霊の真柱№2

 (最新見直し2013.12.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、平田篤胤の著書の「霊の真柱№1」を確認しておく。出所は「務本塾・人生講座」の「現代語訳・霊の真柱(第五図)」、「現代語訳・霊の真柱(第六図)」、「現代語訳・霊の真柱(第七図)」、「現代語訳・霊の真柱(第八図)」、「現代語訳・霊の真柱・第九・十図(図のみ」、「」である。ここに謝意を申し上げておく。

 2013.12.14日 れんだいこ拝


霊の真柱№2
 「現代語訳・霊の真柱(第五図)」を参照する。
  第五図(イザナギ・イザナミその1)
「古の伝えに曰く、そこで、天ッ神の諸々の神々のお言葉で、イザナギノミコト・イザナミ ノミコトのお二柱の神に向かって、「この漂える国を、造り固めなされ」と仰せられ、アマノヌボコをお授けになり、ことを委ねられたのです。 そこで、お二柱は天の浮き橋にお立ちになり、そのヌボコを下に向けて指し下ろして、流れ漂っている青海原を、コヲロコヲロと掻き回し掻き鳴らして引き上げなされました。その 時に、ヌボコの先からしたたり落ちた塩が、重なり積もりに積もって島になりました、これがオ ノゴロ島です。その二柱は、その島に天降りなされて、天ッ神より賜ったアマノヌホコ突き立て、国の御 柱として見立て、また八尋殿(やひろとの)を見立てなさったのです。故にそのヌホコは後で小山となりました」。
 
 ●二柱の神に、諸々の天ッ神がお授けになったヌホコとは、「玉鉾(たまほこ)と言うように、玉でもって飾ってある矛である」と師が言われたとおりです。
 ●『オノゴロ島日記』に、「この島は淡路島の西北の隅にある胞(えな)の島であり、俗に胞島(えじま」と呼ぶ」とある。「大地の大御柱(おおみはしら)ぞ、夜の人よ、おほにな思ひそ、おのごろ島を」、「この柱かため坐(まさ)ずは、世にありと、ある事物(こともの)の成り出(いで)めやも」。
 「現代語訳・霊の真柱(第六図)」を参照する。
 第六図(イザナギ・イザナミその2)
 「古の伝えに曰く、ここにイザナギノミコトはイザナミノミコトにお尋ねになった。「そなたの体はいかにできているのか」と。すると答えて、「私の体は、成り成りして、成り合わないところがひとところあります」とイザナミノコトは言った。それを聞いたイザナギノミコトは、「我が身は成り成りして、成り余っているところがひとところある。そこで、我が身の成余っているころを、そなたの成り合わないところに刺しふさいで、国を生み成そうと思う。生むこといかに」と問うた。するとイザナミノミコトは、「それはとてもよいことです」とお答えになった。云々・・・。

 さて、結び合われてお生みになった子が、まずアワヂノホノサワケの島を。次にオオヤトトヨアキヅの島をお生みになった。 云々・・・。そうして、この八つの島を始めにお生みになったことによって、ここをオオヤシマの国と言うのです。(ある伝えに、伊伎(いき)の島・津島は無く、越の島・大島は有って曰く、壱岐の島、対馬、及び 所々の小島は皆これ潮沫(しおなわ)が凝り固まったものである。)云々・・・。ここに二柱の神、既に国生みを終えて後に、云々・・・。イザナギノカミが仰せられた、我が生んだ国には霧があり、よい香りが満ちている。その吹き払いの氣を生ずる神の名はシナツヒコノカミ、次に風の神はシナトベノカミである」。

 ●服部中庸の『三大考』は、イザナギ・イザナミの二神が、この大八洲国(おおやしまのくに)をお生みになられたことを述べている。この説は然りである。

 はるか西の果てなる国々の古い伝えに、世の初め、天ッ神が既に天地を造り終わった後に、土のかたまりを二つ丸めて、これを男女の神となし、その男神の名をアダムと言い、女神の名をエバと言う。この二人の神にて国土を成せりという説があるのは我が国の古伝の訛りと思われる。

