漢文「魏志倭人伝」(三国史.魏書.東夷伝.倭人の条) |
(最新見直し2009.11.26日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
魏志倭人伝原文を以下記します(目下、「魏志倭人伝 私注」参照)。れんだいこが議論の積み立てように任意に段落指定致しました。今後は、第何段のどこの記述ということで議論が進行することになります。たかがこれだけのことができていないのが従来の邪馬台国論争です。あまりに非生産的な故にかく段落分け致しました。この意をお汲み取りいただき、段落別議論をしていただけますようお願い申し上げます。 2003.9.11日 れんだいこ拝 |
【 魏志倭人伝全文】 | |
「邪馬台国大研究」が、「魏志倭人伝全文(汲古閣本)」、「古代史獺祭 : こだいし だっさい」が「魏志倭人伝全文(百衲本)」(岩波文庫の石原道博訳編「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」)をサイトアップしている。これを活用させていただく。現代略字と旧字体の双方を記す。但し、略字で大過ないカ所は読み易くする為に略字にした。れんだいこ責任で、句読点、段落、分節替えした。左列に文章番号をつけた。今後は、この番号で議論を深めていくことにしたいと思う。 | |
段落№ | |
1 | 倭人、在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国、漢時有朝見者。今使訳所通三十国。 |
倭人 在帶方東南大海之中 依山島為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 | |
倭人は、帯方の東南の大海の中に在り、山島に依りて、国邑を為している。旧は百余国。漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所は三十国。 | |
2 |
従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国、七千余里。 |
從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里 | |
郡より倭に至るには、海岸に循ひて水行し、韓国を歴て、乍(きゅう)に南へ乍に東へ、その北岸の狗邪韓国に到る、七千余里。 | |
3 |
始度一海千余里、至対馬国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百余里。土地山険、多深林、道路如禽鹿徑。有千余戸、無良田、食海物自活、乗船南北市糴。 |
始度一海千歴里 至對海(馬)國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶島 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴 | |
始めて一つの海を渡ること千余里で對島国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居る所は絶島で、方四百余里可り。土地は山険しく深林多く、道路は禽や鹿の径の如し。千余戸有り。良田はなく、海の物を食べて自活し、船に乗りて南北に市糴す。 | |
4 |
又南渡一海千余里、名曰瀚海。至一大国。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里、多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。 |
又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴 | |
又、南へ一つの海を渡ること千余里、名づけて瀚海と曰う、一大国に至る。官は亦卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里可り。竹木叢林多く、三千許りの家有り。いささか田地有り、田を耕せども猶食うに足らず、亦南北に市糴す。 | |
5 |
又渡一海千余里、至末盧国。有四千余戸、浜山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒。水無深浅、皆沈没取之。 |
又渡一海千餘里 至末廬國 有四千餘戸 濵山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈沒取之 | |
又、一つの海を渡ること千余里にして末盧国に至る。四千余戸有り。山海の水ぎわに居る。草木が茂盛し、行くに前が見えず。人々は好んで魚や鰒を捕らえる。水の深い浅い無く、皆沈没して之を取る。 | |
6 | 東南陸行五百里、到伊都国。官曰弥支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千余戸。世有王、皆統属女王国。郡使往来常所駐。 |
東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐 | |
東南へ陸行すること五百里、伊都国に到る。官は爾支と曰う。副は泄謨觚.柄渠觚と曰う。千余戸有り。世々王有るも、皆女王国が統属す。郡使が往来するとき常に駐まる所なり。 | |
7 |
東南至奴国百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二万余戸。 |
東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴毋離 有二萬餘戸 | |
東南へ奴国に至る百里。官はし馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。二万余戸有る。 | |
8 |
東行至不弥国百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千余家。 |
東行至不弥国百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家 | |
東へ行くと不弥国に至る百里。官は多模と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有る。 | |
9 |
南至投馬国、水行二十日。官曰弥弥、副曰弥弥那利。可五万余戸。 |
