岡潔の時評その1

 (最新見直し2012.06.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、岡潔の教育論を確認する。阿修羅Ψ空耳の丘Ψ24 」の「岡潔博士の憂国の書を読み返す=植田義弘」、「情緒と幼児教育」その他を参照する。岡潔は、1960年代(昭和37〜44年)、戦後の教育のあり方について憂国の書を次々と世に問うた。

 2012.06.21日 れんだいこ拝


 晩年になるにつれて、憂国の情に駆られるあ発言が目につくようになった。例えば、入試競争の弊害を防ぐために、大学は卒業証書を出すことを法律で禁止せよ、と提言している。国語・国字問題のあり方に激怒して上京し、時の政府 官庁に直訴して回り、胃病を悪化させて吐血している。(それ以前から、情感のある漢字を殆ど削除した当用漢字の規制に憤慨していた)坂田文相(当時)に提出した『教育の原 理』(3)と題する論文は、とても具体的な政策になりそうもない難解な内容で、政治家には理解不能にちがいない。『大東亜戦争肯定論』の著者・林房雄との対談集『心の対話』(4)の中では「神風攻撃は日本人にしかできない創造行為」という意味の発言がある。その真意は、経済成長を唯一の目標として欲望追求に汚されていく日本の将来を憂慮するあまり、自己犠牲の極致といえる特攻隊員の純粋さの中に、桜の花が散るような美を強調したかったに違いない。しかし、いかに利害打算を捨てた崇高な行為であっても、正しい目的に向かって遂行されなければ悲劇的な破局に終わるしかない。愛国心とは同胞愛と同義であって、愛国心のもととなる日本民族の歴史を懐かしむ情緒教育が欠けているとの指摘もある。



 「岡潔の「情の世界」(抜粋)1972年4月」を転載する。

 情が自分だと日本人は無意識的にわかっている。意識的にはわかっていない。しかし、ものをちゃんとわかる為には、意識的にも無意識的にもわかり、両方しなきゃ不充分でしょう。この時人に出来ることは、意識的にわかってない人を意識的にわかるようには出来る。しかし、無意識的にわかっていない人を無意識的にわかるようには出来ない。これはやりようがない。だからアジアの中で日本だけが、情が自分であるということを無意識的にわかっているというのは、この土地の人々だけに、神々が長い間教育したとでも考えなければ、考えようがない。ともかく、これはそういう言葉で云って一向にさしつかえのない、注目すべき現象です。無意識的にわかっているのでなければ、急にどうにもならない。日本人はそれが無意識的にわかっている。

 世界の文明というのは、文明以前、人の住める文明じゃない。こんなもの、放っておいたら仕方がない。その為には情を自分だと教えるより仕方がないんだけど、その時、無意識的にも情を自分だと思えるようになるまで本物じゃない。まあ、当分の間は、意識的に情が自分だと思えるようにすることです。その為には、無意識的には情は自分だとすでに思っている日本人に、意識的に情は自分だと教えてやることです。

 ここでそんなふうにするつもりで、神々は日本人を長い間教育してきたんでしょう。そして今、もう意識的にもそれを知れとし始めているんでしょう。

 もうここで人がやらなきゃならんのだけど、それは日本人の誰かが、どうせ人が意識的に気付きはじめるでしょう。最初に気付いて、云ったり書いたりする人が出るわけですが、誰が云ったり書いたりするかということは関係のないことです。日本人がそれを意識的に知る時期に来ているんでしょう。そうすることによって、神々は人類の滅亡を当分くい止めるつもりでしょう。

 滅亡の危機が去るのは、欧米人が情が自分であるということを無意識的に知るようにならなきゃ去らないでしょうから、長い年月がかかるでしょうけど、そういうふうな計画なんだと思います。


 『私の人生観』には、昭和の始めパリに留学していた頃の思い出を語りながら、「日本の歩き方」についての次のような一節がある。すこし読んでみよう。
 『どういう歩き方かとひと口にいうと、日本は危険な方から危険な方へとだんだん歩き続け、その歩みを止めない。それは今日もなお続いているのです』
 『そこで私が見るに、この先日本が立ち直るのに、じゅうぶん百年はかかります。それから国内を整備するのにもう百年、残る百年で生物の絶滅を救わなければならない。ところがあと三百年、生物が絶滅せずにどうにか持ちこたえてくれるかどうか、……』

