17条憲法考 |
更新日/2018(平成30).5.8日
(れんだいこのショートメッセージ) |
604.4.3日、推古天皇の御世12年夏、摂政職の聖徳太子が17条憲法を制定した。その趣旨は、1・指導理念としての和の政治、2・神道に代えて仏教に基づく政治、3・豪族連合体制から一層の天皇制中央集権化、4・官僚の服務規程等々を規定し説教したことにある。その言は、時代と体制を超えて今も有効な名句に散りばめられている。 |
【聖徳太子の十七条憲法】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Re:れんだいこのカンテラ時評244 | れんだいこ | 2006/12/21 |
【れんだいこの聖徳太子の憲法17条現代文訳】 推古天皇の御世12年夏(604.4.3日、皇太子自らが筆を執り憲法十七條を策定する。 (第1条、総合規定その1、「和を以て貴しを旨とせよ」の規定) 一に曰く、和を以て貴しと為し、争い無きを宗とせよ。人は皆、党派に属して群れたがるものであり、道理を弁える物分りの良い者は少ない。そういう訳で、君主の命に従わぬこともある。あるいは隣近所と仲違いを起し祖法に違うこともある。しかれども、上和し下睦み、互いが襟を正して事を論ずれば、物事の理自ら通じ、不祥事は起きないとしたものだ。 (第2条、総合規定その2、「仏教の教えを国の基本とせよ」の規定) 二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝者とは、仏法僧のことである。仏教は、あらゆる生き物が最終的に帰すところの万国の極めの宗である。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざるか。人は、はなはだ悪しき者は少なし。能く教えれば之に従う。それ、仏法に基づかね何を以て曲がれるを直さん。 (第3条、官吏服務規程その1、「天皇の詔勅を尊び従え」の規定) 三に曰く、詔を承りては必ず謹め。君は天であり臣は地である。天が地を支配するからこそ四季が正しく廻り、四方の万物に精気が通うとしたものだ。逆に、地が天を覆うことを欲するときは、秩序が破壊され雑音がかまびすしくなる。君の言を臣が承わり、上の行いに下は靡くとしたものだ。故に、詔を承ては必ず従え。尊び従わねば自滅しようぞ。 (第4条、官吏服務規程その2、「役人は礼儀を重んぜよ」との規定) 四に曰く、役人は、礼を以て本と為せ。それ民を治むるの根本は礼に在る。上に礼無ければ下が従わない。下に礼無ければ必ず罪人を生む。君臣に礼有るときは職位の席次が乱れない。百姓に礼有れば国家は自ずと治まる。 (第5条、官吏服務規程その3、「役人は職務を私物化する勿れ」との規定) 五に曰く、役人は、饗応接待を絶ち、私欲を棄て、訴訟に対しては公明厳正に審査し判決しなければならない。それ百姓の訟えは一日に千件ほどあり、それ以上の日もある。一日でもこのありさまであるから、これを毎年累積させればどうなるか。 この頃、訴訟を担当する者に私利私欲に走る者がある。彼らは、賄賂を見て裁決する。財力有る者の訴えは石を水中に投げるように受け入れられ、貧しき者の訟は水を石に投るに似て聞き入れられない。こういうことだから貧民は頼るべきところが持てず困惑せしめられている。こういうことが罷り通るのは役人が君臣の道に背いているからである。 (第6条、官吏服務規程その4、「役人は阿諛追従を戒め忠義を重んぜよ」との規定) 六に曰く、勧善懲悪は古の良き法である。これにより人が善に欠けること無く、悪を見ては必ず正すことになる。それ、諂い偽る者は、国家を覆す利器であり、人民を滅ぼす鋭利な剣である。又、妬み媚びる者は、上に対しては好んで下の者の過失を言いつけ、下の者に会えば上の過ちを誹謗する。それ、これらの人は皆、君主に対する忠義心が無く、人民に対する仁徳が無い。これは大乱の基いである。 (第7条、官吏服務規程その5、「役人の権力乱用の戒め」の規定) 七に曰く、役人には各々任務があり、権力を乱用してはならない。それ、賢哲が官に任ぜられれば良い評判が立ち、悪賢い者が官に任ぜられれば災禍が多くなる。世の中の人で道理を弁える者少なけれども、心掛け次第で聖人になることができよう。 諸事大きなことも小さきことにも適任の人を得れば治まる。有事の急無い折には緩めるのが良い。賢者が出れば自ずと寛がせるものである。これによって国家は永久となり、朝廷が危うくなることは無い。