出雲王朝御世の言語及び文字考 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).1.30日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「出雲王朝御世の言語及び文字考」をものしておく。 2013.06.27日 れんだいこ拝 |
【出雲王朝御世の言語及び文字考その1】 | |
ここで、出雲王朝御世の言語及び文字について確認する。通説では、漢字渡来前の日本には文字がなかったとされている。それが証拠に古事記、日本書紀、万葉集は万葉仮名と云われる漢字で記されている。「日本に固有の文字があったとするなら、その文字で記された古事記、日本書紀、万葉集が存在すべきであろうが得体のしれない古史古伝にしか記されていない。古史古伝に記された古代文字は証拠にならない」云々と主張されている。これは本当だろうか。れんだいこは、出雲王朝御世の文字の存在を肯定する立場から以下論証する。 古事記、日本書紀、万葉集は元々古代文字で記されていたものを、漢字渡来により万葉仮名と云われる漢字表記にしたものではないのか。これを証するのは、古事記序文の次のような語りである。673年、天武帝は次のような詔(みことのり)を発し、古事記の編纂が開始された。
この言に従う限り、古代文字か万葉仮名のいずれで記されていたのかどうか別にして、古事記に先立つ「我が国の歴史書」があったとする見立をせねばなるまい。そういう意味で、この古事記序文の記述は非常に重要である。 話しが一足飛びに飛ぶが、れんだいこ史観による大和王朝前の原日本の政体として位置づけられる出雲王朝、邪馬台国御世の言語及び文字はどのようなものだったのだろうか。考えられるのは、古史古伝の中でも突出して値打ちが認められるホツマ伝えに記されている秀真(ホツマ)文字であろう。秀真(ホツマ)文字とは、1音1字の図象哲理文字で、母音要素と子音要素の組み合わせで成り立っている。現在の「あいうえお」の原点となる48文字の基本文字があり、変体文字を含めると197文字が確認されている。アワ歌が原形で、アからワで終わる。より詳しくは、以下のサイトで確認すればよい。 「ホツマ伝え考」 (kodaishi/jyokodaico/ hotumatutaeco/hotumatutaecowhat.htm) 原日本時代の文字を仮に古代文字と定義することにすると、古代文字は概略、図象文字であったと思われる。この図象はそれぞれのお国毎に異なっており、秀真(ホツマ)文字以外にも様々なものがある。恐らく、そういう様々な文字の社会淘汰が行われ、最終的に確立されていったのが秀真(ホツマ)文字なのではなかろうかと推測する。その秀真(ホツマ)文字はカタカムナ文字と通底している。カタカムナ文字が本当に存在したのかどうか分からないが図象哲理文字の極致とも云うべき文字スタイルになっている。これは以下のサイトで確認できる。 「カタカムナ文字考」 (gengogakuin/ mojikakutokuhico/katakamunagoco/top.htm) とにかく、このようにして古代日本語と古代日本文字が獲得されていた。そう窺うべきである。興味深いことは、「48音、48図象文字」の組み合わせで構築される原日本時代の言語と文字は、「48音、48図象文字」の発生に関わるリズムに則り和歌体で表現されるのを正式としていたようである。それ故に、ホツマ伝えは「五、七調」、「五、七、七調」で表記されている。これより発していると思われるが、五、七、五、七、七の31文字よりなる和歌が生み出されている。この31文字、古代太陰暦の1ヶ月の日数を意味している。してみれば、和歌は日本語の根底から汲み出される日本語の生命そのものと云えるのではなかろうか。それ故にと思われるが、西欧文明に悪しく汚染される以前の日本に於いては、和歌の嗜みこそ知識人の証しであった。そういう伝統に根ざす日本語が常用されていた。 古代文字はその後、中国文明の漢字に直面して大幅な変革を遂げた。驚くべきことに何と、「48音」は捨てず、「48図象文字」を捨て、その代わりに漢字を宛(あて)がうという芸当を見せた。これが万葉仮名と云われるものである。その万葉仮名も万葉集の宛がい漢字、古事記の宛がい漢字、日本書紀の宛がい漢字が異なる。当初は、音訳比定で古代日本語の音に最も的確に似た漢字を宛がっていたと思われるが、次第に漢字の象形、字義に通じるようになり、古代日本語の音と意味に最も的確に似た漢字を宛がうように変遷していくことになる。これが万葉仮名の史的変遷行程であろうと思われる。 更に驚くべきは、日本語は、その万葉仮名時代に終わりを告げるかのように平仮名、カタカナを生み出し、漢字との混交文を生み出していく。注目すべきは、平仮名、カタカナが漢字を崩して生まれたとするのは俗説で、大部分は古代日本文字の図象哲理文字の崩し文字として生まれていることである。かく了解すべきである。故に、漢字の崩し文字としての平仮名、カタカナ考よりも古代日本文字の崩し文字としてのそれを検証した方が賢明と云うことになる。 日本語に於ける平仮名、カタカナの発明につき、毛沢東が次のように述べている。時は1972(昭和47).9.27日、日中国交回復交渉時の毛沢東&田中角栄の日中最高首脳部会談の一幕である。この時、毛沢東は、「いろは、アイウエオ。平仮名とカタカナを創り出した日本民族は偉大な民族です。今日本語の勉強をしています。日本に留学したいと思っているのですよ」と述べている。これに対し、大平外相が、「では、私たちはどうやってあなたの世話をしたらいいのですか。難しいですよ。やはり他の国に留学してください」と茶化し、毛主席曰く、「大平先生は友好的でないですね」と応えた云々。会談時の友好ムードが伝わる逸話であるが、れんだいこは、「いろは、アイウエオ。平仮名とカタカナを創り出した日本民族は偉大な民族です」の言に注目している。毛主席ならではのさすがの慧眼の言ではなかろうかと思っている。 もとへ。日本語は独り日本のみならず人類が生み出したスーパー功労賞もの言語なのではなかろうか。国際公用語として英語、仏語、ドイツ語が隆盛するのは構わない。だがしかし、日本語もまた第二国際公用語として使われていくべきではなかろうか。それに値する世界最高傑作芸術の言語足り得ていると思っている。その言語の「元一日」が出雲王朝の御世に於いて獲得されていたものであることを確認すれば、出雲王朝の御世の素晴らしさが分かろう。 皇国史観が何故に排斥されねばならないのか。それは、日本上古代史、古代史を余りにも扁平に捉えた史観に過ぎないからである。戦後日本は本来は、皇国史観に汚染されない日本上古代史、古代史の扉を開けていくべきだった。ところが、反皇国史観が最優先され、その欧化主義優先解釈の下で、日本上古代史、古代史の扉の開門を閉ざして行くことになった。この流れが今日に至っている。今では日本上古代史、古代史のみならず日本史そのものを扁平にしか理解しない欧化主義化知識人で溢れている。そういう者がリードする政治が世界史上に悠久なる日本国體に資する政治をする訳がなかろう。こういう結論になる。 2013.6.27日 れんだいこ拝 |
【出雲王朝御世の言語及び文字考その2】 |
【出雲王朝御世の言語及び文字考その3】 |
(私論.私見)