 『六十年後の日本』
  『私は人というものが何より大切だと思っている。私たちの国というのは、この、人とい う水滴を集めた水槽のようなもので、水は絶えず流れ入り流れ出ている。これが国の本体といえる。ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み、濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁っていく。それで、どんな人が生まれるかということと、それをどう育てるかということが、何より重大な問題になる。人という存在の内容が心であり、こころが幼いころに育てられるとすれば、とりわけ義務教育が大切であることはいうまでもない。
 ただ、どう育てるかが問題だといっても、教育でどんな子でも作れるというのではい。本当は人が生まれるのは大自然が人をして生ましめているのであって、各人はそれを自分の子と思っているが、正しくは大自然の子である。それを育てるのも大自然であって、人をしてそれを手伝わしめているのが教育なのである。それを思い上がって、人造りとか人間形成とかいって、まるで人造人間か何かのように、教育者の欲するとおりの人が作れるように思っているらしいが、無知もはなはだしい。無知無能であることをすら知らないのではないか。
 教育は、生まれた子が、天分がそこなわれないように育て上げるのが限度であってそれ以上によくすることはできない。これに反して、悪くする方ならいくらでもできる。だから教育は恐ろしいのである。しかし、恐ろしいものだとよく知った上で謙虚に幼な児に向かうならば、やはり教育は大切なことなのである』。 

 初めて刊行された著書『春宵十話』は、毎日新聞に連載された随想をまとめたものだが、その中には次のような一節が見える。
 『戦後、義務教育は延長されたのに女性の初潮は平均して戦前より三年も早くなっているという。これは大変なことではあるまいか。人間性をおさえて動物性を伸ばした結果にほかならないという気がする。たとえば、牛や馬なら生まれ落ちてすぐ歩けるが、人の子は生まれて一年間ぐらいは歩けない。そしてその1年間にこそ大切なことを準備している。とすれば、成熟が3年も早くなったのは、人の人たるゆえんのこころを育てるのをおろそかにしたからではあるまいか。ではその人たるゆえんはどこにあるのか。私は一にこれは人間の思いやりの感情にあると思う。人がけものから人間になったというのは、とりもなおさず人の感情がわかるようになったということだが、この、人の感情がわかるというのが実にむずかしい』

 『どうもいまの教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴がいかにも無慈悲であることに気づく。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだと思う。学問にしても、そんな頭は決して学問には向かない』(『第一巻』10〜11頁「春宵十話」)。









(私論.私見)

岡潔

1 :考える名無しさん:2013/02/12(火) 13:58:43.14 0
岡潔について語るスレ(数学板)http://mimizun.com/log/2ch/math/1006432306/
岡潔について語るスレ 2http://mimizun.com/log/2ch/math/1119708612/
岡潔について語るスレ 3http://mimizun.com/log/2ch/math/1145762178/
岡潔について語るスレ 4http://mimizun.com/log/2ch/math/1148595505/
2 :考える名無しさん:2013/02/12(火) 14:02:06.75 0
晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、 真には知、善には意、美には情が対応し、それらを妙が統括し智が対応すると述べた。一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。また日本民族は知が不得手であるため、西洋的なインスピレーションより東洋的な情操・情緒を大切にすることで 分別智と無差別智の働きにより知を身につけるべきと提唱している。さらに現代日本は自他弁別本能・理性主義・合理主義・物質主義・共産主義などにより 「汚染されている」と警鐘を鳴らし、これらを無明と位置付け、心の彩りを神代調に戻し 生命の喜びを感じることで無限に捨てるべきと述べた。

