高天原/伯耆国蒜山説、倭文神社考

 更新日/2018(平成30).10.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「高天原/伯耆国蒜山説、倭文神社考」を考察しておく。

 2009.2.5日 れんだいこ拝


 「高天原・天孫降臨は伯耆国蒜山説、倭文神社」。
 倭文神社 鳥取県 湯梨浜町大字宮内754。倭文は「しとり」と読み、古来存在していたしづおりという織物のことを指す。創立年代は不詳だが、社伝によれば倭文部の祖神建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の五柱の神は大国主命の御子神か関係の深い神々である。 下照姫命は大国主命の娘として生まれた。農業や医療の技術に長け、大国主命と力を合わせて出雲の国づくりに励んだ。そんなおり、天照大神は天稚彦という神を遣わし出雲の国譲りを要求した。ところが天稚彦は下照姫命と恋に落ち、復命することがなかった。しかし下照姫命と天稚彦との幸せな日々は続かず、天稚彦は天照大神から遣わされたキジを射殺したことが原因で、天照大神により射殺された。下照姫命は夫の死、国譲りによる出雲との別離などを乗り越え、一匹の海亀によりここ伯耆国宇野の海岸に導かれた。そのまま現社地に住を定め、当地で死去するまで安産の指導、農業開発、医療普及等に努めたとされている。




(私論.私見)