正式に世界文化遺産に登録されれば、国連の下部機関であるユネスコから助成金が出される。それには行き届いた維持管理と一般公開が前提となるが、宮内庁の管轄下にあり、内部への立ち入りが許されない古墳は大丈夫なのかとの不安はあった。しかし、一般人の上陸を禁止している宗像大社の沖ノ島が世界遺産に指定された前例(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として、2017年に登録)ができ、外観だけの公開でも問題なしとなったことで、この問題はクリアとなった。
ところで、百舌鳥古墳群のなかで最大規模を誇るものには仁徳天皇陵=大仙陵(大山)古墳、同じく古市古墳群のそれには応神天皇陵=誉田御廟山(誉田山)古墳と、大きく二つの呼び方がある。なぜかといえば、古墳に眠るのが誰なのか正確にはわからないからである。どの古墳に誰が眠るかの特定がなされたのは明治になってからのことで、それは日本初の歴史書である日本書紀の記述と、江戸時代の実地調査をもとに行なわれた。埋葬地として記された地域でもっとも相応しいと判断されたものが選ばれたわけで、科学的な根拠と言えるものはないに等しい。それだけに、戦後になって古墳周辺の発掘調査が許されるとともに、時代的に合わないものが多々明らかとなった。そのため考古学と歴史学の世界では天皇陵という呼び方をやめ、地名に由来する呼び方をするようになったのである。
宮内庁としては過去の指定を間違いと認めるわけにはいかず、そうかと言って考古学的な裏付けを無視するわけにもいかない。天皇陵である可能性のある古墳46基を「陵墓参考地」として宮内庁の管轄下に入れ、立ち入り禁止にするという策を講じている。現在までのところ、天皇、皇后、皇族方が眠る陵墓と「参考地」の合計は約900基を数えている。