れんだいこ撰日本神話譚

 (最新見直し2013.12.09日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、れんだいこ撰の大人向け日本神話を書き著すことにする。日本神話の面白さ、他の国々の神話と比較して見た場合の特質を確認しておくことにする。但し、これを記紀神話のみに依拠して綴るのは片手落ちの気がしてならない。そこで、いわゆる古史古伝の各書の記述をも踏まえながら、れんだいこ眼力による日本神話譚を書きあげることにする。ここに本書のユニークさがある。爾来、誰も為さなかった日本神話考であろう。れんだいこが思うに、日本神話には現代世界の精神の逼塞、地球環境汚染の危機から脱する叡智が秘められているのではなかろうか。そういう辺りを探っていただければ本望である。

 戦後65年になる2010年現在の政治、経済、文化の徴候として「日本人のアイデンティティの喪失」が激しい。それも時代の単なる変化によってもたらされたのではなく、先の戦争の敗戦後遺症とも云うべき事象ではなかろうか。れんだいこはそう思うようになった。気にかかることを調べるうちに、ますますそう確信した。そこで、「日本人のアイデンティティ」を求める旅に出、見聞したことを広めることにした。その手始めとして、れんだいこ撰による日本神話譚を披歴することにする。知られているようで知られていない。仮に知られていても、戦前の皇国史観に添う奇形にされた神話譚でしかない。そこで、本来の日本神話譚を探し求めることにした。やがてこれが書籍化され、日本全国の茶の間か書籍棚に納められることを願う。

 2013年現在、れんだいこは、「原日本新日本論」を獲得している。これによると、原日本が先行する出雲王朝御世、新日本が神武東征譚を経て建国される大和王朝御世となり、ここに歴史を画する政権交代があったとみなしている。記紀には、この過程を隠蔽する歴史詐術が凝らされており、これを見抜いて真相を記しなおさねばならないと云う課題が突きつけられている。この観点から日本神話譚を焼き直してみたいと思う。

 以下、れんだいこ式日本神話をサイトアップしていくことにする。古事記をベースに据え、日本書紀、風土記その他各文献の記述と齟齬する場合にはれんだいこが任意に判断し、より史実性の高いと思われる記述の方を採用しひと綴りにした。古事記に記述なく日本書紀、風土記その他各文献に記されているもので必要と思われたものは取り入れた。れんだいこ日本神話はこのようにして出来上がっている。

 日本神話構図1は「天地開闢、造化譚」である。留意すべきは、ユダヤ−キリスト教的な天地創造譚ではないことであろう。それはともかく、「天地開闢、造化譚」は、1・造化三神譚、2・五柱譚、3・神世七代譚からなる。次に、日本神話構図2は「イザナギ・イザナミ譚による国土形成、諸神誕生譚」(以下「イザナギ・イザナミ譚」と略す)である。「イザナギ・イザナミ譚」は、1・両神の馴れ初め、2・交ぐわいによる国土形成、3・自然諸神の誕生、4・イザナミの死譚、5・黄泉の国譚から構成されている。以下、これを検証する。

 2010.08.12日、2013.12.09書き直し れんだいこ拝


【日本神話譚その1、造化三神譚】
 日本神話は、この世の成り立ちから説き始められている。これが、とってつけられたような絵空事の話なのか、深い叡智が秘められているのか、それは各自が任意に窺えば良い。これを「日本神話構図1」とする。その1として「造化三神譚」が記されている。日本神話はここから始まる。次のように記されている。
 「天地が初めてできたとき、高天原(タカマガハラ)に天の御中主の神(アマノミナカヌシの神)、次に高御産巣日神(タカミムスヒの神)、次に神産巣日神(カミムスヒの神)の三柱が成った。これを造化の三神と云う。この神は独神にしてやがて身を隠した」。
 天之御中主=。高ミムスヒの神=(古事記)高御産巣日神、(日本書紀)高皇産霊神、高木神。神ムスヒの神=(古事記)神産巣日神、(日本書紀)神皇産霊神。
(私論.私見) 
 日本神話譚は、高天原伝説から始まる。この高天原がどこにあったのか解明されていない。この高天原が天孫系の高天原なのか国津神系の高天原なのか定かではない。一般には天孫系の高天原と考えられており、故郷が各地に比定されている。が、必ずしもそうではない。国津神系の高天原譚が天孫系の高天原譚に置き換えられて説かれている節も垣間見える。つまり高天原の比定は難しいと云うことになる。

