戸隠神社考 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).7.21日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「戸隠神社考」をものしておく。 2019(平成31→5.1栄和改元).6.22日 れんだいこ拝 |
【戸隠神社】 |
長野県にある「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山。比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と云われた。大鳥居から奥社までの道のりは約2km。随神門や樹齢400年の杉並木などがあり霊気を養っている。
|
戸隠神社 火之御子社
天細女命を祀る戸隠山の神様が神仏習合の時代でも、他の4社と異なり、当社は一貫して神社として終始。御祭神は、舞楽芸能の神、縁結の神、火防の神として尊崇されている。 戸隠神社は、戸隠山周辺に鎮座する五社 (奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社)の総称。 |
「善光寺→湯福神社→頼朝山→静松寺→桜」。 善光寺から戸隠神社奥社までの参拝道=戸隠古道をゆく1泊2日の旅。善光寺公認案内人で戸隠登山ガイド組合にも所属する秦孝之さんと一緒に巡ります。「一生に一度は善光寺参り」といわれる『善光寺』本堂前から出発。善光寺の名は本田善光(よしみつ)が由来とされています。「善光寺縁起」によると、飛鳥時代、難波の堀江に捨てられていた阿弥陀如来像(後の善光寺御本尊)を本田善光が持ち帰り安置。その霊徳が広まり寺院の建立に至ったとのこと。参拝後、本堂から北西へ進み、境内を出てすぐの“左とかくしみち かるかやみち”と記された道標に沿って湯福(ゆぶく)神社へ向かいます。湯福神社は善光寺の守護神である善光寺七社の一つ。拝殿近くには本田善光をまつるやしろがあり、関係の深さを知ることができます。境内を囲むケヤキのうち樹齢700~900年の巨木3本は長野市の指定記念物。茂る葉の間から差し込む陽光の下、深呼吸して鳥居を出ると“左かるかや道 戸隠へ通りぬけ道あり”との道標が。歩みを進めます。 往生寺沿いの閑静な住宅街を歩き、右に行くと七曲り道路に通じる分岐を直進。西長野諏訪神社を過ぎると、徐々に深緑が増します。湧水の瓜割清水(うりわりしみず)が見えてきました。善光寺七清水の一つにも数えられ「瓜が割れるほど水が冷たい」ことが由来と、ガイドの秦さんが教えてくれました。一息ついたら源頼朝が寄進したと伝わる頼朝山に入山。静松寺(じょうしょうじ)を目指します。頼朝山の入口から静松寺まで、西国三十三ヶ所にまつられる観音様の石仏が並びます。現在33体すべてはそろっていませんが昔、広域の巡礼が難しい場合でも、この石仏群を参拝することで極楽往生を願っていたのかもしれません。観音様に手を合わせながら、ゆっくりと登っていきます。15分ほど歩くと視界が開け、分岐に出ます。道標に従い静松寺方面へ。景色が鬱蒼としてきました。 隠滝不動尊→一之鳥居苑地→宿坊 空腹が満たされたところで、再び歩き始めます。田畑が広がる光景に懐かしさを感じながら、しばらく行くと赤いのぼり旗が並んでいます。たどった先には隠滝不動尊(かくれだきふどうそん)。さらに石造の不動明王の後方に続く階段を下ると、轟音とともに隠滝が現れました。落差45mの飯縄山からの伏流水。光を存分に浴びた神々しい輝きを放つ姿に畏敬の念すら抱きます。いよいよ本日の最終行程です。ここからは約4㎞の上りが続きます。達橋沢沿いからしばらく薄暗い林道を進み、ふと寂しさと足の疲労を感じたとき、カラマツの間から光が差し込みました。そして1日目のゴール、一之鳥居苑地(いちのとりいえんち)に到着です。 一之鳥居→宝光社→火之御子社 朝食のそばがゆで優しく身体を活性化し、準備を整えたら2日目の行程へ。路線バスに乗って一之鳥居苑地まで戻り、道路と並行する古道を歩きます。5分ほどで一之鳥居と書かれた石柱が見えてきます。1985年(昭和60年)まで、戸隠神領の入口として“第一の鳥居”が建っていた場所。この先、木々に囲まれた緑のトンネルが続きます。ふかふかの土道に木漏れ日が差し込む気持ちの良い道。『戸隠古道』の“陽”を感じる道です。天気の良い日には北アルプスが見える展望苑を経由し、戸隠神社宝光社へ。