「都市ゲリラ・ミニマニュアル」その3

 (最新見直し2009.2.1日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 

 2009.2.1日 れんだいこ拝



 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「神経戦」を転載する。

 神経戦あるいは心理戦は攻撃に関する技術の問題であり、人々の口伝えにさまざまな情報を流して交配者の士気を喪失させることである。

 政府はマス・メディアに検閲を強制し、政府に不利益になるいかなる言動をも封じることによって守勢から脱しようとしている。しかし、かえってそのために心理戦においては政府はつねに不利な立場にいる。

 この点に関しては、政府は絶望的になっており、矛盾はますます拡大し、威信も失墜し、マス・メディアの規制はいつでも失敗に帰し、時間とエネルギーを浪費している。

 神経戦の日的はデッチあげのニュースを流すことである。つまり、デマをその節の権威者の間に拡げ、あらゆる人がそれに耳をかす。このようにして、政府に対して、いらだち、不信、不安、猜疑心を抱かせる。

 神経戦において、都市ゲリラが用いるもっとも効果的な方法は次のようなものである。

  1.  電話、手紙などの手段を使って警察・政府に官庁などの爆破計画、テロ活動、および誘拐、暗殺計画などのデマ情報を流すこと。それは政府の要人たちの神経をすりへらすことが日的である。
  2.  デマを流して警察の注意を分散させること。
  3.  政府を不安がらせるようなうわさを流すこと。
  4.  可能なかぎり政府あるいはその代表機関の腐敗・失策をあばくこと。そして、政府の支配下にあるマスコミを通じての政府の釈明、正当化を混乱に落し入れること。
  5.  外国大使、特にアメリカ合衆国大使、ローマ教皇大使、そして人権保護あるいは報道の自由を防衛すべき国際司法委員会への非難を表明すること。具体的な条約、法律達反、軍部独裁による暴力の行使をあばきだすこと。さらに革命戦争を続けることによって、人民の敵どもに本当の危険を知らしめること。

 


 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「いかにして戦闘を行うのか」を転載する。

 実践演習・訓練をつんだ都市ゲリラは、戦闘を行なう方法をもっとも重要視せねばならない。なぜなら、どんなささいな失敗も都市ゲリラは無視することはできないからである。

 その方法を実戦に応用する際の不注意がしばしば大惨事をまねくことは、毎日毎日の経験が教えてくれる。

 無法者はしばしば、彼らのやり方ゆえに失敗する。このことは都市ゲリラが盗賊の技術ではなく、革命家の技術に徹しなければならないことの理由である。

 しかし、この理由だけではない。革命家の行動の方法と訓練を無視したりする者は、計画をたてて厳密に実戦する都市ゲリラの名にふさわしくない。

 巨人というものは、そのつま先だけ見ればすぐにそれとわかるものである。同じことが正確な方法や原則に完全に忠実な行動を必要とする都市ゲリラにもいえるのである。

 戦闘を行なう革命的方法は、以下に掲げる基本的事項の知識と実行にもとづいていると断言できる。

  1. 情報の検討
  2. 分析と点検
  3. 地形の探索や踏査
  4. 道路についての研究と所要時間の測定
  5. 地図の作成
  6. 機動化
  7. 隊員の人選と交替
  8. 射撃能力の選択
  9. 研究と訓練
  10. 完璧さ
  11. 援護
  12. 退却
  13. 分散
  14. 囚人解放あるいは移動
  15. 証拠隠滅
  16. 負傷者の救助

 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「方法上のいくつかの分析」を転載する。

 もしもわれわれが情報を手にしていない場合、行動計画を実践に移す段階ではまず分析・検討・点検が必要である。これはかならず好結果をもたらす。

 情報がある場合も含めて、いかなる場合においても十分な分析・点検を行ない、情報が矛盾しないということを知ることは基本事項である。

 地形の探紫や踏査、道路についての研究と所要時間の測定は、非常に蛮要なことであり、したがってそれらのことを無視することは、暗闇で人を刺すようなものである。

 一般的に機動化ということは、行動に関する指揮方法の熟慮すべき要素である。

 機動化ということが、ゲリラ行動では最後までとり残された問題としてあることがしばしばある。だから、行動する以前にその点を十分検討しておかなければならない。

 機動化について考慮しておかねば、それが行動を失敗に導くことにもなりかねない。機動化は真剣に考えられねばならないし、今後の事態も含めて、責任をもって遂行されねばならない。したがって細心の計画を必要とする。当然これに関しても、情報と分析が基礎とされねばならない。さらにそれは、きびしい注意力と精密さでもって実行されねばならない。すでに奪ったさまざまな車輌は注意深く管理しカムフラージュすることが、機動化にとって重要である。