 その高天原の大本神として、天のミナカヌシの神、高ミムスヒの神、神ムスヒの神の「三神(柱)が成った」としている。これを「造化の三神」と云う。何気ない記述であるが、ユダヤ―キリスト教界のエホバ神一神教と比較して見るに、端から三神(柱)を想定しているところに特質がある。これを窺うに、天地創造神が絶対神ではなく三神の相対神であること、一神ではなく多神であることが注目される。且つ、後の記述を含め総合的に判明させると、天のミナカヌシの神が高天原王朝よりも古い王朝の神としてもっとも古く、次に高天原王朝系の高ミムスヒの神、出雲王朝系の神ムスヒの神の三神が高天原の大本神として並立していることになる。且つ、天のミナカヌシの神が高天原王朝の神と出雲王朝の神を両翼にして真ん中に立つ中心神ないしは統合神として崇められていることになる。日本の成り立ち順ないしは成りたちの形をを寓意しているのではなかろうかと思われる。

 これを証するかのように、古史古伝の一書である秀真伝(ホツマツタエ)が、古事記の記述とは一味違う創世神話を記している。これを転載しておく。秀真伝(ホツマツタエ)では、アメノミヲヤの神が登場し、次のように記されている。
 「アメノミヲヤの神だけが存在し、まだ天地も人も分かれていなかった時、アメノミヲヤの神の初の一息が生じ、それは東から登り西に下って、円を描き空に廻っていた。やがてその中に、天地に届く天の御柱が生じ、アワとウビが分かれ出た。アワは天となり、ウビは地となり、地から水と埴(はに)分かれ、空の天からは風ができ、風は火を生んだ。これにより、陽性の空、風、火と、陰性の水、埴で五元素が完成した。この空、風、火、水、埴が互いに交わって人体(かみ)となった。この人体をアメノミナカ主の神と云う」。

 秀真伝(ホツマツタエ)によれば、アメノミヲヤの神が宇宙的始原神であり、人体としてのアメノミナカ主の神を生むと云う説話になっている。ちなみに、アメノミヲヤの神につき、「先代旧事本紀」の巻第一の神代本紀では、天地開闢の「天祖」(アマツミオヤ)として「天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊」(アメユズルヒアマノサギリ国ユズルヒ国ノサギリの尊)を登場させている。「先代旧事本紀大成経」では、「生無始天神」(マシマスコトナキハジメノアマツカミ)の「天祖」として「天譲日、天先霧、地譲月、地先霧皇尊」、竹内文書では「モトフミクライヌシノ大神」としている。してみれば、記紀の「造化三神譚」の分別が逆に詮索されねばならないことになろう。

 思うに、記紀神話初頭の造化三神譚は、後の神武天皇東征譚から始まる大和王朝建国譚とは系譜的に接続していない。これを逆に言えば、既に出雲王朝御代に形成されていた元始まり神話譚を、神武天皇東征譚から始まる大和王朝建国譚に抵触しないよう改竄しているのではなかろうか。それが、天のミナカヌシの神、高ミムスヒの神、神ムスヒの神の「三神(柱)譚」であり、この内の高ミムスヒの神が遠祖となるように細工されていると思われる。これによれば、神ムスヒの神が出雲王朝系の遠祖となり、天のミナカヌシの神を挟んで二者鼎立の体裁となっている。元始まりより後の神武天皇に繋がる神ムスヒの神が居たと云う細工をしていると窺う。ちなみに「この神は独神にしてやがて身を隠した」とは、大和王朝側からすると、この神話が出雲王朝御代の神話であり大和王朝に接続していないことを筆法していると窺う。