また画家の坂本繁二郎と対話したのちに、日本人の精神統一法について思考を巡らせている。繁二郎が「馬」を描いていた若い頃は分別智が途切れる瞬間無差別智の閃光が差し込むインスピレーションを主とする純西洋型精神統一法を用いていたが、 「月」を描くような年頃になってからは分別智の春雨と無差別智の明かりによる情操・情緒を主とする日本的西洋型精神統一法を用いていたという。岡自身も三つの大問題の解決にあたりインスピレーション型(花木型)→梓弓型→情操・情緒型(大木型)と 移行していき、この日本的西洋型精神統一法と無差別智のみの禅型精神統一法を使い分けることで 老後の日常生活を乗り切っていたと語っている。
晩年は『春宵十話』を皮切りに他人の手を介していくつか随筆が書かれており、 教育者の側面や人格の項で触れたような内容が流麗なタッチで記されている。ただし初期は『一葉舟』のように非常に将来に対して悲観的であり、日本を憂う発言が多かった。しかし日本について詳しく調べるうち、やがてそれは自らの手で描く警鐘へと繋がり、さらに最晩年は活字にはならなかったが日本の将来は安泰だという確信に転じている。日本史においては神代は矛盾の無い知情意のもと、スサノオに代表される 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と雄大な歌を詠めるほど健康的であったが、仏教伝来と同時に氏を表すという悪習(氏姓制度)が入り、 それにより日本民族の心は汚れていったという。まず西行の「心無き 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」に代表されるように 無明を直視したため美しく弱々しい「たをやめぶり」になってしまい、 さらに武士の世では源実朝の「箱根路を わが越え来れば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」のように無明に呑まれすっかり弱まってしまった。 太平の世であった江戸時代に(知と意は抜けているものの)神代調の情や「個性」を歌った 松尾芭蕉の歌が出た以外は、神代より後の日本は概ね心が弱っているか、 それすら気づかず自他対立に明け暮れているといえよう。 知が暴走しやがて大東亜戦争敗戦という結果を招いた日露戦争以後や、意が暴走し社会が乱れた戦後のように。

 また人智の進歩の中で一つのキーワードとなるのが仏教用語でいう「我」で、 氏を表す悪習により日本民族は自他弁別本能に取り憑かれ「小我」になってしまったという。 これに対し日本民族の「準中核」にあたるのが「武士道」や「大和魂」に相当する人物で、 こうした人物は小我から脱しつつあるため、 旧制中学などを利用してこのような人材をまず日本は育てなさいと提言している。それより上の次元に進むと、日本民族の「中核」である「真我」や「大我」に繋がり、 この次元にまで達すると決して自他対立せず衆善奉行できるという。 仁徳天皇に自らの皇位継承権を譲るために自殺してしまった菟道稚郎子や、 生涯を日本に捧げた先帝陛下たる昭和天皇は典型例であろうと語っている。

『春雨の曲』第7稿、私家版、1978年9月。- 完成形だが取り下げ、没後出版となった。金星の娘との出会い、生命と物質の関係、天衆の挨拶、第一の心である自然科学の顕在識(第一識から第六識)と西洋人に存在する潜在識(無明の入る第七識)、第二の心である東洋人に存在する悟り識(第八識から第十五識)、世間智を用いる自他の別、分別智を用いる時空の框、 分別智と無差別智を用いる発見(インスピレーション型発見と梓弓型発見と情操・情緒型発見)、無差別智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)を用いる純粋直観(知的純粋直観と情的純粋直観と意的純粋直観)、九識論を上回る日本人に存在する第十識「真情」への到達(情が知や意より先であることの当然性)、自浄其意による第十一識「時」への到達(道元の別時)、男女の別を好みと懐かしさで超えることによる第十二識「主宰性」への到達(天照大神の見神)等の最晩年の境地も描かれている。
以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%BD%94より。

16 :考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:41:31.97 0
岡潔は邪智である世間智は真善美妙の敵だから使うなと言ってたけど同時に西洋の学問で用いる理性はすべて邪智型平等性智(世間智型意)だとも言ってるね。この時点で東洋と西洋は話し合いの余地が無いのは自明らしい。
17 :考える名無しさん:2013/04/09(火) 15:12:57.50 O
西洋ってキリスト教的なものはってこと?

18 :考える名無しさん:2013/04/09(火) 20:02:37.54 0
いや、西洋といったら西洋全てだな。岡は細分化しようと思えばどこまでも細分化する人でね、 一番見下してたのが側頭葉を重視するアメリカや古代ローマ。次に見下してたのが前頭葉を重視するヨーロッパや古代ギリシャ。本に収録されていない内容になると頭頂葉の仏教と後頭葉の中国も駄目で、 視覚中枢に真の自分がある日本しか頼れるものはないとまで言い出してる。キリスト教に関しては、邪智(世間智)を無くすのには有効だけど、妄智(分別智)は無くならないから、自他対立しなくなっても 文化が一向に育たず、知性の邪魔をして文芸復興開始までの停滞を招いたと言ってる。

