春の紅葉

 (最新見直し2013.12.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、平田篤胤著書の「春の紅葉」を確認しておく。

 2013.12.14日 れんだいこ拝


【或る御方への願書案】
 「備中處士の平田篤胤大人遺文」の「春の紅葉」を転載する。
 枉禍の宗源は、火の穢れに在り。 投稿者:備中處士 投稿日:2010年 1月22日

 平田篤胤大人『春の紅葉のはしがき』(川崎重恭翁の所著三卷の序。佐佐木信綱博士校註『平田篤胤歌文集』昭和十六年四月・冨山房刊に所收)に曰く、

 「わが師・本居の宇斯(大人)の玉鉾百首に、「家も身も 国もけがすな 穢れはし神のいみます ゆゝしき罪を」、また「竈(かま)の火の けがれ忌々(ゆゝ)しも 家ぬちは 火し汚るれば禍(まが)おこるもの」と詠まれし二首はも、玉幸はふ神世のまさ道、まつぶさに見し明らめて、火の汚るれば、伊都速き火牟須比神、いち速びて、災のおこる道理(ことわり)をし、世に諭されし歌どもなり。

 然るにこの神はし、掛けまくも畏き皇祖二柱の大神の麻奈弟子に生みませる神にて、火のもとつ神にしませば、その生ましの時しも、御母の神の御保登やかえて、岩屋をさして幽りませりき。そは後のさはりを治めむとの御わざにしあれば、是ぞ対屋(たや)のはじめ、汚れ火の始めにはありける。さるを御父の大神、いと異(け)しかる事におもほし坐して、その戸をおしあけ御覽(みそな)はせれば、女神、いたく恥ぢ恨まして、つひに醜(しこ)めき豫美都国に神さかり往で坐しけり。こゝに男神、いといたく歎かひまし、この御子の生れまさずば、然ることのあるまじものをと、かつ御怒りまして、十握の剣もて、火神を斬り給へれば、その御霊の火、ちりほびこりて、木・草・砂(いさご)は更なり、あらゆる物に火をふゝむ事とはなりぬ。世の諺に、「火神は、ことに産屋・対屋・宍(しゝ)むらの汚れを惡(きら)ひ、刃物を竈所におくことを忌まひ、火の穢るれば、荒び給ふ」と云ふなるは、この由緒(いはれ)による事なり。

 そは神の御典の伝へをし見れば、穢れはすべて宍くしろ豫美につくといふ道理しるく、御母の神は、その国に往きまし、おのれ命は、その事ゆゑに斬られ給へれば、かの国につける事物をし、いたく惡ひ給ふ故に、荒び給ふになもありける。かれ是をもて、御母の大神、その豫美道より帰りまして、また更に水神・土神・ひさご・川菜をうみ給ひて、「この荒ぶる御子の荒びせば、水の神はひさご、土の神は川菜をもちて、鎭めまつれ」と教へ給ひき。是ぞ、火しづめ祭りの事の本なる。かくてこの神の御社、こゝら有るが中に、山城国愛宕郡なる御社をしも、阿多古神社とまをす事は、古き人の言に、「御母の神の燒けそこなはれ給へる故に、仇子のこゝろぞ」と言へるは、然ることにて、この御社を、火守の神と、世にもて齋くことは、火鎭めまつりの旨にもかなひて、げにも宜なるならひにこそ。さはあれど、さるに取りては、亦いとあかず、口をしき事にぞあんなる。