【日本神話譚その2、五柱譚】
 続いて「五柱譚」に向かっている。これを「日本神話その2」とする。次のように記されている。
 「その昔、日本の元になる国土は泥海であった。海には、水に浮いた油のようなものがくらげのようにゆらゆらと漂っていた。葦牙の如く芽が萌え伸びて、ウマシアシカビヒコヂの神、天のトコタチの神の二柱が成った。この二柱の神もまた独神として身を隠した。以上の五柱神が天津神の中でも特別の神である」。
 ウマシアシカビヒコヂの神=宇摩志阿斯訶備比古遲神。天のトコタチの神=天之常立神。
(私論.私見) 
 「造化の三神」の次に国土の話になり、それが「泥海」であり、その中にウマシアシカビヒコヂの神、天のトコタチの神の二柱が居たとされている。このニ柱の意味は不明である。恐らく、ウマシアシカビヒコヂの神は、高天原王朝と出雲王朝以外の有力部族が敬う最高神ではなかろうか。天のトコタチの神とは、次に記される国のトコタチの神に対する優先位の意味で持ち込まれているのではなかろうかと思われる。そう考えれば辻褄が合う。以上の五柱神が天津神の中でも特別の両性具有という意味での独身神となると云う。ここでも独身神としている意味は、造化三神譚と同じく出雲王朝御代の神話であり大和王朝に列なっていないという裏意味ではなかろうか。

【日本神話譚その3、神世七代神譚】
 「日本神話その3」として「神代七代神譚」が次のように記されている。
 「次に現れた神の名は、国のトコタチの神、次に豊クモの神。この二柱の神も又独神にして、身を隠しき。次にウヒヂコの神、妹(いも)スヒヂコの神の一対。次にツノグの神、妹イクグヒ神の一対。次にオホトノヂの神、妹オホトノベの神の一対。次にオモダルの神、妹アヤカシコネの神の一対。次にイザナキの神、妹イザナミの神の一対。国のトコタチの神からイザナミの神までを合わせて神世七代という。国のトコタチの神と豊クモの神がそれぞれ一代、次に並び出た十柱の神々は二柱の神を対で一代とするので、合わせて七代ということになる」。
 国のトコタチの神=國之常立神。トヨクモの神=豊雲野神。ウヒヂコの神=宇比地邇神。イモスヒヂコの神=妹須比智邇神。ツノグの神=角杙神。イモイクグヒ神=妹活杙神。オホトノヂの神=意富斗能地神。イモオホトノベの神=妹大斗乃辨神。オモダルの神=於母陀流神。イモアヤカシコネの神=妹阿夜訶志古泥神。イザナキの神=伊邪那岐神。イモイザナミの神=妹伊邪那美神。
(私論.私見)
 次に、国のトコタチの神からイザナミの神までが挙げられ、神世七代としている。国のトコタチの神、トヨクモの神以降の神は男女のそれぞれの理合いを持つ性別神である。この記述を、各種古史古伝の記述と比較すれば更に興味深いと思われる。なお、「造化三神、五柱神と神世七代神による天地創造譚」は、中国の聖数「三、五、七」で整理していることになる。ここも又独身神の御世とされている。これは、造化三神譚、五柱譚と同じく出雲王朝御代の神話であり大和王朝に列なっていないという裏意味ではなかろうか。

【日本神話譚その4、イザナギの命とイザナミの交ぐわい譚】
 日本神話譚その1、その2、その3は宇宙の創造譚を記している。ここまでを「日本神話構図1、元始まり譚」とする。これより「日本神話構図2、国土創世譚」となり、日本神話譚その4から9まで続く。国土創世譚はイザナギの命とイザナミの命による国土創世譚から始まる。イザナギの命とイザナミの命は、両神の馴れ初まり交ぐわいへと続く。これを「日本神話その4」とする。