日本人は学問を教えることだと信じて疑わないために学問恐怖症を催すらしい。 西洋の物真似だけして物質現象しか見ない日本人は知を語る資格が無いってさ。 by岡潔

「春宵十話」は常識に基づいて書かれたわけだけど、岡としては昔から霊感体質だったもんだから それを排除して遠回しな言い方をするのに本人は非常に歯がゆさがあったみたい。それが「風蘭」の教育の手助けの方法論に繋がるが、これもパンチとしては弱い。絶版になってからは『情緒と創造』や『情緒の教育』で復刻され売り出されてる。岡潔初心者はこのへんから読む人が多いだろうな。

仕方なくいわゆる最強硬右派的なことも「紫の火花」「春風夏雨」「月影」で書くが、朝日新聞に拒否られて「紫の火花」は増刷できず、『岡潔 日本の心』で再登場させるはめに。そうした中で集大成としてまとめられたのが「一葉舟」「昭和への遺書」「日本民族」。当然絶版。再版は『日本の国という水槽の水の入れ替え方』まで叶わなかった。この『日本の国という水槽の水の入れ替え方』は晩年前期の内容が本当によくまとまってて、岡の思想を掘り下げる入口にはもってこいというか、ベストな本だと思う。

で、この後は『日本民族の危機 葦牙よ萌え上がれ!』を除き絶版&未出版ばかりになるわけだけど、このへんの内容は本当に驚きの連続。 学生紛争もあって反発・反論も一番凄かった時代。「曙」や「神々の花園」など。 未出版のものなら『葦牙会講話集』『春雨村塾講話集』『京都産業大講義録』と目白押し。

晩年後期になると敵を作るような内容ではなくなるけれど、 次元が高すぎて急速に世の中が無視して忘れ去る時代になる。この頃は『流露』や『夜雨の声』(『日本の国という水槽の水の入れ替え方』に収録)、 『一滴の涙』(「岡潔講演集」に収録)や「春雨の曲」と、情緒を水に例えたタイトルが増えてくる。「春雨の曲」に至っては完全に恋愛物のファンタジーの世界。「岡潔集」を編纂した保田与重郎に依頼されて書かれたが、歴史や神様の話が常軌を逸したレベル。
岡の業績は多変数複素関数論で、本人も認めてるように科学よりも芸術だから 人によってはあまり見向きもされない分野らしいですね。ただし、高く評価する人は本当に数学史中の最高峰と見なしたりもしていたようですが。私は門外漢なのでコメントは控えます。

哲学についてはデカルトがあってこそのニュートン、 ヘーゲルがあってこそのマルクスと岡は語っています。なのでヘーゲルに関しては当時からショーペンハウエルが あんなものは知性ではないと批判していたようですね。もっとも岡は哲学を重視する一方で、哲学も学問に含まれるために真に対応する学問、美に対応する芸術のように 善に対応する訳語が西洋には存在しないということを非常に嘆いておりましたが。

岡潔曰く西洋(特にアメリカ)って極端なめくらだからあんなに学術が物質的に精緻になるらしいね

岡は数学の抽象化や自然科学の色合いが数学でも強まってきてることを嫌悪していた。こういう時代になると実業家が数学やる方が認められやすい。

力が強い、エネルギーを大量に使うというのは岡潔が嫌ったことであって。小さな物から悠久の歴史を観ずること。大木を見て、大木の長さ大きさ硬さを分析して活用するのは西洋。大木を見て、年輪を観ずれば自ずから・・。が日本の文化。

で、憲法制定のいきさつですが、押し付け憲法ではないそうです。ただし、万世一系の皇統を切るぞと脅されて仕方なく日本人自ら制定したんだそうです。この後すぐに改正しなかった吉田茂(麻生副総理の祖父)を、岡は腑抜け、昭和天皇は得体の知れない外交官と評してます。占領下での憲法作成は出来ないと峻拒した西ドイツと比べても腰抜けなんだそうで。

アメリカの思想が入っている憲法なんですが、 その中でも特にジョン・デューイの教育論が入っている。 日本人の当時の知識層に流行ったんだそうです。 プラグマティズム・構造機能主義・コアカリキュラム・問題解決学習といった考えの原点になります。 岡はデューイについてもあれは野獣だと批判してます。 なおその後憲法改正に意欲を燃やした岸信介(安倍首相の祖父)や 福田赳夫(福田康夫元首相の父)は晩年岡の哲学に傾倒していたようです。