 然るは、この大江戸はしも、四方八方の人ども入り来集ひて、天の下にたぐひなき眞盛りの里にしあれば、人の家居は、戸窓のきかひ、とり葺く萱も軋らふまでに立ちつゞき、千万の事ども足らはぬ事なく栄ゆるからに、もろこしの戎(から)学びはさらなり、遠き西なるえみしの国のもの学びさへに起り栄えて、そのさまゞゝをし好む倫ひは、彌や日けにふえ弘ごりつゝ、神の御国の古へぶりを、惟神なる道としも知らず、からの徑(みち)もて、何くれと云ひけちて、血いみの汚れ、宍火の汚れを重くし給ふ神のみかどの御定めをば、いと心せき、この国ぶりのならひのごと、論ひかすめ、「獣(けだもの)食らふとも、何ちふ汚れかはあらむ。我らが学ぶにし国学びに、然る窮理はなきものをや」など、言ひ弘むれば、知るも知らぬも、然るえびす心にうつり染みつゝ、その所行にならふ徒がら、日にけに多くなりもて行くとぞ。信(まこと)にさもあらむと覚ゆるよしは、年々に獣の宍うる店の、まちゝゝに建ちまさるにて知らる。これはしも、己がいと若かりしほどは、冬ひとへを着るばかりの貧しき男の、寒さに堪へぬか、然らぬは、病ひ人の薬にとて、食らふがまれにありしも、人には恥ぢ、かくしたりけるを、今しは病ひ人ならず、筑紫の綿あたゝかに、美麗しき衣かさね着たる富人さへに、憚らず食らふこととしも成りぬるは、外つ国ぶりに率(まじ)こりれる故ならざらめや。それがうへに、處がらかも、對屋のさはり、産屋の汚れも避けあへずて、中つ世に御おきてありし甲乙丙丁のついでも知らず。いわゆる目かし口かしは更なり、かしこに行き触れ、こゝに来ふれて、互(かたみ)に汚れかはしつゝぞあんめる。然ればこれをしも、古の道のまにゝゝ種々まぎてば、秋の末より春かけて、獸うる間はさらにも云はず、中より末のもろ人に、甲乙丙丁の汚れにもるゝは、多くもあるまじくぞ所思ゆる。

 然しもあまたの人の身と家の穢れ、こはまた自らに處をも汚す理にしあれば、火神の御こゝろ、平穩(おだひ)ならず、御まもりなき時をまち得て、かの古くたとびの天つ伎都禰(きつね)と名におへるが、五月蠅なす喧ぎたちて、或はわろ者につきて火を放たせ、或は人に火の過ちなどせしめて、忌々しき災ひを引きおこす趣なること、古き書にも何くれと見ゆるを、このまが者等はも、皇国にもとよりありこし物にはあらず、立ちすくむ中子(立ちすくみ・中子、共に齋宮の忌詞にて仏を謂ふ)の道の渡れるより出来し物なり。そは近く、林羅山先生(せむじやう)の説きごとに、「我が邦にて、天狗(あまつきつね)としも云ふは、沙門の化(な)れる物にて、或は佛菩薩、相(かたち)を現はして人を惑はし、或は山ぶし狐などにも化りて、人の福(さち)あるを禍となし、世の治まれるを乱さむとかまへ、火災(みづながし)をおこし、鬪諍ひをも起すものぞ」と云はれしを以て知るべし。実にも今、この『春の紅葉』の神異のくだりに、集めしるせる条々を見るにも、「吾妻の遠のみかどに、学びの道をひらかれし先生とて、畏くも思ひ得られたりけり」と、いと珍らしく感(おむ)かしき説となも、思ひ合はさる。然れば古ことの学びせむ徒がらは、能くこの由(ゆゑ)よし弁へて、大祓ひ、また火しづめ祭りの神わざはし解怠(おこた)るまじき事にこそ。たゞに火をおろそかに過てる故に、水ながしとは成りぬとのみ思はむは、凡常(よのつね)のことにこそあれ。古語に、「よく古を云う者は、今にしるしあり。よく人の道を知るものは、能く天地の道をも知る」と云へり。顯世(ひとのよ)のことを述べむに、幽事(かくりごと)のもとをし尋めずば、物識れる人としも云はめや。

 抑々のふみ書きつめし重恭の子はも、我が古き教え子にて、元より筆とるわざにさとく、常に然る意ばへをも思ひてあれば、現にありし上の御おきては更なり、幽れて知られぬ物わざをも、見聞きし限りかき集へたる、このふみよ、見るにうち置かれず、或はきも冷え、あるは歎かれ、或は尊き御惠みなど、そのさま詳(さだか)にかき寄せしは、石の上ふる事ならぬと、生々(なまゝゝ)の事知りらが、さえまぐりに書き散らせるかしら書の、とり見るより、まづ眠らるゝ類ひならず。ありのままなる真実を伝ふる書にして、実事のうへにて道をしる、我がいにしへ学びのたすけとなり、また後の世人の、この災事(まがごと)をしのがるべき心どめともなりなむと、こよなく悦びおもはれて、かくなも初めに、いぶき添へつる時は、文政の十まり三とせと云ふ年のきさらぎ初午の日になもありける。氣吹の屋のあろじ・平の篤胤。

 かく書きをへて見れば、一つの考へめきて、端がきとしも見えぬが、我ながら傍らいたく、ひとり笑ひせられてかきまする春のもみぢの端がきにはしがきとしもあらぬ落葉を」。






(私論.私見)