出雲王朝御代の温泉湯治考

 更新日/2016.10.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「出雲王朝御代の温泉湯治考」をものしておく。

 2013.07.16日 れんだいこ拝


【オオナムヂとスクナヒコナの医薬&温泉湯治療法考】
 温泉の効能につき、次のように諭されている。「湯来・湯の山温泉 ゆき・ゆのやまおんせん」その他を参照する。
 「温泉は、病気に待ったをかける妙手である。温泉はリハビリなどの療法に積極的にとり入れられて効果をあげているが、療法にならない前の病気予防のための休養、保養に利用するのが一番賢い方法である。温泉には薬害もない、温泉地に来たというだけで転地解放感があり軽いストレスなら消える。病気になってから、あわてても遅い。"先手必勝"の一手である。温泉は手術や注射と違って即効的でなく、漢方薬的性質のものだから、やんわりじっくり時間をかけて生活リズムの中にとり入れたら素晴らしい。当人が気付いていない病気予防にかなりの効果がある・・・・・・と。山懐に抱かれた心休まる静かなたたずまい。この自然と清流、それに澄んだ空気がうまいと感じる温泉である。神経痛やリウマチ、神経マヒ、自律神経の過敏症に効果がある。打たせ湯が自慢でマッサ-ジにかかるより効果があると療養、保養をかねた、働き盛りの中年の人達で賑わっている」。
 「温泉湯治療法としての薬湯」(以下「温泉薬湯」と記す)は元々出雲王朝系のお手のもので、酒や和方薬処方同様に少彦名(スクナヒコナ)の命の登場以前のかなり古くからあったと思われる。少彦名の命の値打ちは、その伝統を正しく継承し、更にこれに磨きをかけたところに認められる。これにより少彦名の命は大国主の命と共に各地に湯治場(とうじば)を設営して行った形跡が認められる。且つ入浴文化とでも云うべき型を創った。温泉そのものは世界にあろうが、「裸の付き合い」を前提とする日本式入浴の型ほど洗練されたものはない。そういう意味で、大国主の命と少彦名の命は医薬術に長けており、共に温泉の祖となっている。

 「温泉薬湯」は、薬草学と共に中国漢方、西欧医学に対する日本和方として注目されるべき水準のものであり、この辺りの研究をもっと精緻にせねばならない。現代医学の見地から見ても、「風邪、冷え、ストレスが万病の元」とすれば、「温泉薬湯は万病の薬」の位置づけを獲得している。
 日本各地の温泉に関する神社には大国主命と少彦名命の二神を柱として祭祀しているところが幾つかある。全国各地に逸話が残されており、これを確認する。少彦名命と大国主の命、あるいはそのどちらかが開いた有名温泉地(それ以前に存在していた古湯も含む)として、出雲(島根県)の玉造温泉、美作(岡山)の奥津温泉、豊後(大分県)の別府温泉、筑紫(長崎県)の雲仙温泉、伊予(愛媛県)の道後温泉、播磨(兵庫県)の有馬温泉、紀州の南紀白浜温泉、越後(新潟県)の松之山温泉、弥彦温泉、箱根(神奈川県)の元湯温泉、熱海(静岡県)の温泉、上州(群馬県渋川市)の伊香保温泉等が確認できる。他にも多々あり言い伝えが遺されている。

 日本書紀、風土記などに登場することに基づいた三古湯は、道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県神戸市)、白浜温泉(和歌山県)。延喜式神名帳に基づく三古湯は、道後温泉有馬温泉いわき湯本温泉(福島県、佐波古(三函、三箱)の御湯の古名を持つ)。その他にも鳴子温泉(宮城県)、湯田川温泉(山形県)、黒羽温泉(栃木県)、那須湯本温泉(栃木県)、岩井温泉(鳥取県)、玉造温泉(島根県)、別府温泉(大分県)の計10社が記載されている。いわき温泉(福島県)は、白浜温泉に替えて日本三古湯に含めることがある。