 「神々は相談し、一番若いイザナギの命とイザナミの命に国土形成を命じた。この時、天の沼矛(ぬぼこ)が渡され、二人の神様が大空に架かる天地を結ぶ天の浮き橋の上から矛を下界へとさしおろし、海水をかき回すとコオロコオロと音が立ち固まりが出来始め、抜いた矛の先からしたたり落ちた滴(しずく)により一つの島ができた。その島は、オノゴロ島と呼ばれた。二人はそこに天降ってまず大きな柱を建て、二人の神が住まう御殿を建てた。柱は天の御柱、御殿は八尋殿(やひろでん)と名付けられた。

 イザナギとイザナミは双方を見比べ云った。

イザナギ  「イザナミよ、そなたの体はどうなっている?」。
イザナミ  「私の体は、成り成りて成り合わざるところが一つところございます」。
イザナギ  「私には成り成りて成り余れるところが一つところある」。
 「私の成り余れるところを、あなたの成り合わざるところを挿しふさぐよう按配良く出来ているように思うが、そなたはどう思う」。
イザナミ  「私も同じ思いです」。
イザナギ  「ならばそうしよう。そなたは天の柱を右から回り、私は左から回り、めぐり逢ったところで交わろう」。

 二人の命は、大きな柱の周りを回り出会った時、次のように掛け合いした。

イザナミ  「あなにやし、えおとこ」(あぁなんて素敵なお方なのでせう)。
イザナギ  「あなにやし、えおとめ」(あぁなんて可愛らしい姫なんだろう)。

 この後二人は結ばれた。日本書紀には、「陰神先ず喜び言を発ぐ」とある。最初は骨のないヒル子が生まれたので葦舟に乗せて流した。次に生まれた子供も形が定まらず、その子供の名は淡島と名づけられた。

 高天原の神々に相談したところ、占いは、「女性が先に言葉をかけたのがよくない。イザナギが最初に声をかけよ。もう一度やり直すがよい」とのことであった。二人は天の柱に戻り、同じように柱をまわり、今度はイザナギから先に声を掛けた。
イザナギ  「そなたはなんて可愛らしい姫なんだろう」。
イザナミ  「あなたはなんて素敵なお方なんでせう」。

 この後二人は再度結ばれた」。
 オノゴロ島=(古事記)淤能碁呂島、(日本書紀)。
(私論.私見)

 イザナギとイザナミの原語解析をすると、イザは南島祖語で「最初の」という意味を持つ。ナはノであり、ギは男、ミは女を意味する。これによると、イザナギとイザナミは初男、初女ということになる。「イザナギの命とイザナミの交合(まぐわい)譚」を何気なく聞き過ごしがちであるが実は、この神話はいかにも日本的であることが洞察されねばならない。それは、国土形成の始発を男女二神の交合(まぐわい)によって記述していることにある。ユダヤ―キリスト教界の聖書に於ける天地創造譚にはこのような記述はない。キリスト教聖書となると、教祖イエスの母マリアの処女懐妊譚で箔付けしている。これに対し、日本神話では交合(まぐわい)から始まることを示し、且つ、あからさまあけっぴろげに性交を記述している。この二つの性格が日本神話の真骨頂であることを読み取らねばならない。してみれば、日本神話譚で育つ日本人は交合(まぐわい)を聖俗両面から受け入れ、意識に於いても遺伝してきていることになる。

 ちなみに、「イザナギの命とイザナミの交ぐわいによる天地創造譚」は記紀のみならず出雲王朝系の史書であるホツマ伝えにもより詳しく記されている。と云うことは、この神話が出雲王朝神話であることを示している。

