五大神勅考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).5.1日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「五大神勅考」をものしておく。

 2006.12.24日、2013.12.9日再編集 れんだいこ拝


【五大神勅考】
 日本の統治の根本は五大神勅に基づいて行われて来たと言える。ここに日本型政治思想の核が見て取れる。これは日本型の憲法の祖型であり、ここから聖徳太子の十七条憲法、式目、武家諸法度、五箇条のご誓文まで辿り着いているのではなかろうか。明治維新になって外国の影響が現れ、明治憲法、戦後憲法へと繋がっている。そういう意味で五大神勅は国體の鍵であり、その考察が重要な所以である。

 世に様々な政治思想、社会制度、秩序があるが、日本の五大神勅は範とされるべきものであって疎かにされることがあってはならない。明治維新以降、世界諸国のかなりの国の政治が西欧式の立憲主義、三権分立制度を範として国政が行われるようになっている。しかしこの制度が取り入れられたのは最近である。21世紀になって2022年の昨今、西欧式の立憲主義、三権分立制度の虚飾性、画餅理論さが露呈するようになっている。拙者の気づきから言えば、西欧式の立憲主義、三権分立制度は真の支配者の恣意的独善的政治を隠蔽するイチジクの葉に過ぎない。今や、西欧式の立憲主義、三権分立制度に代る、もっと範にするに足りる政治思想、制度を模索すべき時代に入っているのではなかろうか。

 明治維新前までの日本以前の政治指針を訪ねると「神勅」に辿り着くことになる。神勅は古来日本人が墨守すべき政治的信念の背骨となっている。実際には神勅プラスアルファ―となって機能しているのであるが、その信念が天皇制の中で脈々と受け継がれ今なお守られている。これは世界史的に見て奇跡である。先人たちがその身を以って作り上げ守ってきた国家の根本指針を探れば、自ずと日本人であることに誇りが生まれ、この伝統を大事にしたい思うようになる。神勅がその淵源であり、神勅の持つ意義は言わずもがなということになる。

 近代憲法下でも、「絶対的権力を縛る基準」造りに苦吟している。この観点から見ても神勅は参考になる。君主制や政党の党中央、団体の執行部等々上に立つ者たちの専横を許さず、下々の者たちの「自由」を保護し解毒する観点から言っても神勅への理解を深める事は有意義である。神勅の持つ意味を近代(若しくは現代)憲法解釈学に寄せて謹解し、西洋的な価値観と神勅を対比対話させることも可能かもしれない。神勅には西洋的な政治思想を超えるものがあるかもしれない。研究者の態度次第で無限の可能性が備わっている。
 五大神勅
天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅
同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅
斎庭稲穂(ゆにわいなほ)の神勅
神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅
侍殿防護(じでんぼうご)の神勅

【1、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅】
 「日本書紀神代紀第九段、一書第一」。
原文  豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国(くに)は、これ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)窮(きわま)りなけむ。
現代訳  葦が豊かに茂る永久に瑞々しい稲穂の実るこの国は、我が子孫が王(君、きみ)として治める地に相応(ふさわ)しい。我が子よ、さあ行って治めなさい。さきくませ。その皇位の栄える様は、天と地が永久でどこまでも続くのと同じです。
読解  天照大御神は産霊の大御神の延長として高天原をしろしめしている。皇位は時代が下っても栄えるとの福音は、神道における弥栄(上昇史観)の基にもなっている。留意すべきは、天照大御神は絶対権力者「全知全能の神」としてはふるまっていないことである。御託宣その一の天壌無窮の神勅の背後事情として、ここを踏まえなければならない。それが証拠に、天照大御神は物事を決める際、 天安河原 (アメノヤスノカワラ)に神々を集め、行動を起こす際の手続きとして神々と談じ合いしている。弟神の素戔嗚尊が暴れた時にも、これを強権的に封じ込めるのではなく、岩戸に籠られてその後の様子を見守って居られる。天照大御神の「権威」は「権力」とセットされているはずであるが、徒な権力行使はしていない、むしろ控え目にしている。このスタンスが後の皇室や武家の御代の政治に繋がっており日本政治の型となっている。神勅の中に天皇の君主としての権力を抑制する力がある。これが為に、日本では誰もが天皇制の意義を認め、それが為に天皇制が継続し、諸外国のような易姓革命による徹底した破壊が起こらなかったのではなかろうか。

【2、同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅】
 「日本書紀神代紀第九段、一書第二」。
原文  吾(あ)が兒(みこ)、此(こ)の寶鏡(たからのかがみ)を視(み)まさむこと、當(まさ)に吾(あれ)を視(み)るがごとくすべし。與(とも)に床(みゆか)同じくし、殿(みあらか)を共(ひとつ)にして、以(もっ)て齋の鏡(いわいのかがみ)と為(な)す可し。
現代訳  我が子孫よ、この宝鏡を視るときには、吾、天照大御神を視るものと思いなさい。同じ床に、同じ宮で、この鏡を私だと思い神聖大切に祀りなさい。
読解  天照大御神が三種の神器の八咫鏡を授け、その鏡を大御神と同じように地上でまつることを命じられた神勅である。鏡はのちに伊勢神宮にまつられ、宮中では分霊(わけみたま)の鏡をまつるようになった。これより神社や神棚に鏡がある。 「この鏡を私だと思って毎日自分の姿を映しなさい。そこに民を苦しめる様な自我があったなら取り除きなさい」との諭しが込められているともいう。天皇陛下が御大礼(ごたいれい)においてまず伊勢と宮中の大御神に奉告する行事となって今も大切にされている。