54 :考える名無しさん:2013/05/18(土) 00:45:14.45 O
岡潔の外国観

アメリカ
嫌い。但し無茶ばかりする国柄な為にたまに突拍子も無い人物を生む。岡はこうした人物を「マッハボーイ」と呼ぶ。例えば連続体仮説は肯定できないことを示したコーエンなど。(ちなみに不完全性定理を証明したオーストリアのゲーデルが連続体仮説は否定できないことを示した)

ロシア
20世紀の悪夢だった共産主義のかつての親玉。形式論理を磨き上げたトルストイは苦手だが、前半生において逮捕された経験を持つドストエフスキーは好き(特に「白痴」)。西洋の中で俳句がわかる国はロシアとフランスのみらしい。

55 :考える名無しさん:2013/05/18(土) 01:08:19.88 O
フランス
岡の留学先。ギリシャ神話や北欧神話があまりあてはまらないラテン民族の国。このため血筋的にも意外と日本に近い民族らしい。ナポレオンをはじめとしたフランスの栄光の歴史をシャルル・ド・ゴールが非常に重んじた。民族文化の温かい大河の流れにプカプカ浮いていれば自ずと知性が働く。岡は図書館でこの流れを感じて生涯の数学の問題を定めている。しかし高い知性以外はあまり褒められるところは無いらしい。

イギリス
フランスを敵視。ブラックジョークの国。自分たちが滅びるくらいなら相手も滅ぼすのがイギリス魂。

ドイツ
カントやショーペンハウエルの出身国。ときどきマルクスやヒトラーといった狂人も輩出する。最近連邦議会で議席数を増やしている緑の党は左派勢力ではあるものの脱物質主義を掲げているため、欧州の価値観が近年変わってきていることが伺える。こういう変化に日本は疎く、外国を見て動くフシあり。

56 :考える名無しさん:2013/05/18(土) 01:29:22.62 O
インド
今でこそヒンドゥーとイスラムだが仏教の故郷。仏教では点を空と言い、線を色と言う。しかしそれきり発展しないために古代インド文明には斉家治国平天下が生まれなかった。

支那
岡の友人であった胡蘭成曰く、毛沢東は湖南人だから駄目。支那と日本は民族的に非常に近い関係だが、このうち満州人や台湾人は特に近い。ネパールやブータンやシンガポールも近い。支那は知的純粋直観がよく働き、日本は情的純粋直観と意的純粋直観がよく働く。早く共産主義やめればいいのにと岡は思っている。かつて日本が支那を侵略したのは事実だが、南京事件や慰安婦問題は卑怯なでっち上げであり、岡はこの面については非常に毛嫌いしている。

64 :考える名無しさん:2013/05/29(水) 17:42:28.13 0
第12識といえば 曹洞宗の開祖である道元は第11識〜第14識にいたらしく、第11識についてよく調べ、 早死覚悟で時をいじって岡潔に会いにきたとか。おかげで岡は知的純粋直観が拓け正法眼蔵がすらすら読めるようになったそうな。それまでは岡でさえ知的純粋直観がほとんど働かなかったから、残念ながら日本民族の知はやはりあまり役に立たないらしい。もっともその後の岡は禅はナンセンスな修行方法だと酷評してたが・・・w

それとフランスのサン=テグジュペリも第11識にいたらしい。「星の王子さま」がそれ。星へ落っこちるという表現と、毒蛇に足を噛ませるという表現は第11識を知らないと書けない表現なんだってさ。フランス人と日本人はかなり近い関係なのかもしれないね、本当に。

 岡潔について語るスレ 2

 岡潔先生は、日本が世界に誇ることが出来る多変数関数論を構築された方です。
  高瀬正仁『評伝岡潔<星の章>』海鳴社 2003年

「私は長い間、春の訪れを待ち続けた」。日本の草花の匂う伝説の詩人数学者、その面目を今日に伝える詩的評伝。「日本人の数学」の誕生――日本の近代数学の源流「岡潔」の「情緒の世界」 の形成と研究生活を幼少時代から綿密にたどる。評伝文学の傑作である。

 生地と故郷 魔法の森 與八とんとん(粉河中学) 松原隆一との別れ(三高と京大)
 心情の美と数学の変容 伝説の詩人数学者「岡潔」 トノンの秋と由布院の春
 由布院の夏の日々 金星の少女との会話(広島事件) 福良の海と数学の誕生