 輸送に失敗すれば、都市ゲリラ活動にとって精神的・物質的に重要な事態が生じ、主要な行動も失敗に導くものである。

 隊員の人選には、厳重な注意を要する。それは、他の参加者に悪影響をおよばす危険性のある優柔不断な、動揺しやすい人間を避けるためである。困難に落し入れるようなことは避けねばならない。たしかにそれは非常にむずかしいことではあるが。

 退却は、失敗の可能性も含めて、厳密な計画がなされなければならないという点で、作戦自身より重要である。

 ゲリラは、子供たちがいたり人通りのある人目につく状態のなかで囚人を救出したり移動したりする行動を避けねばならない。

 最良の方法は、可能な限り自然に無理なく救出することである。それはつねに、曲りくねった道、前回とは異なった道筋、人通りのめったにない狭い道で行なわなければならない。また二台の車が偶然に行きかう時も避けねばならない。

 足跡を消すことはゲリラの義務である。故に情報を与えるいかなる手がかりも残さぬように、細心の注意を必要とする。指紋一つ残さぬよう消さねばならない。これらのことに関するゲリラの注意力欠如は、われわれ自らにあとあとまで不安な状態を増大させる原因となり、時には不運にも敵の手におちることにもなりかねない。


 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「負傷者の救出」を転載する。

 都市ゲリラ戦において、負傷者の問題は特に注意を要する。

 都市でのゲリラの作戦中に何人かの同志は運悪く負傷するかもしれないし、あるいは警察の手によって撃たれるかもしれない。

 戦闘グループのゲリラの一人に応急手当の知識があれば、かならずその地点で負傷した同志になんらかの手当ができるのである。

 いかなる事情があろうとも、負傷した郡市ゲリラを、戦闘地点に見棄ててはならないし、敵の手に渡してはならない。

 われわれが、負傷者のために講じなければならない対策の一つは、男女とも看護技術を修得することである。基本的には誰にでもできる初歩的な応急処置を知っておくことである。

 都市ゲリラのなかに医者、医学生、看護婦、薬剤師、応急手当を身につけた者がいることは、いまでも絶対に必要なことである。

 ガリ版印刷による応急手当の小手引でさえも、都市ゲリラにとっては十分な知識を与えてくれるものである。

 武装行動の計画を遂行する場合、都市ゲリラには医療救護班は絶対に必要である。そして、移動できる即席の救急車をもつことができれば、医療救護活動はいっそう完璧なものになるだろう。

 もう一つの解決方法は、所定の場所に医療箱をもった看護人を待機させ、負傷者を連れてゆくことである。

 これは診療所をもつことが前提であり、この場合、強奪したものを使用しなければならない。なぜなら、診療所を設置したりすることは、非常に経費のかさむものであるからだ。

 方法の施しようがない場合は、病院や診療所に押し入り、医師に強制してわれわれの負傷者を治療させることも必要である。

 万一の場合には、血液や血漿を買うために血液銀行に行く必要があるが、その際、負傷者の本当の住所をいってはならない。彼らはわれわれの保護の下にあるからだ。病院や医療機関に、組織の秘密についても教えてはならない。そのような行為は敵に痕跡と証拠を残すことになるから、絶対に避けねばならない。

 負傷者が隠れている家についても、ただ治療と移動をまかせておけるグループの仲間以外には決して洩らしてはならない。

 したがって、シーツ、血のついた衣服、薬、その他警察と闘って負傷した仲間を治療したことがわかる証拠品は、一切の関係場所から完全に消しておかねはならない。


 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「ゲリラの安全」を転載する。

 都市ゲリラは、絶えず発見されたり密告されたりする危険につきまとわれている。安全に関する重要な点は、うまく隠れ、自らを防衛することであり、われわれの居場所を警察に捜し出されないようにすることである。

 われわれが突然出くわす主要な危険や都市ゲリラにとって始末の悪い敵は、われわれの組織に潜入してくるスパイや密告者である。

 ワナにかかったスパイは死刑に処せられる。また逃亡者や警察への密告者も同様である。

 もっとも安全な状態は、われわれの中枢機関に敵のスパイや密告者がいないことであり、直接間接を問わず、敵がわれわれの情報を入手できないことである。これを確保する基本的な方法は、警戒して厳格にゲリラの勧誘を行なうことである。

 ゲリラ全員が互いに知り合うこと、あるいはあらゆることを知ることは許されない。各人はただ自分の任務について知っていれば十分である。この鉄則は、都市ゲリラの安全の上でも、初歩的な基本事項である。