 この神勅から、天照大御神の子孫である歴代天皇は、鏡を天照大御神と思ってお祀りする事。そして同じ生活空間にあり、離れずに同じ住家に共にある事が指針されていることが分かる。このように天皇は天照大御神の御神意に拘束されていると捉え、祭祀を以って常にこの神意に立ち返っておられると考える事ができる。鏡と向き合う時、当然ながらそこには御身が映し出される。その鏡に映し出された御身を天照大御神と同視すべしとされている。祭祀による天照大御神に対する認識と内在する天照大御神を顕在させる日常的な作業によって、天皇はますます天照大御神と同化して行く。天壌無窮の神勅が天皇による統治を命じ、その統治はこの同床共殿の神勅によって神意に従って統治せよと言う事になる。
 この神勅は古事記にも記述がある。次のように記されている。
原文 此れの鏡は専ら我が御魂と為て、吾が前を拝くがごと、いつき奉れ。
現代訳 この鏡は専ら私の御魂として、私を祀るのと同様に奉安しなさい。

 これは天照大御神が瓊瓊杵尊の派遣が決まる前に候補とされていた天忍穂耳尊に下した神勅です。三種の神器のうちの1つである八咫鏡を天照大御神の御神体として祀り、宮中で保管しなさいと命じている。第10代崇神天皇の御代に、床を共にすることは恐れ多いことであるとして、宮中には八咫鏡の形代(レプリカ)を置き、本体は伊勢神宮に移された。このことは古語拾遺の「斎部氏をして石凝姥命の裔と、天目一箇神の裔の二氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしたまひて、護身の御璽と為したまひき(斎部氏は石凝姥命の末裔と天目一箇神の末裔に鏡と剣が新たにつくらせ宮中にはそれらが留めおかれた)」という部分からも読み取れる。草薙剣の形代と八尺瓊勾玉は剣璽と呼ばれ、天皇陛下の寝室の隣の部屋である剣璽の間に安置されている。

【3、斎庭稲穂(ゆにわいなほ)の神勅】
 「日本書紀神代紀第九段、一書第二」。
原文  吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以(もっ)て、亦(また)吾(あ)が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。
現代訳  高天原にある私(わたくし)の治める神聖なる稲穂を私の子孫(である天忍穂耳尊)に任せることにしよう。
読解  天照大御神が、葦原中国(地上)に降り立つアマテラスの孫、ニニギノミコトに告げた神勅であり、「人々の食の中心」として天上の田んぼで育てた稲をニニギノミコトに授け地上にもたらすよう伝えている神勅である。稲は経済を表象している。日本のまつりや食文化と分かち難い稲作が神代から受け継がれてきたことを示している。毎秋、宮中や全国神社で行われる新嘗祭(にいなめさい)は大御神からの賜り物である米の収穫感謝のおまつりである。天皇一代一度の大嘗祭(だいじょうさい)においても天皇みずから神々へと新穀を供えられ、国と人々の繁栄が祈られる。

 この神勅に関連する日本書紀の神話は次の通り。
 ある時、天照大御神が保食神(ウケモチノカミ)と言う神様が居られることを聞き、月夜見尊 (ツクヨミノミコト)に様子を見に行く様命じた。保食神は月夜見尊 を歓待するが、その饗応に供せられたものがことごとく保食神の口から出てきたものだった。陸に首をまわせば飯(イイ)が、海に首を回せば大小の魚が、山に首を回せば毛の荒い獣と毛の柔らかい獣が口から出てきた。月夜見尊はその様子を見て汚らわしい物を供えられたと思い、保食神を殺した。天照大御神はこの報告を受けて、天熊人(アメノクマヒト)を遣わし様子を視させたところ保食神の御遺体から色々なものが芽吹いていた。頭には牛馬、額に粟、眉に蚕、眼に稗、腹に稲、陰(ホト)には麦と小豆と大豆が生まれていた。天熊人はこれを持ち帰り、天照大御神に献上したところ、天照大御神は大変お喜びになって、「地上の人々の糧となるもの」だと仰り、天邑君(アメノムラキミ)を管理者として天狭田(アメノサナダ)と長田(ナガタ)に植えられた。因みに、月夜見尊は保食神を殺したことを天照大御神に咎められ夜の世界に追放されている。天照大御神は稲穂を含め天熊人が持ち帰られたものを人々の為の糧を得たと喜んでおられた。そしてその稲穂の管理を天皇に任されている。同床共殿の神勅によって天照大御神と一体になっておられる天皇が稲穂を管理し、これを国民に食べさせて飢えさせる事のない様にしなさいと言う意味である。こう考えると大変福祉的な神勅である事がわかる。陛下の「お言葉」を拝聴するにつけ感じられる「民安かれ」の祈りは、稲穂(食)だけでなく我々の住環境全般までご心配頂いておられるのは申すまでもないことである。