南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸 | |
南へ投馬国に至る水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。五万余戸ばかり。 | |
10 | 南至邪馬壹国、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳鞮。可七万余戸。 |
南至邪馬壹(臺)國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸 | |
南へ邪馬壹国に至る。女王の都する所、水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り、次は弥馬升と曰い、次は弥馬獲支と曰い、次は奴佳てと曰う。七万余戸ばかり。 | |
11 |
自女王国以北、其戸数道里可得略載、其余旁国遠絶不可得詳。 |
自女王國以北 其戸数道里可得略載 其餘旁國遠絶不可得詳 | |
女王国より以北は、その戸数.道里を、略載することができるが、その余の旁国は遠絶で、詳しくは分からない。 | |
12 | 次有斯馬国、次有已百支国、次有伊邪国、次有都支国、次有弥奴国、次有好古都国、次有不呼国、次有姐奴国、次有対蘇国、次有蘇奴国、次有呼邑国、次有華奴蘇奴国、次有鬼国、次有為吾国、次有鬼奴国、次有邪馬国、次有躬臣国、次有巴利国、次有支惟国、次有烏奴国、次有奴国、此女王境界所尽。 |
次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有![]() |
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次に斯馬国(しま國)有り。次に巳百支国(しおき國)有り。次に伊邪国 (いや國)有り。次に都支国 (とき國)有り。次に彌奴国 (みな國)有り。次に好古都国(こうこと國)有り。次に不呼国 (ふと國)有り。次に妲奴国 (そな國)有り。次に對蘇国 (つそ國)有り。次に蘇奴国 (そな國)有り。次に呼邑国 (こお國)有り。次に華奴蘇奴国(かなそな國)有り。次に鬼国 (き國)有り。次に為吾国 (いご國)有り。次に鬼奴国 (きな國)有り。次に邪馬国 (やま國)有り。次に躬臣国 (くし國)有り。次に巴利国 (はり國)有り。次に支惟国(しい國)有り。次に鳥奴国 (うな國)有り。次に奴国(な國)有り。 此れ女王の境界の尽きた所なり。 | |
13 |
其南有狗奴国。男子為王。其官有狗古智卑狗。不属女王。 |
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 | |
その南に狗奴国有り。男子を王と為す。その官に狗古智卑狗有り。女王に属さず。 | |
14 | 自郡至女王国万二千余里。 |
自郡至女王國萬二千餘里 | |
郡より女王国に至るには万二千余里。 | |
15 |
男子無大小皆黥面文身。 |
男子無大小皆黥面文身 | |
男子は大小となく皆面と身に黥文す。 | |
16 | 自古以來、其使詣中国、皆自称大夫。 |
自古以來 其使詣中國 皆自称大夫 | |
古より以来、その使が中国に詣でるや、皆、自ら大夫と称す。 | |
17 | 夏后少康之子封於会稽、断髮文身以避蛟龍之害。 |
夏后少康之子 封於![]() |
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夏后少康の子は、(倭人を)會稽に封ぜられ、断髪文身し、以って蛟龍の害を避ける。 | |
18 | 今倭水人好沈没捕魚蛤。文身亦以厭大魚水禽。後稍以為飾。 |
今倭水人好![]() ![]() |
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今、倭の水人、好く沈没して魚や蛤を捕る。文身し亦以って、大魚や水禽を厭ふ。後、稍以って飾と為す。 | |
19 | 諸国文身各異。或左或右、或大或小 尊卑有差。 |
諸國文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差 | |
諸国の文身は各々異なり、或は左に、或は右に、或は大きく、或は小さく、貴卑に差有り。 | |
20 | 計其道里、当在会稽、東治之東。 |
計其道里 當在![]() |
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その道里を計ると、當に會稽の東治の東に在る。 | |
21 |
其風俗不淫。 |
其風俗不淫 | |
その風俗は淫らでない。 | |
22 | 男子皆露![]() |
男子皆露![]() ![]() |
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男子は皆露かいし、木綿を以って頭に招け、その衣は横幅、但結束し相い連ねて、略々縫うことなし。 | |
23 | 婦人被髮屈![]() |
婦人被髪屈![]() |
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婦人は髪をふりみだしたまま屈かいし、衣は単被の如く作り、その中央を穿ち、頭を貫きて之れを衣る。 | |
24 | 種禾稻紵麻、蚕桑緝績、出細紵![]() |
種禾![]() ![]() |
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禾や稲を種え、ちょまを養蚕して緝績し、細紵やけん緜を出だす。 | |
25 | 其地無牛馬虎豹羊鵲。 |
其地無牛馬虎豹羊鵲 | |
その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし。 | |
26 | 兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。所有無與擔耳、朱崖同。 |
兵用矛楯木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與擔耳 朱崖同 | |
兵は矛、楯、木弓を用いる。木弓は下が短く、上が長い。竹で作った矢は或いは鐡鏃、或いは骨鏃。有無する所はたん耳、朱崖と同じである。 | |
27 |
倭地温暖。 |
倭地温暖 | |
倭の地は温暖。 | |
28 |
冬夏食生菜。 |
冬夏食生菜 | |