 われわれの闘いは、階級闘争であるかぎり、骨のおれる困難なものである。あらゆる敵対する階級間の闘争は"勝利か死か"の闘いである。

 敵はわれわれの壊滅を目論んでいる以上、われわれを発見し、破壊するために容赦なく攻撃をかけてくる。だからわれわれの偉大なる武器は、敵から身を隠し奇襲を行なうことにある。

 都市ゲリラにとって危険なことは、不注意に身分を明かしたり、階級的警戒心の欠如のために発見されたりすることである。ましてや、自分や同志の住所をいいふらしたり、しゃべりすぎたりすることは、許しがたい行為である。新聞の余白への書き入れ、破れた文書、行方不明になったカード、手折、ノート、その他のものは警察にとって恰好の手がかりとなり、彼らは決して見過さないだろう。

 住所録や電話帳は破ってしまう必要があり、住所、電話番号などを控えたり、メモした紙を持ち歩いてはならない。また組織員の偽名と本名、経歴の報告書、地図、作戦計画表などを保存してはならない。洩れて都合の悪いことは、筆記してはならない。

 こうしたルールを犯す都市ゲリラがあれば、違反を最初に発見した者が警告しなければならない。それにもかかわらず違反をくり返すようならば、彼の任務を剥奪しなければならない。

 警察が都市周辺に包囲網をしき、ゲリラが比較的警察と接近しつつ頻繁に移動しなければならない時は、都市ゲリラは敵の行動に応じて安全を保つさまざまな方策を講じなければならない。

 そのためには、敵の行動、すなわち警察がどのようにワナを張ったか、どの場所が監視されているかについての情報を毎日得る必要がある。これらの情報を得る基礎は、新聞に載っている警察関係の記事を毎日読むことである。

 ゲリラの安全についてのもっとも重要な教訓は、いかなる状況の下にあっても、組織の安全対策、組織規律を乱す徴候を決して表面に出さないことである。

 ゲリラの安全は、捕虜にされた場合でも、原則的に貫徹しなければならない。逮捕されたゲリラは、組織を危険にさらすと思われるものはなに一つしゃべってはならない。加えて、他の同志が逮捕されたり、住居や隠れ場所が発見されたり、武器・弾薬の損失を招いたりする恐れのあることもしゃべってはならない。


 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「都市ゲリラの七つの大罪」を転載する。

 都市ゲリラが、たとえ革命の技術を正確に使用し、安全の原則を厳しく遵守していても、過失を犯すことはありうる。完全な都市ゲリラというものはいない。完全となることができないなら、過失を最小限にとどめるためにあらゆる努力をする必要がある。

 過失を最小限にとどめるためには、都市ゲリラの七つの大罪を徹底的に理解し、この大罪を克服すべく、つねに努力しなければならない。

 第一の罪は、経験不足からくる罪である。この罪に陥ったゲリラは、敵を過小評価し、すべては容易に達成されると信じている者である。しかし、敵をみくびった者は敵に証拠を残し、結局敵の手に捕まる結果を招くだろう。さらに敵を過大評価した場合は、敵の力量を見誤る。そしてこの無分別のために誤算すると、敵に威嚇され、危険にさらされた場合、優柔不断となり、しりごみしたり、大胆不敵さを失ってしまう。

 第二の罪は、自分が遂行した行動を自慢し、誰彼のみさかいもなく放言することである。

 第三の罪は、虚栄心である。これは農村ゲリラの開始とその後の展望について考慮することもなく、都市だけの行動によって革命の問題を解決しようとすることである。成功に酔いしれると、決定的行動を起こそうと思って組織の勢力と物資のすべてを結集しようとする。しかし、農村ゲリラはまだ発展してはいないし、決定的勝利の地点には達していない。したがって都市が決定的行動に出れば、敵の反撃をうけ、致命的な打撃を被る結果になる。

 第四の罪は、自分の力を過信し、計画を企だてるには力量不足であり、計画に必要な下部組織を持っていないのに実行しようとすることである。

 第五の罪は、性急な行動である。忍耐力を失い、興奮し、待とうとはせず、性急に行動に移り、惨めな敗北を招くことになる。

 第六の罪は、敵の怒りがもっとも高まっている時に攻撃を仕掛けることである。

 第七の罪は、計画を立てずに成行きのまま行動することである。


 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「大衆の支持」を転載する。

 都市ゲリラにつねに必要なことは、大衆の代弁者となり、大衆の支持を得ることである。

 政府が無能で堕落している場合、都市ゲリラはためらうことなく反政府の立働を表明し、大衆の同情を得なければならない。現政府は人民に重税と莫大な負担を押しつけている。したがって独裁者の徴税機構を攻撃し、全力をあげて財政活動を妨害すべきところまでには煮つまっているのである。