【4、神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅】
 日本書紀巻二の一書「神籬磐境の神勅」。
原文  吾(あ)は則ち天津神籬(あまつひもろぎ)及(また)天津磐境(あまついわさか)を起(おこ)し樹(た)てて、まさに吾(あが)孫(すめみま)の為に齋ひ(いわい)奉(まつ)らむ。汝(いまし)、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国(あしはらのなかつくに)に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れと。
現代訳  私は、天津神籬(神の依代=神が宿ります樹木)、天津磐境(石を用いて区画した神聖な場所)を造り、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の為に斎います。なんじら天児屋命(アメノコヤネノミコト:忌部氏の祖)、太玉命(フトタマノミコト:中臣氏の祖)、天津神籬を持って葦が繁茂する地上に天降り、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の為に斎ってください。
読解  この神勅を発したのは天照大御神ではなく高木神(タカギノカミ)である。先の三つ神勅が主に天皇に対する御神意の表明であったが、今回は天皇を助ける神々に対して発せられものとなっている。神籬(ヒモロギ、神様が仮に降りていただく樹木又は神の依り代)に、高御産巣日神(タカミムスビノカミ) がお祀りする。いったい何をお祀りするのか、天津神籬にはいったいどんな神様を降ろし、そして斎うのか。吉田神道とその流れを汲んだ垂加神道では神籬を「日守木」が転じたものと解釈し、日継の皇子(天照大神の子孫)を守ること、磐境とは天皇守護の念を岩のように硬くすることであるとし、日本の国民たるもの天皇を守護する神籬となって 日本の中心である天皇を守ることが重要であると説いた。皇孫の為に祭祀を行うことで我が国の繁栄、国民の平安が守られるとしている。

 天皇は天照大御神の当世の表現者であり、その天皇を祀れば、その背後におられる天照大御神を祀る事になる。天照大御神を祀るとその表現者である歴代天皇全ての御魂をお祀りする事に通じる。この理論を広げれば、一霊を受けている存在を祀れば、その背後にある一霊の大元である天御中主神を祀る事であり、天御中主神を祀る事は、天御中主神を表現する一霊を受けた存在全てを祀る事になると言える。一つは全ての物であり、全は一つそのものであるとする神道哲学に繋がっている。

 高御産巣日神は天照大御神と並び高天原の代表的な神様で、この神様が皇霊をお祀りする。そして地上では、我々国民を代表して天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)=厳密に言えば子孫が神籬を通して天皇の御魂をお祀り申し上げる。(神籬に依る魂である)皇霊が天と地の結節点となると言う見方もできる。言い方を変えれば、高天原の神々と我々国民が国の統治の根幹たる皇霊を祀る事で一個の共同体を形成することになる。この為に現世と幽世の一体感が発生してくる。古事記や日本書紀にその御神意が語られていたりする。神話を研究する必要があるゆえんのものがここにある。神々の意と人々の意が一体化することを神人合一と言う。これが政(マツリゴト)の極みとなる。

【5、侍殿防護(じでんぼうご)の神勅】
原文  (ねが)はくは、爾(いまし)二神(ふたはしらのかみ)、亦(また)同じく殿(みあらか)の内(うち)に侍(さぶら)ひて、善く防ぎ護ることを為(な)せ。
現代訳  あなた方、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)の二柱の神よ、同じく建物の殿内にあって、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の側に控えてしっかりお守りしなさい。
読解  「④、神籬磐境の神勅」 に続く高御産巣日神(タカミムスビノカミ)の神勅である。こちらも、天孫や天皇に対してではなく、天孫降臨に際してお供した天児屋命、太玉命への神勅になっている。神々と我々を結ぶ天皇を良くお守りして欲しいとの内容になっている。これは後に天皇が行う政治を補佐することと同義であると解釈されるようになり、祭政一致の原則につながった。太玉命を祖先としている忌部氏、天児屋命を祖先としている中臣氏(後の藤原氏)は朝廷内で重んじられ、天皇の政治を補佐することになったが、その根拠となるのが侍殿防護の神勅であるということもできる。

 高木神の「願(ねが)はくは」と言うどちらかと言えばお願いに近い言い方は味わうべき部分である。天皇に対しては「治(しら)せ。さきくませ」、「べし」と言った強い言葉で語られているのが、国民向けとも解されるこの神勅には「願(ねが)はくは」との柔らかい表現になっている。天皇と言う立場は、西洋で言うところの君主と重なる部分も当然あるので、権力の統制と言う方面からこの文言の違いを考えると天皇は得てして権力を持ち得やすい故に強い要請になっているとも解せる。天児屋命、太玉命がなぜ侍殿防護の栄誉に携われたのか、どうして我々国民を代表して陛下の御側でお仕えできるのか、二柱の神々の神格論や事績をひも解けばわかるかもしれない。ひいては我々が天皇に対してどうあるべきかの研究にもなる。逆に、君主(政府)は国民にどうあるべきかも必要である。





(私論.私見)