【大麻比古神社】 |
所在地 〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13
お問い合わせ 088-689-1212
ホームページ http://www.ooasahikojinja.jp/ |
【伊射奈美神社】 |
国生み神話の女神をまつる神社。イザナミを社名とする式内社は阿波国美馬郡の一社のみ。この神社は以前は吉野川に浮かぶ中鳥島というところにあり、千数百年もの間、度重なる洪水にもここだけが被害にあわなかったと伝えられている。
所在地 〒771-2107 徳島県美馬市美馬町中鳥338
お問い合わせ 0883-52-2644
ホームページ http://www.city.mima.lg.jp/
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【忌部(いんべ)神社】 |
忌部神社は、徳島市に鎮座している由緒ある神社。祭神は「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」という神で、木綿を創った神として有名。毎年5月15日には、春季例大祭「鷲替え」の神事が開催され、観光客からも必見のお祭りとなっている。社前には「エドヒガン桜」があり、徳島県の天然記念物となっている。
徳島県徳島市二軒屋町2-48
088-652-8892
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【八倉比売(やくらひめ)神社】 |
八倉比売(やくらひめ)神社は阿波国一宮にして阿波=邪馬台国説に関係している。徳島市国府町矢野字宮谷531。2番目の鳥居の左手に箭執(やどり)神社がある。矢の御倉を司どる。祭神は櫛岩窓(くしいわまど)命、豊岩窓(とよいわまど)命、御門の神で天石門別(あめのいわどわけ)神ともいう。少し登ると松熊(まつくま)神社がある。弓の御倉を司どる。祭神は、手力男(たぢからお)命、天宇受女(あめのうづめ)命で、いずれも天照大神が邇邇芸(ににぎ)の命を天孫降臨させるとき付き従えさせた神々である。両神社の祭神が「日霊(ひるめ)大神が高天原より天下るまで守った」。この辺りには古墳や住居跡がある。細い道、急な階段を登ると八倉比売神社に着く。
神社略記によれば、式内正一位天石門別八倉比賣神宮にして杉尾山を御神体とする神社で、奈良の三輪山のように山を崇める最も古い神社様式であり、現在の社殿の様子は、逆に江戸時代まで、その様式が守られてきた証と思える。
奥の院。神社の裏手の山道を100m程登ると小さな広場に出る。その中心に青石の石積みで作られた祭壇がある。祭壇は高さは0.5m程で、一辺2.5m程の5角形をしている。祭壇の上部には、小さな祠があり、その中に鶴亀(つるぎ)岩と呼ばれる石が祀られてる。この鶴亀(つるぎ)岩は男根を模した石のようである。
八倉比賣神宮の御祭神は、大日霊女命(おおひるめのみこと)別名天照大神である。神社略記によれば、八倉比賣神宮の古文書等に、天照大神の葬儀の様子が記載されていることや、鎮座が338年と推定されることなどが書かれており、八倉比賣神宮が卑弥呼(=天照大神)の墓であるという説に符合する。郡昇氏や堀川豊平氏が邪馬台国=阿波説によると、卑弥呼は日の巫女であり、大日霊女や天照と同義であるという。さらに、この祭壇の下が古墳であり、これこそが、卑弥呼の墓であると主張している。この古墳は、魏志倭人伝に「女王卑弥呼が死んだ時、倭人は大きな塚を作った。それは直径百余歩ほどもあり、その際殉葬された者は奴稗百余人であった」と書かれている塚の大きさと一致するという。 |
【大泉神社】 |
大泉神社。徳島市国府町阿波史跡公園内。八倉比売神社の御由緒板に本殿より西北五丁余りに五角形の天乃真名井があり、元文年間までは十二段の神饌田に使われていた泉であったと書かれている。今は大泉神社になっているが本来は天乃真名井(あまのまない)。古代にはこの下に子供の遊び場があり、天照神の神社だった。上が本殿、下が社殿。社殿の端に石の囲いの水溜場所があり、これが祠石。中に御神体のクジラ石がある。サザレ石で60センチくらいである。
