阿波国の天皇家発祥の地説考

 (最新見直し2015.10.08日) 

 (目下、全く不十分です。引用、転載元は改めて確認する予定です)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「阿波国の天皇家発祥の地説考」をものしておく。阿波=邪馬台国説に関係する神社、仏閣、神体山を確認する。「徳島・剣山ミステリー探索」、「大和富士」その他を参照する。但し、れんだいこ流に咀嚼(そしゃく)し直している。

 2003.9.12日、2007.1.10日再編集 れんだいこ拝


【阿波国の天皇家発祥の地説考】
 「古代阿波」には「天照大神」の「高天原」と言われる「剣山」、「イザナギ」の「国産み神話」、天皇家発祥」の地説等々がある。「平家一族」が、「源氏」との戦いに敗れた後、何ゆえに「剣山の祖谷」を目指したのか。これを知れば「天皇家の起源」が見えて来る。「平家一族」は、故郷の「高天原」を目指したからであった。「かずら橋」のある祖谷にはかって13本の「かずら橋」が存在していた。その大昔、「源氏」との戦いに敗れた「平氏の一族」が雪辱を期するべく、剣山の「平家の馬場」へ訓練に通うために使用したと言われる橋である。現在残るのは「3本」だけとなっている。1本が「かずら橋」であり、残りの2本のかずら橋は、通称「男橋(おばし)」と「女橋(めばし)」と呼ばれ、今でも渡ることができる。女橋の横には「野猿(やえん)」と言う橋が残る。野猿は、ロープを自分の手で手繰って移動する。これは、「平家一族」が、子供や老人、女性のために作られたとも伝えられている、動かすには少々の力がいる。
(「四国・徳島邪馬台国研究学会の邪馬台国学研究員・徳島ホツマツタゑ研究会主宰 友行安夫(記)」参照)。
(私論.私見)






(私論.私見)