 都市ゲリラは、税金や徴税機構を転覆させるためにだけ闘っているわけではない。物価をつりあげる政府諸機関・関係者も攻撃しなければならない。同様に、国内外の不当利得者・財産家に対しても攻撃を加えねばならない。すなわち、贅沢な生活の他、巨万の富を蓄えたり、物価や家賃を極端につり上げて不当な利益を蓄えている者に攻撃を加えなければならない。

 冷凍部門のような外国トラスト、食品の市場や製品を独占している北米人の工場を、組織的に攻撃しなければならない。

 われわれを包む大衆の支持を獲得するには、社会問題を執拗なまでに取り上げて、都市ゲリラの叛乱を起こすことである。重ねてくり返すが、これこそ大衆の支持を得る最上の方法である。住民の相当数がまじめにゲリラの行動を取り上げるようになれば、ゲリラの成功は疑いない。

 政府は抑圧を強める以外なすべき処置を知らないし、その余地もない。警察の包囲網は家宅捜査、無実の者や指名手配されている者の逮捕、道路封鎖をともなうので、都市生活を我慢できないものにする。軍部独裁は大量の政治的迫害を行使し、政治家の暗殺や警察のテロルを日常茶飯事のことにしてしまう。

 こういったことをしても、警察は確実に敗北していく。そうすると陸・海・空軍が動員され、警察の任務を肩代りするようになる。たとえそうしたところで、都市ゲリラの活動を抑える方法はない。そればかりか、国中に影響を執拗に拡げ、自由自在に移動している個々独立した多くのグループからなる革命組織を一掃することは、不可能である。

 人民は当局に協力することを拒否するものであり、政府に対する一般的見解は、政府が不当であり、社会間題を解決するには無能であり、反対者に対しては物理的弾圧だけしか行なっていないということである。

 国内の政治状況は軍事情勢に転化しており、ゴリラどもはますます失敗を重ね、暴力に訴えるようになってきている。さらに人民の生活はすでに破局に瀕している。

 すでに取り返しのつかないところまでに達している革命戦争の結果に恐れをなし、泥沼の淵をさまよっている軍国主義者や独裁者を見ていると、支配階級、右翼日和見主義者、非暴力主義者の間からつねに調停者どもが出てくる。彼らは陰でこそこそと手を取り合い、死刑執行人に刑をまぬがれるよう請いに行き、再民主化、憲法改正、その他大衆を蔑視した言葉をならべ、都市や農村での革命的叛乱を中止させよう七する。

 しかし、革命家を見るならば、軍部独裁を維持し、その犯罪を隠蔽するような人民の唯一の目的とされている"人民の選挙権"なるものが、茶番にすぎないことがわかる。

 "政治的解決"と呼ばれる選挙は、茶番にすぎないことを、日和見主義者どもに徹底させるために、都市ゲリラは破壊工作、テロル、強奪、奇襲、誘拐、処刑などをたえまなく行使し、攻撃を強化しなければならない。

 これが、政府やそれを認めている政党に関する会議の開催や党の再編で大衆をだまそうとすることに対する、都市ゲリラの回答である。あらゆる時代を通じて、議会や政党と呼ばれるものは、あやつられた人形や鎖につながれた犬と同じように、軍部独裁の許しの下に初めて機能するものであるからだ。

 人民の支持をかちとるための都市ゲリラの任務は、闘争を継続し、大衆の利益を忘れることなく、政府を危機に陥らせることである。こうした状況は、軍部独裁にとって気の毒であるが、誰も制圧しえない都市ゲリラの叛乱の発展のなかから、農村ゲリラ闘争を開始することが可能となる。

 都市ゲリラは、人民に味方した革命的行動を任務としている。そして北アメリカの軛(くびき)からわが国を解放するために、軍部独裁に対する闘争のなかから、大衆が参加することを求めているのである。都市から始まり人民の支持をうけて、いまや農村ゲリラ戦争は一方で都市地域の叛乱を継続しながら、苦心して下部組織を建設しつつ急速に発展してきている。


 都市ゲリラ・ミニマニュアル(都市ゲリラ教程)」の「都市ゲリラ戦争はゲリラの学校である」を転載する。

 革命は人間、武器、物資に依拠した社会現象である。武器と物資は国内で調達できるが、調達には人間を必要とする。人間なしには、武器や物資はなんの役にも立たない。したがってその人間は、次の二つの基礎的かつ不可欠な資質をもたねばならない。

