日本神話譚その4、ギミ両神の黄泉(よみ)の国問答譚

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).9.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本神話では、「日本神話譚その4、ギミ両神の黄泉(よみ)の国問答譚」を確認する。

 2010.08.12日、2013.12.09日書き直し れんだいこ拝


【日本神話/国土、諸神創生譚その7、ギミ両神の黄泉(よみ)の国問答譚】
 「日本神話その2の国土、諸神創生譚その7」として、イザナギがイザナミの居る黄泉の国へ向かい、その時のイザナミとの遣り取りが次のように記されている。
 「イザナギは、イザナミに会う為に黄泉(よみ)の国へ向った。黄泉(よみ)の国へ通じるとされる洞穴を奥へ奥へと入っていった。すると、なつかしいイザナミが現れた。
イザナギ  「いとしい我が命よ。お前と私とで作った国は、まだ作り終わっていない。私と共に帰ってきて欲しい」。
イザナミ  「私はすでに、黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。この国の定めで、黄泉の国のかまどで煮炊きしたものを一口でも口にするともう元の国には帰れません。この国の住人になってしまうのです。あなたがどうしてもと云うので、黄泉の国の神様に相談して参りますのでこの場所でお待ちください。但し、私が黄泉の神と話している最中に、この黄泉の国の中に入って私の姿を決して見ないでくださいね」。

 イザナミは、イザナギに「約束ですよ」と念を押して奥へ入った。一向に姿を現さないので、待ちきれなくなったイザナギは約束を破り、髪の毛に刺していた魔除けのクシを壁にこすって灯をともして奥へ入っていった。そこには変わり果てたイザナギの腐乱姿があり、蛆虫がはいまわっていた。八つの雷神がその体にまとわりついており、イザナキをじっと睨んでいた。イザナミは醜い姿を見られたことで「我に辱(はじ)みせたまいつ」と怒り、ヨモツシコメの鬼たちを遣わして追わせた。イザナギは夢中で逃げ出した。

 鬼たちが追いかけてきた。追いつかれそうになった命が身に着けていたつる草を投げつけると忽ちブドウの実がなり、鬼たちが争うようにして食べ始めた。その間に一生懸命逃げた。またしても追いつかれそうになったイザナキは、髪の毛に差していたクシを抜いて投げつけると、たけのこが生えた。鬼たちが食べ始めた隙に更に逃げた。今度は雷神達が襲い掛かってきた。命は剣で追い払い、やっとのことで黄泉の国と現実の国との境である「黄泉つ平坂」(よもつひらさか)に辿り着いた。坂の上に桃の木が有り実がたくさんなっていた。イザナギが桃の実三個を取って雷神たちに投げつけたところ当り退散した。桃の木は大神ヅミの命と名付けられた。イザナギは千人がかりでやっと動かせるほどの大きな「千引石」(ちびきのいわ)を見つけ、二度と鬼たちが追ってこられないように出口を塞いだ。

 この時、イザナミが現れ、最後となる会話が交わされた。
イザナミ  「いとしい、あなた。どうしてこんなことをするのですか」。
イザナギ  「そなたはもうこの世のものではないのだ。私たちはもう一緒になれない」。
イザナミ  「なんてことをおっしゃるのですか。早くこの岩をどかしてください!」。
イザナギ  「できない」。
イザナミ  「いとしの我が夫よ、あなたがそんなにつれない仕草をなさるなら、私は、これからあなたの国の人々を一日に千人ずつ絞(くび)り殺してくれよう!」。
イザナギ  「いとおしい我が妻よ、そなたがそのような振る舞いをするならば、私は一日に千五百の産屋を立てようぞ」。
イザナミ  「もう私は大八州には帰れません。どうかあなた一人でも立派な国を作ってください」。

 この遣り取りが、夫婦の決別の言葉となった。こうして、一日に千人亡くなり、千五百人の人が生まれてくるようになった。イザナミは黄泉津大神と呼ばれるようになった。黄泉の国は、根の堅州の国と云われる事になる。イザナギはイザナミへの思いを断ち切ることができた」。
 ナキサハメの神=泣澤女神。大神ヅミの命=。
(私論.私見) 
 ここで、現世の国と黄泉(よみ)の国が語られている。黄泉(よみ)の国の暗喩するものが何であるか興味深い。

【揖夜(いや). 神社~黄泉比良坂】
 「古代出雲紀行(23)神蹟 黄泉比良坂『よもつひらさか』 」その他参照。
 黄泉比良坂
 〒699-0101 島根県松江市東出雲町揖屋2407