 はるか西の国の人(ケンペル)の、万国の風土を詳しく記した書の中に、我が国のことを次のように記している。「諸国土の肥え潤って楽しい土地は、北緯三十度より四十度の間に及ぶところはなく、日本はその間に位置している。そのうえ、万国の極東方の境にあるのは、天ツ神のいかなる御心にか、この国を殊の外恵まし、周囲には峻険なる荒海をめぐらし、外国からの侵略を防ぎ、またその地形をここかしこに断り放して、多くの島を合わせたようにしているのは、その土地々々の産物を異ならせて、国中に通用させて、日本が一つの国で外国の産物を望まず、我が国に産出する物で満ち足らそうとしている。 さて、大きからず小さからずと造られたのは、国を実らせ、強くさせようというためである。従って人民が多く住宅が建ち並び、産物が豊かであって、殊に稲穀は万国に卓越して立派である。人の心意気が勇烈強盛であることは、これまた万国に並ぶ国はない。すべてこれは天地を造られた神が、日本に特別なお恵みを給わった徴(しるし)である」。 遙かに西の国人ですら、このような我が国の尊い謂われをわきまえているのに、こちらの学問する者が、そのような尊いものとの謂われを尋ねないのはどうしたことか。

 ●ある人が次のように質問した。「我が国は万国の元の国であって、天と地との切り離れた臍の所であるということは、そうであるようにも思いますが、ここに疑わしいことがあります。それはまず、元の国としては国土が小さいです。末の国とある西の国々よりは事の開けることも遅いのはどうしてですか。元の国であるならばそうではあるべきではないでしょう」。篤胤答えて曰く、「我が国をそのように大きからずにお造りなされたのは、西の国人の考えのような謂われがあって、神がこのような『分量』になされたのは、特別に国のみでなく、物の尊卑美悪は形の大小にはよらない。それは師の翁が言われたように、『数丈の大岩も方寸の玉には及ばない。また牛馬は大きいけれども人には及ばない。国もいかに広く大きくても悪国は悪く、狭小なりといえども美国は美なり』と知るべきである。最近万国の地図を見たが、南極の下の方に大変に大きな国がある。この大地のあらゆる国の三分の一ばかりの大きさで、そこには人も住まず草木さえ生えない。大小でもって国の美し悪しを言うならば、これこそ美国と云うべき。また西の国々よりは事の開けるのが遅いというのは、我が国の人が大らかであって、何事にも賢そうにふるまうことをしないのをこのように言うに過ぎない。これは思慮の足らないものの言い方である。我が国は万国の親国、元国であって、近くの草木の実に例えれば、その臍のところであって、いわゆる地氣が厚いために、何事も大らかで賢そうにふるまうことをしない。瓜の実、桃の実も、それがだんだんに大きくなるのは、臍のところから頭の方へと成っていく。その熟すことは、成り終えた先の方から熟して、臍のところは後で熟するとしたものである。臍のところは成り初める元であるために、その勢いの盛りに厚いからである。すべて天地の間のことは、日の東に見え初める時は、そうも熱くないが、西に見えゆくままに熱くなるように、東に起こって西から変化するものである。天地の間の道理を探求すれば後に明らかになる。

  また鳥獣などは、生まれて直ちに自ら物を食い、二月も三月も経つか経たないかに交尾などをする。これは卑しいものであるからである。それに比べて人は、その為すことが甚だ遅いが、鳥獣よりは尊い格にある。また鳥獣が人に比べて非常に命が短いのも、このように早く事を為してしまう為でもある。諸外国の早く悪賢くなるのも、我が国が長い長い間神代のままに大らかであったのも、これによって知るべし。漢の書籍に『大器晩成』と言うのは、誠にそのとおりの言葉である。