 三名泉は、有馬温泉、玉造温泉(島根県玉湯町)、榊原温泉(三重県久居市)又は、下呂温泉(岐阜県下呂町)、草津温泉(群馬県草津町)。日本三大美人の湯は、川中温泉(群馬)、龍神温泉(和歌山)、湯の川温泉(島根)。他に名湯として知られるのは北から登別温泉(北海道)、箱根(神奈川)、伊豆北川温泉(静岡)、白骨温泉(長野)、城崎温泉(兵庫)、黒川温泉(熊本)、由布院温泉(大分県)、指宿温泉(鹿児島)。
現存する特に古い温泉としては、白浜温泉の「崎の湯」、妙見温泉(鹿児島県)の「和気湯」、湯の峰温泉(和歌山県)の「つぼ湯」などがある。
 こうした温泉地には、これを守護する神社が設営されている。古湯は大国主命と少彦名命の二神を柱として祭祀している例が多い。興味深いことは、少彦名の命&大国主の命が見出した温泉は今日でも利用者が多く賑わっている名湯中の名湯ばかりであることである。湯量豊富で源泉掛け流しの名所となっている。その効能が並はずれて優れものばかりを見出しているところに凄さがあろう。日本各地の名湯探しは大和朝廷下でも続けられ、奈良時代以降は役の行者を祖とする修験者山伏系の僧侶によって引き続き開基されて行くことになった。その元一日の「うったて」を作ったのが少彦名又は大国主の命と云うことで間違いない。
 道後温泉
 四国の愛媛県の松山にある道後温泉は神代の頃からある日本最古の名湯として知られ、白鷺が足を浸して傷を癒していたことで発見されたという伝説がある。泉質はアルカリ性単純温泉で、刺激が少なく絹のような肌触りの湯質に特徴があり湯治に最適。現在でも温度の異なる複数の源泉をブレンドすることで、加水・加温を一切行わない正真正銘の「源泉かけ流し」を実現している。

 伊豫国風土記は次のように記している。
 「大国主の命が重病の少彦名命(すくなひこなのみこと)を助けようとして掌に乗せて温泉に入れたところ、不思議とよみがえり、温泉の側にあった玉の石を踏んで立ち上がり、『真暫寝哉(ましましいねたるかも)』(暫く昼寝をしたようだ)と叫んで、石の上で舞った」。

 伊予国風土記逸文に次のように記されている。
 「二神(大汝貴命と少彦名命を云ふ、以下に従う)はかくの如く、各地を跋歩経営し、而して後伊予に来り、國土を開き温泉を修む。伊予風土記に曰く、温郡(ゆのごほり)、大穴持命、見悔耻面、宿奈比古那命、欲活面、大分速水湯、自下桶持度来、以宿奈比古那命而、漬浴者、暫間、有活起居、然詠曰眞暫寝哉、践健跡處、今中石上也」。

 これによると、「少神(少彦名命を云ふ、以下之に准ふ)が病臥して居ませるを大汝(大汝貴命命の略、以下之に従ふ)が之を活かさんとして、大分速水の湯をば、下桶にて渡し来し、少神をあむせしかば、暫時にして蘇生し、元気回復せし。践みたけびし跡、今湯中の石上に在りといへるのは、今道後温泉又新殿の側にある玉の石是れなり」とある。大国主命が大分の鶴見岳の山麓から湧く「速見の湯」(現在の別府温泉)を海底に管を通して道後温泉へと導き、少彦名命の病を癒したと伝えている。

 この伝承から、大国主命と少彦名命の二神を道後の湯の神として、道後温泉本館側の湯神社に祭祀してある。
次のように解説されている。
 「上記は和銅年間、國司勅令を奉じ録上したるものにして、本項は古来の伝説を記したるものなり。二神は、伊予の東西を通じて経営し、後にこの温泉に及びたること推知すべきのみ。二神は、道前道後方面の経過綸を了り、尋で喜多平野の開拓に従事せられたるものの如し、而してその居る所は一定せず、所々転々したるは見易きの理なり。喜多郡内ノ子町字植松に、少神を祭れる植松神社あり、社下半町の所に平地あり、ここに古墳ありて(二十許前に除かる)その傍らに太夫屋敷と云ふ所あり、少神最初の居館と伝ふ、神去後その霊を祀りて天神と称す。少神は至て小さき御方也、大汝は之を袂に入れて旅行せられき、されど大汝は大兵にして魯鈍、少神は矮小にして怜悧なり、一日少神一巳にて宮が瀬を渉り給ふ時、川に白手拭を被りたる老媼あり、之を見てこそは急流にして危険なりと注意を與ふると同時に、少神は溺死したまえり、その字媼がしろ手拭をかぶり居たるに因み、以来この川に来る者、白手拭を着くるを忌む、もし之を犯せば、必ず災あり云々」。

