両翁媼の物語、両翁媼の頼み |
足名槌 |
「はいはい。ばあさんも、ちんしゃれ、ちんしゃれ。我われと申しまするは、この簸(ひ)の川上に住まいつかまつる、足名槌(あしなづち)、手名槌(てなづち)と申す両翁媼(りょうとんば)にござりまする。後ろには千町の山を持ち、前には千町の田畑を持ち、子宝としては、女ばかりではござりまするが、八人までも持ち、一派長者鏡として世にうたわれ、なに不自由なく暮らしおりましてごわりまする」。 |
素戔鳴 |
「こは、めでたきことかな」。 |
足名槌 |
「はいはい。めでたいと申しまするかどうか。満つるは欠くる世のたとえ、ある年、大干魃(かんぱつ)日照りが続きまして、前の千町の田がカラリと干上がりましてごわりまする」。 |
素戔鳴 |
「こは、気の毒なることかや」。 |
足名槌 |
「これでは稲を実取ることも出来ず、いかがいたしたがよろしいかと心配いたし、ある夜、じじとばばの寝話に、前の千町の田に水を潤いくださる神があるなれば、娘の一人ぐらいは差し上げてもよいのにと話しましたるところ、なに神様がお聞きになったのか、翌朝起きて見ると、前の千町の田に水がターップラと当たっておるではございませんか」。 |
素戔鳴 |
「こは、不思議なることかや」。 |
足名槌 |
「やれ、ありがたや、いずこの神様が水を潤いくだされたのかと喜んでおりましたところ、出雲、石見の国、伯キの国の三カ国の境界にまたがる仙神山には鳥上川に大きな滝がござりましてな。そこには頭が八つ尾が八つ、目は鏡の如く照り輝き、背びれ尾ひれをたなびかせた八股(やちまた)の太蛇(おろち)めが住まい致してな。そのオロチめが姫欲しさに雨をくれたとみえ、乾(いぬい)の方角に当たる鳥がんが池の上空より、黒墨を流したような黒雲に打ち乗り、ニョロニョロと我が家をめざしてやって参りまして、アレヨアレヨと言ううちに、姉娘をカップリと、とち喰らいましてごわりまする」。 |
素戔鳴 |
「こは、恐ろしきことかや」。 |
足名槌 |
「はいはい。嘆き悲しんでおりましたところ、その翌年も、月も変わらず、日も変わらず、刻も変わらず、八岐(やまた)の太蛇がやって来て、次の姉娘を、またもやカップリと、とち喰らいましてごわります。それからというものは、翌年も翌年もと、月も変わらず、日も変わらず、六年間に六人までもとち喰らいましてごわります。途中で一人は病死するやら、六年の間に七人の娘を失いましてごわりまする」。 |
素戔鳴 |
「聞けば聞くほど、気の毒なることなり」。 |
足名槌 |
「後に一人残った奇稲田姫(くしいなだひめ)が、当年当月、取られ番に当たっておりますので、なんとかして姫の命を助けたく思い、こうして毎日毎日、御ばさくさ様に参詣為し、姫の命が長らえるようお願いいたしている次第でございます。今も今とて、御ばさくさ様にお参りしての帰り、御命様にお出会い申した次第でございます。お見受け申しますところ、御命様は勇気武々しい御神様と見受けます。なんとか姫の命をお助けくださる手段をお教えくださいますなら、はい、ありがたき幸せに存じまする」。 |
素戔鳴 |
「して、奇稲田姫は、未だ無事、堅固なるかや」。 |
足名槌 |
「はいはい。無事堅固と申しましょうか。時には思い出してシクシク泣いておりますが、また忘れたように、おしろいを付け、紅を付け、頭をなで、尻をなで、ピンコ、シャンコといたしておりまする」。 |
素戔鳴 |
「姫が無事堅固とあるならば、その姫を我にくれんかや」。 |
足名槌 |
「それは叉、神様(ののうさま)までが何のお恨みにてござりまするや」。 |
素戔鳴 |
「恨みにあらず。太蛇を退治することは、いと易きことなれども、大蛇と云えども生有るもの。罪なき殺生為し難し。姫を我にくれるとならば、大蛇は姉姉の仇(かたき)となる。敵の意を含めて謀事(はかりごと)を巡らし、太蛇を寸々に切り平らげ、姫もろとも、世を安穏に過ごさせ申さんぞな」。 |
足名槌 |
「はいはい。こはありがたきお言葉。早速差し上げると申し上げるのが本意ではございますが、ばばがおりまするで、このばばに相談する間、しばらくのご猶予を給わりとう存じまする」。 |