  諸外国は早くより賢しそうに色々な物事を考え出す。これに比して我が国は今もなお大らかで必要以上に賢そうにはしない。君たる人は高枕して、手をこまねいているのに、民たる者は、向股に泥をかき寄せ、肘に水の沫をかき垂れて取り作った物を、献上するのに似ている。これも奇妙で不思議な神々の大御心(おおみこころ)と、このように尊卑の区別を定められていることが原因である。そうであるのを、外国の学びをする輩の、このような謂われも知らず、その外国より産来した事物が我が国の要となるのを見て、弱々しい肩を張り出し、こだまする鼻高やかに、誇っているのは片腹痛いのです。それは儒者のみならず、近頃始まった蘭学という学問の輩、特にこれらは大変にうるさい」。

  そもそも地球は虚空にかかって、丸い形であるものですから、どちらの方も上とも下とも、横とも言うべきでない。こちらから下とする方は、そちらからはこちらを下とする。横の方であっても、どちらも同じことであると心得るのは、ひととおりのことである。それは天と地とが離れて、今のようになったことのみ知って、元の状態を知らないものである。
 「現代語訳・霊の真柱(第七図)」を参照する。
 第七図(イザナギ・イザナミその3)
 「古の伝えに曰く。ここにイザナギノミコトが申されました。いとしい我が妹のミコトを、子の一人と取り替えるとは。云々・・・ 。十拳の剣(とくさのつるぎ)を抜き放つと、その子カグツチノカミ頸(くび)を切り落としてしまわれた。すると、そのお刀の先のしたたりついた血は、天の安之河原の多くの岩群(いわむら)となり、これはフツヌシノカミの御祖(みおや)なり。云々・・・。この時の血が、岩群草木に飛び走りつたため、草木、砂石(いさご)もまた自ずから火を含むのです。云々・・・。ここに殺されたカグツチノカミのお体の、その一部からお生まれになった神の名は、イカヅチノカミ。次の一部からお生まれになった神の名は、オオヤマツミノカミ。次の一部からお生まれになった神の名はタカオカミノカミ」。
 ヌナガワヒメノカミの歌。「青山に比がかくらば、ぬばたまの夜は出なむ」。

 イザナギノミコトが女神の後を追って、黄泉の国に行かれたときのお言葉に、「我とお前で造った国は、いまだ造り終えてはいない。さあ帰ろう」と申された。また、イザナミノミコトが男神を黄泉つ平坂まで追いついて、そ
の死に別れの時のお言葉に、「我とお前が生んだ国は、もっと更にうまく生めるのに」と申された。
 「現代語訳・霊の真柱(第八図)」を参照する。
 第八図(天照大神・スサノヲノカミ)
 「古の伝えに曰わく、ここにイザナギノミコトは「我れは、なんともひどくよごれた穢らわ しい国に行ってしまったことよ。それゆえに、われはこの身の禊ぎをせねばならぬ」と言わ れた。云々・・・。日向の橘の小門の阿波の原にお出ましになり、禊ぎ払いをなされました。云々・・・。中 のあたりの瀬に降り、水の中に潜って身を洗いすすがれました。その時成れる神の名はヤソ マガツヒノカミ、次にオオマガツヒノカミです。このお二方は、その穢れ繁き国に至った時 の汚れた垢から成り出た神です。云々・・・。次に、その身に付いた禍を直そうとして成り 出た神の名は、カムナホビノカミ、次にオホナオビノカミ、云々・・・。

 さて禊ぎの後に、左の御目を洗いたもうた時に成り出た神の名は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、またの御 名はアマテラスオオヒルメノミコト。次に、右の御目を洗いたもうた時に成り出た神の名は、ツクヨミノミコト又の名はタケハヤスサノオノミコトです。

 この時、イザナギノミコトはいたく喜んで「我れは、子を生み生みて、生みの果てに二柱 の貴い子を得たことよ」と申されました。その天照大御神は御身から明るい光が輝いて、世 界中を照りとおした。イザナギノミコトは喜んで「我が子はたくさんいるけれども、まだこ んな霊妙な子はなかった。長く地にとどめてはいけない」と申されて、すぐさま、うなじに 掛けた首飾りをはずし、その玉を貫いた緒ゆらゆらと取りゆらかしながら天照大御神に向か って「そなたは高天の原を治めたまえ」と仰せになり、すべてのことを委ねて首飾りを授けられました。この時、天と地はまだそんなに遠ざかってはいなかった。それで天の御柱によって天上に送り上げられました。云々・・・。