 日本最古の漢文とされるもののひとつに伝聖徳太子作の道後温泉碑文がある。このなかに「沐浴神井而李疹」(神井に沐浴して疹を李す)とある。当時から温泉につかっていたことが分かる。平安びとがこよなく愛した白楽天の長恨歌には「温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ」という有名すぎるくらい有名な句がある。松山は夏目漱石ゆかりの地としても知られ、小説「坊っちゃん」にも道後温泉が登場することで有名。街中を「坊っちゃん列車」が走るなど、「坊っちゃん」にちなんだ観光スポットがいくつもある。さらに、アニメ映画「千と千尋の神隠し」の舞台である「油屋」は、道後温泉本館がモデルの1つであると明言されている。
 玉造の湯
 玉造の湯について、出雲風土記は次のように記している。
 「川の辺に出湯(いでゆ)あり。出湯の在る所海陸を兼ねたり。仍りて男女老いたるも少(わか)きも、あるいは道路に駱駅し、あるいは海中に洲(す)を沚(は)て、日に集いて市を成し、繽紛として燕楽す。一たび濯うときは形容端正、再び浴すれば万の病悉に除く。古より今に至るまで験を得ずということなし。政、俗人(よしひと)神の湯と云えり」。

 嶋根郡の前原(さきはら)の埼の宴遊について、出雲風土記は次のように記している。

 「陂(つつみ)と海との間の浜は東西の長さ一百歩、南北の広さ六歩あり。肆松蓊欝(まつしげ)り浜鹵(なぎさ)の淵澄めり。男女時に随(よ)りて叢会(つど)い、あるいは愉楽(たのし)みて帰り、あるいは眈遊(えら)ぎて帰ることを忘れ、常に燕喜(うたげ)する地なり」。

 出雲風土記の「意宇郡 忌部の神戸の条」は次のように記している。
 「忌部の神戸、郡家の正西*一里二百六十歩なり。国造、神吉詞(かむよごと)望(ほが)いに、朝廷に参向(まいむか)う時、御*(みそぎ)の忌の里なり。故、忌部という。即ち、川の辺に湯出づ。出湯の在るところ、海陸(うみくが)を兼ねたり。よりて、男も女も、老いたるも少(わか)きも、或いは道路(みち)につらなり、或いは海中を洲(はま)に沿いて、日に集いて市を成し、みだれ紛いて宴す。ひとたび濯(すす)げば、形容(かたち)端正(きらきら)しく、再び湯浴みすれば、万の病悉に除(い)ゆ。古(いにしえ)より今に至るまで験(しるし)を得ずということなし。故、俗人(くにひと)、神の湯という」。
 有馬温泉
 兵庫県神戸市にある有馬温泉について次のように伝えられている。
 「傷ついた3羽の烏が水たまりで水浴びをしていると,数日で傷が癒えてしまった。その様子を大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神が見ていて、この水こそ万病に効く温泉だとして世に広めた。温泉のありかを教えてくれたこの三羽のカラスだけが有馬に住むことを許され「有馬の三羽からす」と呼ばれた」。

 日本書紀に加え、枕草子でも日本三名泉の1つとして名前を挙げられている。戦国時代には地震などで大きな被害を受けたが、豊臣秀吉の援助によって再興し、江戸時代の「温泉番付」では最高位の西大関となっているように古代から現在に至るまで常に大人気の温泉であり続けている。

 泉質は、鉄分を多く含んだ赤褐色の「金泉」と、炭酸を含んだ「銀泉」に大別される。
 白浜温泉(南紀白浜温泉)
 和歌山県西牟婁郡白浜町にある温泉。海に近い温泉で、大海原や夕日を眺めながらの入浴は格別。外湯は6つ、足湯は9つと充実しており、のんびりと湯めぐりを楽しめる。泉質はしょっぱい塩化物泉が中心。周囲には多くの観光名所があり、一大リゾートを形成している。クエや伊勢海老など、豪華な海の幸も味わえる。

 白浜温泉「崎の湯」はかつての「湯崎七湯」の中で唯一残っている、波打ち際の露天風呂。658年に斉明天皇が訪れたと日本書紀に記述があり、一部が当時のまま残っているとされている。雄大な太平洋を眺めながら、海と一体化したかのような湯浴みを楽しめる。
 妙見温泉「和気湯」

 平安遷都の提案者である和気清麻呂が、流罪の身であった時に入浴したとされる温泉。坂本龍馬夫妻も、日本初の新婚旅行中に入浴したとされている。川沿いにある小さな温泉で野湯に近い雰囲気。現在は個人の所有となっている。
 湯の峰温泉「つぼ湯」
 
 1日に7回お湯の色が変化するとされ、「日本最古の共同浴場」としても有名な温泉。熊野詣での湯垢離場(ゆごりば)として使われてきた歴史があり、現在は世界遺産に登録されている。






(私論.私見)