れんだいこ撰日本神話譚その2、「おのころ島」国土、諸神創生譚

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).2.12日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本神話では、「天地創造譚(元始まり譚)」の次に「国土、諸神創生譚」が記されている。これを仮に「日本神話その2の国土、諸神創生譚」と命名して確認する。これは6編より成る。「オノコロ神話」その他参照。

 2010.08.12日、2013.12.09日書き直し れんだいこ拝


【日本神話/国土、諸神創生譚その1、オノゴロ島譚】
 「日本神話その2の国土、諸神創生譚」のその1は、古事記の冒頭に記されており、イザナギの命とイザナミの命による国土創世譚即ちイザナギの命とイザナミの命によるオノゴロ島の生成、八尋殿(やひろでん)の建築から始まる。これを仮に「日本神話その2の国土、諸神創生譚のその1、オノゴロ島譚」と命名する。
 天の高天原の神々が相談し、一番若いイザナギの命とイザナミの二柱の命に「この漂っている国をつくり固めよ」と国土形成を命じお任せになられた。この時、天の沼矛(ぬぼこ)が渡され、二人の神様が大空に架かる天地を結ぶ天の浮きという空に浮かんだ橋に立って、上から沼矛を下界へとさしおろし、海に漂うものに突きさして、海水をかき回した。やがてコオロコオロと音が立ち凝(こ)って行き固まりができ始めた。その矛を引き上げると、抜いた矛の先からしたたり落ちた滴(しずく)が次第に積もりかたまって一つの島ができた。その島はオノゴロ島と呼ばれた。二人はそこに天降って、まず大きな柱を建て、二人の神が住まう御殿を建てた。柱は天の御柱(みはしら)、御殿は八尋殿(やひろでん)と名付けられた。
 「日本書紀神代上」の記述は次の通り。
 伊弉諾尊・伊弉冉尊、立於天浮橋之上、共計曰、底下豈無國歟、廼以天之瓊瓊、玉也。此云努。矛、指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮、凝成一嶋。
 イザナギとイザナミは天浮橋(あめのうきはし)の上に立ち、共に計り、「底の下に国がないだろうか」と好奇心をそそられ、天から賜った瓊瓊でかき混ぜると玉(宮)があった。これを努めるという。矛(槍のような武具)を指しおろして探った。矛が、滄溟(そうめい、青々とした広い海)を捕えた。その矛の先から滴って潮となり、それが固まって一つの嶋になった。
 オノゴロ島=(古事記)淤能碁呂島、(日本書紀)磤馭慮島。
(私論.私見)
 この淤能碁呂島はいったいどこなのか未だに謎である。イザナギとイザナミの原語解析をすると、イザは南島祖語で「最初の」という意味を持つ。ナはノであり、ギは男、ミは女を意味する。これによると、イザナギとイザナミは初男、初女ということになる。「イザナギの命とイザナミの交合(まぐわい)譚」を何気なく聞き過ごしがちであるが実は、この神話はいかにも日本的であることが洞察されねばならない。それは、国土形成の始発を男女二神の対等助け合い的な交合(まぐわい)によって記述していることにある。ユダヤ―キリスト教界の聖書に於ける天地創造譚にはこのような記述はない。キリスト教聖書となると、教祖イエスの母マリアの処女懐妊譚で箔付けしている。これに対し、日本神話では交合(まぐわい)から始まることを示し、且つ、あからさまあけっぴろげに性交を記述している。この二つの性格が日本神話の真骨頂であることを読み取らねばならない。してみれば、日本神話譚で育つ日本人は交合(まぐわい)を聖俗両面から受け入れ、男女の交合(まぐわい)を天地創造の始発として伝えていることになる。

 ちなみに、「イザナギの命とイザナミの交ぐわいによる天地創造譚」は記紀のみならず出雲王朝系の史書であるホツマ伝えにもより詳しく記されている。と云うことは、この神話が出雲王朝神話であることを示している。

 2007.1.28日 れんだいこ拝

【オノゴロ島比定地考】
 古事記、日本書紀の国生み神話に登場する「おのころ島」は太古、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神が天の浮橋の上に立ち、「天の沼矛」(ぬぼこ)で青海原をかきまわし、その矛先からしたたり落ちたしずくが凝り固ってできた島のことで、この島こそが日本最初の国土とされている。この島は淡路島そのものか、ないしは島内のどこかを指すとされておりいくつも存在する
 仁徳天皇が淡路島で詠んだ和歌は次の通り。
 「わが国見れば 淡島(あはしま) 淤能碁呂島(おのごろしま) 檳榔(あぢまさ)の 島も見ゆ」。