この井戸や祭壇がなぜ5角形なのか? 5角形に特別な意味があり何かを伝えていることは間違いない。神社略記で天照大神の葬儀を行った5神(伊魔離神、大地主神、木股神、松熊神、広浜神)、あるいは天孫降臨の時に5つの供の緒を分かち合った5神(天の児屋の命、布刀玉の命、天の宇受売の命、伊斯許理度売の命、玉祖の命)に絡んでいるのだろうか。天照大神が亡くなった当時、5つの部族によって国が成立していたということを伝えているのだろうか。それとも他に何か呪術的な意味があるのだろうか。
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【宅宮(えのみや)神社】 |
八倉比売神社の南東の鮎食川の対岸に徳島市八万町中筋の宅宮(えのみや)神社がある。ここは、壱与(いよ)の神社と言われているところである。旧称は、意冨門麻比売(おほとまひめ)神社。祭神は、大苫邊(おほとまべ)尊、大年(おほとし)大神、稚武彦(わかたけひこ)命である。大苫邊尊が神世七代のオホトノベのことだとすると伊邪那岐(いざなぎ)神・伊邪那美(いざなみ)神よりも古い神世七代の神を祭っていることになり珍しい。全国でここだけということである。ちなみにオホトノジ・オホトノベは、神世七代の5代目にあたる。ここでも5という数字が出てくる。
ここに1700年以上の歴史を持つ神踊りが伝わっている。その時に歌われる神歌の一節に「伊豆毛の国の伯母御の宗女。御年十三ならせます。こくちは壱字とおたしなむ」とある云々。魏志倭人伝記述の「(卑弥呼の死んだ後)男王を立てたが、国中が服従せず、その上お互いに殺し合った。この時千余人が殺されたという。そこで再び卑弥呼の宗女の壱与という十三歳の女の子を立てて王としたところ、国中はやっと治まった」に符合する歌と云われている。この神社には漢字以前に日本にあった独自文字である神代文字で書かれた祓詞の版木があるという。 |
【天の岩戸立岩神社(あまのいわとたていわ)神社】 |
天の岩戸立岩(あまのいわとたていわ)神社。徳島県名西郡神山町鬼籠野字元山746。ご神体は縦方向に裂けた巨大な岩。これが天の岩戸にぴったりである。阿波古事記研究会の案内板によると「阿波の風土記」に、「空よりふり下りたる山の大きなるは、阿波国にふり下りたるを天の元山といい その山のくだけて、大和国にふりつきたるを天香具山というなんともうす」とある云々。天香久山は、古事記に「天の宇受売の命、天の香久山の天の日影を手次に繋けて、天の真折をかづらにして、天の香久山の小竹葉を手草に結いて、天の岩屋戸にうけ伏せて・・・」とあるように天の岩戸に欠かせない場所である。山頂に志那都比古神と志那都比売神と彌都波女神の風神と水神が祀られて、古代銅文化の中心であった事を示しているという。 |
【天岩戸別神社()】 |
天の岩戸を開けた手力男(たぢからお)は、古事記に佐那那県に坐すとある。阿波古事記研究会によると、これは、この元山から東に山一つ越えた佐那河内の天岩戸別神社であるとしている。天の岩戸に縁の深い場所が周りにあり、ここが天の岩戸神話の発祥の地であるという。 |
【悲願寺()】 |
悲願寺。この辺一体の地名は神領という。広場より先は巨大な岩を左右に配した場所が数多く現れる。石門といわれている巨岩、巨石が現れる。さらに登ると幾つかの小さな滝があり、「雨乞いの滝」に着く。大きな滝で、途中で角度を変えて流れ落ちる様は非常に美しい。
「雨乞いの滝」の先に悲願寺がある。石塁が見える。数多くの石垣があり、階段状となっている。悲願寺は、本堂と楼閣がある。古代神山研究会の看板によると、これは常夜塔で高根山中にあった古代燈台跡から明治にここに移されたと伝えられている。堀川豊平氏の「邪馬壱国は阿波だった」によると、これは、卑弥呼が邪馬台国に張巡らせた通信基地の跡で、もとは焼山寺山の山頂にあり、当時一種の光通信が行われていたという説がある。魏から贈られた銅鏡はこれに用いられたという。 |