 次に、タケハヤスサノヲノミコトに仰せられた。「そなたは、潮が八百に重なる青海原を治 めよ」委ねられました。 ここにハヤスサノヲノミコトだけは、委ねられた国を治めようとはせずに、云々・・・。哭きわめいて云々・・・。


 そこで、イザナギノ大御神は「いかなる訳があって、汝は我がことを委ねた海原を治めもせずに、哭きさわいでいるの か」と問うったのです。するとハヤスサノヲは答えて、「私は母の国である根の堅州の国に行かんことを願っているのです。だからこうして哭いて いるのです」。それを聞いたイザナギノ大御神は、ひどくお怒りになって、「そうであるならば、汝は、この国に住むことはならぬぞ。思うがままに根の国に行くがよい」と申されました。ここでスサノヲノミコトは「しからば、天照大御神さまに訳を申し上げてからおいとましたい」と願い、許しを得て天に昇って行った。イザナギノ大御神はここにすでに功をなしとげ、その威徳も大きかった。そこで天に登っ て報告し、日の少宮(ワカミヤ)に留まり住まわれました。

  「現代語訳・霊の真柱・第九・十図(図のみ」を参照する。

霊の真柱№3
 国譲り譚
 「大国主曰く『この葦原中国は命のままに既に献らん。(中略) 我は百不足八十隅手に隠りて侍なし』。ここに武甕槌神云々。大国主曰く『天神の命かくしも慇懃なるを、など御言に違いまつらん。我が治らする顕事は天神の御子治らすべし。我は隠りて幽事を治らん』。かく報命白し給いき。」。
 顕事幽事譚
 「さて顕明事と幽冥事との区別をつらつら思うと、人間もこのように生きて現世にあるうちは顕明事で天皇の民であるが、死ぬと、その魂は即ち神となり、かの幽霊、冥魂などのように、既に幽冥帰するのであるから、その冥府を司る大神、つまり大国主神に帰服し奉り、その御掟に従うことになるのである。又このように冥府にありつつ、この顕明の君、親、又子孫を助け守ること、それは大国主神が隠れましつつ世を守り給うのと同じである」(「日本の名著」214P)
 「では、この国土の人が死んだ後、その魂はどこに行くのかと云えば、それは永久にこの国土にいるのである。(中略) この現世にいる人間には、容易には、どこにいると指して云うことができ難いのである。(中略) では、どういう訳で、定かに知りえないのかと云うと、遠い神代に高皇、神皇の両産霊の神たちがお定めになった大詔のままに八十隅手に隠れられた大国主神の治められたる冥府に帰属してしまっているからである。(中略) そもそもの冥府と云うのは、この国土の外の別のどこかにある訳ではない。この国土の内のどこにでもあるのであるが、ただ幽冥(ほのか)にして現世とは隔たっており、目に見ることができないのである」(「日本の名著」241P)
 「さて、この現世に生きる人々も世にあるうちはこのようであるが、死んで幽冥に帰すると、その霊魂は即ち神となり、その霊異(くしび)なることは、そのほどほどに従って、あるいは貴く賎しく、あるいは善く悪く、あるいは剛く弱くと違いはあるが、中でも優れたものは神代の神の霊異さにも劣らぬ働きを為し、又事が起らない前から、その事を人に悟らせるなど神代の神と異なるところがないのである。(中略) では、黄泉に往かないならば、どこにとどまって、このように君親妻子を守るのであろうか。社や祠(ほこら)などを建て祭られた神々はそこに鎮まります訳であるが、そうではないものは、その墓のほとりに鎮まりますのである。この場合にも、天地と共に永久にそこに鎮まりますことは、神々が永久に社、祠に鎮まりますのと同じである」(「日本の名著」244P)





(私論.私見)