 「わが国」を見やれば、「淡島」(あはしま)、「淤能碁呂島」(おのごろしま)、「檳榔(あぢまさ)の島」も見えると云う。「淡島」(あはしま)、「檳榔(あぢまさ)の島」については不明だが、仁徳天皇の御代の奈良時代の頃、「淤能碁呂島」(おのごろしま)は淡路島の近くと比定されていることが分かる。それにしても奇妙な歌である。「わが国」を大和と比定すれば、見えない景色である。そこで、「わが国」が 「淤能碁呂島」(おのごろしま)が見える所にあったと仮定されることになる。阿波国大和説が生まれる所以になっている。
 絵島(えしま、淡路市岩屋字恵島)
 神戸から淡路島の明石海峡大橋を渡ってすぐの町、岩屋には様々な伝承が残っている。ここにはおのころの伝説、神功皇后三韓征伐、蛭子命の誕生の地など、神話の舞台になった地が半径300m圏内に点在する大変重要な土地である。その岩屋漁港にある「絵島」はそういったおのころ島伝承地の一つである。「絵島」は、昔から月見の名称として名高く「平家物語」の「月見の巻」にも登場しているほど淡路島の誇る景勝地 として知られており夜間にライトアップされた姿も美しい。島の頂上にある石塔は、平清盛が大輪田の泊(神戸市兵庫区)を築造する際、人柱となった平清盛の小姓侍童、松王丸の菩提を弔うために建てられたものと伝えられている。

 絵島は、地質学的に珍しい約3千5百万年前(古第三紀始新世)の岩屋累層 砂岩層が露出した小島で、岩肌の侵食模様が特徴的である。この島は砂岩でできており、もとは陸つづきであったが波の作用によって島となった。この自然が生み出した絵島は周囲の山水との調和も見事で、特に夜景は「海に浮かぶ光の舞台」として、神秘的な姿で人々を魅了する。島の美しさは万葉の昔から歌い詠まれている。「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(西行法師)。江戸期の国学者にして、古事記研究の大家として知られる本居宣長は、絵島をオノコロ島と比定している。
 石屋神社(いわやじんじゃ、兵庫県淡路市岩屋字明神)

 主祭神/國常立尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊

 創祀年代は不詳。天地大明神とも、岩屋明神、絵島明神とも呼ばれた神社。神功皇后三韓征伐のおり、対岸の明石垂水の浜で風波にあわれ、渡海に難渋し、風待ちのため、岩屋に着岸。三対山上の石屋明神に参拝し、戦勝を祈願され、「いざなぎやいざなみ渡る春の日にいかに石屋の神ならば神」と詠じ給うと、風波が止み、海上は静まったという。もとの鎮座地は、現在地の300m北にある三対山(城山)で、後土御門天皇の御代、大内義興による築城の際に、現在地に遷座させられた。絵島明神の絵島とは、三対山の麓、岩屋港にある小島の名前。三対山の北側には伊弉諾尊がかくれ給うた幽宮であると伝承される洞窟、岩樟神社がある。
 岩樟神社(いわくすじんじゃ、兵庫県淡路市岩屋 ) 

 御祭神/伊耶那岐命   伊耶那美   蛭子命

 淡路島の北端、岩屋港の向かいの恵比須神社奥、岩屋城跡がある城山の崖下の洞窟に祀られた神社。イザナギ・イザナミの二柱の神の間に最初に生まれた、蛭子命(ひるこのみこと)。エビス様蛭子命は、体がうまくできあがっていなかったために、葦舟にのせられて流されてしまったという神様です。その舟が流れ着いた場所が神戸の「西宮のエビスさん」、つまり西宮神社であり、 西宮のエビスさんの本家は岩屋であるという伝説があります。また地元では、この洞窟はイザナギ尊のかくれられた幽宮(かくりのみや)であるとも伝えられています。洞窟には、古の祭壇の趾があり、ここは、現在でも祭器や御神体等の古びた物の納受場所になっている。
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 Profile/神奈木有紀(かんなぎゆき)
 大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
 神奈木流の成果
 公式ホームページ
 上立神岩(天の御柱) (南あわじ市沼島) 
 伊弉諾命と伊奘冉命が結婚の契約をした『天の御柱』とも、国産みでかき混ぜた『天の沼矛(ぬぼこ)』ともいわれ、淡路島の本島南端から4km、連絡船に揺られ10分ほど着く沼島(ぬしま、周囲約10キロ、人口500人未満の小島)の高さ20m以上の鋭い切っ先が天を突く上立神岩がオノコロ島の天の御柱比定地にあげられている。日本中央構造線の大きな断層上にあり、本島とは全く異なる結晶片岩でできている。紀伊水道、大阪湾に面する沼島周辺は、奇岩や岩礁があふれ豊かな自然景観を望むことができる。島の南西半分は黒色千枚岩層、北東半分は緑色片岩層、北部は緑泥片岩が分布している。上立神岩は沼島の地質をよく表わしている奇岩で、30mの高さを誇り、島のシンボルとして人々に「立神さん」と呼ばれ親しまれている。おのころ神社が小高い山の上にあり、天地創造の神であるイザナギ、イザナミの二神を祀っている。この山全体が「おのころさん」と呼ばれる神体山である。
☆自動車
 神戸方面より/神戸淡路鳴門自動車道の「西淡三原IC」で一般道に降り、道31号を「賀集八幡」を経由して県道76号を「阿万」に進み、土生(はぶ)港まで。
 鳴門方面より/神戸淡路鳴門自動車道の「淡路島南IC」で一般道に降り、県道25号を「福良」経由で「賀集八幡」まで進み、土生(はぶ)港まで。
☆定期船
 土生港(兵庫県南あわじ市灘土生 1-10)から沼島汽船(株)に乗船し約10分で沼島港に着く。 上立神岩のビューポイントまで約1.5km。定期船は、1日に10便程度ある。
 他にも和歌山の友ケ島や、兵庫の家島諸島などをオノコロ島と見なす説もある。
 考古学会の重鎮、古田武彦氏が、著書「盗まれた神話」の中で次のように記している。
 「実は玄界灘の島々の中に小呂島と能古島というのがあり、これは古事記の中のオノコロ島とよく符合する」。