■岡潔の数学研究が生い立っていく様相を理解するには数学の諸論文を精読するだけでは足らず、人生それ自体の変遷を丹念に追っていかなければならない。人生が研究を育み、研究が人生の相を規定する。生活の中で研究するのではなく、 数学の中で日々の生活が通りすぎていく。真に稀有の例外と見なければならず…… 
 高瀬正仁『評伝岡潔<花の章>』海鳴社 2004年

 昭和4年晩春初夏のころ、インド洋をわたってフランスに留学した岡潔はパリで中谷宇吉郎、治宇二郎兄弟に出会い、人生の基調をなす深い友情を結んだ。ガストン・ジュリアに示唆を受けた多変数函数論研究に生涯の課題を定め、トノンの貸別荘で病身の治宇二郎と語り合い、学問の道標を発見して帰国したが、昭和13年6月、広島文理科大学の休職を余儀なくされ、帰郷した。郷里の和歌山県紀見村で孤高の数学研究に身を投じた岡潔を物心両面にわたって 支え続けたのは、中谷兄弟のパリの友情と、大正末の青春期に秋月康夫との間に 生れた三高の友情であった。紀見村の岡潔は父との別れに遭遇し、芭蕉や道元や佐藤春夫に親しみ、江口きちの歌集『武尊の麓』に心情を揺さぶられる日々を送り、カルタンやベンケからのときたまの便りに励まされながら独自の数学的思索を深めていった。昭和16年秋、北大理学部に赴任。12月8日、札幌でハワイ海戦のニュースに接して深刻な衝撃を受けた。翌17年9月、帰郷。昭和23年7月、戦中戦後の不定域イデアルの研究が結実して第七論文が成り、昭和25年、フランスの学術誌に掲載されたころから数学者「岡潔」の真価は広く欧米の数学界に認識され始め、奈良に転居した岡潔のもとにヴェイユ、カルタン、ジーゲルなど、世界の数学者たちが相次いで来訪した。晩年は小林秀雄、坂本繁二郎、保田與重郎、胡蘭成らと交友し、市民大学や葦牙会の提唱など、多彩な社会的発言を繰り広げた。「リーマンの定理」という表題をもつ一連の数学ノートを遺すとともに、宗教的色彩を帯びた回想録「春雨の曲」を書き継ぎながら、昭和53年3月1日未明、数えて78歳で逝去した。

 こういう考え方には慣れていないかもしれないけど、数学者に限らず、科学者というものは
いま土星の惑星の上を這いずり回っている探査機ホイヘンスのように、世間からは慣れたところで地味な仕事をしています。そして彼らの集めた真理のカケラが集まって、人類の文明が成り立っているのです。真理を愛する人は岡潔の仕事を知ったとき驚嘆の念にうたれます。彼を論文を
通じてしか知らなかったドイツのある数学者は、Kiyosi Okaが数学者のグループの筆名ではないかと思っていたと言って岡先生を讃えました。このことは私たち日本人の誇りでもあります。日本の文化の誇りでもあります。だから岡先生のことは大切にしませんか。たとえ晩年に神経を弱められたことがあったとしても。
>>62
 岡潔は弁榮の信者で光明主義。したがって、法華経は重視しない。岡潔がだれかを成仏させるとしたら、使う教典は、法華経では断じてない。本格的には無量寿経がよろしいかと。墓石に入るというのは特殊な方言で大沢はともかく岡潔は使わない。


■本書は、岡のこれまで知られざる一時代の出来事の解明に成功している。それ は最も独創的な考えを産み出した時期にあたる一九三六年以降の数年である。岡 は当時三十代後半であり、広島文理科大学(現在の広島大学)助教授であった。著者がさまざまな史料によって確認したところによれば、岡は当時明確に「狂気」の境域にあった。私もこの事実を初めて知った。独創的な発想と精神の状態との 関連を知る上で、きわめて重要な研究と言わねばならない。
■岡潔は戦後、文化勲章を受章し、その後は『春宵十話』を始めとする日本の 「民族精神」を称揚する著書を世に問うことになる。人はこの言動で岡の名前を 記憶にとどめているかもしれない。
潔は著作の中で「一人の数学者を客観的に評価するためには、少なくともその人の死後50年経たなければできない」というようなことを言っている。それならば、岡潔の評価は今後にあるということだろう。