素戔鳴 |
「これはしたり。夫婦談合は世の習い。とくと相談為し申せよ」。 |
足名槌 |
「これこれ、ばあさんや。お前も聞いたであろうが、ここにおられるのは、素戔鳴ののーのー様云うて、勇気武々しい神様じゃ。姫の話をしたところ、稲田姫を我にくれんか、我にくれたなら、姉姉六人の仇として太蛇は退治してやろうと、かようにおっしゃるが、姫を差し上げて、太蛇を退治してもらったらどうだろうかのう」。 |
手名槌 |
「おじいさん。いい(奇稲田姫の愛称)を差し上げるのは、いと易いことではございますが、差し上げてしまえば、じいとばばあの二人となり、さみしゅうなりますでのう」。 |
足名槌 |
「そうだとも。二人きりになれば、さみしゅうなるが、と言うて、差し上げずにおけば、またもや太蛇が来て呑んでしまえば、我々二人が歯のない歯ぐきをへの字なりに噛みしめてみたところで、太蛇はご馳走様ともなんとも言やあせん。いっそ差し上げておけば、姫の命は助かり、あの世へ行ってからでも盆や正月に供え物を持ってきてくれ叉会えると云うものじゃ。差し上げたほうが利口というものではなかろうかのう」。 |
手名槌 |
「そうですな、おじいさん。どうせ、二人きりになるくらいなら、差し上げたほうが、利口な手ではないでしょうかのー」。 |
足名槌 |
「それでは姫は御命様に差し上げるだで、後からぐずぐず言うてはいけんぞな」。 |
手名槌 |
「なんで後から文句を言いましょうに。私からも宜しく言ったと申してください。だが、おじいさん、差し上げるからには、ひと目、婿の顔を拝ましてもらうことは出来んでしょうかの」。 |
足名槌 |
「それもそうだ。ばあさんの言うとおり、婿さんの顔を知らんようでは不都合じゃ。それではご無礼にならんように、こっそり見させてもらいなさい」。 |
手名槌 |
「はいはい。……。まあまあ、りりしい、いい男だこと。おじいさんの若いころにそっくりだ。娘がいやと言えば、このばばが嫁(い)っていいような婿さんだこと」。 |
足名槌 |
「これこれ。いい年をして、何を言い出すやら」。 |
手名槌 |
「おじいさん。鼻の大きい神様だが、鼻の大きいのは、あそこが大きいと言うが、いいは始めてだで、結構扱うだろうかの」。 |
足名槌 |
「なにを言う、ばあさん。姫も年頃だ。ああいうものは自然に覚えるとしたもの。心配することはないわい」。 |
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足名槌、素戔鳴命に向かう。 |
足名槌 |
「これはこれは、長らくお待たせいたしました。ばばとよく相談いたしましたところ、姫は差し上げると申しますので、よしなにお願い申し上げます。ばばからも宜しくお願いしますと申しております」。 |
素戔鳴 |
「それはめでたきことかな。しからば、太蛇はやすやすと退治し、姫の命は助け申さんぞな」。 |
足名槌 |
「はいはい。失礼ながら、太蛇の退治ようをお教えくださいますならば、ありがたき幸せに存じまする」。 |
素戔鳴 |
「しからば、太蛇の退治ようを教え申さん。両翁媼はすみやかに立ち帰り、出雲の国は神戸(かんど)の郡(こうり)小境村に鎮座まします松尾明神をほぎ出だし、にわかに酒林を立て、八千石の神変危毒酒(しんぺんきどくしゅ)は八塩折(やしおおり)の酒をかもし、八つの瓶(かめ)に盛り、乗せ置くなり。姫の姿、八つの瓶に写るなり。太蛇来たりて、姫を呑まんとして八つの瓶の酒を飲み干すなり。酒は毒酒のことなれば、太蛇が酔いつぶれたるところ、それがし、腰にたばさむ十束(とつか)の宝剣をもって太蛇は寸々に切り捨て、姫の命は助け申さん」。 |
足名槌 |
「こは良き御手段でごわりますぞや。しからば、国津神は酒造家の主人となり、八千石の神変危毒酒八塩折の酒をかもし、酒醸造の暁は、姫もろとも差し出し申さんぞな。しからば、一首の神歌をもって、しばらくのお別れにて候」。 |
神歌 |
「親と子が袖に涙をせきとめて、君に捧げし奇稲田姫」。 |
神歌 |
「朝起きて夕べに顔は変わらねど いつの間にやら皺は寄るなり」。 |