戸隠神社は宝光社、火之御子社(ひのみこしゃ)、中社、九頭龍社、奥社の5社からなり「天岩戸開き神話(あめのいわとびらきしんわ)」ゆかりの神々が中心にまつられています。宝光社の御祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)。学問や技芸のほか、女性の健康にご利益があるといわれています。明治時代の神仏分離以前、戸隠神社は戸隠山顕光寺というお寺でした。宝光社の社殿にはその風情が色濃く残り、奥行きのある造りは善光寺をほうふつとさせます。麒麟や龍、獅子などの彫刻も見事。本院(現在の奥社)から御正体(みしょうたい・御神体とも)が飛んできて、それを安置するために建てられたとの言い伝えもあります。古道は社殿向かって右に続きます。宝光社から中社までの古道は神道(かんみち)と呼ばれ、中間付近に伏拝所(ふしおがみしょ)があります。女人禁制の時代、女性やお年寄りはここから戸隠山を拝んでいました。宝光社の由縁と伝わる御正体が飛んできたところともいわれています。舞楽や芸能の神様・天鈿女命(あめのうずめのみこと)がまつられている火之御子社にも参拝して、ブナ林を通り住宅街を抜けたら、お昼の時間です。 2日目のお昼は、戸隠神社中社近くのそば店『しなの屋』で。創業およそ55年。趣のある店構えはどこかなつかしく温かい雰囲気。お通しにそば団子が供されます。店で受け継がれるコク深い味つけがくせになると評判。挽きぐるみのそば粉を使った香り高いそばを、濃厚なつゆにつけていただきます。10月中旬ごろ、自家栽培の秋の新そばが提供開始。 中社→奥社 店を出てすぐ、戸隠神社中社の大鳥居が見えてきます。中社の御祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)。宝光社の御祭神の父神です。大鳥居を中心にして正三角形に三本の杉が立っています。人魚の肉を食べ死んでしまった3人の子どもを弔うため植えられたという伝説を、ガイドの秦さんが話してくれました。この他にも中社から奥社の入口まで、道中には興味深い伝承の旧跡が点在。立ち止まってはまた歩くを繰り返していると、林の間からそびえ立つ戸隠連峰の姿が見えてきました。もうすぐ戸隠神社の御本社・奥社の入口です。奥社のお社に向かって一直線に延びる参道は、片道2km。一礼して大鳥居をくぐると、肌で感じる凛とした空気。左側に雨降りにご利益のある池の主をまつった一龕龍王祠(いっかんりゅうおうし)があり、参道の両脇には小さな沢が穏やかに流れています。参道の中間地点には狛犬の後ろで待ち構える朱塗りの随神門(ずいじんもん)。かやぶきの屋根から緑草が生える様子に安堵感を覚えます。随神門を抜けると、樹齢420年を超える杉の巨木が立ち並ぶ圧倒的な景色が広がり、思わず立ち尽くします。緊張しながら歩みを進めると、勾配がだんだんと急に。息を切らしながら階段を上っていきます。手水舎と狛犬が見えてきたら、あと少し。奥社本殿近くの九頭龍社にお参りして、最後の階段を一歩一歩踏みしめます。 1泊2日の旅を終えて 「1泊2日の戸隠古道をゆく旅」、いかがでしたか。日ごろ足を踏み入れることがない“いにしえの山道”をガイドさんと共に旅をする。少しだけ修験者の信仰心を感じることができたかもしれません。25kmという行程は、さまざまな出会い・体験の連続。登山経験はある筆者ですが、今回の旅はそれとは異なるものでした。出発地点の善光寺境内。身につけた衣装のせいか、背筋が一直線に伸び、この先の道行きへの緊張と同時にパワーをもらえた気がします。深い緑色の世界となった森の深部を抜け、急峻な階段を下り目の前に現れた美しい滝と対面したとき。体の中までシャワーを浴びたようなすがすがしさに包まれました。宿坊での一夜。美食を頂き凛とした時間の流れに身を休め、迎えた翌日の朝。自分が少しだけ新しいジブンになった……ちょっと大げさですね。旅の終点=戸隠神社奥社まで最後2kmの参道に敷かれた石や土を踏み、左右に鎮座する杉並木をゆっくり歩む。昨日の行程で感じ得ることができた気付き。そして自分の日常を振り返ることができました。奥社と正対して手を合わせ、まずは旅の無事へのお礼を伝えました。それから……いくつか願い事を、と。けれどなぜか見つけることができません。ガイドの秦さんから「そろそろ戻りましょう」と声がかかったとき。ふっ、と言葉がこぼれました。……「ありがとうございました」……了 |
【戸隠しそば】 |
(私論.私見)