冬でも夏でも生菜を食す。 | |
29 | 皆徒跣。 |
皆徒跣 | |
皆な徒跣(はだし)。 | |
30 | 有屋室、父母兄弟臥息異処。 |
有屋室 父母兄弟![]() |
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屋室有り。父母兄弟は異なる處で臥息す。 |
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31 | 以朱丹塗其身体、如中国用粉也。 |
以朱丹塗其身體 如中國用粉也 | |
朱丹を以ってその身体に塗る。中国で用いる粉の如きなり。 | |
32 | 食飲用![]() |
食飲用![]() |
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食飲には、へん豆を用い、手食す。 | |
33 | 其死、有棺無槨、封土作冢。始死停喪十余日、当時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飮酒。已葬、挙家詣水中澡浴、以如練沐。 |
其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐 | |
それ、死には棺有るも槨なく、土で封じて塚を作る。始め、死するや停喪十余日、その時は肉を食わず、喪主哭泣し、他人は歌舞飲酒を就す。葬が已れば、家を挙げて水中に詣り、澡浴す。以って練沐の如し。 | |
34 |
其行来渡海詣中国、恒使一人、不梳頭、不去 |
其行來渡海詣中國 恒使一人不梳頭 不去 |
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それ、海を渡って行来し中国に詣でるには、恒に一人の髪をくしけずらず、蝨を除かず、衣服は垢で汚れ、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くにさせる。これを名付けて持衰と為す。若し行く者吉善ならば、共にその生口、財物をいつくしむ。 もし疾病有り、暴害に遭えば好きなように之れを殺す。その持衰謹まずと謂へばなり。 | |
35 |
出眞珠青玉。 |
出真珠青玉 | |
真珠青玉を出だす。 | |
36 | 其山有丹。 |
其山有丹 | |
それ、山に丹有り。 | |
37 | 其木有![]() |
其木有![]() ![]() |
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それ、木にはだん(ゆすらうめ)、ちょ(とち)、よしょう(くすのき)、じゅう(ぼけ)、れき(くぬぎ)、とう(かや)、きょう(かし)、うごう (こうぞ)、ふうこう(ふう)あり。 | |
38 | 其竹篠・![]() |
其竹篠![]() |
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それ、竹にはじょう(ささ)、かん(やだけ)、とうし(しゅろちく)がある。 | |
39 | 有薑・橘・椒・![]() |
有薑橘椒![]() ![]() |
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きょう(しょうが)、きつ(たちばな)、さんしょう.じょうか(みょうが)有るも、以って滋味と為すを知らず。 | |
40 | 有![]() |
有![]() |
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こくち(黒っぽいきじ)有り。 | |
41 |
其俗挙事行来、有所云為、輒灼骨而卜、以占吉凶。先告所卜、其辞如令。亀法視火 |
其俗擧事行來 有所 |
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それ、俗として、もの事、行来を挙するに、云為するところあれば、すなわち骨を灼いて卜し、以って吉凶を占う。先ず卜するところを告げる。その辞は令の如し。龜法は火によるさけ目を視て兆を占う。 | |
42 |
其会同坐起、父子男女無別。 |
其![]() |
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それ、會同坐起には、父子男女の別なし。 | |
43 | 人性嗜酒。 |
人性嗜酒 | |
人の性質は酒を嗜む。 | |
補足 | 【魏略曰、其俗不知正歳四節。但計春耕秋收爲年紀】 |
44 | 見大人所敬、但拍手以当跪拜。 |
見大人所敬 但搏手以当跪拝 | |
大人を敬する所作は、但、手を搏ち、以って跪拝に當てる。 | |
45 | 其人寿考、或百年、或八九十年。 |
其人壽考 或百年或八九十年 | |
それ、人は長生き。或は百年、或は八九十年。 | |
46 | 其俗、国大人皆四五婦、下戸或二三婦。 |
其俗國 大人皆四五婦 下戸或二三婦 | |
それ、國の俗は、大人は皆四五婦、下戸も或は二三婦。 | |
47 | 婦人不淫、不妬忌。 |
婦人不淫 不妬忌 | |
婦人は淫らでなく、やきもちもやかず。 | |
48 | 不盜竊、少訴訟。其犯法、軽者没其妻子、重者没(滅)其門戸及宗族。 |
不盗竊 少諍訟 其犯法 輕者没其妻子 重者没其門戸及宗族 | |
盗まず、訴訟少なし。それ、法を犯せば、軽い者はその妻子をなくし、重いものは門戸を滅ぼされ、宗族の貴卑に及ぶ。 | |
49 | 尊卑各有差序、足相臣服。 |
尊![]() |
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各々差と序有り、相臣服するに足る。 | |
50 |
收租賦有邸閣。国国有市。交易有無、使大倭監之。 |
収租賦有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之 | |
租賦を収む。邸閣(倉庫)有り。国々に市有り。有無を交易し、大倭にこれを監せしめる。 | |
51 |
自女王国以北、特置一大率、検察諸国。諸国畏憚之。常治伊都国。於国中有如刺史。 |
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史 | |
女王国より以北には、特に一大率を置き検察す。諸国これを憚る。伊都國で常治し、他の国でも置かれている刺史の如きものである。 | |
