ」という呼びかけに応えた。彼の組織、国家解放運動(ALN=Action for National Liberation)は都市ゲリラ戦理論をうち立て、それはラテンアメリカ全体にすみやかに広範囲にわたって受け入れられた。これが都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)に具体的に記されている。

 遊撃インターネット・北のりゆき氏の「アングラ危険文書を読もう」という解説より引用させていただくと……
(全文はこちらにあります)

 この他に、チェ・ゲバラの『ゲリラ戦争』とカルロス・マリゲーラの『都市ゲリラ教程』が実戦的なゲリラ教本として有名です。両方ともテロリストの本棚からは必ず見つかるといわれる危険本で、事細かにゲリラ戦術について述べているのです。『ゲリラ戦争』はキューバ革命型の山岳ゲリラ戦について、『都市ゲリラ教程』は誘拐や資金徴発といったよりテクニカルなテロ戦術について述べています。あさま山荘事件で有名な連合赤軍も読んでいましたし、80年代には皇居に火炎弾を撃ち込んだ過激派セクトが機関紙で『ゲリラ戦争』を参考に武器を製造したと書いていました。『ゲリラ戦争』は最近再版され一般書店でも手に入ります。『都市ゲリラ教程』も、ちょっと大きな図書館に行けば借りることができます。

 この日本語版は、カルロス・マリゲーラ著/日本・キューバ文化交流研究所 編訳 『都市ゲリラ教程』三一書房(1970年)をもとに、若干の修正を加えたものである。古い本なので現状には合わず、実用の役にはもはや立たないだろうし、共産主義理論についても疑問があるが、資料として提示する。

 CARLOS MARIGHELLA

 カルロス・マリゲーラは1911年、ブラジル東部バイア州で生まれた。1930年、ブラジル共産党に入党し、アジテーター、オルガナイザーとして働いた。戦争の間を刑務所で過ごしたにもかかわらず、すぐに地位が上がっていき、1952年には党中央委員会委員となった。1953年に中国に旅行し、毛沢東と朱徳に会った。

 1964年の軍事クーデター後、ブラジル共産党は地下に潜った。マリゲーラは、採用すべき戦術について党の他の幹部と意見が食い違い、結局、1967年、命令に逆らって、ハバナで開かれたラテンアメリカ団結に関する会議に参加し、党から分裂した。

 1967年の終わりにブラジルに戻ったとき、ブラジルには広範囲にわたる社会不安と経済的大変動があった。マリゲーラは武力闘争が革命軍と結び付く必要を確信しており、1968年2月にALNを組織化した。ALNの活動を指揮し、他の都市ゲリラグループ、特にVPR とMR-8運動とともに活動した。マリゲーラは1969年11月30日に警察の待ち伏せで殺された。ALN はカリスマ的な指導力と組織力を奪われ、その死から1年の内に崩壊した。

 カルロス・マリゲーラは革命の方法についてのエッセイや論文を多く書いた作家であった。最も有名な作品『都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)』は1969年6月にサンパウロで書かれた。この本はそれ以来20の言語に翻訳され、全世界のテロ運動のハンドブックとなっている。これはイタリアの赤い旅団、ドイツの赤軍派、暫定派アイルランド共和軍の公式訓練マニュアルである。 本は60ページ以下であり、都市ゲリラ戦のさまざまな局面について扱っている40章に分けられる。大部分は、標準的な軍の戦術ノートのようにかなり正確に書かれており、見習いテロリストが重要なポイントを思い出す助けとなる完全なメモとなっている。この本はゲリラ戦略・組織についての簡潔な要約にとどまっており、革新的なものや意外なものは特にない。





(私論.私見)