れんだいこ撰日本神話譚その1、天地創造譚

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).2.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、れんだいこ撰の大人向け日本神話を書き著すことにする。日本神話の面白さ、他の国々の神話と比較して見た場合の特質を確認しておくことにする。但し、これを記紀神話のみに依拠して綴るのは片手落ちの気がしてならない。そこで、いわゆる古史古伝の各書の記述をも踏まえながら、れんだいこ眼力による日本神話譚を書きあげることにする。ここに本書のユニークさがある。爾来、誰も為さなかった日本神話考であろう。れんだいこが思うに、日本神話には現代世界の精神の逼塞、地球環境汚染の危機から脱する叡智が秘められているのではなかろうか。そういう辺りを探っていただければ本望である。

 戦後65年になる2010年現在の政治、経済、文化の徴候として「日本人のアイデンティティの喪失」が激しい。それも時代の単なる変化によってもたらされたのではなく、先の戦争の敗戦後遺症とも云うべき事象ではなかろうか。れんだいこはそう思うようになった。気にかかることを調べるうちに、ますますそう確信した。そこで、「日本人のアイデンティティ」を求める旅に出、見聞したことを広めることにした。その手始めとして、れんだいこ撰による日本神話譚を披歴することにする。知られているようで知られていない。仮に知られていても、戦前の皇国史観に添う奇形にされた神話譚でしかない。そこで、本来の日本神話譚を探し求めることにした。やがてこれが書籍化され、日本全国の茶の間か書籍棚に納められることを願う。

 2013年現在、れんだいこは、「原日本新日本論」を獲得している。これによると、原日本が先行する出雲王朝御世、新日本が神武東征譚を経て建国される大和王朝御世となり、ここに歴史を画する政権交代があったとみなしている。記紀には、この過程を隠蔽する歴史詐術が凝らされており、これを見抜いて真相を記しなおさねばならないと云う課題が突きつけられている。この観点から日本神話譚を焼き直してみたいと思う。

 以下、れんだいこ式日本神話をサイトアップしていくことにする。古事記をベースに据え、日本書紀、風土記その他各文献の記述と齟齬する場合にはれんだいこが任意に判断し、より史実性の高いと思われる記述の方を採用しひと綴りにした。古事記に記述なく日本書紀、風土記その他各文献に記されているもので必要と思われたものは取り入れた。れんだいこ日本神話はこのようにして出来上がっている。

 日本神話構図1は「天地開闢、造化譚」である。留意すべきは、ユダヤ-キリスト教的な天地創造譚ではないことであろう。それはともかく、「天地開闢、造化譚」は、1・造化三神譚、2・五柱譚、3・神世七代譚からなる。次に、日本神話構図2は「イザナギ・イザナミ譚による国土形成、諸神誕生譚」(以下「イザナギ・イザナミ譚」と略す)である。「イザナギ・イザナミ譚」は、1・両神の馴れ初め、2・交ぐわいによる国土形成、3・自然諸神の誕生、4・イザナミの死譚、5・黄泉の国譚から構成されている。以下、これを検証する。

 2010.08.12日、2013.12.09書き直し れんだいこ拝


【日本神話その1の天地創造譚(元始まり譚)のその1、造化三神譚】
 古事記上巻の冒頭、天地開闢の際、高天原に三柱の神(造化の三神という)が、いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別がない神)として成って、そのまま身を隠したと記している。日本神話は、この世の成り立ちから説き始められている。これが、とってつけられたような絵空事の話なのか、深い叡智が秘められているのか、それは各自が任意に窺えば良い。これを「日本神話その1、天地創造譚」とする。その1として「造化三神譚」が記されている。日本神話はここから始まる。次のように記されている。これを仮に「日本神話その1の天地創造譚その1、造化三神譚」 とする。
 「天地が初めてできたとき、高天原(タカマガハラ)に天の御中主の神(アマノミナカヌシの神)、次に高御産巣日神(タカミムスヒの神)、次に神産巣日神(カミムスヒの神)の三柱が成った。これを造化の三神と云う。この神は独神にしてやがて身を隠した」。
 天之御中主=。高ミムスヒの神=(古事記)高御産巣日神、(日本書紀)高皇産霊神、高木神。神ムスヒの神=(古事記)神産巣日神、(日本書紀)神皇産霊神。
  造化三神のそれぞれの働きの別は特段には記されていない。一説に、天之御中主神が 至高の神、高御産巣日神が征服や統治の神、神産巣日神が 生産の神とされている。
(私論.私見) 
 日本神話譚は高天原伝説から始まる。この高天原がどこにあったのか解明されていない。この高天原が天孫系の高天原なのか国津神系の高天原なのか定かではない。一般には天孫系の高天原と考えられており、故郷が各地に比定されている。私説は、必ずしもそうではないと考えている。国津神系の高天原譚が天孫系の高天原譚に置き換えられて説かれている節が垣間見える。つまり高天原の比定は難しいと云うことになる。