 2007.1.28日 れんだいこ拝


【日本神話譚その5、イザナギの命とイザナミの命による国土形成譚】
 「日本神話その5」として、イザナギの命とイザナミの命の交ぐわいによる国土形成譚が次のように記されている。
 「三度目の夫唱婦随で交わり生みだされたのが古事記では、アワジノホノサワケの島(淡路島)、イヨノフタナの島(四国)。この島は、身一つにして面四つあり、顔ごとに名があって、エ姫(愛媛)、イイヨリヒコ(讃岐)、オオゲツ姫(阿波)、タケヨリワケ(土佐)の四国よりなる。次にオキノミツゴの島(隠岐島)、ツクシの島(九州)。この島も身一つで面が四つあり、顔ごとに名が有り、筑紫の国、豊の国、肥の国、熊襲の国。次にイキの島(壱岐島)、ツ島(対馬)、サドの島(佐渡島)。最後に最も大きな島のオホヤマトトヨカキヅ島が生まれた。これらの島は大八島(州)国と呼ばれた。これが日本名の古名である。次に、キビの児島、アズキ島(小豆島)、大島、オミナ島、チカの島、フタゴの島を生んだ」。 
 日本書紀は、古事記の記述を訂正し、国生みの順序を変えている。日本書紀によると、淡路島、大日本豊秋津洲、伊予二名洲、筑紫洲、億岐洲、佐度洲、越洲、大洲、吉備の子洲を生んで、「是に由りて、始めて大八洲国の号(な)起れり」と記している。
 アワジノホノサワケの島=淡道之穂之狭別島、淡路島と比定。イヨノフタナの島=伊予之二名島、四国。エヒメ=愛比売、愛媛県と比定。伊予→愛媛県と比定。イイヨリヒコ=飯依比古。讃岐→香川県と比定。オオゲツヒメ=大宜都比売。粟→阿波→徳島県と比定。タケヨリワケ=建依別。土佐→高知県と比定。オキノミツゴノシマ=隠伎之三子島。隠岐島と比定。ツクシの島=筑紫島、九州と比定。筑紫の国=。豊の国=。肥の国=。熊襲の国=。イキの島=伊岐島。壱岐島と比定。ツ島=津島。対馬と比定。サドの島=佐渡島。佐渡が島と比定。オホヤマトトヨカキヅ島=大倭豊秋津島。キビノコシマ=吉備児島、岡山県児島半島。アズキシマ=小豆島、香川県小豆島と比定。オオ島=大島。オミナ島=女島。大分県国東半島沖の姫島。チカの島=知訶島、長崎県五島列島。フタゴの島=両児島。五島列島南の男島・女島。
(私論.私見)

 日本書紀では出生の順序が異なるが、イザナギの命とイザナミの命の男女二神による国土形成譚であることが興味深い。特に、四国への言及が重視されていることが注目される。天の浮き橋、オノゴロ島、大八島(州)国の比定にも関心をそそられる。既に見てきているように、ここまでの神話は出雲王朝系のものであり、とすれば出雲王朝系国土形成譚として窺う必要がある。出雲王朝の支配圏域を記したものと理解することができよう。


