2月、「灯台」が東宝で映画化される(鈴木英夫監督)。
3.17日、「少年サンデー」、「少年マガジン」創刊。
3月、3.16日、評論「不道徳教育講座」(中央公論社、装丁・佐野繁次郎)刊。「愛の不安」が文学座アトリエ勉強会により公演される(水田晴康演出)。
4月、4.10日、.皇太子結婚。「皇太子ご結婚祝賀演奏会」(作詞-三島、作曲-黛敏郎、演奏-NHK交響楽団、指揮-ウィルヘルム・シュヒターのカンタータ「祝婚歌」をNHKテレビ、NHKラジオ第一が同時放送)。書評「春日井建氏の歌」、戯曲「熊野~近代能楽集の内 1幕」、随筆「同人雑記」(声3号)。産経ホールにおける週刊文春発刊記念講演会に出席し講演。
5月、 評論「十八歳と三十四歳の肖像画~文学自伝」(群像14巻5号)。
5.10日、大田区馬込東1丁目1333番地(現南馬込4.32.8)に転居。新居の設計は清水建設の鉾之原捷夫で、白亜のコロニアル様式。「不道徳教育講座」が大阪中座で松竹新喜劇6月公演される(館直志脚色)。近代能楽集「綾の鼓・卒塔婆小町・班女」がスウェーデンのストックホルム王立劇場で公演される(ミミ・ポラク演出)。
6.2日、長女・紀子誕生。
6.25日、評論「文章読本」(中央公論社、装丁・三島)刊。
6.27日、現代日本文学特集第5夜「金閣寺」(NHKラジオ第二)放送。第二部座談会「作品をめぐって」に三島が出演。
7月、木曜観劇会「鹿鳴館」(フジテレビ、7.9日放映)。
8月、東調布警察署助教吉川正美6段に剣道の指南を受ける。
8.25日、(普及版)「沈める瀧」(中央公論社、装丁・藤野一友)刊。
9.20日、書き下ろし長編「鏡子の家 第1部」、「鏡子の家 第2部」(新潮社、装丁・岩崎鐸)刊。起稿から約1年半をかけ、広告用ちらし「『鏡この家』そこで私が書いたもの」で次のように語っている。
「金閣寺で私は『個人』を描いたので、この『鏡子の家』では『時代』を描こうと思った。『鏡子の家』の主人公は、人物ではなくて、一つの時代である。この小説は、いわゆる戦後文学ではなく、『戦後は終つた』文学だとも云へるだらう。『戦後は終つた』と信じた時代の、感情と心理の典型的な例を書かうとしたのである。(中略)四人の青年が、鏡子といふ巫女的な女性の媒(なかだ)ちによつて、現代の地獄巡りをする。現代の地獄は、都会的でなければならない。おのづからあらゆる挿話が、東京と紐青に集中するのである」。 |
奥野健男はこの小説を最高傑作と評価し、橋川文三も高評価を与えた。だが、平野謙、山本健吉、臼井吉見、江藤淳らは失敗作と断じ、世間一般の評価も必ずしも芳しいものではなかった。これは、作家として三島が味わった最初の大きな挫折(転機)だったとされている。
編著・写真集「六世中村歌右衛門」(講談社)、評論「六世中村歌右衛門序説」収録。戯曲「女は占領されない」が芸術座で東宝現代劇により公演される(長岡輝子演出)。
10.8-10日、江藤が朝日新聞紙上で「今は昔、革新と伝統」での石原慎太郎発言を批判する評を発表する。江藤は、これを機に石原と距離を取るようになった。
10.19日-3.16日、ラジオ放送「鏡子の家」(ラジオ関東)放送。
10月、戯曲「女は占領されない 4幕11場」、越路吹雪のために執筆。「不道徳教育講座」(フジテレビ、10.15日-1960.8.4日放映)。
11月、短編「影」(オール読物14巻11号)。
11月、日記『裸体と衣裳』(新潮社)刊。
11.30日、評論集「裸体と衣裳」(新潮社、装丁・藤野一友)刊。「桜姫東文章」が歌舞伎座で公演される(久保田万太郎演出)。作者監修。東京宝塚劇場で行われた文士劇「文春顔見世歌舞伎・弁天娘女男白浪」に弁天小僧菊之助役で文士劇最後の出演。
12月、 評論「近代能と新劇 英文」(New Japan)。お母さん「大障碍」(KRテレビ、12.10日放映)。
この年、他にも次の作品がある。戯曲・歌舞伎「熊野」。これは能楽「熊野」をもとにした戯曲。随筆「憂楽帳」(毎日新聞コラム連載)。随筆「十八歳と三十四歳の肖像画」、評論・批評「川端康成氏再説」。対談「劇作家のみたニッポン」(対:テネシー・ウィリアムズ)。