保田與重郎のマルクス主義批判と絆その1

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、保田與重郎のマルクス主義論、その批判と絆を確認する。「ウィキペディア保田與重郎」、「保田與重郎略歴」 、「史観、詩心、状況―日本浪漫派の思想性を読み解くカギ」その他を参照する。

 2012.06.21日 れんだいこ拝


 「マルクスはそういう善心を全然持たなかったのです、だからひがんだ反対者となります。精神の見地からいえば、最も下等な人間だったのです」。

 「今日の共産党は、共産主義とか唯物史観といった思想で考える必要はありません。二つの世界の一つの権力の手先の舞台だと考えるとよいのです。近代人の最高の望みである、金もうけをするという才能と可能性をもたないが、その代りにもっと野蛮な原始的暴力に興味をもち、且つ本能的に権力をもちたいと願う低文化人と低文化地帯の魅力を結集した勢力にすぎません。そこには近代人一般の快適な生活さえないのです。近代文化の評価で云えば、資本主義の未発達の地域の暴力と権力の愛好者。しかも最もおそろしいことは、ここで二十数年に亙って、人間を近代科学的専制下に慣らせる訓練が万全に研究された事実です。これは近代科学と過去の専制の結合ですから、普通のアジア人には想像できない残忍で非道徳なものです。近代文化の高い国々、つまり植民地を所有する生活をもつ国々では、決して共産主義はさかんになりません。アジア一般は、近代の意味の文化が低く、素朴な権力に憧れる遊民ゴロツキを温存するしくみが多いので、共産党の勢力は助長されますが、日本の場合には、無数の抵抗線があります。独立を思うアジアは必ずソ連に結ぶ、この後進民族の悲劇を深く考えねばなりません」。















(私論.私見)