【日本神話譚その6、自然系諸神生成譚】
 「日本神話その6」として、イザナギの命とイザナミの命による自然系諸神生成譚が次のように記されている。
 「次に、多くの神々が生まれた。ハヤアキヅ彦神とハヤアキヅ姫神を生み、この神がさらに八神を生んだ。家の神、海の神、水の神。次に、風の神、木の神、山の神、野の神を生んだ。山の神、オホヤマヅミの神と野の神、ノヅチの神はさらに八神を生んだ。次に、トリノイハクス船神、次にオホゲツ姫神を生んだ。
 ハヤアキヅ彦神=速秋津日子神。ハヤアキヅ日子神=速秋津比賣神。オホヤマヅミの神=大山津見神。ノヅチの神=野椎神。トリノイハクス船神=鳥之石楠船神。オホゲツ姫神=大宜都比賣神。ヒノカグツチの神=火之迦具土神。カナヤマ彦神=金山毘古神。カナヤマビメの神=金山毘賣神。ハニヤス彦神=波邇夜須毘古神。ハニヤス姫神=波邇夜須毘賣神。ミツハノメの神=彌都波能賣神。ワクムス日神=和久産巣日神。トヨウケ姫神=豊宇氣毘賣神。
(私論.私見)
 国土形成譚の次に自然系諸神生成譚が記されている。ハヤアキヅ彦神とハヤアキヅ姫神、その他風の神、木の神、山の神、野の神、オホヤマヅミの神、ノヅチの神、トリノイハクス船神、オホゲツ姫神、火の神ヒノカグツチの神が生みだされたと云う。これが、いわゆる八百万の神々信仰の基礎になり、日本神話の原基となっている。

【日本神話譚その7、イザナミの命の死譚及び引き続きの自然系諸神生成譚】
 「日本神話その7」として、イザナミの命の死譚及び引き続きの自然系諸神生成譚が次のように記されている。
 「火の神ヒノカグツチの神を生む時、イザナミの命はみほと(女陰)に大火傷(やけど)を負い、病に伏せてしまった。その嘔吐から生まれた神の名は、鉱山を司るカナヤマビコの神、カナヤマ姫神。糞(クソ)から生まれた神の名は、土器などを司るハニヤス彦神、ハニヤス姫神。小便から生まれた神の名は水を司るミツハノメの神、食物を司るワクムス日神。さらにワクムス日神は子供を生み、その神の名は、トヨウケ姫神。イザナキとイザナミが一緒に生んだのは、14の島、35の神々になる」。
 ハヤアキヅ彦神=速秋津日子神。ハヤアキヅ日子神=速秋津比賣神。オホヤマヅミの神=大山津見神。ノヅチの神=野椎神。トリノイハクス船神=鳥之石楠船神。オホゲツ姫神=大宜都比賣神。ヒノカグツチの神=火之迦具土神。カナヤマ彦神=金山毘古神。カナヤマビメの神=金山毘賣神。ハニヤス彦神=波邇夜須毘古神。ハニヤス姫神=波邇夜須毘賣神。ミツハノメの神=彌都波能賣神。ワクムス日神=和久産巣日神。トヨウケ姫神=豊宇氣毘賣神。
(私論.私見)
 火の神がイザナミの命を臥せさせ、やがて死に至らしめる寓意は分からないが、古代史上の重要な何かを隠喩しているのであろう。

【日本神話譚その8、イザナギの慟哭譚及びその後に生み出された神々譚】
 「日本神話その8」として、イザナギの慟哭譚及びその後に生み出された諸神が次のように記されている。
 「イザナミは、結局、火の神を生んだときに得た病から亡くなってしまった。イザナギは悲しみに暮れ、イザナミの枕元にはらばい、足元に身を投げ出して泣いた。その涙から生まれた神はナキサハメの神という。泣き疲れたイザナキは、妻のなきがらを比婆の地に葬った。イザナミは、黄泉(よみ)の国へ行ってしまった。

 その後イザナギは猛り狂って、禍の元になったヒノカグツチの首をトツカノ剣で切り落とした。すると、剣の先についた血が神聖な岩の群れに迸りついて、三柱の神が成り出でた。剣の柄に溜まった血が指の間から漏れて二神が成り出でた。こうして、岩石の神々、雷火の神々、山岳の神々、雨竜の神、渓谷の女神が生まれた。死体からも様々な山の神が生まれた」。
(私論.私見)
 ここで、イザナミのなきがらが比婆の地に葬られたこと、イザナミが黄泉(よみ)の国へ行ったことが記されている。比婆の地、黄泉の国の比定をせねばならぬことになる。