 その高天原の大本神として、天のミナカヌシの神、高ミムスヒの神、神ムスヒの神の「三神(柱)が成った」としている。これを「造化の三神」と云う。何気ない記述であるが、ユダヤ―キリスト教界のエホバ神一神教と比較して見るに、端から三神(柱)を想定しているところに特質がある。これを窺うに、天地創造神が絶対神ではなく三神の相対神であること、一神ではなく多神であることが注目される。且つ、後の記述を含め総合的に判明させると、天のミナカヌシの神が高天原王朝よりも古い王朝の神としてもっとも古く、次に高天原王朝系の高ミムスヒの神、出雲王朝系の神ムスヒの神の三神が高天原の大本神として並立していることになる。且つ、天のミナカヌシの神が高天原王朝の神と出雲王朝の神を両翼にして真ん中に立つ中心神ないしは統合神として崇められていることになる。日本の成り立ち順ないしは成りたちの形を寓意しているのではなかろうかと思われる。

 これを証するかのように、古史古伝の一書である秀真伝(ホツマツタエ)が、古事記の記述とは一味違う創世神話を記している。これを転載しておく。秀真伝(ホツマツタエ)では、アメノミヲヤの神が登場し、次のように記されている。
 「アメノミヲヤの神だけが存在し、まだ天地も人も分かれていなかった時、アメノミヲヤの神の初の一息が生じ、それは東から登り西に下って、円を描き空に廻っていた。やがてその中に、天地に届く天の御柱が生じ、アワとウビが分かれ出た。アワは天となり、ウビは地となり、地から水と埴(はに)分かれ、空の天からは風ができ、風は火を生んだ。これにより、陽性の空、風、火と、陰性の水、埴で五元素が完成した。この空、風、火、水、埴が互いに交わって人体(かみ)となった。この人体をアメノミナカ主の神と云う」。

 秀真伝(ホツマツタエ)によれば、アメノミヲヤの神が宇宙的始原神であり、人体としてのアメノミナカ主の神を生むと云う説話になっている。ちなみに、アメノミヲヤの神につき、「先代旧事本紀」の巻第一の神代本紀では、天地開闢の「天祖」(アマツミオヤ)として「天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊」(アメユズルヒアマノサギリ国ユズルヒ国ノサギリの尊)を登場させている。「先代旧事本紀大成経」では、「生無始天神」(マシマスコトナキハジメノアマツカミ)の「天祖」として「天譲日、天先霧、地譲月、地先霧皇尊」、竹内文書では「モトフミクライヌシノ大神」としている。してみれば、記紀の「造化三神譚」の分別が逆に詮索されねばならないことになろう。

 思うに、記紀神話初頭の造化三神譚は、後の神武天皇東征譚から始まる大和王朝建国譚とは系譜的に接続していない。これを逆に言えば、既に出雲王朝御代に形成されていた元始まり神話譚を、神武天皇東征譚から始まる大和王朝建国譚に抵触しないよう改竄しているのではなかろうか。それが、天のミナカヌシの神、高ミムスヒの神、神ムスヒの神の「三神(柱)譚」であり、この内の高ミムスヒの神が遠祖となるように細工されていると思われる。これによれば、神ムスヒの神が出雲王朝系の遠祖となり、天のミナカヌシの神を挟んで二者鼎立の体裁となっている。元始まりより後の神武天皇に繋がる神ムスヒの神が居たと云う細工をしていると窺う。ちなみに「この神は独神にしてやがて身を隠した」とは、大和王朝側からすると、この神話が出雲王朝御代の神話であり大和王朝に接続していないことを筆法していると窺う。
 「神々の系図一覧」を参照すると、サムハラ神社の造化三神である天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神を総称してサムハラの大神と呼称し、無傷無病、延命長寿の神であると伝えている。初代/天御中主神、二代/高御産巣日神、三代/神産巣日神で、天照大御神は55代目となっている。日本神道の奥深さを感じさせる神話となっている。縄文人、縄文時代は、1万5000年前から2000年前まで続いたとされている。「カタカムナ」は、サムハラ神社の造化三神をたたえている。

