原文 |
吾(あ)は則ち天津神籬(あまつひもろぎ)及(また)天津磐境(あまついわさか)を起(おこ)し樹(た)てて、まさに吾(あが)孫(すめみま)の為に齋ひ(いわい)奉(まつ)らむ。汝(いまし)、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国(あしはらのなかつくに)に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れと。 |
現代訳 |
私は、天津神籬(神の依代=神が宿ります樹木)、天津磐境(石を用いて区画した神聖な場所)を造り、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の為に斎います。なんじら天児屋命(アメノコヤネノミコト:忌部氏の祖)、太玉命(フトタマノミコト:中臣氏の祖)、天津神籬を持って葦が繁茂する地上に天降り、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の為に斎ってください。 |
読解 |
この神勅を発したのは天照大御神ではなく高木神(タカギノカミ)である。先の三つ神勅が主に天皇に対する御神意の表明であったが、今回は天皇を助ける神々に対して発せられものとなっている。神籬(ヒモロギ、神様が仮に降りていただく樹木又は神の依り代)に、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
がお祀りする。いったい何をお祀りするのか、天津神籬にはいったいどんな神様を降ろし、そして斎うのか。吉田神道とその流れを汲んだ垂加神道では神籬を「日守木」が転じたものと解釈し、日継の皇子(天照大神の子孫)を守ること、磐境とは天皇守護の念を岩のように硬くすることであるとし、日本の国民たるもの天皇を守護する神籬となって
日本の中心である天皇を守ることが重要であると説いた。皇孫の為に祭祀を行うことで我が国の繁栄、国民の平安が守られるとしている。
天皇は天照大御神の当世の表現者であり、その天皇を祀れば、その背後におられる天照大御神を祀る事になる。天照大御神を祀るとその表現者である歴代天皇全ての御魂をお祀りする事に通じる。この理論を広げれば、一霊を受けている存在を祀れば、その背後にある一霊の大元である天御中主神を祀る事であり、天御中主神を祀る事は、天御中主神を表現する一霊を受けた存在全てを祀る事になると言える。一つは全ての物であり、全は一つそのものであるとする神道哲学に繋がっている。
高御産巣日神は天照大御神と並び高天原の代表的な神様で、この神様が皇霊をお祀りする。そして地上では、我々国民を代表して天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)=厳密に言えば子孫が神籬を通して天皇の御魂をお祀り申し上げる。(神籬に依る魂である)皇霊が天と地の結節点となると言う見方もできる。言い方を変えれば、高天原の神々と我々国民が国の統治の根幹たる皇霊を祀る事で一個の共同体を形成することになる。この為に現世と幽世の一体感が発生してくる。古事記や日本書紀にその御神意が語られていたりする。神話を研究する必要があるゆえんのものがここにある。神々の意と人々の意が一体化することを神人合一と言う。これが政(マツリゴト)の極みとなる。 |