 揖夜(いや)神社が黄泉の国の入り口ならここ黄泉比良坂(島根県松江市東出雲町)は黄泉の国と葦原中津国(現世)の境目とされる場所である。

 神代の時代、伊邪那岐命(イザナギノミコト)。以下「イザナギ」)という男の神様と伊邪那美命(イザナミノミコト。以下「イザナミ」)という女の神様がいた。大変仲のいい夫婦神で、この夫婦神によって国産みが始まり、妻のイザナミは多くの島々や、海・風・山など多くの神々を生んだ。イザナミ(伊邪那美命)の命が火の神・カグツチを産んだ際、イザナミが陰部を火傷してしまい命を落とした。イザナギは悲しみ、妻に逢いたい一心で黄泉の国まで追いかけていく。

 「あの世(黄泉の国)」と「この世」の境界にある黄泉比良坂は、伊邪那岐(イザナギ)命が先立たれた最後の妻、伊邪那美(イザナミ)命を慕って黄泉の国を訪ねた際の黄泉の国(あの世)の入口で、黄泉の国(あの世)と現世(この世)の境界とされている場所である。古事記には 『そのいわゆる黄泉比良坂は、今の出雲の国の伊賦夜坂(いふやざか)である』 と記されている。現在の島根県東部に位置する東出雲町の揖屋・平賀地区には、今でも伊賦夜坂とされる場所があり、現地には昭和15(1940)年に建立された「神蹟黄泉平坂伊賦夜坂傳説地」と彫られた石碑が建てられている。この石碑の西方の山道が伊賦夜坂と言われていて、途中に塞の神が祀ってあり、地元では、この道を通るときは塞の神に小石を積んで通るという風習があり、今でも小さな石が積まれている。また、伊邪那岐(イザナギ)命が黄泉国から還ろうとしたとき、追って来る悪霊邪鬼を桃子で撃退したのがこの坂であり、大石 「千引石」 であの世の入口をふさいだという神話から、 黄泉比良坂はお墓のルーツだという説がある。

 イザナギが、妻の眠る御殿の扉をたたき「もう一度国作りを手伝ってほしいから、戻ってきておくれ」と言った。すると、扉の向こうからイザナミが「私はすでに黄泉の国の食べ物を食べ、けがれてしまいました。しかし、あなたがそこまで言われるのなら、黄泉の国の神達と相談します。ただし、私がもう一度ここへ来るまでは、決して中に入ってはいけません」と答えた。しかしいくら待てどもイザナミは出て来ない。とうとうイザナギは約束を破り、扉をあけて入ってしまった。御殿の奥へと進むと、そこには身体中にウジが湧いて腐り果てた妻が横たわっていたイザナミの姿を覗いてしまった。イザナギはあまりの恐ろしさに一目散に走って引き返した。自分の醜い姿を見られたイザナミは「あれほど来てはいけないと話しておいたのに、よくも私に恥をかかせましたね」と怒り、女の鬼達に命令し逃げ出したイザナギを追いかけさせた。追われたイザナギは、逃げる途中で髪に巻いていた蔓や櫛を鬼達に投げつけた。蔓は葡萄の実に、櫛は衛になり、それらを鬼達が食べている隙に、黄泉の国とこの世との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)に辿り着いた。イザナギは千引石 (千人力でやっと動くほどの岩)でイザナミの追ってくる坂の道を塞ぎ、二度と行き来できないようにした。岩の向こうから「この仕返しに今日からあなたの国の人間を千人ずつ殺します」と言うイザナミの声が響いてきた。そこでイザナギは「あなたがそうするなら私は一日に千五百人の産屋を建てよう」と答え、そういうわけで、この世の人口が増えるようになったと云われている。

【比婆山の伊邪那美神御陵】
 古事記に、「生者の住む現世と死者の住む世界(黄泉)との境目にあるとされる坂黄泉比良坂」、「故、その神避りましし 伊邪那美神は 出雲国と伯伎国との境の比婆之山に葬りき」と記されている。「比婆山大神(伊邪那美神)」の神陵がそれであると伝えられている。鎮座地は広島県庄原市西城町熊野。この地にある比婆山連峰は美古登(みこと)山とも呼ばれ古来より信仰の対象となってきたお山である。熊野神社は神陵の南西面参道の遥拝所にあたる。社伝によると創建年は不詳だが713(和銅6)年までは比婆大神社と称していたらしい。比婆山山内には伊邪那岐命と伊邪那美命が言い争いをしたとされる場所に千引岩がある。奈良時代の天平5年(733年)に熊野神社の前称である『比婆大神社』が創建されるまで、【比婆山御陵】の祭儀がこの場所で行われていたと伝えられている。『熊野神社』境内の奥に鎮まる【磐境】。高さ約5m、 周囲約23mで、根本にある祠はもとは大岩の上で祀られていたらしい。
 婆山伝承地は島根県松江市東出雲町の黄泉比良坂が有名で、他にもある。




(私論.私見)