9/23、秋分の日と秋の彼岸の中日(二)  〈スサノオとニギハヤヒの日本学・祭りと行事・信仰と習俗・民俗学・宗教学〉

 ◆◇◆秋分の日とお彼岸、日本のしきたり、
 http://www.nipponkodo.co.jp/special/ohigan/

 毎年、春分の日と秋分の日の事を民間では「お彼岸」(※注1)(※注2)といい、お墓詣りをして先祖の霊を供養したりします。今年(2002年)の秋分の日は九月二十三日ですが、民間行事のお彼岸ではこの日を「お彼岸の中日」といい、その前後一週間をお彼岸の期間として最初の日を「彼岸の入り」最後の日を「彼岸の明け」といいます(秋分の日をはさんで前三日、後三日、合計七日が彼岸)。

 「国民祝日に関する法律」によりますと、「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、「秋分の日」は「先祖をうやまい、亡き人をしのぶ」とあります。まさに仏教の精神そのものです。この日は、太陽が真東から昇り、真西に沈み、昼と夜の長さが同じになることから、仏教で説く中道も表しているという説もあります。またこの時期には、、旧暦八月酉の月の中気で、お彼岸の中日でもあります。真西に日が沈むこの日、西方に浄土があるという仏教の教えから、無欲吾道の対岸の域に一番近くなる日ということで、死者の冥福を祈り、仏供養、お萩(ぼたもち)、草餅、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りをする習慣があります。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)彼岸とはその名の通り「大きな川を挟んだ岸の向こう」という意味です。その向こう岸とは悟りの世界(仏の世界があり、私たち凡夫はこちらの岸・此岸にいると考えています)のことです。サンスクリットでは、パーラミター(波羅蜜多)といいます。様々な苦に悩む煩悩の世界(私たち凡夫はこちらの岸・此岸)に対する言葉ですが、日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができると考えられているため、既に彼岸の世界へ行った人達を供養するとともに、まだ辿りつけずにいる人達に早く向こうへ辿りつけるように祈るというのがこの彼岸の仏事の趣旨となります。お寺ではこの一週間法要を続けますし、住職が檀家を回って各家庭でも法事を行います。この時期に彼岸の法要を行うのは、太陽が阿弥陀如来のいる浄土の方角である真西に沈むためであるともいわれています。つまり阿弥陀浄土を感じるのに最適ですし、迷っている人にとっては太陽の方角が進むべき道ということになります。このように、現世と浄土との間に川があると云う比喩は、中国の唐の時代の善導(六一三~六八一)が『観経疏』散善義において「二河白道(にがびゃくどう)」の喩えによって絵解き的に述べたものが我が国にも伝わり、これが平安時代に浄土教の普及とともに広まっていったものであるとされています。

(※注2)戦前、我が国では、この彼岸会の日を春季皇霊祭、秋季皇霊祭と呼んで、皇室がその祖先を祀りました(太陽暦の導入に伴い、それまで宮中で行なっていた皇祖=天皇の祖先を祀る行事もすべて太陽暦に換算することとなりました。しかし、あまりに量が多いため、春季皇霊祭と秋季皇霊祭にまとめて行なうこととなります)。国民の祝日として、明治十一年(一八七七年)から昭和二十二年(一九四七年)年まで実施。今でも、宮中では春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行われ、神武天皇(じんむてんのう)をはじめ歴代天皇・皇族の御霊(みたま)がお祀りされます。

※参考KEYWORD〈スサノヲ・アマテラス・ツクヨミ・ニギハヤヒ・オオクニヌシ・スクナヒコナ・コトシロヌシ・イワレヒコ・ヤマトタケル・オオヤマツミ・オオワタツミ・イザナギ・イザナミ・カミムスビ・タカミムスビ・神武・崇神・応神・継体・天智・天武・持統・役小角・聖徳太子・安倍晴明・菅原道真・明智光秀・織田信長・・・徐福・卑弥呼・秦氏・賀茂氏・忌部氏・卜部氏・物部氏・蘇我氏・葛城氏・巨勢氏・藤原氏・・・日本の神々・日本の神話・日本の神社・日本の天皇・日本の祭り・日本の歳時記・縄文と弥生・日本の古代史・東アジアの古代史・中国の古代文明・人類文明史・古事記・日本書紀・風土記・万葉集・歴史学・考古学・民俗学・宗教学・説話と伝承・古典文学と古典芸能・神話と宗教・思想と哲学・文化と芸術・天皇と皇室・日本と日本人の基層学〉