れんだいこの天皇制論その3、戦後天皇制論

 (最新見直し2014.11.24日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、れんだいこの戦後天皇制論をものしておく。

 2005.11.18日 れんだいこ拝


【今なぜ天皇制論なのか】
 れんだいこツイッターで「明智小五郎 ‏@akechi123456 11月14日@rendaico 天皇制についてお考えを聞かせて頂きたいのです」が届いた。こういう場合、適宜に感応するのがれんだいこの性分なので、この機会に「れんだいこの天皇制論」を読み直し肉付けしていくことにする。既に「れんだいこの天皇制論」をものしているが十分なものではない。従来のそれを「その1、歴史総論」、「その2、近代天皇制論」、「その3、戦後天皇制論」に仕分けして、その三部作で「れんだいこの天皇制論」としようと思う。

 天皇制について諸氏百家の論がなされているだろうが、れんだいこが膝を叩くようなものに出会っていない。そこで、れんだいこが渾身の天皇制論を発信し、誰かの膝を叩かせてみたい。このテーマこそ日本政治学上の最高度のテーマである。この難解をおいそれと解く訳にはいかない。少し時間稼ぎをしたい。今はブツブツ煮ている状態である。言いたい事があり過ぎて整理がつかなくて困っている状態である。れんだいこが必ず持論を発信するから、れんだいこ立論が煮詰まるまでの間、私はこう思うの論をいただきたいと思う。

 2014.11.24日 れんだいこ拝

【「智子妃殿下は現代の卑弥呼である」考】
 れんだいこがいつ頃から美智子妃殿下を現代の卑弥呼と考え始めたのか定かではない。最近ではなくほぼ十年ほど前からだろうと思う。その十年ほど前の気づきがその後も訂正を要せず今では確信域に近づきづつある。れんだいこのこの説即ち「智子妃殿下は現代の卑弥呼である」を衝撃的に受け止める者、笑止千万と笑う者、その中間域の者の三通りが考えられよう。ここでは説得を試みようとは思わないので、笑止千万と笑う者、その中間域の者は無視する。衝撃的に受け止める者に更なる衝撃を与えようと思う。

【日本左派運動の悪弊としての天皇制打倒理論考】
 打倒を強く押し出せば出すほど左派的であるとした理論構図。

【日本左派運動の戦前転向派の苦吟としての天皇制考】
 思想検事との天皇制理論討論に於いて敗北した経緯。

【戦後象徴天皇制の良質理論考】
 戦後象徴天皇制こそ本来の天皇制の姿である。

【平成天皇の御言葉考】
 仮称「2014年、天皇陛下の新年御言葉」を転載しておく

 東日本大震災から3度目の冬が巡ってきましたが,放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々など,年頭に当たり,被災者のことが改めて深く案じられます。

 昨年も,多くの人々が様々な困難に直面し,苦労も多かったことと察していますが,新しく迎えたこの年に,国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず,助け合い,励まし合っていくとともに,世界の人々とも相携え,平和を求め,良き未来を築くために力を尽くしていくよう願っています。

 雪の深くなる季節,屋根の雪下ろしの事故には十分に気を付けてください。

 本年が,我が国の人々,そして世界の人々にとって幸せな年になることを祈ります。

 A third winter since the Great East Japan Earthquake has come around. At the dawn of the new year, my heart once again goes out to the afflicted people, those who cannot return to the places they used to live because of radioactive contamination and those who have to spend the cold harsh winter in temporary housing.

 Last year, too, many people were confronted with various difficulties and I am sure they faced many hardships. In this new year, it is my hope that the people of Japan not forget the plight of those who are facing hardships and try to share even a little of their burden, and help and comfort one another at all times. I also hope that they will work together with the people of the world in pursuit of peace and do their utmost to build a better tomorrow.

 In this season of deep snow, I want to ask people to take great care not to have any accidents in removing snow from the roof.

 It is my hope that the new year will bring happiness to the people of Japan and the people around the world.

 http://www.jrcl.net/frame131111e.html

 宮内庁のホームページから美智子皇后の文書回答をダウンロードした。以下は該当箇所の全文引用である。
 「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした議論に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二〇四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四〇数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た一九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」。

 2014.11.17日、全国豊かな海づくり大会の式典出席などのため奈良県を訪問している天皇・皇后両陛下が、桜井市三輪の大神(おおみわ)神社を昭和45年以来の44年ぶりに参拝した。大神神社は日本最古の神社とされ、万葉集の歌にも詠まれた三輪山をご神体とする。両陛下は拝殿で玉串をささげて拝礼した。両陛下は参拝の後、ご神体の三輪山や纒向遺跡の出土遺物を見学された。皇后さまは80歳を迎えた10月の誕生日の際、宮内記者会に寄せた文書で、大神神社の神事の一つ、鎮花祭(はなしずめのまつり)に心を引かれたという思い出を記している。

 2014.10.5日午前11時、高円宮家の次女・典子さま(26歳)と出雲大社権宮司の千家国麿(せんげくにまろ)(41歳)の結婚式が島根県出雲市の出雲大社で行われた。女性皇族の結婚は2005年11月の天皇、皇后両陛下の長女・黒田清子さん以来。結婚により典子さまは皇籍を離脱し、出雲で千家典子さんとして新生活を始める。

 この日、午前7時半から千家さんの使いが典子さまを迎えにあがる「入第(じゅだい)の儀」が行われた。典子さまは、このあと車に乗り込んで式場の出雲大社に向かった。典子さまと千家さんの結婚式は午前11時から始まった。新婦側は母の久子さま(61歳)、姉の承子さま(258歳)、妹の絢子さま(24歳)ら8人、新郎側は千家さんの両親ら13人の計21人が出席した。典子さまは、祖母の三笠宮妃百合子さまが大正天皇の妻・貞明皇后から贈られた赤色の小袿(こうちぎ)に紫色の長袴(ながばかま)といった平安朝のスタイル。千家さんは衣冠姿で結婚式に臨んだ。結婚式は神式で行われ、斎主は千家さんの叔父にあたる出雲大社の千家隆比古(ながひこ)権宮司が務めた。典子さまの母久子さまや姉承子さまらが参列。全員が修祓(しゅばつ)(お祓(はら)い)を受け、斎主が祝詞(のりと)を奏上した。結婚式を終えた典子さんは「滞りなく済みましてほっとしております」。千家さんは「大変心が晴れやかでございます」と笑顔で語った。「2000年を超える時を経て、今こうして、今日という日を迎えたということに、深いご縁を感じております」。




(私論.私見)