本堂の右手に祠がある。神社形式の祠に多いかぶせるように屋根を取り付けている。中の祠は見たこともない様式で非常に古い。古代神山研究会の看板によると、「高根悲願寺開其以前は山神社で、巫女が神を祀っていたとの古い伝承があり、今も境内に十二社神社(1・国之常立(くにのとこたち) の神、2・豊雲野(とよぐもぬ)の神、3・宇比邇神(うひぢに)の神、4・須比智邇(すひぢに)の神、5・角杙(つぬぐい)の神、6・活杙(いくぐい)の神、7・意富斗能地(おおとのじ)の神、8・大斗乃弁(おおとのべ)の神、9・淤母陀琉(おもだる)の神、10・阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神、11・伊邪那岐(いざなぎ)の神、12・伊邪那美(いざなみ)の神、賢見皇神社(思金神)、山神社(大山津見神)、山殿合社(産土神と聖天神)、別祠に天照大神祠が祀られている」とある。魏志倭人伝記述「国々が協同して一人の女子を立てて王としたのである。彼女は名をヒミコ(卑弥呼)といい、鬼道に仕え、その霊力でうまく人心を眩惑している。歳はすでにかなりの年齢であるが夫を持たず、男弟がいて彼女の政治を助けている。彼女が王となってから後は、彼女を見た者は少なく、婢千人を侍らせている。ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、神託をうけるために彼女のもとに出入りする。彼女の居処の宮室は楼観(みはりやぐら)や城柵を厳しく設け、また常に兵器を持った人々がいて守衛している」とある。この悲願寺に至る道で、巨石でできた関所、見張り台、石垣などを見てくると、ここが卑弥呼の居城であると比定する説に納得してしまう。さらに、悲願時の奥には、祭祀遺跡と言われる天遇岩や台石がある。 |
【建石神社、中庄八幡神社、三加茂町歴史民俗資料館】 |
三加茂駅の駅前の三加茂町歴史民俗資料館。隣の中庄八幡神社の列石。1m程の高さの石板が奇麗に東西に並べられている。この列石は387本あり、神社を取り囲んでいる。その列石は、現在の歴史民俗資料館をも囲んでおり、昔は、この神社の境内が歴史民俗資料館を含んでいたと考えられる。一説には、この神社は建石神社とも呼ばれ、近くの金丸山から、この地に遷座したと伝えられている。ここでも山から平地への移動が伝えられている。石板の列を神域と俗域を区別する境、つまり磐境であると見るのが最も自然の解釈と考えるが、このような磐境は、他に例を見ない。一方、この中庄八幡神社は、八幡神社なので、応神天皇・神功皇后・武内宿禰を祭神としているが、大巳貴(オオナムチ)命の石の御神体が存在するとの説もあり、謎の多い不思議な神社である。 |
【下宮()神社】 |
下宮神社も忌部氏の神社であった。この辺りは、古くから祭祀を行ってきた阿波忌部氏の縁の地である。 |
【天磐戸(あまのいわと)神社】 |
天磐戸(あまのいわと)神社。剣山貞光一宇峡観光協会の案内看板が次のように記している。
「これより約2時間、法正地区の峰近く巨岩が割れて出来た洞穴が在る。入口は岩戸の趣があり、幅1m、奥行き約9m、その前に神楽石と呼ばれる約45平方の長方形の平磐が在る。これら奇岩の神秘さは古事記、日本書記に登場する天の岩戸神話ぴったりの舞台で、江戸時代の上期より、年に一度神楽歌と舞が奉納されていたという。神楽石の下方には、天鈿女神と猿田彦神の石像、そのまた下方には天照大御神と手力男神を祀る天の岩戸太神宮が鎮座している」。 |
「古事記の天の岩戸 天の岩戸は天手力男が造ったといわれ天井が四枚の板岩で上に千年の大木があり、近くに、大願成就坑磐、叢、千座の置戸、鬼の岩屋、天津磐境、不明の石グロ、五角井戸、天岩戸神社等があり、六国史の天岩戸に関する全ての条件が揃っていて、日本一古くて立派な由緒あるお山です。汚さぬように致しましょう。貞光忌部村」。 |
橋の下には「古事記の中ノ瀬の『上ノ瀬ハ瀬速シ、下ノ瀬ハ瀬弱し』とのりたまひてスズキたまふ時に成り坐せる神の名は、八十禍津日ノ神、大禍津日ノ神 天照大神(日御子)が禊した所」とあり、この橋の下が古事記で言う「中ノ瀬」であるという。 |