【日本神話譚その9、黄泉(よみ)の国譚】
 「日本神話その9」として、イザナギがイザナミの居る黄泉の国へ向かい、その時の遣り取りが次のように記されている。
 「イザナギは、イザナミに会う為に黄泉(よみ)の国へ向った。黄泉(よみ)の国へ通じるとされる洞穴を奥へ奥へと入っていった。すると、なつかしいイザナミが現れた。
イザナギ  「いとしい我が命よ。お前と私とで作った国は、まだ作り終わっていない。私と共に帰ってきて欲しい」。
イザナミ  「私はすでに、黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。この国の定めで、黄泉の国のかまどで煮炊きしたものを一口でも口にするともう元の国には帰れません。この国の住人になってしまうのです。あなたがどうしてもと云うので、黄泉の国の神様に相談して参りますのでこの場所でお待ちください。但し、私が黄泉の神と話している最中に、この黄泉の国の中に入って私の姿を決して見ないでくださいね」。

 イザナミは、イザナギに「約束ですよ」と念を押して奥へ入った。一向に姿を現さないので、待ちきれなくなったイザナギは約束を破り、髪の毛に刺していた魔除けのクシを壁にこすって灯をともして奥へ入っていった。そこには変わり果てたイザナギの腐乱姿があり、蛆虫がはいまわっていた。八つの雷神がその体にまとわりついており、イザナキをじっと睨んでいた。イザナミは醜い姿を見られたことで「我に辱(はじ)みせたまいつ」と怒り、ヨモツシコメの鬼たちを遣わして追わせた。イザナギは夢中で逃げ出した。

 鬼たちが追いかけてきた。追いつかれそうになった命が身に着けていたつる草を投げつけると忽ちブドウの実がなり、鬼たちが争うようにして食べ始めた。その間に一生懸命逃げた。またしても追いつかれそうになったイザナキは、髪の毛に差していたクシを抜いて投げつけると、たけのこが生えた。鬼たちが食べ始めた隙に更に逃げた。今度は雷神達が襲い掛かってきた。命は剣で追い払い、やっとのことで黄泉の国と現実の国との境である「黄泉つ平坂」(よもつひらさか)に辿り着いた。坂の上に桃の木が有り実がたくさんなっていた。イザナギが桃の実三個を取って雷神たちに投げつけたところ当り退散した。桃の木は大神ヅミの命と名付けられた。イザナギは千人がかりでやっと動かせるほどの大きな「千引石」(ちびきのいわ)を見つけ、二度と鬼たちが追ってこられないように出口を塞いだ。

 この時、イザナミが現れ、最後となる会話が交わされた。
イザナミ  「いとしい、あなた。どうしてこんなことをするのですか」。
イザナギ  「そなたはもうこの世のものではないのだ。私たちはもう一緒になれない」。
イザナミ  「なんてことをおっしゃるのですか。早くこの岩をどかしてください!」。
イザナギ  「できない」。
イザナミ  「いとしの我が夫よ、あなたがそんなにつれない仕草をなさるなら、私は、これからあなたの国の人々を一日に千人ずつ絞(くび)り殺してくれよう!」。
イザナギ  「いとおしい我が妻よ、そなたがそのような振る舞いをするならば、私は一日に千五百の産屋を立てようぞ」。
イザナミ  「もう私は大八州には帰れません。どうかあなた一人でも立派な国を作ってください」。

 この遣り取りが、夫婦の決別の言葉となった。こうして、一日に千人亡くなり、千五百人の人が生まれてくるようになった。イザナミは黄泉津大神と呼ばれるようになった。黄泉の国は、根の堅州の国と云われる事になる。イザナギはイザナミへの思いを断ち切ることができた」。
 ナキサハメの神=泣澤女神。大神ヅミの命=。
(私論.私見) 
 ここで、現世の国と黄泉(よみ)の国が語られている。黄泉(よみ)の国の暗喩するものが何であるか興味深い。





(私論.私見)