故に、古の聖王は官職に相応しい人を求め、誰でもあてがったのではない。 (第8条、官吏服務規程その6、「役人の出仕と退出の要領」の規定) 八に曰く、役人は朝早く出仕し、遅く退出せよ。公務には暇なく一日中限が無いぐらいで良い。逆に、朝遅く出仕すれば緊急の用に間に合わない。早く退出するようでは、事務を中途半端にし残してしまうことになろう。 (第9条、官吏服務規程その7、「役人には信義誠実が肝要」との規定) 九に曰く、信はこれ義の根本である。事を司るに当っては、信有れ。それ善悪成敗の肝要は信にある。君臣共に信あるときは、不祥事は起きないとしたものだ。君臣間に信無ければ、万事にことごとく失敗しよう。 (第10条、官吏服務規程その8、「役人は恣意的な怒りの専横を慎むべし、衆議を重んぜよ」との規定) 十に曰く、怒りを絶ち、不明を棄て、人の間違いを怒ってはならない。人には皆心が有る。心には各々拘りが有る。彼が是としても我には非なり、我が是としても彼には非なり。我は必ずしも聖に非ず。彼も又必ずしも愚に非ず。共にそれ凡夫としてあるのみであろう。是非の理、誰が能く定めることができよう。 賢なる者も愚なる者も相共に、耳輪の端が無いようなものである。故に、彼が不明なる者と雖も、却って我が過ちを恐れよ。自分独りが能く会得していることであっても、衆議に諮り言と行いを協同せよ。 (第11条、官吏服務規程その9、「役人は信賞必罰を厳正にせよ」との規定) 十一に曰く、功罪を明らかに察して、賞罰を厳正にせよ。この頃、賞が適正でなく、罪が罰として罰せられていない。最高権限を持つ官僚は、賞罰を厳正にせねばならない。 (第12条、官吏服務規程その10、「役人による民百姓に対する圧政厳禁」の規定) 十二に曰く、国司、国造よ、政治に於いて民百姓を苛斂誅求すること勿れ。国に二君居ることが非のように、民百姓にも両主は無い。国内の億兆の民百姓は王を主と為している。任に就いた役所の官吏は皆これ王の家臣である。税を賦課するのに何ぞ敢て百姓に苛斂誅求するのか。 (第13条、官吏服務規程その11、「役人の職務精通と業務引継ぎ」の規定) 十三に曰く、諸々の任官者よ、職掌を相応わしく精通しなさい。或る者は知り、或る者は未熟の者が有り、職能不足の者も居る。そうこうするうちにやがて業務に精通する日がこよう。知ったならば前々より精通していたかの如く振舞いなさい。それ、自分の管轄外だと云う理由で、前任者のしたことは分からないなどと云って公務を防げること勿れ。 (第14条、官吏服務規程その12、「役人は相互の嫉妬を慎め」の規定) 十四に曰く、役人よ、互いに嫉妬してはならない。我が人を妬めば、人も又我を妬む。嫉妬の患いは極まりを知らない。そういう手合いは、相手の智が自分より勝っていれば悦べず、相手の才が自分より優れていれば妬む。五百年ぐらい経てば賢者に遇うことはできるかも知れない。しかし、たった一人の聖人が出現するのは千年でも難しい。それ、聖と賢なる者を得ぬままどうやって国を治めようか。 (第15条、官吏服務規程その13、「役人は私心を慎め」の規定) 十五に曰く、私心を捨てて公務に就くのが臣の道である。凡そ人に私心あれば必ず恨み有り。憾み有れば必ず独断を招く。独断の私心は公務を妨げる。憾み起れば制度を狂わせ、法秩序を害う。故に、第一条で上下相和し襟を正して議論しなさいと指摘している。それは、こういう心情からであるぞよ。 (第16条、官吏服務規程その14、「役人による民百姓に対する労役賦課の際の原則」の規定) 十六に曰く、民百姓を使役せしめるには時期を考慮せよとは古の良典なり。それに拠れば、冬の月には暇有り。よって民を使うべし。春より秋に於いては農業や養蚕の季節であるので民を使うべからず。それ、農ならざれば何をか食はん。養蚕ならずば何をか着ん。 (第17条、官吏服務規程その15、「役人は万機公論を重んぜよ」の規定) 十七に曰く、それ、何事も独断すべからず。必ず衆議により共に宜しく論ずるべし。些細なことは衆と論ずることもない。但し、大事を論ずる際には万一の過ち有る事を疑い、衆と共に相弁ぜよ。そうすれば道理にかなう結論が得られよう。 聖徳太子の十七条憲法の研究(rendaizi_rekishikankei_syotokutaishico.htm) 2006.12.21日 れんだいこ拝 |
【(聖徳太子)十七条憲法考】 |
17条憲法に貫く徳目の順序が興味深い。儒教思想によれば「仁、義、礼、智、信」と並ぶところ、17条憲法では「和(仁)、礼、信、義、智」となっている。 |
(私論.私見)