【剣山本宮宝蔵石神社】 |
徳島県三好市の徳島最高峰の剣山(つるぎさん)。剣山は、登山リフトで1730mの西島駅まで登ることができる。登山道の終りに剱山本宮宝蔵石神社がある。その裏手にある3mほどの大きな磐座がある。風化しているが丸い形をしている。宝剣が納められている宝蔵石と呼ばれている。剣山は、もともと石立山とよばれていたが、安徳天皇が源氏滅亡を祈願し宝剣を納めた後、剣山と呼ぶようになったと伝えられている。山頂に鶴石(つるいし)、亀石(かめいし)という大岩があり、合わせれば「鶴亀(つるぎ)」となる。また、八倉比売神社にもつるぎ岩が祀られていた。「つるぎ」という言葉に神秘的な意味合いがあり、800年の前の安徳天皇にちなんでつけられたとはとても思えない。不思議な歌詞で有名な「かごめうた」の「鶴と亀がすべった」の鶴と亀がこの剣山の鶴石と亀石のことであるとして謎を解こうとしている人たちもいる。
1955mの山頂の360度の絶景。宝蔵石神社。麓のフジノミヤ神社(富士の池の剣山本宮のことか)から御霊(みたま)が登ってきて、7月17日、御輿が登ってきて、11月に御霊が下山するという。御輿が登ってくる7月17日は、この剣山が非常に賑わうという。御輿をこの山頂まで上げるのは大変な労力であることが想像できる。 |
【大劒()神社】 |
大劒神社。巨大な岩は御塔石(おとうせき)と呼ばれる大劒神社のご神体である。この磐座こそが、この剣山を司る磐座であることを直感した。大劒神社の御祭神は、安徳天皇、素盞鳴命(すさのおのみこと)、大山祗命(おおやまずみのみこと)。 |
【白人神社】 |
白人神社。美馬市のホームページでは1600年頃に稲田修理亮によって再興されたとあるが元々の縁起がわからない。崇徳上皇を訪ねて来た源為朝の弓がこの神社に落ちたとの逸話があり、源氏の白とも考えられる。白を「しら」と読むところは、新羅(朝鮮)に縁のある神社とも考えられる。この広場に穴吹地町の看板があった。「古代この地に忌部が住みつき梶山に楮植え、その皮で白妙を織った。その白妙を献するために梶山から尾根伝いに神明宮へと運んだ。この道をしらたえの道という」と書かれてある。 |
【磐境神明(いわさかしんめい)神社】】 |
「こっちがしらひと神社、神明神社はあっち」。白人神社より約100メートル西南の石段130階段の丘陵上にある。社地にはシイ・マツ・カシなどが密生していて”神明はん”や”神明の森”と呼ばれている。石垣で囲まれた特異な形態の神社で、石垣は整形されていない平たい20センチメートル程の石を無造作に積み上げたもので、幅1.5~2.0m、高さ1.2~1.8mで、東西約22m、南北約7mの長方形になっている。南側が正面になっていて三箇所の入り口がある。幅約1.5mぐらいずつ石垣が切れていて、入口の上には、板石を架けて門状になっている。石垣内に入ると奥の石垣の前に小祠が五座配置せられている。
所在地 〒777-0006 徳島県美馬市穴吹町口山字宮内
ホームページ http://www.city.mima.lg.jp/
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【栗枝渡(くりしと)八幡神社】 |
剣山の高知よりの麓には、イエス・キリストを想像させる栗枝渡(くりしと)八幡神社もある。 |
【大滝山西照神社】 |
大滝山西照神社は、古事記や日本書紀に記されている月読尊(つくよみ)を祀った長い歴史のある神社。昔から厄除けの神を祭ると敬われ神社正面の階段は男42段、女33段の厄段として親しまれています。 標高946mの大滝山頂上付近からの眺望もまた格段で美しい夜景も望めます。
所在地 〒779-3638 徳島県美馬市脇町字西大谷672
お問い合わせ 0883-52-4928
ホームページhttp://www.geocities.jp/nisiteru_jinja/index.html |
【徳島眉山天神社】 |
徳島市の眉山にある徳島眉山天神社は縁結び。 |