52 | 王遣使詣京都、帯方郡、諸韓国、及郡使倭国、皆臨津捜露、伝送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。 |
王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國 及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書賜遣之物 詣 女王不得差錯 | |
王、使を遣わして京都、帯方郡、諸韓国に詣で、及び郡の倭国に使するや、皆津に臨みて現われるを捜し、文書を伝送し遺の物を賜ふ。女王に詣でて、差錯することを得ず。 | |
53 |
下戸與大人相逢道路、逡巡入草、伝辞説事、或蹲或跪、両手據地、為之恭敬。対応声曰噫、比如然諾。 |
下戸與大人相逢道路 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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下戸、大人と道路で相遭えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くときは、或いはうずくまり或はひざまつき、手は地に據り、之を恭敬と為す。対応する声は噫と曰う。比するに然諾の如し。 | |
54 |
其国、本亦以男子為王。住七八十年、倭国乱、相攻伐歴年。 |
其國 本亦以男子![]() ![]() |
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その國、本亦男子を以って王と為す。住こと七八十年、倭国乱れ、相攻伐す。 | |
55 | 乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆。年已長大、無夫壻。有男弟佐治国。自為王以来、少有見者。 |
乃共立一女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫壻 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者 | |
年を経て、すなわち共に一女史を立て王と為す。名は卑彌呼と曰い、鬼道を事とし、衆を能く惑わす。年已に長大なるも夫壻なし。男弟有り佐けて國を治む。王と為して以来、見た者少なし。 | |
56 | 以婢千人自侍。唯有男子一人給飮食伝辞出入。 |
以婢千人自侍 唯有男子一人 給飲食 傳辭出入居處 | |
婢千人を以って自ら侍らす。唯、男子一人有り、飲食を給し、出入りして辞を伝える。 | |
57 | 居処宮室・樓觀・城柵厳設、常有人持兵守衛。 |
居処宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛 | |
居る處の宮室は樓観であり、城柵を厳かに設け、常に人有り、兵を持って守衛す。 | |
58 |
女王国東渡海千余里、復有国。皆倭種。 |
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種 | |
女王国から東へ海を渡ること千余里、復國有り、皆倭種。 | |
59 | 又有侏儒国在其南。人長三四尺。去女王四千余里。 |
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 | |
又、侏儒國が有って、その南に在り、人の長は三四尺で、女王国を去ること四千余里。 | |
60 | 又有裸国、黒歯国、復在其東南、船行一年可至。 |
又有裸國 黒齒國 復在其東南 船行一年可至 | |
又、裸國あり。黒齒國が復たその東南に在り、船行一年で至る可し。 | |
61 | 參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千余里。 |
參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里 | |
倭地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、或は絶え或は連なり、周旋五千余里可り。 | |
62 | 景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝献。太守劉夏遣吏将送詣京都。 |
景初二年六月 倭女王遣大夫難![]() |
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景初二年六月、倭の女王は大夫難升米等を遣わして郡に詣で、天子に詣でて朝獻することを求む。太守劉夏、吏を遣わして送って行き、京都に詣らしむ。 | |
63 | 其年十二月、詔書報倭女王、曰制詔親魏倭王卑弥呼。 |
其年十二月 詔書報倭女王 曰制詔親魏倭王卑彌呼 | |
その年十二月、詔書は倭の女王に報じて曰く、「卑彌呼を親魏倭王に制詔す」。 | |
64 | 帶方太守劉夏遣使送 汝大夫難升米・次使都市牛利、奉汝所献男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈、以到。 |
帶方太守劉夏遣使送 汝大夫難![]() |
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帯方太守劉夏、使を遣わして汝の大夫難升米と次使都市牛利を送り、汝が獻ずる所の男生口四人.女生口六人.班布二匹二丈を奉り、以って到る。 | |
65 | 汝所在踰遠、乃遣使貢献、是汝之忠孝、我甚哀汝。今以汝為親魏倭王、假金印紫綬、裝付帶方太守假授汝。其綏撫種人、勉為孝順。 |
汝所在踰遠 乃遣使貢獻 是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假授汝 其綏撫種人 勉為孝順 | |
「汝の在る所ははるかに遠きも、すなわち使を遣わし貢獻す。是れ汝の忠孝なり。我、甚だ汝を哀れみ、今、汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を假し、装封して帯方の大守に付し假授せしむ。汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順を為せ。 | |
66 | 汝来使難升米・牛利渉遠 道路勤労。今以難升米爲率善中郎将、牛利爲率善校尉、假銀印青綬、引見労賜遣還。 |