【日本神話/国土、諸神創生譚その2、ギミ両神の交合(まぐわい)譚】
 「日本神話その2の国土、諸神創生譚」のその2は、イザナギの命とイザナミの命の馴れ初めから交ぐわいへと続く。これを仮に「日本神話その2の国土、諸神創生譚のその2、イザナギの命とイザナミの命の交合(まぐわい)譚」と命名する。
 「イザナギとイザナミは双方を見比べ云った。
イザナギ  「イザナミよ、そなたの体はどうなっている?」。
イザナミ  「私の体は、成り成りて成り合わざるところが一つところございます」。
イザナギ  「私には成り成りて成り余れるところが一つところある」。
 「私の成り余れるところを、あなたの成り合わざるところを挿しふさぐようするのに按配良くできているように思うが、そなたはどう思う」。
イザナミ  「私も同じ思いです」。
イザナギ  「ならばそうしよう。そなたは天の柱を右から回り、私は左から回り、めぐり逢ったところで交わろう」。

 二人の命は、大きな柱の周りを回り出会った時、次のように掛け合いした。

イザナミ  「あなにやし、えおとこ」(あぁなんて素敵なお方なのでせう)。
イザナギ  「あなにやし、えおとめ」(あぁなんて可愛らしい姫なんだろう)。

 この後二人は結ばれた。日本書紀には、「陰神先ず喜び言を発ぐ」とある。最初は骨のないヒル子が生まれたので葦舟に乗せて流した。次に生まれた子供も形が定まらず、その子供の名は淡島と名づけられた。

 二神は相談して高天原に戻り、神々に伺ったところ、天の神々は占いをして、「女性が先に言葉をかけたのがよくない。イザナギが最初に声をかけよ。もう一度やり直すがよい」とのことであった。二人はオノゴロ島に戻り、同じように天の柱をまわり、今度はイザナギから先に声を掛けた。
イザナギ  「そなたはなんて可愛らしい姫なんだろう」。
イザナミ  「あなたはなんて素敵なお方なんでせう」。

 この後二人は再度結ばれた」。

【日本神話/国土、諸神創生譚その3、ギミ両神による国土形成譚】
 「日本神話その2の国土、諸神創生譚その3」として、イザナギの命とイザナミの命の交ぐわいによる国土形成譚が次のように記されている。これにより原日本の国域が明らかにされる。
 「三度目の夫唱婦随で交わり生みだされたのが古事記では、(イザナギ・イザナミの国生みはさらに続き、還り坐しし時、)
アワジノホノサワケの島 (淡道之穂之狭別島、淡路島)
イヨノフタナの島 (伊予之二名島、伊予四国)この島は、身一つにして面四つあり、顔ごとに名があって、エ姫(愛比売、伊予愛媛)、イイヨリヒコ(飯依比古、讃岐香川)、オオゲツ姫(大宜都比売、阿波()徳島)、タケヨリワケ(建依別、土佐高知)の四国よりなる。
オキノミツゴの島 (隠伎之三子島、隠岐島)
ツクシの島 (筑紫島、九州)。この島も身一つで面が四つあり、顔ごとに名が有り、筑紫の国、豊の国、肥の国、熊襲の国。
イキ島 (伊岐(壱岐)島)
ツ島 (津島(対馬))
サド島 (佐渡が島)
オホヤマトトヨカキヅ島 最後に最も大きな島の(大倭豊秋津島、本州)が生まれた。これらの島は大八島(州)国と呼ばれた。これが日本名の古名である。

