平田篤胤大人『弘仁歴運記考』に曰く、
「決め難ねつれば、毎もかく苦しき瀬には行ふ如く、久延毘古神(天勝国勝奇霊千憑毘古命)に祈りて寢たるに、夢現の間に、『万の大数を捨て、千の小数を取れ』と告ぐる声、しきりに響き聞えたり。これは実に天保二辛卯年の九月朔日の夜の事にて、素より神の照覧はし給ふ所なり。この事のみに非ず。己が考へには、往々かゝる夢想の事あり。管子の内業心術などの篇に、『之を思へ、之を思へ、又た重ねて之を思へ、之を思ふて通ぜざれば、鬼神、將に之を通ぜむとす。鬼神の力に非ず、精気の極也』と云へるが、かゝる事にや。‥‥本文の小数たる二千四百七十余歳(『帝王編年記』云、神武天皇御宇七十六年、或は七十九年。『天神祇王代記』云、天祖の天降以來、神武天皇に至り、合せて壹百七十九万二千四百七十九年)は、天祖降臨辛酉年より、神武天皇の崩御までを数へたる、実数の古説なること疑なし」。
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