汝來使難![]() ![]() ![]() ![]() |
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汝の來使難升米と牛利は遠くを渉り、道路勤勞す。今、難升米を以って率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為し、銀印青綬を假し、引見してねぎらい、遣還を賜う。 | |
67 | 今以絳地交龍錦五匹【臣松之以爲地応為[糸弟]。漢文帝著[白/十]衣謂之戈[糸弟]是也。此字不体、非魏朝之失、則伝写者誤也】、絳地![]() ![]() ![]() ![]() |
今以絳地交龍錦五匹 絳地![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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今、こう地交龍錦五匹.こう地すう粟けい十張.せんこう五十匹、紺青五十匹を以って、汝が献ずる所の貢の直に答う。又、特に汝に紺地句文錦三匹、細班華けい五張、白絹五十匹、 金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を賜う。 | |
68 | 皆裝封付難升米・牛利。還到録受、悉可以示汝国中人、使知国家哀汝。故鄭重賜汝好物也。 |
皆装封付難![]() |
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皆装封して難升米、牛利に付す。還り到らば録受し、以って汝の國中の人に悉く示すべし。国家が汝を哀れむを知らしむべし。故に汝の好物を鄭重に賜うなり」。 | |
69 | 正始元年、太守弓遵遣建忠校尉梯儁等、奉詔書印綬詣倭国、拝假倭王、并齎詔賜金・帛・錦![]() |
正始元年 太守弓遵遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拜假倭王 ![]() ![]() |
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正始元年、大守弓遵は建中校尉梯しゅん等を遣わし、詔書、印綬を奉りて倭国に詣で倭王に拝假し、並びに詔をもたらし、金帛、錦けい、刀、鏡、采物を賜う。倭王、使によりて上表し、恩詔を答謝す。 |
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70 | 其四年、倭王復遣使大夫伊声耆、掖邪狗等八人、上献生口・倭錦・絳青![]() ![]() |
其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆 掖邪狗等八 人上獻生口倭錦絳![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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その四年、倭王復た使大夫伊聲き、やく邪狗等八人を遣わし、生口、倭錦、こう青、.緜衣、帛布、丹、木ふ、短弓矢を上獻す。やく邪狗等、率善中郎将の印綬を壱拝す。 | |
71 | 其六年、詔賜倭難升米黄幢、付郡假授。 |
其六年 詔賜倭難![]() |
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その六年、詔して倭の難升米に黄どうを賜い、郡に付して假綬せしむ。 | |
72 | 其八年、太守王![]() |
其八年 太守王![]() |
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その八年、大守王き、官に到る。 | |
73 | 倭女王卑弥呼與 狗奴国男王卑弥弓呼素不和。遣倭載斯・烏越等詣郡説相攻撃状。遣塞曹掾史張政等因齎詔書・黄幢、拝假難升米、為檄告喩之。 |
倭女王卑彌呼 與狗奴國男王卑彌弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 ![]() ![]() ![]() |
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倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と、素より和せず。倭のさいしうえつ等を遣わし、郡に詣でて、相攻撃する状を説く。さいそうのえんし張政等を遣わし、因って詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝假せしめ、檄を為して之を告喩す。 | |
74 | 卑弥呼以死。大作冢。徑百余歩、徇葬者奴婢百余人。 |
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 | |
卑弥呼死す。大きな塚を作る。徑百余歩。徇葬者奴婢百余人。 | |
75 | 更立男王、国中不服、更相誅殺、当時殺千余人。 |
更立男王國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人 | |
替わって男王を立てたが、國中服さず、こもごも相誅殺す。当時千余人を殺す。 | |
76 | 復立卑弥呼宗女壹與年十三為王、国中遂定。政等以檄告喩壹與。 |
復立卑彌呼宗女壹(臺)與年十三為王 國中遂定 政等以檄告喩壹(臺)與 | |
復た卑弥呼の宗女壹與、年十三才なるを立てて王と為す。 國中遂に定まる。政等、檄を以って壹與に告喩す。 | |
77 | 壹(臺)與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人 送政等還、因詣臺。献上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雜錦二十匹。 |
壹(臺)與遣倭大夫率善中郎![]() ![]() |
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壹與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送り、因って臺に詣で、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢ぐ。 |
(私論.私見)