 (本居宣長)いったんオノゴロ島に戻ってきてから、次に以下の島々を生んだ。
キビの児島 (吉備児島、岡山県児島半島、またの名を建日方別(たけひがたわけ)という)
アズキ島 (小豆島、香川県小豆島、またの名を大野手比売(おおのでひめ)という)
大島 (またの名を大多麻流別(おおたまるわけ)という)
オミナ島 (女島、大分県国東半島沖の姫島、またの名を天一根(あまのひとつね)という)
チカの島 (知訶島、長崎県五島列島、またの名を天之忍男(あまのおしお)という)
フタゴの島 (両児島。五島列島南の男島・女島、またの名を天両屋(あめふたや)という)
 日本書紀は、古事記の記述を訂正し、国生みの順序を変えている。日本書紀によると、淡路島、大日本豊秋津洲、伊予二名洲、筑紫洲、億岐洲、佐度洲、越洲、大洲、吉備の子洲を生んで、「是に由りて、始めて大八洲国の号(な)起れり」と記している。
 異説として、大島は高松沖の男木島の近くにある。女木島もある。高松沖の男木島(=オノゴロ島)を中心に時計周りに吉備児島、小豆島、(大島と小島が引っ付き)大島、男木島と対の女島(女木島)、児島のすぐ近くの知訶島(直島)の五島が居て、両児島は吉備児島の北隣にある。女木島は二字になる前は女島だった。知訶島は ”ちかのしま”の”ちか”がとれて”のしま”になって”なおしま”(=直島)。
(私論.私見)
 日本書紀では出生の順序が異なるが、イザナギの命とイザナミの命の男女二神による国土形成譚であることが興味深い。特に、四国への言及が重視されていることが注目される。天の浮き橋、オノゴロ島、大八島(州)国の比定にも関心をそそられる。既に見てきているように、ここまでの神話は出雲王朝系のものであり、とすれば出雲王朝系国土形成譚として窺う必要がある。出雲王朝の支配圏域を記したものと理解することができよう。

【日本神話/国土、諸神創生譚その4、ギミ両神による諸神生成譚】
 「日本神話その2の国土、諸神創生譚その4」として、イザナギの命とイザナミの命の両神による諸神生成譚が次のように記されている。
 「次に、多くの神々が生まれた(国を生み終えたイザナキとイザナミは次に神々を生んだ)。ハヤアキヅ彦神とハヤアキヅ姫神を生み、この神がさらに八神を生んだ。石の神、家(土)の神、海の神、水の神。次に、風の神、木の神、山の神、野の神を生んだ。山の神、オホヤマヅミの神と野の神、ノヅチの神はさらに八神を生んだ。次に、トリノイハクス船神、次にオホゲツ姫(穀物)神を生んだ。
 ハヤアキヅ彦神/速秋津日子神。
 ハヤアキヅ日子神/速秋津比賣神。
 オホヤマヅミの神/大山津見神。
 ノヅチの神=野椎神。
 トリノイハクス船神/鳥之石楠船神。
 オホゲツ姫神/大宜都比賣神。
 ヒノカグツチの神/火之迦具土神。
 カナヤマ彦神/金山毘古神。
 カナヤマビメの神/金山毘賣神。
 ハニヤス彦神/波邇夜須毘古神。
 ハニヤス姫神/波邇夜須毘賣神。
 ミツハノメの神/彌都波能賣神。
 ワクムス日神/和久産巣日神。
 トヨウケ姫神/豊宇氣毘賣神。
(私論.私見)
 国土形成譚の次に諸神生成譚が記されている。ハヤアキヅ彦神とハヤアキヅ姫神、その他風の神、木の神、山の神、野の神、オホヤマヅミの神、ノヅチの神、トリノイハクス船神、オホゲツ姫神、火の神ヒノカグツチの神が生みだされたと云う。これが、いわゆる八百万の神々信仰の基礎になり、日本神話の原基となっている。

 三輪明神末社・貴船神社(きふねじんじゃ)は山の辺(へ)の道を北へ、狭井川を過ぎた右手に鎮座している。祭神は淤加美神(おかみのかみ)、オカミとは古く「水を司る龍」を意味し水神でもある。記紀では伊邪那岐命が火の神である加具土命(かぐつち)を斬ったときに、剣の柄についた血から闇淤加美神(くらおかみ)・高淤加美神(たかおかみ)が生成したと記されている。




(私論.私見)