1969 年
  4月 京都産業大学理学部教授に就任。教養科目「日本民族」を担当。
  10月 講談社現代新書から「神々の花園」を刊行。
1971 年
  6月頃から「春雨の曲」執筆開始。
1978 年
  1月13 日「春雨の曲」の第八稿を起筆。
  3月1日 死去。
  7月 未完の遺稿「春雨の曲 第八稿」が私家版で刊行された。
  9月 旧稿「春雨の曲 第七稿」が私家版で刊行された。
http://homepage3.nifty.com/kyomasu/kawaraban/1243.html

この「春雨の曲」ってどんな作品なんだ? 8年間にわたって推敲を重ねた作品がいまだに出版されないのはなぜ? 岡潔のHPでもほとんど無視されているようだし...
460132人目の素数さん:2006/01/12(木) 22:10:49
岡潔さんは、自らから数学が自然に出てこないので、仏教や宗教的なものに頼ってしまった。頼らないと自然に出てこない程度の頭脳という事なのかも しれませんね。

日本で天才を持った数学者とは、 関孝和、高木貞治、岡潔、小平邦彦、谷山豊辺りです。


470132人目の素数さん:2006/01/15(日) 04:18:32
岡潔のその業績が主に海外でしか受け入れられなかったことは、グロタンディークらと共に、 世界の数学史にその名前を刻んだ一方で、受け取り手のいなかった日本では 過小評価されてしまう原因になっているような気がします。

岡潔が最大の仕事(不定域イデアル)をした戦時中の段階までは 数学的創造のために「仏教や宗教的なもの」に頼ったとは思えない。 数学から宗教に本格的に転向するのはやはり文化勲章以降では? その結果、オリジナルな仕事が生まれたわけではないところが重要!
岡潔さんは、自らから数学が自然に出てこないので、仏教や宗教的なものに 頼ってしまった。頼らないと自然に出てこない程度の頭脳という事なのかも しれませんね。 そうしないと、オリジナルが出ないということだから。
岡も学部卒業後すぐ講師になっており、7年講師をつとめたあと 広島大助教授になった時ですら論文はゼロだった。欧州の最先端の 数学が理解できれば、それで十分教官がつとまった。
岡さんは京大講師4年、京大助教授3年だった。 フランス洋行中の肩書きは京大助教授だね。

1925年 京都帝国大学理学部数学科卒業、講師就任
1929年 同大学助教授昇任
1932年 広島文理科大学助教授
1938年 休職
1940年 依願退職、理学博士授与
1942年 北海道大学研究補助員
1949年 奈良女子大学理家政学部教授〜64年定年退職

で、京大助教授だった3年間がほぼフランス留学。
 岡の原理ですが、 たとえ話でいいのでしたら次のようになります。 折り紙で、ある形(例えば鶴)を折って作ることを考えます。 紙を折るのですからゴムのように伸ばしたり縮めたりせずに作るのですが、 もし仮に伸縮自在な折り紙があればもっといろんな形を作ることが出来ますね。 さて次の問題を考えましょう。 作る過程で伸縮を許して出来上がった折り紙に 元の折り紙を伸縮変形した部分が無ければ その形は普通に紙を折ったり開いたり曲げたりするだけでも作れるだろうか、
答えは YES だと思いますが私には厳密な証明はわかりません。 岡の原理はこれよりもう少しこみいった、二つの数学的な手続きについてのもので、 ある種の自由度の大きい変形で移り合えるものは、 実はもっと制約を加えた変形でも移り合うのだということを保証する定理です。これが多変数関数論において非常に基本的なので、 『 岡の原理 』と呼ばれるのです。
 もう少し補足説明をしてみましょうか。 折り紙で、鶴を折って作ることを考えます。 普通の様にして折って出来た鶴を 『 解析的な鶴 』 と呼ぶことにしましょう。 次に、折り紙がゴムのように伸ばしたり縮めたりすることが可能な伸縮自在な 用紙であったと仮定します。 そして、この伸縮自在な折り紙を使って出来た鶴を 『 位相的な鶴 』 と呼ぶ ことにしましょう。 当然の事として出来た 『 解析的な鶴 』 と 『 位相的な鶴 』 は異なる訳であります。 『 岡の原理 』 とは数学的に考察すれば 『 解析的な鶴 』 と 『 位相的な鶴 』 は同じ鶴である と主張するものであります。 つまり、『 解析学の事柄が位相的考察からも導けますよ 』 と岡潔先生は言って居られるのです。GAGA 教授、如何でしょうかね?