「古今無比の正しき学」への贈位を乞ひ奉る。投稿者:備中處士 投稿日:2009年12月 4日
平田篤胤大人『或る御方への願書案』に曰く、
「一、家臣と家頼との差別、これあり候ふ儀、御承知の如くに御座候ふ。然るに將軍御家臣の大名達、摂家方の御家頼と相成り居り候ふ衆々、数多これあり候ふ。私儀、もし御執り持ちに依りて、御家來と相成り候ふ上、三家(尾張・紀伊・水戸)・三卿(田安・一橋・清水)・国守などの家に奉公仕り候ふとも、右の例を以て、そのまま御家来と成し下し置かれ候ふ儀、相成り申すまじく候ふ哉。
一、神社へ位階を御贈り遊ばされ候ふ旧例相考へ候ふ所、最初はその所々にて、私に祠ひ候ふ社に候ふを、後にその子孫、又は信仰の者より言上に及び、上にもその神功を思し召され候うて、位階を贈られ、宦社にも遊ばされ候ふが多く御座候ふ。この例を以て、先師亡霊(鈴屋本居宣長大人)へ位階御執奏の儀、御伺ひ申し上げ奉り候ふ所、在命ならぬ者へ贈り下され候ふ儀、相叶ひがたき旨、御示し成し下され、謹みて承知奉り候ふ。但しこの儀に付き、又いさゝか存念の旨、申し上げ試み候ふ。位官相兼ね下され候ふ義は、存命ならぬ庶士の義に御座候得ば、官職の儀は下し置かれ候ふ儀、相叶ひ申すまじく候ふとも、位階計りを下し置かれ候ふ樣、御執り成し相叶ひ申すまじく候ふ哉。
近例は伊勢国伊達遠江守殿家臣・矢部清兵衞と申す者、無実の罪にて刑せられ候ふ後、嚴しき祟りこれあり候ふ故、伊達家より申し上げられ候うて、その亡霊へ位階下され、和霊明神と申す勅額成し下され候ふと申す儀、風聞伝承仕り罷り在り候ふ。
一、もし右の儀、伝承の誤りにも無御座く候はゞ、今般、御所樣より、本居名神社とか、本居霊神社とか、御額成し下され候ふ儀、相叶ひ申すまじく候ふ哉。但し今時は、親規の社造営など申す儀は、御禁制に御座候ふ事、承知奉り罷り在り候ふ故、決して目立ち候ふ樣なる義、仕り候ふと申すにては無御座く候ふ。只々先師子孫の者の地内か、又は門人共の内には、社家も数(愚案、「多」字の脱か)御座候へば、その社地などに小祠を造り、近くは下御霊社地・山崎埀加の霊を、埀加霊社と祠り候ふ体に仕り候ふ義に御座候ふ。夢々横行に致し候ふ義には無御座候ふ。
一、右の御縁を以て、御額下し置かれ候ふ御懇命の筋を以て、後年に至り御願ひ申し上げ候はゞ、位階御執奏成し下され候ふ樣の御手続き、相叶ひ申すまじく候ふ哉。
一、先師儀、存命中に、御所樣へ御縁の儀もこれなき故、今般の願ひ筋、御聞き濟み遊ばされがたき由、御示し成し下され、謹みて承知奉り候ふ。左樣御座候はゞ、先師門人の内、恐れながら御家頼に成され候ふ上は、取りも直さず、先師やがて御所樣御家來と申す筋にも相成るべく、その上にては、その者より御願ひ申し上げ候ふ御縁を以て、御計ひ遊ばされ下され候ふ儀、相成り申すまじく候ふ哉。
一、若し門人の内にては、御縁薄く御座候はゞ、先師子孫の者の内、御家來に相成り候はゞ、如何に候ら半ん。
私、本生先祖の儀は、下總国々守・千葉介平常胤末流の者に御座候うて、吉野内裡へ御方申し上げ、親子二代まで皇軍に従い、討死に仕り候ふ事、系譜に記し伝へ候ふ事に御座候ふ。先師先祖は、勢州国司・北畠殿へ奉公仕り、皇軍に従い、討死に仕り候ふ者も、数人これあり候ふ。これまた系譜に相見え申し候ふ。然るところ、不測に私儀、先師学風に相従い、段段深く相学び候ふところ、実に古今無比の正しき学風にて、皇朝の古道を説明され候ふ事々、心醉仕り候うて、その志を相継ぎ、一日も師恩を忘れ候ふ隙なく、丹心に学ぶ事、相勤め候ふところ、今年九月二十九日は、二十三囘忌に相當仕り候ふ故、願はくはこの儀、成就仕り候うて、師恩の万分の一を報じ申したき心底の儀、御汲み分け下され、何分宜しく勘考成し下さるべく、相なるべくは、御下紙成し下され候ふ樣、願ひ上げ奉り候ふ。文政六年八月」と。
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