「吉備の中山」説 |
更新日/2018(平成30).10.22日
(れんだいこのショートメッセージ) |
「吉備の中山説」を考察しておく。 2009.2.5日 れんだいこ拝 |
【吉備の中山説】 |
「吉備の中山」は平安時代以降、歌枕として和歌に歌いこまれている。そのひとつに古今集に納められた1111首の1052番目の和歌が「まがねふく 吉備の中山 おびにせる ほそたに川の 音のさやけさ」(詠み人知らず) 苫田郡誌によれば、鵜羽川上流の西田辺の字に岡山が在り、かつて銅鉱を出した「一宮鉱山」と同じ鐘鋳場の地字名があり、旧くは寺の鐘を鋳た「金鋳場」と考えられる。一宮の本村から峠を隔てた字湯谷も銅鉱を往古に産出(中山鉱山)したことが記録に残っている。地名の湯谷の「湯」が,金属の熔融状態を表したものだったと推察される。一宮には小童谷(ヒジヤ)の字名も見える。 これらのことから、備前備中美作國は、古代より銅鉱が盛んに採掘され,銅を中心とした金属精錬・加工が行われていたと思われる。ここに一大王国が存在していたと考えられる。吉備王国=邪馬台国説はあながち夢幻ではなく真実味があるのではと思えてならない。 |
(私論.私見)