  1. 政治的・革命的動機をもっていること
  2. 革命の技術的訓練を受けていること

 政治的・革命的動機をもつ人間は、軍部独裁とアメリカ合衆国の帝国主義支配者の下で働いている広汎な知的部分から得ることができる。

 そのような人間は、毎日のごとく都市ゲリラ戦争に参加している。そのために、反動家どもは革命家に敵対していた部下が自分に反抗するようになるのを不愉快な気持で耐えていることを公けにしなくなった。

 都市・農村ゲリラ戦争で鍛えられ、経験を積んだ人間がブラジル革命の基礎を作り上げる。これを基礎に民族解放軍を形成し、ゲリラ戦争を巻き起こすのである。

 この中核は、組織内にはびこる官僚主義者、御都合主義者、お喋り屋や印刷屋ではなく、ただ闘う人間であるということである。すなわち、始めから決意し、覚悟をきめており、たった一人でも革命行動に参加でき、優柔不断で裏切ったりしない者たちである。

 これは、長期的な見通しにもとづいた、教義にとらわれない規律ある中核である。そして長期的な戦略・戦術の構想は、ブラジルの特殊な状況に合ったものに、マルクス・レーニン主義、ゲバラ―カストロ路線を応用する。これがゲリラを通じての叛乱の核となるものである。

 そして、政治・軍事の発展するなかで、男も女も一個の人間として参加し、革命が勝利した後の新しいブラジルの社会建設の指導者となっていくのである。

 今のところ都市ゲリラに選ばれる男女は労働者であるが、都市が労働力として吸収した農民たちは、ゲリラの政治性と技術を身につけて、教義にとらわれていない農村地帯へと戻っていくのである。学生・インテリ・牧師も同様である。この労働者・農民、学生・イソテリ・牧師の武装闘争による結合は、都市ゲリラ戦争の開始によって生み出された成果である。

 労働者は、産業について無限の知識があり、都市での革命的任務にもっとも優れている。都市ゲリラ労働者は武器を作り、破壊工作やダイナマイトなどを準備しながら闘争に参加している。そして一人で武器をとって行動したり、工場、職場、その他の労働施設で暴力的大衆ストや部分的麻痺状態をつくり出す組織に参加している。

 農民たちは、土地に対する知識や敵と直面したときの判斬の際に特別な直感力を持っている。そして、ひかえめな大衆とのコミュニケーションに不可欠な能力をもっている。農民ゲリラはすでにわれわれの鮮烈に参加しており、ゲリラの中核や農村の兵站部を形成している。つまり、個々人のための武器・弾薬の隠し場所を確保し、ゲリラ戦に消費される穀物の生産と供給を行ない、運搬地点、家畜の集散地、肉の供給源、農村ゲリラのガイドの訓練、そして農村部の連絡網をつくり出している。

 学生たちは、政治的には未熟で粗雑だが、そのため一切のタブーを打破できる。彼らが、広汎な規模で拡がりつつある都市ゲリラに統合されれば、革命的暴力に特別な才能を発揮し、すぐに高い水準の政治的・軍事的・技術的手腕を獲得する。学生は独裁者によって学校から停学処分を受け、放逐されているので、その自由な時間を有効に使い始めるであろう。

 知識人たちは、専制政治、社会の悪徳、軍事的傀儡の独裁の非人間的行為に反対する抵抗の前衛を形成する。彼らは革命の呼びかけを拡め、人民に対して大きな影響力をもっている。都市ゲリラの知識人、芸術家たちは、もっとも現代的なプラジル革命の支持者の典型である。

 教会の人々――牧師、宣教師、さまざまな階層と宗派の人々は、人民、特に労働者・農民・村人たちとのコミュニケーションに絶大な能力を発揮する。都市ゲリラの宣教師はブラジル革命の推進力の積極的な構成部分であり、北アメリカ帝国主義者と軍部に対する闘いの力強い武器となる。

 ブラジルの女性は、都市ゲリラ戦争において、戦闘的精神と頑強さに一目おかれている。それは偶然ではなく、きわめて多くの女性が銀行、記録保管所、軍事基地、その他に対するゲリラ活動に参加して告訴されたり、警察に指名手配されたり、あるいは監獄につながれているからである。

 都市ゲリラ戦争は、ゲリラの学枚として戦闘、物資の調達、連絡員、運転手、船乗り、飛行士、秘密情報の収集、宣伝、教育等々すべてにわたって、男女を問わず、同等の責任と能力を要求し、与えるものである。






(私論.私見)