 アインシュタインは、戦前に日本を訪問して40日間滞在している。彼は、日本の文化に共感を持って次のようにつぶやいている。 「世界の文化はアジアから始まりアジアにかえる。私は、このように解釈しています。聖書の教えでの社会つくりはいずれ破壊をもたらす。世界の文化は日本列島から始まり日本列島にかえる」。

【日本神話その1の天地創造譚譚(元始まり譚)のその2、五柱譚】
 続いて「五柱譚」に向かっている。これを「日本神話天地創造譚その2、五柱譚」とする。次のように記されている。
 「その昔、日本の元になる国土は泥海であった。海には、水に浮いた油のようなものがくらげのようにゆらゆらと漂っていた。葦牙の如く芽が萌え伸びて、ウマシアシカビヒコヂの神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)、天のトコタチの神(天之常立神)の二柱が成った。この二柱の神もまた独神として身を隠した。以上の五柱神が天津神の中でも特別の神である」。これら五柱の神を天津神の中でも特別な存在として「別天津神」とも呼ぶ。
 ウマシアシカビヒコヂの神=宇摩志阿斯訶備比古遲神。天のトコタチの神=天之常立神。
(私論.私見) 
 「造化の三神」の次に国土の話になり、それが「泥海」であり、その中にウマシアシカビヒコヂの神、天のトコタチの神の二柱が居たとされている。このニ柱の意味は不明である。恐らく、ウマシアシカビヒコヂの神は、高天原王朝と出雲王朝以外の有力部族が敬う最高神ではなかろうか。天のトコタチの神とは、次に記される国のトコタチの神に対する優先位の意味で持ち込まれているのではなかろうかと思われる。そう考えれば辻褄が合う。以上の五柱神が天津神の中でも特別の両性具有という意味での独身神となると云う。ここでも独身神としている意味は、造化三神譚と同じく出雲王朝御代の神話であり大和王朝に列なっていないという裏意味ではなかろうか。

【日本神話その1の天地創造譚譚(元始まり譚)のその3、神世七代神譚】
 「日本神話の天地創造譚その3」として「神代七代神譚」が次のように記されている。
 「次に現れた神の名は、国のトコタチの神、次に豊クモの神。この二柱の神も又独神にして、身を隠しき。次にウヒヂコの神、妹(いも)スヒヂコの神の一対。次にツノグの神、妹イクグヒ神の一対。次にオホトノヂの神、妹オホトノベの神の一対。次にオモダルの神、妹アヤカシコネの神の一対。次にイザナキの神、妹イザナミの神の一対。国のトコタチの神からイザナミの神までを合わせて神世七代という。国のトコタチの神と豊クモの神がそれぞれ一代、次に並び出た十柱の神々は二柱の神を対で一代とするので、合わせて七代ということになる」。
 国のトコタチの神=國之常立神。トヨクモの神=豊雲野神。ウヒヂコの神=宇比地邇神。イモスヒヂコの神=妹須比智邇神。ツノグの神=角杙神。イモイクグヒ神=妹活杙神。オホトノヂの神=意富斗能地神。イモオホトノベの神=妹大斗乃辨神。オモダルの神=於母陀流神。イモアヤカシコネの神=妹阿夜訶志古泥神。イザナキの神=伊邪那岐神。イモイザナミの神=妹伊邪那美神。
(私論.私見)
 次に、国のトコタチの神からイザナミの神までが挙げられ、神世七代としている。国のトコタチの神、トヨクモの神以降の神は男女のそれぞれの理合いを持つ性別神である。この記述を、各種古史古伝の記述と比較すれば更に興味深いと思われる。なお、「造化三神、五柱神と神世七代神による天地創造譚」は、中国の聖数「三、五、七」で整理していることになる。ここも又独身神の御世とされている。これは、造化三神譚、五柱譚と同じく出雲王朝御代の神話であり大和王朝に列なっていないという裏意味ではなかろうか。

 「日本神話その1の天地創造譚譚(元始まり譚)」は、かく3編より成る。





(私論.私見)